2014年12月8日月曜日

相良匡俊さん(1941~2013): reflexions I

 秋から冬へと、あっという間でした。
 しかも大学入試関連の仕事の合間に、亡くなった方々を偲び、著作を再考する会が続いたりしたものですから、しめやかな気持、そしてわが人生に reflexive な考察がせまられる機会でもありました。
 11月28日は法政大学ボアソナド・タワーで、昨年亡くなった相良匡俊さんの『社会運動の人びと - 転換期パリに生きる』(山川出版社、2014年9月)の出版記念会がありました。
 主催は田中優子総長率いる法政大学で、そこにモト社会運動史研究会のメンバーが便乗させていただくという形で、ちょっと hybrid な会合となりました。相良さんの80年代以降、ぼくたちがあまり知らないでいた側面も出て、そういった意味では有意義な催しでした。
 相良さんの書く姿勢、生きる姿勢における「再帰動詞的な」ところを指摘された福井さんの挨拶、また『社会運動の人びと』の刊行にいたる経緯(友人たちの協力)をきちんと報告してくださった北原さんの発言で、この夕は締まりました。
 谷川さんもスペイン旅行から帰ったばかりとのことで、元気なお姿。
 その後は市ヶ谷で、生き残った者の、現在の元気度の品定め‥‥。

 ぼく個人としては、『社会運動の人びと』p.180に
「けれども、これで終わらせようと思う。第1に、‥‥気の利いたお化けが引っ込んでしまった感じがするし、第2に、こういう種類の仕事にすっかり、あきがきたこともある。第3に、取り扱うべきテーマは近藤和彦氏の縄張りに属している。‥‥そして第5に、にもかかわらず、言いたいことは、ほかに、どこかで言えるだろう‥‥。」
としたためられているのを再読するのは、1979年以来、なんと35年ぶりで、それこそ気の利いたお化けに再会した思いですよ、相良さん。
 このあと1981年に「労働運動史研究の1世紀」と「フランス左翼出版物の系譜」を公になさってから、相良さんはもう歴史学的な発言はなさらないし、学会のたぐいにはほとんど出席なさらなかった。
 ですから『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)における「暗中模索のころ」という相良さんの文には、新鮮というか、驚きというか、デジャヴュのような感覚を覚えました。
【そして、亡くなる2週間ほど前のメールです。彗星のごとく再び姿を見せて、そして居なくなりました。
http://kondohistorian.blogspot.jp/2013/07/blog-post.html

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