いま出ている月刊『図書』の巻末に「12月刊行予定の本」として、ぼくの関与した本が2冊並んでいます。
1つ目は『イギリス史10講』(岩波新書)(ただし272頁というのは間違い、300頁を超えます)
2つ目は『岩波 世界人名大辞典』(こちらは項目選定と執筆)
この世界人名大辞典の関連で、『図書』コラムに後藤さんが執筆しておられます。
なおまた、3つ目で出版社は違いますが、
J. ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)も巻末の「解説」を担当しました。
こちらは支障なく進めば、11月に刊行です。
1つ目は16年がかり、2つ目は数年がかり、3つ目は1年弱の仕事でした。
2013年10月20日日曜日
『 イギリス史10講 』
秋らしく涼しい日々となりました。気温が下がって、しっかり着込まないと寒い!
ところで、ご心配の皆さまへ近況ですが、
『イギリス史10講』(岩波新書)はようやく脱稿し、
今、印刷所からばらばらと初校ゲラが到来している状態です。
あとがきは、ハーヴァードの図書館 H.E. Widener Library で10月1日に仕上げました。
16年越しの仕事になりましたので、ふりかえって感慨深いものがあります。1997年夏(というと、ナタリ・Z・デイヴィスを送り返した直後でした!)、岩波書店の企画会議に出された柴田先生のメモについても、あとがきで一部を引用させていただきます。
『10講』の基本的構成は『ドイツ史10講』『フランス史10講』と同じく、15世紀までで3講、16世紀以降で7講を用いるのですが、じつはいろいろな点で既刊の『10講』とは違う特徴があります。意図的に変えました。そのことについては、おいおい。
→ http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_toku/tku0302.html
岩波新書としては破格の厚さとなってしまいました!
12月20日発売という予定で進行中です。
ご心配をおかけしてきましたので、あらかじめお知らせしておきます。
ところで、ご心配の皆さまへ近況ですが、
『イギリス史10講』(岩波新書)はようやく脱稿し、
今、印刷所からばらばらと初校ゲラが到来している状態です。
あとがきは、ハーヴァードの図書館 H.E. Widener Library で10月1日に仕上げました。
16年越しの仕事になりましたので、ふりかえって感慨深いものがあります。1997年夏(というと、ナタリ・Z・デイヴィスを送り返した直後でした!)、岩波書店の企画会議に出された柴田先生のメモについても、あとがきで一部を引用させていただきます。
『10講』の基本的構成は『ドイツ史10講』『フランス史10講』と同じく、15世紀までで3講、16世紀以降で7講を用いるのですが、じつはいろいろな点で既刊の『10講』とは違う特徴があります。意図的に変えました。そのことについては、おいおい。
→ http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_toku/tku0302.html
岩波新書としては破格の厚さとなってしまいました!
12月20日発売という予定で進行中です。
ご心配をおかけしてきましたので、あらかじめお知らせしておきます。
2013年10月9日水曜日
日航 B 787 と映画
無事、東京の蒸し暑い10月に帰着しました。
ところで往復とも話題の日航の Boeing787 でしたが、座席も快適。ちょっとした作業もできて、行き(成田 → ボストン)は飛行機のなかで約2時間+30分寝ました。
トイレも工夫されて(大きな鏡を2面に張り)清潔、気持ちよい。
これでバッテリ関連のトラブルというのは、かわいそう、という感想です。
JALの食事も、最初の昼食は機内食でこんなに美味しいもの!と驚くほどおいしいものでした。
野菜が生・和え物・加熱と3種類。
機中で、The Great Gatsby も見ました。これは F.C. Fitzgerald 原作(1925)で、DiCaprio 主演とはいっても、あまり楽しめない作品。原作自体の問題かも。
復路(ボストン → 成田)の食事は、期待が大きかっただけに幻滅。ボストン地域のケイタリング業者のセンスのなさ、ということでしょうか?
映画は Une estonienne à Paris. これが和名「クロワサンで朝食を」になるとは!?
いくら反知性的でオブラートにくるむ日本文化とはいえ、これでは見るべきインテリ・学生が見ようとしないではないか。英題 A lady in Paris は事柄の半分だけ伝えています。
一言でいえば、
老境のジャンヌ・モロ(1928年生)の「サンセット大通り」+パリにおけるエスニック・コミュニティの問題
往路の「ギャツビ」のけたたましく虚しい大騒ぎにくらべて、なんと静かでゆったりとさびしいんだ。どちらも主人公は我が儘ほうだい、とはいえ余韻は後者のほうがはるかによい。老い(と記憶と友情≒許し)がテーマです。
(う~ん、やはり写真は登載できませんね。)
ところで往復とも話題の日航の Boeing787 でしたが、座席も快適。ちょっとした作業もできて、行き(成田 → ボストン)は飛行機のなかで約2時間+30分寝ました。
トイレも工夫されて(大きな鏡を2面に張り)清潔、気持ちよい。
これでバッテリ関連のトラブルというのは、かわいそう、という感想です。
JALの食事も、最初の昼食は機内食でこんなに美味しいもの!と驚くほどおいしいものでした。
野菜が生・和え物・加熱と3種類。
機中で、The Great Gatsby も見ました。これは F.C. Fitzgerald 原作(1925)で、DiCaprio 主演とはいっても、あまり楽しめない作品。原作自体の問題かも。
復路(ボストン → 成田)の食事は、期待が大きかっただけに幻滅。ボストン地域のケイタリング業者のセンスのなさ、ということでしょうか?
映画は Une estonienne à Paris. これが和名「クロワサンで朝食を」になるとは!?
いくら反知性的でオブラートにくるむ日本文化とはいえ、これでは見るべきインテリ・学生が見ようとしないではないか。英題 A lady in Paris は事柄の半分だけ伝えています。
一言でいえば、
老境のジャンヌ・モロ(1928年生)の「サンセット大通り」+パリにおけるエスニック・コミュニティの問題
往路の「ギャツビ」のけたたましく虚しい大騒ぎにくらべて、なんと静かでゆったりとさびしいんだ。どちらも主人公は我が儘ほうだい、とはいえ余韻は後者のほうがはるかによい。老い(と記憶と友情≒許し)がテーマです。
(う~ん、やはり写真は登載できませんね。)
2013年10月5日土曜日
旧知の先生方
今回のコンファレンスの利点の一つは、アメリカの進歩的歴史家たちに会えて話を聞けること。
なんと、MARHO, Visions of History『歴史家たち』におけるインタヴューアの一人 Michael Merrill がいる。同じ『歴史家たち』のJohn Womack が名古屋大学出版会の漫画のような青年ではなく、今にも倒れそうな老人として現れたのには隔世の感。
とはいえ、話し始めると、さすがJohn Womack, だれかが「時間だ」とかいったのにたいして、別の(ぼくの隣の)女性が大きく No! といって昔話、意味のある昔話を続けさせました。
『歴史家たち』のウォーマック翻訳はぼくが担当したけれど、(院ゼミでも読みましたね、安村くんもいました)メキシコ革命だけでなく Harvard におけるラテンアメリカ研究全般についての研究指導をしていたんだな。E.P. Thompson か Perry Anderson かというのは、68年世代にとっては共通のイシューです。
Albion's Fatal Tree の Cal Winslow と奥さん、それから丸山眞男を知っている Charles Maier とか。
ぼくの場合は(若い世代の軽薄な-というか思いつきでしかないような-報告よりは)年季の入った中高年の渋い話のほうが、よほど聞き甲斐があります。Moral economy という、人を惹きつける用語は catchword としては良い。もっと今日の世界経済、将来の政治社会を考える助け(準拠枠)になるような概念がほしい。
なぜか写真を登載できませんが(もどかしい!)、コンファレンスの様子は、リアルタイムで世界のどこからでも見られるとのこと。 お試しください。↓ 東海岸で土曜の8:30~(日本時間との差は13時間)。
(http://bit.ly/18cpE73)
http://www.ustream.tv/channel/global-e-p-thompson-conference-harvard-university-october-3-5-2013
今晩は、主催者の一人 Sven Beckert のお宅で House dinner (といってもケイタリングサーヴィスの全面出前). 息子さんも一緒に皿をつつく、という設定。
市橋さんとともに徒歩にて寄宿。
なんと、MARHO, Visions of History『歴史家たち』におけるインタヴューアの一人 Michael Merrill がいる。同じ『歴史家たち』のJohn Womack が名古屋大学出版会の漫画のような青年ではなく、今にも倒れそうな老人として現れたのには隔世の感。
とはいえ、話し始めると、さすがJohn Womack, だれかが「時間だ」とかいったのにたいして、別の(ぼくの隣の)女性が大きく No! といって昔話、意味のある昔話を続けさせました。
『歴史家たち』のウォーマック翻訳はぼくが担当したけれど、(院ゼミでも読みましたね、安村くんもいました)メキシコ革命だけでなく Harvard におけるラテンアメリカ研究全般についての研究指導をしていたんだな。E.P. Thompson か Perry Anderson かというのは、68年世代にとっては共通のイシューです。
Albion's Fatal Tree の Cal Winslow と奥さん、それから丸山眞男を知っている Charles Maier とか。
ぼくの場合は(若い世代の軽薄な-というか思いつきでしかないような-報告よりは)年季の入った中高年の渋い話のほうが、よほど聞き甲斐があります。Moral economy という、人を惹きつける用語は catchword としては良い。もっと今日の世界経済、将来の政治社会を考える助け(準拠枠)になるような概念がほしい。
なぜか写真を登載できませんが(もどかしい!)、コンファレンスの様子は、リアルタイムで世界のどこからでも見られるとのこと。 お試しください。↓ 東海岸で土曜の8:30~(日本時間との差は13時間)。
(http://bit.ly/18cpE73)
http://www.ustream.tv/channel/global-e-p-thompson-conference-harvard-university-october-3-5-2013
今晩は、主催者の一人 Sven Beckert のお宅で House dinner (といってもケイタリングサーヴィスの全面出前). 息子さんも一緒に皿をつつく、という設定。
市橋さんとともに徒歩にて寄宿。
2013年10月2日水曜日
ハーヴァード大学
直行で12時間半!イギリスより遠いフライトの後、はじめてボストンに降り立ち、Cambridge, MASS. に来ました。 晴で、涼しい。
やや古めのホテル、大学キャンパスのほぼ中心 Garden Street に荷を解きました。
LANおよび無線の環境は良いみたい。
しかし、日本との時差13時間遅れ、というのは、調子狂います。
17世紀にイングランドの Cambridge大学(Emmanuel College)を卒業した
牧師ハーヴァードさんが Harvard College 法人を生前贈与したので、
町の名もそう命名された、とかいったことは承知していましたが、
来てみれば、本家に比べて中世要素がない分、近現代にがんばって、
広々とより大きく育った分家、という感じ。
ところで米国のケインブリッジは、英国のケインブリッジに似た大学町で
人口10万あまりですが、違いは、
1) 建物がちょっと大きく、道も広い。
2) 大都市ボストンから 5km ほどなので、スーパーとか量販店とかいったものが見あたらない。
3) 大学関係じゃない人口もそれなりにいるようです。はるかに多文化で、スペイン語、ロシア語、そして中国語が乱れ飛ぶ。こじき(物乞い)もいるが、それぞれ Change, change, change, とか歌ったり、そぼくな楽器(せいぜいカスタネット)をならしてパフォーマンスをしている!
人びとは比較的おだやかで(全米とはちがう特異なエリート都市だから?)、信号も守るし、今のところイヤな思いをすることはありません。(この感想は中国旅行の直後だから?)
宿から繁華街(といってもこじんまり)Harvard Square および大学中心 Harvard Yard までは徒歩で500mほど。川までは1キロかな。
地図の左上に Sheraton Commander Hotel(1775年に司令官 George Washington が将兵を鼓舞した所とのこと), 右上にコンファレンスのある CGIS, 手前に Charles 川。
歴史的な Harvard Yard 構内でも威容を誇るのが図書館 Widener Library です。
なんと1912年のタイタニックで亡くなった息子(卒業生)を悼む母親が、寄贈してできあがったとのこと! アメリカ人の富は規模がちがう。写真のとおり、大階段を強調する設計思想です。
申告したら、簡単に利用票(3カ月有効)をつくってくれました。
やや古めのホテル、大学キャンパスのほぼ中心 Garden Street に荷を解きました。
LANおよび無線の環境は良いみたい。
しかし、日本との時差13時間遅れ、というのは、調子狂います。
17世紀にイングランドの Cambridge大学(Emmanuel College)を卒業した
牧師ハーヴァードさんが Harvard College 法人を生前贈与したので、
町の名もそう命名された、とかいったことは承知していましたが、
来てみれば、本家に比べて中世要素がない分、近現代にがんばって、
広々とより大きく育った分家、という感じ。
ところで米国のケインブリッジは、英国のケインブリッジに似た大学町で
人口10万あまりですが、違いは、
1) 建物がちょっと大きく、道も広い。
2) 大都市ボストンから 5km ほどなので、スーパーとか量販店とかいったものが見あたらない。
3) 大学関係じゃない人口もそれなりにいるようです。はるかに多文化で、スペイン語、ロシア語、そして中国語が乱れ飛ぶ。こじき(物乞い)もいるが、それぞれ Change, change, change, とか歌ったり、そぼくな楽器(せいぜいカスタネット)をならしてパフォーマンスをしている!
人びとは比較的おだやかで(全米とはちがう特異なエリート都市だから?)、信号も守るし、今のところイヤな思いをすることはありません。(この感想は中国旅行の直後だから?)
宿から繁華街(といってもこじんまり)Harvard Square および大学中心 Harvard Yard までは徒歩で500mほど。川までは1キロかな。
地図の左上に Sheraton Commander Hotel(1775年に司令官 George Washington が将兵を鼓舞した所とのこと), 右上にコンファレンスのある CGIS, 手前に Charles 川。
歴史的な Harvard Yard 構内でも威容を誇るのが図書館 Widener Library です。
なんと1912年のタイタニックで亡くなった息子(卒業生)を悼む母親が、寄贈してできあがったとのこと! アメリカ人の富は規模がちがう。写真のとおり、大階段を強調する設計思想です。
申告したら、簡単に利用票(3カ月有効)をつくってくれました。
2013年9月30日月曜日
『上海』
皆さま、
まったくもってご無沙汰です。
この夏はたいへんな暑さもありましたが、諸々が重なって多事多難でした。しかもこの9月後半は中国(上海、天津、北京)、現在はアメリカ(Cambridge=Harvard)と、東奔西走中です。
中国は、科研による租界調査の旅行でした。中国はすごいインパクト。世界史観が変わりそうなくらい。まだ整理がつきませんが、考えたことの一端を。
7泊8日の充実した旅行を終わり、26日(木)夜に北京から羽田に着きましたが、モノレール内でメンバーの一人が(遠慮がちに?)寄ってきて、横光利一『上海』の岩波文庫本の解説文を示してくれました。
「上海はリヴァプールにならって作られた。」
ぼくの反応は「えっ」という二重の驚きでした。第1に、「今回の旅行を着想したアイデアが、いとも簡単にオリジナリティを否定されてしまった‥‥」というもの。
だれでも思い付くことなのか。ただし、この解説者は根拠を示さないままです。
第2には、「ぼくも文庫本を持っていたのに、この箇所に気付かないままだった。ぼくの目はフシ穴だったのか‥‥。」
さて、金曜は勤務先の授業3コマを消化。土曜は重要な校務。その夜、ようやくに徒歩7分のオフィスに行って(ハーヴァード関連の物を回収するついでに)ぼくの『上海』文庫本を手にしました。
意識していなかったが、ぼくの『上海』は講談社文芸文庫なのでした。装丁の雰囲気は似ている。∴上述の解説文を認識していなかったからといって、必ずしもぼくの眼力か知力の衰えの証というわけではなかった!
講談社文庫では、横光の息子が父の想い出を、解説を菅野昭正がしたため、最後に「作家案内」と「著書目録」が収められている。岩波文庫より充実しているかも。
菅野の解説(1991年ないしそれ以前に執筆)はさすがで、死ぬ前の芥川が横光に「上海を見て来い」と言ったこと、横光の文に
「芥川龍之介氏は支那へ行くと[ひとは]政治家になると言っている。これには僕も同感である」
というのがあると記しています。横光は39年に上海を再訪して
「ここほど近代という性質の現れている所は、世界には一つもない」
とまで記したということです。
ここから先は菅野の表現ですが、「西洋と東洋の対立と角逐が、もっとも尖鋭にあらわれる問題の場所」、「現代の歴史の大きな波頭に拠点を定めて‥‥魔術的な力を秘めた都市を相手どる小説」。
こうしたイマジネーションの最近の例は、高樹のぶ子の日経連載小説『甘苦上海』でしたね。高樹は、横光の本歌取りを意識していたのでしょうか。
横光も高樹も、非マルクス主義/右寄り/ノンポリということで、ぼくたちの育った進歩的歴史学界では、歯牙にもかけない処遇でした。
上海・天津の会食の場でも断片的に口にしましたし、12月刊の『イギリス史10講』を読んでいただけば明らかなとおり、今さらながら歴史学の転換(の収穫!)を意識しています。
ぼくの先生や先輩たちの大前提にあったマルクス主義講座派は、コミンテルン32年テーゼ、『日本資本主義分析』34年刊に現れたとおり、あまりにもダイレクトな欧米日中心史観≒対義和団出兵国史観でした。それが再生産されていました! あるいはせいぜいそれから一国革命論を人道主義的に希釈化したもの(越智、松浦、今井‥‥、検定教科書)でした。この両方を越えてゆかなければ、イギリス史も歴史学も日本国憲法も展望はないと考えています。
経験主義≒実証主義( → 業績主義)だけでなにかが解決するというのは甘い。
まったくもってご無沙汰です。
この夏はたいへんな暑さもありましたが、諸々が重なって多事多難でした。しかもこの9月後半は中国(上海、天津、北京)、現在はアメリカ(Cambridge=Harvard)と、東奔西走中です。
中国は、科研による租界調査の旅行でした。中国はすごいインパクト。世界史観が変わりそうなくらい。まだ整理がつきませんが、考えたことの一端を。
7泊8日の充実した旅行を終わり、26日(木)夜に北京から羽田に着きましたが、モノレール内でメンバーの一人が(遠慮がちに?)寄ってきて、横光利一『上海』の岩波文庫本の解説文を示してくれました。
「上海はリヴァプールにならって作られた。」
ぼくの反応は「えっ」という二重の驚きでした。第1に、「今回の旅行を着想したアイデアが、いとも簡単にオリジナリティを否定されてしまった‥‥」というもの。
だれでも思い付くことなのか。ただし、この解説者は根拠を示さないままです。
第2には、「ぼくも文庫本を持っていたのに、この箇所に気付かないままだった。ぼくの目はフシ穴だったのか‥‥。」
さて、金曜は勤務先の授業3コマを消化。土曜は重要な校務。その夜、ようやくに徒歩7分のオフィスに行って(ハーヴァード関連の物を回収するついでに)ぼくの『上海』文庫本を手にしました。
意識していなかったが、ぼくの『上海』は講談社文芸文庫なのでした。装丁の雰囲気は似ている。∴上述の解説文を認識していなかったからといって、必ずしもぼくの眼力か知力の衰えの証というわけではなかった!
講談社文庫では、横光の息子が父の想い出を、解説を菅野昭正がしたため、最後に「作家案内」と「著書目録」が収められている。岩波文庫より充実しているかも。
菅野の解説(1991年ないしそれ以前に執筆)はさすがで、死ぬ前の芥川が横光に「上海を見て来い」と言ったこと、横光の文に
「芥川龍之介氏は支那へ行くと[ひとは]政治家になると言っている。これには僕も同感である」
というのがあると記しています。横光は39年に上海を再訪して
「ここほど近代という性質の現れている所は、世界には一つもない」
とまで記したということです。
ここから先は菅野の表現ですが、「西洋と東洋の対立と角逐が、もっとも尖鋭にあらわれる問題の場所」、「現代の歴史の大きな波頭に拠点を定めて‥‥魔術的な力を秘めた都市を相手どる小説」。
こうしたイマジネーションの最近の例は、高樹のぶ子の日経連載小説『甘苦上海』でしたね。高樹は、横光の本歌取りを意識していたのでしょうか。
横光も高樹も、非マルクス主義/右寄り/ノンポリということで、ぼくたちの育った進歩的歴史学界では、歯牙にもかけない処遇でした。
上海・天津の会食の場でも断片的に口にしましたし、12月刊の『イギリス史10講』を読んでいただけば明らかなとおり、今さらながら歴史学の転換(の収穫!)を意識しています。
ぼくの先生や先輩たちの大前提にあったマルクス主義講座派は、コミンテルン32年テーゼ、『日本資本主義分析』34年刊に現れたとおり、あまりにもダイレクトな欧米日中心史観≒対義和団出兵国史観でした。それが再生産されていました! あるいはせいぜいそれから一国革命論を人道主義的に希釈化したもの(越智、松浦、今井‥‥、検定教科書)でした。この両方を越えてゆかなければ、イギリス史も歴史学も日本国憲法も展望はないと考えています。
経験主義≒実証主義( → 業績主義)だけでなにかが解決するというのは甘い。
2013年8月10日土曜日
A Passage to India
暑いですね!
今日は風はあっても、それが熱風で、ちょっと『インドへの道』を想わせる。
『イギリス史10講』では、良い映画は積極的につかう(言及してイメージを豊かにしてもらう)、しかし見てダメだった映画は言及しない、とい方針です。たとえば『冬のライオン』は先日のNHKテレビでも再放送していましたが、アンジュ朝、ヘンリ2世、エレナ妃、リチャード獅子心王、ジョン欠地王、そしてあのフィリップ2世について何ページも費やすより、この名画を見てもらうほうがはるかに良い(ロワール川、中世の城、なんたる野蛮な生活‥‥ リヤ王のような親子の葛藤!)。アントニ・ホプキンズの実質的なデヴュー作品ですが、彼にはまた9講、1930年代の『日の名残り』、宥和主義で再登場してもらいます。
9講といえば、もちろんE・M・フォースタ(20世紀ケインブリッジの富裕知識人の代表!)と彼の『インドへの道』には、大いに重要な役割を演じてもらいますが、そのDVDがどこかに雲隠れしていたのです。原作にあったアンビヴァレンスがアイヴォリ映画では、安直に=誤解の余地なく表現されてしまっているという、どこかのコメントに遭遇し、もう一度見直さなくては‥‥と考えていたのですが、見つからなくて。
オフィスと自宅との2日にわたる家捜しをへて、インド的暑さのなかでようやく姿を現しました。
今日は風はあっても、それが熱風で、ちょっと『インドへの道』を想わせる。
『イギリス史10講』では、良い映画は積極的につかう(言及してイメージを豊かにしてもらう)、しかし見てダメだった映画は言及しない、とい方針です。たとえば『冬のライオン』は先日のNHKテレビでも再放送していましたが、アンジュ朝、ヘンリ2世、エレナ妃、リチャード獅子心王、ジョン欠地王、そしてあのフィリップ2世について何ページも費やすより、この名画を見てもらうほうがはるかに良い(ロワール川、中世の城、なんたる野蛮な生活‥‥ リヤ王のような親子の葛藤!)。アントニ・ホプキンズの実質的なデヴュー作品ですが、彼にはまた9講、1930年代の『日の名残り』、宥和主義で再登場してもらいます。
9講といえば、もちろんE・M・フォースタ(20世紀ケインブリッジの富裕知識人の代表!)と彼の『インドへの道』には、大いに重要な役割を演じてもらいますが、そのDVDがどこかに雲隠れしていたのです。原作にあったアンビヴァレンスがアイヴォリ映画では、安直に=誤解の余地なく表現されてしまっているという、どこかのコメントに遭遇し、もう一度見直さなくては‥‥と考えていたのですが、見つからなくて。
オフィスと自宅との2日にわたる家捜しをへて、インド的暑さのなかでようやく姿を現しました。
2013年7月25日木曜日
相良匡俊さん
昨夜おそく帰宅したら、訃報が待っていました。
7月3日に下のようなメールを頂いたばかりだったし、昨夜の会でも「相良さんは元気だ‥‥」と話題にしていましたから、驚きました。法政大学を定年退職後、病魔におかされながら、車椅子で、日々を聡明に、自宅で過ごしておられたのですね。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房)に寄稿された章は一種の哀感を覚える、「読めて良かった」という文章でした、と書いたぼくのメールへの返事として:
------------------------------------------------------------
‥‥この先、どの程度のことができるかわからないけれど、精一杯の仕事をしたいと思う。
ボクが気にしていたのは、政治的行動や社会運動のなかにある行動のパターン、文化でした。
あなたが関心をもっておられたのもそうだったのではないか。そんな風に感じていました。‥‥
残る元気でおもしろい仕事を。
さがらまさとし
------------------------------------------------------------
相良さんとのお付き合いは、1970年代半ばに濃いものがありました。その江戸っ子というのか、シティボーイというのか、独特の雰囲気(文化!)にはアテられ、たいへんに影響を受けました。
パリに行かれる前の本郷でのさまざまの場面、そしてパリからのお手紙、航空便用の薄い便箋に青インクでしたためられたお原稿(一回では終わらず、数回に分けて送られてきました)‥‥、帰国後は『社会運動史』第6号で相良編集長の下、ぼくが柴田さんからいただいた原稿に赤で編集指定など加筆して印刷所に送った、といった場面を懐かしく想い出します。
一種の諦観のようなものを漂わせつつ、しかしできるだけ粋に、生きようとなさっていたのではないか。地方人のぼくとしては、九鬼周造の『「いき」の構造』なんかを読んで感心していたものです。
相良さんは柴田さん、喜安さんとの「接近戦」がいろいろあったようですが、二宮さん、遅塚さんとご一緒の場面はあまり見かけませんでした。 それから、すでに60年代から冗談の種となっていた「木村・相良の共著」は、ついに実現しませんでしたね。残念!
【ちょっと古いが、法政大学にホームページがあることを発見。
→ http://www.geocities.jp/hoseisagara/】
ご冥福をお祈りします。
7月3日に下のようなメールを頂いたばかりだったし、昨夜の会でも「相良さんは元気だ‥‥」と話題にしていましたから、驚きました。法政大学を定年退職後、病魔におかされながら、車椅子で、日々を聡明に、自宅で過ごしておられたのですね。
『歴史として、記憶として』(御茶の水書房)に寄稿された章は一種の哀感を覚える、「読めて良かった」という文章でした、と書いたぼくのメールへの返事として:
------------------------------------------------------------
‥‥この先、どの程度のことができるかわからないけれど、精一杯の仕事をしたいと思う。
ボクが気にしていたのは、政治的行動や社会運動のなかにある行動のパターン、文化でした。
あなたが関心をもっておられたのもそうだったのではないか。そんな風に感じていました。‥‥
残る元気でおもしろい仕事を。
さがらまさとし
------------------------------------------------------------
相良さんとのお付き合いは、1970年代半ばに濃いものがありました。その江戸っ子というのか、シティボーイというのか、独特の雰囲気(文化!)にはアテられ、たいへんに影響を受けました。
パリに行かれる前の本郷でのさまざまの場面、そしてパリからのお手紙、航空便用の薄い便箋に青インクでしたためられたお原稿(一回では終わらず、数回に分けて送られてきました)‥‥、帰国後は『社会運動史』第6号で相良編集長の下、ぼくが柴田さんからいただいた原稿に赤で編集指定など加筆して印刷所に送った、といった場面を懐かしく想い出します。
一種の諦観のようなものを漂わせつつ、しかしできるだけ粋に、生きようとなさっていたのではないか。地方人のぼくとしては、九鬼周造の『「いき」の構造』なんかを読んで感心していたものです。
相良さんは柴田さん、喜安さんとの「接近戦」がいろいろあったようですが、二宮さん、遅塚さんとご一緒の場面はあまり見かけませんでした。 それから、すでに60年代から冗談の種となっていた「木村・相良の共著」は、ついに実現しませんでしたね。残念!
【ちょっと古いが、法政大学にホームページがあることを発見。
→ http://www.geocities.jp/hoseisagara/】
ご冥福をお祈りします。
2013年7月20日土曜日
『10講』
事情を知る方々から、問い合わせと励ましをいただいています。
> ゴールまであと一息に迫っておられるものと楽しみにしています。
> (あるいは、もうテープを切った!というサプライズも?)
いえいえ、サプライズはありません。
『フランス史10講』『ドイツ史10講』への参照を本文中で求めることもありますが、それら既刊書とは一寸違う、タネもシカケもある本です。
たとえば、E・M・フォースタを小説として引用するのか、それとも映画として?
といったレヴェルで悩んだりしつつ、のたりのたりと9講を書き進んでいます。
フォースタともケインズとも異なる非オクスブリジ・エリートである、ウェブ夫妻の「新しい文明 ソ連」への高評価も、しっかり書きこみます。
前評判の 『海のイギリス史』(昭和堂)は頂いて、価値ある出版と受けとめています。ありがとうございます。感謝しますが、ご免なさい、本質的にぼくの『10講』では、第1講から視座として「海は人や文化を隔てるだけでなく、人や文化を結びつける」と宣言して、すでに織り込み済みです。越智先生の『大航海時代叢書』(岩波書店)への評価についても(御編著の場合は、p.309)、本文中で言及しています。
9月後半の上海・天津(旧租界)調査旅行、および
10月の Harvard Conference on Global E.P.Thompson には予定どおり参ります。
> ゴールまであと一息に迫っておられるものと楽しみにしています。
> (あるいは、もうテープを切った!というサプライズも?)
いえいえ、サプライズはありません。
『フランス史10講』『ドイツ史10講』への参照を本文中で求めることもありますが、それら既刊書とは一寸違う、タネもシカケもある本です。
たとえば、E・M・フォースタを小説として引用するのか、それとも映画として?
といったレヴェルで悩んだりしつつ、のたりのたりと9講を書き進んでいます。
フォースタともケインズとも異なる非オクスブリジ・エリートである、ウェブ夫妻の「新しい文明 ソ連」への高評価も、しっかり書きこみます。
前評判の 『海のイギリス史』(昭和堂)は頂いて、価値ある出版と受けとめています。ありがとうございます。感謝しますが、ご免なさい、本質的にぼくの『10講』では、第1講から視座として「海は人や文化を隔てるだけでなく、人や文化を結びつける」と宣言して、すでに織り込み済みです。越智先生の『大航海時代叢書』(岩波書店)への評価についても(御編著の場合は、p.309)、本文中で言及しています。
9月後半の上海・天津(旧租界)調査旅行、および
10月の Harvard Conference on Global E.P.Thompson には予定どおり参ります。
2013年6月30日日曜日
初版刊行後 50周年
E・P・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』の初版がゴランツから刊行されたのは1963年。その後、アメリカ版、ペンギン版と出ましたが、いま出回っているのは、基本的に1968年のペンギン版(or その再版にあたる1980年ゴランツ版)でしょう。68年版はペーパー版であるだけでなく、初版に残っていたフランス語のフレーズなど、ちょっとだけインテリ向けだった表現が、ふつうの英語読者むけに改善され、また68年という時宜をえて、一般学生が競って購入する本になりました。日本でも(今でも)邦訳本より英語版を買った方がはるかに安価ですね。
初版から50年、あらゆる方面からの批判をふまえて、21世紀にどう継承されるのか。
The global E. P. Thompson という催しが企画されています。ぼくにも言いたいことがあり、せっかく声をかけていただいたので、10月3~5日にはハーヴァードでしゃべり交流してこようと思います。案内は、こちら ↓
http://wigh.wcfia.harvard.edu/content/global-ep-thompson-reflections-making-english-working-class-after-fifty-years
じつは Cambridge, MASS に行くのは初めてです!「世界史」の企画としても刺激をうけそう。
トムスンについては、『20世紀の歴史家たち』4(刀水書房、2001)などなどでコメントしました。ご覧ください。
2013年6月28日金曜日
2013年6月10日月曜日
2013年6月1日土曜日
歴史として、記憶として
こんな論文集?集団的記憶集?が出ました。
喜安朗・北原敦・岡本充弘・谷川稔 (編) 『歴史として、記憶として』
(御茶の水書房、2013年5月末刊行)
-『社会運動史』1970~1985- という副題が付いています。
2年前からいろんな会合と連絡がつづきました。70年代半ばに社会運動史研究会の実務を担当していたぼくとしては、この本にやや中途半端に協力しましたが、現時点でこうしたものを編集し公刊する動機/理由にはよく分からないものが残りました。19名の著者たちがそれぞれ勝手放題のことをしたためているのですが、とはいえ、できあがったものをみると、複数の志向性が相互に響きあい、問題も浮かび出て、それなりに意味のある歴史的証言集かな、と思います。
322+19 pp. しかも各ページには21行も詰まっている!
索引が充実していて、これをさぐる人には、いろんなことがゆったりと判明する構成になっています。1970年代を知らない読者には、驚くべき事実も含まれているでしょう(第3部を書いている人びとも、よく理解していない事情がたくさんあります)。
谷川さんからすると、この本は「喜安朗」論集であるだけでなく、「東大西洋史=柴田三千雄」論集でもあるんだな。
ぼく個人としては、諸事情のため、短く生硬な覚書(pp.176-182)となりました。やがて -いますぐにではなく- しっかりと十分に再論することを、お約束します。
喜安朗・北原敦・岡本充弘・谷川稔 (編) 『歴史として、記憶として』
(御茶の水書房、2013年5月末刊行)
-『社会運動史』1970~1985- という副題が付いています。
2年前からいろんな会合と連絡がつづきました。70年代半ばに社会運動史研究会の実務を担当していたぼくとしては、この本にやや中途半端に協力しましたが、現時点でこうしたものを編集し公刊する動機/理由にはよく分からないものが残りました。19名の著者たちがそれぞれ勝手放題のことをしたためているのですが、とはいえ、できあがったものをみると、複数の志向性が相互に響きあい、問題も浮かび出て、それなりに意味のある歴史的証言集かな、と思います。
322+19 pp. しかも各ページには21行も詰まっている!
索引が充実していて、これをさぐる人には、いろんなことがゆったりと判明する構成になっています。1970年代を知らない読者には、驚くべき事実も含まれているでしょう(第3部を書いている人びとも、よく理解していない事情がたくさんあります)。
谷川さんからすると、この本は「喜安朗」論集であるだけでなく、「東大西洋史=柴田三千雄」論集でもあるんだな。
ぼく個人としては、諸事情のため、短く生硬な覚書(pp.176-182)となりました。やがて -いますぐにではなく- しっかりと十分に再論することを、お約束します。
2013年5月30日木曜日
わからないことはドンドン聞く ?
公私ともに多事多端のさなかに、帰宅したらこんなメールが来ていました。
≪私は私立**高等学校に通う三年生の**と申す者です。今私は学習課題で自分の興味のある人物や事件についての論文を書いております。私はエリザベス一世を題材として選びました。今までエリザベス一世についての洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります。
今回メールさせて頂いたのは、西洋史を専門とする先生の培われた知識を教えて頂きたく送らせて頂いた次第に御座います。御多忙の身だとは十分承知しておりますが、以下の質問に出来るだけ返答して頂けたら幸いです。≫
こういう文章は先生が雛形をつくって、生徒が言葉を填めこんで制作しているのだろうか?高校生らしくない文体(「送らせて頂いた次第に御座います」)‥‥もうこれだけで不愉快になる。もっと清楚な日本語を使ってね。
それはさておき、知的な質問のしかたのマナーを、この生徒も先生も知らないようだ。
「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります」というからには、どんな文献を読んだのか、固有名詞を示してほしい。洋書とはいかなるもの? 高校3年なら、著者・研究者名を意識して質問してほしいな。百科事典もおおいに結構です。項目執筆者を意識してね。
1990年代のはじめに東大西洋史で3年生が、「本で読んだんですけど‥‥」と質問してきたので、著者名を尋ねたら答えられなかったので、こっちが驚いたことがある。いまの高校では、著者も書名もなく、「わからないことはドンドン人に聞く」という教育をしているのか。一見積極的に見えても、自分で調べる、読んで考えるということをしないかぎり、結局は伸びませんよ。
以下5か条にわたる質問事項は、「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできました」という人の質問としては、お粗末。言ってしまえば高校世界史定番の質問で、ちょっとした書物を読めばすぐわかるはず。あなたは、現役の研究者の知的関心をそそらないことばかり、質問しています。「御多忙の身だとは十分承知しております」というからには、こちらが乗り気になるような good question を書いてきてね。
というわけで、あなたの質問にはお答えできません。
かわりに、近藤(編)『イギリス史研究入門』(山川出版社)という良書があります。近世については小泉徹さんという方が担当しています。同じ小泉さんは『世界歴史大系 イギリス史』第2巻(山川出版社)でも該当部分を担当されています。あなたの学校の図書館には入っていますか? 信頼に足る答えは、この2冊で十分でしょう。万一図書館にない場合は、希望して入れてもらってくださいね。
【じつは、もう一つぼくを慎重にさせた事情もあります。メール発信人名と質問者名が異なるのです。苗字も違うし、受信メール一覧にみえる From: の氏名がやや色っぽい‥‥。考えすぎだとしたら、ご免なさい。】
≪私は私立**高等学校に通う三年生の**と申す者です。今私は学習課題で自分の興味のある人物や事件についての論文を書いております。私はエリザベス一世を題材として選びました。今までエリザベス一世についての洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります。
今回メールさせて頂いたのは、西洋史を専門とする先生の培われた知識を教えて頂きたく送らせて頂いた次第に御座います。御多忙の身だとは十分承知しておりますが、以下の質問に出来るだけ返答して頂けたら幸いです。≫
こういう文章は先生が雛形をつくって、生徒が言葉を填めこんで制作しているのだろうか?高校生らしくない文体(「送らせて頂いた次第に御座います」)‥‥もうこれだけで不愉快になる。もっと清楚な日本語を使ってね。
それはさておき、知的な質問のしかたのマナーを、この生徒も先生も知らないようだ。
「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできましたが、まだ理解出来てない部分がいくつかあります」というからには、どんな文献を読んだのか、固有名詞を示してほしい。洋書とはいかなるもの? 高校3年なら、著者・研究者名を意識して質問してほしいな。百科事典もおおいに結構です。項目執筆者を意識してね。
1990年代のはじめに東大西洋史で3年生が、「本で読んだんですけど‥‥」と質問してきたので、著者名を尋ねたら答えられなかったので、こっちが驚いたことがある。いまの高校では、著者も書名もなく、「わからないことはドンドン人に聞く」という教育をしているのか。一見積極的に見えても、自分で調べる、読んで考えるということをしないかぎり、結局は伸びませんよ。
以下5か条にわたる質問事項は、「洋書、和書、参考資料をいくつか読んできました」という人の質問としては、お粗末。言ってしまえば高校世界史定番の質問で、ちょっとした書物を読めばすぐわかるはず。あなたは、現役の研究者の知的関心をそそらないことばかり、質問しています。「御多忙の身だとは十分承知しております」というからには、こちらが乗り気になるような good question を書いてきてね。
というわけで、あなたの質問にはお答えできません。
かわりに、近藤(編)『イギリス史研究入門』(山川出版社)という良書があります。近世については小泉徹さんという方が担当しています。同じ小泉さんは『世界歴史大系 イギリス史』第2巻(山川出版社)でも該当部分を担当されています。あなたの学校の図書館には入っていますか? 信頼に足る答えは、この2冊で十分でしょう。万一図書館にない場合は、希望して入れてもらってくださいね。
【じつは、もう一つぼくを慎重にさせた事情もあります。メール発信人名と質問者名が異なるのです。苗字も違うし、受信メール一覧にみえる From: の氏名がやや色っぽい‥‥。考えすぎだとしたら、ご免なさい。】
2013年5月13日月曜日
小シンポジウム3 & 林志弦
¶ 昨12日(日)は五月晴れで、百周年時計台記念館の学会よりは北山・東山へと出かけてしまった方々も少なくなかったのではないでしょうか。
ぼくはというと、午前中、A3で2枚×200部のレジュメ・複写に手間取りました。街中のコンビニは、コピーを数枚とるには便利至極ですが、うけつけるのは最大限99枚まで。お金も千円札1枚かぎり。したがってちょうど200部+自分用1部をコピーするためには、どんなに工夫しても、3回の設定、それを2度繰りかえす、という羽目に。途中で、トナー交換、用紙の補充。コンビニの不慣れな店員より、ぼくにやらせてくれたら、もっとすみやかにできるのに‥‥と思いながら待ちました。こういうことは大学で済ませなくちゃいけないんだな。
というわけで、他のメンバーをやきもきさせながらも、昼食をかっ込んで、定刻に開始することはできました。お一人からの深夜のメールを無断部分引用しますと、
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「「礫岩」という共通のテーマが多面的に、かつ凝集力をもって報告され、問題提起も
含めて5本の報告が、惑星系のようにそれぞれ響き合っていましたが、この種のシンポジウムとしては希有なことではないでしょうか。」
「‥‥私が刺激を受けたのは、「礫岩(状態)」が静態的なものではなく、政治的主体間の多様な「交渉の結果として」「可塑的」に成立しながら、一つの秩序をなしている、という論点でした。それぞれの事例研究は、その様態を非常に説得的に提示していたと思います。」
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ありがとうございます。当然ながら、登壇した者だけでなく、科研メンバー全員、そして他の研究会と合同でやりとりを繰りかえした成果であり、皆さんとの共鳴関係のお陰だと思います。
フランス史、ドイツ史の方々との討論も、これからの課題となるでしょう。それより前に、東欧も北欧もイベリア半島もブリテン諸島も、「ヨーロッパ周縁世界」として位置づけられ、かつそこに注目することがヨーロッパ(近世)の本質を見やすくする、ということが本科研グループの呈示する vantage point として、会衆のみなさんにアピールできたかと思います。
ひとまず3年間の共同研究としては成功したと見てよいのではないでしょうか。ここまでの中間報告として共著の公刊、さらなる新研究への発展、‥‥と楽しいアイディアが次々に湧いてきます。
¶ それから、11日の林志弦(Lim JieHyun)の講演は盛り沢山でおもしろかった。彼の有能さと自負も感得されました。
2013年5月7日火曜日
富士山の県の知事
今夜、久しぶりにお話をしました。富士山をかたどった襟の記章、空色に富士山とお茶のネクタイ。いつもながら明るく周囲を盛りたてる方です。
なんと一期目のおわりが迫り、6月16日の投票日は間近なのに東京で学問的な会合と二次会に出席。選挙運動はしない、勝手連が運動するのは拒まない、という方針。現職の彼は一期目は民主党推薦でした。今回は無所属。売られたケンカは買わない。しかし自然エネルギー、健康日本一の県をほこり、大地震・大津波への対策は怠らず、製薬でも打って出る、新幹線の駅の数が一番多い県。
実績からいえば安泰か、とよそ者は考えるけれど、しかし対抗馬は自民党で県人。安部政権は必死で戦うでしょう。彼はといえば、京都生まれ、早稲田大学卒、オクスフォード大学博士。(ぼくと彼との共通点といえば、マンチェスタでファーニ先生のお世話になったことくらい‥‥)
今夜、彼を囲んだ5・6名のうち、有権者は一人もいないが、勝手連を‥‥という声は高まりました。
*県立大学の先生、いかがお考えですか? こんなときに共産党推薦候補に投票するなんて、ナイーヴ+阿呆ですよ。
2013年5月6日月曜日
西洋史学会大会@京都大学
まだまだ先と思っていたら、すでに次の日曜(12日)午後です!
古谷代表による科研組織の研究プロジェクトにもとづく小シンポジウムですが、ぼくもその一端をになって「問題提起 - 礫岩国家と普遍君主」をやります。右肩の FEATURES をクリックしてください。その趣旨というか、前口上というか、こんなことです、とあらかじめお知らせします。礫岩(れきがん)=conglomerate とは、こんなにカラフルな堆積岩(さざれ石のイワオとなりて‥‥)です。
ヨーロッパ近世史からの発言ですが、すこし広い意味合いもねらっています。
この小シンポジウム全体は、いうまでもなく京都大学の準備委員会と古谷科研のおかげで実現するものですが、この feature ページの文責は近藤にあります。
2013年4月30日火曜日
2013年4月9日火曜日
Baroness Thatcher 1925-2013
Former Prime Minister Baroness Thatcher has died "peacefully" at the age of 87 after suffering a stroke, her family has announced.
David Cameron called her a "great Briton" and the Queen spoke of her sadness at the death.
Lady Thatcher was Conservative prime minister from 1979 to 1990. She was the first woman to hold the role.
She will not have a state funeral but will be accorded the same status as Princess Diana and the Queen Mother.
The ceremony, with full military honours, will take place at London's St Paul's Cathedral.
The union jack above Number 10 Downing Street has been lowered to half-mast.
(c) BBC
2013年4月7日日曜日
胸像をぬらす‥‥花
今年のソメイヨシノは、咲きいそいで、すでに葉桜になってしまいました。
3月28日、本郷へ科研の決算関連で行きましたが、本郷でみる桜といえば、もう決まっています。(赤門の八重桜はまだなので、)医学部病院前へいそぎました。
胸像をぬらす日本の花の雨 (秋桜子)
ベルツ、スクリバ両先生としては、これだけ日本人に大事にされて、言うことはないんじゃないでしょうか。
19世紀末、ドイツが文明・科学・普遍を代表具現していた時代、ということもあり、世紀転換期の本郷の胸像群は、雄弁なメニュメント群をなしています。【ところでこの時代、日本ばかりでなく、イギリスでもアメリカでも進歩的知識人はドイツを注視していました。ロシアでも?】
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