今日、青山学院における遅塚先生を記念する会で、いろんな話題がありましたが、歴史的与件のなかでの人の生き方、その選択への強い関心は、だれしも持つところでしょう。伝記的叙述のおもしろく有意義なところです。伝記文学でなく、アカデミックな伝記的研究、DNBみたいな叙述のことを念頭において言っています。【ところで「生きざま」という表現は「死にざま」みたいで嫌だと遅塚さんはおっしゃっていました。】
それにつけても想い出しますが、1990年代のお終いに遅塚さんから電話がかかってきて、「蔵書を少しづつ処理しているのだが、DNB (Dictionary of National Biography) は私はもう使うことはないだろう、君は要らんかね」という趣旨でした。
イギリス史の基本文献とはいえ、全巻私物でお持ちだったのですね。
ところがぼくは、心配りも挨拶もできない男ですので、条件反射的に、こう答えました。
「先生、現行の DNB は増補をくりかえして、当該の人が何年に死んだか知らないと探し出せないし、不便なことこのうえない。そのコンサイス版は持っていますので、個人的にはそれで調べて、詳しくは図書館で見ます。そもそも根本的な改訂中で、あと2・3年もすればインターネットで全文検索できるようになります。
場所塞ぎで、無用の長物ですね。なんなら、**くんとか、# # くんとかに聞いてくださってもいいですが、とにかく現役の研究者なら、要らないと言います。」
電話の向こうで遅塚さんは、得心のゆかぬまま、諦められたようです。「あと2・3年もすれば‥‥」というのは早すぎで、結局、改訂版の DNB、すなわち ODNB は2004年まで刊行されず、インターネットにも載らなかったのですが。
遅塚さんとぼくとの関係は、今日の記念会で発言なさったどなたよりも濃いのではないかと思われるほどですが、その分、あまりに遠慮なく甘えて、馬鹿のようなことを言い過ぎました。晩年には、あきらかにぼくとの距離を保っておられました【遅塚さんが電話で柴田さんを相手に、近藤の態度の悪さについて愚痴られたのは一度や二度ではない‥‥】。反省しています。
いま『岩波西洋人名辞典』を全面改訂企画した『岩波世界人名辞典』が編集進行中ですが、遅塚さんに頭を垂れつつ謝意をこめて、ODNB を駆使しつつ、簡にして要をえた、しかもおもしろい、項目にするため、微力をつくします。
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