2011年11月23日水曜日

神里優姫さんのコンサート

「下落合」(高田馬場から西武線で一駅)、徒歩1分 TACCS1179 にて、
23日(水)13:00 open です ↓
http://blog.goo.ne.jp/yuuki6256/e/3cbae929c43a91928f9b343712dcdbde

どうしてぼくが、横浜市立大学卒の美人シャンソン歌手を知っているか?
それは『パンと民衆』〈歴史モノグラフ〉の著者の新妻だから。

2011年11月21日月曜日

WiMax 開通!

恥ずかしながら、これまで無線(モバイル)接続というのを自分でやったことがなかったのですが、‥‥昨日から本日にかけて、ようやく開通。大学にも自宅の各室にも LAN 端末があり、安定した高速接続の保障された場所でのみ仕事をしていたぼくとしては、ワイヤレス環境への対応の必要がほとんどなく、今ごろ東大生協の WiMax キャンペーンに乗ってようやく試行したというわけです。
 じつは何年か前に、無線 LAN 接続を試みようとして、当時のK助手にぼくの機器の古さを笑われたことがありました。 → http://kondo.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=515
今回も2年前の最新鋭機 Dynabook RX2 ですが(わざわざ XP SP3 にダウングレイドしています)、これに WiMax のUSBを差し込んで、恐る恐る試みました。
 土曜の自室では電波が弱いのか強雨のせいか、たいへん遅い、というより「接続中」が永遠につづく‥‥。南側のリヴィングに移っても‥‥。
 今日、日曜、秋景色の本郷でなぜか京都や福岡の人に遭遇しつつ、オフィスで同じことを試みると、何かの拍子にうまくいって--というより、じつは昨日から「接続中」で OK だったのだ!と認識--「無料お試しキャンペーン」の申込ページに変わりました。どうせダメか‥‥などと案じながらやってると何事もうまくいかない。「君に足りないのはコンフィデンスだよ」などとある卒論学生に言って励ましたばかり‥‥。
 WiMax って案外、支障なく働くんですね。だからといって別に地下鉄や路上でも活用、などと考えている訳じゃなく、来4月から環境が変わりますので、その対策の一つに過ぎません。

2011年11月13日日曜日

Robertson -- Hirschman -- Pocock

St Catherine's の関連で、なんということなくケインブリッジ・歴史学部のウェブページを見ていたら、金曜の講義リストに目が止まった。
12:00
Part I, Papers:
  3: Carpenter et al: Survey Room 5
  10: Pooley: British Social History 1700-1914 Room 6
  20: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3

Part II, Special Subject Papers:
  3: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3
とあった。いいなぁ、ロバートスンの講義。ぼくも居たら聴きに行くでしょう。
 ‥‥ヴィーコ、マンドヴィル、ヒューム、モンテスキュって、じつに Albert O. Hirschman, The passions and the interests (1977) のたてた問題。 Pocock, The Machiavellian moment (1975) に世評はとられちゃったけど、モンテスキュ的契機から情念と利害関心を論じていました。ぼくはこれを名古屋時代に南山大学の図書を借りだしてコピーしたのでした! (和田さんの知恵だったのかどうか失念しました。)

 でも冷静に考えると、こうしたロバートスン、ハーシュマンの知の系譜は、マキャヴェッリ、ホッブズを加えて、じつは 内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書、1971)の営みでもありました。あぁ、日本語がせめてドイツ語くらいの国際性があれば‥‥ぼくたちも、もう少し気概をもって仕事をできたのに‥‥。
 21年前のケインブリッジ歴史学部ではキャナダイン、アウスウェイト、ゴールディの講義を聴き、集中講義にはラングフォードやポーコックが見えました。翌年に一種の時間講師としてのコリ、クラーク、イニスの初講義を聴いた折にしたためたのが「剣橋放談」( in『イギリス史研究』No.33, 1982).ぼくの鬱屈みたいなものが、そのまま現れています。

赤門脇の新館工事

例の学士会分館あと、赤門と小島ホールの間に位置する新館の工事。
晩秋の曇の日ですが、すでにこのくらいまで進行しています。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2011/12/blog-post_19.html

 真ん中のアーチ(アーケード)がデザインの味噌。先日の史学会大会報告では、19世紀パリの passage が語られていました。
 本郷通り【右上の写真の反対】の側からみると、一種ケインブリッジの18世紀建築 St Cat(聖キャサリン学寮、King's の脇)を想わせる雰囲気になるかとも思われます。それよりずっと小規模ですが、①色調は同じ濃褐色、②建物を 口 のような方形の内庭に囲いこまず(ミアズマに余地を与えず)、┏┓ の形にして、シンメトリと風通しを第一に考える、という啓蒙の時代的な設計思想が共通していますね。下の St Cat の写真は public domain より。

2011年11月4日金曜日

史学会大会

あす(5日)、あさって(6日)の史学会大会のプログラムのうち、
一部を抜粋してご覧に入れます。
クリックすると拡大します(そのハズ)。
どなたもどうぞ。

2011年11月3日木曜日

SOHBI の邦訳

『オックスフォード・ブリテン諸島の歴史』(慶應義塾大学出版会)について、こんな書き込みをしています。
→ http://kondo.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=579
先々週、院生とのやりとり(「きみ、なに言ってんの」!?)があったお陰で、確認できた点です。さもなければ、済みません、読んでいませんので‥‥

ちなみに申しますと、巻末に記されている編著者 Collinson 先生の経歴で「ケント大学(ケンブリッジ)」はひどい。編集サイドの常識の問題でもあります。
University of Kent at Canterbury はキャンタベリ市にあるケント大学(1960年代設立)、ケインブリッジ大学とは全然関係ないが、一時期はコリンソンや Theo Barker を擁して勢いのあった新設大学でした。ラテン語で Cantuaria.
ケインブリッジの Cantabrigia との間でとくに略号で記された場合には紛らわしかったりしますが、それにしても中近世において Cantab.と Cantuar.の区別は決定的に重要ですね。

2011年11月2日水曜日

歴史のフロンティア

 第20巻は、本村凌二『帝国を魅せる剣闘士』(山川出版社、2011年10月)

 おもえば1993年11月の発刊以来すでに18年。時代も変わりましたが、よくもまぁ <歴史のフロンティア> 計20の巻が続きました。菊地信義さんの装幀で、定価2700円~2800円。『民のモラル』と『ルターの首引き猫』が最初の2巻でしたが、当時の大新聞の書評氏たちは一知半解の評言を加えたものでした。
 編集者さん、お疲れさま。