「下落合」(高田馬場から西武線で一駅)、徒歩1分 TACCS1179 にて、
23日(水)13:00 open です ↓
http://blog.goo.ne.jp/yuuki6256/e/3cbae929c43a91928f9b343712dcdbde
どうしてぼくが、横浜市立大学卒の美人シャンソン歌手を知っているか?
それは『パンと民衆』〈歴史モノグラフ〉の著者の新妻だから。
2011年11月21日月曜日
WiMax 開通!
恥ずかしながら、これまで無線(モバイル)接続というのを自分でやったことがなかったのですが、‥‥昨日から本日にかけて、ようやく開通。大学にも自宅の各室にも LAN 端末があり、安定した高速接続の保障された場所でのみ仕事をしていたぼくとしては、ワイヤレス環境への対応の必要がほとんどなく、今ごろ東大生協の WiMax キャンペーンに乗ってようやく試行したというわけです。
じつは何年か前に、無線 LAN 接続を試みようとして、当時のK助手にぼくの機器の古さを笑われたことがありました。 → http://kondo.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=515
今回も2年前の最新鋭機 Dynabook RX2 ですが(わざわざ XP SP3 にダウングレイドしています)、これに WiMax のUSBを差し込んで、恐る恐る試みました。
土曜の自室では電波が弱いのか強雨のせいか、たいへん遅い、というより「接続中」が永遠につづく‥‥。南側のリヴィングに移っても‥‥。
今日、日曜、秋景色の本郷でなぜか京都や福岡の人に遭遇しつつ、オフィスで同じことを試みると、何かの拍子にうまくいって--というより、じつは昨日から「接続中」で OK だったのだ!と認識--「無料お試しキャンペーン」の申込ページに変わりました。どうせダメか‥‥などと案じながらやってると何事もうまくいかない。「君に足りないのはコンフィデンスだよ」などとある卒論学生に言って励ましたばかり‥‥。
WiMax って案外、支障なく働くんですね。だからといって別に地下鉄や路上でも活用、などと考えている訳じゃなく、来4月から環境が変わりますので、その対策の一つに過ぎません。
じつは何年か前に、無線 LAN 接続を試みようとして、当時のK助手にぼくの機器の古さを笑われたことがありました。 → http://kondo.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=515
今回も2年前の最新鋭機 Dynabook RX2 ですが(わざわざ XP SP3 にダウングレイドしています)、これに WiMax のUSBを差し込んで、恐る恐る試みました。
土曜の自室では電波が弱いのか強雨のせいか、たいへん遅い、というより「接続中」が永遠につづく‥‥。南側のリヴィングに移っても‥‥。
今日、日曜、秋景色の本郷でなぜか京都や福岡の人に遭遇しつつ、オフィスで同じことを試みると、何かの拍子にうまくいって--というより、じつは昨日から「接続中」で OK だったのだ!と認識--「無料お試しキャンペーン」の申込ページに変わりました。どうせダメか‥‥などと案じながらやってると何事もうまくいかない。「君に足りないのはコンフィデンスだよ」などとある卒論学生に言って励ましたばかり‥‥。
WiMax って案外、支障なく働くんですね。だからといって別に地下鉄や路上でも活用、などと考えている訳じゃなく、来4月から環境が変わりますので、その対策の一つに過ぎません。
2011年11月13日日曜日
Robertson -- Hirschman -- Pocock
St Catherine's の関連で、なんということなくケインブリッジ・歴史学部のウェブページを見ていたら、金曜の講義リストに目が止まった。
12:00
Part I, Papers:
3: Carpenter et al: Survey Room 5
10: Pooley: British Social History 1700-1914 Room 6
20: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3
Part II, Special Subject Papers:
3: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3
とあった。いいなぁ、ロバートスンの講義。ぼくも居たら聴きに行くでしょう。
‥‥ヴィーコ、マンドヴィル、ヒューム、モンテスキュって、じつに Albert O. Hirschman, The passions and the interests (1977) のたてた問題。 Pocock, The Machiavellian moment (1975) に世評はとられちゃったけど、モンテスキュ的契機から情念と利害関心を論じていました。ぼくはこれを名古屋時代に南山大学の図書を借りだしてコピーしたのでした! (和田さんの知恵だったのかどうか失念しました。)
でも冷静に考えると、こうしたロバートスン、ハーシュマンの知の系譜は、マキャヴェッリ、ホッブズを加えて、じつは 内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書、1971)の営みでもありました。あぁ、日本語がせめてドイツ語くらいの国際性があれば‥‥ぼくたちも、もう少し気概をもって仕事をできたのに‥‥。
21年前のケインブリッジ歴史学部ではキャナダイン、アウスウェイト、ゴールディの講義を聴き、集中講義にはラングフォードやポーコックが見えました。翌年に一種の時間講師としてのコリ、クラーク、イニスの初講義を聴いた折にしたためたのが「剣橋放談」( in『イギリス史研究』No.33, 1982).ぼくの鬱屈みたいなものが、そのまま現れています。
12:00
Part I, Papers:
3: Carpenter et al: Survey Room 5
10: Pooley: British Social History 1700-1914 Room 6
20: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3
Part II, Special Subject Papers:
3: Robertson: Vico, Mandeville, Hume and Montesquieu Room 3
とあった。いいなぁ、ロバートスンの講義。ぼくも居たら聴きに行くでしょう。
‥‥ヴィーコ、マンドヴィル、ヒューム、モンテスキュって、じつに Albert O. Hirschman, The passions and the interests (1977) のたてた問題。 Pocock, The Machiavellian moment (1975) に世評はとられちゃったけど、モンテスキュ的契機から情念と利害関心を論じていました。ぼくはこれを名古屋時代に南山大学の図書を借りだしてコピーしたのでした! (和田さんの知恵だったのかどうか失念しました。)
でも冷静に考えると、こうしたロバートスン、ハーシュマンの知の系譜は、マキャヴェッリ、ホッブズを加えて、じつは 内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書、1971)の営みでもありました。あぁ、日本語がせめてドイツ語くらいの国際性があれば‥‥ぼくたちも、もう少し気概をもって仕事をできたのに‥‥。
21年前のケインブリッジ歴史学部ではキャナダイン、アウスウェイト、ゴールディの講義を聴き、集中講義にはラングフォードやポーコックが見えました。翌年に一種の時間講師としてのコリ、クラーク、イニスの初講義を聴いた折にしたためたのが「剣橋放談」( in『イギリス史研究』No.33, 1982).ぼくの鬱屈みたいなものが、そのまま現れています。
赤門脇の新館工事
例の学士会分館あと、赤門と小島ホールの間に位置する新館の工事。晩秋の曇の日ですが、すでにこのくらいまで進行しています。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2011/12/blog-post_19.html
真ん中のアーチ(アーケード)がデザインの味噌。先日の史学会大会報告では、19世紀パリの passage が語られていました。
本郷通り【右上の写真の反対】の側からみると、一種ケインブリッジの18世紀建築 St Cat(聖キャサリン学寮、King's の脇)を想わせる雰囲気になるかとも思われます。それよりずっと小規模ですが、①色調は同じ濃褐色、②建物を 口 のような方形の内庭に囲いこまず(ミアズマに余地を与えず)、┏┓ の形にして、シンメトリと風通しを第一に考える、という啓蒙の時代的な設計思想が共通していますね。下の St Cat の写真は public domain より。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2011/12/blog-post_19.html
真ん中のアーチ(アーケード)がデザインの味噌。先日の史学会大会報告では、19世紀パリの passage が語られていました。
本郷通り【右上の写真の反対】の側からみると、一種ケインブリッジの18世紀建築 St Cat(聖キャサリン学寮、King's の脇)を想わせる雰囲気になるかとも思われます。それよりずっと小規模ですが、①色調は同じ濃褐色、②建物を 口 のような方形の内庭に囲いこまず(ミアズマに余地を与えず)、┏┓ の形にして、シンメトリと風通しを第一に考える、という啓蒙の時代的な設計思想が共通していますね。下の St Cat の写真は public domain より。
2011年11月4日金曜日
2011年11月3日木曜日
SOHBI の邦訳
『オックスフォード・ブリテン諸島の歴史』(慶應義塾大学出版会)について、こんな書き込みをしています。
→ http://kondo.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=579
先々週、院生とのやりとり(「きみ、なに言ってんの」!?)があったお陰で、確認できた点です。さもなければ、済みません、読んでいませんので‥‥
ちなみに申しますと、巻末に記されている編著者 Collinson 先生の経歴で「ケント大学(ケンブリッジ)」はひどい。編集サイドの常識の問題でもあります。
University of Kent at Canterbury はキャンタベリ市にあるケント大学(1960年代設立)、ケインブリッジ大学とは全然関係ないが、一時期はコリンソンや Theo Barker を擁して勢いのあった新設大学でした。ラテン語で Cantuaria.
ケインブリッジの Cantabrigia との間でとくに略号で記された場合には紛らわしかったりしますが、それにしても中近世において Cantab.と Cantuar.の区別は決定的に重要ですね。
→ http://kondo.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=579
先々週、院生とのやりとり(「きみ、なに言ってんの」!?)があったお陰で、確認できた点です。さもなければ、済みません、読んでいませんので‥‥
ちなみに申しますと、巻末に記されている編著者 Collinson 先生の経歴で「ケント大学(ケンブリッジ)」はひどい。編集サイドの常識の問題でもあります。
University of Kent at Canterbury はキャンタベリ市にあるケント大学(1960年代設立)、ケインブリッジ大学とは全然関係ないが、一時期はコリンソンや Theo Barker を擁して勢いのあった新設大学でした。ラテン語で Cantuaria.
ケインブリッジの Cantabrigia との間でとくに略号で記された場合には紛らわしかったりしますが、それにしても中近世において Cantab.と Cantuar.の区別は決定的に重要ですね。
2011年11月2日水曜日
2011年10月28日金曜日
留学生交流支援制度(長期派遣)
いつも大変お世話になっております。
標記につき、本機構ホームページに掲載をいたしましたので
ご報告いたします。
http://www.jasso.go.jp/scholarship/long_term_h.html
今後ともよろしくお願いいたします。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日本学生支援機構
留学生事業部 国際奨学課
http://www.jasso.go.jp/
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
以上、来信から貼付します。
標記につき、本機構ホームページに掲載をいたしましたので
ご報告いたします。
http://www.jasso.go.jp/scholarship/long_term_h.html
今後ともよろしくお願いいたします。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
日本学生支援機構
留学生事業部 国際奨学課
http://www.jasso.go.jp/
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
以上、来信から貼付します。
2011年10月25日火曜日
学士会分館のあと
赤門脇の新建築について、2009年には、こんな写真をみていただきましたが、
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2009/06/blog-post_28.html
現在はその隣に、右のような建物の工事がすすみ、出来上がりつつあります。 本郷通り側でなく、東側、理学部生物学科の方向から撮りました。
全学施設で、会議室・小講堂・レストランと、それから通り抜けのアーチがあって、経済学部や医学部に抜けられるようになります。便利で良い雰囲気、と期待されるところですが、2012年3月末に完成、4月初から利用開始ということです。
残念、まにあわず!
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2009/06/blog-post_28.html
現在はその隣に、右のような建物の工事がすすみ、出来上がりつつあります。 本郷通り側でなく、東側、理学部生物学科の方向から撮りました。
全学施設で、会議室・小講堂・レストランと、それから通り抜けのアーチがあって、経済学部や医学部に抜けられるようになります。便利で良い雰囲気、と期待されるところですが、2012年3月末に完成、4月初から利用開始ということです。
残念、まにあわず!
2011年10月22日土曜日
【危険なリンク 2つ】
このページをご覧の皆さまには被害がなかったことを望みますが、
公開されていないログイン → ダッシュボード画面に「トラフィック」という欄があり、そこに嫌な感じのリンクが2つ張られていました。
これをどうやって除去するかがわからず、当たらず触らず、過ごすしかなかったのですが、今朝みると、どちらも消えています。Google社で処置してくれたのでしょうか。
検索してみると、こうしたトラブルが世界中で広がっていたようですね。
生兵法はケガのもと、と言いますが、
自分で即対応できることだけ済ませ、あとは慎重に管理元の処置を待つ、
という姿勢でよいのかな。
Don't click on the spam links!
I didn't click on either link but, just for the record,
I just got hit by the following 2 sites:
http://googlecorrection。com and http://shineads。net/
公開されていないログイン → ダッシュボード画面に「トラフィック」という欄があり、そこに嫌な感じのリンクが2つ張られていました。
これをどうやって除去するかがわからず、当たらず触らず、過ごすしかなかったのですが、今朝みると、どちらも消えています。Google社で処置してくれたのでしょうか。
検索してみると、こうしたトラブルが世界中で広がっていたようですね。
生兵法はケガのもと、と言いますが、
自分で即対応できることだけ済ませ、あとは慎重に管理元の処置を待つ、
という姿勢でよいのかな。
Don't click on the spam links!
I didn't click on either link but, just for the record,
I just got hit by the following 2 sites:
http://googlecorrection。com and http://shineads。net/
2011年10月19日水曜日
『アニメで読む世界史』
なんだこの変な本、と思って開いたら、案外でした。編者藤川さんの「あとがき」の大阪弁ムードとは全然ちがって、しっかり真面目に書かれています。しかも、おもしろい!
大学教師風の不満を述べるなら、唯一、たとえば「ド・ラ・ラメー」とか「ウイーダ」とかいっても、(章末註でもいいですが)原綴りを示してほしい。でないと、ODNB も Oxford companion to English literature も引けません!
de la Ramée (1839-1908), ペンネーム Ouida ですね。
彼女のイギリス人旅行者的な眼の軽薄さも、第2章「フランダースの犬」の隠れたテーマなのかな?『フランダースの犬』が1872年刊、翌73年にはヴェルヌの『80日間世界一周』が刊行されることを考えると、やはりこちらはリサーチという点でも、歴史感覚および想像力という点でも劣る。
「ネロはルーベンスになれるか」、そしてベルギーの現代的問題についてもしっかり論及してあり、これは学生の必読文献でしょう。「同僚との会話のネタができる」どころか、もっと知的な本ですよ。
時代を19世紀から20世紀前半に絞ったのは、聡明な編集方針と思われます。
阪大西洋史の実力と、山川出版社のセンスが合わさってこそ、実現した出版。
【山川出版社、2011年9月刊、1500円】
大学教師風の不満を述べるなら、唯一、たとえば「ド・ラ・ラメー」とか「ウイーダ」とかいっても、(章末註でもいいですが)原綴りを示してほしい。でないと、ODNB も Oxford companion to English literature も引けません!
de la Ramée (1839-1908), ペンネーム Ouida ですね。
彼女のイギリス人旅行者的な眼の軽薄さも、第2章「フランダースの犬」の隠れたテーマなのかな?『フランダースの犬』が1872年刊、翌73年にはヴェルヌの『80日間世界一周』が刊行されることを考えると、やはりこちらはリサーチという点でも、歴史感覚および想像力という点でも劣る。
「ネロはルーベンスになれるか」、そしてベルギーの現代的問題についてもしっかり論及してあり、これは学生の必読文献でしょう。「同僚との会話のネタができる」どころか、もっと知的な本ですよ。
時代を19世紀から20世紀前半に絞ったのは、聡明な編集方針と思われます。
阪大西洋史の実力と、山川出版社のセンスが合わさってこそ、実現した出版。
【山川出版社、2011年9月刊、1500円】
2011年10月18日火曜日
【危険なサイト g・correction】
今晩、知らずにアクセスしたら、とたんに自動的にページが次から次に展開し、こちらをパニック寸前に追い込んだ悪意のサイトです。
→ //:www。google・correction。com
【微妙に全角や余分な punctuation を交ぜて加工し、このままでは動作しないようにしてあります。一見してこれに酷似したウェブサイトには、アクセスしないでください。】
ウェブの世界で検索してみると、これの被害経験者は多いようです。
My blog is being hit by www。googlecorrection。com - help me stop this attack!
How do I stop this?
で、そのときぼくは、とっさにどうしたか?
対策として、動作中に電源をいじるのは危ない(HDを傷つける)と考え、まずLAN ケーブルを抜きました。PCを stand-alone にしたわけです。
それから落ち着いて、余分に開いているウェブページ右上の X をクリックして次々に閉じましたが、結局は消去しきれないページも残り、
→ [スタート] → [終了オプション] → [電源を切る]
としました(再起動ではなく)。
頭を冷やして(不愉快感が消えてから)、仕事再開。
これで良かったのか。識者のご助言をお願いします。
→ //:www。google・correction。com
【微妙に全角や余分な punctuation を交ぜて加工し、このままでは動作しないようにしてあります。一見してこれに酷似したウェブサイトには、アクセスしないでください。】
ウェブの世界で検索してみると、これの被害経験者は多いようです。
My blog is being hit by www。googlecorrection。com - help me stop this attack!
How do I stop this?
で、そのときぼくは、とっさにどうしたか?
対策として、動作中に電源をいじるのは危ない(HDを傷つける)と考え、まずLAN ケーブルを抜きました。PCを stand-alone にしたわけです。
それから落ち着いて、余分に開いているウェブページ右上の X をクリックして次々に閉じましたが、結局は消去しきれないページも残り、
→ [スタート] → [終了オプション] → [電源を切る]
としました(再起動ではなく)。
頭を冷やして(不愉快感が消えてから)、仕事再開。
これで良かったのか。識者のご助言をお願いします。
2011年10月17日月曜日
遅塚さんとDNB
今日、青山学院における遅塚先生を記念する会で、いろんな話題がありましたが、歴史的与件のなかでの人の生き方、その選択への強い関心は、だれしも持つところでしょう。伝記的叙述のおもしろく有意義なところです。伝記文学でなく、アカデミックな伝記的研究、DNBみたいな叙述のことを念頭において言っています。【ところで「生きざま」という表現は「死にざま」みたいで嫌だと遅塚さんはおっしゃっていました。】
それにつけても想い出しますが、1990年代のお終いに遅塚さんから電話がかかってきて、「蔵書を少しづつ処理しているのだが、DNB (Dictionary of National Biography) は私はもう使うことはないだろう、君は要らんかね」という趣旨でした。
イギリス史の基本文献とはいえ、全巻私物でお持ちだったのですね。
ところがぼくは、心配りも挨拶もできない男ですので、条件反射的に、こう答えました。
「先生、現行の DNB は増補をくりかえして、当該の人が何年に死んだか知らないと探し出せないし、不便なことこのうえない。そのコンサイス版は持っていますので、個人的にはそれで調べて、詳しくは図書館で見ます。そもそも根本的な改訂中で、あと2・3年もすればインターネットで全文検索できるようになります。
場所塞ぎで、無用の長物ですね。なんなら、**くんとか、# # くんとかに聞いてくださってもいいですが、とにかく現役の研究者なら、要らないと言います。」
電話の向こうで遅塚さんは、得心のゆかぬまま、諦められたようです。「あと2・3年もすれば‥‥」というのは早すぎで、結局、改訂版の DNB、すなわち ODNB は2004年まで刊行されず、インターネットにも載らなかったのですが。
遅塚さんとぼくとの関係は、今日の記念会で発言なさったどなたよりも濃いのではないかと思われるほどですが、その分、あまりに遠慮なく甘えて、馬鹿のようなことを言い過ぎました。晩年には、あきらかにぼくとの距離を保っておられました【遅塚さんが電話で柴田さんを相手に、近藤の態度の悪さについて愚痴られたのは一度や二度ではない‥‥】。反省しています。
いま『岩波西洋人名辞典』を全面改訂企画した『岩波世界人名辞典』が編集進行中ですが、遅塚さんに頭を垂れつつ謝意をこめて、ODNB を駆使しつつ、簡にして要をえた、しかもおもしろい、項目にするため、微力をつくします。
それにつけても想い出しますが、1990年代のお終いに遅塚さんから電話がかかってきて、「蔵書を少しづつ処理しているのだが、DNB (Dictionary of National Biography) は私はもう使うことはないだろう、君は要らんかね」という趣旨でした。
イギリス史の基本文献とはいえ、全巻私物でお持ちだったのですね。
ところがぼくは、心配りも挨拶もできない男ですので、条件反射的に、こう答えました。
「先生、現行の DNB は増補をくりかえして、当該の人が何年に死んだか知らないと探し出せないし、不便なことこのうえない。そのコンサイス版は持っていますので、個人的にはそれで調べて、詳しくは図書館で見ます。そもそも根本的な改訂中で、あと2・3年もすればインターネットで全文検索できるようになります。
場所塞ぎで、無用の長物ですね。なんなら、**くんとか、# # くんとかに聞いてくださってもいいですが、とにかく現役の研究者なら、要らないと言います。」
電話の向こうで遅塚さんは、得心のゆかぬまま、諦められたようです。「あと2・3年もすれば‥‥」というのは早すぎで、結局、改訂版の DNB、すなわち ODNB は2004年まで刊行されず、インターネットにも載らなかったのですが。
遅塚さんとぼくとの関係は、今日の記念会で発言なさったどなたよりも濃いのではないかと思われるほどですが、その分、あまりに遠慮なく甘えて、馬鹿のようなことを言い過ぎました。晩年には、あきらかにぼくとの距離を保っておられました【遅塚さんが電話で柴田さんを相手に、近藤の態度の悪さについて愚痴られたのは一度や二度ではない‥‥】。反省しています。
いま『岩波西洋人名辞典』を全面改訂企画した『岩波世界人名辞典』が編集進行中ですが、遅塚さんに頭を垂れつつ謝意をこめて、ODNB を駆使しつつ、簡にして要をえた、しかもおもしろい、項目にするため、微力をつくします。
2011年10月15日土曜日
秋の西空
夕刻 散歩していて、驚いたのは - 電線に群がる圧倒的なムクドリの群れ。上の写真では静かに整列しているように見えるかもしれませんが、じつは、第一にうるさい。「おまえ、近すぎだ、ドケ」とか言い合っているがごとし。しかも、第二に、数分もしないうちに わっと飛び立って、しばらく空を舞ったあとは「椅子取りゲーム」みたいに一斉に着席するのです! 完全に mobile vulgus.
うちからさほど遠くない近隣ですが、この時間帯に歩くことがあまりなかったので、こんな光景が毎夕くりかえされていたとはつゆ知らず。
2011年10月12日水曜日
Taylor & Trevor-Roper
今夕のメトロでの会食、いろいろありましたが、最後の話題は
A J P Taylor (1906 - 90) と Hugh Trevor-Roper (1914 - 2003)のことになりました。
どちらも 神童、若くして後生畏るべしとされた秀才たちが、20世紀半ば以降のオクスフォード大学において、その才能をメディアや配偶者のために、活用したのかムダにしたのか、といったことです。そのことを ODNB がいかに上手に(学問的な裏づけのある、読んでおもしろい文として)書いているか、というのも副次的だが重要なポイントでした。
A J P Taylor については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/39823【マンチェスタ大学時代の経験、そしてネイミアの隠然たる影響もきちんと指摘してある。マンチェスタを辞して、オクスフォードの唯野フェロー。なぜこうした風貌の男が女性にもてたのか、ということも明記。】
Hugh Trevor-Roper については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/88756?docPos=1【オクスフォードの欽定講座教授、ケインブリッジのピータハウス学寮長、受爵。そしてヒトラー日記の(カネまみれの)スキャンダルで際だちますが、しかしアルツの奥さんをしっかり看取ったというので、最後にほっとする。とはいえ、彼自身の最晩年は孤独で不安に満ちたものだったようです。】
ちなみに、第二次世界大戦起源論については〈修正主義者〉とされた AJPT ですが、ブリテン諸島史をとなえる修正主義青年ジョン・ポーコックから 1974-5年にイングランド中心主義と批判されて、「なにが悪い」と居直った。このことじたい、修正主義の〈無窮性〉みたいなものを示していて、おもしろいとぼくは思いますが、さすがこの論点までは ODNB は指摘していませんね。
それから19世紀末のケインブリッジのホウィグ史家、同年生まれの二人というのは、Seeley (1895没)と Acton (1902没) のことでした。前者は福音伝道主義、後者はローマカトリック。どちらもリベラル進歩主義。当然ながら、カーの『歴史とは何か』の俎上にのぼせられています。
A J P Taylor (1906 - 90) と Hugh Trevor-Roper (1914 - 2003)のことになりました。
どちらも 神童、若くして後生畏るべしとされた秀才たちが、20世紀半ば以降のオクスフォード大学において、その才能をメディアや配偶者のために、活用したのかムダにしたのか、といったことです。そのことを ODNB がいかに上手に(学問的な裏づけのある、読んでおもしろい文として)書いているか、というのも副次的だが重要なポイントでした。
A J P Taylor については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/39823【マンチェスタ大学時代の経験、そしてネイミアの隠然たる影響もきちんと指摘してある。マンチェスタを辞して、オクスフォードの唯野フェロー。なぜこうした風貌の男が女性にもてたのか、ということも明記。】
Hugh Trevor-Roper については、こちら↓
http://www.oxforddnb.com/view/article/88756?docPos=1【オクスフォードの欽定講座教授、ケインブリッジのピータハウス学寮長、受爵。そしてヒトラー日記の(カネまみれの)スキャンダルで際だちますが、しかしアルツの奥さんをしっかり看取ったというので、最後にほっとする。とはいえ、彼自身の最晩年は孤独で不安に満ちたものだったようです。】
ちなみに、第二次世界大戦起源論については〈修正主義者〉とされた AJPT ですが、ブリテン諸島史をとなえる修正主義青年ジョン・ポーコックから 1974-5年にイングランド中心主義と批判されて、「なにが悪い」と居直った。このことじたい、修正主義の〈無窮性〉みたいなものを示していて、おもしろいとぼくは思いますが、さすがこの論点までは ODNB は指摘していませんね。
それから19世紀末のケインブリッジのホウィグ史家、同年生まれの二人というのは、Seeley (1895没)と Acton (1902没) のことでした。前者は福音伝道主義、後者はローマカトリック。どちらもリベラル進歩主義。当然ながら、カーの『歴史とは何か』の俎上にのぼせられています。
2011年10月1日土曜日
西方より
〈高地地方の Glen に籠もってしまったのか、このところまったく音沙汰なき、好青年にメールしてみました。以下のような返信があり、一安心。〉
‥‥長い間音信不通で申し訳ありませんでした.
連絡が遅くなってしまったのは,博論が完成していないのに報告するのも格好悪いと思ったからです.
博士論文の件ですが,遅ればせながら完成に近づいています.
いま最終原稿の仕上げの最中で,来月末に提出予定です.
Viva の審査官は Oxford の Bob になる予定です.
Viva は来月1月くらいになります.
論文については,正直会心の出来と言うわけではなく,
いろいろと後悔の残る博士論文になってしまいました.
今ではああしていればよかった,こうしていればよかった,と考えてばかりです.
Harry 先生の評価がそれほど悪くないのが幸いです.
Viva が終わった後は,こちらでしばらくポスドクを探そうと考えています.
その間に英語の業績を積み重ねておこうと考えています.
仕事が見つからなかった時のことはまだはっきりとは決めていませんが,
こちらに残ってアカデミックではない仕事を探すか,それとも日本に帰ってアカデミックな仕事を探すか,どちらとも決めかねています.
僕も来年には * * 歳になるので,仕事を見つけて家庭をもちたいと強く思うようになりました.
そのことを考えると,アカデミックな世界にこだわると,あと何年仕事なしでふらふらすることになるのか,不安で仕方がありません.
来年日本に帰ってもまず仕事はないだろうし,数年非常勤などで食いつなぐ生活になると思いますが,はたしてそれが現実的に良い選択なのか,あまり確信を持てません.
こちらはもうすっかり秋の雰囲気で,あとひと月もしないうちに冬の気配がしてくることと思います.‥‥
〈個人情報的なことは割愛〉
‥‥長い間音信不通で申し訳ありませんでした.
連絡が遅くなってしまったのは,博論が完成していないのに報告するのも格好悪いと思ったからです.
博士論文の件ですが,遅ればせながら完成に近づいています.
いま最終原稿の仕上げの最中で,来月末に提出予定です.
Viva の審査官は Oxford の Bob になる予定です.
Viva は来月1月くらいになります.
論文については,正直会心の出来と言うわけではなく,
いろいろと後悔の残る博士論文になってしまいました.
今ではああしていればよかった,こうしていればよかった,と考えてばかりです.
Harry 先生の評価がそれほど悪くないのが幸いです.
Viva が終わった後は,こちらでしばらくポスドクを探そうと考えています.
その間に英語の業績を積み重ねておこうと考えています.
仕事が見つからなかった時のことはまだはっきりとは決めていませんが,
こちらに残ってアカデミックではない仕事を探すか,それとも日本に帰ってアカデミックな仕事を探すか,どちらとも決めかねています.
僕も来年には * * 歳になるので,仕事を見つけて家庭をもちたいと強く思うようになりました.
そのことを考えると,アカデミックな世界にこだわると,あと何年仕事なしでふらふらすることになるのか,不安で仕方がありません.
来年日本に帰ってもまず仕事はないだろうし,数年非常勤などで食いつなぐ生活になると思いますが,はたしてそれが現実的に良い選択なのか,あまり確信を持てません.
こちらはもうすっかり秋の雰囲気で,あとひと月もしないうちに冬の気配がしてくることと思います.‥‥
〈個人情報的なことは割愛〉
2011年9月27日火曜日
来信あり
〈本日、未知の方より来信あり。奈良県人とのこと〉
‥‥奈良出身の学者で川北稔さんと言う方がおられます。
何冊か読んでいたのですが、この前に「イギリス近代史講義」を
読みました。口述筆記したもので、分かりやすかったです。
この本で産業革命についていろいろと学びました。
そこで、もう少し掘り下げてみたいと「×××」さんにメールにて
参考文献を教えて貰うと ご親切にすぐに何冊かあげていただきました。
その1冊に先生の「文明の表象 英国」があったのです。
この連休に読破いたしました。
私のような門外漢の感想で申し訳ないのですが一言。
まず、大変分かりやすく楽しく読めました。
日本の学会の移り変わりについても興味深くよめました。
私なんかの学生時代は、大塚先生の全盛のような感じがしたのですが
どうもこの頃は違うようですねえ。
川北さんの本を読むと大塚先生のお弟子さんの吉岡先生から若い頃に
かみつかれたと書いてありました。そんな時代もあったのかと。
このあたりは、マル経の衰退とも関係があったのでしょうか。
私の息子は、現在大学の経営学部の2年生ですが、マル経なんてまったく
聞いたことがないと申します。
私らの頃は、とりあえず知ったふりをしたもんですが。
それと近藤先生の本の産業革命に関する記述を読むと、技術革新が動機
と言うより、必要によりだらだらと工業化したいというような理解になったのですが
私の理解は間違っているのでしょうか。
工業化にはインフラ整備が欠かせないですが、川北先生の本を読むと、政府の政策
というより地域の地主が土地を提供して例えば道路ができるなりして整備されてきた
と書いてあります。結局、地域の皆さんが必要に迫られて試行錯誤
している過程が後から評価すると産業革命と呼んでいるのかと思えます。
私は営業職を長年して経験から、必要がなければ産業は発展しないと言う
信念を持っております。
インターネットの普及は急速でしたが、これは皆さんが望んだからでないですか。
奈良県の十津川村のような僻地でも光ファバー網が敷設されていますが、
これは村の熱い要望があったからです。
そうすると、産業革命も大塚先生あたりの農民の資本蓄積がどうのこうのではなく
綿製品や毛織物を必要とする人々のニーズに応えるためにあれこれ試行錯誤して
過程がそうだとも言えるのですが。
どうも大塚先生の考え方というか、マルクスもそうですが
生産からものを見る視点が強いように思います。
いろいろとつまらないことを書いて申し訳ありませんでした。
近藤先生にこれから望みたいのは、もっと単著を書いていただきたいと思います。
これだけの本をお書きになるのですから。吉岡先生も本を書かないやつたダメと
おっしゃってたようにどこかで書いておられたような。すみません。
〈個人情報的なことは省きましたが、ほぼ98%の引用です。〉
‥‥奈良出身の学者で川北稔さんと言う方がおられます。
何冊か読んでいたのですが、この前に「イギリス近代史講義」を
読みました。口述筆記したもので、分かりやすかったです。
この本で産業革命についていろいろと学びました。
そこで、もう少し掘り下げてみたいと「×××」さんにメールにて
参考文献を教えて貰うと ご親切にすぐに何冊かあげていただきました。
その1冊に先生の「文明の表象 英国」があったのです。
この連休に読破いたしました。
私のような門外漢の感想で申し訳ないのですが一言。
まず、大変分かりやすく楽しく読めました。
日本の学会の移り変わりについても興味深くよめました。
私なんかの学生時代は、大塚先生の全盛のような感じがしたのですが
どうもこの頃は違うようですねえ。
川北さんの本を読むと大塚先生のお弟子さんの吉岡先生から若い頃に
かみつかれたと書いてありました。そんな時代もあったのかと。
このあたりは、マル経の衰退とも関係があったのでしょうか。
私の息子は、現在大学の経営学部の2年生ですが、マル経なんてまったく
聞いたことがないと申します。
私らの頃は、とりあえず知ったふりをしたもんですが。
それと近藤先生の本の産業革命に関する記述を読むと、技術革新が動機
と言うより、必要によりだらだらと工業化したいというような理解になったのですが
私の理解は間違っているのでしょうか。
工業化にはインフラ整備が欠かせないですが、川北先生の本を読むと、政府の政策
というより地域の地主が土地を提供して例えば道路ができるなりして整備されてきた
と書いてあります。結局、地域の皆さんが必要に迫られて試行錯誤
している過程が後から評価すると産業革命と呼んでいるのかと思えます。
私は営業職を長年して経験から、必要がなければ産業は発展しないと言う
信念を持っております。
インターネットの普及は急速でしたが、これは皆さんが望んだからでないですか。
奈良県の十津川村のような僻地でも光ファバー網が敷設されていますが、
これは村の熱い要望があったからです。
そうすると、産業革命も大塚先生あたりの農民の資本蓄積がどうのこうのではなく
綿製品や毛織物を必要とする人々のニーズに応えるためにあれこれ試行錯誤して
過程がそうだとも言えるのですが。
どうも大塚先生の考え方というか、マルクスもそうですが
生産からものを見る視点が強いように思います。
いろいろとつまらないことを書いて申し訳ありませんでした。
近藤先生にこれから望みたいのは、もっと単著を書いていただきたいと思います。
これだけの本をお書きになるのですから。吉岡先生も本を書かないやつたダメと
おっしゃってたようにどこかで書いておられたような。すみません。
〈個人情報的なことは省きましたが、ほぼ98%の引用です。〉
2011年9月16日金曜日
文学部のひと
ご無沙汰しています。
執筆三昧の夏期休業で(@自宅です)、このブログにどうやってログインするのかさえ、忘れかけていました。
ところで、文学部の人でもほとんどご存じない「文学部のひと」のページ
→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/personage/2232.html
文学部・広報委員会のアンケートに答えて書いたものですが、昨日、長い会議のあと、登載されているのに気づきました。ご笑覧ください。
ぼくのはさておき、月々あたらしいページが増えるようです。よく分かって、楽しい。
執筆三昧の夏期休業で(@自宅です)、このブログにどうやってログインするのかさえ、忘れかけていました。
ところで、文学部の人でもほとんどご存じない「文学部のひと」のページ
→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/personage/2232.html
文学部・広報委員会のアンケートに答えて書いたものですが、昨日、長い会議のあと、登載されているのに気づきました。ご笑覧ください。
ぼくのはさておき、月々あたらしいページが増えるようです。よく分かって、楽しい。
2011年7月21日木曜日
『イギリス史研究入門』 2刷
まったくお待たせしました。『イギリス史研究入門』の2刷、ぼくの手元にはようやく昨日落手しました。
第2版ではないので、初版1刷と外観は変わりませんし、ページだても同じです。しかし、当然予想されるように第7章の終わりかた(p.179)、第12章の終わりかた(p.293)、そして第二部に2010年、2011年刊行の本がいくつも補充されるといった追補があります。じつは、それ以外にも p.236 の地図や巻末付録、そして全巻におよぶ修文など、細々した補正がいっぱい。
たとえば p.315 を見ていただいて、これだけ文献・リソースを充実させながら、しかし、1刷と同じく、第二部は p.379 で余白を確保しつつ終わる、といったことがどうして可能なのか。いろいろ点検して、小さな発見を続けてくださいな。
第2版ではないので、初版1刷と外観は変わりませんし、ページだても同じです。しかし、当然予想されるように第7章の終わりかた(p.179)、第12章の終わりかた(p.293)、そして第二部に2010年、2011年刊行の本がいくつも補充されるといった追補があります。じつは、それ以外にも p.236 の地図や巻末付録、そして全巻におよぶ修文など、細々した補正がいっぱい。
たとえば p.315 を見ていただいて、これだけ文献・リソースを充実させながら、しかし、1刷と同じく、第二部は p.379 で余白を確保しつつ終わる、といったことがどうして可能なのか。いろいろ点検して、小さな発見を続けてくださいな。
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