2017年5月24日水曜日
Manchester 追伸
https://www.theguardian.com/uk-news/2017/may/23/theresa-may-condemns-sickening-cowardice-of-manchester-attack
The Guardian (元来は The Manchester Guardian)によると、容疑者捜査などは市の南側、まさしくOくん在住の大学南側の住宅地区でおこなわれているらしい。このあたり、19世紀のブルジョワ住宅地は、ぼくが(大学から借りて)1982年夏に住んでいたころには、すでにムスリム・コミュニティに転じていました。
マンチェスタは『ガーディアン』紙にとって、大阪が『朝日新聞』にとって占めるのと同じで、1820年、発祥の地です。だから、今日の『ガーディアン』の社説は、こうです。
A bomb that strikes at the heart of Manchester’s civil life is something felt acutely at the Guardian. This is where the newspaper was founded, as the Manchester Guardian, almost 200 years ago, out of a distinctive Mancunian radical tradition, in the aftermath of the Peterloo massacre in 1819 when 15 people were killed in protests over parliamentary reform.
Throughout Manchester’s history, its people have campaigned for what they thought was right. It is a city that has never been afraid to challenge received wisdom; its capacity for innovation stretches from what may be the world’s first free public library and the first passenger railways, to the suffragette movement, vegetarianism and graphene. It is a special place, with a historic sense of confidence. It is a testament to the city that an attempt to divide a people only brought them closer together: doors were opened to strangers and meals offered to worried parents. Hotels and cabs provided services for free.
As one taxi driver put it: “We’re glue. We stick together when it counts.”
このリベラルな伝統をメイ内閣の時代にも維持できるか。正念場です。
マンチェスタのOくん
マンチェスタ大学の院生Oくんから、迫真のメール、到来。
「‥‥大惨事があったことにも全く気づきませんでした。当該事件についてネットニュースで知りましたし、パトカーの音なども特に聞こえません。‥‥」
とのこと。
まずは無事で良かったと思います。大学は、事件現場と街の中心部をはさんで反対の南側、Oxford Road、全然環境のちがう界隈ですから、何も聞こえなくて不思議はありません。
現場付近は18世紀ころまではマンチェスタの真ん中で(なかば暗渠になっていますが)川の合流点。歴史的な Cathedral や Chetham's Library、そしてマーケットがありました。Victoria Station はマンチェスタから北へ (Wigan, Preston, Lancaster, Glasgow) 行く場合に利用するターミナル駅で、ロンドン方面にゆく Piccadilly Station とは何キロか離れています。今ではトラムで繋がっていますが、むかしはタクシーかなにかで急ぐしかなかった。
マンチェスタでは1996年6月に IRA の爆発事件がありました。それもやはりCathedral, Market, Arndale の付近で、これはあまりにも大規模な破壊だったので、何年もかけて近辺を再開発せざるをえないほどでした。後年に行って付近の景観が一新されたのを見て驚きました。MEN Arena というのは、その再開発の一環として Manchester Evening News が建設した興行スポーツ大建築ですね。いまは経営が替わって、名も Manchester Arena になったのか。ぼくのこの写真では、まだMENでした。
多数の死傷者が出ましたが、こちらで動画などを見るかぎり、爆発の威力だけでなく、
狭い場所の雑踏で stampede したことで事態が悪化したように思われます。
こうした事件があったからといって、過敏に警戒して街中に出かけないというのは賛成できません。万が一にも似たような状況に出くわしたら、慌てず落ち着いて行動してください。
ぼくも1981-2年ころ、サッチャ政権でロンドンの治安が悪化し、IRA 関連事件で都心の雑踏の中、家族と合流できず焦ったことを思い出します。ケータイなどない時代でした。
泣いても叫んでも(慌てて走り出しても)意味がないので、
「今の条件のなかで何をしなくてはならないのか/なにが可能なのか」
を第一に考えて、行動してください。
ドタバタ、うろうろしないというのが、人生の教訓ですね。
「‥‥大惨事があったことにも全く気づきませんでした。当該事件についてネットニュースで知りましたし、パトカーの音なども特に聞こえません。‥‥」
とのこと。
まずは無事で良かったと思います。大学は、事件現場と街の中心部をはさんで反対の南側、Oxford Road、全然環境のちがう界隈ですから、何も聞こえなくて不思議はありません。
現場付近は18世紀ころまではマンチェスタの真ん中で(なかば暗渠になっていますが)川の合流点。歴史的な Cathedral や Chetham's Library、そしてマーケットがありました。Victoria Station はマンチェスタから北へ (Wigan, Preston, Lancaster, Glasgow) 行く場合に利用するターミナル駅で、ロンドン方面にゆく Piccadilly Station とは何キロか離れています。今ではトラムで繋がっていますが、むかしはタクシーかなにかで急ぐしかなかった。
マンチェスタでは1996年6月に IRA の爆発事件がありました。それもやはりCathedral, Market, Arndale の付近で、これはあまりにも大規模な破壊だったので、何年もかけて近辺を再開発せざるをえないほどでした。後年に行って付近の景観が一新されたのを見て驚きました。MEN Arena というのは、その再開発の一環として Manchester Evening News が建設した興行スポーツ大建築ですね。いまは経営が替わって、名も Manchester Arena になったのか。ぼくのこの写真では、まだMENでした。
多数の死傷者が出ましたが、こちらで動画などを見るかぎり、爆発の威力だけでなく、
狭い場所の雑踏で stampede したことで事態が悪化したように思われます。
こうした事件があったからといって、過敏に警戒して街中に出かけないというのは賛成できません。万が一にも似たような状況に出くわしたら、慌てず落ち着いて行動してください。
ぼくも1981-2年ころ、サッチャ政権でロンドンの治安が悪化し、IRA 関連事件で都心の雑踏の中、家族と合流できず焦ったことを思い出します。ケータイなどない時代でした。
泣いても叫んでも(慌てて走り出しても)意味がないので、
「今の条件のなかで何をしなくてはならないのか/なにが可能なのか」
を第一に考えて、行動してください。
ドタバタ、うろうろしないというのが、人生の教訓ですね。
2017年5月13日土曜日
岩波文庫「青春の三冊」
(承前 5月9日)
ちなみに、might-have-been (未練記事)ですが、当初ぼくが岩波文庫の「青春の三冊」として考えてみたのは、次の3つでした。
¶トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』
走る馬の連続写真、金髪のインゲ‥‥。高1の少年にはこちらのほうが『若きヴェルテル』よりも分かりやすかった。新潮、角川など他の訳もありましたが、岩波文庫のタイトル表記に惹かれました。
¶夏目漱石『三四郎』
名古屋駅で一緒に降りた女性と同室に泊まり、翌朝「度胸のない方ですね」と言われて「両方の耳がほてり出した」三四郎と同レベルの、うぶなストレイシープ。巻末にいたっても三四郎は、「舌が上顎へひっついてしまった」という。なんという青春・恋愛小説家なんだ、漱石は。
高校生のぼくは本郷の「御殿下運動場」や「三四郎池」に立って「現場追体験」(?)してみましたが、いま読み直すと、美禰子さん、よし子さんの両タイプ、書かない先生=「偉大なる暗闇」論もあって、現代的です。
¶マルクス『経済学・哲学草稿』
これは東大駒場1年生の衝撃。訳者 城塚登先生の講義「社会思想史」でも、折原浩先生の講義「社会学」でもテキストに指定されて、大教室の何百人の受講生が熱気に引きずり込まれました。まだ木造2階建てのギシギシいう1階にあった生協書籍部に、朝、胸の高さまで山積みされた『ケーテツ・ソーコー』が夕方には残部わずか、という日が繰りかえされる時代でした。城塚先生のかっこよさに惹かれて、本郷で開講されたヘーゲル『精神現象学』の授業にも出ました。
. . . という具合ですが、あまり懐古的では面白くないし、こうした青春の古典は、きっと他のだれでも挙げるだろうと考えて、止めにしたのです。
ちなみに、might-have-been (未練記事)ですが、当初ぼくが岩波文庫の「青春の三冊」として考えてみたのは、次の3つでした。
¶トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』
走る馬の連続写真、金髪のインゲ‥‥。高1の少年にはこちらのほうが『若きヴェルテル』よりも分かりやすかった。新潮、角川など他の訳もありましたが、岩波文庫のタイトル表記に惹かれました。
¶夏目漱石『三四郎』
名古屋駅で一緒に降りた女性と同室に泊まり、翌朝「度胸のない方ですね」と言われて「両方の耳がほてり出した」三四郎と同レベルの、うぶなストレイシープ。巻末にいたっても三四郎は、「舌が上顎へひっついてしまった」という。なんという青春・恋愛小説家なんだ、漱石は。
高校生のぼくは本郷の「御殿下運動場」や「三四郎池」に立って「現場追体験」(?)してみましたが、いま読み直すと、美禰子さん、よし子さんの両タイプ、書かない先生=「偉大なる暗闇」論もあって、現代的です。
¶マルクス『経済学・哲学草稿』
これは東大駒場1年生の衝撃。訳者 城塚登先生の講義「社会思想史」でも、折原浩先生の講義「社会学」でもテキストに指定されて、大教室の何百人の受講生が熱気に引きずり込まれました。まだ木造2階建てのギシギシいう1階にあった生協書籍部に、朝、胸の高さまで山積みされた『ケーテツ・ソーコー』が夕方には残部わずか、という日が繰りかえされる時代でした。城塚先生のかっこよさに惹かれて、本郷で開講されたヘーゲル『精神現象学』の授業にも出ました。
. . . という具合ですが、あまり懐古的では面白くないし、こうした青春の古典は、きっと他のだれでも挙げるだろうと考えて、止めにしたのです。
2017年5月11日木曜日
マクロン、マカロン?
フランス国民がEU堅持(その中での改革)を選んだうえで、ラ=マルセイエーズを合唱した、というのは、穏健で健全な安全運転と受けとめられます。去年のイギリスの熟慮なき失策から学習しているとも言えます。
イギリスは、去年のレファレンダム、今年3月の離脱交渉開始宣言によって、これからかなり無駄なエネルギーをEUとの交渉に割かねばならず(身から出た錆です)、有権者と政権が連続して間違った選択をしたことを長期的には悔やむことになるでしょう。
もしEU官僚のやり方に不満があったとしても、EUのなかで闘うべきでした。21世紀のイギリス(UK)およびヨーロッパ(EU)の衰退の始まりとして2016-17年は記憶されることになる。イギリス史をやっている者として、またヨーロッパ文明から学び続けてきた者として、悲しいことです。
そうしたヨーロッパの暗い見通しのなかの微笑ましい事実は、マカロンのような顔をした新大統領の25歳も年上の(!)ファースト・レイディ、ブリジット(Brigitte Macron)。高校の女先生と、こうなる、そして続くって、「あり」なんですね。
マカロン大統領の道は険しく、じつは議会の牽制をうけてあまり強力な政治力は発揮できないのではないかと予測されています。しかし、強力な政治力と決断ばかりが良いとは限らない。問題の先延ばしが悪いとは限らない。困難な時代の上手な保留は、合理的な選択です。『イギリス史10講』p.95.
2017年5月9日火曜日
岩波文庫3冊
月刊の『図書』5月号とともに「私の三冊」と題した「岩波文庫創刊90年記念」の『図書・臨時増刊2017』が届けられました。
ぼくもアンケートに答えて、「青春の三冊」としようかどうか、迷ったあげく、近代日本人の西欧体験という観点から「私の三冊」を選んでみました。p.32.
しかし5月号の巻末「こぼればなし」によれば、ぼくが言及した3点のうち、福澤諭吉『福翁自伝』は一番多い6人が挙げ、九鬼周造『「いき」の構造』は5人が挙げていました。独自性がなくて(?)、ちょっと口惜しい。ただし3点目は夏目漱石『漱石日記』で、これを挙げた人はぼく一人らしい。こちらのほうが、むしろ意外。とはいえ、漱石の作品を数え上げると、十指にあまる。あらゆる意味で「国民的」作家です。
アンケートに書いた228名があいうえお順に並んで、しかも巻末に書名索引があるので、おや、という発見が楽しい。『みすず』の読書アンケートと似て、どうしても60歳以上の方が過半数ですが、それでもぼくの知るかぎりでアラフォーの元気な人たちも何人も交じっています。
それにしても、70歳を優にこえる有馬稲子さんとか、國原吉之助先生とか、見田宗介さんとか、まだまだお元気な様子で、なによりです。
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