2019年11月16日土曜日

「主権国家再考」の公開研究会

 もはや今日のことになってしまいましたが、ご案内を転載します。

「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」公開研究会
  『「主権国家再考」の再考』

          主催:科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」
          共催:ヨーロッパ近世史研究会

 秋麗の候、みなさまにおかれましては、ますますご清祥のことと拝察します。
科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」は、『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行後に求められる議論として、複合的政治編成の知見を踏まえたヨーロッパ史解釈の再構築をすすめるべく、具体的に「主権」概念に焦点を絞りながら検討をすすめてまいりました。
それらの研究成果の一端は、2018年、2019年に歴史学研究会が主催した合同シンポジウム「主権国家再考」において披歴されました。
 この度は2019年5月に開催されたシンポジウムの講演録がこの10月、『歴史学研究』増刊989号に刊行されたことを機会に、今回はヨーロッパ近世史研究を専門とするみなさまとあらためて検証すべく、以下のような公開研究会を開催します。みなさまの参加を心から歓迎します。

 日時:2019年11月16日(土)14時-17時30分

 場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館5階第5会議室
 https://www.waseda.jp/flas/cms/assets/uploads/2019/09/20181220_toyama_campus_map.pdf

 次第:①主旨説明:古谷大輔(大阪大学)『礫岩のようなヨーロッパ』の先に - 主権概念の批判的再構築

 ②基調報告:佐々木真(駒沢大学)「主権国家再考」の議論について

 ③「主権国家再考」シンポジウム関係者からの応答
 科研基盤(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」の研究分担者から、佐々木報告へのリプライを行います

  休憩:15分程度

 ④フロアの皆さまとの討論と総括

2019年11月12日火曜日

平田清明著作 解題と目録


 史学会大会から帰宅したら、『平田清明著作 解題と目録』『フランス古典経済学研究』(ともに日本経済評論社)が揃いで待ってくれていました。
どちらも「平田清明記念出版委員会」の尽力でできあがったということですが、知的イニシアティヴは名古屋の平田ゼミの秀才:八木紀一郎、山田鋭夫にあることは明らかです。
 『フランス古典経済学研究』は平田39歳の(未刊行)博士論文。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2537
 『平田清明著作 解題と目録』は、刊行著書のくわしい解題と、略年表、著作目録。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2538

 こうした形で出版されことになった事情も「まえがき」にしたためられています。
 「門下生のあいだでしばしば浮上した平田清明著作集の構想の実現が、現在の出版事情から困難であったからである。‥‥しかし、図書館の連携システムや文献データベース、古書を含む書籍の流通システムが整備されている現在では、一旦公刊された文献であれば、労を厭いさえしなければ、それを入手ないし閲読することがほとんどの場合可能である。‥‥そう考えると、いま必要なのは、著作自体を再刊することではなく、それへのガイドかもしれない。‥‥それに詳細な著作目録が加わればガイドとしては完璧であろう。‥‥
 そのように考えて、著作集の代わりに著作解題集・著作目録を作成することになった」と。
 まことに、現時点では合理的な判断・方針です。1922年生まれ、1995年に急死された平田さんの『経済科学の創造』『市民社会と社会主義』『経済学と歴史認識』から始まって、すべての単著の概要・書誌・反響・書評が充実しています。また「略年表」とは別に、なんと143ぺージにもわたる「著作目録」があります。見開きで「備考」が詳しい! 「追悼論稿一覧」も2ぺージにおよびます!
 とにかく、ぼくが大学に入学した1966年から『思想』には毎年、数本(!)平田清明の論文が載り、『世界』に載った文章も含めて『市民社会と社会主義』が刊行されたのは1969年10月。東大闘争の収拾局面、ベトナム戦争の泥沼、プラハの春の暗転。こうしたなかで平田『市民社会と社会主義』が出て、ぼくたちが熱烈に読み、話題にしはじめて3ヶ月もしないうちに、日本共産党は大々的に平田攻撃を開始して『前衛』『経済』を湧かせ、労農派も平田の反マルクス主義性をあげつらう、という具合で、鈍感なぼくにも、誰が学ぶに値し、どの雑誌や陣営がクズなのか、よーく見通せることになった。
 そうしたなかで、わが八木紀一郎は驚くべき行動をとりました。東大社会学・福武直先生のもとで「戦前における社会科学の成立:歴史意識と社会的実体」というすばらしい卒業論文(1971年4月提出)を執筆中の八木が、東大でなく名古屋大学の経済学大学院を受けて(当然ながら文句なしに*)合格して、卒業したら名古屋だよ、と。すごい行動力だと思った。
 *じつは受け容れ側の名古屋大学経済学研究科の先生方は、筆記試験も卒業論文も抜群の東大生がどうして名古屋を受験するのか、なにか秘密があるのか、戦々恐々だった、と後年、藤瀬浩司さんから聞きました。平田先生のもとで学びたい、というだけの理由だったのです! ただし、その平田先生は73年に在外研究、78年に京都大学に移籍します。八木もドイツに留学します。

 ぼくも西洋史の大学院に入ったばかりのころ、八木の紹介で、本郷通りのルオー【いまの正門前の小さな店ではなく、菊坂に近い現在のタンギーにあった、奥の深い喫茶店】で平田先生と面談し、わが卒業論文(マンチェスタにおける民衆運動:1756~58年)の要点をお話ししただけでなく、1972年3月には滋賀県大津の三井寺で催された名古屋大学・京都大学合同の経済原論合宿の末席を汚して、経済学批判要綱ヘーゲル法哲学批判などを読み合わせたりしたものです。そこには奈良女の学生もいました。
 マルクス主義者というより、内田義彦に通じる、経済学と人間社会を(言葉にこだわりつつ)根底的に考えなおす人、としてぼくは平田清明に惹きつけられたのでした。

 68-9年からこの『平田清明著作 解題と目録』の刊行にいたるまで、現実に与えられた諸条件のなかで「筋を通す」という生きかたを貫いておられる、「畏友」八木紀一郎に敬意を表します。

2019年11月8日金曜日

明日のシンポジウム

既報の再録ですが、明日、史学会大会の公開シンポジウムは〈天皇像の歴史を考える〉です。

史学会大会・公開シンポジウム http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
日時: 11月9日(土)13:00~17:00 

会場: 文京区本郷 東京大学・法文2号館 1番大教室

公開シンポジウム 〈天皇像の歴史を考える

<司会・趣旨説明>
  家永 遵嗣(学習院大学)・ 村 和明(東京大学)

<報 告>
  佐藤 雄基(立教大学)「鎌倉時代の天皇像と院政・武家」
  清水 光明(東京大学)「尊王思想と出版統制・編纂事業」
  遠藤 慶太(皇学館大学)「歴史叙述のなかの「継体」」

<コメント>
  近藤 和彦

<討 論>

 日本史の古代・中世・近世の3研究にたいして、西洋史で政治社会・国制・主権などをテーマに勉強している立場から、問いかけと若干の提言をいたします。君主制および天子・天皇・皇帝・Emperor という語についても。
 翌10日(日)午後には日本史部会で〈近代天皇制と皇室制度を考える〉というシンポジウムがあります。これと呼応して、おもしろい議論が出てくるといいですね。

2019年11月3日日曜日

南アフリカ、強かったね


 日本が10月20日に 3対26 で圧倒的に負けた相手ですが、11月2日、エディ・ジョーンズHCのイングランドは、ラシ・エラスムス(!)HCの南アフリカ(Springboks)にやはり実力で圧倒されてしまった。トライなしで 12対32.
 その点をBBCは飾ることなく、
   South Africa broke English hearts with a ruthless display of power rugby
   to seize their third Rugby World Cup in devastating fashion.
という見出しで伝えています。これまた、なんという力強い、簡にして要をえた英語なんだ!

(C)BBC 

 そして、写真の真ん中、黒人主将 Siya Kolisi のドラマも語りあげます。
その語りにおいては、1899-1902年の不義の闘い・南アフリカ戦争の意趣返し、といったことは、品がなくなるので口にせずに、エラスムス的[≒オランダ起源のコスモポリタンの]多様性の文化が、南アフリカ共和国の将来を示す、というストーリです。
 これはマルチ=エスニックな日本チームについて報じられているのと、方向性は同じです。美しくない過去の克服について、南アでは政府イニシアティヴでポジティヴに取り組んでいる;日本ではそれがどこまで意識的に追求されているか、という違いはありますが。

2019年10月31日木曜日

首里城 炎上


今朝、寝ぼけ眼でスマホをみると首里城の炎上する写真。にわかに信じられず、TVをみましたが、法務大臣の交代だの、マラソン開催地の変更だの、ちょっと二次的なニュースが続きました。マスコミ側もにわかに対応できなかったのでしょうか。
今年2月に島内をめぐり、首里城については見学もしたし、外から美しい写真もいろいろと撮れて(戦中の陸軍の陣地跡もふくめて)、良い印象をもっていたものですから、本当ににわかに信じがたい惨事です。
  ↓
http://kondohistorian.blogspot.com/2019/02/blog-post_13.html

先のパリ・ノートルダム大聖堂の「再建」案についてと同じく、中世以後、いつの首里城を復元・再建するのかという問題も、歴史家たちが参加して真剣に議論してほしいと思います。日本列島の歴史の本質に触れる重要なモニュメントです。21世紀にのこすべき歴史遺産なのですから、防火・防災についてはもちろん。再建資金については、ノートルダムに負けないくらいの民間寄付を集めても良いのではないか。

2019年10月25日金曜日

ノートルダム大聖堂 と 時代


 10月19日(土)にはパリ・ノートルダム大聖堂の炎上 → 再建・修復をめぐってのシンポジウムが上智大学であり(司会・問題提起は坂野さん)、問題は単純ではないということが具体的に示されて有意義でした。http://suth.jp/event/20191019/ 「つくられた伝統」という観点からも。ただし、多くの報告者が建築の歴史を語るときに、フランス王国ないし共和国の枠組が自明のように前提されて、「美(うま)し国」のなかで歴史も文明も完結するかのごとく、縦の系譜がたどられて、ちょっと待ってくださいという気にもさせられました。
 その点で、最後の松嶌さんの報告は、ケルンやシュトラースブルク、さらにはコヴェントリにも議論を拡げていました。「ゴシック様式」の起源がイル=ド=フランスだったらしいというのはいいとして、建築様式をはじめとする技能は(そもそも中世には薄弱な)国境を越えて遍歴する職人集団によって伝えられたし、そうでなくともアイデアやノウハウは真似られ、流行し、継承され、いずれ改変される。近現代においても技術やアートは、たやすくネーションや国境を越えて伝播しますよね。
 また都市史の観点からも考えさせられる指摘があり、大聖堂とその周囲の街並みとの交わりについて、中島さんの図版に、18世紀前半までパリ・ノートルダム大聖堂のすぐ近くまで町家が建て込んでいたことが示されました。その後のクリアランスはパリやフランス諸都市に限らず、およそ啓蒙ヨーロッパに共通の改良(improvement)運動として展開するのが、おもしろい。イギリスでは18世紀が(道路や広場の)改良委員会の時代です。ロンドンの聖ポール大聖堂も、ケインブリッジのキングズ学寮チャペルも、周囲に(今あるような)公共空間ができるのは18世紀です。有名どころとしては、キャンタベリの大聖堂が「街並み改良」としては立ち遅れて、その結果、今日にいたっても建て込んで、ちょっと離れた位置から大聖堂全体の美しい写真を撮ることができませんね。観光絵ハガキでは、したがって、航空写真を使うのがふつうです!
 18世紀が啓蒙だけでなく、新古典主義とバロック・ロココ、あるいは加藤さんの論じられた「良き趣味」の拡がりという点からも、画期なのだ;ドイツでコゼレクたちの論じてきた Sattelzeit がここにも認められる、と思いました。このシンポジウムでは、ヴィクトル・ユゴーやル=デュクの中世趣味的な「修復」の観点を強調することによって、19世紀の中世=ロマン主義の時代性、それに先行した the age of enlightenment の普遍性みたいなことが浮き彫りにされたのかもしれません。

 音楽演奏では、ブリュッヘンたちの Orchestra of the eighteenth century,
専従指揮者のいない Orchestra of the age of enlightenment,
そして J E ガードナ(Gardiner)の Orchestre révolutionnaire et romantique
が競合し共存した時代をへて、今はまたすこし変貌しているかに見えますが。

2019年10月22日火曜日

芋づる式!?


 拙著『イギリス史10講』は今月初めに第12刷を出していただきました。
2013年12月に初版1刷でしたので、6年間にこれだけ増刷というのは有り難いことです。じつはそのたびに、気付いた範囲で、また該当ぺージ内での添削にとどめますが、ちょこちょこと改良・修文をしています。ですから、扉裏の年表に初版にはなかった「2017  EUからの離脱交渉始まる」といった記述がある、といったちょっとした改変があります。

 そういった著者の提案による加筆とはまた別に、今回あたらしく付いた帯に
つながる ひろがる、(芋づる式!)岩波新書
とあって、裏側にはなんと、
  金澤 周作『チャリティとイギリス近代』(京都大学学術出版会)
  小川 道大『帝国後のインド』(名古屋大学出版会)
  木畑 洋一『帝国航路を往く』(岩波書店)
  清水 知子『文化と暴力』(月曜社)
という4冊が挙がっています。
帯の折り返しに「芋づる式!読書MAPhttps://iwanami.co.jp/news/n31558.html
とあり、こちらをみると、さらに『図説 英国ティーカップの歴史』(河出書房新社)
も加わり、よくわからないネットワークが絡み合ったMAPが現出します。
https://twitter.com/maktan0308/status/1184790143850336256

岩波新書が岩波の他の本だけでなく、他社の出版物とつながっているのが良いですね。知らなかった本もたくさん。しかも大きなMAPの右下には、
  丸山真男『日本の思想』、内田義彦『社会認識の歩み』、安丸良夫『神々の明治維新』
といった本もあって、こうした名著と
「つながる ひろがる」岩波新書フェア
だそうで、ちょっと面はゆい。

2019年10月15日火曜日

都市史学会大会@青山学院大学

2019年度都市史学会大会のお知らせ

  日時 2019年12月14日(土)、15日(日)
  会場 青山学院大学青山キャンパス14号館12階(もより:渋谷・表参道)
     https://www.aoyama.ac.jp/outline/campus/aoyama.html

◆12月14日(土)
13:00~15:00  研究発表会  司会 小島見和
15:15~16:15  総会(会員のみ)
16:30~18:00  公開基調講演 桜井万里子「ポリスとは何か」
   紹介・司会 樺山紘一
18:30~21:00  懇親会 アイビーホール・フィリア 参加費6000円 学生5000円

◆12月15日(日)
「歴史のなかの現代都市」
  http://suth.jp/event/convention2019/
10:00~10:15  趣旨説明 伊藤毅(建築史)
10:15~11:00  北村優季(日本古代史)
11:10~11:55  河原温(西洋中世史)
12:00~13:00  昼食
13:00~13:45  桜井英治(日本中世史)
13:55~14:40  中野隆生(西洋近現代史)
14:40~15:00  休憩
15:00~15:45  妹尾達彦(東洋史)
15:45~16:00  池田嘉郎(近現代ロシア史)
16:00~16:15  北河大次郎(土木史)
16:30~17:30  討論

2019年10月10日木曜日

天皇像の歴史 シンポジウム

恒例の史学会大会@東京大学文学部ですが、今年は、公開シンポジウム「天皇像の歴史を考える」があります。

史学会大会・公開シンポジウム
日時: 11月9日(土)13:00~ (史学会賞授賞式のあと)

会場: 文京区本郷 東京大学・法文2号館1番大教室

公開シンポジウム 「天皇像の歴史を考える

<司会・趣旨説明>
  家永 遵嗣(学習院大学)・ 村 和明(東京大学)

<報 告>
  佐藤 雄基(立教大学)「鎌倉時代の天皇像と院政・武家」
  清水 光明(東京大学)「尊王思想と出版統制・編纂事業」
  遠藤 慶太(皇学館大学)「歴史叙述のなかの「継体」」

<コメント>
  近藤 和彦(東京大学名誉教授)

<討 論>

2019年10月8日火曜日

編集力の問題


 10月7日、『日経』文化欄にて、「誤記や捏造、揺らぐ出版」と題する、久しぶりに郷原記者の署名記事を読みました。
・池内紀『ヒトラーの時代』(中公新書、2019)
についてあまりに誤記、間違いが多い、という指摘に、研究者・小野寺さんのコメントが引用されています。じつは、こちらはそう珍しくない、多作な執筆者になくはない話かな、と思わせます。池内さんの翻訳文について、二昔ほど前にも話題になったことがありました。ゆったり温泉につかって書いているような随筆文なんでしょう。脇から舛添要一のコメントも加わったりして、やや混乱していますが、問題はやはり編集力ということではないでしょうか。

・深井智朗『ヴァイマールの聖なる政治的精神』(岩波書店、2012)
こちらはずっと深刻で、表向きは学術的な、学問を否定する作品でした。捏造、盗用、デッチ上げ。すでに本人は東洋英和女学院を懲戒解雇され、岩波書店も公に謝罪してこの本を回収しています。

 郷原記者は、こうしたことが続く原因を、現今の出版社の点数主義と、編集者の(忙しすぎるゆえの)手抜きとしています。そのとおりですが、もう一つ、編集者の水準の低下、「ゆとり世代」の基礎学力不足も深刻なのではないでしょうか。専門書ならばレフェリー制度、というのが一つの解決策ですね。

・かくいうぼくも、じつは剽窃まがい(無断の借用)の被害者です。加害者は多作で名の通った大学教授(or その担当編集者)で、もしや教授殿から「地図はテキトーにやっといて」と任されたのでしょうか。若い編集者が、それこそテキトーに手にした、近藤和彦編『イギリス史研究入門』(山川出版社、2010)p.394 の地図を無断で拝借したのでした(ぼくが選択した地名も、文字の傾斜も、イタリックもすべて一致)。完璧なコピー&ペイストです。参考文献表のある本でしたが、近藤の名も『イギリス史研究入門』という表記も、どこにも見当たりませんでした。
 その著者先生の人柄は前から存じていましたので、ご本人と交渉してもノレン(!)に腕押しでしょうから、出版社の編集部に釈明を求めました。
 直ちに、担当編集者とその上司から平身低頭の対応がありました。担当編集者(20代?)のセリフによると「地図なんてどれも同じ」、コピーライトがあるなんて知らなかったというのです。この出版社の名声を揺るがすような発言でした。
 おそらく事態をはじめて認識した上司が奮闘したに違いありません。次の第2刷から(微妙にニュアンスをつけて)「近藤和彦著『イギリス史10講』による」という1行が地図の下に加わりました。執筆者ご本人はというと、ある時、ある所で遭遇したら、頭を下げずに「お騒がせしました」とのご挨拶でした!

2019年9月28日土曜日

アイルランド・チームは国境を越えて

 日本 v. アイルランド は19 対 12という結果でした。ぼくも思わずリアルタイムで観戦してしまいました。
BBC (www.bbc.com/sport/rugby-union)によれば、
Hosts Japan pulled off one of the biggest upsets in Rugby World Cup history as they beat world number two-ranked Ireland 19-12 in Shizuoka.

This was not a result borne of Irish indiscipline or stage fright, but of a truly stunning Japanese performance in front of a cacophonous crowd that lifted their side with a stunning noise that greeted every metre gained, tackle made and turnover won.
It is a result that will, regardless of what happens in the next six weeks of rugby, leave a legacy for generations to come, and will send rugby into a new stratosphere of popularity within the country.

¶ というわけで、ここまではスポーツナショナリズムに圧倒されそうな夜ですが、冷静に受けとめるべきひとつの事実があります。アイルランド・チームは、最初の anthem にも表象されていたとおり、Ireland's Call を歌い、「アイルランド共和国」+「北アイルランド」=アイルランド島 を代表している、つまり国境(政治)を越えたチームだということです。
Irish Rugby Football Union (IRFU)が1875年に結成されたときには、北も南もなかった、島内全域のラグビ・ユニオンだったから、その後の愚かな政治・歴史には左右されない、という単純明快な理由ですね。ラグビ・ワールドカップだけでなく、Six Nations (En, Sc, Wa, Ir, Fr, It) など国際試合での枠組です。
この点、しかしサッカーの場合は Irish Football Association (IFA)が結成されたのは1882年で、その点で事情は同じだったはずなのに、そしてアイルランド国が独立してからも1950年までは国際試合では(努力のうえ)単一チームを編成していたのに、1950年以後は北アイルランドとアイルランド共和国で別チームを編成せざるをえなくなった(政治に負けた)という事実があります。
サッカーに比べてラグビは、より紳士的でエリートの卵向きのスポーツだから、ということでしょうか? どなたか反論してください!

日本チームもまた選手31名中、海外生まれが15名という事実もあり、diversity という点では奮闘しているのですが、それを「君が代」や「さむらい」でまとめるというのが、残念ですね。Nation が政治と歴史によって形成されてきたのなら、このナショナル・チームにふさわしい、現代的な anthem で唱和できれば、much better なのにね。

2019年9月27日金曜日

主権は議会にあり、それを制限する内閣の決定は違法にして無効

 9月5日、13日にも書きましたとおり、迷走し、自由民主主義および社会民主主義の祖国というイメージを裏切りつづけるイギリスですが、現地24日の最高裁の判決(11名の判事全員一致)は、久方ぶりの快哉でした。
 この判決文は、全文24ぺージのPDFとして容易にダウンロードできます。
https://www.supremecourt.uk/cases/uksc-2019-0192.html Judgment(PDF)
 
 こう書くと「またデハのカミが」と揶揄されそうですが、それにしても最高裁判決が、このように知的で明晰だというのは、羨ましいかぎり。大学院の授業で教材として熟読したいくらいです。
 判決文の出だしに、1段落使って、重要なことだが、そもそも問題になっているのは Brexit の内実ではなく、ジョンスン首相が8月末に女王にたいして議会を prorogue するよう助言(進言)して10月14日までそのように定めたことが、法にかなっているかどうかである。このようなイシューは空前絶後であり、再発はありそうもない、one off (1回きり)である、と確認しています(p.3)。
 以下の論理がすばらしい。
 そもそも議会の会期の定義から始まります。Prorogation とは「会期延長」や「停会」ではなく、議会の活動停止であって、その間は議場での討議だけでなく、委員会で証言をとることもできないし、内閣に対して書面で質問することもできない。政府は法的権限内で権力行使できる(p.3)。
 Prorogation を決めるのは議会の権限でなく、君主(王権)の特権である。が、議会主権ということに随伴して、prorogue する権限は法によって制限される。というわけで、挙がっている先行法は 1362年法(エドワード3世)、1640年法、1664年法、1688年法(権利の章典)、スコットランド1689年法(権利の要求)、1694年法‥‥(p.17)
【法の年度の数え方が、われわれ歴史家と違って、法律実務家の慣行に従い、議会会期の始まった時点の西暦年で記されています。歴史的に[われわれの世界では]、権利の章典は1689年、権利の要求は1690年なのに‥‥】
 それにしても最高裁の判事さんたちも The 17th century was a period of turmoil over the relationship between the Stuart kings and Parliament, which culminated in civil war. という認識を共有しているのは嬉しいですね。The later 18th century was another troubled period in our political history . . . .(p.12) といった判決文を読み進むのは、心地よい。イギリス史をやってて良かった!と思える瞬間です。

 判決文の後半では、議会主権(Parliamentary sovereignty)という語が、何度繰りかえされているでしょう。きわめつけは、ブラウン-ウィルキンスン卿の判例からの引用で、 the constitutional history of this country is the history of the prerogative powers of the Crown being made subject to the overriding powers of the democratically elected legislature as the sovereign body (p.16). というのです。いささかホウィグ史観的だけれど、とにかく行政権力による議会主権の制限は違法であり、無効であり、ただちに取り消されなければならない、という力強い結論に導かれます。
 ここでは「議会絶対主義」という語こそ用いられないけれど、現在の民主主義の本当の問題は、まさしく
    議会主権 ⇔ ポピュリズム 
    議会制民主主義 ⇔ 人民投票型衆愚政治
というところにあるのではないか、と考えさせる、知的な判決。
 英国の最高裁が全員一致で、迅速に、こうした明快な判決を出したこと、そしてそれを誰にも読みやすい形で(全文とサマリーと)公表したことは、すばらしい。『イギリス史10講』の最後(p.302)を久方ぶりに読みなおすことができます。日本の司法もこうあってほしい。

2019年9月24日火曜日

脅迫メール!

(一見したところ)ぼくのアカウントから発信、ぼくのアカウントへの着信で、脅迫メールが来ました。
ビットコインで(50時間以内に)$730を払い込まないと、ぼくの見た恥ずかしいサイトや写真や etc. を知友全員にバラまくぞ、というのです。
でもこりゃ下手なコドモの脅迫だな、と判断して無視し、また皆さんに告知します。

理由の1:発信時刻がすでに問題。↓
Date:25 Sep 2019 05:29:16 +1100
これでハッカーの(中継地の)時刻が日本列島のぼくのアカウントとは異なる、太平洋のどこか(日本から時差2時間の所)、ということがバレちゃった!

理由の2:英語力に問題多し。
¶まず
Subject:Security Alert. Your accounts was hacked by criminal group.
・中1レヴェルですが、もし主語が accounts なら be動詞は were でしょう。
でも、この場合なぜ複数にしなくちゃならんのか、理由はないから、正しい主語は単数で Your account; そして時制を過去にすると「今と関係ない過去の出来事」になっちゃうから、正しい動詞は現在形で is とするか、あるいは現在完了で has been かどちらかでなくちゃなりません。
by criminal group もナチュラルでない。単数形なら a という冠詞が必要。無理にでも The Criminal EX とかいう固有名詞にしてもよかったね!

¶つづいて、本文の書き出しですが
As you may have noticed, I sent you an email from your account.
・ここでも時制が問題で、ワンセンテンスのなかでは時制を一致(照合)させなくちゃいけないわけで、I sent you という過去形はありえない。I send you か I'm sending you かどちらかでしょう。

¶そしてちょっと複雑になると、構文が混乱しちゃう。
This means that I have full access to your device. . . .[中略]
This means that I can see everything on your screen, turn on the camera and microphone, but you do not know about it.
・この turn on the camera and microphone が、どう that I can see に繋がっているのか、全然不明ですね。I can see you turn on . . . なら成りたつけど。
最後の , but you do not know about it の部分も、大学生以上ならもう少し気の利いた句にできたでしょう。
つまり「犯行グループ」の英語力は、非ネイティヴないし英語国なら高校中退レヴェルで(自分と同じ程度の)不良ユーザを相手に引っかけようと企んだ、と想像されます。払込金額が730ドル(7-8万円!)というのも、あながち無理ではない実行可能な額、というので設定したのでしょうか?

理由の3:脅迫されているぼくのアダルトサイト閲覧とかそれに類似した事実はなく、こちらに暴かれて困る事実はないので、ここは強気に出ます。【クリントン大統領のホワイトハウス・スキャンダルが話題になった Windows 開闢期[1990年代!]にその関係を数度にわたって閲覧したことはありますが‥‥】
ぼくと似たメールアカウント(とくに @nifty)をお持ちの方々、同じような脅迫メールが来たら、どうぞ慌てず騒がず、だまって無視し、削除してください。
なお
If I find that you have shared this message with someone else, the video will be immediately distributed.
というのが脅迫の最後のセンテンスです(ここでも英語として正しくは anyone else でしょう!)。今後どんなヴィデオが拡散するのか、笑って期待してください!

パソコン・バッテリーの健康管理


 この夏は、全国的な猛暑、そして台風や前線の通過にともなう「線状降水帯」や「経験したことのない」ほどの強風の被害がつづいて、大変なことでした。ぼくの身の回りでも、たしかに雨や風のすごさは感じましたが、特別の被害はなく、その点は有り難かったです。
 IT関連では家族のケータイやぼくの WiMax について(その料金システムについて)いささか不審な/納得できない点は残りますが、致命的な問題というわけではない。

 そうした折に、ぼくの知己のなかでも最高の IT リテラシを誇ると思われたDくんが、大きなPCトラブルに見舞われたとのこと。
 「‥‥PCがバッテリー膨張を起こし、PC内部の入れ替え(データも一から再構築)などもありました。火災事故の一歩手前だったという訳です。四半世紀PCを使ってきましたがはじめての経験でした。」

 またこれに加えて、同じころ、TさんのPCが突然壊れたということで、「先生もお気を付けください」というメールをもらっても、いったい、どう気をつければ良いのだろう?
 近年は(以前と違って)毎夜、仕事終わりには電源をシャットしていますし、
充電バッテリーに過剰な負担をかけないよう、常時コンセントに接続はせず
また100%に達したら電源からはずして使用する、
とかいった心がけ程度かな。

 Dくんからは、折り返し、
「ノートパソコンの場合、スイッチを切っていても、ACアダプタにつなげているだけでバッテリーに負荷がかかっているのだと思います。ノートパソコン(そのほかスマートフォンなどバッテリーに接続させる機器はすべて)はACから外すことも必須なのだろうと。
 実のところ、同系列の MacBook Proではバッテリー問題ですでにリコールがあり、一部の航空会社は当該機種の機内持ち込みを禁止しています。‥‥」

 マックではないぼくとしては、Windows系で検索して、こんなウェブぺージに行き当たりました。
https://panasonic.jp/cns/pc/appli/workstyle/pc_knowledge/battery.html

こんなことが書いてある。↓ <こちらはぼくのコメント>
¶買ったままの初期状態でノートパソコンを使っていると、バッテリー残量が分かるとはいえ、作業内容によっては急速にバッテリーを消費することもあります。モバイルワークや移動が多いビジネスマンにとっては、作業する環境や時間を考えた電源管理が重要です。
<ビジネスマンならぬ知的生産者にとっても当てはまりますね!>
1. 画面の輝度を下げる
 輝度とは画面の光の明るさのこと。画面が明るすぎるとバッテリーの消費も大きくなるので、周りの明るさに合わせて適切な輝度に調整しましょう。

2. 不要なUSB機器を外す
 プリンターや外付けハードディスクなどを電源オンの状態で常時接続しているとパソコンのバッテリーを消耗するので、使用時以外は外しておくのがベスト。

3. 使わないアプリを終了する
 マルチタスクで多くのアプリを立ち上げていると、バッテリーの消費が大きくなりがちに。使わないアプリはこまめに終了させましょう。
<こまめに終了させるというより、そもそも使わないアプリは Uninstall してスッキリするのが一番。>

¶<さらには根本的な考えかた、というか、だいじなノウハウですが:>
【バッテリーを長持ちさせる3つのポイント】↓
1. なるべくバッテリーを低い温度で管理する
 バッテリーを高温の状態で使い続けてしまうと劣化するスピードを早めてしまいます。 しっかりと排熱・冷却し、なるべく低い温度で使うようにしましょう。

2. バッテリーの充電回数をなるべく減らす
 バッテリーは充電を頻繁に行うと劣化するスピードが速くなります。充電回数をなるべく抑え、パソコンを長時間使用しないときはACアダプターを外しましょう

3. 使用状況に合わせてバッテリーを変更する
 ひとつのバッテリーを使い続けるのではなく、状況に応じて複数のバッテリーを使い分けましょう。バッテリーへの負担も少なく、持ち運びも快適になります。

→ こういうことって、常識にしたいですね!

 じつは、もっとも肝要なのは、PCよりもそれを使うご本人の健康状態です。
 お互いに、もう馬力だけで勝負するのでなく、質を大切に、良き人生を歩みましょう。

2019年9月22日日曜日

大庭健さんを偲ぶ会 

 今日22日(日)、専修大学の眺望の良い部屋で大庭健さんを偲ぶ会が催されました。遺された原稿を編集した『人-間探究としての倫理学 - 遺稿』というA4の冊子(付録と一緒で計160ぺージ)もいただき、また回想や逸話を聞いて充実した夕べでした。
倫理学・哲学関係のみなさんに続いて、ぼくも旧友として4番目に挨拶をしました。他にもっと適切な方が(とくに折原先生とか、八木さんとか)おられるはずですが、その代わりのようなつもりで、また弟分のような気持でお話ししました。要点は以下のとおりです[一部割愛します]。

¶ 昨年10月に大庭健さんが亡くなり、11月23日、柏木教会の葬儀告別式に参りました。
 → http://kondohistorian.blogspot.com/2018/11/blog-post_24.html
ほぼ1年後の今日は「偲ぶ会」に来ているわけですが、残念ながら、じつはどちらの会でも存じ上げないお顔ばかりです。これは、大庭さんの人倫の交わりの広がりのうち、近藤がクリスチャンでなく、哲学・倫理学関係でもなく、専修大学関係でもない、マージナルな所に位置しているため、と思われます。Odd man out ではありますが、大庭さんの死を悼み、お人柄を偲ぶという点では人後に落ちないつもりです。機会をいただきましたので、1960年代後半、大庭さんが倫理学者・大学教師になるより前のエピソードをお聞きください。

¶ そもそもぼくが大庭さんに出会ったのは、1967年の春、折原浩先生の一般教育ゼミでした。大庭さんが東京大学に入学なさったのは1965年で、ぼくはその1年下です。なにか人文社会系の学問みたいなことをやりたいと思っていましたが、焦点は定かでなく、大教室で聴いた3つの講義がおもしろいな、と思っていたころでした。
 と申しますのは、第1に城塚 登 先生の社会思想史、第2は京極純一先生の政治学、第3が折原先生の社会学でした。デュルケムの自殺論からアノミーを論じ、マルクスの『ドイツ・イデオロギー』や『経済学批判』から唯物史観の考えかたを説き、ヴェーバーの『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』から信仰・社会層・生活規範の分析をやってみせる。大学に入学したばかりの者に、岩波文庫の何ぺージ、何行目と指示しながら学問のイントロダクションをやってくださったのです。圧倒されました。2年生になる前に直訴して、講義とは別に開講されていた小人数のゼミに出席させてくださいとお願いしたのです。
 折原先生はまだ31歳で、駒場の教員になって3年目。ヴェーバーの『宗教社会学論集』を踏まえながら、テキストとしてはあの『経済と社会』のなかの「宗教社会学」という章、まだ翻訳がなく、英訳を用いてこれをしっかり読んでゆく演習でした。このゼミを仕切っていたのが(駒場で3年目の)大庭さんだったのです。読み進むにつれて、パーソンズの弟子フィショフの英訳にはいろいろ問題があるというので、結局ドイツ語のテキストを参照することになりますが、そのドイツ語の読み方から、報告レジュメの切り方、討論の仕方にいたるまで、リードしてくれたのは大庭さんでした。折原先生も、大庭さんを右腕のように頼もしく思っておられたのではないでしょうか。

¶ 翌68年度に、大庭さんは熟慮のうえ(何度も和辻哲郎の名をあげていました)倫理学へ、ぼくは西洋史へ進学しました。同時に折原先生の駒場のゼミには2人とも毎週欠かさず通いましたし、文学部では「宗教社会学」という講義を始められたので、これも出ました。さらに大庭さんに誘われて、駒場の杉山 好先生のお部屋で隔週でしたか、夕方からヴェーバーの『古代ユダヤ教』を読みました。みすず書房の内田芳明訳がすでに出ていたのですが問題が多い翻訳で、原文を読んで、誤訳や不適訳を見つけて腐(くさ)す、という会でした。ドイツ語については杉山先生の学識に大いに啓発されましたが、その信仰心には付いて行けず、居たたまれなくなることもありました。『古代ユダヤ教』については、その後も(杉山先生抜きで)68年夏に野尻湖のある人の別荘で合宿して読み合わせました。
 少し前後しますが、折原先生も書いておられるように、68年の学年始めまで「約3年間[余り]は、講義と演習の準備に追われ、学問の季節‥‥」(『東大闘争総括』p.134)だったということですが、その学問の季節をぼくたちも、大庭健、社会学の八木紀一郎、舩橋晴俊、経済史の八林秀一といった人たちとご一緒できたのは幸せなことでした。今のぼくの学問の基礎力・エッセンスのようなものは、折原ゼミと大庭さんによって学び、鍛えられたと考えています。

¶ そうこうするうちに、68年6月17日に本郷キャンパスに機動隊が導入されて、学内の空気は一変し、学科討論やゼミ討論、そして無期限ストライキへと向かいました。ナイーヴなぼくにとってはエキサイティングな政治の季節の始まりでしたが、大庭さんの場合は落ち着いて運動も学問も積極的にこなしておられたようで、だからこそ無期限ストライキのさなかに大庭提案による『古代ユダヤ教』合宿もありえたわけです。68年6月に始まった文学部の無期限ストライキは、1年半後の69年12月まで続きます。
 急いで付け加えますが、この18ヶ月におよぶ学園闘争中に政治と学問は別のものではなく、一つのことの二つの面でした。だからこそ、マルクスやヴェーバーといった古典から、大塚久雄や丸山眞男を読み、さらにルソーやスミス、内田義彦や平田清明『社会主義と市民社会』を読み合わせる会のようなことをずっと続けていました。
若い世代、といっても今60歳未満の方々ということになりますか、この点ははっきり区別していただきたいのですが、一方で、東大執行部の権威主義的でパターナルな姿勢を批判する、ビラのガリ版を切り、謄写版で何百枚か刷り、食堂や教室の入り口で配る、立て看をきれいに仕上げて銀杏並木に立てかける、ヘルメットをかぶって街頭デモ行進をするといったことと、他方で、ゲバ棒を人に向かって打ちつけるとか、「帝大解体」を叫ぶとかいったことは、全然別のことでした。

¶ 70年代に入ると大庭さんの口からベンサムの pleasure & pain、 分析哲学、そして廣松渉といった名がしばしば出てきて、なにか大きな展開が始まったな、とぼくにも感じられました。その後、ご存じのとおり、大庭さんは倫理学者として、広く人と社会にかかわる発言に積極的に取り組むことになります。ぼくの最初の単著は『民のモラル』というタイトルで、大庭さんにも送りましたが、人倫を問い続けていた大庭さんの感想はまた独特でした。
 最後にお目にかかってお話したのは2007年で、図書館長として多忙ななか、専修大学で「人文学の現在」といった講座を企画して、ぼくにも加わるよう誘ってくださったのでした。これは残念ながら実現しなかったのですが、その折のメールのやりとりで、「相変わらずのスモーカーなので、たいした風邪でもないのですが、長引きます」といった発言があり、心配していました。
 たくさんの本を出版なさり、倫理学会会長もつとめ、漏れ聞いているだけでも「大庭兄」に私淑している方は何人もいらっしゃいます。やり残したお仕事、心残りもあったと思いますが、知的な影響力という点で実り豊かな人生だったのではないでしょうか。別の分野に進みましたが、ぼくもそうした影響を享受した「弟分」の一人です。
 大庭さん、ありがとうございました。

2019年9月17日火曜日

後ろを見つめながら未来へ


暑さをなんとか凌いだところで、ちょっと振り返りますが、

・5月19日(静岡大学)の西洋史学会大会・小シンポジウムは、ぼくにとっては3月18日のブダペシュトのつづきで、フランス革命におけるジャコバン独裁の研究、他国のジャコバン現象の研究、共和政と民主主義の歴史といったことを考えることができて良かったのですが、文章にしないとなかなか定着しませんね。パーマの『民主革命の時代』の学問的な前提にあった両大戦間の corporatist の研究からなにを学ぶかという点で、二宮史学を相対化できたのも、思わぬ成果でした。

・5月26日(立教大学)の歴史学研究会大会・合同部会は、主権国家再考 Par 2 ということで、昨年(Part 1、早稲田大学)のつづきでした。すでに『歴史学研究』976号(2018)に昨年の合同部会における研究発表・コメントと討論要旨が載っていて、「‥‥公共的で批判的な学問/科学の要件」『イギリス史10講』p.165 が満たされています! 今年の大会増刊号のために「主権なる概念の歴史性について」という小文を書いて、すでに初校ゲラも戻しました。秋の終わり頃には公になっているでしょう。それにしてもぼくは、皆川卓氏と岡本隆司氏の引き立て役にすぎません。
この間、合衆国のトランプ、連合王国のジョンスンばかりではない、中華人民共和国の習近平、大韓民国のムンジェイン、日本国の安倍晋三、等々の政治家たちはみな「主権の亡者」のごとく、マスコミもまた国家主権の強迫観念を客観視できないようです。

・今秋の11月9日(東京大学)ですが、史学会大会シンポジウムでは〈天皇像の歴史〉という共通論題で日本史3名の研究報告があり、なぜかコメンテータは近藤です。
すでに準備会などで討論していますが、ぼくとしては第1に、君主の位の正当性根拠(3つの要件)*といったことから、「万世一系」を正当性のなによりの根拠としているらしい日本の天皇という制度の独自性を際立たせたいと思います。第2には、江戸時代から明治時代への転換において、いかにして欧語 emperor の指す権力が征夷大将軍(imperator)から天皇(総帥権をもつ皇帝)へと変わるのか、維新の政治家たちの判断(決断)理由を問います。エンペラーという語がカッコイイというのもあったでしょう。19世紀半ばという時代性を際立たせたいと思います。
なお大日本帝国憲法について、その絶対性ばかり指摘されがちですが、じつはその第4条に「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬し、此ノ憲法ノ条規ニヨリ之ヲ行フ」とあるように、モンテスキュにならって、君主制は即、法の支配の下にあると明記していました。だから美濃部「天皇機関説」こそ正しい解釈だったのですね。
それをファシストたちが崩していったときから日本帝国は法治国家でなくなり、いわゆる「天皇制絶対主義」という解釈の余地が生じてきます。安丸良夫、丸山眞男の見識を再評価したいと思います。他方で、講座派およびその優等生・大塚久雄は、ここの転換のデリカシーを受け容れない、硬い解釈を採っています。

* 君主位の正当性の3要件とは、『イギリス史10講』を貫く理屈のひとつの柱でした。p.33 から p.274まで。

2019年9月13日金曜日

Contingency は「偶然」ではない


 「取り扱い注意!」の行政文書のつづきです。
 歴史家としては、ここで contingency というキーワードが使われていることにも注目します。これまで修正派(revisionist)がよく使う語として(必然史観の反対の)「偶然性」といった訳語とともに紹介されてきましたが、それでは不適訳です。偶然どころか、複数の要因が複合して生じる、情況しだいの非常事態
 良い辞書には contingency plan=非常事態の防災計画、
contingency reserves=危険準備金、
contingency theory=(経営学における)普遍一般理論でなく、経営環境に特化した情況適応理論*、 そして
contingency fee=成功報酬! つまり必然ではないが、努力の成果にかかる報酬、
といった説明があります。
 (*いま「私の履歴書」を執筆しておられる野中郁次郎さんの博論も、この関係だったのですね。今日の『日経』)

 修正主義を語る歴史家の皆さんも、再考してください。

Brexit 取り扱い注意!


 イギリス政府に「黄アオジ作戦」と称する「取り扱い注意」official sensitive の行政内部文書があることは8月に部分的なリークによりわかっていたのですが、きのう議会の議決により公開されました。EUから強行離脱した場合にはどうなるか、8月2日付けで各省庁が想定したことを集計した文書です。Reasonable Worst Case というのですが、「合理的に想定できる最悪のケース」です。Operation Yellowhammer というキーワードで検索すれば、どこからでもダウンロードできます。印刷設定によりますが、A4で5ぺージ。

 驚くべき事態が想定されています。
 EU 離脱の日に「UKは完全に「第三国」の地位に陥り」、2国間協定は加盟国のいずれとも結ばれていない。いま公衆も企業も、準備は低水準で、大企業は多少の contingency plans を準備してきたが、中小の企業は相対的に不十分。とりわけ離脱が秋冬なので、(従来もあったように)厳冬、洪水、インフルエンザなどがあると、事態はさらに悪化。
 あまり報道されてこなかったことだと思われますが、国境を越える(cross-border)金融サーヴィスに支障が出るだけでなく、オンラインの個人データの流れも、治安情報のデータの流れも支障をきたすだろう(may ではなく will という単純未来の助動詞を使っています)。イギリス人が EU市民権を失うことにともない、現在享受している権益について、個別に交渉し保持する必要があるが、事態の認識は遅い。
 アイルランドとの間の関税問題は報道されていますが、ジブラルタルについても、近海の漁業権についても問題がある。非合法の(ヤミ)経済の増大、被害をうける人々の「憤りとフラストレーション」が生じるだろう。抗議行動、対抗抗議行動が全国で生じ、かなりの警察力が費やされるかもしれない。秩序の紊乱やコミュニティの緊迫(public disorder and community tensions)もあるかもしれない(こちらの助動詞は may)。
 低所得者は、食料と燃料の価格上昇により特段の悪影響を受ける(disproportionately affected)だろう。大人の社会保障については大きな変化はないだろう。大人の社会保障市場はすでに脆弱だから。‥‥

 驚くべきは、ジョンスン政権が、こうした行政当局から上がってきた「取り扱い注意 行政文書」を読み理解しておりながら、なんの妙案もないまま、強行突破しようとしていることです。EUから抜ける、ということだけが自己目的で、国民生活も、近隣との良き関係も、歴史と未来への展望も考えていないようです。主権(sovereignty)の亡者? あるいは正気を失っている? ナチスが諸悪の根源をユダヤ人としたのと同じように、ジョンスン政権は諸悪の根源をEUだとして、国民とヨーロッパを奈落に落とし込めようとしている。
 【ヒトラー首相が最後に愛人と愛犬とともに自殺したとおり、ジョンスン首相も最後に愛人と愛犬とともに同じ運命をたどるのでしょうか?】

2019年9月5日木曜日

迷走する英国に将来はあるのか


8月末に書きましたとおり、ひたすら引き籠もりの夏ですが、イギリス議会のことは危機感とともに見ています。ジョンスン首相の議会 suspension (延期・一時権限停止)案というのは17世紀のチャールズ1世以来の暴挙、すわ革命か、といった策です。
9月3日の官邸前記者会見で訴えたのは、1. Police, 2. Hospital, 3. Schoolへの予算配分だけ、これであとは‘no IFs, no BUTs’の Brexit へ突入するというのですから、無手勝流もいいところです。内政というより保守党支持者を繋ぎ止めるための政策だけで、あとはどうしようというのでしょうか。これが英国首相の演説とはにわかに信じられません。

現地4日(水)の庶民院では
1) 野党提案の「No-deal Brexit を阻止する法案」可決。
2) これに対抗して首相から解散・総選挙提案、これは圧倒的に否決。
与党保守党から党議違反の21議員が造反し、除名。
ソースは https://www.bbc.com/news/uk-politics-49580180
     https://www.bbc.com/news/uk-politics-49584907

では、これで野党筆頭の労働党が優位に立ったかというと、残念ながら党首ジェレミ・コービンはただの旧左翼です。1980・90年代にサッチャ・メイジャ政権が長く続いた根拠にはときの労働党の無為無策がありました。今回も - 2010年以来の長期保守党連立政権です - 似ていると思います。ブレア・ブラウンの新労働党政権(1997-2010)が去ってから、労働党は New Labour でなく Old Labour に戻っちゃったのですね。
たしかに2016年以来のキャメロン・メイ・ジョンスンのリーダーシップには愚かで党利党略に走ったところがありました。でも、その愚策のままに許したのは野党第一党の労働党です。
英国(美しくひいでた国)と表記されて、明治以来の日本人の多くから一目置かれてきたイギリス、連合王国。
歴史と金融と高等教育で生きながらえてきた老大国は、2016年のレファレンダムから以降の混乱を抜け出さないかぎり、人材もカネも流出して、尊敬も注目もされない、ただ歴史をほこるだけの老国になってしまうでしょう。
歴史的な老国といっても、イタリアの場合は、風光明媚で、北から南まで魅力が尽きない、男女とも魅力的、なんといっても(どこへ行っても)食べたり飲んだりに楽しみがある。
イギリスは、太陽が不足して、なにしろ食べたり飲んだりに楽しみがない! 

2019年8月31日土曜日

書いて考える/考えて書く

久方ぶりですね。
8月はひたすら内省と執筆の月でした。

去年の学生たちと読んだ Gordon Taylor, A Student's Writing Guide: How to plan & write successful essays (Cambridge U. P., 5th printing, 2014) ですが、気の利いた引用が多くて、読み進むのが楽しくなったものです。ときに再読しますが、ここには註の付け方とか巻末の参考文献表のスタイルをどうするか、といった退屈で、また大学や学会・出版社により少しづつ異なるルールには踏み込みません。そんなことは各々のルールに黙って従えばよいので、論文(原稿)が書けるかどうかで必死になってる人には副次的な問題です。
I have always preferred to reflect upon a problem before reading on it. Jean Piaget
関係文献を読むより、まずは何が問題なのか考えをめぐらす(瞑想する)ことが大事だというのですね。
さらには
How do I know what I think till I see what I say.  E. M. Forster
書いて文字になったものを見て、はじめて自分が考えていることがわかる!

よーく考えて、まずは書き付ける(引用はまずは記憶に頼ってよい)。どんな点で至らないのか、何をさらに調べなくてはいけないのか、目に見えるようにする。関係文献を探すのはそれからで良いし、何をどう読みなおすべきかもわかってくる。
とにかく頭の中にあることを文字にしないまま考えを進めたり、論文を書き進める/議論を展開するとかは(天才でもないかぎり)不可能だ、ということですね。
E. H. カーが『歴史とは何か』で言っていた(あまり引用されない)本質的なポイントは、
「素人の皆さんは‥‥歴史家は関係史料をしっかり読み込んで、ノートもファイルしたうえで、機が熟すと、おもむろに著書の最初から順に終わりまで書き下ろす、とでもお思いでしょうが、そうは問屋は下ろしてくれない。少なくともわたしの場合は、二三の決定的な史料(証言)と思われるものに出会ったら、むずむずしてきて(the itch becomes too strong)書き始めちゃう。それは最初なのか、どの部分なのか、どこでもいいんです。で、それからは読むのと書くのとが同時に進むんです。読み進むにつれて、書いた文は追加されたり削られたり、修文されたり棒引きされたり。書いた文章によって[史料・文献の]読みの方向が定まり、実を結びます。書き進むにつれて、わたしが探しているものが分かってくるし、わたしの所見の意味と関連性が理解できるようになるのです。‥‥」Taylor, p.6.
この引用があるだけでも、著者 Taylor先生の聡明さが想像できるというものです!

昔(まだ100%手書きの時代に)、ぼくの近辺に「メモやノートは必要ない、読んだことは頭に入っている。ひたすら原稿用紙に向かって書いて行けばいいのだ。めったに書き損じはない」とうそぶく男が2人いました。はたして天才だったのか? 1人は(すでに故人です)一生の間に論文(らしきもの)を2本だけ書きました。もう1人は(定年で退職しました)一生の間に書いたのはすべて学内紀要で、全国誌にはひとつもありません。もちろん欧文はゼロ。2人のどちらも今からみて研究史的に意義あるものは残していませんし、名前さえ、近くにいた人以外は知らないのではないでしょうか。つまり書くこと、推敲することを疎んじて、書いて考える(自分の文章を導きに、考えを深め展開する)といったことをしない人は、学者研究者としては成長しないということかな。