2020年2月22日土曜日

水際作戦からパンデミックへ


 いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫病学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。

¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来満夫教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MARS と違って「はじめに劇症が出ない病気だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状が出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。
 WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。

¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
 グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけですね。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかもソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。しかも日本では英語発信の立ち後れという問題も加わって(Ghosn 問題と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。
‥‥付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな。

2020年2月11日火曜日

川島昭夫さん(1950-2020)

 川島さんが2月2日に亡くなったと、先ほど知らされました。69歳。

 1950年生まれ、あるいは1969年の京都大学入学者には人も知る逸材が多くて、(西洋史にかぎらず)あの人も、この人も、という情況でした、今でもそうです。ぼくが川島さんを意識したのは(誰から聞いたのでしたか)越智武臣先生のもとにすごい逸材がいる、ということでした。17世紀あたりの科学史やものの歴史、近代のantiquarianism といった変なこともやってる自由人!
 たしか父上は『西日本新聞』の記者で、そうした点でも、かつて『朝日新聞』九州本社に勤務した越智先生と話が通じやすかったのでしょうか。広く自由な興味関心のままに、京都の教員生活を楽しまれたのかな。いつだかの年賀状には、俳句をひねることもある、と記されていました。
 20年以上前のなにかの学会で、「こんなアホな報告、聞いていられない」と途中で廊下へ出たら、すでに廊下に退出していた川島さんと目が合って、あはは、となったこともありました。ぼくの「自由の度合い」は川島さんのそれに一歩出遅れている、ということかな。
 いまさらの恨み言をひとつしたためると、『岩波講座 世界歴史』16巻〈主権国家と啓蒙〉に執筆してくれるはずだったのに、どれだけ待っても原稿を出してくれず、1999年夏、ぼくがオクスフォードに滞在して自分の原稿の仕上げにアタフタしているうちに、岩波書店がこれ以上は待てないとのことで(当時はファクスおよび紙媒体の郵便のヤリトリでした)、結局見切り発車となってしまいました。そのときの「月報」には、正誤表のあとに、
 「本巻掲載予定の‥‥「森林と法慣習」(川島昭夫)は、都合により収載できませんでした。読者の皆様に深くお詫び申し上げます」
と記されています。
 その翌年の Anglo-Japanese Conference of Historians (IHR, 28 Sep.2000) ではオブライエン司会で
 British colonial botanic gardens and Edinburgh
という報告をなさいました。Respondent はキャナダインでした。
 谷川・川島・南・金澤(編著)『越境する歴史家たちへ』(ミネルヴァ書房、2019年6月)には寄稿されていません。
 最後にお会いしたのは京大の構内で、あわただしく挨拶しただけでした。川島さんが65歳で定年退職なさった直後ですから、4年前でしたか。ぼくも彼もそれぞれの研究会合に向かう途上で、こんなに急いで別れて良いのだろうか、とそのときも心残りでした。

 ご冥福をお祈りします。

2020年2月5日水曜日

ピート市長!


アイオワ州の民主党コーカスで、途中経過ながら、まさかの38歳 Pete Buttigieg が第1位!
政治手腕は未知数ですが、若さと落ち着きの好青年、democratic capitalism を支持する、カトリック≒アングリカンというので、案外これから他州でも支持を拡げるかも。Gay であると公言したうえでの出馬ですから、今後は右翼からの攻撃・揶揄はすごいでしょう(警備はしっかりやってほしい)。

長い大統領選挙キャンペーンで、ぼくが考える第1の基準は「トランプに勝てるか」です。サンダーズやウォレンがどれだけ正しいことを主張しても、最終的に全国で勝てない選挙戦をつづけるのは、トランプ再選に手を貸すことになる。今のアメリカ合衆国で50%以上の有権者を獲得できる、かつ理性的な政策・政治姿勢はなにか、という観点から考えるべきです。
想うに、16世紀フランスの血で血をあらった宗教戦争(36年間におよんだ)の最後に出現したポリティーク派(正しい信仰かどうかよりも、公共善/国家の存立を優先した人文主義者たち)の選択を、いまも実際的で賢明だと思います。「パリはミサに値する」。プロテスタントのナヴァル王アンリは、みずからの信仰を曲げてまで、内戦の終結、フランス王国の安泰、各信教の自由を優先しました。近世フランス、ブルボン朝の繁栄の始まりです。

ところで CNN も言うとおり、
  But while Buttigieg will struggle with building national name recognition,
  voters will likely struggle with pronouncing his name.
マルタ系の氏名らしいですが、日本のマスコミの「ブティジェッジ」という表記には無理がある。ゲルマン風には「ブティギーク」となりますが、これでは硬い。最初の音節 Butt に強勢をおいて、後半の -gieg をどう流すか、がポイントですね。弱く「ジッジ」ないし曖昧母音で「ジャッジ」かな。
https://edition.cnn.com/2019/01/23/politics/how-to-pronounce-pete-buttigieg/index.html
↑ こんなサイトがあります。すでに1年前にCNNの質問に答えて本人が「ブティジッジ」(後半は弱く曖昧)と発音しています。でも笑って「ピート」でいいんだよ、とのこと。

2020年2月3日月曜日

『みすず』 読書アンケート


 例年どおり、2月の始めに『みすず』の1・2月合併号(no.689)が到来。みすず書房から計134名の方々にたいして依頼した「2019年読書アンケート」の特集、読み始めると止まらなくなるのが欠点です!
 新刊本に限らず、また日本語の本に限らず、しかも長さは約*字とかいったゆるい制限で、読書によせて考えたことを自由に書いてよいことになっています。書き手として年末年始のちょうどよい節目でもあり、読み手としても、あぁ、あの人はまだ元気だとか、そうかこんな本があったのかとか。とても有意義なフォーラムだと思います。あきらかに1年前の『みすず』当該号を意識した発言もあったりして。
 原稿の到着した順に(あいうえおも、世代も専門もなく)そのまま組んでいる - でなければ暮から正月三が日の編集者が過労死してしまう!- のですが、加藤尚武さんに始まり、杉山光信さんが最後を締める構成のうち、ぼくはビリから11番目。
 ぼくの場合、論及したのは、
・歴史学研究会編『天皇はいかに受け継がれたか - 天皇の身体と皇位継承』績文堂、2019 
・尾高朝雄『国民主権と天皇制』講談社学術文庫、2019(初版は1947年)
・清水靖久『丸山真男と戦後民主主義』北海道大学出版会、2019
  → この本についてはすでに https://kondohistorian.blogspot.com/2020/01/blog-post_8.html でも述べました。
・山﨑耕一『フランス革命 - 共和国の誕生』刀水書房、2018
・Takashi Okamoto (ed.), A World History of Suzerainty: A Modern History of East and West Asia and Translated Concepts. Toyo Bunko, 2019

 それぞれ各々読まれるべき良書だと思いますが、一応、ぼくの側のストーリとしては、君主制ないし主権ないし国のかたちという問題; 
人としては丸山真男(を相対化する尾高朝雄、清水靖久、柴田三千雄、岡本隆司‥‥)で筋を通してみたつもりです。
 わずかながら、上村忠男、山口二郎、草光俊雄、苅部直、川本隆史、増田聡、喜安朗、市村弘正、キャロル・グラック、そして杉山光信といった方々の文章に(全面的にではないが一部分、強く)響くものを感じ、教えられる所がありました。
 なぜか説明なしのカタカナで暗号のように刻まれた言葉もありました。グラックさんの場合、記憶の palimpsest(前の字句を書き直した羊皮紙≒目の当たりにされた多重構造)のことですし(p.105);杉山さんの場合は jusqu'au-boutiste すなわち68年末・69年初の徹底抗戦派のことですね(p.110)。ぼくは、こんなことをしたためたことがあります。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2019/09/blog-post_22.html
 なおまた patria/patriotism の問題が少なからぬ方々の心をとらえていることも知れました。将基面貴巳『愛国の構造』(岩波書店)に触れる方々が少なくありません。ジャコバン主義、共和政治、共同体運動を考えるときに、避けて通れない問題ですね。

2020年2月2日日曜日

つらい別れのときに エリオット

 ついに1月31日(日本時間では2月1日)連合王国(UK)はヨーロッパ連合(EU)から離脱。その最後のヨーロッパ議会で Auld Lang Syne (蛍の光)が合唱されたことは日本のメディアでも伝えられましたが、その前に EU 委員長≒首相の von der Leyen (写真の手前左の女性)が、優しく(あるいは respectable な教養人としては当然の礼儀として)次のような詩を朗読したことは、日本で伝えられたのでしょうか? 女性作家ジョージ・エリオットの詩ですが、
   "Only in the agony of parting, do we look into the depths of love.
   We will always love you, and we will never be far."
  「つらい別れのときに、ようやくわたしたちは愛の深さ[複数形! あれこれの強烈な想い出!]を見つめる。
   これからもずっとあなたを愛しています。遠い所に行ってしまうわけではないので。」

 しかもこれに加えて、United in diversity といった青いバナー(横幕)が掲げられては、もぅ感涙するしかないじゃありませんか。

 こうした優しい配慮と友情にたいして、感謝を知らないウツケ者ファラージ(Brexit党)は、
1534年に我々はローマ教会から抜けて自由になった[首長法のこと]。いま我々はローマ条約[1957年の条約によるEEC結成]から自由になるのだ」

などと公言して悦に入っている。ローマカトリック信徒への差別、みずから国家主権の亡者であることを包み隠さぬポピュリストです。

 【ちなみにポピュリスト・ポピュリズムをマスコミは大衆迎合主義(者)と訳していますが、これは不十分です。大衆に迎合するようなこと[フェイクも含む]を言って扇情的に政治権力を執ろう[維持しよう]とする政治手法ですし、そういう政治家です。「デマゴーグ」と昔は呼んでいました。ファラージもジョンソンも、トランプもヒトラーも。大衆受けを狙うだけなら、そう悪いことじゃない。芸能人は(かつてのトランプも)それが商売です。しかし、デマゴーグの扇情的=分断的=反知性的手法でポリティックスをやられては、地獄か煉獄です。ナチス政権は、12年間続きましたね。】

2020年1月26日日曜日

大相撲・取組編成の不始末


 大相撲は14日目を終えて、なんと幕尻(前頭17枚目)の徳勝龍が1敗で単独首位。千秋楽の貴景勝戦で万が一にも勝てばそのまま優勝、負けても正代が2敗のままなら優勝決定戦、正代が負けて3敗ならば、13勝2敗で徳勝龍の優勝となります。
 これをおもしろいと考えるか、取組編成会議の不始末と考えるか。あきらかに後者です。タカをくくっていたに違いないが、下位の取り組みばかりでまさかの連勝を続け、これは想定外と、ようやく12日目から豊山、正代と成績の良い実力者と当ててみたが、こと遅し。
 今日14日目に、徳勝龍は正代に勝ったけれど、この3日ほどの勝ち方はウンの御蔭といった様で、おもしろくない。たまにそういうことがあってもよいが、それで優勝してよいのか、という問題です。
 負けた正代のほうは、前頭4枚目という位置もあるので、高安栃ノ心豪栄道貴景勝といった元・現大関と当たり、また炎鵬北勝富士朝乃山松鳳山阿炎といった好調の力士と取り組んだうえでの成績(2敗)ですから、立派なものです。(徳勝龍は、こうした実力者とほとんど当たっていないのです! 11日目までは弱いのとばかり当たって勝ちを重ねていた。)
 いかに横綱、大関が不調の場所だからといって、幕尻の力士が強豪と当たることなく千秋楽にようやく大関と組んで、優勝が決まる、というのは、だれがみても取組編成会議の不見識、見通しが甘かったということでしょう。
 平幕力士が奮闘して幕内優勝することは嘆かわしくはない、慶賀すべきことでしょう。しかし、強い力士に連勝することなくマグレで優勝賜杯を抱く、というのは、なにより取組編成会議が恥ずべきことです。

2020年1月18日土曜日

生と死


 いただく寒中見舞いではじめて知己の死を知ることも少なくありません。厳粛な気持になります。
 まだお元気であっても「"生涯の残余"を通過中」というある方は、ぼくより13歳年長でしょうか、「死に逝く者にも矜恃があるとして、それはいつまで保てるものか」「もう少し勉強してみよう」と記しておられます。
 こんなポストカードに印字されていました。
 Anthony Sedley 1649 Prisoner
 セドリはレヴェラーの一人ということですが、不覚にも知らず、ODNB を引いても項目がありません。ウェブのなかで検索すると、オクスフォードの Burford Church 教区教会の関連で、1649年のレヴェラー指導者の処刑にかかわる逸話と写真がいくつかあるのでした。(「なんにも知らないんだなぁ」とまた言われそう。)

2020年1月16日木曜日

Ireland, Tony Benn & birds

 blog 管理者としてうかつでしたが、12月17日に Brexit とアイルランド島について1月8日に労働党 Tony Benn についてのコメント発言があったのに、気づかぬままに未公開状態で過ごしていました。さっそく読めるように公開しました。それぞれ示唆的に再考をうながすコメントと受けとめました。
 このところ、イギリス政治について、Prince Harry, Duke of Sussex について(日本の天皇家との違い)、ゴーンと日本の司法・プレスについて、など色々考えさせられるイシューが続きます。ところが、こちらも期限付きの本務としてやらねばならぬことが続きますので、ウェブ発言もままならず、という事情です。

 そうした忙中にも閑あり、小鳥たちが毎朝、挨拶に来てくれます。

2020年1月8日水曜日

『丸山真男と戦後民主主義』

 昨年には読んで良かったなという本がいくつもありましたが、清水靖久『丸山真男と戦後民主主義』(北海道大学出版会、2019)もその1冊。
このたび、恒例の『みすず読書アンケートへの原稿をまとめるにあたり、これを再読しました。【近年は丸山眞男という表記が一般化しましたが、ぼくたちの世代には、丸山真男という表記の方が馴染むのです。1965年、高校3年のとき『朝日新聞』の文化欄で、最近の学界を展望して注目すべき学者たちというコラムがありました。そのときもそうでしたし、以来、大学に入って『日本の思想』でも『現代政治の思想と行動』増補版でも、眞男でなく真男でした。清水さんも1950年代終わり~80年代の実際・慣行に従い、丸山真男と表記します。】
 その後、勉強が進むにつれて、丸山真男は強烈な存在感のある、ちょっと距離を保ちたい人と感じつつも、しかし読むに値する人であり続けました。1996年夏につづいた大塚久雄の告別式には行きませんでしたが、丸山真男の告別式には参りました。
 人格的に100%好きになれなくても、100%学ぶべき人はいる、というのがぼくの人生後半の知恵です。極端な例をあげれば、マルクスは嫌いだし、もし友人・隣人としたら厄介このうえないヤツでしょう。しかし、彼の書き残したものは再読三読に値するのです。

 著者・清水さんは「‥‥丸山真男と戦後民主主義について未解明のことを明らかにし、その思想を継承したい、ただ批判的に継承したい」(p.318)という立場で、東京女子大の「丸山文庫」や「東大闘争資料集」DVDに収められた手記やビラなどにも分け入り、関係者を捜し出して面談し、誠実に緻密に腑に落ちる解釈を呈示します。その姿勢は爽快で、敬服します。
 ただし、本書のうち唯一、1968年12月23日の「法学部研究室」(という固有名詞の研究棟、正門脇)の封鎖について、翌24日、毎日新聞に載った
軍国主義者もしなかった。ナチもしなかった。そんな暴挙だ」(本書では p.182 に写真)
とされる丸山発言の真偽については、まだ納得できません。
その場にぼくも居なかったので、報道や人々の証言に依拠するしかないのですが、「ナチ」と明記したニュース源、一次証言は結局のところ毎日新聞しかありません(他はその拡散か、「ファシズム」「ファシスト」です)。
 一昨年秋の和田英二『東大闘争 50年目のメモランダム:安田講堂、裁判、そして丸山眞男』でも、この点が第Ⅱ部のテーマでした。
 なんと清水さんは2008年にその毎日新聞の担当記者に尋ねあたり、「ただ聞いたままを記事にした」「山上会議所の電話で本社に送稿した」という証言をえたということです(p.185)。ご努力には頭が下がりますが、これで証拠は十分といえるのでしょうか。
 申し訳ないが、40年経過して自分の行為を正当化した記者は、ナチスとファシストの違いが問題だと認識していたのでしょうか。たしかに自分で了解した言説を(法学部から山上会議所・現山上会館まで移動するのに急いでも数分以上かかり反芻する時間があります)整理して、電話でデスクに伝えたのでしょう。オーラル・ヒストリの方法論にかかわりますが、記憶が正しいとして、彼の頭脳を経由した記憶ではないでしょうか。

 これに加えて、清水さんは「ナチは‥‥ユダヤ人教授や反ナチ教授が早く追放されたので、研究室を封鎖する必要もなかったということだろう」(p.186)と述べられます。これは矮小化に近づいています。さらにまた「「ファシストもやらなかった」(佐々木武回顧)と言っても、「軍国主義者もしなかった。ナチもしなかった」(毎日新聞)と言っても、ほとんど違いはなかった」(p.187)とまで述べられます。
 これは西洋史をやっている者には、そして丸山を政治学者・思想史学者と考える者には、かなり抵抗を覚える箇所です。
焚書やマルク・ブロック銃殺やベンヤミン自殺を例に挙げるまでもなく、問題は学問や知性の圧殺です。そうしたナチスさえ東大の「法学部研究室」の封鎖まではしなかったと、もし本当に丸山が言ったのなら、おそろしく錯乱していたことになります。当時も今も、ちょっと信じがたいことです。

 とここまで書いて、今日、清水さんご本人から私信をいただきました。「ナチもしなかったと言った」という(毎日新聞とは別の)たしかな私的証言があるとのことです。ぼくの疑念も、和田の論証も覆されることになります!

 1968年11月から12月にかけての丸山の言動、林団交にたいするシュプレヒコールやナチス報道に接したぼくたち(文スト実)は、今だったら「ウソーッ」「マジか」といった感覚でした。 林団交にたいする坂本・丸山両教授たちのデモンストレーションの際に、当時社会学の院生だった杉山光信さんは図書館前にいらしたようですが、「正直のところ違和感がないわけではなかった」と記しています(『丸山眞男集』16巻月報)。丸山月報への寄稿文なので、抑制された表現ですが、たしかに多くの学部生・院生が共有した違和感だと思います。
 1968年、ぼくたちサンキュロット学生とアリストクラート教授陣の間のズレ・隔絶が、6月の機動隊導入 → 無期限ストライキを招き、秋から以降の丸山真男を錯乱させた、ということなのか。【ついでに言うと、柴田三千雄『バブーフの陰謀』(岩波書店、1968)は1月刊行で、『朝日新聞』にも紹介が載ったし、すぐに増刷されて、フランス革命の後半局面についての重要で分析的な仕事ということは知れていたと思われますが、『丸山眞男集』全16巻にも、『自己内対話』にも柴田についての言及はないようです。ジャコバン主義とサンキュロット運動、というフレームワークは丸山の頭にはなかったのでしょうか?】
 (なお、67年2月の法学部学部長選挙で丸山が当選した後、医師の診断書を提出してこれを辞し、3月に再選挙の結果、辻清明が当選したという事情がありました。辻は同期の助手、丸山は24年前に「国民主義理論の形成」稿を新宿駅で彼に託して出征したのでした。法学部長職を旧友辻に押しつけることになったことが仁義の負い目となり、以後の丸山の言動に抑制がかかったというか、不自然が生じた、というのが当時の -事情を知る人たちの- 憶測でした。

 なおさらに究明すべきことが示されている、という意味も含めて、とにかくこの書は丸山真男論として、これまでぼくが接したうち、一番啓発的で、説得力のある力作です。有り難うございました。

2020年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 新しい年をいかがお迎えでしょうか。

 旧年は、おかげさまで身辺にあまり大きな変化もなく過ぎました。それでも沖縄で首里城などぐすくを歩き(10月末の炎上には驚き悲しみました)、ブダペシュトやブラティスラヴァ、対馬、青森、水戸に遊びました。それぞれ良き先達のおかげで印象深い経験となりました。なにより古くからの師友に再会し、またいくつもの研究集会で報告者やコメンテータをつとめ、討論に参与できる機会が続いたのは、嬉しいことでした。

 華麗ならぬ加齢のすすむにつれ、折々の交わりがいとおしく、このブログに所感をしたためています。

 今年も どうかご健勝にお過ごしください。

 2020年正月                近藤 和彦

(写真[クリックすると拡大]は晴れて寒い今日、晴海大橋から遠望した豊洲の海辺です。
 正面にやや低く4・5層で横に広がるのが「ららぽーと」で、その真ん中に波止場の跳ね橋が見えます。
 豊洲の新市場は、画面の右端「ゆりかもめ」の軌道を右手前に延伸した先にあります。)

2020年1月2日木曜日

Ghosn's gone!


 大晦日の年賀状作成作業が佳境に入っているときに飛び込んできたのが、Ghosn's gone! という速報。アクション映画かなにかで見たような、あるいはフランス革命の重要局面に似ていなくもない逃亡劇です。(日本の当局もマスコミも、年末年始で、この突発事件にすみやかに対応できないまま!)
 この事件を考えるさいに2つのイシューがあり、混同することはできません。

1.日本の司法における人権無視。
 これはぼくたちが学生のころからまったく変わっていません。日本(や東アジア、また他の中進国で)の刑事訴訟法では(疑わしきは無罪、とは大学の授業でのみ唱えられるお題目で)、逮捕時点から被告・容疑者は有罪を想定されていて、しかも実際の運用で、有罪と自白するまで、執拗な取り調べがつづき、釈放されず、外の人々との接触も制限される。【「証拠隠滅のおそれ」という口実で、じつは非日常の空間に長期間拘束された】本人がよほどの忍耐心と自尊心をもちあわせていないと、「楽になりたいばかりに」、真実とずいぶんズレても「自白」とされる検事の用意した調書(彼の構築したストーリ)の最後に署名捺印して釈放される、ということがどれだけ繰りかえされてきたことか。あいつぐ冤罪事件は、ほとんどこれでしょう。「冤罪」ほどでなくとも、正確には違うのだけれど、もぅ疲れた、もぅ終わりにしたい、というケースがどんなに多いか!
 もと厚労事務次官・村木厚子さんのたたかいを、みなさん覚えているでしょう。
 人権の国フランスで教育されたカルロス・ゴーンおよびその周囲の人々は、これを耐えがたい人権侵害と受けとめて、それには屈しなかった。たいする日本の司法官僚たちは、「法治国家日本」のメンツをかけても、現行刑事訴訟法にもとづく作法と手続を駆使して、「外圧」なにするものぞ、と挑んだのでしょう。
 こうした日本の「近代的」文化にもとづく刑事訴訟法(とその実際)にたいする異議申し立てに、ぼくは賛成です。この点にかぎり、ゴーンおよびその弁護団を支持していました。

2.それと今回の逃亡劇とは、まったく別問題です。
 あのソクラテスにとっても、悪法といえども法は法。手続上はそれにしたがい、有能な弁護士と全面的に協力して戦略戦術をたて、具体的に論駁し、たたかうべきだった。ましてやソクラテスの場合とは違って死罪ではなく、経済犯容疑で時間的猶予はあったのだから、何年かけてもたたかって人権のチャンピオンになることすら可能だった。【随伴的に、日本の刑事訴訟法の改正に向かう道が切り開かれるかもしれなかった!】
 それなのに逃亡しては、しかも妻の進言か手引により、クリスマス音楽会を催して大きな楽器ケースに紛れて(?)家を出たうえ、パスポート偽造か偽名を使って日本を出国し、トルコ経由でベイルートへという茶番! (フランス・パスポートは2通目をもっていた!)Extradition treaty (これぞ今、香港でたたかわれている問題!) のないレバノンで、日産と日本の司法の非を鳴らしつつ、これから一生過ごすおつもりですか?
 下手なアクション映画にありそうな筋立てですが、こうした偽装逃亡劇をやってしまうと、日本の世論も欧米の世論も急転直下、ゴーンの人格・品位を疑い、支持しなくなるでしょう。弁護チームもお手上げです。ご本人のベイルートからのメッセージは、このとおり ↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54000320R31C19A2I00000/?n_cid=DSREA001
「わたしは裁き・正義(la justice)から逃れたのではなく、不正・権利侵害(injustice)と政治的迫害から自由になったのだ」という主張ですが、これは通りません。たしかに Wall Street Journal だけは
It would have been better had he cleared his name in court, but then it isn’t clear that he could have received a fair trial.
と仮定法で擁護しています。clear のあとの that は if と読み替えたいところ(https://www.wsj.com/articles/the-carlos-ghosn-experience-11577826902?mod=cx_picks)。辣腕投資家・経営者の味方・WSJ らしい論法で、歴史的に考えない無知の表明です。
 フランスで高等教育をうけたカルロス君のよく知るとおり、革命から2年、1791年6月、ルイ16世が王妃マリ=アントワネットとともに変装して逃亡し、国境近くで阻止されて、パリに召喚され、さんざ嘲られた事件を想い出してほしい。もしやカルロス君は理工系だから、このヴァレンヌ事件なんて知らない、とは言わせない。このときまで立憲君主制(イギリス型の近代)という落とし所が用意されていたフランス革命は、もう止める堰もなく、王なしの共和国、人民主権の革命独裁に突き進むしかなくなったのです。

 この第2点により、ぼくも弁護団も、コングロマリットの普遍君主カルロス・ゴーンを、いささかも擁護できなくなってしまいます。http://kondohistorian.blogspot.com/2018/11/blog-post_23.html
コングロマリットとは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)pp.14-16 でも喩えた、ヨーロッパの政治的なまとまり、国際複合企業の様態をさす専門用語です。これは礫岩とも「さざれ石」とも訳せますが、ここでは明治天皇の行幸した武蔵の大宮(現さいたま市)の氷川神社にある「さざれ石」を見ていただきます。
 いかに経年変化により「‥‥いわおとなりて、苔のむすまで」にいたっても、本質的にこういった脆い結合体ですから、「一撃」があれば、容易にくだけ散ります。

2019年12月31日火曜日

水戸へ

 年の瀬に、なぜか水戸へ1泊2日で参りました。
 茨城県立歴史館および駅前の会議室にて研究会討議。そのあと、水戸市の発行による「水戸学の道」という案内図も参照しながら、複数の名ガイドとともに、水戸城の土塁=空堀の構造がそのまま残っている所を歩きました。水戸は1945年のなんと8月2日に空襲されたのですね! → https://www.city.mito.lg.jp/001373/heiwa/heiwa/p002581.html

 快晴の冬空の下、義公(光圀、水戸黄門)生誕の地から、坂を登って旧本丸の県立第一高校、二の丸の白壁塀、大日本史編纂の地(格さん像)、師範学校跡、再建された大手門から大手橋をわたって、三の丸の弘道館へ。慶喜謹慎の場でもありました。
https://www.ibarakiguide.jp/kodokan/history.html
漢文の書式(作法)についても教えられましたが、戊辰戦争にともなう弘道館の戦い(天狗争乱)については、まったく知らなかった。後まで尾を引く、悲しい(むなしい)歴史です。
 梅園を通って、旧県庁の裏手、そして正面へ。
 ここで今井宏さんの生涯、そして遅塚家のことも思い浮かべ語りながら、銀杏坂へ。坂道を下りきったところにある大銀杏も、水戸空襲の忘れ形見なんですね。

 2日間ともに寒く、快晴。水戸を訪れるにはふさわしい日でした。

2019年12月25日水曜日

生き延びる力

これからの日本、そして英国、合衆国、中国‥‥、世界について、暗い気持になることばかりの今日この頃。メールでやりとりした英国の友人たちも1人を除いて、みんな今回の総選挙に怒るか、悲しむか、困惑しています。合衆国の政治も、中国も、暗澹ですね。
 そうしたなか、偶然目にしましたが E. トッドは数年前にこう言っていたんですね。なるほどと思いました。
「‥‥今後に楽観はしていません。政治的指導者は歴史的に、誤ちが想像されるときには、必ず誤ちを犯してきました。私は、人類の真の力は、誤ちを犯さない判断力よりも、誤っても生き延びる生命力なのだと考えています。」

 思えば、1792-4年のフランス人も、1930年代のドイツ人も日本人も、1960年代からの中国人も、2016-9年のイギリス人も、存在した選択肢のうち最悪(に近いもの)を選んでしまった/過ちを犯した。 にもかかわらず、その後たくましく生き延びられれば良いのですね。
 ふぅぅ。元気でないと。

2019年12月13日金曜日

英国の解体


 悲しい予測が当たり、イングランドにおけるジョンソン保守党の圧勝、コービン労働党の完敗、スコットランド国民党の勝利、という選挙結果です。株式や為替市場がこの結果を歓迎しているというのは、国有化・反大企業をとなえる労働党(社会主義)政権への見込みがなくなったことを歓迎してのことでしょう。
 Get Brexit done! という単純でナイーヴなジョンソン路線が有権者に是認され、来年早々にヨーロッパ連合(EU)からの離脱手続に入ることになります。
 これではっきりしなかったイギリスの先行きが見えてきた、と歓迎する人は、問題の表面しか見ていない。ニワトリ程度のレベルの知性しか持ちあわせていません。ジョンソン政権が公言してきたことは、すべての問題をEUの官僚主義に帰し、イギリスが国家主権を回復すればすべてが解決するというだけで、なにも具体性がない。ヨーロッパから離れて、どうするのでしょう? 頼りにする盟友は、アメリカ合衆国? インド? 中国? すでに破綻した造船業は中国資本の肩入れで営業継続というニュースがありました。日本企業はどんどん離れて行きます。
 なにより憂慮するのは、労働党のこれからです。
 
 図に示すのは Politico の世論調査で、2016年のレファレンダム以来、もう一度あらためて(冷静になって)EUについてレファレンダムをやるとしたら、あなたはどちらに投票しますか、という「仮定の Brexit Referendum」です。2016年6月の投票の一瞬だけヨーロッパ離脱(Leave)票が50%を越えましたが、その後は一貫して、今日までヨーロッパ残留(Remain)派が常に数%の差をつけて優位なのです! つまりイギリスの有権者は悔い改めている! しかも別の調査では、若者であればあるほどヨーロッパと一緒でいたい派。
 こうした絶好のチャンスであるにもかかわらず、党の方針としてヨーロッパ残留、EU内での改革、孤立主義との闘い、を唱えることのできなかったコービン労働党とは何なのか。多くの良識派が党から去り、今回の総選挙ではイングランドでもスコットランドでも議席を失ったのには理由があります。コービンは直ちに党首を辞するべきです。
 なお、Scottish National Party は「民族党」ではありません。スコットランド民族というものは存在しないので。むしろスコットランド国民としての誇りをかかげた政党で、イングランドが賢明であるかぎり、ヒュームやスミスの時代から、連合王国として一緒にやって行こうとしてきたわけですが、これほど愚かで自己中のイングランド政治家たちを見ていると、分離独立してEU内に留まるしかないという決断を下すのも理解できます。
 北アイルランドは、さらに険悪なことになるかもしれません。

 EUのメンバー国にとっても、イギリス連合王国の離脱が良い効果をもたらすはずがなく、‥‥これまで、文明の中心、高等教育の拠点としてかろうじて存続してきたヨーロッパが、そうした知的ヘゲモニーを失い、グローバルな地殻変動(大混乱!)の21世紀へと突入するのでしょうか。2001年から始まっていた悪の連鎖ですが。
 経験と良識のイギリス知性が完敗した2019年総選挙でした。
 イギリス史を研究する者として、悲しく無力感を覚えます。

2019年12月12日木曜日

木曜日は投票日


 今日12月12日はイギリス(連合王国)総選挙の日。なんとも憂鬱な気持です。
https://www.bbc.com/news/uk-politics-49826655
 というのは、ぼくがもし有権者だったら、どう投票するか。ヨーロッパ連合(EU)に踏みとどまって、経済も文化も人的交流も、したがってイギリスの誇る高等教育を維持するには、第1に、ジョンソン保守党政権を打倒することが大前提。
 では野党第一党の労働党に投票するか、といえば、これがただの旧左翼に過ぎない。内政のこと以外頭にないコービン労働党が、EU堅持という政策を押し出すことができないのは、80年代までの「資本家ヨーロッパ」に反対した左派(ベン、フット‥‥)と同じです。フット党首の下でともに働くことを拒否して「4人組」(Roy Jenkins, Shirley Williams, David Owen, William Rodgers)が離党し、社会民主党(SD)を立ち上げたのは、ぼくの留学中のことでした。国民的観点よりも階級的利害を優先する党であるかぎり、政権を担い続けることはできない。80年代のサッチャ政権を長らえさせ、また現在の(2010年以来の)保守党政権を長らえさせているのは、野党第一党「労働者階級党」の愚劣さの「成果」です。
 12日の投票日に、多くの賢明な有権者は迷うほかない。ジョンソンには反対票を投じるのは自明として、しかし愚劣な現労働党には投票できない。で、第三党、EU堅持の自由民主党(LD)に一定の票が集まるでしょう。
 

しかし、イギリスは小選挙区制で、得票第1位の候補者のみが当選する! 一定の労働者票はあいかわらず労働党に行くので、ジョンソン政権批判票は分裂し、結局(50%に達しなくても)得票1位は保守党、という選挙区が一杯で、全国集計では保守党の単独圧勝、という結果がほぼ見えているのです!
 ただしこれはイングランドについて。「保守党」とは正規には Conservative & Unionist Party で、すなわちピール以来の(革命を避けるために改良を重ねる、近代的な)Conservative と、連合王国の Union を死守する=反権限委譲の二つを党是とする政党ですから、現今のように地域利害が正面に出た政治が続くと、イングランド以外では支持を保つことができない。スコットランドでは国民政党SNPが、ウェールズではやはり国民政党 Cymru が多数を占めるでしょう。北アイルランドは元々地域政党の地盤です。

 というわけで、総選挙後のイギリス政治は、中長期にはスコットランド、ウェールズ、北アイルランドがEUに留まることを希求して、連合王国から離反する、すなわち United Kingdom の解体に向かってゆきます。資産も人材も流出し、世界大学ランキングのトップテンから、オクスフォード大学、ケインブリッジ大学、ロンドン大学(Imperial College)の名が消えるでしょう。イギリスがイギリスであったのは、スコットランド人、ウェールズ人とアイルランド人の知性・感性・エネルギー・信仰心と偉大な自然があったからでしょう。小さな、狭量な老イングランドが、単独で往時の威信と平和を取り戻せると夢想するのは愚かというものです。
 ぼくたちの知っている「イギリス」「英吉利」「英国」は、2019年の総選挙とともに、過去のものとなるのでしょうか。それもこれも、2016年のレファレンダムにいたる・そしてそれ以後も拡大再生産されてきた politician たちの無責任な(野心まる出しの)言説、キャンペーンの結果です。公人、エリートたちは「分断」をあおるような発言を繰りかえしてはならない、という教訓を今さらのように(苦い思いとともに)再確認します。

2019年11月24日日曜日

コートールド家


 コートールド美術館といえば、1980年代末に現在のストランド Somerset House に移転するより前、ブルームズベリの Woburn Square(Senate House および IHR の裏手、 Gordon Square に向かって歩き始めた所)にあって、有名な Warburg Institute と隣接していたころです。81・82年に訪れたときには、両者が一緒の茶色い建物にあって、階段をどんどん登っていった気がします。

 それより前に Courtauld という名を初めて知ったのは、ユグノ由来の繊維業ブルジョワ、その社史を書いた Donald Coleman という繋がりでした。
Courtaulds: An economic and social history. i) The nineteenth century - silk and crape; ii. Rayon; iii. Crisis and change 1940-1965 (OUP, 1969/1980)
 経営史の和田さんから、すでに1979-80年に、ケインブリッジの経済史といえば(今ではポスタンではなく)コールマン先生、といってそのときは2巻本を見せられました。
→ https://www.independent.co.uk/news/people/obituary-professor-d-c-coleman-1600207.html
そもそも Courtaulds ってどう読めばいいんだ? ユグノは高校世界史でやったのより、もっと広く深い難題かも。しかも18世紀末にはユニテリアンになった‥‥。戦後歴史学の小宇宙とは別個に展開している深い世界をほんの少しのぞき込んで、おののくような感覚。同時に、だからこそ留学する意味があるという期待。
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Courtauld_(industrialist,_born_1761)
https://en.wikipedia.org/wiki/Samuel_Courtauld_(industrialist)
 そのケインブリッジで社会経済史のセミナーに出てみたら McKendrick, Brewer, Styles などを集めて、ツイードのジャケットが似合い、パイプをくゆらせる理知的な紳士でした。81-82年ころには、Gentlemen and players といった問題を立てながらも、ゼミの報告にたいして「 Social history なんて学問として成り立つのかい」といった発言があり、ぼくのような若造から見ると、保守的なのかリベラルなのか、よくわからなかった。それは、彼の代表作ともされるコートールド社史3巻本における分析と叙述の統一といった点に表れ、かつイギリス学界で高く評価されたのとも不可分の、イギリス経験主義だったのでしょう。 → to be continued.

2019年11月16日土曜日

「主権国家再考」の公開研究会

 もはや今日のことになってしまいましたが、ご案内を転載します。

「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」公開研究会
  『「主権国家再考」の再考』

          主催:科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」
          共催:ヨーロッパ近世史研究会

 秋麗の候、みなさまにおかれましては、ますますご清祥のことと拝察します。
科研基盤研究(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」は、『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)の刊行後に求められる議論として、複合的政治編成の知見を踏まえたヨーロッパ史解釈の再構築をすすめるべく、具体的に「主権」概念に焦点を絞りながら検討をすすめてまいりました。
それらの研究成果の一端は、2018年、2019年に歴史学研究会が主催した合同シンポジウム「主権国家再考」において披歴されました。
 この度は2019年5月に開催されたシンポジウムの講演録がこの10月、『歴史学研究』増刊989号に刊行されたことを機会に、今回はヨーロッパ近世史研究を専門とするみなさまとあらためて検証すべく、以下のような公開研究会を開催します。みなさまの参加を心から歓迎します。

 日時:2019年11月16日(土)14時-17時30分

 場所:早稲田大学戸山キャンパス39号館5階第5会議室
 https://www.waseda.jp/flas/cms/assets/uploads/2019/09/20181220_toyama_campus_map.pdf

 次第:①主旨説明:古谷大輔(大阪大学)『礫岩のようなヨーロッパ』の先に - 主権概念の批判的再構築

 ②基調報告:佐々木真(駒沢大学)「主権国家再考」の議論について

 ③「主権国家再考」シンポジウム関係者からの応答
 科研基盤(A)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」の研究分担者から、佐々木報告へのリプライを行います

  休憩:15分程度

 ④フロアの皆さまとの討論と総括

2019年11月12日火曜日

平田清明著作 解題と目録


 史学会大会から帰宅したら、『平田清明著作 解題と目録』『フランス古典経済学研究』(ともに日本経済評論社)が揃いで待ってくれていました。
どちらも「平田清明記念出版委員会」の尽力でできあがったということですが、知的イニシアティヴは名古屋の平田ゼミの秀才:八木紀一郎、山田鋭夫にあることは明らかです。
 『フランス古典経済学研究』は平田39歳の(未刊行)博士論文。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2537
 『平田清明著作 解題と目録』は、刊行著書のくわしい解題と、略年表、著作目録。http://www.nikkeihyo.co.jp/books/view/2538

 こうした形で出版されことになった事情も「まえがき」にしたためられています。
 「門下生のあいだでしばしば浮上した平田清明著作集の構想の実現が、現在の出版事情から困難であったからである。‥‥しかし、図書館の連携システムや文献データベース、古書を含む書籍の流通システムが整備されている現在では、一旦公刊された文献であれば、労を厭いさえしなければ、それを入手ないし閲読することがほとんどの場合可能である。‥‥そう考えると、いま必要なのは、著作自体を再刊することではなく、それへのガイドかもしれない。‥‥それに詳細な著作目録が加わればガイドとしては完璧であろう。‥‥
 そのように考えて、著作集の代わりに著作解題集・著作目録を作成することになった」と。
 まことに、現時点では合理的な判断・方針です。1922年生まれ、1995年に急死された平田さんの『経済科学の創造』『市民社会と社会主義』『経済学と歴史認識』から始まって、すべての単著の概要・書誌・反響・書評が充実しています。また「略年表」とは別に、なんと143ぺージにもわたる「著作目録」があります。見開きで「備考」が詳しい! 「追悼論稿一覧」も2ぺージにおよびます!
 とにかく、ぼくが大学に入学した1966年から『思想』には毎年、数本(!)平田清明の論文が載り、『世界』に載った文章も含めて『市民社会と社会主義』が刊行されたのは1969年10月。東大闘争の収拾局面、ベトナム戦争の泥沼、プラハの春の暗転。こうしたなかで平田『市民社会と社会主義』が出て、ぼくたちが熱烈に読み、話題にしはじめて3ヶ月もしないうちに、日本共産党は大々的に平田攻撃を開始して『前衛』『経済』を湧かせ、労農派も平田の反マルクス主義性をあげつらう、という具合で、鈍感なぼくにも、誰が学ぶに値し、どの雑誌や陣営がクズなのか、よーく見通せることになった。
 そうしたなかで、わが八木紀一郎は驚くべき行動をとりました。東大社会学・福武直先生のもとで「戦前における社会科学の成立:歴史意識と社会的実体」というすばらしい卒業論文(1971年4月提出)を執筆中の八木が、東大でなく名古屋大学の経済学大学院を受けて(当然ながら文句なしに*)合格して、卒業したら名古屋だよ、と。すごい行動力だと思った。
 *じつは受け容れ側の名古屋大学経済学研究科の先生方は、筆記試験も卒業論文も抜群の東大生がどうして名古屋を受験するのか、なにか秘密があるのか、戦々恐々だった、と後年、藤瀬浩司さんから聞きました。平田先生のもとで学びたい、というだけの理由だったのです! ただし、その平田先生は73年に在外研究、78年に京都大学に移籍します。八木もドイツに留学します。

 ぼくも西洋史の大学院に入ったばかりのころ、八木の紹介で、本郷通りのルオー【いまの正門前の小さな店ではなく、菊坂に近い現在のタンギーにあった、奥の深い喫茶店】で平田先生と面談し、わが卒業論文(マンチェスタにおける民衆運動:1756~58年)の要点をお話ししただけでなく、1972年3月には滋賀県大津の三井寺で催された名古屋大学・京都大学合同の経済原論合宿の末席を汚して、経済学批判要綱ヘーゲル法哲学批判などを読み合わせたりしたものです。そこには奈良女の学生もいました。
 マルクス主義者というより、内田義彦に通じる、経済学と人間社会を(言葉にこだわりつつ)根底的に考えなおす人、としてぼくは平田清明に惹きつけられたのでした。

 68-9年からこの『平田清明著作 解題と目録』の刊行にいたるまで、現実に与えられた諸条件のなかで「筋を通す」という生きかたを貫いておられる、「畏友」八木紀一郎に敬意を表します。

2019年11月8日金曜日

明日のシンポジウム

既報の再録ですが、明日、史学会大会の公開シンポジウムは〈天皇像の歴史を考える〉です。

史学会大会・公開シンポジウム http://www.shigakukai.or.jp/annual_meeting/schedule/
日時: 11月9日(土)13:00~17:00 

会場: 文京区本郷 東京大学・法文2号館 1番大教室

公開シンポジウム 〈天皇像の歴史を考える

<司会・趣旨説明>
  家永 遵嗣(学習院大学)・ 村 和明(東京大学)

<報 告>
  佐藤 雄基(立教大学)「鎌倉時代の天皇像と院政・武家」
  清水 光明(東京大学)「尊王思想と出版統制・編纂事業」
  遠藤 慶太(皇学館大学)「歴史叙述のなかの「継体」」

<コメント>
  近藤 和彦

<討 論>

 日本史の古代・中世・近世の3研究にたいして、西洋史で政治社会・国制・主権などをテーマに勉強している立場から、問いかけと若干の提言をいたします。君主制および天子・天皇・皇帝・Emperor という語についても。
 翌10日(日)午後には日本史部会で〈近代天皇制と皇室制度を考える〉というシンポジウムがあります。これと呼応して、おもしろい議論が出てくるといいですね。

2019年11月3日日曜日

南アフリカ、強かったね


 日本が10月20日に 3対26 で圧倒的に負けた相手ですが、11月2日、エディ・ジョーンズHCのイングランドは、ラシ・エラスムス(!)HCの南アフリカ(Springboks)にやはり実力で圧倒されてしまった。トライなしで 12対32.
 その点をBBCは飾ることなく、
   South Africa broke English hearts with a ruthless display of power rugby
   to seize their third Rugby World Cup in devastating fashion.
という見出しで伝えています。これまた、なんという力強い、簡にして要をえた英語なんだ!

(C)BBC 

 そして、写真の真ん中、黒人主将 Siya Kolisi のドラマも語りあげます。
その語りにおいては、1899-1902年の不義の闘い・南アフリカ戦争の意趣返し、といったことは、品がなくなるので口にせずに、エラスムス的[≒オランダ起源のコスモポリタンの]多様性の文化が、南アフリカ共和国の将来を示す、というストーリです。
 これはマルチ=エスニックな日本チームについて報じられているのと、方向性は同じです。美しくない過去の克服について、南アでは政府イニシアティヴでポジティヴに取り組んでいる;日本ではそれがどこまで意識的に追求されているか、という違いはありますが。