風邪と咳で苦しみ、年末のお仕事を片づけることができず、何人もの方々にご心配をおかけしました。まだ完全には復帰していません。
ところが、その間にも安倍晋三首相は、世界的にメディアがクリスマス休暇に入っていると踏んで(?)靖国参拝という愚行を実行し、これまで参拝できなかった「痛恨の極み」をはたし、日本の保守政治の呪われた宿命をあらわにしました。
安倍首相は日本資本主義の総帥であるよりも、ナイーヴなガラパゴス右翼の虜なのですね。なぜなら、
1. 西郷を国賊として排し、東条を英霊として合祀した靖国に参ることによって、首相は天皇陛下の歴史観と公けに対決しています。今上天皇は一度も靖国に参ったことはなく、昭和天皇は、靖国がA級戦犯を合祀した1978年以来参拝していません。
アジア太平洋戦争の開戦が愚かな国際政治の企てだったとして(それは今はおきます)、その終結の機を失い、ダラダラと後のばしにしたことによって、特攻隊もアジア各地の玉砕兵士も、また昭和20年3月の東京、大阪、名古屋をはじめとする全国の都市の空襲犠牲者、そして究極の広島、長崎、そして満州の犠牲者を無駄に増やしたのです。そうしたことの責任者=「英霊に哀悼の誠をささげ、尊崇の念を表する」とは、どういう意味なのか。まともな知性をもつ大卒者とは考えられない。
自民党右翼だけではありません。マスコミも問題の深刻さを認識していないんじゃないか。近現代日本がどれだけ有為の人材を無駄死にさせつつ突進してきたか、その責任を再確認する必要があります。
2. この問題について、歴代の官房長官のうちでも、クールで実際的な野中広務とか、福田康夫とかは脱宗教法人、国立追悼・平和施設といったことを提案してきましたが、フォローは乏しい。「政治は票だ」、「遺族会や右翼の票田を失うわけにゆかない」というだけでなく、三木武夫首相のころから/橋本龍太郎首相のときから(陰に陽に?)「怖い方面」からの脅迫・強要もあったのでしょうか? 明らかにしてほしい。
3. 無念なことに、戦後の民主日本は、ドイツ連邦共和国とは本質的に異なる道を歩むこととなりました。ナチス処罰とヨーロッパ統合という形で、近隣との呪われた関係を克服する道を選んだドイツ。公然と戦犯【開戦の責任者というより、むしろ終戦を決断しなかったリーダーたち】を哀悼し尊崇することによって、愚劣さを世界中に発信する安倍首相。
これでは「なにが決められない政治の克服だ」と言いたくなる。「世界」とか「普遍」とか「レゾン・デタ」とか「法」といったことを、大学時代にも、議員になってからも考えたことがないのだろうか。きみの父君の場合は、もうすこし国際感覚があったんじゃないの?
愚かな国民には、愚かな政治がふさわしい。
2013年12月29日日曜日
2013年12月22日日曜日
岩波新書 『イギリス史10講』 をもって
お待たせしました。ほんとに刊行されました。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431464
→ この画面で、右下の More Info をクリックしてください。
編集担当者によるメッセージと目次のページが開きます。
21日、穏やかな土曜の午後に、柴田家に参って小冊を献呈してきました。
御遺影と対面して座すると、万感あふれてしまいましたが、
ご夫人はぼくをそのまま一人にしておいてくださいました。
「これで[本が出て]楽になったでしょう」というお言葉ですが、そう、前向きになれます。
累積する未決課題は多いのですが、積極的な気持でいます。
おみやげに、なんとぼくの学部5年のときのレポート2つ(1970年5月5日という日付)
・「パリ、2月革命期における蜂起主体の社会的構成」
・「1848-49年革命の敗北とマルクス・エンゲルスによる教訓化
-プロレタリアート党の独自的運動・組織化の提起」
をいただきました。
出席回数ゼロでしたが、単位をいただいたものです。
どちらも脚註つきで横書き原稿用紙23ページの力作!?
それぞれ先生の手で「80°」という評点が付いています!
捨てずに取っていてくださったのですね。
2013年11月26日火曜日
ルカーチ 『 歴史学の将来 』
このところ多事多端で、必要最低限のやりとり以外は、あまりウェブの世界も眺めていなかったら、
今晩、偶然にこんなページができているのを発見。いつから登載されているのか、わかりませんが。
→ http://www.msz.co.jp/news/topics/07764.html
最新刊のジョン・ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)について、カバー写真、編集者の思いと関連書誌情報が載っていて、有益です。
ぼく個人としては、
ちょうど2年前に編集者が本郷の部屋に現れて、「まずは読んでみてください」と、本と New York Review of Books を渡されて(しかたなく)読み始めたのです。それが良かった。
1) historia とは「語り」であるより前に「調べてえられた知」だと明言したうえで、
2) 返す刀で、一次史料に取り組んだからといって、その成果を「役人が書くように醜い文章で」発表して恥じない凡庸な専門家にたいして、それでよいのかと叱咤激励し、
3) さらには「言語論的転回」の波に溺れて、「韻律の最新理論」を紹介するだけで、ご自分の「叙事詩」を産み出そうともしないヤカラを批判する、
そうしたルカーチは、禿頭の老先生かもしれないが、親近感をおぼえます。
さすが、みすず書房。品のある美しい造本です。
2013年11月15日金曜日
D くん
拝復
多色彩の初校ゲラ 306 pp. を戻したら、再校ゲラは 310 pp.になって帰って来ました。つまりどこかで行がはみ出してしまったのでしょう。もとの306ページに戻さないと、索引のページが無くなります!
ところで、Dくんの御メールのとおり、たしかに『10講』で礫岩という用語を数度つかいますが、それにしてもこれは conglomerate のみを視点にした単純な本ではありません。たしかに(イギリス史については明示的に)絶対主義という語の使用に反対しています。関連して、アメリカ史における「巡礼の父祖」伝説や、独立宣言における absolute despotism/tyranny への攻撃は、ためにするゾンビへの攻撃と考えています。
とはいえ、これらは『10講』の多くのイシューのうちの1つに過ぎず、他にもおもしろい論点は親と子、男と女といったことも含めてたくさん展開しています。
御メールはさらに、次のように続きます。
>「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」は、人間集団の政治性獲得のモメントを重視し、中世から近代へ「政体」のダイナミックな変遷をおうものと理解しています。
> 例えば、‥‥あたりで、それぞれの時代における「帝国的編成」との比較でコメントを頂くのも一興です。
うーん、「帝国的編成」となると、ますます「ある重要な一論点」でしかないな。
通時的には「ホッブズ的秩序問題」を心柱にして叙述し、
同時代的には、たとえば1770年代のアメリカ独立戦争をアイルランドのエリートたちが注視し、
19~20世紀転換期アイルランド自治の問題をスコットランド人もインド人も注視していた、といった論点は出していますが。
研究者の顔を意識した「問いかけ」もあります。一言でいうと、そもそも『イギリス史10講』は、二宮史学、柴田史学との批判的対話の書なのです!(これまで小さく凝り固まっていた分野の諸姉諸兄には、奮起をお願いします。)
>‥‥composite state や composite monarchy といった議論がまずは
> イギリスの学界で展開された議論だったことに関心を払う必要もあるようです。
そうかもしれません。が、重要な方法的議論は英語で、という傾向が歴史学でも1980年代から以降、定着したということかな。
もっとも「1930代~40代のイギリス・アメリカ(とソ連)が旧ドイツ・オーストリアの知的資産をむさぼり領有した」こと、
「英語が真に知的なグローバル言語になったのは、このときから」といったことが、事柄の前提にあるわけですが。
『イギリス史10講』では、戦後レジーム成立過程における人・もの・情報の「大移動」も指摘してみました。
S・ヒューズ『大変貌』にも示唆されていますが、1685年以後の名誉革命レジーム成立過程における(対ルイ太陽王)人材移動も視野において言っています。
これまでの歴史学のアポリアが少しづつ解決してゆくのを、ともに参加観察するのはよろこびです。個人的にも、積年の「糞詰まり状態」を解消して、快食快便といきたいところです。単著ではないけれど、お手伝いしたルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)や『岩波世界人名大辞典』などが公になるのは、爽やかです。収穫の秋です!
多色彩の初校ゲラ 306 pp. を戻したら、再校ゲラは 310 pp.になって帰って来ました。つまりどこかで行がはみ出してしまったのでしょう。もとの306ページに戻さないと、索引のページが無くなります!
ところで、Dくんの御メールのとおり、たしかに『10講』で礫岩という用語を数度つかいますが、それにしてもこれは conglomerate のみを視点にした単純な本ではありません。たしかに(イギリス史については明示的に)絶対主義という語の使用に反対しています。関連して、アメリカ史における「巡礼の父祖」伝説や、独立宣言における absolute despotism/tyranny への攻撃は、ためにするゾンビへの攻撃と考えています。
とはいえ、これらは『10講』の多くのイシューのうちの1つに過ぎず、他にもおもしろい論点は親と子、男と女といったことも含めてたくさん展開しています。
御メールはさらに、次のように続きます。
>「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」は、人間集団の政治性獲得のモメントを重視し、中世から近代へ「政体」のダイナミックな変遷をおうものと理解しています。
> 例えば、‥‥あたりで、それぞれの時代における「帝国的編成」との比較でコメントを頂くのも一興です。
うーん、「帝国的編成」となると、ますます「ある重要な一論点」でしかないな。
通時的には「ホッブズ的秩序問題」を心柱にして叙述し、
同時代的には、たとえば1770年代のアメリカ独立戦争をアイルランドのエリートたちが注視し、
19~20世紀転換期アイルランド自治の問題をスコットランド人もインド人も注視していた、といった論点は出していますが。
研究者の顔を意識した「問いかけ」もあります。一言でいうと、そもそも『イギリス史10講』は、二宮史学、柴田史学との批判的対話の書なのです!(これまで小さく凝り固まっていた分野の諸姉諸兄には、奮起をお願いします。)
>‥‥composite state や composite monarchy といった議論がまずは
> イギリスの学界で展開された議論だったことに関心を払う必要もあるようです。
そうかもしれません。が、重要な方法的議論は英語で、という傾向が歴史学でも1980年代から以降、定着したということかな。
もっとも「1930代~40代のイギリス・アメリカ(とソ連)が旧ドイツ・オーストリアの知的資産をむさぼり領有した」こと、
「英語が真に知的なグローバル言語になったのは、このときから」といったことが、事柄の前提にあるわけですが。
『イギリス史10講』では、戦後レジーム成立過程における人・もの・情報の「大移動」も指摘してみました。
S・ヒューズ『大変貌』にも示唆されていますが、1685年以後の名誉革命レジーム成立過程における(対ルイ太陽王)人材移動も視野において言っています。
これまでの歴史学のアポリアが少しづつ解決してゆくのを、ともに参加観察するのはよろこびです。個人的にも、積年の「糞詰まり状態」を解消して、快食快便といきたいところです。単著ではないけれど、お手伝いしたルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)や『岩波世界人名大辞典』などが公になるのは、爽やかです。収穫の秋です!
2013年11月14日木曜日
拝復
Aさん
お久しぶりです。メールをありがとうございました。
じつは7月から以降10月まで、校務や学外公務や91歳の母親のことはそこそこに(済みません!)、『イギリス史10講』優先の日夜を過ごしていました。岩波書店は、脱稿から初校、再校、校了にいたる日程表を、それなりに余裕をみて組んでくださったのです(11月でなく12月発売、といった具合に)。しかし、やはり実際には「火事場」とまでは言わないが、ドタバタしています。
大学入試や中国・アメリカ出張もありましたが、本当に入稿してよい原稿はぎりぎりまで改訂して、最後の最後の部分を出したのは10月14日。長く暑い夏でした。
すでに2色刷りの初校ゲラも戻し、図表の整頓、カバー関連なども済ませましたが、ホッとするまもなく、今週末には再校ゲラが来るはずです。本文とあとがきで306ページ、巻頭の目次、巻末の索引が加わって、岩波新書としてはたいへん厚いものとなります。
爽快に書けたうえ図版ともうまくマッチしたと思われる箇所もあり、逆に中途半端で心残りの箇所もあり、複雑な気持です。そうはいっても、もう延ばすわけには行かず(Now, or never!)、思い切りました。足りない所は今後の仕事ですこし構えを変えて取り組んだほうが合理的かもしれません。
一言でいうと、ぼくは戦後史学、柴田史学、二宮史学から大いに学んできましたが、それを部分的でなく根本的に乗り越えたい。ただ大きな歴史をすりぬけ、スキマ産業に従事して了とするのでなく、代替すべきものをみずから産み、呈示したい、という気持に支えられてきました。あらゆる部分が柴田先生(およびイギリスの実証史学)との対話です。
Aさんとは『近代世界と民衆運動』(1983)が出版された直後から、その野心に感心しつつも特定箇所について似たような批判的発言を重ねてきましたね。『フランス史10講』(2006)については、むしろ全体の構えに不満がありました。今度の『イギリス史10講』はこの異なる性格をもつ2著にたいする、両面的な対話です。本文最初のページをくって直ぐに(p.4) こう述べます。
歴史とは現在と過去の対話であり、また将来を見すえた歴史家の語りであるといった
のは、E・H・カーである。『イギリス史10講』も、今を生きる歴史家が過去の事実
および研究とくりかえす対話であり、イギリス史を語りなおす試みである。
「過去の事実および研究とくりかえす対話」とは生じっかのものではありません。やはり年末に出るルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)もくりかえし述べるとおり、historia とは「調べること、そのうえでの語り」ですし、research とは何度でも調べなおすことです。こちらがええかげんでは対話できません。
岩波新書なので(またすでに十二分に厚いので)註はありませんが、分かる人には分かる書き方をしたつもりです。また今年度末の『立正大学大学院紀要・文学研究科』に長い註釈を載せて、論拠を明示し、誤解の余地のないようにします。
急に寒くなりました。けやきの街路樹がきれいに色づいています。
12月20日に見ていただきます。どうぞお元気で。
お久しぶりです。メールをありがとうございました。
じつは7月から以降10月まで、校務や学外公務や91歳の母親のことはそこそこに(済みません!)、『イギリス史10講』優先の日夜を過ごしていました。岩波書店は、脱稿から初校、再校、校了にいたる日程表を、それなりに余裕をみて組んでくださったのです(11月でなく12月発売、といった具合に)。しかし、やはり実際には「火事場」とまでは言わないが、ドタバタしています。
大学入試や中国・アメリカ出張もありましたが、本当に入稿してよい原稿はぎりぎりまで改訂して、最後の最後の部分を出したのは10月14日。長く暑い夏でした。
すでに2色刷りの初校ゲラも戻し、図表の整頓、カバー関連なども済ませましたが、ホッとするまもなく、今週末には再校ゲラが来るはずです。本文とあとがきで306ページ、巻頭の目次、巻末の索引が加わって、岩波新書としてはたいへん厚いものとなります。
爽快に書けたうえ図版ともうまくマッチしたと思われる箇所もあり、逆に中途半端で心残りの箇所もあり、複雑な気持です。そうはいっても、もう延ばすわけには行かず(Now, or never!)、思い切りました。足りない所は今後の仕事ですこし構えを変えて取り組んだほうが合理的かもしれません。
一言でいうと、ぼくは戦後史学、柴田史学、二宮史学から大いに学んできましたが、それを部分的でなく根本的に乗り越えたい。ただ大きな歴史をすりぬけ、スキマ産業に従事して了とするのでなく、代替すべきものをみずから産み、呈示したい、という気持に支えられてきました。あらゆる部分が柴田先生(およびイギリスの実証史学)との対話です。
Aさんとは『近代世界と民衆運動』(1983)が出版された直後から、その野心に感心しつつも特定箇所について似たような批判的発言を重ねてきましたね。『フランス史10講』(2006)については、むしろ全体の構えに不満がありました。今度の『イギリス史10講』はこの異なる性格をもつ2著にたいする、両面的な対話です。本文最初のページをくって直ぐに(p.4) こう述べます。
歴史とは現在と過去の対話であり、また将来を見すえた歴史家の語りであるといった
のは、E・H・カーである。『イギリス史10講』も、今を生きる歴史家が過去の事実
および研究とくりかえす対話であり、イギリス史を語りなおす試みである。
「過去の事実および研究とくりかえす対話」とは生じっかのものではありません。やはり年末に出るルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)もくりかえし述べるとおり、historia とは「調べること、そのうえでの語り」ですし、research とは何度でも調べなおすことです。こちらがええかげんでは対話できません。
岩波新書なので(またすでに十二分に厚いので)註はありませんが、分かる人には分かる書き方をしたつもりです。また今年度末の『立正大学大学院紀要・文学研究科』に長い註釈を載せて、論拠を明示し、誤解の余地のないようにします。
急に寒くなりました。けやきの街路樹がきれいに色づいています。
12月20日に見ていただきます。どうぞお元気で。
2013年11月1日金曜日
『10講』のもくろみ
12月20日発売の岩波新書ですが、その第1講に「本書のもくろみ」として、こんなことをしたためています。 → といっても、今このブロッガーが写真(.jpg、.png)などを受け付けないので、こちら http://kondo.board.coocan.jp/bbs/ で校正ゲラのごく一部をご覧に入れます。
今回の著書は『フランス史10講』『ドイツ史10講』との共通了解があって始まった本ですが、じつは相違する点も大きいと考えています。
戦後史学やホウィグ史観の批判、歴史の作法、etc. 長らくもろもろのおしゃべりが続きましたが、実際の作品(praxis)としてどれほどのものが生れたでしょう。『イギリス史10講』は、そうした情況にたいするポジティヴな発言でもあります。
岩波新書だからといって、あなどるなかれ。
2013年10月31日木曜日
新刊予定3冊
いま出ている月刊『図書』の巻末に「12月刊行予定の本」として、ぼくの関与した本が2冊並んでいます。
1つ目は『イギリス史10講』(岩波新書)(ただし272頁というのは間違い、300頁を超えます)
2つ目は『岩波 世界人名大辞典』(こちらは項目選定と執筆)
この世界人名大辞典の関連で、『図書』コラムに後藤さんが執筆しておられます。
なおまた、3つ目で出版社は違いますが、
J. ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)も巻末の「解説」を担当しました。
こちらは支障なく進めば、11月に刊行です。
1つ目は16年がかり、2つ目は数年がかり、3つ目は1年弱の仕事でした。
1つ目は『イギリス史10講』(岩波新書)(ただし272頁というのは間違い、300頁を超えます)
2つ目は『岩波 世界人名大辞典』(こちらは項目選定と執筆)
この世界人名大辞典の関連で、『図書』コラムに後藤さんが執筆しておられます。
なおまた、3つ目で出版社は違いますが、
J. ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)も巻末の「解説」を担当しました。
こちらは支障なく進めば、11月に刊行です。
1つ目は16年がかり、2つ目は数年がかり、3つ目は1年弱の仕事でした。
2013年10月20日日曜日
『 イギリス史10講 』
秋らしく涼しい日々となりました。気温が下がって、しっかり着込まないと寒い!
ところで、ご心配の皆さまへ近況ですが、
『イギリス史10講』(岩波新書)はようやく脱稿し、
今、印刷所からばらばらと初校ゲラが到来している状態です。
あとがきは、ハーヴァードの図書館 H.E. Widener Library で10月1日に仕上げました。
16年越しの仕事になりましたので、ふりかえって感慨深いものがあります。1997年夏(というと、ナタリ・Z・デイヴィスを送り返した直後でした!)、岩波書店の企画会議に出された柴田先生のメモについても、あとがきで一部を引用させていただきます。
『10講』の基本的構成は『ドイツ史10講』『フランス史10講』と同じく、15世紀までで3講、16世紀以降で7講を用いるのですが、じつはいろいろな点で既刊の『10講』とは違う特徴があります。意図的に変えました。そのことについては、おいおい。
→ http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_toku/tku0302.html
岩波新書としては破格の厚さとなってしまいました!
12月20日発売という予定で進行中です。
ご心配をおかけしてきましたので、あらかじめお知らせしておきます。
ところで、ご心配の皆さまへ近況ですが、
『イギリス史10講』(岩波新書)はようやく脱稿し、
今、印刷所からばらばらと初校ゲラが到来している状態です。
あとがきは、ハーヴァードの図書館 H.E. Widener Library で10月1日に仕上げました。
16年越しの仕事になりましたので、ふりかえって感慨深いものがあります。1997年夏(というと、ナタリ・Z・デイヴィスを送り返した直後でした!)、岩波書店の企画会議に出された柴田先生のメモについても、あとがきで一部を引用させていただきます。
『10講』の基本的構成は『ドイツ史10講』『フランス史10講』と同じく、15世紀までで3講、16世紀以降で7講を用いるのですが、じつはいろいろな点で既刊の『10講』とは違う特徴があります。意図的に変えました。そのことについては、おいおい。
→ http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_toku/tku0302.html
岩波新書としては破格の厚さとなってしまいました!
12月20日発売という予定で進行中です。
ご心配をおかけしてきましたので、あらかじめお知らせしておきます。
2013年10月9日水曜日
日航 B 787 と映画
無事、東京の蒸し暑い10月に帰着しました。
ところで往復とも話題の日航の Boeing787 でしたが、座席も快適。ちょっとした作業もできて、行き(成田 → ボストン)は飛行機のなかで約2時間+30分寝ました。
トイレも工夫されて(大きな鏡を2面に張り)清潔、気持ちよい。
これでバッテリ関連のトラブルというのは、かわいそう、という感想です。
JALの食事も、最初の昼食は機内食でこんなに美味しいもの!と驚くほどおいしいものでした。
野菜が生・和え物・加熱と3種類。
機中で、The Great Gatsby も見ました。これは F.C. Fitzgerald 原作(1925)で、DiCaprio 主演とはいっても、あまり楽しめない作品。原作自体の問題かも。
復路(ボストン → 成田)の食事は、期待が大きかっただけに幻滅。ボストン地域のケイタリング業者のセンスのなさ、ということでしょうか?
映画は Une estonienne à Paris. これが和名「クロワサンで朝食を」になるとは!?
いくら反知性的でオブラートにくるむ日本文化とはいえ、これでは見るべきインテリ・学生が見ようとしないではないか。英題 A lady in Paris は事柄の半分だけ伝えています。
一言でいえば、
老境のジャンヌ・モロ(1928年生)の「サンセット大通り」+パリにおけるエスニック・コミュニティの問題
往路の「ギャツビ」のけたたましく虚しい大騒ぎにくらべて、なんと静かでゆったりとさびしいんだ。どちらも主人公は我が儘ほうだい、とはいえ余韻は後者のほうがはるかによい。老い(と記憶と友情≒許し)がテーマです。
(う~ん、やはり写真は登載できませんね。)
ところで往復とも話題の日航の Boeing787 でしたが、座席も快適。ちょっとした作業もできて、行き(成田 → ボストン)は飛行機のなかで約2時間+30分寝ました。
トイレも工夫されて(大きな鏡を2面に張り)清潔、気持ちよい。
これでバッテリ関連のトラブルというのは、かわいそう、という感想です。
JALの食事も、最初の昼食は機内食でこんなに美味しいもの!と驚くほどおいしいものでした。
野菜が生・和え物・加熱と3種類。
機中で、The Great Gatsby も見ました。これは F.C. Fitzgerald 原作(1925)で、DiCaprio 主演とはいっても、あまり楽しめない作品。原作自体の問題かも。
復路(ボストン → 成田)の食事は、期待が大きかっただけに幻滅。ボストン地域のケイタリング業者のセンスのなさ、ということでしょうか?
映画は Une estonienne à Paris. これが和名「クロワサンで朝食を」になるとは!?
いくら反知性的でオブラートにくるむ日本文化とはいえ、これでは見るべきインテリ・学生が見ようとしないではないか。英題 A lady in Paris は事柄の半分だけ伝えています。
一言でいえば、
老境のジャンヌ・モロ(1928年生)の「サンセット大通り」+パリにおけるエスニック・コミュニティの問題
往路の「ギャツビ」のけたたましく虚しい大騒ぎにくらべて、なんと静かでゆったりとさびしいんだ。どちらも主人公は我が儘ほうだい、とはいえ余韻は後者のほうがはるかによい。老い(と記憶と友情≒許し)がテーマです。
(う~ん、やはり写真は登載できませんね。)
2013年10月5日土曜日
旧知の先生方
今回のコンファレンスの利点の一つは、アメリカの進歩的歴史家たちに会えて話を聞けること。
なんと、MARHO, Visions of History『歴史家たち』におけるインタヴューアの一人 Michael Merrill がいる。同じ『歴史家たち』のJohn Womack が名古屋大学出版会の漫画のような青年ではなく、今にも倒れそうな老人として現れたのには隔世の感。
とはいえ、話し始めると、さすがJohn Womack, だれかが「時間だ」とかいったのにたいして、別の(ぼくの隣の)女性が大きく No! といって昔話、意味のある昔話を続けさせました。
『歴史家たち』のウォーマック翻訳はぼくが担当したけれど、(院ゼミでも読みましたね、安村くんもいました)メキシコ革命だけでなく Harvard におけるラテンアメリカ研究全般についての研究指導をしていたんだな。E.P. Thompson か Perry Anderson かというのは、68年世代にとっては共通のイシューです。
Albion's Fatal Tree の Cal Winslow と奥さん、それから丸山眞男を知っている Charles Maier とか。
ぼくの場合は(若い世代の軽薄な-というか思いつきでしかないような-報告よりは)年季の入った中高年の渋い話のほうが、よほど聞き甲斐があります。Moral economy という、人を惹きつける用語は catchword としては良い。もっと今日の世界経済、将来の政治社会を考える助け(準拠枠)になるような概念がほしい。
なぜか写真を登載できませんが(もどかしい!)、コンファレンスの様子は、リアルタイムで世界のどこからでも見られるとのこと。 お試しください。↓ 東海岸で土曜の8:30~(日本時間との差は13時間)。
(http://bit.ly/18cpE73)
http://www.ustream.tv/channel/global-e-p-thompson-conference-harvard-university-october-3-5-2013
今晩は、主催者の一人 Sven Beckert のお宅で House dinner (といってもケイタリングサーヴィスの全面出前). 息子さんも一緒に皿をつつく、という設定。
市橋さんとともに徒歩にて寄宿。
なんと、MARHO, Visions of History『歴史家たち』におけるインタヴューアの一人 Michael Merrill がいる。同じ『歴史家たち』のJohn Womack が名古屋大学出版会の漫画のような青年ではなく、今にも倒れそうな老人として現れたのには隔世の感。
とはいえ、話し始めると、さすがJohn Womack, だれかが「時間だ」とかいったのにたいして、別の(ぼくの隣の)女性が大きく No! といって昔話、意味のある昔話を続けさせました。
『歴史家たち』のウォーマック翻訳はぼくが担当したけれど、(院ゼミでも読みましたね、安村くんもいました)メキシコ革命だけでなく Harvard におけるラテンアメリカ研究全般についての研究指導をしていたんだな。E.P. Thompson か Perry Anderson かというのは、68年世代にとっては共通のイシューです。
Albion's Fatal Tree の Cal Winslow と奥さん、それから丸山眞男を知っている Charles Maier とか。
ぼくの場合は(若い世代の軽薄な-というか思いつきでしかないような-報告よりは)年季の入った中高年の渋い話のほうが、よほど聞き甲斐があります。Moral economy という、人を惹きつける用語は catchword としては良い。もっと今日の世界経済、将来の政治社会を考える助け(準拠枠)になるような概念がほしい。
なぜか写真を登載できませんが(もどかしい!)、コンファレンスの様子は、リアルタイムで世界のどこからでも見られるとのこと。 お試しください。↓ 東海岸で土曜の8:30~(日本時間との差は13時間)。
(http://bit.ly/18cpE73)
http://www.ustream.tv/channel/global-e-p-thompson-conference-harvard-university-october-3-5-2013
今晩は、主催者の一人 Sven Beckert のお宅で House dinner (といってもケイタリングサーヴィスの全面出前). 息子さんも一緒に皿をつつく、という設定。
市橋さんとともに徒歩にて寄宿。
2013年10月2日水曜日
ハーヴァード大学
直行で12時間半!イギリスより遠いフライトの後、はじめてボストンに降り立ち、Cambridge, MASS. に来ました。 晴で、涼しい。
やや古めのホテル、大学キャンパスのほぼ中心 Garden Street に荷を解きました。
LANおよび無線の環境は良いみたい。
しかし、日本との時差13時間遅れ、というのは、調子狂います。
17世紀にイングランドの Cambridge大学(Emmanuel College)を卒業した
牧師ハーヴァードさんが Harvard College 法人を生前贈与したので、
町の名もそう命名された、とかいったことは承知していましたが、
来てみれば、本家に比べて中世要素がない分、近現代にがんばって、
広々とより大きく育った分家、という感じ。
ところで米国のケインブリッジは、英国のケインブリッジに似た大学町で
人口10万あまりですが、違いは、
1) 建物がちょっと大きく、道も広い。
2) 大都市ボストンから 5km ほどなので、スーパーとか量販店とかいったものが見あたらない。
3) 大学関係じゃない人口もそれなりにいるようです。はるかに多文化で、スペイン語、ロシア語、そして中国語が乱れ飛ぶ。こじき(物乞い)もいるが、それぞれ Change, change, change, とか歌ったり、そぼくな楽器(せいぜいカスタネット)をならしてパフォーマンスをしている!
人びとは比較的おだやかで(全米とはちがう特異なエリート都市だから?)、信号も守るし、今のところイヤな思いをすることはありません。(この感想は中国旅行の直後だから?)
宿から繁華街(といってもこじんまり)Harvard Square および大学中心 Harvard Yard までは徒歩で500mほど。川までは1キロかな。
地図の左上に Sheraton Commander Hotel(1775年に司令官 George Washington が将兵を鼓舞した所とのこと), 右上にコンファレンスのある CGIS, 手前に Charles 川。
歴史的な Harvard Yard 構内でも威容を誇るのが図書館 Widener Library です。
なんと1912年のタイタニックで亡くなった息子(卒業生)を悼む母親が、寄贈してできあがったとのこと! アメリカ人の富は規模がちがう。写真のとおり、大階段を強調する設計思想です。
申告したら、簡単に利用票(3カ月有効)をつくってくれました。
やや古めのホテル、大学キャンパスのほぼ中心 Garden Street に荷を解きました。
LANおよび無線の環境は良いみたい。
しかし、日本との時差13時間遅れ、というのは、調子狂います。
17世紀にイングランドの Cambridge大学(Emmanuel College)を卒業した
牧師ハーヴァードさんが Harvard College 法人を生前贈与したので、
町の名もそう命名された、とかいったことは承知していましたが、
来てみれば、本家に比べて中世要素がない分、近現代にがんばって、
広々とより大きく育った分家、という感じ。
ところで米国のケインブリッジは、英国のケインブリッジに似た大学町で
人口10万あまりですが、違いは、
1) 建物がちょっと大きく、道も広い。
2) 大都市ボストンから 5km ほどなので、スーパーとか量販店とかいったものが見あたらない。
3) 大学関係じゃない人口もそれなりにいるようです。はるかに多文化で、スペイン語、ロシア語、そして中国語が乱れ飛ぶ。こじき(物乞い)もいるが、それぞれ Change, change, change, とか歌ったり、そぼくな楽器(せいぜいカスタネット)をならしてパフォーマンスをしている!
人びとは比較的おだやかで(全米とはちがう特異なエリート都市だから?)、信号も守るし、今のところイヤな思いをすることはありません。(この感想は中国旅行の直後だから?)
宿から繁華街(といってもこじんまり)Harvard Square および大学中心 Harvard Yard までは徒歩で500mほど。川までは1キロかな。
地図の左上に Sheraton Commander Hotel(1775年に司令官 George Washington が将兵を鼓舞した所とのこと), 右上にコンファレンスのある CGIS, 手前に Charles 川。
歴史的な Harvard Yard 構内でも威容を誇るのが図書館 Widener Library です。
なんと1912年のタイタニックで亡くなった息子(卒業生)を悼む母親が、寄贈してできあがったとのこと! アメリカ人の富は規模がちがう。写真のとおり、大階段を強調する設計思想です。
申告したら、簡単に利用票(3カ月有効)をつくってくれました。
2013年9月30日月曜日
『上海』
皆さま、
まったくもってご無沙汰です。
この夏はたいへんな暑さもありましたが、諸々が重なって多事多難でした。しかもこの9月後半は中国(上海、天津、北京)、現在はアメリカ(Cambridge=Harvard)と、東奔西走中です。
中国は、科研による租界調査の旅行でした。中国はすごいインパクト。世界史観が変わりそうなくらい。まだ整理がつきませんが、考えたことの一端を。
7泊8日の充実した旅行を終わり、26日(木)夜に北京から羽田に着きましたが、モノレール内でメンバーの一人が(遠慮がちに?)寄ってきて、横光利一『上海』の岩波文庫本の解説文を示してくれました。
「上海はリヴァプールにならって作られた。」
ぼくの反応は「えっ」という二重の驚きでした。第1に、「今回の旅行を着想したアイデアが、いとも簡単にオリジナリティを否定されてしまった‥‥」というもの。
だれでも思い付くことなのか。ただし、この解説者は根拠を示さないままです。
第2には、「ぼくも文庫本を持っていたのに、この箇所に気付かないままだった。ぼくの目はフシ穴だったのか‥‥。」
さて、金曜は勤務先の授業3コマを消化。土曜は重要な校務。その夜、ようやくに徒歩7分のオフィスに行って(ハーヴァード関連の物を回収するついでに)ぼくの『上海』文庫本を手にしました。
意識していなかったが、ぼくの『上海』は講談社文芸文庫なのでした。装丁の雰囲気は似ている。∴上述の解説文を認識していなかったからといって、必ずしもぼくの眼力か知力の衰えの証というわけではなかった!
講談社文庫では、横光の息子が父の想い出を、解説を菅野昭正がしたため、最後に「作家案内」と「著書目録」が収められている。岩波文庫より充実しているかも。
菅野の解説(1991年ないしそれ以前に執筆)はさすがで、死ぬ前の芥川が横光に「上海を見て来い」と言ったこと、横光の文に
「芥川龍之介氏は支那へ行くと[ひとは]政治家になると言っている。これには僕も同感である」
というのがあると記しています。横光は39年に上海を再訪して
「ここほど近代という性質の現れている所は、世界には一つもない」
とまで記したということです。
ここから先は菅野の表現ですが、「西洋と東洋の対立と角逐が、もっとも尖鋭にあらわれる問題の場所」、「現代の歴史の大きな波頭に拠点を定めて‥‥魔術的な力を秘めた都市を相手どる小説」。
こうしたイマジネーションの最近の例は、高樹のぶ子の日経連載小説『甘苦上海』でしたね。高樹は、横光の本歌取りを意識していたのでしょうか。
横光も高樹も、非マルクス主義/右寄り/ノンポリということで、ぼくたちの育った進歩的歴史学界では、歯牙にもかけない処遇でした。
上海・天津の会食の場でも断片的に口にしましたし、12月刊の『イギリス史10講』を読んでいただけば明らかなとおり、今さらながら歴史学の転換(の収穫!)を意識しています。
ぼくの先生や先輩たちの大前提にあったマルクス主義講座派は、コミンテルン32年テーゼ、『日本資本主義分析』34年刊に現れたとおり、あまりにもダイレクトな欧米日中心史観≒対義和団出兵国史観でした。それが再生産されていました! あるいはせいぜいそれから一国革命論を人道主義的に希釈化したもの(越智、松浦、今井‥‥、検定教科書)でした。この両方を越えてゆかなければ、イギリス史も歴史学も日本国憲法も展望はないと考えています。
経験主義≒実証主義( → 業績主義)だけでなにかが解決するというのは甘い。
まったくもってご無沙汰です。
この夏はたいへんな暑さもありましたが、諸々が重なって多事多難でした。しかもこの9月後半は中国(上海、天津、北京)、現在はアメリカ(Cambridge=Harvard)と、東奔西走中です。
中国は、科研による租界調査の旅行でした。中国はすごいインパクト。世界史観が変わりそうなくらい。まだ整理がつきませんが、考えたことの一端を。
7泊8日の充実した旅行を終わり、26日(木)夜に北京から羽田に着きましたが、モノレール内でメンバーの一人が(遠慮がちに?)寄ってきて、横光利一『上海』の岩波文庫本の解説文を示してくれました。
「上海はリヴァプールにならって作られた。」
ぼくの反応は「えっ」という二重の驚きでした。第1に、「今回の旅行を着想したアイデアが、いとも簡単にオリジナリティを否定されてしまった‥‥」というもの。
だれでも思い付くことなのか。ただし、この解説者は根拠を示さないままです。
第2には、「ぼくも文庫本を持っていたのに、この箇所に気付かないままだった。ぼくの目はフシ穴だったのか‥‥。」
さて、金曜は勤務先の授業3コマを消化。土曜は重要な校務。その夜、ようやくに徒歩7分のオフィスに行って(ハーヴァード関連の物を回収するついでに)ぼくの『上海』文庫本を手にしました。
意識していなかったが、ぼくの『上海』は講談社文芸文庫なのでした。装丁の雰囲気は似ている。∴上述の解説文を認識していなかったからといって、必ずしもぼくの眼力か知力の衰えの証というわけではなかった!
講談社文庫では、横光の息子が父の想い出を、解説を菅野昭正がしたため、最後に「作家案内」と「著書目録」が収められている。岩波文庫より充実しているかも。
菅野の解説(1991年ないしそれ以前に執筆)はさすがで、死ぬ前の芥川が横光に「上海を見て来い」と言ったこと、横光の文に
「芥川龍之介氏は支那へ行くと[ひとは]政治家になると言っている。これには僕も同感である」
というのがあると記しています。横光は39年に上海を再訪して
「ここほど近代という性質の現れている所は、世界には一つもない」
とまで記したということです。
ここから先は菅野の表現ですが、「西洋と東洋の対立と角逐が、もっとも尖鋭にあらわれる問題の場所」、「現代の歴史の大きな波頭に拠点を定めて‥‥魔術的な力を秘めた都市を相手どる小説」。
こうしたイマジネーションの最近の例は、高樹のぶ子の日経連載小説『甘苦上海』でしたね。高樹は、横光の本歌取りを意識していたのでしょうか。
横光も高樹も、非マルクス主義/右寄り/ノンポリということで、ぼくたちの育った進歩的歴史学界では、歯牙にもかけない処遇でした。
上海・天津の会食の場でも断片的に口にしましたし、12月刊の『イギリス史10講』を読んでいただけば明らかなとおり、今さらながら歴史学の転換(の収穫!)を意識しています。
ぼくの先生や先輩たちの大前提にあったマルクス主義講座派は、コミンテルン32年テーゼ、『日本資本主義分析』34年刊に現れたとおり、あまりにもダイレクトな欧米日中心史観≒対義和団出兵国史観でした。それが再生産されていました! あるいはせいぜいそれから一国革命論を人道主義的に希釈化したもの(越智、松浦、今井‥‥、検定教科書)でした。この両方を越えてゆかなければ、イギリス史も歴史学も日本国憲法も展望はないと考えています。
経験主義≒実証主義( → 業績主義)だけでなにかが解決するというのは甘い。
2013年8月10日土曜日
A Passage to India
暑いですね!
今日は風はあっても、それが熱風で、ちょっと『インドへの道』を想わせる。
『イギリス史10講』では、良い映画は積極的につかう(言及してイメージを豊かにしてもらう)、しかし見てダメだった映画は言及しない、とい方針です。たとえば『冬のライオン』は先日のNHKテレビでも再放送していましたが、アンジュ朝、ヘンリ2世、エレナ妃、リチャード獅子心王、ジョン欠地王、そしてあのフィリップ2世について何ページも費やすより、この名画を見てもらうほうがはるかに良い(ロワール川、中世の城、なんたる野蛮な生活‥‥ リヤ王のような親子の葛藤!)。アントニ・ホプキンズの実質的なデヴュー作品ですが、彼にはまた9講、1930年代の『日の名残り』、宥和主義で再登場してもらいます。
9講といえば、もちろんE・M・フォースタ(20世紀ケインブリッジの富裕知識人の代表!)と彼の『インドへの道』には、大いに重要な役割を演じてもらいますが、そのDVDがどこかに雲隠れしていたのです。原作にあったアンビヴァレンスがアイヴォリ映画では、安直に=誤解の余地なく表現されてしまっているという、どこかのコメントに遭遇し、もう一度見直さなくては‥‥と考えていたのですが、見つからなくて。
オフィスと自宅との2日にわたる家捜しをへて、インド的暑さのなかでようやく姿を現しました。
今日は風はあっても、それが熱風で、ちょっと『インドへの道』を想わせる。
『イギリス史10講』では、良い映画は積極的につかう(言及してイメージを豊かにしてもらう)、しかし見てダメだった映画は言及しない、とい方針です。たとえば『冬のライオン』は先日のNHKテレビでも再放送していましたが、アンジュ朝、ヘンリ2世、エレナ妃、リチャード獅子心王、ジョン欠地王、そしてあのフィリップ2世について何ページも費やすより、この名画を見てもらうほうがはるかに良い(ロワール川、中世の城、なんたる野蛮な生活‥‥ リヤ王のような親子の葛藤!)。アントニ・ホプキンズの実質的なデヴュー作品ですが、彼にはまた9講、1930年代の『日の名残り』、宥和主義で再登場してもらいます。
9講といえば、もちろんE・M・フォースタ(20世紀ケインブリッジの富裕知識人の代表!)と彼の『インドへの道』には、大いに重要な役割を演じてもらいますが、そのDVDがどこかに雲隠れしていたのです。原作にあったアンビヴァレンスがアイヴォリ映画では、安直に=誤解の余地なく表現されてしまっているという、どこかのコメントに遭遇し、もう一度見直さなくては‥‥と考えていたのですが、見つからなくて。
オフィスと自宅との2日にわたる家捜しをへて、インド的暑さのなかでようやく姿を現しました。
2013年7月25日木曜日
相良匡俊さん
昨夜おそく帰宅したら、訃報が待っていました。
7月3日に下のようなメールを頂いたばかりだったし、昨夜の会でも「相良さんは元気だ‥‥」と話題にしていましたから、驚きました。法政大学を定年退職後、病魔におかされながら、車椅子で、日々を聡明に、自宅で過ごしておられたのですね。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房)に寄稿された章は一種の哀感を覚える、「読めて良かった」という文章でした、と書いたぼくのメールへの返事として:
------------------------------------------------------------
‥‥この先、どの程度のことができるかわからないけれど、精一杯の仕事をしたいと思う。
ボクが気にしていたのは、政治的行動や社会運動のなかにある行動のパターン、文化でした。
あなたが関心をもっておられたのもそうだったのではないか。そんな風に感じていました。‥‥
残る元気でおもしろい仕事を。
さがらまさとし
------------------------------------------------------------
相良さんとのお付き合いは、1970年代半ばに濃いものがありました。その江戸っ子というのか、シティボーイというのか、独特の雰囲気(文化!)にはアテられ、たいへんに影響を受けました。
パリに行かれる前の本郷でのさまざまの場面、そしてパリからのお手紙、航空便用の薄い便箋に青インクでしたためられたお原稿(一回では終わらず、数回に分けて送られてきました)‥‥、帰国後は『社会運動史』第6号で相良編集長の下、ぼくが柴田さんからいただいた原稿に赤で編集指定など加筆して印刷所に送った、といった場面を懐かしく想い出します。
一種の諦観のようなものを漂わせつつ、しかしできるだけ粋に、生きようとなさっていたのではないか。地方人のぼくとしては、九鬼周造の『「いき」の構造』なんかを読んで感心していたものです。
相良さんは柴田さん、喜安さんとの「接近戦」がいろいろあったようですが、二宮さん、遅塚さんとご一緒の場面はあまり見かけませんでした。 それから、すでに60年代から冗談の種となっていた「木村・相良の共著」は、ついに実現しませんでしたね。残念!
【ちょっと古いが、法政大学にホームページがあることを発見。
→ http://www.geocities.jp/hoseisagara/】
ご冥福をお祈りします。
7月3日に下のようなメールを頂いたばかりだったし、昨夜の会でも「相良さんは元気だ‥‥」と話題にしていましたから、驚きました。法政大学を定年退職後、病魔におかされながら、車椅子で、日々を聡明に、自宅で過ごしておられたのですね。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房)に寄稿された章は一種の哀感を覚える、「読めて良かった」という文章でした、と書いたぼくのメールへの返事として:
------------------------------------------------------------
‥‥この先、どの程度のことができるかわからないけれど、精一杯の仕事をしたいと思う。
ボクが気にしていたのは、政治的行動や社会運動のなかにある行動のパターン、文化でした。
あなたが関心をもっておられたのもそうだったのではないか。そんな風に感じていました。‥‥
残る元気でおもしろい仕事を。
さがらまさとし
------------------------------------------------------------
相良さんとのお付き合いは、1970年代半ばに濃いものがありました。その江戸っ子というのか、シティボーイというのか、独特の雰囲気(文化!)にはアテられ、たいへんに影響を受けました。
パリに行かれる前の本郷でのさまざまの場面、そしてパリからのお手紙、航空便用の薄い便箋に青インクでしたためられたお原稿(一回では終わらず、数回に分けて送られてきました)‥‥、帰国後は『社会運動史』第6号で相良編集長の下、ぼくが柴田さんからいただいた原稿に赤で編集指定など加筆して印刷所に送った、といった場面を懐かしく想い出します。
一種の諦観のようなものを漂わせつつ、しかしできるだけ粋に、生きようとなさっていたのではないか。地方人のぼくとしては、九鬼周造の『「いき」の構造』なんかを読んで感心していたものです。
相良さんは柴田さん、喜安さんとの「接近戦」がいろいろあったようですが、二宮さん、遅塚さんとご一緒の場面はあまり見かけませんでした。 それから、すでに60年代から冗談の種となっていた「木村・相良の共著」は、ついに実現しませんでしたね。残念!
【ちょっと古いが、法政大学にホームページがあることを発見。
→ http://www.geocities.jp/hoseisagara/】
ご冥福をお祈りします。
2013年7月20日土曜日
『10講』
事情を知る方々から、問い合わせと励ましをいただいています。
> ゴールまであと一息に迫っておられるものと楽しみにしています。
> (あるいは、もうテープを切った!というサプライズも?)
いえいえ、サプライズはありません。
『フランス史10講』『ドイツ史10講』への参照を本文中で求めることもありますが、それら既刊書とは一寸違う、タネもシカケもある本です。
たとえば、E・M・フォースタを小説として引用するのか、それとも映画として?
といったレヴェルで悩んだりしつつ、のたりのたりと9講を書き進んでいます。
フォースタともケインズとも異なる非オクスブリジ・エリートである、ウェブ夫妻の「新しい文明 ソ連」への高評価も、しっかり書きこみます。
前評判の 『海のイギリス史』(昭和堂)は頂いて、価値ある出版と受けとめています。ありがとうございます。感謝しますが、ご免なさい、本質的にぼくの『10講』では、第1講から視座として「海は人や文化を隔てるだけでなく、人や文化を結びつける」と宣言して、すでに織り込み済みです。越智先生の『大航海時代叢書』(岩波書店)への評価についても(御編著の場合は、p.309)、本文中で言及しています。
9月後半の上海・天津(旧租界)調査旅行、および
10月の Harvard Conference on Global E.P.Thompson には予定どおり参ります。
> ゴールまであと一息に迫っておられるものと楽しみにしています。
> (あるいは、もうテープを切った!というサプライズも?)
いえいえ、サプライズはありません。
『フランス史10講』『ドイツ史10講』への参照を本文中で求めることもありますが、それら既刊書とは一寸違う、タネもシカケもある本です。
たとえば、E・M・フォースタを小説として引用するのか、それとも映画として?
といったレヴェルで悩んだりしつつ、のたりのたりと9講を書き進んでいます。
フォースタともケインズとも異なる非オクスブリジ・エリートである、ウェブ夫妻の「新しい文明 ソ連」への高評価も、しっかり書きこみます。
前評判の 『海のイギリス史』(昭和堂)は頂いて、価値ある出版と受けとめています。ありがとうございます。感謝しますが、ご免なさい、本質的にぼくの『10講』では、第1講から視座として「海は人や文化を隔てるだけでなく、人や文化を結びつける」と宣言して、すでに織り込み済みです。越智先生の『大航海時代叢書』(岩波書店)への評価についても(御編著の場合は、p.309)、本文中で言及しています。
9月後半の上海・天津(旧租界)調査旅行、および
10月の Harvard Conference on Global E.P.Thompson には予定どおり参ります。
2013年6月30日日曜日
初版刊行後 50周年
E・P・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』の初版がゴランツから刊行されたのは1963年。その後、アメリカ版、ペンギン版と出ましたが、いま出回っているのは、基本的に1968年のペンギン版(or その再版にあたる1980年ゴランツ版)でしょう。68年版はペーパー版であるだけでなく、初版に残っていたフランス語のフレーズなど、ちょっとだけインテリ向けだった表現が、ふつうの英語読者むけに改善され、また68年という時宜をえて、一般学生が競って購入する本になりました。日本でも(今でも)邦訳本より英語版を買った方がはるかに安価ですね。
初版から50年、あらゆる方面からの批判をふまえて、21世紀にどう継承されるのか。
The global E. P. Thompson という催しが企画されています。ぼくにも言いたいことがあり、せっかく声をかけていただいたので、10月3~5日にはハーヴァードでしゃべり交流してこようと思います。案内は、こちら ↓
http://wigh.wcfia.harvard.edu/content/global-ep-thompson-reflections-making-english-working-class-after-fifty-years
じつは Cambridge, MASS に行くのは初めてです!「世界史」の企画としても刺激をうけそう。
トムスンについては、『20世紀の歴史家たち』4(刀水書房、2001)などなどでコメントしました。ご覧ください。
2013年6月28日金曜日
2013年6月10日月曜日
2013年6月1日土曜日
歴史として、記憶として
こんな論文集?集団的記憶集?が出ました。
喜安朗・北原敦・岡本充弘・谷川稔 (編) 『歴史として、記憶として』
(御茶の水書房、2013年5月末刊行)
-『社会運動史』1970~1985- という副題が付いています。
2年前からいろんな会合と連絡がつづきました。70年代半ばに社会運動史研究会の実務を担当していたぼくとしては、この本にやや中途半端に協力しましたが、現時点でこうしたものを編集し公刊する動機/理由にはよく分からないものが残りました。19名の著者たちがそれぞれ勝手放題のことをしたためているのですが、とはいえ、できあがったものをみると、複数の志向性が相互に響きあい、問題も浮かび出て、それなりに意味のある歴史的証言集かな、と思います。
322+19 pp. しかも各ページには21行も詰まっている!
索引が充実していて、これをさぐる人には、いろんなことがゆったりと判明する構成になっています。1970年代を知らない読者には、驚くべき事実も含まれているでしょう(第3部を書いている人びとも、よく理解していない事情がたくさんあります)。
谷川さんからすると、この本は「喜安朗」論集であるだけでなく、「東大西洋史=柴田三千雄」論集でもあるんだな。
ぼく個人としては、諸事情のため、短く生硬な覚書(pp.176-182)となりました。やがて -いますぐにではなく- しっかりと十分に再論することを、お約束します。
喜安朗・北原敦・岡本充弘・谷川稔 (編) 『歴史として、記憶として』
(御茶の水書房、2013年5月末刊行)
-『社会運動史』1970~1985- という副題が付いています。
2年前からいろんな会合と連絡がつづきました。70年代半ばに社会運動史研究会の実務を担当していたぼくとしては、この本にやや中途半端に協力しましたが、現時点でこうしたものを編集し公刊する動機/理由にはよく分からないものが残りました。19名の著者たちがそれぞれ勝手放題のことをしたためているのですが、とはいえ、できあがったものをみると、複数の志向性が相互に響きあい、問題も浮かび出て、それなりに意味のある歴史的証言集かな、と思います。
322+19 pp. しかも各ページには21行も詰まっている!
索引が充実していて、これをさぐる人には、いろんなことがゆったりと判明する構成になっています。1970年代を知らない読者には、驚くべき事実も含まれているでしょう(第3部を書いている人びとも、よく理解していない事情がたくさんあります)。
谷川さんからすると、この本は「喜安朗」論集であるだけでなく、「東大西洋史=柴田三千雄」論集でもあるんだな。
ぼく個人としては、諸事情のため、短く生硬な覚書(pp.176-182)となりました。やがて -いますぐにではなく- しっかりと十分に再論することを、お約束します。
2013年5月30日木曜日
わからないことはドンドン聞く ?
公私ともに多事多端のさなかに、帰宅したらこんなメールが来ていました。
≪私は私立**高等学校に通う三年生の**と申す者です。今私は学習課題で自分の興味のある人物や事件についての論文を書いております。私はエリザベス一世を題材として選びました。今までエリザベス一世についての洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります。
今回メールさせて頂いたのは、西洋史を専門とする先生の培われた知識を教えて頂きたく送らせて頂いた次第に御座います。御多忙の身だとは十分承知しておりますが、以下の質問に出来るだけ返答して頂けたら幸いです。≫
こういう文章は先生が雛形をつくって、生徒が言葉を填めこんで制作しているのだろうか?高校生らしくない文体(「送らせて頂いた次第に御座います」)‥‥もうこれだけで不愉快になる。もっと清楚な日本語を使ってね。
それはさておき、知的な質問のしかたのマナーを、この生徒も先生も知らないようだ。
「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります」というからには、どんな文献を読んだのか、固有名詞を示してほしい。洋書とはいかなるもの? 高校3年なら、著者・研究者名を意識して質問してほしいな。百科事典もおおいに結構です。項目執筆者を意識してね。
1990年代のはじめに東大西洋史で3年生が、「本で読んだんですけど‥‥」と質問してきたので、著者名を尋ねたら答えられなかったので、こっちが驚いたことがある。いまの高校では、著者も書名もなく、「わからないことはドンドン人に聞く」という教育をしているのか。一見積極的に見えても、自分で調べる、読んで考えるということをしないかぎり、結局は伸びませんよ。
以下5か条にわたる質問事項は、「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできました」という人の質問としては、お粗末。言ってしまえば高校世界史定番の質問で、ちょっとした書物を読めばすぐわかるはず。あなたは、現役の研究者の知的関心をそそらないことばかり、質問しています。「御多忙の身だとは十分承知しております」というからには、こちらが乗り気になるような good question を書いてきてね。
というわけで、あなたの質問にはお答えできません。
かわりに、近藤(編)『イギリス史研究入門』(山川出版社)という良書があります。近世については小泉徹さんという方が担当しています。同じ小泉さんは『世界歴史大系 イギリス史』第2巻(山川出版社)でも該当部分を担当されています。あなたの学校の図書館には入っていますか? 信頼に足る答えは、この2冊で十分でしょう。万一図書館にない場合は、希望して入れてもらってくださいね。
【じつは、もう一つぼくを慎重にさせた事情もあります。メール発信人名と質問者名が異なるのです。苗字も違うし、受信メール一覧にみえる From: の氏名がやや色っぽい‥‥。考えすぎだとしたら、ご免なさい。】
≪私は私立**高等学校に通う三年生の**と申す者です。今私は学習課題で自分の興味のある人物や事件についての論文を書いております。私はエリザベス一世を題材として選びました。今までエリザベス一世についての洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります。
今回メールさせて頂いたのは、西洋史を専門とする先生の培われた知識を教えて頂きたく送らせて頂いた次第に御座います。御多忙の身だとは十分承知しておりますが、以下の質問に出来るだけ返答して頂けたら幸いです。≫
こういう文章は先生が雛形をつくって、生徒が言葉を填めこんで制作しているのだろうか?高校生らしくない文体(「送らせて頂いた次第に御座います」)‥‥もうこれだけで不愉快になる。もっと清楚な日本語を使ってね。
それはさておき、知的な質問のしかたのマナーを、この生徒も先生も知らないようだ。
「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります」というからには、どんな文献を読んだのか、固有名詞を示してほしい。洋書とはいかなるもの? 高校3年なら、著者・研究者名を意識して質問してほしいな。百科事典もおおいに結構です。項目執筆者を意識してね。
1990年代のはじめに東大西洋史で3年生が、「本で読んだんですけど‥‥」と質問してきたので、著者名を尋ねたら答えられなかったので、こっちが驚いたことがある。いまの高校では、著者も書名もなく、「わからないことはドンドン人に聞く」という教育をしているのか。一見積極的に見えても、自分で調べる、読んで考えるということをしないかぎり、結局は伸びませんよ。
以下5か条にわたる質問事項は、「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできました」という人の質問としては、お粗末。言ってしまえば高校世界史定番の質問で、ちょっとした書物を読めばすぐわかるはず。あなたは、現役の研究者の知的関心をそそらないことばかり、質問しています。「御多忙の身だとは十分承知しております」というからには、こちらが乗り気になるような good question を書いてきてね。
というわけで、あなたの質問にはお答えできません。
かわりに、近藤(編)『イギリス史研究入門』(山川出版社)という良書があります。近世については小泉徹さんという方が担当しています。同じ小泉さんは『世界歴史大系 イギリス史』第2巻(山川出版社)でも該当部分を担当されています。あなたの学校の図書館には入っていますか? 信頼に足る答えは、この2冊で十分でしょう。万一図書館にない場合は、希望して入れてもらってくださいね。
【じつは、もう一つぼくを慎重にさせた事情もあります。メール発信人名と質問者名が異なるのです。苗字も違うし、受信メール一覧にみえる From: の氏名がやや色っぽい‥‥。考えすぎだとしたら、ご免なさい。】
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