2019年4月5日金曜日

ブダペシュト議会

ヨーロッパ滞在中は花粉症の気はなかったのですが、調子に乗って、帰国翌日に早稲田あたりでウロウロしたあげく、対馬で3日間外歩き。その結果がこの数年に経験しないほどの苦しい症状となってしまいました。
その後はもっぱら休養と必要最低限の外出にとどめて、なんとかなっています。

想い起こすに、中欧の経験はやはり強烈です。
19世紀ブダペシュトの繁栄は建築史的にもおもしろい証を残していて、それは19世紀前半までのダブリンの繁栄と比較できるくらい。人口的にはブダペシュトのほうがずっと大きく、アイルランド島よりも広いハンガリー王国の人口も大きい。なんといってもドナウ流域圏の「女王」です。19世紀にアイルランドがブリテンと連合王国(UK)をなしていたのと似て、ハンガリーはオーストリアとアウスグライヒ(二重帝国)をなして、従属的とはいえ、どんどん成長しました。
隣接する大国の普遍言語(英語、ドイツ語)が浸透しつつもゲール語、マジャール語に集約される豊かな民俗文化が強烈に残っているという共通性も指摘できます。
この場合、アイルランドとハンガリーの違いは、地理的に内陸か臨海かといった相違点に加えて、1) アイルランドの人口流出が人口減少にいたったのにたいし、ハンガリーは人口減少にはいたらなかった。2) アイルランドは歴史的な議会を失い、ハンガリーは歴史的な議会を維持した。3) ハンガリー(ブダペシュト)におけるユダヤ人口の大きさ。といった差異は決定的かもしれない。
Annabel Barber, Blue Guide Budapest (3rd ed., 2018) によると、
18世紀までハンガリー議会は開催地を固定せず、時に応じて召集されていたが、19世紀に入るとプレスブルク(ブラティスラヴァ)からペシュトに召集されるようになり、1880年に上下両院を一つ屋根のもとに収容できる立派な建物、「他のすべての建物を下に見、ハンガリー国民の力を表現し、ハンガリー人の全体を代表具現するような象徴的建造物をドナウ川岸に」たてる計画が始まり、1902年に竣工した。両翼の端から端まで265m、真ん中のドームの高さ96m.大きさと威容だけでなく、ドナウ川に面したゴシック・リヴァイヴァル様式の美しさは、テムズ河畔のウェストミンスタ議会(1852竣工)にも比すべきものです。
ところで、両議事堂はそれぞれ大きな川に面していますが、ブダペシュトでこれは西に面し、ウェストミンスタでは東に面し、そのため千数百キロを隔てつつも、両議事堂は対面している、という関係です!

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