靖国神社の小堀宮司が「問題発言」の責任をとって辞職、との読売オンラインのニュース、さらには『週刊ポスト』の記事もウェブで読みました。
小堀宮司はもしや確信犯で、今上天皇と皇后への批判、文明的に教育された皇太子への不満を公言して、警世・憂国の士として辞するというおつもりかもしれない。だが、そもそも靖国神社の存在理由は危うい。あの西郷どんは逆賊だから祀られていないし、とくに1978年にはひそかにA級戦犯が合祀され、それが知られてからは、昭和天皇も参拝しなくなりました。常識ある人なら当然です。
日本国を絶望的な戦争に引きづりこんだだけでなく、とくに東京・大阪などほとんどの都市の空襲、沖縄戦があっても止めようとしなかった - 広島・長崎でようやく目が覚めた - 愚鈍な責任者たち(の英霊?)に向かって、静かに頭を垂れて参拝せよというのは、ありえない。
今回の問題発言は、靖国神社の将来をめぐっての「教学研究委員会」において、他の議題のあと、合祀やそれについての昭和天皇の不快の表明(富田メモ)に関連した出席者の発言があって、これにたいして洩らされたむしろ攻撃的で、戦略的な発言らしい。要するに、神社側としては、
「平成の御代のうちに天皇陛下にご参拝をいただくことは、私たち靖国神社からすると悲願なのです。小堀宮司は、“平成の御代に一度も御親拝がなかったらこの神社はどうするんだ”と口にしていました。そうして宮内庁に対し、宮司自らが伺って御親拝の御請願を行なうための交渉を内々にしているのですが、まだ実現の目処は立っていない」(『週刊ポスト』)
そうしたことを真面目に考えているのなら、なにより靖国神社が、自己正当化と欺瞞でなく、内外に向かって静謐で敬虔な気持にさせる場となりえているかどうか、ゆっくり反省する必要があるのではないだろうか。
むしろ天皇皇后両陛下は「公務」として、そうしたことを実現されてきた。まことに尊敬すべき方々、国民統合の象徴だと思います。
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