(承前)
大庭さんおよび折原ゼミということで、トレルチの名が出ました。また、かつて戦後史学で大いに議論された「ルネサンスか宗教改革か」といった問題についても一言。
ちなみに『岩波講座 世界歴史』16巻(1999)p.16 でぼくは、
‥‥「ハイデルベルク大学の神学教授トレルチはこういう。「‥‥ルネサンスは結局、生成しつつある絶対主義と抱き合うにいたり、この絶対主義国家の理論の建設をたすけ、その王権と宮廷の後光となる。ルネサンスはまた再建されたカトリック教会と抱き合い、総じて反宗教改革の文化としてはじめて、その世界史的影響はあらゆるものに浸透するにいたる。」
要するに[トレルチによれば]「ルネサンスは社会学的には完全に非生産的なのである。」ルネサンスの目標とした人間は、‥‥、プロテスタンティズムが育成した職業人と専門人の正反対であった、と力強い。」
としたためました。同時にその20行ほどあとでは、
「‥‥[じつは]「反宗教改革」も「絶対主義」も近世的現象そのものだととらえなおすなら、トレルチの見解は党派的にさえみえる。非ヨーロッパとの関係を含めて時代の構造を考えるなら、なおさらである。」(p.17)と記しています。
刊行後まもなく、これを読んだある人が、近藤は両論併記しているだけでどっちつかずだ、自分の見解はどこにあるのかと批評してくれたのには驚きました。自分のレトリックは通じない、とようやく自覚したのです。このとき1999年のぼくにとって、トレルチはプロイセン的・ハイデルベルク的な反カトリックのイデオロークであることは[折原ゼミでも東大西洋史でも知られていたとおり]読者にも共有されているはずで、その(福音主義的)偏見をこれだけ自己満足的に語っているのがおもしろくて、引用したのですが‥‥。こんなにもはっきり呈示された≒力強い偏見、と。
しかし、99%の学生がウェーバーもトレルチも(もしかしたら岩波文庫も)読んでいない時代に、気取ってレトリックを弄してもナンセンス。むしろ素直な学生たちにもストレートにわかる文章を、という心構えは、ただの読者サーヴィスというのではない。より積極的に自分自身の思考を simple & clear に表現する、結局なにを言いたいのか、自他ともに誤解なく明らかにするために必要な心構えなのだ、と自覚したのは、まだしばらく後のことでした。
そもそも近代の契機は「ルネサンスか宗教改革か」といった問題設定じたいに、無理があったのです。
センテンスをできるだけ短く、論を明晰に、といったことは、欧文をいわゆる「逐語訳」≒後ろから「正確に」訳して満足するのでなく、むしろ可能なかぎり構文の順に -著者の頭に語・フレーズが浮かんだ順に- 訳すという心がけに通じます。欧語 → 日本語という翻訳だけでなく、日本語 → 欧語という翻訳、そして(ぼくの場合は)英語での発言、討論の経験を重ねるにつれて、これは実際的な知恵でもあり、枢要な姿勢にもなります。
こうした、ことば(と文法)への繊細な感覚は、大庭さんからも、また後に続く尊敬に値するあらゆる学者からも学んだことでした。
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