2023年7月25日火曜日
『思想』・『歴史学研究』・『図書』
先にも書きましたとおり『思想』7月号は「カーと『歴史とは何か』」をめぐる充実した特集号でしたが、8月号はなんと <特集 見田宗介/真木悠介> なのですね!
見田さんは駒場のまぶしいほどの先生でしたし、その後も社会学の学生たちを実存レヴェルで揺さぶっていた先生です。60年代には父親=見田石介がだれしも知るマルクス主義の学者で、父といかに距離を保つか、どこに自分のアイデンティティがあるか、を考え続けていたのでしょう。8月号、未見ですが、楽しみにしています。 http://kondohistorian.blogspot.com/2022/04/19372022.html でも私見をしたためました。
そうこうするうちに昨朝『歴史学研究』のための初校を終えました。9月号(No. 1039)で、
〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して
というタイトルです。じつは昨年8月に書き始めてすでに9月には8割方できあがっていました。どう締めるかで迷っているうちに、『図書』の連載で月々の〆切に(心理的に)追われるようになって、しばらく冬眠・春眠していた原稿です。 4月から中学の同期会とか、高校の同期生のやっている「千葉県生涯大学校」の講演とかに出かけて、旧友たちと懇談して気持も整いました。無理なく「締める」ことができたと思います。
というわけで、本当の順番は、この『歴史学研究』9月号が先で、『思想』7月号は後なのです。「思想の言葉」をご覧になって、ちょっと飛躍があると受けとめた方々には、申し訳ありません。9月に『歴史学研究』をご覧になっていただくと、無理なく接続するかと愚考します。いずれにしても、『歴史学研究』編集長とスタッフにはたいへんご心配をかけました。
なお『図書』の連載はまだまだ続きます。
第11回(7月号)ウェジウッド「女史」。 これは自分では良く書けたのかどうか分からないところが残ります。
第12回(8月号)はマクミラン社の兄弟。 こちらは自画自賛ながら、調べて書いた成果が実感できます。カーの出版についても、マクミラン社およびマクミラン首相についても、「そうだったのか!」と納得していただけるのではないでしょうか。連載のうちでも会心の回の一つです。この2回連続して、セクシュアリティが通奏低音になります。
熱心に読んでくださる読者、とくに現役の方々からいただく反応はなによりのご褒美です。ありがとうございます。
2023年6月30日金曜日
カルガモ母子と『思想』7月号
ご覧のとおり浅い池なので、お母さんの脚は床に着いて、ほとんど歩いています。
先日到来した『思想』第1191号(7月号)は、特集として出色の号かもしれません。
カーその人、著書『歴史とは何か』とその日本における/中国における受容、20世紀史におけるカーの所説の意味(の転換)、そして清水幾太郎訳(1962)と近藤の新版(2022)をめぐって、等々、なかなかの壮観です。各論考から大いに学べます。
なおまた、「思想の言葉」についてはウェブの「たねをまく」に公開していただいて、早々と感想を寄せてくれる方もあり、有難いことです(縦組の文章を横組に開示しているので、漢数字がやや煩わしいですが)。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306
ただし、最後の数行前に、脱落があります。
二〇世紀を生きた自由主義者社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人の告白でもあった。
↓
二〇世紀を生きた自由主義者--社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人--の告白でもあった。
とダーシを2箇所補ってください。たった今、再見しましたら、直っています。担当者の方、有難うございました!
ただし同じ号のなかで唯一、「カー『歴史とは何か』と〈言語論的転回〉以後の歴史学--近藤和彦の新訳をめぐって--」に限って、大きな違和感があります。清水旧訳を名訳とするかどうかは、拙文でも述べた「年長の先生方」の懇談(p.2)を想起して「あの年長の先生方のお仲間」を相手にしているのか、と認識を改めました。その旺盛なお仕事を何十年も前から読み、学んで、遠くから尊敬し羨望してきた方の文章なので、かなり困惑しています。
「もう一工夫欲しかった」「誤訳ではないか」「疑問点」「‥‥するべきではなかったか」と指摘されている箇所は、ほとんど誤解と無理解によるものと思われます。いずれザハリッヒに学問的にコメントしたいと考えています。ただ今、身辺が多事多端ですので。
2023年6月4日日曜日
『図書』という月刊誌
6月号(第10回)では「A・J・P・テイラとトレヴァ=ローパ」という、ちょっと問題的な20世紀の歴史家二人について立ち入っています。それは、第1にE・H・カーが『歴史とは何か』で彼らの言を効果的に引用しているからですが、また第2に20世紀のオクスフォードの学者たちの小宇宙を - スノッブのようにあがめ憧れるのでなく - 具体的にイメージングしておくことも必要、と考えたからでした。次(7月号)の「ウェジウッド「女史」」へとつながります。
同じ6月号には、桜井英治さん、大石和欣さん、池田嘉郎さんといった面々も書いていらして、前からの「日本書物史ノート」「東京美術学校物語 西洋と日本の出会いと葛藤」といった連載とあいまって、なかなかの読み物です。
さらには、今号から「西洋社会を学ぶ意味」というタイトルで、前田健太郎さんの「政治学を読み、日本を知る」という連載も始まったのに気付きました。これからが期待されます。しかも、この記事はウェブで読めるのですね。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7252
そういえば、ぼくの連載「『歴史とは何か』の人びと」の第1回目(昨年9月号)も、ウェブに公開されているのでした。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
便利です。 岩波書店の英断だと思います。
2023年6月3日土曜日
〈リフォーム〉ほどではないけれど
いくら間遠とはいえ、このところブログ登載が月一どころか、5月は無、となってしまいました。ただただ日夜のこと & 原稿〆切に追われて(!)というわけではなく、それなりの進展はあります。
じつは現在の集合住宅に入居して、この春でちょうど20年。同居人の構成も変化したうえ、いろいろなモノが貯まり堆積して、自宅がまるで考古学遺跡のようになってしまいそう、と心配してくれた娘の提言で(準備のメールとZoom会議をへて)、4月から夏まで数次に分けて、部屋の使いかたを多少とも転換中です。
×まずは大きく重すぎて邪魔、処分さえ困難だった「大電動椅子」と古いソファ
×多数のプラ=ケースに収納されていた古着、過去の遺物
これらを整理/破棄処分しました。そして、これからの生活のために前を向いて、
・誰の物、家族のコモンズ・常用といったゾーンを明確化し、
・開かずのスペースになってしまっていた北側ベランダへの出入りができるように、
・各部屋の用途を再考し、老後の介護のためにも寝室と「納戸」とを交換しました。
こうしたことを実現するためには、じつは本人たちだけの手には余り、複数の屈強の男性が必要でした。娘がそうした「ゴミ屋さん」(!)という名の業者を捜しあて、日時を決めて動いてくれたので、なんとかなったのでした。久方ぶりに床のフローリングがしっかり見えるのは、感動的です!
(とはいえ、ぼくの書斎、図書・ファイルにかかわることについては、さすがの娘も関与を諦め/謝絶し、お父さんが自分で考えてやって、と引導を渡されました!)
5月の連休の後、3人で収納ラック一式を組み立てて、新しく 納戸スペース を構築して、すっきりしました。
なおさらに「大仕事」なのは、台所スペース です。(先週に訪問した千葉高校時代の友人の邸宅では、全体がすばらしいのですが、とりわけ外光もたっぷり入る広いキッチンには感激しました!)いまや言葉で納得してもなかなか動き出せない我々老夫婦にとって、子世代に背中を押してもらって、業者との相談会に向かい、ようやく実現に向かいます。
2023年4月30日日曜日
April
とはいえ、ただただ天候と日夜のことに追われて、というわけではなく、それなりの成果はあるのですが、そのことはまた後日に。
じつは4月の前半にはいろいろありましたが、23日(日)夜から妻が腰が痛いと言いだし、翌日からは声が出ず、咳が続き、発熱しました。すわ、コロナの初期症状?と警戒しましたが、そうではなく「ひどい風邪」ということらしく、水分たっぷり、睡眠もたっぷり、小食ながら栄養バランスには留意、という方針で凌ぎました。
ほぼ24時間遅れでぼくもまた同じ症状で、身体の節々も痛く、咳で苦しみましたが、連続してたっぷり睡眠したのは効果的だったと思われます。この週末から、短時間ながら住宅の周囲を歩いています。かろうじて『図書』連載の6月号分(A J P テイラとトレヴァ=ローパ)の初校を終えていたのは、不幸中の幸いでした。
名古屋の学会大会のための新幹線および宿の予約も、ようやく済ませましたよ!
2023年3月31日金曜日
ハナカイドウ
花便りとともに、四季の移ろいは早い。昨日は母の一周忌でした。写真はご近所のハナカイドウ(海棠)。
要介護の家族と生活し、またオンライン会議や『図書』の連載のことなど考えていると、2月・3月もあっという間に過ぎました。
「『歴史とは何か』の人びと」という連載列伝は、毎回それなりに気を入れて書けています。わがままな著者に合わせて、いろいろと工面してくださる編集スタッフのお陰です。ときに思ってもいなかった方が読んでくださっていると知れると、とても嬉しいです。
3月号は「フランス革命史とG・ルフェーヴル」
4月号は「バーリンとドイチャ、論敵と友人」‥‥ここまで既刊。
5月号は「『パースト&プレズント』の歴史家たち」
を書きました。
時代と政治と学問だけでなく、親との関係、夫婦のこと、老いの生き様など、さらに書き込むべきことがらは多い。列伝ですので、書きすすむに連れて、互いの同時代的な関係が浮き彫りになってくるのは愉快です。まずは骨組をしっかり書いておかないといけません。
2023年2月4日土曜日
『みすず』誌
2日ほど前に『みすず』no.722 (1・2月合併号) が到着。恒例の「読書アンケート特集」です。これは百数十名の執筆者の読書嗜好とともにその個性、そして現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています。今世紀に入ってからは書き手に加えていただいたので、年末年始の慌ただしい折とはいえ、何をどう書くか、何日か悩むのも楽しい。
今号の場合は pp.98-99 に
・R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』〈ちくま学芸文庫, 2022〉
・David Caute, Isaac and Isaiah: The Covert Punishment of a Cold War Heretic (Yale U.P., 2013)
・G. ルフェーヴル『1789年 - フランス革命序論』(岩波文庫, 1998)
・Oxford Dictionary of National Biography (Online, 2004- )
・S. トッド『蛇と梯子 - イギリスの社会的流動性神話』 (みすず書房, 2022)
の5つをめぐって、ちょっとしたためました。すべて E. H. カーおよび『歴史とは何か 新版』、そして『図書』の連載(『歴史とは何か』の人びと)に、なんらかの側面で関係することばかりです。
同じ『みすず』では、川口喬一さんという英文学者が、『歴史とは何か』拙訳および T.イーグルトンにおける(笑)をめぐって鋭く指摘しておられます。『新版』の訳文および挿入の[笑]について、ここまで的確に受けとめ、評してくださった方は、他になかったような気がします。
「‥‥訳者がおそらく多く意を注いだのは、オックスブリッジでの講演者独特のポッシュ・アクセント(あえて言えば息づかい)の翻訳であったろうと思われる。‥‥当然のことながら(笑)のタイミングは難しい。笑いはしばしば講演者と聴衆との共犯関係、前提の共有によって成立するからだ。カーの立論もまた聴衆との知の共犯関係を前提にして展開されている。共感と逸脱のスリル。」pp.8-9.
そして段をかえて、イーグルトンの講演をめぐって続きます。「‥‥アメリカではしばしば観客を爆笑(笑)させているのに、エディンバラでは、間を置いて待ってもイーグルトンの期待した(笑)が起こらず、講演者が「つまんねぇ客だ」と呟く場面も見える。‥‥この場合、文化の場における共犯関係がすれ違っているのだ。」p.9. 以上の引用文では( )もママ。
川口さんは、1932年生まれとのこと。だとすると二宮、遅塚と同い年で、今、(誕生日前なら)90歳ということでしょうか? 上に引用したより前の段では、鹿島さんの『神田神保町書肆街考』をめぐって、川口さんが北海道から東京に進学してより、池袋・茗荷谷・本郷・神保町をむすぶ都電を愛用して通ったという神保町書肆街のこと、そして戦後の洋書事情が語られています。p.8. この都電は、ぼくが大学に入学したときにはまだありましたが、本郷に進学した68年には無くなっていました。
ところで、この知的で愉快な月刊誌『みすず』が8月で休刊とのこと!? 驚きです。残念です。ただし、この「読書アンケート号は、なんらかの形で継続する予定です」とのこと。p.109. 恒例の楽しみです。どんな形でも継続してほしい!
2023年1月29日日曜日
年末年始のこと:2
27日の帰途、すでに日没直後でした。運河にかかる橋は軽く太鼓橋になっていて、視線の先、南西の空には明るい三日月! 穏やかな気持で、あぁこのところ月を見上げるということもなかった、そもそも新月前後だったから‥‥、と想いがたゆたう時に、
いきなり後方からドヤしてきたのが、自転車に乗った中年男でした。「橋の真ん中でうろうろすんじゃない」。そしてぼくの顔を見て、さらに絡んできた!
そもそもぼくは(一休さんではないので、橋の真ん中ではなく)橋のアーチの頂点だが右端の、歩道の中ほどを歩いたり止まったりしていたわけだから、自転車の男のほうが遠慮しながら走行すべきなのですよ! でもこの類のアラフォーと口論しても何もいいことはないので、どう遣り過ごすかを第一に考えて対処し、結局、どつくのをやめた彼が次の信号で左折するところまで、しっかり目視しました(以後、再会しないように)。
このアラフォー君も、きっとなにか彼なりの問題と課題をかかえて、心に余裕がなかったのでしょう。夕焼け空や「冬の大三角」などを見上げて想いをただよわせると、すこし気分も変わるでしょうにね。
2023年1月28日土曜日
年末年始のこと:1
月刊『図書』の連載「『歴史とは何か』の人びと」* はアタフタしながらも、なんとか続けています。毎回、たっぷり勉強して(積ん読だけだった本もすみやかに読破して)新しい発見もあり、「楽しくて為になる」連載です。
* 9月:トリニティ学寮のE・H・カー → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
10月:謎のアクトン。11月:ホウィグ史家トレヴェリアン。12月:アイデンティティを渇望したネイミア。1月:トインビーと国際問題研究所。2月:R・H・トーニと社会経済史。3月:フランス革命史とルフェーヴル。‥‥
ところが、旧臘19日に2月号(トーニと社会経済史)の原稿を仕上げ、ホッとしたとたんに、翌20日未明に事故発生。
トイレにゆこうとした妻が体の向きを変えようとして、尻もちをつきうめきました。段差も障害物もないのですが、布団がはみ出ていたかもしれません。痛がっていましたが、すごい転倒というわけでもなく(事が深刻とは想像もしなかった)、明るくなるまで待ってもらい、タクシーで、なじみのカイロプラティークに行きました。しかし、これは外科に診てもらわねばならないということで、救急車に頼りました。
【救急車はあまり待たずに来て車内に収容されましたが、時節柄、空いている病院を探し当てて車が動き始めるまで、3人の隊員が電話をしまくって、82分もかかりました! 病院まで、別に渋滞していたわけではないが、28分。計110分。医療逼迫の現実を身をもって認識しました。】結局、かなり遠い、初めての病院に到着。検査の結果、股関節の大腿骨頸部骨折でした。
70歳以上の(ときには還暦以後の)女性によくある大怪我ということで、そういえば、6月に△さん、前年に◇先生と、先例を指折り数えることができます! 「段差のない所で、何につまずいたということでなく、ふわっと転んだ。強い打撲というわけでもないのに骨折した」といった話を他人事として聞いたばかりでした。
医師には、骨折部分に金属ボルトを入れる手術が必要、術後のリハビリを含めて3週間の入院、と告げられました。
ただちに入院手続をとって、想い出したのは、2010年にケインブリッジで知り合ったX夫人からうかがった話です。- 彼女は交通事故で入院し、手術は成功しても半身不随になると予告されたので、それなら、と入院中に医師・看護師が見ていない時にできるだけ四肢を動かし(最初はベッド内で、後には起き出して)、この自発的運動によって、みごとに今のとおり完全恢復した、とおっしゃるのでした。このエピソードを想い出して、二人で話題にしました。
2022年12月15日木曜日
冬の星空
ちょうど(夜の12時以前ですと)東から南東にかけて「冬の大三角」が望める時期です。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2021/12/blog-post.html (去年も書きました)
しかも今は夜空で一番明るく赤い火星(Mars)が、「大三角」とオリオン座の上方で惑い往来しています。https://www.astroarts.co.jp/special/2022mars/index-j.shtml
ちなみに惑星について『歴史とは何か 新版』p.170 が言及したのは、歴史における偶発性、不運、無知を論じる文脈でした。
2022年12月14日水曜日
チャールズ3世の即位と立憲君主制
エリザベス二世の国葬儀の朝(9月19日)に『朝日新聞』に載った「二人のエリザベス」を見た編集者が依頼してきたものですから、おお急ぎで、研究者にとっては既知のことを述べたにすぎません: pp.133-142.しかし、一般には常識・通念にはなっていない大事なこと、共有すべき知識というのは、少なくない。
エリザベス二世の死、チャールズ新王の即位(5月に戴冠式)という代替わりに、国のかたち、権力のしくみが明示的に集約的に現れます。それは日本における1989年、2019年にも同様でした。歴史学や国家学の研究者を刺激してくれる良い機会です。
ちょうど個人的にも『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)、「天皇像の歴史を考える:コメント」『史学雑誌』、『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店)といった共同研究の成果をふまえて、十分に述べることができたと思います。いわゆるアウトリーチです。 → https://websekai.iwanami.co.jp/
なお『世界』のこの号は、特集ではなくても加藤陽子さん、橋本伸也さん、藤原帰一さんなどなど、関係しないではない記事がいくつもあり、楽しめます。「アメリカの憂鬱」という up-to-date な特集もあります。
2022年12月2日金曜日
毎日新聞 夕刊〈特集ワイド〉
個人的には、先月に毎日新聞社であった取材をもとに、今日の夕刊に〈特集ワイド〉の記事が載っています。オンラインと紙媒体の記事の異同は、まだ確認していません。引用されている発言はぼくのものですが、それをもとにあくまで福田記者が構成した文章です。
予想していたよりもぼくの顔写真が大きいのと、タイトル「この国はどこへ これだけは言いたい 歴史を顧みる姿勢大事 E・H・カー新訳 近藤和彦さん 75歳」には、ビックリしました。老人が世の中から消えてゆく前に「これだけは言っておかねば‥‥」と遺言しているかのような雰囲気?
でも(家人に、ぼくの顔ってこんなもんだ、と言われて)もう一度落ち着いて読み直すと、まぁたしかにカー先生や『歴史とは何か 新版』のことばかりでなく、こんな話もしたな、ということを、有能な記者さんが上手に誘導して上手にまとめてくれているのかもしれない。
→ https://mainichi.jp/articles/20221202/dde/012/040/005000c
皆さんが読むと、どう受けとめられるのでしょうか。
2022年11月27日日曜日
Great outline & significant detail
『図書』に連載しています列伝「『歴史とは何か』の人びと」の第4回(12月号)は「アイデンティティを渇望したネイミア」というタイトルです。ルイス・ネイミアについては、むかし『英国をみる - 歴史と社会』(リブロポート、1991)で「ネイミアの生涯と歴史学 - デラシネのイギリス史」という小文を書きましたが、今はE・H・カーおよび20世紀前半の知識人の世界でネイミアという人物をとらえなおそうとしています。
一方では「ユダヤ人でありながらユダヤ教徒でなく、ポーランド生まれでありながらポーランド人でなく、地主でありながら土地を相続せず、結婚しながら妻は不在」とされる不幸なネイミアですが、他方でカーは、かれこそ「第一次世界大戦後の学問の世界に登場した最大のイギリス人歴史家」という賛辞をささげます(『歴史とは何か 新版』p.55)。この不思議な「‥‥粗野で態度が大きく‥‥2時間でも自説を弁じ続け」る男の学問は、カーの緻密な実証主義の手本でもあったわけです - この点は溪内謙さんも十分な理解は及ばなかったかな? またネイミアはアーノルド・トインビーともA・J・P・テイラとも(ひとときは)親しく交わった。そして、むしろ彼の死後に勢いをもつ修正史学の先鞭をつけたようなところがあります。
学問とはすべて本質的には(アリストテレス以来の定説の)修正であり、長い註だ、という観点に立つと、ネイミアはまさしくそうした revisionism という学問の王道を行った人ということになります。だからこそ(一見正反対にみえる)E・P・トムスンも、あのリンダ・コリも、ネイミアの名言:「歴史学で大事なのは、大きな輪郭と意味ある細部だ」には脱帽するしかないわけですね。
これは、オクスフォード・ベイリオル学寮で、トインビーとの座談のうちに出てきたセンテンスらしいですが。
‥‥ある樹木が何であるか調べるのに、枝が何本あって何メートルあるか計測してみても何にもならない。樹影全体の形を見きわめ、樹皮を見、葉脈の形状を調べるべきなのである。それをしないまま泥沼のようなどうでもいい叙述にはまることだけは、避けなければならない。
秋の快晴の空を背景に屹立するみごとな欅を見上げつつ、想い出しました。(枝も葉もなんとなく右に傾いているのは、右が南だから‥‥)
2022年11月5日土曜日
大きな問いを取り戻す
第1に、「大きな問いを取り戻す」なんて、当たり前でしょ、ということ。レンガをいくら集めても建物(家屋)にはならない。レンガの集積より以上のことをしなければ家は建たない、というのはE・H・カーもアーノルド・トインビーも言っていたことです。
たとえば、『歴史とは何か 新版』p.18 では「‥‥微に入り細をうがつ専門研究が、ますます小さなことについてますます膨大な知識をもつ歴史家候補生たちによって、巨大な山のように積みあげられ、事実の大海に跡形もなく沈んでいます。」
同じく pp.11, 276 では「大工の棟梁」architect、そのわざ architectonic という語を用いて、学問的構想力の必要を論じていました。
また、ぼくたちの先生の世代からは、若い院生のゼミ報告のあと、まず最初に「そんな(チャチな)ことをやっていて、どこがおもしろいんだ?」といった対質を受けるケースを、しばしば見てきました。つまり、戦中戦後を知っている学者たちの強い問題意識/意志が若い世代に共有されなくなった1970年前後からの、長い齟齬の時代。その齟齬が、ハードアカデミズムや journal-driven researches という形でバイパスされているとしたら、空虚な時代ですね。
第2には、そもそも京都大学学術出版会の誕生にかかわる、八木俊樹さんを想い出すからです。京都大学学術出版会の本を手にした人は、なぜこの publisher は「京都大学出版会」でなく、わざわざ「学術」と名乗っているか、ご存知ですか?
すでに1970年代には京都大学を中心に University Press を立ち上げようという話は動いていて、さまざまの交渉が交錯したようですが、そのなかに(当時まだ社会思想社にいた)八木俊樹さんがいました。そしてこの社会思想社と八木さんは、他ならぬ「社会運動史研究会」にも関与していたので、ぼくたちも東京で、京都で、八木さんの人柄に触れる機会があったわけです。『歴史として、記憶として:「社会運動史」1970~1985』(御茶の水書房、2013)の巻末索引および略年表;そして彼の遺著『逆説の對位法(ディアレクティーク) 八木俊樹全文集』(2003)を参照してください。
「社会運動史研究会」が1970年代のもろもろの尖鋭性と発達不全の限界を持ちあわせていたことは、『歴史として、記憶として』からも容易にうかがえると思います。そのなかで八木さんは、研究者のチンマリした「小業績」には関心なし、でした。こわい御意見番でした。
2022年11月4日金曜日
西洋史学の出版の今とこれから
個人的経験として、一著者が幸運にも有能な編集者・出版人と知りあって、一緒に仕事する過程でいろいろな助言を得て、学習し、ゆっくり育つということはあったでしょう。【ヴェテラン編集者の場合は、逆方向のヤリトリで学習をくりかえしつつ、逞しく育つのでしょう。】しかし、今回のように4種の出版について、それぞれ編集者=著者間の良き友情もうかがわせつつ、経験と教訓が公共的に語られたのは稀有なことです。若い研究者には未知の世界を垣間見た思いでしょう。
感動のあまり、一人の胸に収めることあたわず、以下、順不同で感想を述べます。
・佐藤公美さんは(他の問題とともに)何語で書くかという論点を呈示され、これはまじめな外国史研究者の悩んできた問題です。もうすこし(別の機会にでも?)語り合い、深めるべきかと思いました。
また専門論文は、著書という形でなくとも、専門誌や論集への寄稿という形での publication があるわけで - そのほうが読まれる機会も相対的に多かったりして -、ガチの専門書出版は、助成金なしには難しいですね。とはいえ、佐藤さんの報告は多岐にわたりましたが、「文体」の指摘も含めて、もっとも深く考えられた感動的なものでした。心ゆさぶるものがありました。
・白水社の糟屋さんが、出版サイドの判断として、厚い本だからといって困るとは限らない、むしろ薄くて苦労することもある、とは眼から鱗でした! コスト計算が合理的に成り立ち、内実のともなう本でさえあれば、良心的な出版社は OK してくれるのですね。内実しだいというのは、心強い。
・金澤周作さんも言われたとおり、一般学生(あるいは積極的な高校生)にとって新書は学問(考えること)への良き道案内です。岩波書店の飯田さんの巧みな表現によれば「観光案内」なのですから、ぜひ実力ある執筆者にはまじめに/本気で取り組んでほしいと思います。じつは一般学生や読者だけでなく、他分野の専門家にとっても、岩波新書は最初に頼れる導師、信頼できる博識な「観光ガイド」なのです。
ただし、たとえば柴田三千雄は中公新書と岩波新書を書いたけれど、二宮宏之は書かなかったというように、向き不向き/ときどきの巡り合わせはあるでしょう。それにまた、新書ばかり量産している方は、あまり近くに居てほしい人ではありません‥‥。
ポイントはむしろ新書かどうかよりも、低価格の(今日では2000円未満くらい?)、しかも目に止まりやすい出版が、ひろく知的に飢えた若者向けに必要なのだと思います。小山哲・藤原辰史『中学生から知りたいウクライナのこと』の場合は、迅速な公刊という点でも、特別な賞賛と推奨に値する出版でした。
・井上浩一さんと江川温さんのやりとりから展開して、討論されたとおり、翻訳および新書の苦労と成果についても、しっかり踏みこんだ、批判的な書評がぜひ必要というのは、大賛成です。
・最後の松本涼さんがアウトリーチ、「協働」について具体例を紹介してくれました。ぼくにはちょっと別世界の感がありますが、それぞれの世代、それぞれの感性にたいするアプローチは必要でしょうね。ただしぼく自身が関われるのは、せいぜいブログまでです!
感激のあまりの、妄言多謝です!
2022年9月18日日曜日
エリザベス女王からチャールズ王へ
https://digital.asahi.com/articles/ASQ9J6581Q9HUCVL044.html
で拙稿が公開されました。印刷版では、女王の葬儀(文字どおりの国葬です)の19日(月)朝刊に載るはずのものですが、ウェブでは半日早く公開されるのですね。
他の識者・先生方とはちょっとちがう議論をしています。『イギリス史10講』も『歴史とは何か 新版』も『王のいる共和政 ジャコバン再考』も著している者として、短いスペースながら言うべきことは言いました。
ウェブですとカラー写真で、かつ「紙媒体では所定のスペースから溢れ出てしまい、ボツになったチャリティ法についてのパラグラフ」が甦りました! ここにこそ、ウェブ版のメリットあり、ということですが、しかし、これでは紙離れ、ウェブ志向が、ますます進行してしまいます! ちょっと心配。
『歴史とは何か』の人びと(1)
『歴史とは何か 新版』に関連して、月刊の『図書』に連載を始めました。 「『歴史とは何か』の人びと」第1回は「トリニティ学寮のE・H・カー」です。9月号(通巻885号)、こんな具合で、毎回計6ぺージです。↓
紙幅もあり、あまり立ち入っては書けませんが、それでも『歴史とは何か 新版』の訳註や補註には書ききれない、それなりに意味あることを述べてゆきたいと目論んでいます。岩波書店の『図書』誌は、『みすず』や『未来』、そして今は消えてしまった『創文』とならんで、むかしは大学生協書籍部に、自由に持っていってくださいって具合に置いてありました。定期購入する場合も、たしか1部10円、年間100円といった「第三種郵便」の郵料だけ負担で、「安い!」と感動したものでした。今も、見てみると定価102円、1年分まとめて購入すると1000円(送料共)ですから、やはり安いと言えますね。
大学図書館、公共図書館にもかならず置いています。
いま気付きましたが、岩波書店の WEBマガジン「たねをまく」にこの第1回の全文が載っています。こちらにはハイパーリンクも張ってあるので、便利! → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
2022年9月17日土曜日
9月25日 『歴史とは何か』を再読する
→ https://kondohistorian.blogspot.com/2022/08/wine911.html
多数の皆さんの参加をえて、なにより池田喜郎さんのコメントが力強く、司会=中澤さんのリードとあいまって印象的でした。
ロシア文学・ソ連研究の方面から、ぼくには言えない評言があるだろう、とは予測していましたが、それ以上に(遅塚忠躬に先行する)1940年、53年の林健太郎による仕事の評価があって、これには脱帽です。
さて、これとは全然別に企画された催しとして、史学会例会「E・H・カー『歴史とは何か』を再読する」があります。
案内は、こちら → http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
9月25日(日)午後2:30~、ハイブリッド式で実施とのこと。
司会 勝田俊輔
報告
1.成田龍一(日本女子大学名誉教授)
2.加藤陽子(東京大学)
3.小山哲 (京都大学)
4.吉澤誠一郎(東京大学)
レスポンデント 近藤和彦(東京大学名誉教授)
11日WINEの催しではぼくのほうから語り出すことができましたが、25日はむしろ「俎上の鯉」で、こちらは身を清めて臨むしかありません。
無料で公開ですが、事前申込制(9月20日受付締め切り)です。
申込フォームは、こちら → https://forms.gle/Adc9VFAWf1EeBReT8
2022年9月9日金曜日
The Queen is dead
ヨーロッパの君主として例のとおり、間髪を入れず、
The Queen is dead. Long live the King!
と宣告されたのでしょう。
新王「チャールズ3世」とは、ジャコバイトの呪われた歴史がありますが‥‥
イギリス史をやっていますから、いろいろと考えます。
今の時点では、立憲君主制あるいは「国のかたち」について、どこかに書いてみたいという気持になっています。
かつて書いたもののうち、映画「クイーン」(2006)評、また中澤編『王のいる共和政』(岩波書店, 2022)にも関係します。
2022年9月8日木曜日
トラス ではなく トラス
逆に大学時代の労働党 → 自由民主党から保守党へと鞍替えし、EU堅持派から離脱派へと転換した(ようするに時流に乗るポピュリスト)flaky Liz(ハスっぱリズ)のトラスは、議員投票では2位止まりだったのに、一般党員の支持を集めました。理屈や合理性を問わない、したがって政策的有効性もわからない即効性のスローガンで勝利する、ジョンスン前首相と同じ手法です。
- Liz Truss の発音ですがトラスでなく、信頼の trust から t の足りないまま s を重ねた Truss ですからトラスです。Trustworthy ではなく、Truss unworthy です。
ちなみにトラスのことを日本のマスコミは「サッチャ元首相を尊敬し「鉄の女2.0」とも呼ばれる」などと一知半解のことを言っています。これは2重の意味で失礼な話です。第1に Iron Lady は「鉄の女」ではなく「鉄の淑女」です。ゴルバチョフが名付けたと言われますが、「女」と見下しているのでなく「レイディ」と一定の敬意を表していました。
第2にサッチャは父も夫も保守党員で、父にも夫にも愛され、メソディスト(カトリック嫌い)で、ハイエク、フリードマンを勉強した筋金入りの Conservative & Unionist でした。トラスははるかに浮気で、上に書いたように党を左から右へ渡ったポピュリストであるばかりでなく、夫婦関係についてもサッチャ夫妻とは大違いです。
いずれにしても Brexit の撤回、ヨーロッパ統合への(ベネルックス主導でない)イニシアティヴの回復がないと、連合王国(UK)の将来は暗い。北アイルランドの通商問題は全然解決していません。スコットランドの分離独立も行程表に上ってくるでしょう。しかも、たとえ次の総選挙で労働党政権になったとしてもEUへの復帰に舵を切れるかどうか。<左のグラフは『日経』より引用>
このままでは、われわれが知っている(幕末明治以来の)「英国」は、あと10年くらいのうちに解体してしまう運命でしょうか。イングランド人は、小さく「寄り添い、互いに平明な日常英語で語りあいつつ、「外の諸国や諸大陸はおかしな言動をするものだから、わが文明の恵みからも運からも孤立してしまったのだ」とかつぶやいているのです。」カー『歴史とは何か 新版』p.255 - これが61年前の連続講演の終わりに近い一句だとは、にわかに信じがたいほど、今に当てはまります。











