2014年5月30日金曜日

『民のモラル』(ちくま学芸文庫)

 ご無沙汰しています。5月は wunderschoen というわけには参りませんで、
多くの皆さまにご心配をかけてきました。

 ただこの間にも筑摩書房と精興社の方々は獅子奮迅のお仕事を進めてくださり、そのおかげで、順調に『民のモラル』の改訂版が出ます。6月10日発売、本体1300円です。
筑摩書房のページ・著者近影も
こちらでは山川版とちくま版、それぞれのカバーデザインをご覧に入れます。
山川のカバー写真(1993)では、なぜか赤色が強調されたうえ全体に黒っぽくなっていました。まるで夕焼けの街頭みたいに。
ちくまのカバーおよび口絵(2014)では、青色の要素もしっかり表現され、白昼、青空の下の光景であることが歴然。

 せっかくこの機会をいただいたので、今となっては中途半端な終章「新しい文化史」は削除し、副題を「ホーガースと18世紀イギリス」と改めて、焦点も議論も明快な本としました。本文も巻末の史料・文献解題もミニマムながら補正して、2014年の刊行物として意味あるものとしました。なおまた編集担当者の熱意のおかげで地図など図版を追加することができ、18世紀なかば、Rocqueのロンドンを、シティのニューゲイト監獄・市門から、ホーバンを西に、聖ジャイルズ教会を経由して、オクスフォード街、そしてハイドパーク入口のタイバン処刑場までたどって歩けるようにしました。じつは今日でも基本的に(微調整すれば)この260年前の地図で歩くことができるんです! 見開きの地図が、右から左へと、次々に連続します。

 本とは一人では出せないものと承知はしていましたが、今回もつくづく、その認識をあらたにしました。
あとがきに名を挙げた方々に、感謝。

2014年5月15日木曜日

Im wunderschönen Monat Mai. . . .

過労にて、体調不良、公私ともみなさまにご迷惑とご心配をかけました。

本日から戦線復帰しました(実はすでに昨日から、都内の匿名委員会に出席、その後、老母の所に参りました。二日遅れの母の日でした)。
今日はさっそくに学内の一会議で年間計画決定。
また図書館にて ECCO 導入のための話し合いが実現しました。
こちらは案ずるより産むが安し、といった感触。2007年の Cengage のインタヴューのプリントなどが出回っています。

ところで、
Im wunderschönen Monat Mai,
Als alle Knospen sprangen. . . .
と5月の美しさは年齢に関係なく(あるいは加齢とともに)十分に感じ取っているつもりですが、悲しいかな、「想いや憧れ」をだれかに告白するといった気持にはなりませんね。
もうすこし普遍的に表現し形にしたい、という気持は強く、はっきりしています。身体と頭脳の衰えを意識すればこそ、よけいに。
ぼくの先生方が60代だったころのことをしばし想起します。
自分が成熟したのか、枯れたのか、よく分かりませんが、これはたしかに何十年も前とは違う感覚です。

2014年5月2日金曜日

美しき五月に

 花と新緑の季節ですね。爽快にゆきたいところですが、いろいろなことが滞っていて、緑風に身を任せるとはゆかず、困っています。ただ旧柴田蔵書のことで茗荷谷のお茶の水女子大に訪れて、キャンパス内外の花の美しさには心おちつきますが。

立正大学大学院紀要・文学研究科』30号は、無事4月に刊行されました。「註釈『イギリス史10講』(上)- または柴田史学との対話 -」が掲載されています(pp.71-87)。ただし、その抜刷は想定部数をこえて必要となり、しかたない、きれいに複写をとってホッチキスで留めたコピーを制作することとしました。

そうこうしているうちに、出版社から「近影を」などと請われて、こんなのもあったなと想い出して、いくつかのウェブページ(まだ消えていない)を再訪してみました。

http://cengage.jp/ecco/2007/07/post-2.html
【この ECCO を立正大学ではトライアル利用中です】
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/personage/2232.html
【このQ & Aで「いま書いている本」とは『イギリス史10講』のことでした】
http://letters.ris.ac.jp/department/history/professor.html
【こちらは、立正大学史学科の同僚たちのプロフィールとともに】

2014年4月7日月曜日

XPの更新サポート終了後は‥‥


マイクロソフト社からは「2014年4月8日の Windows XP のサポート終了後、Microsoft はマルウェアから PC を保護するための Windows XP 用のセキュリティ更新プログラムを提供しません。」と繰りかえし言われています。マスコミも、ここまでは繰りかえし報道しています。

しかし、ぼくのように MS-DOS 以来の(ほとんど25年にわたる)ユーザの気持は、そんなにも忠良なユーザを冷淡に扱って許されるのか、無責任ではないか、というものです。

そもそも遊びにPCを使っているわけではないので、情報の交信と、書くための道具として、確実で信頼性のあるものであれば十二分。タッチパネルとか AV の4D処理とかはどうでもよいのです。もしや世界中のインテリ・物書きから国際的な損害賠償を求める訴訟が起こるのではないか、と考えていました。

で、本日MS社のサイトから探しあてたウェブページは:
→ http://www.microsoft.com/ja-jp/security/pc-security/mse.aspx

これから分かったのは、
「‥‥ Windows XP のサポートが終了するときに Microsoft Security Essentials を既にインストールしている場合、一定期間、お使いの PC のマルウェアを識別するための Microsoft Security Essentials 更新プログラムを入手できます。また、一定期間、Windows Update やダウンロード センターから Windows XP 用の悪意のあるソフトウェアの削除ツールを入手することもできます。
Windows XP 用のマルウェア対策製品の更新プログラムは、完全にサポートされているオペレーティング システムへの移行が終わるまで、お使いの Windows XP PC で特定のマルウェアの検出やブロックに役立てることができます。ただし、最新のセキュリティ更新プログラムが適用されていない PC ではマルウェア対策製品の有効性が制限されるため、お使いの PC は感染のリスクがあることに注意することが重要です。」
 ということは、すなわち、こう解釈できます。Windows XP のサポートは(損害賠償請求などに対応するために)Microsoft Security Essentials で実質的に継続する;「一定期間」というのは、他のページから「2015年7月14日」までということらしい**;ただし XP のサポート終了日より以前に Microsoft Security Essentials を既にインストールしている場合にかぎる、
と。
Hirschmann の 経営学における顧客の loyalty と voiceexit といった対照概念を連想しました。文句を言う(voice)客のほうが、黙って去る(exit)客より、はるかに大事で大切にすべき人びとなのです。マイクロソフト社さん、肝に銘じてね。

** http://blogs.technet.com/b/jpsecurity/archive/2014/04/03/eos-summary-windows-xp-office-2003.aspx より: このページの最後に近い Q&A を見てください。
→ 「サポート終了日までに完全に移行を完了できないというお客様が複数(!)いらっしゃる状況を考慮し、Windows XP に対するマルウェア対策ソフトの定義ファイルおよびエンジンのアップデートについては、2015年7月14日 (米国時間) まで継続します。
※対象製品:<中略>‥‥Microsoft Security Essentials (MSE)
この決定は、あくまでも、移行に猶予期間が必要なお客様の状況を考慮した上での決定であり、Windows XP の利用を推奨するものではありません。」
 

2014年4月3日木曜日

鳥越泰彦さん


にわかに信じられない訃報なので、出版社にも確かめました。悲しい事実です。
ご冥福をお祈りします。

<訃報>
2014年4月2日/麻布中学校・麻布高等学校からのお知らせ
3月29日(土)未明、社会科鳥越先生が国際交流の引率先、韓国にて就寝中に
心停止によりお亡くなりになりました。
ご家族の希望により、葬儀は密葬で行いますので、
香典や供物などは堅く辞退申し上げます。
https://twitter.com/takaya_ringo/status/451206722321776641

鳥越さんは、ぼくが東大西洋史に助教授として赴任した1988年の春、東大西洋史の修士課程に進学し、
西川正雄先生を指導教官として中欧史と歴史教育を研究しました。
そもそも早くから高校の世界史教師になるんだと公言しておられたが、その初志を貫徹して、
修士課程を修了後、そのまま麻布中高校の教諭に就職しました。
【1995年ころの大学院重点化より以前は、西川正雄、木畑洋一、木村尚三郎といった駒場の先生方も、本郷の人文科学研究科を担当しておられました。】

早くから西川さんが編集代表をつとめた三省堂の高校世界史を手伝っておられましたが、
三省堂が世界史教科書から撤退したあとは、
ぼくからお願いして、山川出版社の『新世界史』『現代の世界史』などについて現場教員として助言・提案・執筆していただくという関係でした。

多忙のなか、はりきっておられたのに‥‥      

2014年3月23日日曜日

ウェブ評いくつか

 こちらのブログの不具合で(といっても単にブラウザの設定支障に過ぎなかった模様です)、しばらく書きこみの意気阻喪していました。
 代わりにこちらの掲示板にて発言してきました。
→ http://kondo.board.coocan.jp/
「増刷の遅れ」、「歴史的な映画」、「電子書籍版」です。
 
 なお『イギリス史10講』についてウェブの世界、ブログ等でたいへん良い/上手なコメントを下さっているのは、この方々。皆さんに面識も(西島さん以外は認識も)ありませんが、ありがとうございます。今後の参考にさせていただきます。
1.http://d.hatena.ne.jp/nisijimadokusyo/20131225/1387949039
<西島建男さん。元朝日新聞・学芸部。『逆転の読書』の著者>

2.http://history-book.seesaa.net/article/387001972.html
2014年02月04日<匿名:史人(ふみひと)さん>

3.http://jhfk1413.blog.fc2.com/blog-entry-2409.html
<タイトル名には一寸たじろぐが、しっかりした内容です>

4.http://aandsaffairs.wordpress.com/2014/02/13/kondo-iwanami/
<Arts & Science Affairs >

5.http://ameblo.jp/bcewr898/entry-11742448592.html


 ほかにもぼくが気付いてないものが多々ありそうですが。
大新聞でまともなコメントを下さったのは『日本経済新聞』(2月23日)だけで、他はおざなりの扱い。
公共圏がマスコミから、対面談話とウェブへとゆっくり動いているのは、中華帝国だけのことではないのかも。

2014年3月4日火曜日

岩波の Facebook

岩波新書の Facebook というのが運用されていて、いろいろな催しや放送の情報などとともに、重版のお知らせも載っています(だれがどう反応しているのか、その片鱗も窺えます!)。

そこに 『イギリス史10講』 の第3刷のお知らせも。
じつは、先月末からローカルな本屋さんでは軒並みに品切れ状態でした。
https://www.facebook.com/iwanami.shinsho/posts/410523022426574?stream_ref=10

岩波書店にはお手数をかけましたが、この機会に、本文について(ふたたび!)マイナーな添削をさせてもらいました。

とはいえ、 Facebook にはぼくの本のように呑気な出版、重版のことばかりでなく、もう少し真剣なニュースもあります。 ご覧ください。
→ https://www.iwanami.co.jp/topics/index_i.html

2014年2月21日金曜日

鈴木博之さんと安西信一さん


 なんと予想もしない訃報が続きました。厳冬というのは関係あるでしょうか。

 鈴木博之さんは、『英国をみる』(リブロポート、1991)に「工業化以前の中世」を寄稿され、伊藤・吉田科研ではケインブリッジやエアフルトの都市史コンファレンスでご一緒しました。12月14日の「都市史学会」創立大会では、お姿を拝見したばかりで、たいした挨拶をしないままでいました。68歳、肺炎で急逝なさるなんて、だれが想像していたでしょうか。 「明治村」の館長もしておられたのですね。
→ http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20140210/651029/

 さらに驚愕したのは、安西信一さんの急死です。
『朝日新聞』を定期購読していないぼくですが、必要が生じて、しかたがない、デジタル無料会員という制度を利用して、会員登録したところ、最初に飛びこんできたのが、あろうことか「東大准教授の安西信一さん死去」というニュースでした。
 個人的には1月24日付の葉書をいただいたばかりなのに。53歳、くも膜下出血。苦しかったことでしょう。
→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/bigaku/staff.html
「18世紀学会」では、ご心配ばかりおかけしました。
 いつだか東大文学部の催しでは、ジャズバンドを率いてフルートを吹かれました。

2014年2月19日水曜日

註釈『イギリス史10講』- または柴田史学との対話(上)


 『イギリス史10講』のあとがき p. 304 でもお約束のとおり、岩波新書の「脚注」というよりは研究史的解題に近い「註釈」の原稿を、先月27日に提出しました。編集実務の担当者にかなり急かされて、学年末の校務のさなか、時間的余裕がなかったので、(上)ということで第4講まで(~ p.112)で中締めとさせていただきました。匿名の査読者2名のご意見も考慮しつつ、改訂原稿を出したのが2月7日です。校正刷りはまだ目にしていません。
立正大学大学院紀要』の刊行予定日は3月15日と言われていますが、もし順調にいったとしても抜刷などの出そろうのはいつでしょう? しばらくお待ちください。
 上にも書いたような事情で前半だけとはいえ 21,000字を越えていて、『イギリス史10講』の本文ではかなり切り詰めてコンパクトに記したことの背景ないし根拠を説明しています。もっぱら近現代だけに関心のある方にも、方法的な構えとしてどういうことなのか、わかるように書いたつもりです。副題から全体のトーンは伝わるでしょう。

 ちなみに 「学内紀要を活用せよ」というのは、黒田先生の置き土産のような助言でもあり、早速に去年の 『立正史学』113号(礫岩政体と普遍君主:覚書)から利用させてもらっています。これからもそうします。

追記: 立正大学リポジトリに登載されました。どなたでも利用できます。 → http://repository.ris.ac.jp/dspace/handle/11266/5295

2014年2月12日水曜日

『10講』 増刷


 『イギリス史10講』(岩波新書)をめぐって、このページとは別に、相互発言のしやすい掲示板を用意してありますので、ご利用ください。
http://kondo.board.coocan.jp/

 おかげさまで、ローカルな本屋さんでは1月末から品切れ状態だったようですが、第2刷が出ました。奥付によると2月14日発売、とはいえ、すでに在庫です。「品切れ」という表示があっても、注文してみてください。

 年の瀬に出版された『10講』の仕上がりをみると、残念ながら、原図がカラーの図版は写真がかなり暗い印象になって、また地図にもごく細かい問題、本文にも不十分な箇所が残ってしまいました ! こうした点を気に病んでいました。
 増刷の機会にこれさいわいと、技術的に可能な修正をほどこし、また好評なので文中の参照ページ指示(p.*)をふやし、索引も窮屈なスペースながらほんのすこし改良しました。

 改訂版ではないので、パラグラフを入れ替えるような大きな改訂はできません。本質的には同じ本ですが、問題かなと思われた場合は、こちらの第2刷を参照してみてください。
 これからも、お気づきのことがあれば、大小いずれであれ、ご指摘ください。

2014年2月8日土曜日

すべて雪のせい

 今日は積雪で都心部も歩行はたいへんですが、とても静かです。午後、大学の会議に出て、そのあとは必要なコピーなどしていますが、このあと成績入力で、今晩も奮闘します。

 ところでJR東日本の駅に貼られているスキーの美少女ポスターですが、「ぜんぶ雪のせいだ」というキャッチが、おもしろく効果的。
「ぜんぶキミのせいだ」とすると、直截すぎて了見が狭く、おもしろさがない。
「ぜんぶスキーのせいだ」とすると、これはまた宣伝でしかなくなる。
「ぜんぶ雪のせいだ≒雪のおかげだ」とすると、おかしいが真実。印象的なキャッチとなる。

 試験の終わった学生たちの冬の vacation !
もうすこし大人になると、in vino veritas とか、つぶやくようになるよ。

2014年2月4日火曜日

『みすず』 読書アンケート特集


月刊のみすず』1/2月号、到来。「読書アンケート特集」、例年のことですが、156人の物書きたちが新刊・旧刊の本について所感を述べる、自由な空間です。しかも(おそらくは)原稿の到来順に組んであるので、だれの稿がだれの後に、といったことは予想不可能。

宮地尚子さんという(ぼくの存じあげない)方は、書物として『みすず』「読書アンケート特集」そのものを挙げておられます。「‥‥書き手の個性が豊か。その時々の心情を吐露したものや、自己宣伝に近いもの、自分の好みというより自分の領域で読んでほしいものの紹介など、様々。‥‥隠れた精神的系譜も見えてきます」(p.24)とのこと。大新聞の書評欄とは全然ちがう知的な宇宙が広がり、ぼくの大事な勉強部屋です。というより、たとえればオクスブリッジにおける SCR かな。オクスフォードでは Senior Common Room, ケインブリッジでは Senior Combination Room と微妙な表記の違いは譲らないんだが、実質は同じ。
みすず書房の「ハウス・スタイル」への賛辞も、自然と受けとめられます(p.57)。
坪内祐三さんという方には、ルカーチ『歴史学の将来』(11月刊)にも言及していただきました。「フール・ジャパンに必要なのは、現代史(つまり政治)リテラシーだ」(p.110)といった発言もあって、いまだ捨てたものではないな、という気になります。

ところで、ぼくの挙げたものはというと、
ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、1969)
ステュアート・ヒューズ『大変貌』(みすず書房、1978)
熊野純彦『日本哲学小史』中公新書、2009
熊野純彦『和辻哲郎』岩波新書、2009
です。
横文字のものを少なくとも1つという、例年、自分に課している方針を守ることができなかったことにも現れているとおり、熟慮する時間がなくて、すぐ手近のものを列挙。これでも中長期にわたって振り返ると、なんらかの意味が見えてくるんでしょう。恐ろしい。

2014年1月28日火曜日

歴史と歴史学の将来


 22日に書き付けましたブログの最後に、ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房、2013)に触れました。これは John Lukacs, The Future of History (Yale U.P.) の翻訳で、ぼくは監修者というかかわりですが、巻末の「解説」を書いています。じつにおもしろい本です。アメリカの学問および大学のありかたにたいするリベラル知識人の警鐘ですが、ほとんど日本の現状/近い将来のことを語っているかと思わせるほどです。

 この本についてのウェブ書評があると知らされて、読みました。筆者の出口治明さんという方は存じませんでしたが、会社の取締役会長・CEOとのこそ。すごいインテリ・ビジネスマンですね。
http://blogs.bizmakoto.jp/deguchiharuaki/entry/17292.html
 1948年生まれで京都大学卒、ということは、ぼくとも本質的には似た学生生活を送ったのかな?

 かつて大塚久雄や丸山眞男がイロンなことを申し立てて、「遅れている」「ゆがんでいる」と難じていた日本社会も、じつはこの数十年間にはるかに成熟して、進歩的文化人のオクシデンタリズム的劣等複合は、とっくに「置いてけ堀」をくらっている; 戦後民主教育と高度経済成長の実は上がっている、ということでしょうか。
 むしろルカーチ的なヨーロッパ中心=教養主義による現状批判は、「遅れている日本」でなく「進んでいる日本」にたいする批判力をどれだけもっているかという風に、前向きに捉え直したいですね。

2014年1月22日水曜日

『民のモラル』 から 『10講』 への変身?


 いただく私信のうち、次のW先生のようなものも、じつはめずらしくありません【後半のセンテンスのことです】。
「‥‥洗練された叙述に、細部へのこだわりと大きな展望が結びつき、短い表現にも多くの省察がふまえられていて、ご苦心の跡をしのぶことができ‥‥」とかいうお誉めの言葉【有難うございます】に続いて、
「‥‥[近藤]御自身としては 『民のモラル』 あたりまでに比べて大変身のようにも思われ、そのことの意味はぼくたちへの大きな問いかけでしょう。9.11、3.11などのあと、歴史研究の方向を模索しようとするとき、御著の意義を反芻することができるかと思いました。」

 全体に暖かく厳しい励ましとして受けとめますが、ただし、『10講』(2013) は 『民のモラル』(1993)からみると「大変身」なのか?
本人としては歴史研究および執筆にあたっての姿勢は変わっていない/一貫しているつもりなのです。出版のテーマが民衆文化か通史か、ということ以外には、 <歴史のフロンティア> も岩波新書も基本は共通しています。岩波新書のほうが読者層が多様で、また「元学生」の方も少なくない、という傾向性は承知していますが、それが執筆スタイルを変化させたわけではありません。
α もちろんアカデミズムの面々が構える桟敷席も向こうに見えてはいますが、それより本を読む学生、勤め人や街のインテリが一杯の平戸間に顔をむけています【『民のモラル』も、リサーチと史料分析による本でしたが、註はありませんでした】。
β みなさんに「こんな事実があった」「こんな時代があった」「研究により、こんなことまで分かっている」「で、君はどう思う?」と 『民のモラル』でも対話をしかけたつもりだし、今回の『10講』 でもそうです。
 むしろ新しい問題としては、民衆文化の自律性まではよいとして、歴史のagency としての推進力/構想力を考えると、どうか? といった問いかけが、『民のモラル』では弱かった。ましてや歴史の contingency、「諸力の平行四辺形」(エンゲルス)といったアジェンダは表面に出ていなかった。だからこそ、次に『文明の表象 英国』(1998)といった異質な出版が必要でした。
執筆スタイルといえば、この20年間にすこし経験を重ねて、ほんのすこし表現力は増したかもしれません。「簡にして要」だけを追求するのでなく 「溜め」を取るとか、逆に、くどくど経過説明せずに(映画や演劇のように)舞台を回してしまい、後から事情が分かるようにするとか‥‥。

 別のある読者は、おわりまで通読してから、今度は所どころ拾い読みをして、意味を確かめたり、余韻に耽ったりして下さっているとか。有難いことです。 『歴史学の将来』 のルカーチ先生にも読んでいただけると嬉しいな。

2014年1月15日水曜日

『イギリス史10講』 と 映画

 さいわい、良き読者をえて、ご挨拶以上に心のこもった/実質的なお言葉もいただいています。ありがとうございます。
そのなかで、映画についての感想やコメントもいただいていますので、ひとこと。

『イギリス史10講』では(最初の構想から意識して)本筋に関連するかぎりで、できるだけ映画や演劇・文学作品に言及しようと思いました。ただし、これは「一般受けするために」ということではなく、むしろ 『タイタニック』も『インドへの道』も『日の名残り』も『英国王のスピーチ』も、これなしでは話が進まないというべきか、エッセンスのような役割を負っています。図版が飾りでなく本文と同じく重要だ、というのと似ています。
それじゃ、逆に、『ベケット』はないの? シェイクスピアなら『マクベス』でしょう! といったご質問もあり、お答えは苦しい。つまり、この300ページの本が2倍の600ページになってよいなら、作品だけじゃなくて、もっと興味深いエピソードや人物はたくさんあるわけだし、いくらでもさらに充実させることができたでしょう。とにかく岩波新書1冊で、というのは絶対の条件でしたから、その枠内でどういった工夫ができるか、悩ましい問題でした。
その補いになったかどうか、縦組の本文に (p.*) という形で参照ページを挿入したのは、短く、しかし目立つ、効果的なやり方だったな、と思っています。 
増刷が出るときには(p.*)の表示をすこし増やしましょう!
【→7刷ではさらに各講の扉ページ写真にも該当ページを明示しました。】

2014年1月7日火曜日

謹賀新年

 新年をいかにお迎えでしょうか。
東京地方はおだやかで、すでに大学も平常の日々が始まっています。卒業論文・修士論文の提出をサポートすべく、ぼくも連日出勤しています。

 おかげさまで昨年末には
・『歴史学の将来』(監修: みすず書房、11月)
・『イギリス史10講』(単著: 岩波新書、12月)
の2冊の刊行まで漕ぎ着けることができました。年来の知友の叱咤激励、編集担当者の奮闘努力のおかげです。ありがとうございます。どちらもそれなりに好評のようで、うれしいことです。
 なお、とくに『イギリス史10講』については、双方向の討論のしやすい掲示板として
http://kondo.board.coocan.jp/
を用意してあります。どうぞご利用ください。

 じつは他にも長年の「負債」のように持ちこしている課題は少なくなく、「註釈:イギリス史10講」や日英歴史家会議(AJC)の出版、そして 『民のモラル』 (ちくま学芸文庫版) をはじめとして、順々に、ポジティヴに実現してゆきます。

 旧臘に上野で「ターナー展」、神保町で映画「ハンナ・アーレント」を続けて見たことも、とても知的に励まされるよい経験でした。時代のなかで創造的な知識人がどう生きるか。どちらも立正大学の西洋史の院生と一緒に見ることができて幸せでした。

2013年12月29日日曜日

クリスマス休暇をねらって?

 風邪と咳で苦しみ、年末のお仕事を片づけることができず、何人もの方々にご心配をおかけしました。まだ完全には復帰していません。

ところが、その間にも安倍晋三首相は、世界的にメディアがクリスマス休暇に入っていると踏んで(?)靖国参拝という愚行を実行し、これまで参拝できなかった「痛恨の極み」をはたし、日本の保守政治の呪われた宿命をあらわにしました。
安倍首相は日本資本主義の総帥であるよりも、ナイーヴなガラパゴス右翼の虜なのですね。なぜなら、

1. 西郷を国賊として排し、東条を英霊として合祀した靖国に参ることによって、首相は天皇陛下の歴史観と公けに対決しています。今上天皇は一度も靖国に参ったことはなく、昭和天皇は、靖国がA級戦犯を合祀した1978年以来参拝していません。
アジア太平洋戦争の開戦が愚かな国際政治の企てだったとして(それは今はおきます)、その終結の機を失い、ダラダラと後のばしにしたことによって、特攻隊もアジア各地の玉砕兵士も、また昭和20年3月の東京、大阪、名古屋をはじめとする全国の都市の空襲犠牲者、そして究極の広島、長崎、そして満州の犠牲者を無駄に増やしたのです。そうしたことの責任者=「英霊に哀悼の誠をささげ、尊崇の念を表する」とは、どういう意味なのか。まともな知性をもつ大卒者とは考えられない。
自民党右翼だけではありません。マスコミも問題の深刻さを認識していないんじゃないか。近現代日本がどれだけ有為の人材を無駄死にさせつつ突進してきたか、その責任を再確認する必要があります。

2. この問題について、歴代の官房長官のうちでも、クールで実際的な野中広務とか、福田康夫とかは脱宗教法人、国立追悼・平和施設といったことを提案してきましたが、フォローは乏しい。「政治は票だ」、「遺族会や右翼の票田を失うわけにゆかない」というだけでなく、三木武夫首相のころから/橋本龍太郎首相のときから(陰に陽に?)「怖い方面」からの脅迫・強要もあったのでしょうか? 明らかにしてほしい。

3. 無念なことに、戦後の民主日本は、ドイツ連邦共和国とは本質的に異なる道を歩むこととなりました。ナチス処罰とヨーロッパ統合という形で、近隣との呪われた関係を克服する道を選んだドイツ。公然と戦犯【開戦の責任者というより、むしろ終戦を決断しなかったリーダーたち】を哀悼し尊崇することによって、愚劣さを世界中に発信する安倍首相。
これでは「なにが決められない政治の克服だ」と言いたくなる。「世界」とか「普遍」とか「レゾン・デタ」とか「法」といったことを、大学時代にも、議員になってからも考えたことがないのだろうか。きみの父君の場合は、もうすこし国際感覚があったんじゃないの?

愚かな国民には、愚かな政治がふさわしい。

2013年12月22日日曜日

岩波新書 『イギリス史10講』 をもって


 お待たせしました。ほんとに刊行されました。
http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?head=y&isbn=ISBN4-00-431464
→ この画面で、右下の More Info をクリックしてください。
編集担当者によるメッセージと目次のページが開きます。

 21日、穏やかな土曜の午後に、柴田家に参って小冊を献呈してきました。
御遺影と対面して座すると、万感あふれてしまいましたが、
ご夫人はぼくをそのまま一人にしておいてくださいました。

「これで[本が出て]楽になったでしょう」というお言葉ですが、そう、前向きになれます。
累積する未決課題は多いのですが、積極的な気持でいます。

 おみやげに、なんとぼくの学部5年のときのレポート2つ(1970年5月5日という日付)
・「パリ、2月革命期における蜂起主体の社会的構成」
・「1848-49年革命の敗北とマルクス・エンゲルスによる教訓化
  -プロレタリアート党の独自的運動・組織化の提起」
をいただきました。
出席回数ゼロでしたが、単位をいただいたものです。
どちらも脚註つきで横書き原稿用紙23ページの力作!?
それぞれ先生の手で「80°」という評点が付いています!
捨てずに取っていてくださったのですね。

2013年11月26日火曜日

ルカーチ 『 歴史学の将来 』


このところ多事多端で、必要最低限のやりとり以外は、あまりウェブの世界も眺めていなかったら、
今晩、偶然にこんなページができているのを発見。いつから登載されているのか、わかりませんが。
http://www.msz.co.jp/news/topics/07764.html

最新刊のジョン・ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)について、カバー写真、編集者の思いと関連書誌情報が載っていて、有益です。
ぼく個人としては、
ちょうど2年前に編集者が本郷の部屋に現れて、「まずは読んでみてください」と、本と New York Review of Books を渡されて(しかたなく)読み始めたのです。それが良かった。
1) historia とは「語り」であるより前に「調べてえられた知」だと明言したうえで、
2) 返す刀で、一次史料に取り組んだからといって、その成果を「役人が書くように醜い文章で」発表して恥じない凡庸な専門家にたいして、それでよいのかと叱咤激励し、
3) さらには「言語論的転回」の波に溺れて、「韻律の最新理論」を紹介するだけで、ご自分の「叙事詩」を産み出そうともしないヤカラを批判する、
そうしたルカーチは、禿頭の老先生かもしれないが、親近感をおぼえます。

さすが、みすず書房。品のある美しい造本です。

2013年11月15日金曜日

D くん

拝復

 多色彩の初校ゲラ 306 pp. を戻したら、再校ゲラは 310 pp.になって帰って来ました。つまりどこかで行がはみ出してしまったのでしょう。もとの306ページに戻さないと、索引のページが無くなります!

 ところで、Dくんの御メールのとおり、たしかに『10講』で礫岩という用語を数度つかいますが、それにしてもこれは conglomerate のみを視点にした単純な本ではありません。たしかに(イギリス史については明示的に)絶対主義という語の使用に反対しています。関連して、アメリカ史における「巡礼の父祖」伝説や、独立宣言における absolute despotism/tyranny への攻撃は、ためにするゾンビへの攻撃と考えています。
とはいえ、これらは『10講』の多くのイシューのうちの1つに過ぎず、他にもおもしろい論点は親と子、男と女といったことも含めてたくさん展開しています。

 御メールはさらに、次のように続きます。

>「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」は、人間集団の政治性獲得のモメントを重視し、中世から近代へ「政体」のダイナミックな変遷をおうものと理解しています。
> 例えば、‥‥あたりで、それぞれの時代における「帝国的編成」との比較でコメントを頂くのも一興です。

 うーん、「帝国的編成」となると、ますます「ある重要な一論点」でしかないな。
通時的には「ホッブズ的秩序問題」を心柱にして叙述し、
同時代的には、たとえば1770年代のアメリカ独立戦争をアイルランドのエリートたちが注視し、
19~20世紀転換期アイルランド自治の問題をスコットランド人もインド人も注視していた、といった論点は出していますが。

 研究者の顔を意識した「問いかけ」もあります。一言でいうと、そもそも『イギリス史10講』は、二宮史学、柴田史学との批判的対話の書なのです!(これまで小さく凝り固まっていた分野の諸姉諸兄には、奮起をお願いします。)

>‥‥composite state や composite monarchy といった議論がまずは
> イギリスの学界で展開された議論だったことに関心を払う必要もあるようです。

 そうかもしれません。が、重要な方法的議論は英語で、という傾向が歴史学でも1980年代から以降、定着したということかな。
もっとも「1930代~40代のイギリス・アメリカ(とソ連)が旧ドイツ・オーストリアの知的資産をむさぼり領有した」こと、
「英語が真に知的なグローバル言語になったのは、このときから」といったことが、事柄の前提にあるわけですが。
イギリス史10講』では、戦後レジーム成立過程における人・もの・情報の「大移動」も指摘してみました。
S・ヒューズ『大変貌』にも示唆されていますが、1685年以後の名誉革命レジーム成立過程における(対ルイ太陽王)人材移動も視野において言っています。

 これまでの歴史学のアポリアが少しづつ解決してゆくのを、ともに参加観察するのはよろこびです。個人的にも、積年の「糞詰まり状態」を解消して、快食快便といきたいところです。単著ではないけれど、お手伝いしたルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房)や『岩波世界人名大辞典』などが公になるのは、爽やかです。収穫の秋です!