今日(3日)は早稲田のWINE シンポジウムで「帝政期ドイツの国民形成・国家形成・ナショナリズム」が催されました。1871年のドイツ帝国成立から150年、ということで、要するに現時点で、ドイツ近現代史の何がどう問題か、という討論会でした。
https://www.waseda.jp/inst/cro/news/2021/05/06/5771/
報告は西山さん、小原さん、
コメントは篠原さん、森田さんでした。
https://mobile.twitter.com/winewaseda/status/1398826161564647427
いくつも大事な論点が指摘されましたが、ぼく個人としては、
1) deutscher Sonderweg の訳として「特有の道」ではなく「特別の道」「特殊な道」とすべしということ(おそらくドイツ史研究者にとっては既に前々からの合意点)とともに、
2) ドイツ国民史の枠内だけで考えるのでなく、外との関係、またビスマルクをカヴール、ルイ・ナポレオン、ディズレーリ、(さらには伊藤博文、大久保利通‥‥)のような同時代人との連続性で捉えるべき、という小原さんには十分に賛成できます。西山さんの場合は、おそらく似たことを contingency という語で表現されていました。
じつはイギリス史でもかつてイングランド(人)の特殊性(peculiarities of the English)といった議論がされたまま、あまり発展しませんでした。 ぼくの場合は、ペリ・アンダスンの近現代史のとらえ方に関連して、こう言ったことがあります。
「その論理はこうである。西欧(≒フランス)史の理念型が想定され、その理念型に照らして自国史に欠けているもの/遅れている要素をさがす。日本やドイツにおける「特有の道」論にも似た、自国史批判の急進版劣等複合(コンプレックス)である。グラムシのヘゲモニー論を用いて、独自の世界観をもたず貴族の価値観に拝跪する俗物ブルジョワ、そして利益還元にしか関心のない組合労働者が批判される。
なぜこうなったのか。それは、イギリスの17世紀以降、近現代史を通じて「本当の市民革命」がなかったからだという。あたかも日本近代史についての大塚久雄、丸山眞男の口吻さえ想わせるほどである。」『イギリス史10講』pp.289-290.[ただし13刷にて、すこし修文改良]
アンダスンも、大塚も丸山も、あくまで国内の諸要素(の編成)に絞って議論し、同時代の外との関係を有機的に議論しようとはしなかったのです。国内の市民社会の充実、民主主義の成熟を一番に考えていたから!? そのためにこそ、同時代を広くみるしかないのに。30年代の講座派の成果(山田盛太郎の「過程と構造」!)に絡め取られた日本の歴史学と社会科学、ヨーロッパの場合は学問の雄=歴史学における系譜的発想の拘束性。
1970年代からぼくたちは、こうした祖父の世代の成果=殻=拘束衣からゆっくりと脱皮し、ようやく発見の学、分析の学としての歴史学を参加観察し、また具体的に担ってきたのだろうか。
Public history ないし森田コメントにかかわって指摘されたとおり、新しいメディアの出現・蔓延にたいしては、ぼくたちの積極的参加・関与、同時にすでにある史資料をしっかり読み、既存のテクノロジを最大限に活用するというのが、参加者たちのコンセンサスでしょうか。先の歴史学研究会の「デジタル史料とパブリック・ヒストリー」はアイルランドにおけるうまく機能している企画の紹介でした。↓
https://kondohistorian.blogspot.com/2021/06/blog-post_22.html
今日の早稲田のシンポジウムはドイツ近現代史やナショナリズム研究を共通の場として、司会の中澤さんも含めて、ほとんど同じ世代の気心も知れた研究者たちだったから(?)、議論が噛みあい、補強しあうシンポジウムとなりました。
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