2019年7月24日水曜日

ジョンソン政権 !?


ボリス・ジョンソンおよび選挙の顔として彼を立てる保守党議員たちは、戦後スエズ危機(1956)にいたる保守党チャーチル、イーデンに似て、ほとんど天動説に近い自己満足の世界観・歴史観にもとづいて、EUの軛(くびき)から解放されてイギリスの主権を回復すれば、あとはなんとかなる(We will do it!)と公言しています。'can do' の精神だそうです。

その驕慢は、石原慎太郎に似ていなくもない。慎太郎は東京都知事に終わって今は存在感がないけれど、慎太郎よりはるかに若いボリスの場合は、ハッタリと右翼的(かつ本音の)発言によって、反知性的な有権者の心をつかみ、ロンドン市長 → 外務大臣 → 保守党党首といった階梯を上ってきました。

イギリスの産業もインフラも(日本やドイツに比べて)驚くべく劣悪なのに、イギリスの経済社会がなんとかやってきたのは、金融・情報・学問(高等教育)が様になっているおかげ。しかし、それはEUメンバーであり、ヨーロッパの中心の一つだから成り立っていたわけです。
予測される hard Brexit では、まもなくヨーロッパ人材も消え、ヨーロッパの情報ネットワークも失い、関税障壁ですべてが滞ってしまい、(人文主義、ユダヤ・ユグノー=ディアスポラ以来の)ヨーロッパ枢軸=青いバナナのすべてのメリットを自ら切って捨てるのです。こんな愚かなことはサッチャ首相さえしなかった/できなかった。
cf.『イギリス史10講』p.75; 『近世ヨーロッパ』p.30

アメリカ合衆国との特別のつながりがあるさ、と(チャーチルとともに)うそぶくかもしれない。アメリカの舎弟としてかしづく覚悟なんだろうか。あたかも安倍政権における「日米同盟」と似て、取り戻すとされていた、いわゆる「主権」はどうなるんでしょう? 

こうしたボリス・ジョンソンの政権は、実行力も交渉力もないので、じつは短命だとしても、彼を選んだ保守党、そしてイングランドの自己満足有権者 ⇔ 左翼主義の労働党(ブレア・ブラウン時代とは決別)の対立構図からなるイギリス(連合王国)の政治文化の先行きは暗い。

2019年7月23日火曜日

英国の混迷

ついにイギリス保守党はボリス・ジョンソンを党首に選びました。
BBCによれば、勝利宣言につづいて、
He vows to "deliver Brexit, unite the country and defeat Jeremy Corbyn"
ということで、
Several senior Conservative figures have already refused to serve under him.

こんなにも下品で分断的で顕示欲=権力欲むきだしのポピュリスト政治家が一時的にでもイギリス首相の座につくなんて! すでに現メイ政権の大臣たちの(期日前の)辞任声明がつづいていますが、一種の政治危機に陥るのだろうか。

BBCの伝えるSNP(スコットランド国民党)のブラックフォードの発言によれば:
He [Blackford] says he is "much more confident than I've ever been" to stop a no-deal Brexit. He urges Parliamentarians "across the chamber to recognise the damage" that a no deal can do. "We are at an impasse. Boris is not going to be able to fix this," he warns.

保守党のこうした「戯れ」を許している一つの根拠として、野党労働党首コービンの左翼主義が無力だ、という事実があります。サッチャ政権(1979-1990)があれほど長かった一つの根拠にも、当時の労働党の無為無力がありました。ブレアの New Labour はいずこへ? このようにイラク戦争におけるブッシュ政権とブレア首相の「心中」は、今にいたるまで深い傷を残しています。

2019年7月17日水曜日

折原先生とヴェーバー


レイシストではないかと抗議する記者に向かって、例のトランプ大統領が "Silence!" と繰りかえす場面がNHKテレビでも放映されました。
"Shut up!" ほど下品ではない(!)とはいえ、公人が公共の場で使う言葉ではありません。せいぜい "Please be quiet." かあるいは "No. I'm not following you./I don't agree with you." までが許容範囲かな。

ぼくがしばらく沈黙していたのは、トランプに威嚇されたからではなく、この数週間、公私のさまざまなことが続いて、その対応に追われていただけのことです。

さて、13日(土)には東洋大学にて折原先生を囲む会合があり、三部編成でたっぷり4時間話し合い、その後も懇親会が続きましたが、半ば同窓会に近い感じもありました。残念ながらもうこの世にいない人も。
なお、出席者・発言者の年次というか世代の違いが第一部と第二部という形で顕在化するような気配がちょっとみえたので、第三部のおわりに挙手して、次のようなことを言おうとしました(即興でうまく言えなかったので、ここで補います)。

折原先生はヴェーバー『宗教社会学論集』第I巻(1920)の序言、最初の段落、とりわけその
der Sohn der modernen europäischen Kulturwelt
という表現の意味について、1968-9年以後でなく以前から慎重に解読してくださっていました。ぼくの仮訳ですと、
「近代ヨーロッパの文化世界の子が、普遍史[世界史]的な諸問題をあつかうにあたって、次のように問いかけるのは不可避にしてまた正当であろう:すなわち、いかなる事情の連鎖によってまさしく西洋という地において、ここにおいてのみ - 少なくともわたしたちがそう表象したがるように wie wenigstens wir uns gern vorstellen - 普遍的な意味と有効性をもつ方向に発展する文化現象が出現することになったのか、という問いかけである。」GAzRS, I, S.1.

1段落1センテンス、息の長い緊密なヴェーバーの文体です。これはときにヴェーバーによる近代ヨーロッパ、その普遍性の全面的な正当視、むしろその信仰告白と受けとめられることもありました。しかし、
「近代ヨーロッパの文化世界の子(der Sohn)」というからには、父と息子の単純でない関係(継承・反抗・独立)が暗示されています(ここまでは13日第二部の三苫さんも指摘)。さらに「少なくともわたしたちがそう表象したがるように」といった挿入句には、はるかに自己意識的なニュアンスに富む比較文明史的なマニフェストが込められている、と読みとれます。第一次世界大戦が終わり、(インフルエンザで急死する前の)56歳、脂の乗りきった著者が大冊論集3巻本の劈頭にかかげる序言の、最初の段落です。
この挿入句は、ヴェーバーが近代ヨーロッパ文化世界の普遍性を自明の前提とはしていないばかりか、その(中近世からの)歴史的形成をみようとしている証、と理解することができるのではないか。ヴェーバーをみる際にも、折原先生をみる際にも、第一部と第二部に通じる、連続性にこそ注目したい、と考えて、発言しました。
(早くは『岩波講座 世界歴史』第16巻(1999)の「近世ヨーロッパ」pp.3-4 でわずかながら論じました。)

会合を準備してくださったみなさんにお礼を込めて。

2019年6月30日日曜日

'Moral economy' and E P Thompson


よく分かっている人たちから、こんな反応をいただき、素直に喜んでいます。
'Moral economy' retried in digital archives.
自負と不安との相半ばするぺーパーだったものですから。
みなさんが EPT と呼んでいるのは、もちろん Edward P. Thompson (1924-1993)のことです。

MJB
It was very good to hear from you, and many thanks for sending me your essay on Thompson. Its doubly-interesting to me: I am trying to get funding for a research project on the politics of bread from 1300-1815, part of which is about linguistic shifts, and your material is really helpful; and I am also beginning work on a biography of Christopher Hill, so your thoughts about this intellectual milieu are also very stimulating. I didn’t think it was disrespectful or damaging to EPT at all - I am sure he would have been interested in this material, and keen to use it to think about his case.


PJC
Thank you for your splendid bibliometric investigation into the concept of Moral Economy, which has just reached me. It's a very useful as well as insightful study. I am sure that the late EPT would himself have welcomed it. His conclusions might have differed from yours. (As we all know, he quite enjoyed differing from everybody at some stage or other in his intellectual career).

But I am sure that EPT would be delighted that you have found some key eighteenth-century examples ('I told you so', he would have triumphed) and he would appreciate the care with which you have dissected shades of meaning in the term's application. Well done.

I am currently writing something on styles of digi-research and I intend to quote this essay as a good example of a productive outcome.


JSM
So good to hear from you and to receive the offprint of your essay on EPT and moral economy. As you know I have made fruitful use of word search on EEBO and BBIH to help me understand the emerging historiography of the seventeenth century and I was very excited by Phil Withington's work on the term 'early modern' and keywords within the early modern.

So I needed no persuading that you had a sound idea and I think you used the technique with real flair to get a real deepening of the great breakthrough that 'Making' represented. I like the way you demonstrate the tensions within the 18th/early C19th usage and suspect EPT would have relieved by what you have found! It helps me because I use Scott's sense of moral economy in my own work on the Irish depositions of 1641, seeking to distinguish the moral economy of the eye-witness testimony with the moral economy of the hearsay. I will be better informed in how I use the terms going forward.


2019年6月25日火曜日

ゼラニウムとペラルゴニウム


 ベランダで気になるもう一つの花がこれで、どうも日本語のサイトでは分かりにくい。
RHS 【Royal Horticultural Society[英国園芸学会], なんとこちらのほうが Royal Historical Society より創立は早く、したがって後者は略称を R. Hist. S. としなければならないのでした!】のサイトで探してみると、
https://www.rhsplants.co.uk/search/_/search.pelargonium/sort.0/
このとおり、下と同じく Pelargonium (ペラゴーニアム)なのでした。なんとヴァラエティのある花なんだ! 南アフリカ原産。
【学会サイトなのに通販価格も明記されているのが、イギリス的です!】

 きれいで育てやすい5弁の花としての共通性もあり、英語の世界でもいわゆるゼラニウム(ジレイニアム
https://www.rhsplants.co.uk/search/_/search.geranium/sort.0/
とよく混同されているとのことで、素人向けに ↓ のような区別がしたためられています。
https://www.rhs.org.uk/plants/popular/pelargonium
Did you know?  Common names can cause mix ups. ‘Geranium’ is the name most people use when talking about Pelargonium. But Geranium is actually a different plant genus, so to help avoid confusion some refer to Geranium as ‘hardy geraniums’, and Pelargonium as ‘tender geraniums’.

 さらに詳しい説明は ↓ 別の団体サイトですが、
https://geraniumguide.com/difference-between-geraniums-and-pelargoniums/
 なんと18世紀、リンネの命名からまもなく論議は始まったとのこと!

2019年6月8日土曜日

可憐な花


 ベランダが南と北にありますが、わが書斎は北向きで、夏の朝以外は日の当たらないベランダ(ポーチ)で、手入れらしいことをしなかった鉢の植物から、細い茎がまっすぐ伸びて、先にツボミを付け、開花しました、いくつも。 
 可憐なピンクの花房が日に日に増えて、今は花房が10も。日持ちします。しらべると、geranium (フクロソウ)のうちの pelargonium(テンジクアオイ)属ということで、ふつう花屋さんで「ゼラニウム」と呼んでいる、あれですね。
 何年も(十年以上も?)前に頂いた鉢を海外に出ている間にダメにしたのに、捨てずに水をやっていたら、快復して元気に花を咲かせるようになったわけです。目をかけて、ほんのちょっと土を耕し、枯葉やゴミを取り除き、といったことをしていると、植物も意気を感じて(炭酸ガスを吸収して)生育するのだろうか。人と同じかな?

2019年6月4日火曜日

ジャコバン・シンポジウム反芻


 5月19日西洋史学会大会小シンポジウム〈向う岸のジャコバン〉と、26日歴研大会の合同部会〈主権国家 Part 2〉における討論は、人的にも内容的にも連続し重なるところが多いものでした。文章化するまですこし余裕があるので、メール交信にも刺激されながら、反芻し考えています。とりあえず3点くらいに整理すると:

1.Res publica/republic/commonwealth にあたる日本語の問題
 これは古代由来の「公共善を実現すべき政体」ですが、politeia でもあり、「政治共同体」「政治社会」とも訳せますね。 cf.『長い18世紀のイギリス その政治社会』(山川出版社)pp.7-11 でも初歩的な議論を始めていました。
岩波文庫でアリストテレス『政治学』と訳されている古典は、ギリシア語で Ta Politika, ラテン語版タイトルは De Republica です。その訳者・山本光雄は訳者注1で、本書のタイトルにつき「もともと「国に関することども」というぐらいの意味で‥‥むしろ『国家学』とする方が当っているかも知れない」(岩波文庫、p.383)としたためています。また巻末の「解説」では同じ趣意ながら、「字義通りにとれば、「ポリスに関することども」という意味になるかと思う」(p.443)と言いなおしている。
 宗教戦争中に刊行されたボダンの De République は『国家論』と訳され、共和政下に刊行されたホッブズ『リヴァイアサン』の副題は「聖俗の Commonwealth の素材・形態・力」でした。それぞれ「あるべき国のかたち」を求めての秩序論でした。
これが、しかし、ジャコバン言説(を結果的に生んだ18世紀第4四半期)あたりから「君主政を否定した政治共同体」=「王のいない共和政」を主張する republicanism の登場により、19世紀にはこちらが優勢となり、福澤諭吉の『西洋事情』(1867)では、「レポブリック」が即(モナルキアリストカラシと並び区別された)デモクラシの意味で紹介されるに至るわけです。
 とはいえ、共和政・共和国という表現は、今にいたるまで(自称・他称のいずれも)ある種の「理想的な政治共同体」「当為の公共善(へ向かうもの)」を指して、使われるようです。フランス共和国も、朝鮮人民共和国も、主観的には理想郷(をめざす運動体)なのですね! ここで共和主義と祖国 patrie への愛がポジティヴに語られるのが、おもしろい。何故?

 かねてから中澤さんの指摘なさる「王のいる共和政」については、中東欧だけの問題ではなく、イングランドの研究史でも Patrick Collinson (ケインブリッジの近代史欽定講座教授、Q.スキナの前任者) による The monarchical republic of Queen Elizabeth I (1987) という覚醒的な論文があり、さらにその影響を20年後に再評価する論文集
The monarchical republic of early modern England: essays in response to Patrick Collinson, ed. by J. McDiarmid (2007) も出ています。

2.近世 → 近現代
 こうした republic の用語法(の変化)にも、近世(前近代)から近現代への飛躍架橋か、といった問いを立てる意味があるわけですが、これについて、ぼくの立場は折衷的です。まず、もし「近世」なるものと「近現代」なるものの実体化(平坦なピース化)に繋がる議論だとしたら危ういものがあります。ジャコバンについて、(静岡で申しましたように厳密な a であれ、向う岸の b現象であれ)いろんな議論が可能ですが、結局は飛躍と連続の両面があるといった結論に帰着しそうです。
 なおまた次に述べることですが、フランス革命もジャコバンも、社団的編成論(二宮、Palmer)や複合革命論(Lefebvre)といったこれまでの理論的な達成をパスしたまま議論するのは空しい。革命はアリストクラートの反動から始まり、情況によってロベスピエールもサンキュロットたちも変化・成長するのです。

3.国制史の躍動
 2にもかかわることですが、近藤報告は「「大西洋革命」論を冒頭において、その意義を論じようとした‥‥」と受けとめられた方もあったようですので、補います。ぼくの主観的ねらいは違いました。
 第1報告の本論冒頭においたのはロベスピエールの2月5日演説であり、(切迫した情況における)徳、恐怖、革命的人民政府、正義、暴政、République といったキーワードを集中的に呈示し、共同研究のイントロにふさわしいものにしたつもりでした(ブダペシュトでも、静岡でも)。研究史として「大西洋革命」やパーマが出てくる前に、国制史の意義をとき、成瀬治と Verfassungsgeschichte、二宮宏之とコーポラティストやモンテスキュに論及し、そのあとにようやく広義のジャコバン研究&社団的編成論として R.パーマの The age of the democratic revolution(とこれを早くに評価した柴田三千雄)が登場します。これにより一方でロベスピエールないし厳密なジャコバンを相対化する(歴史的コンテクストに置く)と同時に、他方で成瀬、二宮、柴田を再評価する、随伴してスキナたちケインブリッジ思想史の偏りを指摘し、イニスたちの近業の可能性を讃える、といった筋(戦略)で臨んだつもりでした。

 むしろ広汎な各地で、若くして啓蒙の republic of letters に遊んだ人々が、1790年代の高揚した情況のなかで élan vital を共有し、当為の宇宙に夢を見た(それを E.バークたちは冷笑した)、それぞれの運命をもっともっと知りたい、と思いました。

2019年5月25日土曜日

歴研

5月26日(日)は歴史学研究会大会の合同部会@立教大学。9:30から17:30まで、全日シンポジウムです。
去年の合同部会からの続きですが、「主権国家」再考 Part 2 という設営で、
皆川 卓 さん「近世イタリア諸国の主権を脱構築する:神聖ローマ皇帝とジェノヴァ共和国」
岡本隆司さん「近代東アジアの主権を再検討する:藩属と中国」
という2つの報告があります。これにコメンテータとして、大河原知樹さんと近藤が加わります。
フェアバンクによる華夷秩序・朝貢条約システム・主権国家体制
という定式は、アヘン戦争前後の清 ⇔ 列強関係を説明するには「分かりやすい」が、この定式化にはいろんな問題が内包されています。オリエンタリズムの歴史学版でもあるけれど、なにより - 西洋史の観点から言うと -「条約システム」や「主権国家体制」が(政治学や国際関係論の授業のように)議論の大前提になっている点が問題の始まりだろうと思われます。
西洋列強の覇権、国際法もまた歴史的な産物で、それこそ中世末から、とくに16世紀からのヨーロッパ内の事情、対外交渉によりゆっくり形成されます。ウェストファリア条約(1648)でバッチリ確立するわけではない(しかし17世紀はたしかな変化の世紀ではある)。16世紀~18世紀の戦争と交渉のノウハウ、啓蒙と産業革命を手にした西洋列強は、1790年代には、かつての豊かなアジアへの野蛮な遅参者ではなく、自信満々の近代人としてアジアの秩序に挑戦します。「その先頭にはイギリス人が立っていた」のです。『近世ヨーロッパ』(山川出版社、2018)pp.6, 14, 86, 88. この事実の歴史性を忘れてはならない。
なおまた、このときアヘン戦争前の清朝は、東アジア朝貢秩序の最盛期にあった、というのがフェアバンクの早い時点からの問題意識でもあったらしく、このへんは専門家に尋ねたいところです。

24日、メイ首相の辞任表明とか、いろいろ事態は動いていますね。26日、トランプ大統領の大相撲桟敷席観戦は、無理しすぎと思います。これらについては、また。

2019年5月20日月曜日

ジャコバン シンポジウム

 19日(日)午後、静岡大学においける小シンポジウム「革命・自由・共和政を読み替える - 向う岸のジャコバン」は、当日直前までハラハラしていたわりには、「案ずるより産むは易し」でした。有機的に連関して、かつ発展の芽がみえるセッションになったのではないでしょうか。ぼくも第1報告を担当しました。
 終了後にある先生から、チーム内の考え方の不一致というより多様性を指摘されました。それは認めますが、そうした点はネガティヴよりはポジティヴに受けとめてほしいと思いました。なにより
1) シンポジウムとして、各報告間とコメント間にたしかな共振・呼応関係があり、
2) (18世紀やモンテスキュはもちろん)いくつか重要で大きな論点が開示され、それを我々も出席者も持ち帰っていま再考=熟慮中という事実に、発展的な可能性をみるべきではないでしょうか。

 たとえばですが[古代からの継続・近世史のイシューについては、すでにいろんな方々が問うておられますので、近代以降を展望しますと]、
・厳密な「ジャコバン主義」は歴史家の概念として、(1793-4年の)山岳派・ロベスピエール(そしてバブーフも?)の言説・思想から抽出した理念型として、考え用いるべきでしょう。
・理念型としての「ジャコバン主義」においては18世紀から革命へと(近代的)断絶がみられますが、広汎な向う岸の「ジャコバン現象」においては res publica も君主政も19世紀へと連続しえた。しかも、こうした異質の両者が1790年代には共振する情況・関係がありました。
・19世紀にはイギリスが、ジャコバン主義的近代もウィーン体制も拒絶しつつ、経験主義的な改良を重ねて Pax Britannica の世界秩序を築きあげる。その国のかたちは君主政・貴族政・民主政の混合政体で、しかも自由放任です。
・こうしたイギリス型近代に対抗すべきフランス型近代は、清明な合理主義による統制をめざすとみえてもストレートには行きません。体制転換(革命やクー)を繰りかえしつつ、パリコミューンを鎮圧した第三共和政で、ようやく1789年/93年的なフランス革命が国是とされます。フランス史における contemporain=近現代=革命体制の遡及的措定ですね。
・上海租界地などで今も19世紀半ば以降のイギリス型近代とフランス型近代の競争的な共存を目撃し再確認できますが、共通の敵/市場に対峙する列強=英仏の協力関係、それを補完するようにナショナルな様式を顕示した建築やデザイン -

 こうした議論もいくらでも展開できるでしょう。
 ぼく個人としては
長い18世紀のイギリス その政治社会』に結実したシンポジウム(2001年@都立大)、
礫岩のようなヨーロッパ』に結実したシンポジウム(2013年@京都大)
を想い出しつつ、前を向いています。

2019年5月16日木曜日

近代社会史研究会(1985-2018)

 ミネルヴァ書房より『越境する歴史家たちへ:近代社会史研究会(1985-2018)からのオマージュ』到着。谷川稔・川島昭夫・南直人・金澤周作の四方による編著ですが、「近社研」という京都の集いの生誕から消滅まで、[序章]谷川稔の語り、[第一部]何十人もの関係者の語り、[第二部]記録篇、という3つのレヴェルを異にした証言が編まれて、独特の世界=小宇宙が再表象されています。
 ぼく自身も書いていて「1986~98年の近社研」との個人的かかわりをしたためていますが(pp.172-175)、別に何人かの方々の証言のなかで一寸言及されていたり、また(川北・谷川論争の翌月なのに、何もなかったかのごとき)ぼく自身の「報告要旨:民衆文化とヘゲモニー」(pp.330-331)が採録されていたり、‥‥そうだったなぁ、という感懐をもよおす出版です。
 近社研の運営にはいっさいかかわることなく、ゲスト・一出席者としてのみ関係したわたくしめなので、漏れ聞いていた諸々と、今回の編集出版のご苦労には頭が下がります。
 歴史学方法論ということでは、記憶と記録の交錯、ひとの記憶や記録と出会い、それが繰りかえされることによる「上書き」、そして「フェイク・ヒストリー」の可能性にまで谷川さんの「あとがき」は言及しています。金澤「あとがき」では「史料編纂‥‥、非常に貴重な体験」と表現されています。たとえば1987年初夏に名古屋で、福井憲彦さんの『新しい歴史学とは何か』の書評会をやって、若原憲和さんとヤリトリがあった事実などは、ぼくは完全に忘れていました!
 この出版の企画を最初に聞いて執筆を依頼されたときには、「いまさら」という気もないではなかったのですが、一書として公刊されてみると、やはり出てよかった、と思います。谷川稔という人、そして色々あっても彼を盛り立ててきた良き友人たちのこと(そして、そうした時代)を理解するよすがにもなります。関係者の皆さん、ありがとう!

2019年5月15日水曜日

わが家にも詐欺師の魔手が

本日、朝日生命大手町ビルの「一般社団法人全国銀行協会」から封書が家人あてに届きました。
[重要]という赤字の印、「宛名をご確認の上開封してください」という注意書き、そして正確な住所・宛名。「元号の改元による銀行法改正のお知らせ」に始まる丁寧な文章‥‥。これは真正の通知文なのかとおもわせる雰囲気。
ただし、持って回った文体で、一読しても何を言ってるのかよく分からない。「全国銀行協会加盟銀行にて口座開設をされているお客様」あてなのに、家人あてに来て、ぼくあてには来ないのはなぜ?。
そもそも「改元に伴い、セキュリティ強化の観点から新システムへの変更を行っております」というあたりから、マユツバ。「当銀行協会にて口座開設時の登録情報のご確認、キャッシュカードの暗証番号変更手続きをおこなって頂く様[ママ]お願い申し上げます。」というので、これは詐欺だと分かった。漢字変換も乱れて、本当の「全国銀行協会」にしては品格がない。

「尚2019年5月17日までに登録情報のご確認、暗証番号の変更手続きがお済みでないお客様に関しましては‥‥お口座のご利用を停止させて頂く場合がございます。」
今日は何日だと思ってるの? こうやって急がせて、子や信頼できる人に相談する暇を与えない、というテクニックなのでしょう。
ご丁寧にも
「当銀行協会加盟銀行におきましては、お客様にお電話口で暗証番号等をお聞きすることや、キャッシュカードを郵送にてお送りいただくような[ママ]ことは決して御座いません。」とそれらしく朱書してあります。ということは、三菱やみずほや三井ではそんなことはしないが、フェイクの「全国銀行協会」ではIDを聞き出したり、郵送を依頼したり、受け子を遣わすことがございますよ、という意味ですね!
とにかく慌てた消費者が 03-572*-920* という番号に電話してくれば、トンデ火に入る夏の虫、あとはノラリクラリと個人情報を引き出すのでしょう。
念のため検索してみると、この電話番号についての問い合わせが今日15日から突然に急増しています。

すでに真正の一般社団法人全国銀行協会(↓)には、注意喚起の記事が出ています。
https://www.zenginkyo.or.jp/topic/detail/nid/3564/
また本当の全国銀行協会の相談室の電話番号は、上のものとは全然違います。

みなさま、そしてみなさまの親御さんには、どうぞご留意のほどを。
詐欺師も生活がかかっているので(!)あの手この手でアプローチしてきますね。
そもそもわが家の住人・住所が正確に掌握されているということからして、許しがたい。

2019年5月11日土曜日

Brexit → Brexodus を歴史的にみる


 昨日はある集まりで「イギリスとEU: Brexit を歴史的にみる」というお話をしました。参列者は、みなさん情報・通信のプロ、またヨーロッパ駐在の長い方々もいらして、講師としてはやや冷や汗ものでした。こちらは例のとおり先史(氷期)の大ヨーロッパ大陸から説きおこし、『イギリス史10講』や『近世ヨーロッパ』でも使った図版に加えて、ナポレオン大陸封鎖の図、ドゴール、イギリスEEC加盟申請に拒否権行使といった経緯、そして現EUの二重構造、英連邦(Commonwealth)の三重構造なども見ていただきました。
 質疑応答の質も高く、お話ししているうちに、権力政治に振り回された EU離脱、連合王国解体、といった暗い将来も British diaspora という観点から考えると、案外、人類史にとっては明るい要因なのかも、と思えてきました。要するに現イギリスに集積している金融および高等教育における人材が流出してしまうこと(Brexodus)による、主権国家=英国の枯渇・衰微はしかたないとして、かつてのユダヤ・ディアスポラやユグノー・ディアスポラ、アイリシュ・ディアスポラ・また20世紀のインド人やチャイニーズのディアスポラのように、不運な祖国からの離散が続いたとしても、新しい新天地で広い可能性が花開くかもしれないのです。その新天地はフランクフルト? オランダ? シンガポル? コスモポリタンで、新次元の文明の地。
 お雇い教師がやってきた明治初期の日本も一つの成功例でした。21世紀の日本列島が British diaspora の新天地となるか? 今のところ中国に比べてもその可能性は低いとみえますが‥‥

2019年5月9日木曜日

Queen Elizabeth と三内丸山遺跡

連休の最後に青森に参りました。
遅い桜花を見るためにではなく、旧友に会うためでした。諸々の話をすることができて良かった。
初日は雨模様でしたが、2日目はなにより天気にも恵まれ、ちょうど Queen Elizabeth 号が青森に初めて寄港するという特別の日だったようで、港では「メルバン」から来てヴァンクーヴァに向かうという老夫婦とお話をし、また波止場の展望台の上から俯瞰しました。反対側に雪の八甲田連峰および岩木山も遠望できました。
午後は三内丸山遺跡に同行して(これは1994年『中学歴史』[東京書籍]の編集執筆をして以来の宿題!)ボランティア説明者とのやりとりが有益でした。栗の大木6本の建築物の下方から、はるか八甲田山を遠望できます。
なおまた隣接する青森県立美術館では、棟方志功の若き無名時代のエピソードも聞くことができて、楽しかった。

2019年4月30日火曜日

5月の予定


日本西洋史学会大会(5月19日@静岡大学)では「ジャコバン研究史から見えてくるもの」という題目で、中澤科研の議論およびブダペシュトの研究集会で学んだことを還元したいと考えています。
日曜の午後2:15~5:30の小シンポジウム「革命・自由・共和政を読み替える-向こう岸のジャコバン」での報告です。

また歴史学研究会大会(5月26日@立教大学)では、去年の合同部会から続きですが、「主権国家」再考 Part 2 という設営で、
皆川卓さん「近世イタリア諸国の主権を脱構築する:神聖ローマ皇帝とジェノヴァ共和国」
岡本隆司さん「近代東アジアの主権を再検討する:藩属と中国」
という二つの報告があります。これにコメンテータとして、大河原知樹さんと近藤が加わります。
日曜朝の9:30から17:30まで、全日シンポジウムとなります。

これとは別にさる催しで「イギリスとEU:歴史的に見ると」といったお話もしますので、いささか過度に充実した5月となります‥‥。

2019年4月18日木曜日

寺院? 大聖堂!


 パリのノートルダムの大火災は驚くばかりで、痛ましい事件です。
ただし、CNNによれば、精緻な計測とディジタル記録が残っているとのことで、再建の望みはそれなりにあるわけですね。
https://www.cnn.co.jp/world/35135896.html

 日本の報道では、あいかわらず「ノートルダム寺院」という呼び方で、いかに仏蘭西(!)とはいえ、仏の教えの痕跡はどこにもないでしょう。法隆寺や本願寺ではないのだから、そしてカテドラルには「大聖堂」または「司教座聖堂/大司教座聖堂」という定訳があるのだから、こちらを使ってください!
 ロンドンの場合ですと、Cathedral Church of St Paul's が「セントポール寺院」、Collegiate Church of St Peter at Westminster が「ウェストミンスタ寺院」と呼び習わされているのも、イージーというか、混濁的です。

2019年4月11日木曜日

向う岸のジャコバン

 日本西洋史学会・静岡大会における小シンポジウム(きたる5月19日)ですが、
そのウェブサイトのどこを探しても、各小シンポジウムの趣旨説明と「目次」は見えますが、各報告の要旨は載っていません。昨12月末〆切で、準備委員会の定める厳密な書式設定で提出しました物はどうなっちゃったのでしょう? 例年の大会サイトでは各報告の要旨も掲載されて、どんなシンポジウムになるか、事前からよく想像できるようになっていました。

 中澤達哉さんの組織した小シンポジウム6「革命・自由・共和政を読み替える-向こう岸のジャコバン」は、このとおりです。

革命・自由・共和政を読み替える ― 向う岸のジャコバン ― 」

近藤 和彦 ジャコバン研究史から見えてくるもの
古谷 大輔 混合政体の更新と「ジャコバンの王国」― スウェーデン王国における「革命」の経験 ―
小山 哲  ポーランドでひとはどのようにしてジャコバンになるのか ― ユゼフ・パヴリコフスキの場合 ―
中澤 達哉 ハンガリー・ジャコバンの「王のいる共和政」思想の生成と展開 ―「中東欧圏」という共和主義のもうひとつの水脈 ―
池田 嘉郎 革命ロシアからジャコバンと共和政を振り返る

コメント 高澤紀恵・正木慶介・小原 淳
(企画:中澤達哉)

 このうち近藤の発表要旨について、右上の Features で紹介します。

2019年4月7日日曜日

SPQR


「文明」を代表具現した(と自称した)ローマの SPQR の印は、神聖ローマ帝国の印でもあった。『近世ヨーロッパ』のカバー写真でも、それは当てはまります。

アルプスないし黒森に淵源をもつドナウ川が東に向かい、ハンガリーの大平原に出る直前に地峡部を縫って、流れを南に90度かえる、そのあたりが古代から軍事的な要点になっていたようです。ローマ帝国の後継を僭称した神聖ローマ帝国に異議を申し立てる、もう一つの普遍主義オスマン帝国によるモハーチ戦(1526)、ブダペシュト陥落にともなうハンガリー王国のブラティスラヴァへの遷都(1541-1784)‥‥そしてバルカンの東西関係を変える1699年のカルロヴィツ条約。
このようにドナウ沿岸のブラティスラヴァ≒ウィーンあたりからカルロヴィツ≒ベオグラードあたりまでがボーダー(境界地帯)をなしていて、ブダペシュトがほぼその真ん中だったのか。アウステルリツ戦のあとの条約(1805)もプレスブルク(ブラティスラヴァ)の大司教館で締結されたのですね。

2019年4月6日土曜日

境界 すなわち交流圏


ブダペシュト、そしてブラティスラヴァを訪れたのは科研(向こう岸のジャコバン)の企画ででした。帰国して直ちに対馬に赴いたのは科研(主権概念の再構築)の一環です。

対馬については、また後日ふれるとして、Border すなわち国境()ではなく境界(地帯)であり、交流のあらわになる圏域だなという認識を強くしたのは、ドナウ川、ローマ帝国の辺境、そしてオスマン帝国と神聖ローマ帝国のせめぎあい(また20世紀には東西冷戦)の現場に立ってのことです。
ドナウ川を南に見下ろすブラティスラヴァ城(現スロヴァキア)で撮った写真2葉をご覧に入れます。快晴ですが、遠くはすこし霞がかっています。
左手=東にはハンガリーの工場の煙突群が遠望され(ブダペシュトまで200キロ)、
右手=西にはオーストリアの風力発電群が遠望されます(50キロ余り先はウィーン)。
手前・川向こうの中高層は労働者の集合住宅です。国境の最前線に労働者街のコンクリート建築というのは、かつて東ベルリンでも見た風景ですね。
ドナウ川は西から東にかなりの水量≒速さで流れています。1838年3月の(雪解け)大洪水の水没線が、ブラティスラヴァでもブダペシュトでも記録・表示されているのが印象的でした。

2019年4月5日金曜日

ブダペシュトの市場にて

建築学的にブダペシュトはおもしろいと言い始めたら、都市史学会の面々は黙っちゃいないでしょう。

社会史的におもしろいのは、この中央市場です。タイル張りで1897年竣工。なかは2階建て。その活況が楽しい。それから隣接の Corvinus University (経済大学)はかつてポランニ先生がイギリスへ移る前にいた所と知ると、親しみが沸いてくる。すぐ脇が「自由橋」です。

ところで撮ってきた写真を眺めていて、ランチを摂った中央市場のテーブルに、白いビニールの掛けものがありました。
なんとこれを拡大してみると(真ん中やや上の部分)、こんなことが記してある。
サッチャ首相、ブッシュ大統領、ダイアナ妃は、さもありなんという方々だが、Emperor of Japan って今上陛下のこと? 
美智子皇后もこの活気ある空間に立たれたのか! グーラシュを召し上がったのだろうか?
そこで検索してみると、宮内庁のサイトに「平成14年7月16日(火)」ハンガリー大統領主催の晩餐会@国会議事堂(!)で述べられた「お言葉」が載っています。つまり2002年。そこでは、
1770年に来日し,長崎のオランダ商館に滞在したイェルキ・アンドラーシュから、
翌年,ハンガリー生まれの冒険家であったベニョフスキー・モーリツの来航に言及したうえで、
「オーストリア・ハンガリー帝国が成立した1867年は,私の曾祖父明治天皇がその父孝明天皇を継いだ年であり,二百年以上続いた徳川将軍を長とする幕府が廃された年でもあります。我が国が,諸外国との交流を深め,国の独立を守り,近代化を進めるための非常な努力を始めた時でありました。オーストリア・ハンガリー帝国と我が国との間に国交が開かれたのは,その翌々年になります。‥‥」そして
「ハンガリー語と日本語が共にウラル・アルタイ語族に属しているということから,20世紀初頭,語学研究のため,ハンガリーに滞在した白鳥庫吉のような東洋史学者‥‥」といったことまでディナースピーチは及んだのでした。引用は、http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY より。わが不明を恥じます。

ブダペシュト議会

ヨーロッパ滞在中は花粉症の気はなかったのですが、調子に乗って、帰国翌日に早稲田あたりでウロウロしたあげく、対馬で3日間外歩き。その結果がこの数年に経験しないほどの苦しい症状となってしまいました。
その後はもっぱら休養と必要最低限の外出にとどめて、なんとかなっています。

想い起こすに、中欧の経験はやはり強烈です。
19世紀ブダペシュトの繁栄は建築史的にもおもしろい証を残していて、それは19世紀前半までのダブリンの繁栄と比較できるくらい。人口的にはブダペシュトのほうがずっと大きく、アイルランド島よりも広いハンガリー王国の人口も大きい。なんといってもドナウ流域圏の「女王」です。19世紀にアイルランドがブリテンと連合王国(UK)をなしていたのと似て、ハンガリーはオーストリアとアウスグライヒ(二重帝国)をなして、従属的とはいえ、どんどん成長しました。
隣接する大国の普遍言語(英語、ドイツ語)が浸透しつつもゲール語、マジャール語に集約される豊かな民俗文化が強烈に残っているという共通性も指摘できます。
この場合、アイルランドとハンガリーの違いは、地理的に内陸か臨海かといった相違点に加えて、1) アイルランドの人口流出が人口減少にいたったのにたいし、ハンガリーは人口減少にはいたらなかった。2) アイルランドは歴史的な議会を失い、ハンガリーは歴史的な議会を維持した。3) ハンガリー(ブダペシュト)におけるユダヤ人口の大きさ。といった差異は決定的かもしれない。
Annabel Barber, Blue Guide Budapest (3rd ed., 2018) によると、
18世紀までハンガリー議会は開催地を固定せず、時に応じて召集されていたが、19世紀に入るとプレスブルク(ブラティスラヴァ)からペシュトに召集されるようになり、1880年に上下両院を一つ屋根のもとに収容できる立派な建物、「他のすべての建物を下に見、ハンガリー国民の力を表現し、ハンガリー人の全体を代表具現するような象徴的建造物をドナウ川岸に」たてる計画が始まり、1902年に竣工した。両翼の端から端まで265m、真ん中のドームの高さ96m.大きさと威容だけでなく、ドナウ川に面したゴシック・リヴァイヴァル様式の美しさは、テムズ河畔のウェストミンスタ議会(1852竣工)にも比すべきものです。
ところで、両議事堂はそれぞれ大きな川に面していますが、ブダペシュトでこれは西に面し、ウェストミンスタでは東に面し、そのため千数百キロを隔てつつも、両議事堂は対面している、という関係です!