2010年6月5日土曜日

『伝統都市』


 
 日本のことですが ↓
 企画・編集会議からいったい何年たったのでしょう(この間に首相に就いたのは何人?)。
 編集研究会は楽しく有意義でしたし、まじめに執筆しましたが、それにしても公刊に漕ぎつけるまで年月がかかりすぎました。吉田さん・伊藤さんの「伝統都市」なる概念?の有効性についての疑問は、第4巻「聖俗の結合」(副題は圧殺!)の2ページ目におとなしく述べておきました。一言でいえば、あらゆる都市は伝統をもつし、もし「非伝統都市」という概念が存在しないなら、ただ「都市」と呼んで定義したほうが知的に廉直で、好ましい。

 そういった問題はあるにしても、都市史の諸局面の万華鏡みたいな4巻本が公にされること自体は慶賀すべきことです。皆さん、目次も含めて、東京大学出版会のサイト、あるいは「都市史研究会ニューズレター」64号をご覧ください。

1 件のコメント:

Y.I. さんのコメント...

こんにちは。「聖俗の結合」を読みました。デフォーの言説を宗教=政治的文脈の中に置き直すと、近代史学では見えなかったものが見えてくる。これを仮に「伝統」と呼ぶとして、それは実は近世だけではなく、近現代史を貫通するものとしてあるわけですよね。そしてまた、そうした「伝統」は常に不変というわけではなく、宗教=政治的(=「伝統的」)編成自体、とくに近世には大きく変容を遂げる。「絶えず変容する伝統」という素地に着目しつつ、近世研究から近現代を逆照射し、近現代から近世・中世を顧みる。日づけの象徴性も国王の肩書きもチャリティもダイアナも皆そうである。このように考えて、近世論を他の時代に向けて開くか、それとも逆に歴史の一「段階」に閉じ込めるか。44頁8行目があるかないかの違いは、つまるところこのような違いに帰結すると、考えた次第です。