2019年11月24日日曜日
コートールド家
コートールド美術館といえば、1980年代末に現在のストランド Somerset House に移転するより前、ブルームズベリの Woburn Square(Senate House および IHR の裏手、 Gordon Square に向かって歩き始めた所)にあって、有名な Warburg Institute と隣接していたころです。81・82年に訪れたときには、両者が一緒の茶色い建物にあって、階段をどんどん登っていった気がします。
それより前に Courtauld という名を初めて知ったのは、ユグノ由来の繊維業ブルジョワ、その社史を書いた Donald Coleman という繋がりでした。
Courtaulds: An economic and social history. i) The nineteenth century - silk and crape; ii. Rayon; iii. Crisis and change 1940-1965 (OUP, 1969/1980)
経営史の和田さんから、すでに1979-80年に、ケインブリッジの経済史といえば(今ではポスタンではなく)コールマン先生、といってそのときは2巻本を見せられました。
→ https://www.independent.co.uk/news/people/obituary-professor-d-c-coleman-1600207.html
そもそも Courtaulds ってどう読めばいいんだ? ユグノは高校世界史でやったのより、もっと広く深い難題かも。しかも18世紀末にはユニテリアンになった‥‥。戦後歴史学の小宇宙とは別個に展開している深い世界をほんの少しのぞき込んで、おののくような感覚。同時に、だからこそ留学する意味があるという期待。
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Courtauld_(industrialist,_born_1761)
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Courtauld_(industrialist)
そのケインブリッジで社会経済史のセミナーに出てみたら McKendrick, Brewer, Styles などを集めて、ツイードのジャケットが似合い、パイプをくゆらせる理知的な紳士でした。81-82年ころには、Gentlemen and players といった問題を立てながらも、ゼミの報告にたいして「 Social history なんて学問として成り立つのかい」といった発言があり、ぼくのような若造から見ると、保守的なのかリベラルなのか、よくわからなかった。それは、彼の代表作ともされるコートールド社史3巻本における分析と叙述の統一といった点に表れ、かつイギリス学界で高く評価されたのとも不可分の、イギリス経験主義だったのでしょう。 → to be continued.
2019年11月16日土曜日
「主権国家再考」の公開研究会
もはや今日のことになってしまいましたが、ご案内を転載します。
「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」公開研究会
『「主権国家再考」の再考』
主催:科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」
共催:ヨーロッパ近世史研究会
秋麗の候、みなさまにおかれましては、ますますご清祥のことと拝察します。
科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」は、『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行後に求められる議論として、複合的政治編成の知見を踏まえたヨーロッパ史解釈の再構築をすすめるべく、具体的に「主権」概念に焦点を絞りながら検討をすすめてまいりました。
それらの研究成果の一端は、2018年、2019年に歴史学研究会が主催した合同シンポジウム「主権国家再考」において披歴されました。
この度は2019年5月に開催されたシンポジウムの講演録がこの10月、『歴史学研究』増刊989号に刊行されたことを機会に、今回はヨーロッパ近世史研究を専門とするみなさまとあらためて検証すべく、以下のような公開研究会を開催します。みなさまの参加を心から歓迎します。
日時:2019年11月16日(土)14時-17時30分
場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館5階第5会議室
https://www.waseda.jp/flas/cms/assets/uploads/2019/09/20181220_toyama_campus_map.pdf
次第:①主旨説明:古谷大輔(大阪大学)『礫岩のようなヨーロッパ』の先に - 主権概念の批判的再構築
②基調報告:佐々木真(駒沢大学)「主権国家再考」の議論について
③「主権国家再考」シンポジウム関係者からの応答
科研基盤(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」の研究分担者から、佐々木報告へのリプライを行います
休憩:15分程度
④フロアの皆さまとの討論と総括
「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」公開研究会
『「主権国家再考」の再考』
主催:科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」
共催:ヨーロッパ近世史研究会
秋麗の候、みなさまにおかれましては、ますますご清祥のことと拝察します。
科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」は、『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行後に求められる議論として、複合的政治編成の知見を踏まえたヨーロッパ史解釈の再構築をすすめるべく、具体的に「主権」概念に焦点を絞りながら検討をすすめてまいりました。
それらの研究成果の一端は、2018年、2019年に歴史学研究会が主催した合同シンポジウム「主権国家再考」において披歴されました。
この度は2019年5月に開催されたシンポジウムの講演録がこの10月、『歴史学研究』増刊989号に刊行されたことを機会に、今回はヨーロッパ近世史研究を専門とするみなさまとあらためて検証すべく、以下のような公開研究会を開催します。みなさまの参加を心から歓迎します。
日時:2019年11月16日(土)14時-17時30分
場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館5階第5会議室
https://www.waseda.jp/flas/cms/assets/uploads/2019/09/20181220_toyama_campus_map.pdf
次第:①主旨説明:古谷大輔(大阪大学)『礫岩のようなヨーロッパ』の先に - 主権概念の批判的再構築
②基調報告:佐々木真(駒沢大学)「主権国家再考」の議論について
③「主権国家再考」シンポジウム関係者からの応答
科研基盤(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」の研究分担者から、佐々木報告へのリプライを行います
休憩:15分程度
④フロアの皆さまとの討論と総括
2019年11月12日火曜日
平田清明著作 解題と目録
史学会大会から帰宅したら、『平田清明著作 解題と目録』『フランス古典経済学研究』(ともに日本経済評論社)が揃いで待ってくれていました。
どちらも「平田清明記念出版委員会」の尽力でできあがったということですが、知的イニシアティヴは名古屋の平田ゼミの秀才:八木紀一郎、山田鋭夫にあることは明らかです。
『フランス古典経済学研究』は平田39歳の(未刊行)博士論文。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2537
『平田清明著作 解題と目録』は、刊行著書のくわしい解題と、略年表、著作目録。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2538
こうした形で出版されことになった事情も「まえがき」にしたためられています。
「門下生のあいだでしばしば浮上した平田清明著作集の構想の実現が、現在の出版事情から困難であったからである。‥‥しかし、図書館の連携システムや文献データベース、古書を含む書籍の流通システムが整備されている現在では、一旦公刊された文献であれば、労を厭いさえしなければ、それを入手ないし閲読することがほとんどの場合可能である。‥‥そう考えると、いま必要なのは、著作自体を再刊することではなく、それへのガイドかもしれない。‥‥それに詳細な著作目録が加わればガイドとしては完璧であろう。‥‥
そのように考えて、著作集の代わりに著作解題集・著作目録を作成することになった」と。
まことに、現時点では合理的な判断・方針です。1922年生まれ、1995年に急死された平田さんの『経済科学の創造』『市民社会と社会主義』『経済学と歴史認識』から始まって、すべての単著の概要・書誌・反響・書評が充実しています。また「略年表」とは別に、なんと143ぺージにもわたる「著作目録」があります。見開きで「備考」が詳しい! 「追悼論稿一覧」も2ぺージにおよびます!
とにかく、ぼくが大学に入学した1966年から『思想』には毎年、数本(!)平田清明の論文が載り、『世界』に載った文章も含めて『市民社会と社会主義』が刊行されたのは1969年10月。東大闘争の収拾局面、ベトナム戦争の泥沼、プラハの春の暗転。こうしたなかで平田『市民社会と社会主義』が出て、ぼくたちが熱烈に読み、話題にしはじめて3ヶ月もしないうちに、日本共産党は大々的に平田攻撃を開始して『前衛』『経済』を湧かせ、労農派も平田の反マルクス主義性をあげつらう、という具合で、鈍感なぼくにも、誰が学ぶに値し、どの雑誌や陣営がクズなのか、よーく見通せることになった。
そうしたなかで、わが八木紀一郎は驚くべき行動をとりました。東大社会学・福武直先生のもとで「戦前における社会科学の成立:歴史意識と社会的実体」というすばらしい卒業論文(1971年4月提出)を執筆中の八木が、東大でなく名古屋大学の経済学大学院を受けて(当然ながら文句なしに*)合格して、卒業したら名古屋だよ、と。すごい行動力だと思った。
*じつは受け容れ側の名古屋大学経済学研究科の先生方は、筆記試験も卒業論文も抜群の東大生がどうして名古屋を受験するのか、なにか秘密があるのか、戦々恐々だった、と後年、藤瀬浩司さんから聞きました。平田先生のもとで学びたい、というだけの理由だったのです! ただし、その平田先生は73年に在外研究、78年に京都大学に移籍します。八木もドイツに留学します。
ぼくも西洋史の大学院に入ったばかりのころ、八木の紹介で、本郷通りのルオー【いまの正門前の小さな店ではなく、菊坂に近い現在のタンギーにあった、奥の深い喫茶店】で平田先生と面談し、わが卒業論文(マンチェスタにおける民衆運動:1756~58年)の要点をお話ししただけでなく、1972年3月には滋賀県大津の三井寺で催された名古屋大学・京都大学合同の経済原論合宿の末席を汚して、経済学批判要綱やヘーゲル法哲学批判などを読み合わせたりしたものです。そこには奈良女の学生もいました。
マルクス主義者というより、内田義彦に通じる、経済学と人間社会を(言葉にこだわりつつ)根底的に考えなおす人、としてぼくは平田清明に惹きつけられたのでした。
68-9年からこの『平田清明著作 解題と目録』の刊行にいたるまで、現実に与えられた諸条件のなかで「筋を通す」という生きかたを貫いておられる、「畏友」八木紀一郎に敬意を表します。
2019年11月8日金曜日
明日のシンポジウム
既報の再録ですが、明日、史学会大会の公開シンポジウムは〈天皇像の歴史を考える〉です。
史学会大会・公開シンポジウム http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
日時: 11月9日(土)13:00~17:00
会場: 文京区本郷 東京大学・法文2号館 1番大教室
公開シンポジウム 〈天皇像の歴史を考える〉
<司会・趣旨説明>
家永 遵嗣(学習院大学)・ 村 和明(東京大学)
<報 告>
佐藤 雄基(立教大学)「鎌倉時代の天皇像と院政・武家」
清水 光明(東京大学)「尊王思想と出版統制・編纂事業」
遠藤 慶太(皇学館大学)「歴史叙述のなかの「継体」」
<コメント>
近藤 和彦
<討 論>
日本史の古代・中世・近世の3研究にたいして、西洋史で政治社会・国制・主権などをテーマに勉強している立場から、問いかけと若干の提言をいたします。君主制および天子・天皇・皇帝・Emperor という語についても。
翌10日(日)午後には日本史部会で〈近代天皇制と皇室制度を考える〉というシンポジウムがあります。これと呼応して、おもしろい議論が出てくるといいですね。
史学会大会・公開シンポジウム http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
日時: 11月9日(土)13:00~17:00
会場: 文京区本郷 東京大学・法文2号館 1番大教室
公開シンポジウム 〈天皇像の歴史を考える〉
<司会・趣旨説明>
家永 遵嗣(学習院大学)・ 村 和明(東京大学)
<報 告>
佐藤 雄基(立教大学)「鎌倉時代の天皇像と院政・武家」
清水 光明(東京大学)「尊王思想と出版統制・編纂事業」
遠藤 慶太(皇学館大学)「歴史叙述のなかの「継体」」
<コメント>
近藤 和彦
<討 論>
日本史の古代・中世・近世の3研究にたいして、西洋史で政治社会・国制・主権などをテーマに勉強している立場から、問いかけと若干の提言をいたします。君主制および天子・天皇・皇帝・Emperor という語についても。
翌10日(日)午後には日本史部会で〈近代天皇制と皇室制度を考える〉というシンポジウムがあります。これと呼応して、おもしろい議論が出てくるといいですね。
2019年11月3日日曜日
南アフリカ、強かったね
日本が10月20日に 3対26 で圧倒的に負けた相手ですが、11月2日、エディ・ジョーンズHCのイングランドは、ラシ・エラスムス(!)HCの南アフリカ(Springboks)にやはり実力で圧倒されてしまった。トライなしで 12対32.
その点をBBCは飾ることなく、
South Africa broke English hearts with a ruthless display of power rugby
to seize their third Rugby World Cup in devastating fashion.
という見出しで伝えています。これまた、なんという力強い、簡にして要をえた英語なんだ!
(C)BBC
そして、写真の真ん中、黒人主将 Siya Kolisi のドラマも語りあげます。
その語りにおいては、1899-1902年の不義の闘い・南アフリカ戦争の意趣返し、といったことは、品がなくなるので口にせずに、エラスムス的[≒オランダ起源のコスモポリタンの]多様性の文化が、南アフリカ共和国の将来を示す、というストーリです。
これはマルチ=エスニックな日本チームについて報じられているのと、方向性は同じです。美しくない過去の克服について、南アでは政府イニシアティヴでポジティヴに取り組んでいる;日本ではそれがどこまで意識的に追求されているか、という違いはありますが。
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