戸田三三冬さん(1933-2018)は、略歴からみても、
卒業論文(1960)で「ドイツ11月革命におけるレーテ」
修士論文(1963)で「第一次大戦中における中欧再編問題」
フルブライト奨学金でアメリカ・ボストン留学、ヨーロッパ旅行
アナキスト・マラテスタの著作に遭遇して、日本アナキストクラブに参加
三宅立さんと結婚
イタリア政府給費留学生としてナポリ留学
各大学で非常勤講師を重ねつつ、1990-2004年に文教大学教授
日本平和学会のシンポジウム「人間・エコロジー・平和」を企画・司会
マラテスタ研究センター主宰
といった具合に、三面六臂の活躍でした。
戸田さんはぼくよりずっと年長で、親しくお話しする機会は多くなかったし、会合でぼくが発言しても「坊や、いいこと言うわね」程度にあしらわれたように記憶します。それにしても本書に集められた論考も授業の記録も、人柄と語り口をしのぶ良きよすがとなっていて、懐かしいものです。たとえば、巻末の長い「解題」にも紹介されているとおり、
[長いヤリトリのあと]
司会:「‥‥ストップしないと(戸田先生の話は)止まらないから」
戸田:「一つ言わせて! 私の平和学の根底にはアナキズムと仏教があります」
司会:「それはみんなわかっている」
会場と戸田:「ハッハハ」(p.528)
じつはいま「ジャコバン研究史から見えてくるもの」という拙稿、すでに去年に執筆したものですが、ただいま再考中でして、
「彼[マラテスタ]にとっては社会主義者、アナキスト、インタナショナリストは、常に同義である」(p. 363)
といった戸田さんの文章に「再会する」ことにより、わが身体にいつしか刻みこまれたマルクス主義的≒近代主義的偏向(!?)をあらためて反省します。
イタリア人アナキスト・マラテスタは在ロンドン、1881-1919年。イギリス史の基本的レファレンスである Oxford Dictionary of National Biography にも当然のように Errico Malatesta が(クロポトキンなどとともに)立項されています。ロンドンの亡命者コミュニティというのは、すでに1840年代から呉越同舟で、おもしろい。なんと1905年、08年にはあのレーニンもマラテスタたちの居るロンドンに滞在しました! 顔を合わせてしまったら、どうする/したんでしょう?