ラベル Carr の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Carr の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年4月17日木曜日

主権・IR・カー

「主権国家」再考』(岩波書店)は本日、16日発売とのことですが、先にも書きました詳細な目次だけでなく、立ち読みコーナーもあって、ぼくの「序論」についてはちょうど半分、pp.1-10 がウェブで読めるようになっています。
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0616940.pdf (目次のあとです)
そうした出版のオンライン開示は便利だなぁと見ているうちに、さらに今月刊のE・H・カー『平和の条件』(岩波文庫)も、訳者による解説(部分)が読めることを発見。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8771
ちょうど『「主権国家」再考』がらみで、中澤論文からドイツの Andreas Osiander による
'Rereading early twentieth-century IR theory: Idealism revisited', International Studies Quarterly 42 (1998) へと導かれ、この論文でE・H・カーの国際関係学(IR)批判が試みられていることを認知したばかりでした。
この間のいろんなことが繋がってきて、嬉しいかぎりです。

2025年2月19日水曜日

『読書アンケート 2024』

みすず書房より『読書アンケート 2024』(単刊書、2月刊、800円)が到来。
https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/ 
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。

2025年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 戦禍や災害がうち続き、政治も危うげな昨今です。みなさま、いかが新年をお迎えでしょう。
 こちらの直近の最優先課題は
「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
の仕上げです。中澤(編)『「主権国家」再考』(岩波書店)は共著者とともに校正中です。その次の仕事『デモクラシー像の更新』も、自分の勉強として、公けの出版として、今から楽しみが一杯です。
 これらにも関連して、昨3月にはオクスフォード、バーミンガム等、9月にはスコットランド(ハイランド)、バーミンガム、ケインブリッジ等に参りました。ワークショップや人びととの再会懇談、文書リサーチとともに、1689年~1746年のジャコバイトの関連史跡を見て歩き、エディンバラでは一つの史料の細部を確かめることができました。ECCOなどディジタル化された画面では(いくら拡大しても)判別不能の、現物を見て触って、はじめて確かめられる特徴や細部など、喜びです。これはカーのいう「史料フェティシズム」でしょうか。
 それにしてもスコットランドのうち、ハイランドとロウランドの違いは、車で巡行してあらためて印象づけられます。北西部の氷期の痕跡、rough で tough な地理・天候とジャコバイトの心性は、無関係ではありませんね!(スコットランド王国には歴史的な大学が4つありましたが、グラスゴー以外は東海岸に偏っています。)
写真はインヴァネス(ジャコバイト最後の戦地 Cullodenの最寄り都市)のあるパブに刻まれていたエピグラムです。
 今年もお元気にお過ごしください。
 2025年正月     近藤 和彦

2024年3月24日日曜日

またもやカメラ問題

3月のイギリスは案の定、天気は悪いがあまり寒くはなく、水仙も桜も咲きそろい、朝夕にブラックバードは歌い、リサーチおよびワークショップには悪くない環境でした。
帰国したばかりで、まだ時差呆けです。これからいろいろと書こうと思いますが、まずは昨9月に続いて、またもやカメラで冷や汗をかいた話を。話は長くなります。

帰国の直前の3日間はケインブリッジ。大学図書館の文書室、稀覯本室でじつに効率的に仕事ができました。文書室ではアクトン文書と、Peter Laslett文書。とにかく写真を何百枚と撮ると、半日で充電は切れてしまうので、小型軽量のキャノンを2器、それにスマホ、と計3台のカメラを携行していました。
最終日は、夜にはLHR出立なので、時間を有効に使うため、文書はすでに前日に注文し、閲覧できるものを特定。稀覯本は夜に(CULでは iDiscover というあだ名!)インタネットシステムで注文。
どちらも朝イチに行っても、これから作業開始ですとか言われかねないので、まずは開架(North Front)にある3冊ほどのアクトン書簡集の所へ急ぎ、特定ぺージを撮影。 次いで、西1階の稀覯本室でメアリ・グラッドストン関連の稀覯本とご対面。ここで予期を越えて貴重な写真を発見し、撮影しました。
最後に西3階の文書室に移動して、待っていてくれたラスレット文書のファイルを速読。この人は(日本の学界ではいささか低い評価ですが)、ロック研究・17世紀研究で失意の経験をしたあと、1964年からケインブリッジ・人口家族史グループの創建にあたるより前の時点では、BBC放送と学内政治にかなり関与していたようです。70年代の日本来訪のことも記録されています。そのとき松浦先生たちと一緒にぼくも会いました。
ただ今のぼくとしては、そういったラスレットの学問遍歴よりも、1961-62年のケインブリッジ歴史学Tripos(学位修得コース)改革にかかわる論議こそ見たかったのです。9月に旧友JWが、何かあるかもしれないよと示唆してくれたので、今回、見てみたのですが、大収穫。
『歴史とは何か 新版』ではあたかもカーの講演と出版がカリキュラム改革の先鞭をつけたかのような傍註を付けましたが(pp.139, 252-255)、むしろ1960年から歴史学部を賑わしていた改革論議が前提にあって、カーは経済史や非イギリス史系の人びととともに改革派の旗色を鮮明にした、これに対してエルトンを先頭にイングランド史の先生方の国史根性が顕著になる、ということのようです。カーも62年に長い意見書を提出していますが、エルトンはやはり長い意見書を2度も出して、イングランド史以外を必須にすることは有害で、なんの益もない、と力説します。
ちなみにハスラムのカー伝(Vices of Integrity, 1999)にもこのカリキュラム論議は出てきますが、まだ Laslett Papersは寄託されてなかったので(ラスレットの死は2001年)、史料典拠は明示されぬまま伝聞知識として述べられています。まだ未整理で not available な部分が大半のラスレット文書ですが、これから大いに利用価値のある集塊だといん印象です。

昼食にはJWから呼ばれているので、後ろ髪を引かれる思いながら、今回の調査探究=historiaは12時過ぎに中断。荷を置いていた Clare Hall に急ぎ戻り、タクシーでJW宅へ。
庭に面する明るい部屋に、おいしい北欧風ランチとウォトカ(!)が待っていました。
彼は学部はケインブリッジ、大学院はクリストファ・ヒルのもとで学びたく、ヒル先生には面談して受け入れてくれたのだが、オクスフォードの大学院委員会を仕切っていたのは欽定講座教授 Trevor Roperで、ラディカル学生として知られたJWを容認せず、「ラディカル活動家の鼻面をぶんなぐり」『新版』p.263、不合格としたのでした。【学部生の入学は学寮、大学院生の入学は全学委員会で決めるので、こういうことになるのですね。】
その後は、JWが駅まで送ってくれて、夫人はプールへ泳ぎに。
14:14発の快速で Kings Cross、パディントンから Elizabeth Line 15:54発でヒースロウ3へ、と順調に移動できました。チェックインも問題なし。面倒な securityも通過して、ふーっ、2時間も余裕があるぞ、と免税店に向けて歩き始めて、気がついたのです。腰のカメラがないではないか!

セキュリティに入るとき、身ぐるみ、電子機器、時計、財布、金属的な携行品など、トレイは3つに分けられてしまって、こういうのは混乱のもとで、嫌だなと思ったのが、そのとおりになったわけです。急ぎ戻って係員に交渉しても、どこのレーンだったか、と尋ねられ、似たようなレーンばかりで、何番なんて記憶していません。係員は、そもそもぼくが勘違いしているんじゃないかと疑う態度で、ぼくの背の鞄をスキャンさせろ、という。
ほら鞄の中にカメラがあるじゃないか、と彼はいうのだが、あなたね、ぼくはリサーチのために小型カメラを2台、スマホを1台、携行しているのですよ。そのうちの1台、腰の黒い小ポーチに入れたキャノンが、ポーチごと、見えなくなっているから声をあげているのです。この2週間のリサーチの収穫の大部分がこのカメラの中に収まっているわけで、-- たしかに「万が一」に備えて、じつは数日前にカメラのSDカードをコンピュータの記憶装置にコピーしたけれど、しかし、この3日ほどの撮影部分はまだコピーしていない。すなわちケインブリッジでの収穫は無に帰してしまう!
20分ほど押し問答して、こんなことありえない!と絶望しかけて喉はからから。そこに、 Hey. Is this yours? とおばちゃんが黒い小ポーチを掲げてきた。どこかに紛れていたようです。
皆さんも空港の security では、どうか最大限に集中して、ご注意を!

2023年10月31日火曜日

『図書』11月号休載 → 最終回は「E・H・カーと女性たち」

 岩波書店の『図書』に連載しています「『歴史とは何か』の人びと」ですが、申し訳ありません、11月号(899)はお休みとさせていただきます。
 第1回(2022年9月号)<https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074>にも記しましたとおり、三面六臂どころか、90歳まで執筆を続けたE・H・カー(1892-1982)ですが、その謎をすこしでも解き明かすために、20世紀のエリート群像の生きざまのなかで人物カーを脱特権化=相対化してみるという目論見でした。見開き6ぺージ(約6000字弱)の essay(試論)とはいえ、毎回、読むべきもの/確認すべきことが多くて、大変でした。肖像写真の選定にも苦労しました。しかし、それに見合う新しい発見/気付きもあり、充実した連載でした。
 元来は12回連載ということで始まりましたが、途中で15回に延伸できるかとの打診があり、やや充実させることができました。とはいえ、9月のアイルランド・イングランド旅行は(その準備段階も含めて)強烈で、連載原稿を仕上げることはできず、11月号は休載。12月号で第15回=最終回「E・H・カーと女性たち」をご覧に入れるということにさせてください。写真も含めて、それなりに印象的な最終回(有終の美!)とさせていただきます。(すでに最終回のゲラ校正も戻して、執筆者としての仕事は済んでいます。)
 ご愛読の方々、そして感想や声援を寄せて下さったみなさん、ありがとうございました。

2023年9月30日土曜日

バーミンガム大学にて

 今回の旅行は、ダブリンに2泊したあとは北アイルランドで4泊、ロンドンで2泊、バーミンガムで1泊、ロンドンで6泊、とたいへん忙しく機動的に動きました。
 バーミンガムは1982年以来です。New Street駅の近く、Town Hall(ヘレニズム様式!)やミュージアムのまわりは新しい建物が増えたとはいえ、基本は40年前と同じ。丘あり沢ありで起伏の多い街に、運河が行き渡っているのが印象的。全国的な運河網のハブだ、という歌いこみで、歩くにも飲食するにも楽しい環境を整備しています。
 今回の目的は大学図書館の Special Collection 所管の Papers of E H Carr です。New St.駅から University Stationへの鉄路も、他ならぬウスタ運河に沿って建設されています。産業革命の運輸は鉄道ではなく、運河だったという事実をみなさん、忘れがちです。18世紀後半から運河建設・改良は進み、鉄道建設は1825年/30年から始まる、というのは厳然たる事実です。ウェジウッドの陶磁器を鉄道でガタゴト運ぶわけにはゆきません。運河網を利用してリヴァプールにもロンドンにも、またその先の海外にも安全確実に運送できたのです。『イギリス史10講』pp.189-191.
 
 で、その運河脇の University駅に着くと、ホームで迎えてくれたのは、このジョーゼフ・チェインバレン。「エネルギーと人間的磁力」にあふれた美男、あの富裕ブルジョワのお嬢さんビアトリス・ポタの胸を焦がした「一言でいうと最高級の男性」です。バーミンガム市長、選挙権が拡大する時代の自由党の「将来の首相」。『イギリス史10講』pp.239-240.しかしベアトリスと別れ、1886年にグラッドストン首相と対立して自由党を割って出たチェインバレンは、civic pride のバーミンガム大学の初代総長にも就いていたんですね。市中でも大学内でもチェインバレンの存在感は大きい。
 広い空が広がるバーミンガム大学のキャンパスは、なぜか名古屋大学のキャンパスを連想させるところがあります。名大より広く、緑も多く、モニュメントも多いけれど。
 その北寄りの Muirhead Tower(ULとは別の新建築)に Cadbury Research Libraryと称する特別コレクション、手稿、稀覯本の部門があり、前週にインターネット予約をしたうえで参りました。最初の手続、確認を済ませたうえでアーキヴィストに導かれ、おごそかにドアの中に入ると、すでに予約した手稿の箱3つが待っていました。
 
 そこでは、こんな鉛筆書きのメモ(Last chapter / Utopia / Meaning of History)やタイプの私信控え etc., etc.を(座する間もトイレに行く間もなく)立ったまま、次から次に読み、写真に撮り、ということでした。各紙片に番号は付いていないし、また(私信や新聞雑誌の切抜きを除くと)日付もないので、取り急ぎのサーヴェイでは、全体的にきちんとした印象はむずかしい。それにしても、『歴史とは何か』第2版(M1986, P1987)における R W Davies の「E・H・カー文書より」(新版 pp.265-311)はかなりデイヴィス自身の問題意識に沿った引用・まとめであり、それとは違うまとめ方も十分にありうると思われます。たとえば、新版 pp.288-295では、70年代のカーの社会史・文化史への関心は十分に反映していませんでした!

2023年8月14日月曜日

近刊予告

近況ですが、『歴史学研究』No.1039(2023年9月)に 〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して (全7ぺージ)①  

『思想』No.1193(2023年9月)に 翻訳のスタイル (全4ぺージ)③  

が掲載されます。【後者は『思想』7月号「E・H・カーと『歴史とは何か』」特集号における上村論稿に触発されてしたためた小文で、そこで呈示された疑問や指摘に答えています。個人間の論争ではありません。一般的な意味を求めて、多くの第三者読者に向けて発した、論文/翻訳のスタイルについてのコメントです。ぼくもかつては清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、1959)の愛読者で、卒業論文の執筆時に大いに参照しました。】
どちらも早ければ8月末には公刊とのことで、編集サイドの厚意とすみやかな作業のお陰です。ありがとうございます。
お読みになる順序としては、先にも少し書きましたとおり、
 『歴史学研究』9月号〈批判と反省〉①に最初の目を通していただき、
 その次に「思想の言葉:いま『歴史とは何か』を読み直す」『思想』7月号②を、
 そして、『思想』9月号の「翻訳のスタイル」③
という順で読んでいただくと、一番ナチュラルで良いかな、と思います。
②は、早くから岩波書店のウェブ「たねをまく」 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 にて公開されていますが、やはり順序として①が最初に読めるようにみずから努力すべきだったと、段取りの悪さを反省しています。

2023年7月25日火曜日

『思想』・『歴史学研究』・『図書』

梅雨明け10日」はメッチャ暑い、とは気象予報士の言。そのとおり連日の猛暑ですが、皆さま、どうぞ慎重に、お健やかに。(蝉しぐれのなかで書いています。)

先にも書きましたとおり『思想』7月号「カーと『歴史とは何か』」をめぐる充実した特集号でしたが、8月号はなんと <特集 見田宗介/真木悠介> なのですね!
見田さんは駒場のまぶしいほどの先生でしたし、その後も社会学の学生たちを実存レヴェルで揺さぶっていた先生です。60年代には父親=見田石介がだれしも知るマルクス主義の学者で、父といかに距離を保つか、どこに自分のアイデンティティがあるか、を考え続けていたのでしょう。8月号、未見ですが、楽しみにしています。 http://kondohistorian.blogspot.com/2022/04/19372022.html でも私見をしたためました。

そうこうするうちに昨朝『歴史学研究』のための初校を終えました。9月号(No. 1039)で、
〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して
というタイトルです。じつは昨年8月に書き始めてすでに9月には8割方できあがっていました。どう締めるかで迷っているうちに、『図書』の連載で月々の〆切に(心理的に)追われるようになって、しばらく冬眠・春眠していた原稿です。 4月から中学の同期会とか、高校の同期生のやっている「千葉県生涯大学校」の講演とかに出かけて、旧友たちと懇談して気持も整いました。無理なく「締める」ことができたと思います。
というわけで、本当の順番は、この『歴史学研究』9月号が先で、『思想』7月号は後なのです。「思想の言葉」をご覧になって、ちょっと飛躍があると受けとめた方々には、申し訳ありません。9月に『歴史学研究』をご覧になっていただくと、無理なく接続するかと愚考します。いずれにしても、『歴史学研究』編集長とスタッフにはたいへんご心配をかけました。

なお『図書』の連載はまだまだ続きます。
第11回(7月号)ウェジウッド「女史」。 これは自分では良く書けたのかどうか分からないところが残ります。
第12回(8月号)はマクミラン社の兄弟。 こちらは自画自賛ながら、調べて書いた成果が実感できます。カーの出版についても、マクミラン社およびマクミラン首相についても、「そうだったのか!」と納得していただけるのではないでしょうか。連載のうちでも会心の回の一つです。この2回連続して、セクシュアリティが通奏低音になります。
熱心に読んでくださる読者、とくに現役の方々からいただく反応はなによりのご褒美です。ありがとうございます。

2023年6月30日金曜日

カルガモ母子と『思想』7月号

 うっとうしい天気ですが、爽快な光景です。集合住宅のアトリウム池に数日前から大柄のカルガモが一羽すわりこんでいて、大丈夫だろうかと心配していたら、今日はなんと小さな雛7羽を従えて、池を泳いでいます。抱卵して動きがほとんどなかったのでした。
ご覧のとおり浅い池なので、お母さんの脚は床に着いて、ほとんど歩いています。
 先日到来した『思想』第1191号(7月号)は、特集として出色の号かもしれません。
 カーその人、著書『歴史とは何か』とその日本における/中国における受容、20世紀史におけるカーの所説の意味(の転換)、そして清水幾太郎訳(1962)と近藤の新版(2022)をめぐって、等々、なかなかの壮観です。各論考から大いに学べます。
 なおまた、「思想の言葉」についてはウェブの「たねをまく」に公開していただいて、早々と感想を寄せてくれる方もあり、有難いことです(縦組の文章を横組に開示しているので、漢数字がやや煩わしいですが)。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 
ただし、最後の数行前に、脱落があります。
  二〇世紀を生きた自由主義者社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人の告白でもあった。
    ↓ 
  二〇世紀を生きた自由主義者--社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人--の告白でもあった。
とダーシを2箇所補ってください。たった今、再見しましたら、直っています。担当者の方、有難うございました!

 ただし同じ号のなかで唯一、「カー『歴史とは何か』と〈言語論的転回〉以後の歴史学--近藤和彦の新訳をめぐって--」に限って、大きな違和感があります。清水旧訳を名訳とするかどうかは、拙文でも述べた「年長の先生方」の懇談(p.2)を想起して「あの年長の先生方のお仲間」を相手にしているのか、と認識を改めました。その旺盛なお仕事を何十年も前から読み、学んで、遠くから尊敬し羨望してきた方の文章なので、かなり困惑しています。
 「もう一工夫欲しかった」「誤訳ではないか」「疑問点」「‥‥するべきではなかったか」と指摘されている箇所は、ほとんど誤解と無理解によるものと思われます。いずれザハリッヒに学問的にコメントしたいと考えています。ただ今、身辺が多事多端ですので。

2023年6月4日日曜日

『図書』という月刊誌

こちらに「『歴史とは何か』の人びと」という連載を続けています。5月20・21日、名古屋の学会大会では、久しぶりに対面で懇談できたのも良かったのですが、何人もの方々から「読んでいますよ」と言っていただき、励まされました。
6月号(第10回)では「A・J・P・テイラとトレヴァ=ローパ」という、ちょっと問題的な20世紀の歴史家二人について立ち入っています。それは、第1にE・H・カーが『歴史とは何か』で彼らの言を効果的に引用しているからですが、また第2に20世紀のオクスフォードの学者たちの小宇宙を - スノッブのようにあがめ憧れるのでなく - 具体的にイメージングしておくことも必要、と考えたからでした。次(7月号)の「ウェジウッド「女史」」へとつながります。
同じ6月号には、桜井英治さん、大石和欣さん、池田嘉郎さんといった面々も書いていらして、前からの「日本書物史ノート」「東京美術学校物語 西洋と日本の出会いと葛藤」といった連載とあいまって、なかなかの読み物です。
さらには、今号から「西洋社会を学ぶ意味」というタイトルで、前田健太郎さんの「政治学を読み、日本を知る」という連載も始まったのに気付きました。これからが期待されます。しかも、この記事はウェブで読めるのですね。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7252
そういえば、ぼくの連載「『歴史とは何か』の人びと」の第1回目(昨年9月号)も、ウェブに公開されているのでした。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
便利です。 岩波書店の英断だと思います。

2023年3月31日金曜日

ハナカイドウ

ご無沙汰しています。
花便りとともに、四季の移ろいは早い。昨日は母の一周忌でした。写真はご近所のハナカイドウ(海棠)。
要介護の家族と生活し、またオンライン会議や『図書』の連載のことなど考えていると、2月・3月もあっという間に過ぎました。
『歴史とは何か』の人びと」という連載列伝は、毎回それなりに気を入れて書けています。わがままな著者に合わせて、いろいろと工面してくださる編集スタッフのお陰です。ときに思ってもいなかった方が読んでくださっていると知れると、とても嬉しいです。
3月号は「フランス革命史とG・ルフェーヴル」
4月号は「バーリンとドイチャ、論敵と友人」‥‥ここまで既刊。
5月号は「『パースト&プレズント』の歴史家たち」
を書きました。
時代と政治と学問だけでなく、親との関係、夫婦のこと、老いの生き様など、さらに書き込むべきことがらは多い。列伝ですので、書きすすむに連れて、互いの同時代的な関係が浮き彫りになってくるのは愉快です。まずは骨組をしっかり書いておかないといけません。

2023年2月4日土曜日

『みすず』誌

 寒いといってもすでに立春。近隣の散歩道のユキヤナギは無数の小さなつぼみを付け、いくつか目立ちたがり屋の雪白の小花も咲いています。
 2日ほど前に『みすず』no.722 (1・2月合併号) が到着。恒例の「読書アンケート特集」です。これは百数十名の執筆者の読書嗜好とともにその個性、そして現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています。今世紀に入ってからは書き手に加えていただいたので、年末年始の慌ただしい折とはいえ、何をどう書くか、何日か悩むのも楽しい。
 今号の場合は pp.98-99 に
・R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』〈ちくま学芸文庫, 2022〉
・David Caute, Isaac and Isaiah: The Covert Punishment of a Cold War Heretic (Yale U.P., 2013)
・G. ルフェーヴル『1789年 - フランス革命序論』(岩波文庫, 1998)
Oxford Dictionary of National Biography (Online, 2004- )
・S. トッド『蛇と梯子 - イギリスの社会的流動性神話』 (みすず書房, 2022)
の5つをめぐって、ちょっとしたためました。すべて E. H. カーおよび『歴史とは何か 新版』、そして『図書』の連載(『歴史とは何か』の人びと)に、なんらかの側面で関係することばかりです。

 同じ『みすず』では、川口喬一さんという英文学者が、『歴史とは何か』拙訳および T.イーグルトンにおける(笑)をめぐって鋭く指摘しておられます。『新版』の訳文および挿入の[笑]について、ここまで的確に受けとめ、評してくださった方は、他になかったような気がします。
「‥‥訳者がおそらく多く意を注いだのは、オックスブリッジでの講演者独特のポッシュ・アクセント(あえて言えば息づかい)の翻訳であったろうと思われる。‥‥当然のことながら(笑)のタイミングは難しい。笑いはしばしば講演者と聴衆との共犯関係、前提の共有によって成立するからだ。カーの立論もまた聴衆との知の共犯関係を前提にして展開されている。共感と逸脱のスリル。」pp.8-9.
 そして段をかえて、イーグルトンの講演をめぐって続きます。「‥‥アメリカではしばしば観客を爆笑(笑)させているのに、エディンバラでは、間を置いて待ってもイーグルトンの期待した(笑)が起こらず、講演者が「つまんねぇ客だ」と呟く場面も見える。‥‥この場合、文化の場における共犯関係がすれ違っているのだ。」p.9. 以上の引用文では( )もママ。
 川口さんは、1932年生まれとのこと。だとすると二宮、遅塚と同い年で、今、(誕生日前なら)90歳ということでしょうか? 上に引用したより前の段では、鹿島さんの『神田神保町書肆街考』をめぐって、川口さんが北海道から東京に進学してより、池袋・茗荷谷・本郷・神保町をむすぶ都電を愛用して通ったという神保町書肆街のこと、そして戦後の洋書事情が語られています。p.8. この都電は、ぼくが大学に入学したときにはまだありましたが、本郷に進学した68年には無くなっていました。
 ところで、この知的で愉快な月刊誌『みすず』が8月で休刊とのこと!? 驚きです。残念です。ただし、この「読書アンケート号は、なんらかの形で継続する予定です」とのこと。p.109. 恒例の楽しみです。どんな形でも継続してほしい!

2023年1月28日土曜日

年末年始のこと:1

年が改まっても、新年の挨拶もなく、このブログも一向に更新されないので、ご心配いただいているかもしれません。そもそも3月に母が亡くなって、年賀状は控えました。

月刊『図書』の連載「『歴史とは何か』の人びと」* はアタフタしながらも、なんとか続けています。毎回、たっぷり勉強して(積ん読だけだった本もすみやかに読破して)新しい発見もあり、「楽しくて為になる」連載です。
* 9月:トリニティ学寮のE・H・カー → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
10月:謎のアクトン。11月:ホウィグ史家トレヴェリアン。12月:アイデンティティを渇望したネイミア。1月:トインビーと国際問題研究所。2月:R・H・トーニと社会経済史。3月:フランス革命史とルフェーヴル。‥‥

ところが、旧臘19日に2月号(トーニと社会経済史)の原稿を仕上げ、ホッとしたとたんに、翌20日未明に事故発生。
トイレにゆこうとした妻が体の向きを変えようとして、尻もちをつきうめきました。段差も障害物もないのですが、布団がはみ出ていたかもしれません。痛がっていましたが、すごい転倒というわけでもなく(事が深刻とは想像もしなかった)、明るくなるまで待ってもらい、タクシーで、なじみのカイロプラティークに行きました。しかし、これは外科に診てもらわねばならないということで、救急車に頼りました。
【救急車はあまり待たずに来て車内に収容されましたが、時節柄、空いている病院を探し当てて車が動き始めるまで、3人の隊員が電話をしまくって、82分もかかりました! 病院まで、別に渋滞していたわけではないが、28分計110分。医療逼迫の現実を身をもって認識しました。】結局、かなり遠い、初めての病院に到着。検査の結果、股関節の大腿骨頸部骨折でした。
70歳以上の(ときには還暦以後の)女性によくある大怪我ということで、そういえば、6月に△さん、前年に◇先生と、先例を指折り数えることができます! 「段差のない所で、何につまずいたということでなく、ふわっと転んだ。強い打撲というわけでもないのに骨折した」といった話を他人事として聞いたばかりでした。
医師には、骨折部分に金属ボルトを入れる手術が必要、術後のリハビリを含めて3週間の入院、と告げられました。
ただちに入院手続をとって、想い出したのは、2010年にケインブリッジで知り合ったX夫人からうかがった話です。- 彼女は交通事故で入院し、手術は成功しても半身不随になると予告されたので、それなら、と入院中に医師・看護師が見ていない時にできるだけ四肢を動かし(最初はベッド内で、後には起き出して)、この自発的運動によって、みごとに今のとおり完全恢復した、とおっしゃるのでした。このエピソードを想い出して、二人で話題にしました。

 コロナ禍ですので、手術後、見舞いに行っても直接会うことはできず、すべて看護師をつうじての伝達・受け渡しと決められていました。しかも最初は大部屋で、電話は禁止。そこで考えて、昔の女子高校生がやっていた「交換日誌」みたいなノートを、未使用の手帳から作成しました。個室に移って電話できるようになってからも、これは役立ちました。<つづく>

2022年12月15日木曜日

冬の星空

このところ全国的にたいへんな冷え込みとのことですが、関東平野は晴天で、また近ごろは月の出も遅いので、星空が楽しめます。
ちょうど(夜の12時以前ですと)東から南東にかけて「冬の大三角」が望める時期です。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2021/12/blog-post.html (去年も書きました)
しかも今は夜空で一番明るく赤い火星(Mars)が、「大三角」とオリオン座の上方で惑い往来しています。https://www.astroarts.co.jp/special/2022mars/index-j.shtml
ちなみに惑星について『歴史とは何か 新版』p.170 が言及したのは、歴史における偶発性、不運、無知を論じる文脈でした。

2022年12月2日金曜日

毎日新聞 夕刊〈特集ワイド〉

世間はFIFAワールドカップで沸き立っています。他方で、宮台さんの襲撃事件で厳粛な気持にさせられています。
個人的には、先月に毎日新聞社であった取材をもとに、今日の夕刊に〈特集ワイド〉の記事が載っています。オンラインと紙媒体の記事の異同は、まだ確認していません。引用されている発言はぼくのものですが、それをもとにあくまで福田記者が構成した文章です。
 予想していたよりもぼくの顔写真が大きいのと、タイトル「この国はどこへ これだけは言いたい 歴史を顧みる姿勢大事 E・H・カー新訳 近藤和彦さん 75歳」には、ビックリしました。老人が世の中から消えてゆく前に「これだけは言っておかねば‥‥」と遺言しているかのような雰囲気? 
でも(家人に、ぼくの顔ってこんなもんだ、と言われて)もう一度落ち着いて読み直すと、まぁたしかにカー先生や『歴史とは何か 新版』のことばかりでなく、こんな話もしたな、ということを、有能な記者さんが上手に誘導して上手にまとめてくれているのかもしれない。
https://mainichi.jp/articles/20221202/dde/012/040/005000c
皆さんが読むと、どう受けとめられるのでしょうか。

2022年11月27日日曜日

Great outline & significant detail

   しばらくご無沙汰していますが、offline ではミニマムの諸々をこなしています。
 『図書』に連載しています列伝「『歴史とは何か』の人びと」の第4回(12月号)は「アイデンティティを渇望したネイミア」というタイトルです。ルイス・ネイミアについては、むかし『英国をみる - 歴史と社会』(リブロポート、1991)で「ネイミアの生涯と歴史学 - デラシネのイギリス史」という小文を書きましたが、今はE・H・カーおよび20世紀前半の知識人の世界でネイミアという人物をとらえなおそうとしています。
 一方では「ユダヤ人でありながらユダヤ教徒でなく、ポーランド生まれでありながらポーランド人でなく、地主でありながら土地を相続せず、結婚しながら妻は不在」とされる不幸なネイミアですが、他方でカーは、かれこそ「第一次世界大戦後の学問の世界に登場した最大のイギリス人歴史家」という賛辞をささげます(『歴史とは何か 新版』p.55)。この不思議な「‥‥粗野で態度が大きく‥‥2時間でも自説を弁じ続け」る男の学問は、カーの緻密な実証主義の手本でもあったわけです - この点は溪内謙さんも十分な理解は及ばなかったかな? またネイミアはアーノルド・トインビーともA・J・P・テイラとも(ひとときは)親しく交わった。そして、むしろ彼の死後に勢いをもつ修正史学の先鞭をつけたようなところがあります。
 学問とはすべて本質的には(アリストテレス以来の定説の)修正であり、長い註だ、という観点に立つと、ネイミアはまさしくそうした revisionism という学問の王道を行った人ということになります。だからこそ(一見正反対にみえる)E・P・トムスンも、あのリンダ・コリも、ネイミアの名言:「歴史学で大事なのは、大きな輪郭と意味ある細部だ」には脱帽するしかないわけですね。
 これは、オクスフォード・ベイリオル学寮で、トインビーとの座談のうちに出てきたセンテンスらしいですが。
 ‥‥ある樹木が何であるか調べるのに、枝が何本あって何メートルあるか計測してみても何にもならない。樹影全体の形を見きわめ、樹皮を見、葉脈の形状を調べるべきなのである。それをしないまま泥沼のようなどうでもいい叙述にはまることだけは、避けなければならない。
 秋の快晴の空を背景に屹立するみごとな欅を見上げつつ、想い出しました。(枝も葉もなんとなく右に傾いているのは、右が南だから‥‥)

2022年9月18日日曜日

『歴史とは何か』の人びと(1)

 いま台風14号が襲来中の地域のみなさまには、済みません、悠長すぎる情報かもしれません。

 『歴史とは何か 新版』に関連して、月刊の『図書』に連載を始めました。 「『歴史とは何か』の人びと」第1回は「トリニティ学寮のE・H・カー」です。9月号(通巻885号)、こんな具合で、毎回計6ぺージです。↓

紙幅もあり、あまり立ち入っては書けませんが、それでも『歴史とは何か 新版』の訳註や補註には書ききれない、それなりに意味あることを述べてゆきたいと目論んでいます。
 岩波書店の『図書』誌は、『みすず』や『未来』、そして今は消えてしまった『創文』とならんで、むかしは大学生協書籍部に、自由に持っていってくださいって具合に置いてありました。定期購入する場合も、たしか1部10円、年間100円といった「第三種郵便」の郵料だけ負担で、「安い!」と感動したものでした。今も、見てみると定価102円、1年分まとめて購入すると1000円(送料共)ですから、やはり安いと言えますね。
 大学図書館、公共図書館にもかならず置いています。

いま気付きましたが、岩波書店の WEBマガジン「たねをまく」にこの第1回の全文が載っています。こちらにはハイパーリンクも張ってあるので、便利! → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074

2022年9月17日土曜日

9月25日 『歴史とは何か』を再読する

9月11日(日)午後には早稲田のWINEウェビナーで自由に語らせていただきました。
https://kondohistorian.blogspot.com/2022/08/wine911.html
多数の皆さんの参加をえて、なにより池田喜郎さんのコメントが力強く、司会=中澤さんのリードとあいまって印象的でした。
ロシア文学・ソ連研究の方面から、ぼくには言えない評言があるだろう、とは予測していましたが、それ以上に(遅塚忠躬に先行する)1940年、53年の林健太郎による仕事の評価があって、これには脱帽です。

さて、これとは全然別に企画された催しとして、史学会例会「E・H・カー『歴史とは何か』を再読する」があります。
案内は、こちら → http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
9月25日(日)午後2:30~、ハイブリッド式で実施とのこと。
  司会 勝田俊輔
  報告
  1.成田龍一(日本女子大学名誉教授)
  2.加藤陽子(東京大学)
  3.小山哲 (京都大学)
  4.吉澤誠一郎(東京大学)
  レスポンデント 近藤和彦(東京大学名誉教授)
11日WINEの催しではぼくのほうから語り出すことができましたが、25日はむしろ「俎上の鯉」で、こちらは身を清めて臨むしかありません。
無料で公開ですが、事前申込制(9月20日受付締め切り)です。
申込フォームは、こちら → https://forms.gle/Adc9VFAWf1EeBReT8 

2022年9月8日木曜日

ラス ではなく ト

今回の党員投票で、英国保守党(の党員基盤)が、米共和党のそれに似た内向き・後向き集団であることがあまりにも明らかになりました。保守党議員投票による1位の Sunak(もと蔵相)が、エリート臭を嫌われて、党員投票では敗北しました。政策的になにか不合理なことがあったわけではありません。
逆に大学時代の労働党 → 自由民主党から保守党へと鞍替えし、EU堅持派から離脱派へと転換した(ようするに時流に乗るポピュリスト)flaky Liz(ハスっぱリズ)のトラスは、議員投票では2位止まりだったのに、一般党員の支持を集めました。理屈や合理性を問わない、したがって政策的有効性もわからない即効性のスローガンで勝利する、ジョンスン前首相と同じ手法です。
Liz Truss の発音ですがラスでなく、信頼の trust から t の足りないまま s を重ねた Truss ですからトスです。Trustworthy ではなく、Truss unworthy です。
ちなみにトラスのことを日本のマスコミは「サッチャ元首相を尊敬し「鉄の女2.0」とも呼ばれる」などと一知半解のことを言っています。これは2重の意味で失礼な話です。第1に Iron Lady は「鉄の女」ではなく「鉄の淑女」です。ゴルバチョフが名付けたと言われますが、「女」と見下しているのでなく「レイディ」と一定の敬意を表していました。
第2にサッチャは父も夫も保守党員で、父にも夫にも愛され、メソディスト(カトリック嫌い)で、ハイエク、フリードマンを勉強した筋金入りの Conservative & Unionist でした。トラスははるかに浮気で、上に書いたように党を左から右へ渡ったポピュリストであるばかりでなく、夫婦関係についてもサッチャ夫妻とは大違いです。
 いずれにしても Brexit の撤回、ヨーロッパ統合への(ベネルックス主導でない)イニシアティヴの回復がないと、連合王国(UK)の将来は暗い。北アイルランドの通商問題は全然解決していません。スコットランドの分離独立も行程表に上ってくるでしょう。しかも、たとえ次の総選挙で労働党政権になったとしてもEUへの復帰に舵を切れるかどうか。<左のグラフは『日経』より引用>

このままでは、われわれが知っている(幕末明治以来の)「英国」は、あと10年くらいのうちに解体してしまう運命でしょうか。イングランド人は、小さく「寄り添い、互いに平明な日常英語で語りあいつつ、「外の諸国や諸大陸はおかしな言動をするものだから、わが文明の恵みからも運からも孤立してしまったのだ」とかつぶやいているのです。」カー『歴史とは何か 新版』p.255  - これが61年前の連続講演の終わりに近い一句だとは、にわかに信じがたいほど、今に当てはまります。

2022年9月1日木曜日

池袋のジュンク堂

昨日、外出のついでに池袋のジュンク堂に行ってみました。その1階入口には「現在と過去の対話のために」と題する、例の特製ブックガイドにもとづく展示があり、
4階にはジュンク堂開店25周年特別企画として「人文学入門の手引」による展示があり、
それぞれ、なかなかの壮観です。
『歴史とは何か 新版』にともなう岩波書店の「特製ブックガイド」23点について、前にこのブログで触れました。 →https://kondohistorian.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
人文学入門の手引」は、7月にジュンク堂からの委嘱があり「歴史学」というジャンルについて5点を推薦ということで、こんな原稿を用意したのでした。

 ----------------------------------------
 人文書5冊(歴史学)
1.『翻訳語成立事情』  柳父 章 (岩波新書、1982)
 高校3年生や大学1年生が最初に読むべき本。言葉は歴史的に生まれ、使われてきた。「自由」も「社会」も「個人」も「愛」も「彼・彼女」も幕末・明治の東西交流から生まれた。
2.『社会認識の歩み』  内田義彦 (岩波新書、1971)
 社会を歴史的に考えるキミのために。マキアヴェリは運の女神は前からつかまえるしかないと主体性をうながし、ホッブズは国家を論じる前に人の感情に立ち入って考える。
3.『歴史学入門 新版』  福井憲彦 (岩波書店、2019) 
 歴史学をはじめとする学問は20世紀に大きく転換した。今どのような景色になっているか、本書はバランスよく指南してくれる。このあと何を読むと良いか、文献案内もたっぷり。
4.『全体を見る眼と歴史家たち』  二宮宏之 (平凡社ライブラリー、1995)
 フランスで生まれ展開したアナール学派。パリで彼らと一緒に史料調査し、議論した二宮による自分ごととしての歴史学。この語りにあなたの心が動かないなら、歴史学はあきらめよう。
5.『歴史とは何か 新版』  E・H・カー 近藤和彦訳(岩波書店、2022)
 名著の新訳・註釈付き。「歴史とは現在と過去の対話」、そして「すべての歴史は現代史」といった有名なせりふの意味を知りたければ、これを読むしかない。歴史学入門の仕上げ。
 ----------------------------------------

ところが、内田さんも二宮さんも版元品切ということで、しばらく悩んだあげく、エイヤッと ↓ 写真のように差し替えてみたわけです。
 

ぼくの差替え部分はさておき、日本近現代史、イギリス史、ドイツ史、フランス史など、それぞれなるほどと思わせる選書です。しばらく見て歩いたあと、同じ4階に清水幾太郎関連の本が何冊かあり購入しました。計1万円をこえたので、4Fカフェで一杯分のサービス券がもらえて、一服しました。