ご無沙汰は続き、ついに11月になってしまいましたが、理由は9月27日に書いたのと同じで、まだ拙著の校正ゲラと取組中です。経過のご報告として「はしがき」から一部を引用いたします。
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先にわたしはカーの『歴史とは何か 新版』(岩波書店、二〇二二)を訳出したが、その翻訳中に興味関心をひかれ、もっと知りたくなったのは、著者カーの頭はいったい何で一杯だったのか、彼が思いうかべてもの言わんとした相手はどういう人物なのか、ということであった。『歴史とは何か』でカーが俎上(そじょう)にのぼせた人びとは、二〇世紀を代表するような知識人たちだった。重要でありながら、なぜか正面から切り結ぶことなく、パスした人もある。そうした人びとの思想と人柄について、生活環境(ミリュー)に注目しながら、「列伝」のようなものを描いてみたいと考えた。カーは『歴史とは何か』の第二講で「良い伝記とは結局、悪い歴史である、などと言ってみたい気にもなります」(『何か』p. 72)と読者を笑わせてから、悪い歴史どころか、すばらしい歴史の例として友人ドイチャによる伝記の著作をあげていた。
じつはイギリスは一九世紀に歴史学の最先進国ではなく、史料の保存・編纂についても研究教育についても、ドイツやフランスが先を行っていた。アクトンやアンウィンのようなドイツ留学経験者、そしてフランスで学んだ若手により、イギリスの学問は革新された。さらに二〇世紀前半、とくに一九三〇年代には中欧・東欧出身のユダヤ系の優秀な/独特の人材が ー 自発的に、あるいはナチスに追われて ー イギリスに渡来し、知的世界の「大変貌」をもたらす。そうした人びとのたくましい生涯も見ることにしよう。英語が商業言語より以上の知的なグローバル言語となるのは、これ以後である。
本書はこうした人びとの生活環境として大学事情にも説きおよぶが、多くの大学は二〇世紀半ばまで男女別学である。また二〇世紀イギリスの知識人群像のうち一定の割合の人びとにとって、親子の愛情の薄さ、同性愛もふくむセクシュアリティは現実的な問題であった。いくつかのケースと並べて見ると、カーのかかえた個人的な問題は相対化されてくる。パートナーとの関係、老いと病いについても考えよう。
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少なからぬ方々にはお約束を守れず、失礼を重ねています。申し訳ありません!
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