9月に入って、東京地方は、さすがに暑さよりは涼しさが増し、冷房なしの日が続きます。今日はしめやかな秋雨。そこに京都の mistoire6819 から久方ぶりのメール、と勇んで開けてみると、ご子息からの悲しいお知らせでした。12月の誕生日前ですから、享年79歳。
これまで何度も苦しい闘病を粘り強く凌いで、優しさと批判精神にみちた笑顔をふたたび見せてくださるのが谷川稔さんの常でしたから、今年2月2日夕刻付けのメールをいただいた後も、再起を疑っておりませんでした。そのメールの最後には、こうありました。
「‥‥放射線治療の効果は遅れてやってくるという「通説」頼みです。万が一、4度目の奇跡が起きたら、どこかで語り合う時が来ますように。私が言うのも変ですが、どうぞお元気で。」
谷川さんとは大学は違い、生年も違いますが、学年は同じで、「社会運動史研究会」以来のおつきあいです。いろいろな局面でご批判や励ましをいただきました。とはいえ、社会運動史研究会とは、彼にとって喜安さんや相良さんとのヤリトリが初めの主目的で、ぼくなぞは周辺的存在、あるいは東京の事務連絡係でしかなかったかな。お互いに年齢を重ねるにつれ、少し離れた、別の、しかし同じ戦線でたたかっている同志のような気持が増しました。『近代日本の歴史学とフランス』(山川出版社、2026)については、原稿段階で、励ましをいただきました。さらにその後の『史潮』新99号(26年6月)における「労働分析研究会と1970年代 -『社会運動史』再考に寄せて」は谷川さんの絶筆ということになりますか。
今回の訃報を受けて、そうした同志が先に逝ってしまったような、本当に悲しい気持です。 人生のクリティカルな時どきに決定的な示唆や支援をいただいた方がたが、ゆっくりと後を追って亡くなり、想いかえすに感極まります。