2011年10月12日水曜日

Taylor & Trevor-Roper

 今夕のメトロでの会食、いろいろありましたが、最後の話題は
A J P Taylor (1906 - 90) と Hugh Trevor-Roper (1914 - 2003)のことになりました。
どちらも 神童、若くして後生畏るべしとされた秀才たちが、20世紀半ば以降のオクスフォード大学において、その才能をメディアや配偶者のために、活用したのかムダにしたのか、といったことです。そのことを ODNB がいかに上手に(学問的な裏づけのある、読んでおもしろい文として)書いているか、というのも副次的だが重要なポイントでした。

A J P Taylor については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/39823【マンチェスタ大学時代の経験、そしてネイミアの隠然たる影響もきちんと指摘してある。マンチェスタを辞して、オクスフォードの唯野フェロー。なぜこうした風貌の男が女性にもてたのか、ということも明記。】

Hugh Trevor-Roper については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/88756?docPos=1【オクスフォードの欽定講座教授、ケインブリッジのピータハウス学寮長、受爵。そしてヒトラー日記の(カネまみれの)スキャンダルで際だちますが、しかしアルツの奥さんをしっかり看取ったというので、最後にほっとする。とはいえ、彼自身の最晩年は孤独で不安に満ちたものだったようです。】

 ちなみに、第二次世界大戦起源論については〈修正主義者〉とされた AJPT ですが、ブリテン諸島史をとなえる修正主義青年ジョン・ポーコックから 1974-5年にイングランド中心主義と批判されて、「なにが悪い」と居直った。このことじたい、修正主義の〈無窮性〉みたいなものを示していて、おもしろいとぼくは思いますが、さすがこの論点までは ODNB は指摘していませんね。
 それから19世紀末のケインブリッジのホウィグ史家、同年生まれの二人というのは、Seeley (1895没)と Acton (1902没) のことでした。前者は福音伝道主義、後者はローマカトリック。どちらもリベラル進歩主義。当然ながら、カーの『歴史とは何か』の俎上にのぼせられています。

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