毎日曜夜の Downton Abbey について、前にも言及しました(2014年12月8日)。
http://kondohistorian.blogspot.com/2014/12/downton-abbey.html
第一次世界大戦をはさむ変動の時代のヨークシャ貴族の館をセンチメンタルに描く period melodrama ということで、これまで見てきましたが、回を重ねるごとに、ちょっと盛りだくさん過ぎて、興がそがれます。登場人物が(制作側の理由で)都合よく死にすぎだし、また彼・彼女の気持は(視聴者の気を持たせるために?)フワフワと揺れすぎ。
作者 Julian Fellowes は、時代考証もたっぷり、何十組の男女の交錯をしっかり描いたと自信をもっているらしいが、男女関係も、投資の破綻と相続信託の形成、所領経営も次から次に転回させているうちに coherence がなおざりになってしまう。
この日曜には三女 Sybil が娘を産むとともに死にましたが、やがて長女 Mary の出産後に Matthew も事故死するそうです。二女 Edith はさらに男運のなさに翻弄されるらしい。悪役従者 Thomas の度重なる非行にもかかわらず、彼にたいしてグランサム伯夫妻が甘いのはよく分からない設定だし-いくら good, old days とはいえ-、せっかく出獄する Bates と Ana を襲うさらなる不幸の連続も、やりすぎです。
結論として、かなり通俗的な視聴率ねらいのメロドラマで、「‥‥アイルランド、カトリック、ロイドジョージ内閣といった同時代史をまったく知らないシロートにも、衣装や有職故実が楽しめる」というねらいの21世紀的な「作り物」かな。Yorkshire accentをあまり強調すると、アメリカの視聴者にさえ英語が分からなくなってしまう、ということか、ローカルな労働者以外は、かなり標準語アクセントです。
そもそも NHKの放映でさえ、複数のエピソードが細切れに同時進行して楽しめないが、もともとイギリスのITVで放映されたときには、さらにコマーシャルが話の進行を分断していたわけだから、インテリには耐えがたい連ドラだったかもしれない。
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