2019年1月29日火曜日

R. R. パーマ『民主革命の時代』


 The Age of the Democratic Revolution, 1959-64年の2巻本(Princeton U. P.)で、アメリカ独立およびフランス革命をそれぞれの「祖国愛の史観」から一歩はなれて、1760~1800年くらいの「大西洋史」のダイナミックな動きのなかで捉えなおした「古典」ですが、皆さん、(その本があることは知っていますよ、といった具合に)言及するだけで、しっかり読んでないんじゃないかと思われます。
 かくいうぼくは、名古屋大学に赴任して2年目、1978年、- 隣の南山大学に青木くんが赴任してきたし、ちょうどフランス革命の天野さんが大学院に進学した、イギリス急進主義の松塚くん、アメリカ(Oberlin)留学から帰ってきた高木くんも院に在籍している - といった環境で、輪読にふさわしいテクストとして選定し、この2巻本を相手に奮闘しました。アメリカ史のさかんな名古屋という土地柄、院生たちの勉強と知恵にも支えられて、1980年夏にイギリスへ飛び立つ直前の鳥羽合宿まで続きました。アメリカの「自由の息子たち」や、ポーランド人コシチューシコについて基本的な知識をえたのも、パーマのこの本のお陰です。
 1970年代の日本では、パーマも大西洋革命もいささか不評で、理由を憶測してみますと、
1) 冷戦体制のなかで「右寄り」かリベラル(当時は「反共」という意味)の歴史家とみなされ、フランス革命の人類史におけるユニークな意義をパスして、18世紀末の国制史に議論をフォーカスしてゆく、「反動」ではないが主流でもない歴史家、相対主義者という位置づけだったのではないでしょうか。日本学界でも、ましてやフランス学界でも不人気だったようです。日本のフランス革命研究者では、柴田三千雄さんが注目していましたが、これはかなりレアで、今思えば勇気ある立場でした。
 ぼくはフランス革命では、その前に(75~76年) Richar Cobb, The Police and the People を読んで、おもしろい本だけれど、(ちょっと E. P. トムスンに似て)細部にこだわりすぎ;コッブの議論はこの10分の1くらいの量でも証明できそう、なんて思っていました。だからパーマの、経験的な叙述でありつつ「構造」を鮮明に打ち出す論理に、一種の爽快感を覚えました。成瀬先生の授業で「身分制議会史国際委員会」というのがあるのだと聞き知っていたし、それが新版のp.23の註1と2に挙がっているのをみると、それだけでも「えっ」という興味関心を励起されますよね。そういった感想を申しましたら、柴田先生もなにか曖昧な共感めいたことを言ってくれた覚えがあります(考えてみれば、早くも星雲状態ながら『近代世界と民衆運動』を構想されていた時期ですね)。遅塚さん、二宮さんの場合は、ほとんど反応ゼロでした!
 1989年に来日したリン・ハントとフランス革命関連で読んだ本という話題となり、まず Palmer, Age of Democratic Revolution と申しましたら、反応はネガティヴで、パーマでおもしろいのは Twelve Who Ruled だ、Age of Democratic Revolution は広い学識は示されているが、いささか退屈、ということでした。ジャコバン史家の面目躍如でした。
2) また、アメリカ史学界では「古いヨーロッパ」から自己を解放したはずの独立革命について、ヨーロッパ史と同一の動きと構造を指摘するパーマ教授は、やはりアメリカ史の世界史的なユニークさを捉えきれない学者という評価でしょうか。1960年代から以降の「新しい歴史学」になると、なおさら中途半端で退屈な仕事という受け止めかな。

 この二つの理由で、第2版の前言(2014)を書いているアーミテジの表現では「その後ほとんど40年ほど、古典であって、崇拝はされても読まれることのない本」に落とし込まれたと言います。1955年の 国際歴史学会議@ローマ におけるパーマとゴドショによる「大西洋革命」論の提唱と、それはNATO(北大西洋条約機構)擁護論だ、といった強い批判をよくは知らなかったぼくが、「ホッブズ的秩序問題」「躍動する国制史」といった問題を意識するよりはるか前に、なんとルースをはじめとする「社団的な社会編成」をキーワードとするコーポラティストを理論的な指針としたパーマ先生の主著に取り組んでいた。これは「偶然」というよりは、幸せな contingency (複数の契機からなる時代情況)の賜物、というしかありません。

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