2010年6月16日水曜日

Blackbird singing in the dead of night . . . .

 悠長にマンチェスタのことを書き続けようとしていたら、東京のさる事務方からお叱りのメール。15日午後(JST)までに提出すべき書式があったろう‥‥と。
そのとおり、でもファイルがHDに入ってるから大丈夫、とタカをくくっていたのが間違いのもと。

 想定していたぴったりのdocファイルはHD内になく、関連PDFのほうはいざ開けようとしたらしっかりパスワードがかかっているではないか。しかもそのパスワードはぼくが設定したものではないので、想像力ではこじ開けられない! もう東京は宵の口で当局に尋ねることはできない‥‥。
 火事場の念力で二つの対応策を考えつき(じつは直ちに思いついたのではないので、時差がある)、それぞれ頼りがいのある筋に緊急メールで依頼。答えが返ってくるまでには時間が必要なので、可能な部分について学寮の頼りがいのないプリンタで印刷。これがしかし、テキストも一太郎も印刷してくれないもので、まずはワードかPDFに変えてからUSBメディアをもってPC室に行く。3台のプリンタ(hp)もそれぞれ個性があって、美麗にはゆかない。読んで添削できればよし、と割り切って使うしかなし。
 途中を省略して、どこかの学寮の May Ball の喧噪と花火をやり過ごし、ひたすら作業を進行しているうちに聞こえてきたのが クロウタドリの美声。
http://www.youtube.com/watch?v=CM--r-BTmEo ← こちらは未明の2羽の歌の応酬
http://www.youtube.com/watch?v=997RTKzc39c&feature=fvw  ← こちらは昼間の歌う姿
(雀みたいなチュンチュンも聞こえますが、遠近で競って歌うやりとりを聞いてください。どちらもぼくのではなく public domain の作品です。)

 時計をみると3.38.(日本時間11:38、まだ午前中だ!) 英国はまだ夜明けどころか‥‥とはいえ、窓外の空をみると白み始めているのでした。
 Cambridge Pocket Diary 2009-2010 には毎週(日)の日の出・日没時刻が記してありますが、6月13日は Sun rises 4.38, sets 9.21 とある。つまり日の出ちょうど60分前に鳴き始めたわけです。しかも昼間の歌声よりずっと精力的で、テンポが速く、テクニックのかぎりを尽くしてるかのよう。起き抜けにテリトリをしっかり確定しておかねばならないのでしょう。
 ビートルズの Blackbird singing in the dead of night . . . . は「詩的許容」というか、ありえないことを歌っておもしろがってる歌、などと勝手に思っていましたが、ほんとに眠れない夜の未明に啼き始めて、あぁもう夜明けも近い、と思わせるのですね。
 というわけで、日本時間の正午前に、濃密な内容の4ページのPDFを作成して送付することができました。関係者の方々、そして Clare Hall のクロウタドリくん、ありがとうございます。
【ところで、日本では時刻を12:00と表記し、イギリスでは12.00と表記する慣行です。どこから違ってきたんでしょう?】

 未明・早朝から美麗になき、夕方は名ごり惜しげに andante cantabile で啼きくらす毎日。昼間はどうしてるのかというと、写真のように木もれ日の芝のなかで餌をあさり、あるいは葉桜のなかでサクランボを食ったり、ひたすら栄養補給しているのでした。あの小さな身体で、すばらしいテノールの声量で歌いつづけるには、当然、たいへんなカロリーが必要なのでしょう。
 Blackbird はヨーロッパ全域からインド・オーストラリアに生息し、極東にはいないとのこと。残念です。この小鳥がいると、人は穏やかになります。

2010年6月14日月曜日

John Rylands University Library of Manchester



1980年代にここで仕事をしていたころは独立の民間法人(charity)でしたが、今では上のような名前のマンチェスタ大学総合図書館の稀覯本(& 文書)部。
 John Rylands の生涯については「ジョン・ラィランヅと〈プロテスタントの倫理と資本主義の精神〉」『思想』714号(1983)に書きました。彼の莫大な遺産は「ジェントルマン資本主義論」への反証となる、19世紀マンチェスタ実業資本の力強さを語るものです。未亡人の意志で聖書研究の殿堂が構想され、歴史的な繁華街 Deansgate に Victorian Gothic の大聖堂のような図書館=文書館ができました。開館はちょうど1900年とのことですが、読書デスクに各々電灯というのは、当時最新鋭の設備とのこと。30年ちかく前に来たときは80年余り前の(漱石と同時代の)水洗トイレ、というので感激したものです。そのころと入口は変わって、正面から入れなくなりました。

 John Rylands 本人は質実剛健で、この建築が彼の趣味にあったかどうかは分かりません。すでに設計段階から、彼は故人でした。本人についても未亡人についても、ODNB の執筆者は Farnie さんです。
 なお、マンチェスタの重要で個性的な3つの図書館については、武居良明『産業革命と小経営の終焉』(未来社、1971)に記事がありました。武居先生はまだお元気なのでしょうか?

2010年6月13日日曜日

Manchester: John Rylands Library



 マンチェスタに行って参りました。
 改装なったジョン・ライランヅ図書館(Deansgate)にて「長い18世紀史」セミナー。
Robert Poole, Bill Speck, そして Frank O'Gorman 先生はもとより、Dan Szechi, Tony Claydon もいました。エディンバラから Emma という女性が来て、Harry Dickinson 先生に習った、というのは良いとしても、Hisashi をよく知ってると!! おや。*
Peter Nockles は高教会史の専門家ですが、ふたりとも忘れていて、話しているうちに1995年に大学美術館でランチをともにしながら話をしたことを思い出した。The Church & politics in disaffected Manchester (HR, 2007) も送ってないのでした。済みません。
 ライランヅ図書館の外で写真を、ということになりました。若いのは早々と帰っちゃったし、カメラを構えているのは Tony Claydon. したがって残念ながら彼は写っていません。


 このあとパブへ。そして Mediterranean をうたう食所へ。談論風発、食い過ぎ、飲み過ぎでした。
【* よき友人 Craig Horner が欠席。PhD を取り、妻子もあり、
The Diary of Edmund Harrold, Wigmaker of Manchester 1712-15 (2008)
が長年かけて良い本になったというのに、常勤の職はないのです。翌土曜に彼のパート勤務する People's History Museum に訪ねてゆきましたが、この日は勤務日ではなく残念。現代史の社会史ミュージアムと受けとめました。】

2010年6月7日月曜日

John & Bron



 5日(土)には John & Bron のお宅にお呼ばれ。
 恥ずかしながら今ごろになって Understanding popular violence in the English Revolution (CUP, 1999) を読んで、これはすばらしい本だ、と認識しています。EPT を意識しつつ、越えている。人類学やフランス史を意識しているのもよい。史料論≒研究史をきちんと議論したうえで、いわゆるモラル・エコノミ(生存権=救済権的な立場による歴史的規範の回復)から、right to police (主権者としての意志)への革命的な転換をしっかり議論。Moral economy というタームは、この352ページの本で一箇所のみ使用。ぼくが不満をもっていたidentity politics, 受益者の世界観にとどまることなく、全体への意志をもつ運動へ。
 これがしかし、「イギリス革命」のあと、どのように継承されるのか(18世紀にはモラル・エコノミに先祖返りするのか?)、ロックや 18th-century Commonwealthmen へとイデオロギー的に継承されてアメリカ革命・フランス革命まで冬眠状態なのか。こうした問題は残ります。【Caroline Robbins の議論として、松浦高嶺さんが1973年にすでに萌芽的にしたためていた点に帰ります。あるいは John Brewer, Harry Dickinson の仕事がこれに答えようとしている、と捉えなおせばいいかな。自己慢心に陥らないためにこそ、historiography は大切です。今みてみたら、ODNB は簡明にロビンズ女史の仕事を評価していますね。】

 John & Bron のお二人は、この7月に結婚40年を祝うとのこと。こちとらは1972年の結婚ですから、彼らに2年負けています!
 庭に咲きほこる Tudor roses をその場で花束にして、いいからもって行けと、お土産にしてくださいました。

2010年6月5日土曜日

『伝統都市』


 
 日本のことですが ↓
 企画・編集会議からいったい何年たったのでしょう(この間に首相に就いたのは何人?)。
 編集研究会は楽しく有意義でしたし、まじめに執筆しましたが、それにしても公刊に漕ぎつけるまで年月がかかりすぎました。吉田さん・伊藤さんの「伝統都市」なる概念?の有効性についての疑問は、第4巻「聖俗の結合」(副題は圧殺!)の2ページ目におとなしく述べておきました。一言でいえば、あらゆる都市は伝統をもつし、もし「非伝統都市」という概念が存在しないなら、ただ「都市」と呼んで定義したほうが知的に廉直で、好ましい。

 そういった問題はあるにしても、都市史の諸局面の万華鏡みたいな4巻本が公にされること自体は慶賀すべきことです。皆さん、目次も含めて、東京大学出版会のサイト、あるいは「都市史研究会ニューズレター」64号をご覧ください。

醜いあひるの子たち



 「可愛い、かわい」と啼くカラスは、なぜか「7つの子がある」ことになっていますが、
こちらの醜いあひるちゃんも7つ子です。

「お母さんがもぐって見せるから、ほらよく見てまねするんだよ」と、髪ふり乱し、せっかくの美しく長い首を突っこんでるお母さんですが、子どもたちはあんまり真剣じゃなさそう。このショットではなんとか雛7羽が画面に収まっていますが、すぐ右側にいるお父さんと一緒のショットでは、どうしても子どもがバラバラです。
 親心、子知らず。
 そもそも両親のように真っ白じゃなくてグレイだから醜いだなんて、人間が言ってるだけで、本人たちは自分が可愛いことになんの疑いももってないのでしょう。ほぼ上方から見下ろしている人間数名にも、まったく警戒していません。
 写真に光が不足している(したがって色鮮やかでない)のは夕刻だからです。光線のよい状態の時には、出歩いてるわけではないので‥‥

2010年6月3日木曜日

MoMW (The Making of the Modern World)



 東大の図書館から ↓ のような朗報あり。
【小言コーベイみたいなことを言うと、定冠詞 the を2箇所に付けるのが正しい表記です】
 写真の copyright は Gale-Cengage.
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平成22年度大型コレクションとして選定された
「The Making of Modern World (MOMW) データベース」
(ゴールドスミス・クレス文庫所蔵社会科学系学術図書データベース)
について、正式サービスを開始しましたので、お知らせします。
学習・研究にご活用いただきますよう、よろしくお願いいたします。

◆The Making of Modern World (MOMW) とは
・15世紀半ばから1850年までの経済史・経営史・社会思想史を
 中心とする社会科学関係の書籍61,000点、および同年代に創刊された
 定期刊行物466点を収録し、フルテキスト検索が可能なデータベースです。
・収録資料はロンドン大学ゴールドスミス文庫(Goldsmiths' Library of  
 Economic Literature, University of London)とハーバード大学
 経営大学院クレス文庫(Kress Library of Business and Economics,
 Harvard Business School)の蔵書を原本としており、総ページ数は
 1200万ページにおよびます。

◆アクセスの手順
・http://infotrac.galegroup.com/itweb/unitokyo?db=MOME
 からアクセスしてください。
・学外利用のための「SSL-VPNサービス」については、
 動作確認中で、現在対応できていません。
・同時アクセス制限はありません。

◆お問い合せ先
 総合図書館資料契約係
 zasshi@lib.u-tokyo.ac.jp (@は半角に置き換えてください)
------------------------------------------------------------ (unquote)


 いささか遅まきですが、それにしても、とにかく all's well that ends well.

 MoMW は(最広義の古典経済学 & moral philosophy の成立にかかわる刊行物なら)英語文献に限らないので、キーワード検索するとラテン語はもちろん、フランス語、イタリア語、スペイン語、とヨーロッパ言語世界の同時代的交渉の証をみるようで、そうした点からもすばらしい電子アーカイヴだと思います。内田義彦さんがこれをみたら、感激して落涙したにちがいない。
 NII の共同購入コンソーシアムに東大も加わるという方式のようですが、(他大学からも参加しやすい)一番よい方法でしょう。この件につき、じつは5月に一時、ダメになった、というメールをもらって、驚いたりしました。

 前にも書きましたとおり、ケインブリッジの大学図書館(CUL)は普通は全開架で、また稀覯本・手稿も、電子アーカイヴも含めてすばらしい研究図書館ですが、なんと MoMW のみ持っていません! 社会経済文化史の若手 Craig が嘆いていました。
 EEBO と ECCO があれば足りる、ということではないんです。それぞれ時代の全刊行物の15%程度をカバーしているに過ぎないんですから。結局、「このコレクションを点検すればそれで十分」といったものはまだ存在しません。ケインブリッジ、オクスフォード、BL、マンチェスタと稀覯本を探して歩く旅は終わりません。

2010年6月2日水曜日

兎、うさぎ、何みてはねる

 5月末~6月初めというのに、寒い日がつづきます。5月22~24日あたりに初夏らしい日射しで、こちらが長袖でいるのが恥ずかしくなるような気分でいましたから、その後、ふたたび cloudy with showers, and breezy で16度~18度、といった日がつづくとこたえます。
 そもそもこちらの見通しが甘く、毛のセーターを持ってこなかった。コートも薄いパーカーで、とにかく夏向きの衣装を重ね着することによって凌ぐ、という方針。それがあまりつづくと、頭が痛くなったり、お腹にこたえたり。これではあんまりなので、ついに5月31日に M&S にて春物?のセーターを買いました。品揃いが悪くて、とくに気に入るほどではなかったけれど、濃紺で19.50ポンド。【これだって、ヨーカ堂だったらもうすこし別のデザインがあって、季節はずれだから20~30%引き、もしや半値でさらにキャッシュバックが加わるかもしれない‥‥】
 とはいえ、さすが雨の日も、たいてい夕刻は雨が上がって(dry!)、明るい西空に向かって行くと‥‥

Clare Hall から西は、30年前は畑しかなかったような気がしますが、今では住宅と畑をぬって数理科学部(駒場の数理科学研究科をもっと格好よくして Newton Institute とか名づけてる)。さらに西に行くと Cavendish Laboratory のナノ研究所とか「物作り学部」! とか、まるで発展途上の大学のよう。
 左右の畑や野原で、また研究所の敷地内で、なにやらアチコチに動くもの。リスではなし、ネズミでもなし。どうみても兎です。囲いのなかで養殖? でも、飛び越えたり、あるいはネットの下にトンネルを掘って逃げることは十分できる。

 この疑問は先日のモリル先生に尋ねて、しっかり答えをいただきました。
「彼らは wild rabbits で夕刻になると一杯出てくる。私たちが子どものころ兎媒介の病気が流行り、薬殺したことがある。農村地帯のどこでも兎の屍が重なって、見るに堪えなかった。その後、ふたたび野生の兎が増えて、ケインブリッジの西でも東でもいたるところにいる。今でも私たちの世代は、昔の屍のことが忘れられなくて、兎は食べたくない。」
 というわけで、繁殖力の象徴のような wild rabbits ですが、取る人もあまりなく、囲い地でも解放地でも一杯いるわけでした(30年前には気づかなかった)。

 で、写真を撮ろうにも、どこかでしっかり三脚を構えて30分も待機すればよいものが撮れるのでしょうが、そこまで暇ではない。目の前に何十羽もいても、動きが敏速でそれぞれ別方向に動くし、「二兎を追うもの、一兎をもえず」。
 結局、高画質である程度の広がりの絵を撮って、あとでトリミングをしつつ、結果的に望遠でズームしたような効果をねらうことになります。この絵のなかに草に紛れるように10羽の兎が見えるはずです。光も焦点も不足して、ぼんやりしますが、そこはご容赦。【写真をクリックすると拡大します】

 正しい日本語では兎は「匹」ではなく「羽」で数えるんですよね。こういう約束事が多すぎる言語ではないか。外国人だったら、そう思うでしょう。

2010年6月1日火曜日

Did you know?



 イギリスの司法の末端は、ヴェーバのいう名望家支配の典型=治安判事がしきる四季法廷でになわれ、重罪事犯になると、中央から巡回してくる高裁判事のもとで行われる Assizes が一種、州共同体の祭事のように機能した、と自分でも書いていました(『民のモラル』;『伝統都市』第4巻)。高裁はあっても最高裁はない、or 貴族院の law lords が決裁する、という理解です。
 貴族院は立法府でありながら司法の最高機関でもあり、(アメリカの議会と違って)国家元首が出席するか、欠席の場合も玉杖が Crown in parliament を代表具現する。

 日本やアメリカの、三権分立を厳しく設定した憲法になじんでいると、イギリスの司法と立法の「癒着」は際だちます。法曹のなかでも barrister は弁護士だったり判事だったり、そもそもみんな Inns of court のメンバー。いったいこれでよいのか! と感じていました。
 わが友人の妻は去年まで barrister だったのですが、今年から判事殿です。日本では弁護士と裁判官の人事交流は稀ではないでしょうか。それに日本の判事(判事補)さんは、3年ごとに任地を転勤して(地域インタレストに左右されない裁判をおこなうためだそうです)、たいへんな生活を送っておられますが、イギリスではローカルな勤務が認められ、自宅家族の居住地からあまり遠くない裁判所に通勤する例が多いようです。

 そうした現状に「革新」の大ナタがふられることになったのは、EU人権裁判所からの意向でした。2005年の国制改革法により、2009年10月に貴族院から The Supreme Court of the UK が独立して、12人の判事が構成する司法の最高機関=最高裁が確立したのです。
 ようやく形式的にも三権分立となったわけです。しかも最高裁の場所はウェストミンスタ、議会と修道院の対面、かつての Middlesex Guildhall、すなわち財務省のはす向かい。司法・立法・行政、そして教会が Parliament Square を囲むことになりました。
 ご存じでした? ぼくはほんの数日前に知りました。(あいかわらずスコットランドは刑事裁判の最上級審だけは自国内に堅持するようですね!)

2010年5月29日土曜日

John Morrill


>モリル先生はお元気でいらっしゃるでしょうか。

 という問い合わせがありましたが、今夕、そのモリル先生に呼ばれて夫婦で Coton村のパブレストラン Plough にてご馳走になりました。妻も驚くほど、おいしい料理。
 総選挙・連立政権のことから State Papers Online、そして Harumi と Satoshi のこと、またこれは初めての話題ですが、60年代のマルクス主義・反戦運動(Thompson, Hill)と今とのつながり‥‥録音でもすべきだったというほど密度ある話が続きました。
22歳で結婚した奥様(3年前に亡くなりました)との馴れ初めも。
 修正主義者とマルクス主義 or 労働党左派、というつながりは、日本では全然理解されていないと思われます。オクスフォードは Balliol での先生は Pennington. そしてケインブリッジでは最初は Gareth のセミナーのメンバーでした。これを松浦高嶺先生が聞いたら、びっくりなさるでしょう。日本の修正主義とは、筋がちがいます(「筋がちがう」というのは、高橋進さんが用いた表現でした)。

 今年はサバティカルで執筆に専念。毎日、朝8時から午後2時まで執筆(Ford lectures を含む3冊の本)、あとはいろんな雑務と gardening . . . メールは夜に見るだけ。日本の大学教師は、なかなかこうはできません。

2010年5月26日水曜日

A型・B型



 すこし日を遡りますが、ケインブリッジのあるセミナー後の光景。主賓がパイプを離さないので、パブ(禁煙)のなかに入れず、しかたなく、他にだれひとりスモーカは居ないのに、入れ替わり立ち替わり、外に出て話しました。<写真>

 13日は、アメリカ・イェールから Keith が来て1636年夏のニューカースルのペストについて研究報告(at Christ's)。
 アメリカに行った歴史家に、タイプは二つあるような気がします。A型: Stone, Cannadine, Colley はアメリカの学生・学界を意識して「大きな議論」(アメリカの大学生が「わかった」と思うようなアーギュメント)に比重を移したか、そもそもそういった仕事をしていた。
 Keith の場合は、B型: と言うべきか、イングランドにいたときの文書主義・経験主義のまま、「意味ある細部」と信じるものに拘って、史料の海に淫するか溺れるか。Probate Court records: deposition から「ニューカースルの書士 Raphe Taylor 26歳の個人史が どう時代のコンテクストにはまるか」; personal narrative put in context; to recapture the texture という問題設定で、基本的にだれがどうした、こんな遺言が書かれた、死者の後始末の費用の訴訟がこれだけあった、といった例示が続きます。市当局の記録は19世紀の火事で焼失。
 これだけ大変な疫病の後遺症もあったのに、どうして、この社会的記憶は失われるのか。直後の39年以来の三王国戦争、軍事衝突のインパクトが強すぎて、36年の災禍は市民の記憶から消失してしまったのだ、という話。
何千人もが一挙に死んだあと(市内の死者の多寡には地区による差があきらか)、37年に結婚・再婚ブーム。Raphe も36年に遺言まで書いて覚悟していたのですが、生き残って、この37年に27歳で結婚。1669年まで書士として繁盛します。
 う~ん、個別的にはおもしろい事にさまざま触れて下さるけど(伝染病人介護の問題、遺言状をめぐる訴訟の多さ, etc.)、どうなんでしょう。これでは将来有望な院生の報告みたい。天下の Keith が大西洋を渡って古巣に帰ってきて報告するんだから、もう少しダイナミックな話を聴きたい。

 その翌週、19日は Jeremy Adelman が 'Morality and markets: thinking about Albert Hirschman in the 1970s' と題して報告(at Trinity Hall)。
 こちらは無限におもしろく、思考を刺激された。すでに19日 Whitsun Feast の項にもしたためましたが、Skinner, Waltzer, Geertz, Ginzburug, Sen といった人々への明示的論及があっただけでなく、マキァヴェッリかスミスかヘーゲルかといった、あまりイギリス人がしないスケールの大きい議論をしてくれたからです。ぼく自身がいま考えているテーマにもろに関連するからでもあります。A型の良き展開といえるでしょう。
 Quentin や Gareth をふくむ他の聴衆も、プリンストンとパリで仕事している Adelman の話に、素直に喜んでいた様子。

 なお念のため、上のA型、B型は仮のタイプ論であって、血液型とは無関係です。

2010年5月24日月曜日

Grantchester

 今日(日)は Whitsunday.  28度という予報のとおり、五月晴れ、日本の5月下旬に負けない暑い日となりました。

 自転車で Newnham Croft から川沿いの牧草地に入り、南へ。つまりケム川の川上です。30年前には一家4人で同じコースを自転車で行きましたが、川沿いのたよりない小径は、枯れ草や枯れ枝やトゲのたぐいで一杯で、ついにぼくの自転車のタイヤがパンクし、惨めな気持でとぼとぼ押して帰りました。 今回は西側にきれいに自転車道が舗装されて快適な行程。というより、かなりの人出。そしてみなさん、かなり大胆な露出的装束。今から2カ月ほどが、midsummer なのですから。
 ↑ 写真は、牛と人々のあそぶ牧草地よりケム川を望みます。カヌーがかろうじて見えるでしょうか。【クリックすると拡大します。】


 グランチェスタ村の The Orchard は、20世紀の初め、Bloomsbury group ならぬ(ほとんど人的に重なりますが)Grantchester group の文人の憩う場でした。草光さんの「マイナーポエッツ」(短調の詩人たち)から、J.M. ケインズ、ヴァージニア・ウルフ、E.M. フォースタ‥‥。
あの気むずかしげなヴィトゲンシュタイン先生とラッセル先生が一緒に裸で川遊びをしたとか‥‥。映画「モーリス」の世界。

 短い夏を楽しむイギリス人は平気で陽光のもと昼食を摂りますが、ぼくたちは暑さも紫外線もかなわないので、室内で食べました。こんなぐあい。↓

Professor Speck

 19日(水)夕に遭遇したスペック先生は、執筆のために今週だけ滞在しておられたのでした。
 木曜、金曜と続けて UL tea room にて昼食をご一緒し、Essex でも構想を述べた、今のプロジェクトの話を聴いていただきました。あの顔と声で、おもしろい!と言っていただくと、励まされる。
 ジンクスを述べるなら、『歴史的ヨーロッパの政治社会』p.342 の註15 にも記したとおり、この先生の反応が「マンチェスタ騒擾とジョージ一世」; 'The Manchester disturbances and George I in 1715'; および 'Lost in translation?' を生んだのだから、感謝してもしきれない。(念のため、エディンバラへ行ってディキンスン先生にも聴いていただこうかしら‥‥)
 大学教師って、このように encouraging でなくちゃいけないんだろう、言葉だけでなく顔の表情まで。

2010年5月22日土曜日

総選挙後の新議会

 今日は、政治(politics)よりも国制(constitution)にかかわる、おもしろい場面=議長選出の儀式を、動画で Features に登載しました。ご笑覧あれ。



 総選挙後の議席配分については、↑ 議長(と玉仗と書記)の上方からみた概念図が BBC で示されました。これも有用なので、見ていただきます。議長からみて右手が与党(Con-Lib*)、左手が野党(Lab + others)。Cameron と Clegg のみえる写真も、議長席からみたかのように構成されています。
 ふだんのプレスはこの反対側、末席から撮影することが多いし、歴史的な絵画のたぐいもそうなので、正面に議長、左に政府・与党席、右に野党(& 影の内閣)席となって、紛らわしいですね。

* スコットランドの Rさんからのメールによれば、Con-Lib ではなく Con-Demned Government なんだそうです。Liberal-Democrat の前後どっちに比重がかかっているか、という以前の問題かな。

 そもそも議場は、全議員が出席したら、あふれる構造。18世紀に議事にかかわる有職故実が確立しますが、それはこの建築構造にも規定されています。したがって、1834年の火災後に再建されるにあたっても踏襲されました。なんといっても経験主義の政治文化ですので。Customs in the Commons . . . .

2010年5月20日木曜日

Whitsun feast



 今日19日(水)は、これぞケインブリッジという一日でした。

① 朝7時、blackbird (クロウタドリ) の美しい歌声で目覚め、Cengage からはじつに感謝すべきメール。もともと Chadwyck-Healey はケインブリッジの企業だったといっても、感激雨あられです。なんと、わが CUL は The Making of the Modern World (Goldsmiths-Kress Library) を持っていないのですよ! と書いたら迅速な対応をいただきました。

② 朝のBBCテレビにわが学寮長さん。UKの高等教育についての調査報告書をまとめたというので、テレビのインタヴューはおざなりだが、お疲れさま。

③ 午前から午後にかけて、去年公刊された Jo の最初の単著をようやく落ち着いて読み、自分用の索引を書きこむ。きわめて重厚で議論は明快。生命の長い本であることは、すぐに分かります。亡きお父さんへの謝辞もしっかり刻まれて。
 しかし文献目録をつくらなかったことの弊害のようなことも、見える。学者の最初の単著は、なんといっても大学の校務がきびしくなる45歳より前に著すべき、ということでしょう。ぼく自身の単著も46歳。ちょっと遅かった。彼女のもぼくのも、あと10年早く出るべきだったかな。

④ 夕刻5時から Trinity Hall にてプリンストン/パリから来た Jeremy Adelman の Morality and markets: thinking about Albert Hirschman in the 1970s を聴く。exit, voice, loyalty についての現代経済社会学の割り切った人の話かとおもえば、そうではない。1968年以後の倫理と啓蒙とマキァヴェッリ以降の人文主義(資本主義精神の起源論)、そしてケインズ、ギンズブルグ、ラテンアメリカ政治、そして disengagement with the American economists!‥‥なんて面白いんだ。なんて日本の戦後歴史学(大塚、高橋、丸山、堀米)は狭く自己限定して、発展の余地をみずから刈ってしまったんだ。近代主義=禁欲主義。
(ぼくの周辺で言えば)八木紀一郎、二宮宏之、毛利健三を結ぶ線は、存在しなかった。かろうじてこの三人とお付き合いがあったのは、ぼく一人か。それぞれの人に感謝しつつも、一歩前に出るべきなのかも。
 
⑤ 夜の予定があるので、討論が終了しないうちに自転車に。Trinity Hall の角を曲がったとたんに出くわしたのが、Bill Speck. あんたどうしてケインブリッジに? えっ、しかも Clare Hall? 想像を絶する遭遇。あす1時、ランチをともに、という約束をして先を急ぐ。


⑥ こんどの日曜23日は復活祭の49日後、Whitsunday (Pentecost). 夏の始まりということで、Clare Hall の水曜のディナー(今晩)も特別に Whitsun feast. 予約のうえに男性は black tie というドレスコード。ダークスーツは用意してきたが、黒タイなんて持ってないので、M&S にて出費。ぼくの奥さんは、出発時の混乱で真珠のネックレスとか装身具をみんな置いて来ちゃった(ことに今日になって気づいた!)というので、直前にあれこれ着替えて、どうかしら。いつだかオクスフォードで招待されたときは dinner jacket と二度も念を押され、夫婦で貸衣装を借りたことがあった。今回の案内状を見直すと、そもそも Lounge suit or black tie とある。or なのだった。ガウンもない学寮なので、ちょっと略式でよいことにする。
 7:30の開場時間を過ぎても二人であたふた(日本は背広ですべてを済ませる略式の国だ‥‥)。
 7:35に Hall の手前のラウンジに行くと、ドイツは Goettingen 出身の Peter につかまる。幸か不幸かゲティンゲン大学はハノーファ公国でジョージ1世、2世が投資したケインブリッジ大学図書館の兄弟的存在なのです。ひとしきり話は盛り上がったが、学寮の割り振った席割りでは、Peter 夫妻とぼくたちとはテーブルの対角線的位置。
 8:00のドラでそちらに移動。普段より良い料理。というか、ワインは白が Sancerre, 赤は Haut Medoc, デザートに 1988年のポルト、ということでいつもとは水準が違います。
 ディナー後のコーヒーと懇談では、昨夜お話をうかがった James C から、畳みかけるように、戦後日本の政界トップに CIA からどれだけ現金が渡っていたか、という話。悲しいけど、しっかり弁えておくべき事実。
 酔っぱらって、これを書いています。

2010年5月18日火曜日

日時計



 どうしてイギリス人はこんなに日時計が好きなんだろう、と前々から不思議でした。
 Dry とは(関東地方の冬のような)乾燥でなく、「雨が降っていない状態」つまり曇りのことを言い、毎日毎日、天気予報は sunny spells with scattered showers と言ってれば当たる、という国です。オクスブリッジのすべての学寮に備わっている日時計は、なんの役にたつのでしょう。

 今日、わが Clare Hall の煉瓦の家と芝生とちょっとした木や花が連なる、こぢんまりしたgarden を散策して、こんな庭がわが集合住宅にもあると最高! と思った最後に、blackbird (日本語でクロウタドリって言うんですね!) に導かれて日時計に遭遇。
 写真のとおり5時前を指していますが、いまは夏時間なので、じつは6時前。めずらしく快晴の im wunderschoenen Monat Mai, 花ひらき鳥うたう中で、小さき日時計にはこういう碑が刻んでありました。S方角の ∴ から文章が始まります。時計の反対回りに読んでください。
   Let others tell of storms and showers ・
   I'll only count your sunny hours
 ふふふ。
 日時計の真実を淡々と語りつつ、昔あるパブで見つけた
'A friend in need is a bloody nuisance'
といった正直な人間心理も、上品に伝える。How witty!

 日時計って、時を伝えるためじゃなくて、一人歩くひと、語りあう二人に、真実=心理を突きつけて局面を展開させるための碑文として、設けられていたのか。【かつては必ずのようにラテン語、今ではたいてい英語です。こちらはラテン語リテラシの問題でしょうね。】 つまり一人か二人で歩くのが好きなイギリス人には、晴れでも曇りでも、日時計の碑文が memento として必要なのでした。

2010年5月17日月曜日

Ash cloud


 Features という(定常的)写真ページも設けましたので、よろしく。

 アイスランド噴煙については、ひところの ash plume という表現から、元の ash cloud に戻っているようです。cloud は日常語、plume は専門語ということでしょうか。
 6月下旬に一時帰国するつもりで予定を組んでいますが、まさか再び、噴煙に翻弄されるの?

2010年5月12日水曜日

Cameron, new PM

今日午後、ブラウンが宮殿に参上して辞表を提出。今夕、女王がキャメロンを宮殿に呼んで組閣を要請。
今晩中に連立内閣をつくる、という算段です。
1997年の総選挙ではエキサイトしましたが、今回はどうも‥‥。
保守党がいまや本質的に English party で、スコットランド・ウェールズでは全然議席をとれないことに変わりはないので、連合王国のこれからを考えると、保守・自民連立は、どうだろう、この国を分裂させる方向に向かうかもしれない。
労働党と自民党の連立の場合は(数の問題で)SNP, WNP も連立に加わることが明らかでしたから、昨夜から今日の昼過ぎまでは、かなりの期待感がたかまっていたのですが‥‥。
それから自民党が強く要求している比例代表制への動きが(レファレンダムしだいで)具体化すると、二大政党制の制度的前提が崩れることになるのではないか。
‥‥とかいった interesting な諸問題を考える暇もなく、今はエセクス大学のペーパーに集中です。

いろいろと待っていてくださる皆さま、済みません。

2010年5月10日月曜日

総選挙の結果


開票結果はこのとおり。James Raven (LD-オレンジ色) は次点で惜しくも敗戦。
これまでは保(blue)・労(red)の下でつねに3位だったのだから、LD(自由民主党)の勢いがこの保守の地盤にも押し寄せていることになります。

どの選挙区でも2万~3万くらいの得票で楽勝しています。
連合王国の人口(赤ん坊も含めて)6000万で庶民院議員は620余なのだから、議員一人あたりの人口は10万に満たない。日本よりはるかに「代表的」な議会。総選挙のたびに人口に比例するよう再調整しているので、選挙区による「一票の重さ/軽さ」の差が問題になることはありません。
18世紀には、議員一人あたりの人口は平均すると1万人前後でしたが、ご存じのとおり、選挙区(バラ)によって人口ばかりか有権者の資格も違ってバラバラでした。

それにしても、レイヴン候補の落選により、12日(水)のエセクス大学の催しは予定どおり開催。
ペーパーはまだ半分しかできていない‥‥。
先方では こんなポスター が掲示されているらしい。ぼくではなく EPT がメインなんだな‥‥。

<このブログにPDFは登載できないようです。せっかくの図柄なきまま文字情報だけで>
【→ 追伸:Features にようやく載せることができました。】

Professor Kazuhiko Kondo (University of Tokyo)
‘The moral economy of E. P. Thompson retried in digital archives’

Wednesday 12 May 4.30 pm Room 5N.7.23
ADMISSION FREE ALL WELCOME

2010年5月7日金曜日

CUL




 ぼくがこれまで利用した図書館のうち、一番合理的で気に入っているのが Cambridge University Library.
 特定の書物や手稿史料、学位論文については Bodleian や British Library、ときに Chetham や Manchester Central Library に行くしかないのですが、落ち着いて、自由な発想でしっかり研究しようというときには CUL ではないでしょうか。なにしろ開架で、貸し出しもするし、また写真のような slip を本に挟み込んで署名することによって、任意の机で「ここはわたしのコーナー、この本はいじるな」と宣言することができる。
 この朱色のスリップ(縦 17cm)は、じつに30年前から変わってない!(左下の [19] というのは無かったかな)
 ケインブリッジを出て今はロンドン大学教授である Julian が言っていました。史料調査はあらゆる文書館、図書館に出かけて遂行するとしても、本の執筆の最終段階、校正時には CUL がなければ仕事にならない、と。ときどき(少なくとも数年に一度は)この参考室(Reading Room)に帰ってきて、高い木造の天井と窓からみえる空を眺めつつ、自分の研究の意味を再考し、人生の priority を練り直すことをしないと、知的 integrity を保てない気がする‥‥。
 東大の総合図書館団地と似て、それを大規模にしたようなもので、外からみるとほとんど長方形の敷地に8層の建物がつらなります。正面の塔は日本の国会議事堂と似た設計。戦間期の建築思想のコスモポリタニズムに思いいたります。(それにしても東大の総合図書館が、じつは「図書館団地」の4分Ⅰさえも占めていないというのは恥ずかしい事実です。教育学部も * * 研もすべて追い出して、同じ敷地に地下10階、地上10階の全館図書館・文書館・研究センターを再建すべきです。)

 そうそう、出発が10日間狂ったので、いったん荷に入れたものを再度出して仕事したりしたものだから、必携のものをいくつか日本に置いてきてしまった。『民のモラル』もその一つ。なぜか『文明の表象 英国』や『江戸とロンドン』、Workhouse issue, Town & county directories... などは、持参しなくてもこのCULに所蔵しているのですが。『民のモラル』は無い‥‥
 どうするか。5月12日まで、もうあと1週間ないとなれば、頭の中にあるものを信じて議論する以外にありません。