2022年4月22日金曜日

カー『歴史とは何か 新版』 予告の3

 『歴史とは何か』の巻頭になぞのエピグラフがあったことはお気づきでしょうか。
 清水訳(岩波新書)では、扉のあと、「はしがき」が始まる前のぺージに

   「八分通りは作りごとなのでございましょうに、
   それがどうしてこうも退屈なのか、
   私は不思議に思うことがよくございます。」
                        キャサリン・モーランド 歴史を語る
とあり、なにか有閑・教養マダムで、もしや高齢でお上品な淑女の発言のようにも聞こえます。何のことを言っているのか分かりにくいし、本文が始まる前のエピグラフとしておいた著者の意図・効果も不明で、それこそ「不思議に思って」(I often think it odd ...)いました。
 若きジェイン・オースティンの生前は未刊の小説 Northanger Abbey 第14章とのことで、調べてみると、いろいろなことが判明します。なにより主人公 Catherine Morland は17歳の夢見る乙女。読書が大好き、世の中のいろいろなことに興味津々、でもその深みまではよく分かっていないティーンが、男女のこと(結婚)についても、文学についても次第に目を開かされる、という設定でした。バースで知り合った新しい知己とのあいだの会話で、どういった本を読むのか、好きなのかといった話題のなかでのキャサリンの発言です。ぼくはこう訳しました。

   「不思議だなって思うことがよくあるのですが、
   歴史の本ってほとんど作りごとでしょうに、
   どうしてこんなにもつまらないのでしょう。

原文は
   I often think it odd that it should be so dull,
   for a great deal of it must be invention.

この直前にキャサリンは、こうも言っていますので、2回目・3回目の it は history です。
   I can read poetry and plays, and things of that sort, and do not dislike travels.
   But history, real solemn history, I cannot be interested in. Can you?

 キャサリンのナイーヴな発言は『歴史とは何か』の巻頭に、かなり挑発的なミッションを負って置かれていたのです。というわけで、巻末の訳者解説にはこうしたためました。pp.367-368.[ ]は今回の抜粋にあたっての補い。改行も増やします。

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 ‥‥じつは[1961年の初版以後、]英語の各版が新しくなるにつれて、巻頭におかれたキャサリン・モーランド嬢のエピグラフはカーの本文からどんどん(何10ぺージも)離れてしまっていた。これを本訳書では中扉の裏(2ぺージ)、第一講の直前に戻すことによって、元来のカーの意図(としたり顔)を生かす。
 従来の『歴史とは何か』の論評ではあまり言及されないが、ジェイン・オースティンの最初の作品『ノーサンガ・アビ』(死後1818年刊)において、17歳で読書好きのヒロイン、キャサリン嬢は率直に、歴史物はほとんど作りごと(インヴェンション)なのに、どうしてこんなにつまらないのかと感想を洩らしていた。この文脈で history とは歴史物の作品であるが、英語では本書のテーマ、歴史および歴史学と区別はつかない(補註a)。
 歴史/歴史学とは過去の事実への拝跪であるという岩礁[への座礁]も、歴史家の作りごとであるという渦潮[への沈没]も、第一講で明確に否定されるのであるが、カーは愛読したジェイン・オースティンからこのエピグラフを引いて、あらかじめ渦潮派の問いかけを呈示し、それにたいする反論を予告していたわけである。だからといって、カーのことを素朴な実証主義者(岩礁派)だといった虚像(カカシ)を仕立てあげて攻撃するポストモダニストには、[笑]をもって答えるのだろう。ちょうど『歴史とは何か』を執筆しているころのカーの肖像写真(332ぺージ)の表情が語るかのようである。 <以上> 
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 [その写真は、これです。(c) The estate of E. H. Carr.
 たとえば『危機の二十年』(岩波文庫)で使われている肖像写真は温厚きわまる老紳士ですが、それよりも元気で、いたずらの表情です。]

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