2019年10月8日火曜日
編集力の問題
10月7日、『日経』文化欄にて、「誤記や捏造、揺らぐ出版」と題する、久しぶりに郷原記者の署名記事を読みました。
・池内紀『ヒトラーの時代』(中公新書、2019)
についてあまりに誤記、間違いが多い、という指摘に、研究者・小野寺さんのコメントが引用されています。じつは、こちらはそう珍しくない、多作な執筆者になくはない話かな、と思わせます。池内さんの翻訳文について、二昔ほど前にも話題になったことがありました。ゆったり温泉につかって書いているような随筆文なんでしょう。脇から舛添要一のコメントも加わったりして、やや混乱していますが、問題はやはり編集力ということではないでしょうか。
・深井智朗『ヴァイマールの聖なる政治的精神』(岩波書店、2012)
こちらはずっと深刻で、表向きは学術的な、学問を否定する作品でした。捏造、盗用、デッチ上げ。すでに本人は東洋英和女学院を懲戒解雇され、岩波書店も公に謝罪してこの本を回収しています。
郷原記者は、こうしたことが続く原因を、現今の出版社の点数主義と、編集者の(忙しすぎるゆえの)手抜きとしています。そのとおりですが、もう一つ、編集者の水準の低下、「ゆとり世代」の基礎学力不足も深刻なのではないでしょうか。専門書ならばレフェリー制度、というのが一つの解決策ですね。
・かくいうぼくも、じつは剽窃まがい(無断の借用)の被害者です。加害者は多作で名の通った大学教授(and 創業100年をこえた出版社の担当編集者)で、もしや教授殿から、本文はできたから、「地図等はテキトーにやっといて」と任されたのでしょうか。若い編集者が、それこそテキトーに手にした、近藤和彦編『イギリス史研究入門』(山川出版社、2010)p.394 の地図を無断で拝借したのでした(対照してみると、ぼくが選択した地名だけでなく、文字の配置・傾斜も、イタリックもすべて一致。海の波線は異なります!)。完璧なコピー&ペイストです。参考文献表のある本でしたが、近藤の名も『イギリス史研究入門』という表記も、巻頭から巻末まで、どこにも見当たりませんでした。
その著者先生の人柄は前から存じていましたので、ご本人と交渉してもノレンに腕押し(!)でしょうから、出版社の編集部に釈明を求めました。
直ちに、担当編集者とその上司から平身低頭の対応がありました。担当編集者(20代?)のセリフによると「地図なんてどれも同じ」、コピーライトがあるなんて知らなかったというのです。この老舗出版社の名声を揺るがすような発言でした。
おそらく事態をはじめて認識した上司が奮闘したに違いありません。次の第2刷から(微妙にニュアンスをつけて)「近藤和彦著『イギリス史10講』による」という1行が地図の下に加わりました。執筆者ご本人はというと、ある時、ある所で遭遇したら、‥‥頭を下げずに「お騒がせしました」とのご挨拶でした!
2018年8月28日火曜日
ことばの歴史性
話はあちこち逸れましたが、16・17世紀にもどって、もし大航海時代の冒険商人たちが(日本列島でなく)現代のアメリカ合衆国に遭遇したなら、軍の最高司令官=大統領のことは emperorと呼び、合衆国の国のかたちについては邦 state を50個も束ねる empire だと形容したでしょう。だからといって、今日の政治学者も歴史学者も、大統領は「皇帝」だ、合衆国は「帝国」だと呼ぶわけにはゆきません(そう言いたくなる折々はあっても!)。
むしろ現代のアメリカ合衆国は連邦制の imperium「主権国家」で、大統領は imposterならぬ imperator「国家元首」で、議会や司法の掣肘をうける存在でしょう。上記の平川『戦国日本と大航海時代』の引用部分について確認するなら、大航海時代のポルトガル人やイエズス会士は、日本列島を統一途上の imperium「主権国家」、秀吉や家康を(フェリーペ2世やジェイムズ1世のような)imperator「強大な君主」「主権者」と認めた、というのに他なりません。
16世紀末と19世紀末は異なる時代です。300年の歴史をはさんで、近世・近代のヨーロッパの政治用語は 1648年のウェストファリア体制、1815年のウィーン体制の〈諸国家システム〉を前提にしたものに転じ、用法が異なります。同時に単語としての継続性も残る。歴史研究者なら、言葉の継承と、その意味の転変とのデリケートなバランスを捉えないとなりませんね。
ユーラシア史の大きな展開。これを十分に把握するためには、アジアだけでなくヨーロッパ史の新しい展開も看過できない、ということです。西洋史も、2・30年前に高校世界史で習ったのとは違うのですよ!
2018年8月27日月曜日
<帝国>と世界史
(ちょっと日にちが空きましたが)『日経』郷原記者の「アジアから見た新しい世界史 -「帝国」支配の変遷に着目」の続きです。第1の論点について異論はありません。特別に新規の説ではなく、多くの読者に読まれる新聞の文化欄8段組記事ということに意味があります。
第2の論点、帝国となると、そう簡単ではありません。郷原記者は平川新『戦国日本と大航海時代』(中公新書)を引用しつつ、16~17世紀に「日本は西欧から帝国とみなされるようになった」「太閤秀吉や大御所家康は西欧人の書簡で「皇帝」、諸大名は「王」とされた」と紹介します。
それぞれ empire, emperor, king にあたる西洋語が使われていたのは事実ですが、そもそも中近世の empire を帝国、emperor を皇帝と訳して済むのか、という問題があります。近藤(編)の『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015)pp.93-105 でも言っていることですが、emperor はローマの imperator 以来の軍の最高司令官のことで、近世日本では征夷大将軍や大君(ないし政治・軍事の最高支配者)を指します。京のミカドというのはありえない。
また empire はラテン語 imperium に由来する、最高司令官の指令のおよぶ範囲(版図)、あるいはその威光(主権)を指していました。だから吉村忠典も早くから指摘していたとおり、帝政以前の共和政ローマにも imperium (Roman empire の広大な版図)は存在したのです。『古代ローマ帝国の研究』(岩波書店、2003)および『古代ローマ帝国』(岩波新書、1997)。
たしかに近現代史では emperor は皇帝、 empire は帝国と訳すことになっていますが、その場合でも emperor は武威で権力を手にした人、というニュアンスは消えないので、神か教会のような超越的な存在による正当化が必要です。中国の皇帝が天命により「徳」の政治をおこなったように。
1868年以後の日本では将軍から大政を奉還されたミカド、戊辰の内戦に勝利した薩長の官軍にかつがれた天皇に Emperor という欧語をあてましたが、これはフランスの帝政をみて、また71年以降はドイツのカイザーをみて「かっこいい」と受けとめたからでしょう。ただし、武威で権力(統帥権)を手にしただけでは御一新のレジームを正当化するには不十分なので、神国の天子様という「祭天の古俗」に拠り所をもとめ、89年の憲法でも神聖不可侵としました。そうした神道の本質をザハリッヒに指摘した久米邦武を許さないほど、明治のレジームは危うく、合理的・分析的な学問をハリネズミのように恐れたのですね。
2018年8月21日火曜日
教養と新聞記者
このところちょっと『日経』をほめすぎたようですから、今日は苦言を。
「歴史や哲学 手軽な教養書ヒット」という『日経』8月13日(月)夕刊の記事。
「教養書ブームの歴史」という横組の年表(?)も添えられていますが、1954年のカッパブックスに次いで1968年の吉本隆明『共同幻想論』、その次は1976年、渡辺昇一『知的生活の方法』、そして1983年浅田彰『構造と力』‥‥、といった選択の基準がわからない。テキトーに10年に一つを選んだということかもしれないが、それにしても戦後の高度成長期に「世界文学全集」のたぐいが各社から出て、戦前からの岩波新書の好調に続き(この記事にも言及された光文社「カッパブックス」の後には)、中公新書、講談社現代新書の創刊が続いたこと、そして60年代半ばから90年代まで『岩波講座』が大学生市場を席巻したという事実をうかがわせる兆候は示してほしい。
本文では、野本某の言「いずれ古びるハウツー本を読むより、古典的な教養に触れた方が自分が高まると感じる人が多いのではないか」という引用。その2段下には、歴史学者(?)與那覇某の言として「教養を通じて、無限に広がる世界へアクセスしたいと思っている読者は、そう多くない。‥‥昔から伝わってきたものに宿る本物らしさに、安心を求めているのでは」と引用されている。
これでは、できの悪い大学生のレポートみたいなもので、「教養」というものに触れたい人が多いのか少ないのか、いったいどっちなんだ、と詰め寄りたくなる。両者の意味する「教養」の内実が違うと示唆しているわけでもなさそう。だれがどう言っていますという引用センテンスを並べるだけなら、キッザニアで「記者ごっこ」をして遊ぶ孫たちにもできる。
さらにいえば、戦後の高度経済成長にともない、大学進学率が(1950年代の)8%くらいから(70年代に)20%を越え、(2000年代には)40%を越えました(男女計)。2010年以後進学率は50%を越えたとはいえ、停滞しています(当然でしょう!)。そもそも若年人口も総人口も大卒人口も「団塊の世代」の250万人/年が押し上がるとともに増えてきたわけで、教養主義の盛衰は、大学生( → 大卒者)の絶対数および総人口比とあきらかに相関しているでしょう。
→ 文科省の発表数値を西暦に書き直した表(4大について)
→ 大学への進学率グラフ(第6図が4大について)
→ 年次統計.com(短大を含む進学率)
そうしただれでも思いつく事実の示唆さえないのは、担当記者(2人)の取り組みのええかげんさを示しています。つまり、これは「盆休みの[スペースを埋めるためだけの]消化記事」だった、ということなのかとさえ疑われる。
デスクにも責任があります。「しっかり事態を観察して、背景を調べ分析し、立体的な論理をたて、こうだという説得性のある文章にして、初めて大卒の書いた記事になるのだ」とかいって原稿を突っ返す、デスクはいなかったのか。
登録:
投稿 (Atom)