2017年4月30日日曜日

ツツジと花壇


今の季節、桜(ソメイヨシノ)が終わり、ケヤキも銀杏も若葉が出揃ったころ、公道の植え込みのツツジが満開で、気持が爽快になりますね。「鬱」の学生も、大学に出てくるのが嬉しい、と言っています。良かったね。

それから、集合住宅の広い中庭の花壇も繚乱。
いつも手入れをしてくださるヴォランティアの方々のおかげです。

わすれな草 Vergiss mein nicht

 
 昨日の NHK アサイチで紹介された「わすれな草 Vergiss mein nicht」(ドイツ映画、2012年)へ。渋谷・円山町のユーロスペースにて。
 インターネット情報からも、静かに進行するドキュメンタリー映画ということは想像され、そのとおりでした。しかし、個人的には身につまされて、涙また涙。予想外ですが、なんと映画で主演した当事者 Malte Sieveking(監督 David の父)が会場の挨拶に現れました。68-9年の「新左翼」とその後のこと、大学教員としての定年退職、男と女、親と子・孫といったシチュエーション。トークの場面ではぼくは発言できず、終了後の廊下で彼の両手をとって、感動の度合いを伝えました。
 そうしたカタルシスの直後に、喧噪の渋谷(ボードレールの「雑踏で湯浴みする‥‥」)を歩くのは気恥ずかしい。
 今日の妻は理性的で、明るい渋谷の街頭で、「展開が予想できて意外なドラマがない。若者は惹きつけられないかも」と申します。そう、中高年向けの静かな感動映画かな。ぼくのすぐ前の席の男性も感極まっていました。ドイツと、そしてスイスの美しい景色もすばらしい。

2017年4月26日水曜日

〈歴史のフロンティア〉は今


 1993年11月から刊行の始まった山川出版社の〈歴史のフロンティア〉。最初だけ2冊配本で、近藤『民のモラル』と森田安一『ルターの首引き猫』が出ました。それから、松本宣郎『ガリラヤからローマへ』、喜安朗『夢と反乱のフォブール』、荻野美穂『生殖の政治学』、石井規衛『文明としてのソ連』、山本秀行『ナチズムの記憶』‥‥と続き、90年代半ば、歴史学の一風景をなしたのではないかと思います。
 結局、出版環境の変化と担当編集者の退職により、計20巻、本村凌二『帝国を魅せる剣闘士』(2011年)が最後となってしまいました。
 四六判の立派な装丁による定価2600円~2700円の本には一般学生が手を伸ばさないという時代になって、それならと、文庫に形をかえて出版されるのは、歓迎すべきことでしょう。文庫版として出た順で並べると、
・近藤和彦『民のモラル - ホーガースと18世紀イギリス』 ちくま学芸文庫 2014年(364 pp.) 1300円
・谷川 稔『十字架と三色旗 - 近代フランスにおける政教分離』 岩波現代文庫 2015年(306 pp.) 1240円
・松本宣郎『ガリラヤからローマへ - 地中海世界をかえたキリスト教徒』 講談社学術文庫 2017年(341 pp.) 1130円
 それぞれの出版社・文庫担当者の方針と見識が現れているかと思われます。講談社はずいぶん安く仕上げましたね。ただし、1ページに18行つめこんでいます。
 この次に文庫版で出るのは何でしょう。すでに準備されているのでしょうか。ぼくが出版者ならただちに「これ」と推せるものがありますが‥‥。

2017年4月25日火曜日

愛国主義・民族主義・国民主義・国家主義 (または超訳)


 日本のマスコミ関係者も進歩的な論者も、戦後ずうっと棚上げにしてきた言葉があります。Nation および nationalism, patriot および patriotism です。この二つは全然ちがう。

 そのことがはっきり露呈したのが、今回のフランス大統領選挙で、第1ラウンドの結果をうけてマクロン候補がおこなった勝利演説の日本語訳です。その混乱・ゴマカシ。分かりやすいように、フランス語をBBCの英訳で引用するとこうです。
. . . I will become your president. I want to become the president of all the people of France - the president of the patriots in the face of the threat from the nationalists.

 夜10時のNHK-BSでは、これをナショナリスト=民族主義者としたうえで、(パトリオットを愛国主義者と訳すと分からなくなってしまうので飛ばし)「わたしは民族主義者の脅威に対抗して、全国民の大統領になりたい」と超訳したのです。できの悪い学生が、一番大事なポイントを飛ばして訳す、あのやりかた!
英和辞典も、仏和辞典も、独和辞典も(あまり深く考えずに)編者が思いついた単語を列挙して了とする編集方針をとっているかぎり、役立たずです。 Nationalism は国家主義だったり、民族主義だったり、Scottish National Party は「スコットランド民族党」! いったい「スコットランド民族」というのは存在するんですか、と聞きたくなる。
Nation は歴史的につくられた政治用語です。生まれと信条をともにすると表象された「国民」nationを第1に考える運動が nationalism です。「ドイツ民族」とか「日本民族」とかが本質的に存在すると信じる人たちにとっては「民族」=「国民」なのでしょう。そうした場合はユダヤ人とか在日集団とかがジャマな夾雑物で、排除すべき存在となる。

 これにたいして、patriot は愛国者でも憂国派でもなく、OEDの名言によれば、「敵に対抗して、自由と権利を支持し守る人」。初出は1577年、ハプスブルク朝に抵抗したオランダ独立派について用いたのが始めのようです。ぼくたちがよく知っているのは、アメリカ独立戦争でイギリス支配に抵抗した「自由の戦士」で、OEDは1773年のフランクリンを引用しています。
 このところ機会あるごとに北原さんが言明なさるとおり、patria自体は、国家や土地と関係なく、(現存在しないかもしれない)理想郷のことだというのは、OEDの語源説明でギリシア語における patria がポリスの市民でなく、バルバロイについて用いられたというのと符合します。

 ようするにマクロン候補は、右からの民族本質論・「他民族」排除の立場の人々に対抗して、「自由と権利を支持し守る人」「自由の戦士」の大統領になるというレトリックを用いて、左派および自由主義者、そして全人民に決選投票での支持を訴えたのです。NHKの超訳のような、ぼんやりした「全国民の大統領」というアピールだけでは弱い。むしろ左派(メランション、アモン)にも、中道にもネオリベラルにも訴求する、曖昧だが「良いことば」(歴史的な用例でも good patriot, true patriot, etc.として出てくる!)を政治的に借用し、横領したわけです。

2017年4月4日火曜日

痛みと感情のイギリス史

前々から予告されていた6人の共著『痛みと感情のイギリス史』(東京外国語大学出版会、2017年3月)を手にしました。
まずは第一印象を。
目次を見ても、期待感をそそられますが、さらにカバーを取り去り、本体を見て驚きました。瀟洒です。紙なのに、しっかりして柔らかく、手になじむ上品な装幀。
http://www.tufs.ac.jp/blog/tufspub/

しかし、この装幀、ぼくも知っているぞ、と記憶をたどりつつ書棚から引き出したのは
英国をみる: 歴史と社会』(リブロポート、1991年)です。
この共著は慶応ボーイの企画にぼくが紛れこんだ異文化遭遇の本でしたが、元筑摩書房のリブロ編集者(現・書籍工房早山の社長)が入れ込んでやってくれたのですが、
「ちょっといい物にしました」と控えめに自慢していました。

とはいえ、ちょうど手になじむ大きさ、版面の美しさ、赤いしおり付き!
今回の『痛みと感情』には負けます。しかも、2600円! どうして可能なんでしょう?
これだけ読者に物としての感触的喜びをもたらす本は、あまりありません。

もう一言つけ加えます。
英語のタイトル Pain and Emotions in British History については、
Pain and Emotion . . . あるいは Pains and Emotions . . . というのがありうるけれど、
Pain だけが単数形で抽象化された概念、
Emotion は複数の具体的な、さまざまの喜怒哀楽・快不快、
というのは、どうでしょう。明快な説明が必要です。
たしかベンサムの場合は pleasure and pain ないしは all sorts of pleasures and pains でした。

2017年3月22日水曜日

熊楠と孫文

 和歌山に来たら和歌浦にゆかずんばあらず、と雨のなか、皆さまのご協力をえて行って参りました。
近世につくられた歌枕としての「わかの浦」、玉津島神社の和合の松、とかいったことも興味深いけれど
個人的には、話に聞いた南方熊楠と孫文が再会して遊んだ地、というのが印象的。
「世界一統」というコスモポリタンなフレーズ(→ お酒)が、ここから生まれた、と聞くと、なおさら。
 このあと、夏目漱石も同じ所に来たのだとか。
 熊楠と漱石は同じ1867年生まれ、全然ちがうタイプですが、ロンドンでもニアミスし、和歌浦でもニアミス。漱石は早く死に、熊楠は明治の人としては古稀をこえて生き、昭和天皇にご進講などしたんですね。和歌山駅の前にミナカタ・ビルというのがありました。

2017年3月20日月曜日

和歌山にて


 生まれて初めて和歌山大学に参りました。
 ジャコバンだの共和主義だの P. Serna の提起をどう受けとめるかだの、議論したあとに
バスのなかで写真のような和歌山弁と遭遇して、フランス革命中のグレゴワール師のような気持になりました!
 美味しいものを食べて、ゆったりした空間に生活して、ジャコバン独裁なんて愚かしい、という気分になりますね。

2017年3月17日金曜日

「解説」ワンダーランド


 最近の岩波新書、おもしろい本が続きますが、とくに冴えてるのは
  斎藤美奈子『文庫解説ワンダーランド』です。

 これは月刊の『図書』に連載中から、楽しみにしていました。他に読む記事がなくても、これだけは間違いなくおもしろかった。川端康成の「処女の主題」なるものをむやみに難解に述べる三島由紀夫への批判・皮肉からはじまって、「エッセイ風味で逃げ切っている」池内紀とか、如才なくかわす村上春樹とか、さらにもっとボケボケで「タルい評論」、「解説者は作品を(真剣に)読んだのか」といった疑問を誘発するような解説文までとりあげ、たたき、痛快。
 今回あらためて新書で読みなおして、軽快な口調をつらぬく invention of tradition 的な方法も見えてきます。斎藤さんは、国語的・教訓垂範的な感想文よりも、「社会科系の解説」「地理歴史的背景」を述べて「読み方のヒントを与える」のを優れた解説としています。ちょっと我々に近いのかな?
 ダメなのをやっつけるだけでなく、「読者の視野を広げる」すぐれた解説(者)にも言及して、なぜかを考えています。池澤夏樹、島田雅彦、高橋源一郎、原田範行、リービ英雄‥‥。そしてしっかり書誌を追い、テクスト・クリティークをやっている研究者も(今川英子、駒尺喜美、川上春雄)。
「優秀なレファレンスは、独善的な解説をときに凌駕する」(p.163)とまで述べて、まるで 西川正雄 が甦ったかと、思いましたよ。

2017年3月14日火曜日

『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史

公 開 シ ン ポ ジ ウ ム(事前登録が要望されています!)

今、歴史的ヨーロッパを問うこと:『礫岩のようなヨーロッパ』と世界史

主催:科研基盤研究(B)
「歴史的ヨーロッパにおける複合政体のダイナミズムに関する国際比較研究」

日時:2017年3月29日(水)13時00分~17時40分
場所:東洋大学白山キャンパス6号館3階6317教室
  https://www.toyo.ac.jp/site/access/access-hakusan.html


  13:00~13:15 趣旨説明:古谷大輔(大阪大学准教授)
  13:15~13:35 第1報告:森田安一(日本女子大名誉教授)
  13:35~13:55 第2報告:岸本美緒(お茶の水女子大教授)
  13:55~14:15 第3報告:神田千里(東洋大教授)
  14:15~14:30 休憩
  14:30~15:00 コメント:木村直樹(長崎大)、杉山清彦(東京大)、前田弘毅(首都大東京)
  15:00~15:40 『礫岩のようなヨーロッパ』執筆者からの応答:近藤和彦(立正大)、小山哲(京都大)、
      中澤達哉(東海大)、中本香(大阪大)、後藤はる美(東洋大)、内村俊太(上智大)、古谷大輔(大阪大)
  15:40~16:00 休憩
  16:00~17:40 全体討論

プログラム & 参加登録 http://conglomerate.labos.ac/ja/blog/entry-2687.html

  18:00 懇親会 東洋大学内にて

2017年2月18日土曜日

大学もチャリティ

 「チャリティとは慈善か」とは、前から言い続けている問題ですが、今回、大学院への推薦状を書いていて、ほら、このとおり、と言いたいくらいの見事な例に出くわしました。
 The University of Edinburgh is a charitable body, registered in Scotland, with registration number SC005336.

 金澤周作さんや伊東剛史さんのお仕事にもよく現れているとおり、海難救援団体も動物園も博物館も子どものためのNPOも、チャリティなのです。慈愛にみちた救貧法人もそうだし、エリートの学校法人も「コミュニティの益となる目的」のために設立・運用されている基金や社団であれば、チャリティです。慈愛にみちているかどうかよりも、信託法のもとにあるファンドにもとづく任意活動であることこそ、要件です。ファンドを賢明に運用して、事業資金を黒字で確保することも、理事会の責務として想定されています。日本でいえば、サントリー文化財団ばかりでなく、日本学術振興会(JSPS)も、国家公務員共済(KKR)も、英米法の範疇ではチャリティと定義されるでしょう。cf.『イギリス史10講』p.220 

 最初に書いたことにもどれば、エディンバラ大学がチャリティ団体だ(日本の「国立大学法人」ですかね?)という点だけでなく、もう1点、イングランドとスコットランドは別の法体系で動いている、という連合王国の事実もここで確認されます。「無君・一法・万民」のフランス共和国とちがって、「一君・二法・三国民」のイギリス連合王国です。
 EU(ヨーロッパ連合)のメンバーであることと、連邦主義とがあいまって、現代のイギリスの経済と大学ビジネスを繁栄させてきたわけですが、さて、EUから抜けてしまうと、どうなるか。

2017年2月13日月曜日

しながわネットTV

品川区公式チャンネル 「しながわネットTV」というサイトに、すでに今月初めから搭載されて、インターネット配信されているとのことです。
こちらからアクセスしてください ↓ ↓
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000030400/hpg000030327.htm
近藤和彦:「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」

これと同じコンテンツが youtube でも見られるということです。
前半 → (56分)

後半 → (42分)


なお、近藤の顔と声を見聞きしたくない方には、文章化したテクストだけを読めるようになっています。PDFで前半9ページ、後半7ページ。ダウンロードもできるはずですが、ただし、こちらには写真など図像は載っていません。

前編 pdf
後編 pdf

前から申しておりますとおり、これを学問的に再構成して根拠も明記した論文としては
「『悲劇のような史劇ハムレットを読む」を『文学部論叢』のために書きましたので、こちらをご覧ください(3・4月に公刊)。

2017年2月11日土曜日

『みすず』656号

今晩、寒天に満月が冴え渡っていることにお気づきでしょうか?

どの大学でも一番慌ただしい時候で、空に月のあることさえ忘れるくらいでしょう。ぼくのほうも、暮れから正月にアタフタしながら2つの論文原稿を出し、学年末のあいつぐ校務と学外公務を凌いできました。今日、大学院入試を終えました。
ひとの原稿や書類を読み、コメントしたり、評点を付けたりする仕事については、女学校か短大くらいまでしか想像できない老母には、何度説明しても分かってもらえません。授業や試験が終わったなら、「すこしは暇じゃろう」と、毎年同じように繰りかえす会話ですが、授業や試験が終わってからこそが大事な季節なのですよ!

そうした間隙を縫ってしたため送った短文の一つを、『みすず』656号(1・2月合併号)に載せてもらっています。例の「2016年読書アンケート」です。2016年がシェイクスピア没後400年でもあり、ぼくの場合は、昔とった杵柄で、年の後半にいくつも読みました。今年挙げた本は、以下のとおりです(ここではごく簡略表記します)。

1 高橋康也・河合祥一郎編注『ハムレット』大修館シェイクスピア双書
(関連して、むかしの研究社詳注シェイクスピア双書、そして河合祥一郎訳『ハムレット』にも)
2 W.J.Craig (ed.), The Complete Works of William Shakespeare
3 Thompson & Taylor (eds), Hamlet: The Arden Shakespeare Third Series
4 Taylor, et al. (eds), The New Oxford Shakespeare: The Complete Works - Modern Critical Edition
5 草光俊雄『歴史の工房』

内容は、そちらを見てね。というより、これは拙稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」の個人的書誌エピソードのようなものです。拙稿のほうは、インタネットの認証制限サイトもフルに活用させてもらって仕上げました。

「読書アンケート」の寄稿者の大半は60歳以上とみえますが、ほんの少しながら、若い寄稿者も増えているんですね。

2017年1月30日月曜日

公開講座の動画

ご無沙汰しています。

1月は大学関係者にとって1年で一番忙しい月ではないでしょうか? こちらも卒業論文提出にとなう面談や応急措置、その卒論審査・口頭試問、修士論文(2本)の審査、博士論文(1本)の審査、その他の業務の間を縫って、原稿「文明を語る歴史学」を『七隈史学』に送り、原稿「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」を『立正大学・文学部論叢』に提出しました。この土日には京都大学で竹澤先生の「複合国家論の可能性」という思想史のシンポジウムがあり、濃密な「対話」に参加いたしました。

そんなこんなで、いつ登載されたのか知りませんでしたが、品川区のサイトに、10月12日の公開講義の動画が見られるようになっています。前後50分あまり×2 の講演とスクリーンの画像がたっぷり。ちょっと長いかもしれません。
http://www.shina-tv.jp/pickup/index.html?id=983
http://www.shina-tv.jp/pickupindex/index.html?cid=95

論文「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」は、この講演をもとに、EEBO からカール・シュミットから最近の出版まで含めて、まとめて勉強した成果でもあります。3月末~4月初に刊行予定です。

2017年1月3日火曜日

謹賀新年

 みなさま、酉の年をいかがお迎えでしょうか。
 こちらは 69歳とあいなりました。ときに医者の世話にならないでもないですが、なぜかアイデアは以前よりもさかんに泉のごとく湧いてくるのですね! アイデアをどうやって人に見せられる文章までもってゆくかが問題です。

 2016年盛夏に数年来の共編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)ができあがり、これを持ってケインブリッジ(と北ウェールズ)に参りました。話す人すべてEUリメイン派でした! ただし『図書』の新年1月号への寄稿を機会に調べなおして、ポピュリズムやナショナリズムだけでなく、イギリスにおける「議会主権」(あるいは議会絶対主義)という政治文化については等閑にできないなと再考しました。ケーニヒスバーガの卓見にも思いいたりました。イギリス最高裁の判決は1月早々に出るはずです。
 シェイクスピア没後400年にちなむ公開講演へのお誘いがあり、高校以来棚上げにしていた『ハムレット』に再び取り組み、10代では想像もしなかった 解 に到りました。近世史あるいは『礫岩のようなヨーロッパ』を勉強してきた結果として付いてきた賜物です。 「天地のあいだには君の学問では想いもよらぬことがあるのだよ」と言い放たれたホレイショくんとしても、それが「長い16世紀」の states system の秩序問題だとは、想いもよらなかったでしょう。「『悲劇のような史劇ハムレット』を読む」として『立正大学・文学部論叢』(2017年春)に発表します。
 今年はロシア革命100年ということもあり、多くの出版が予定されているようです。議論はますますおもしろくなりそう。ぼくの側では、コミンテルン史観(そのソフト版も含めて)の批判として「文明を語る歴史学」を『七隈史学』(2017年春)に寄稿してこれまでの議論を整理します。

 2017年正月    近藤 和彦

2016年12月31日土曜日

シェイクスピアの歴史意識

 10月に立正大学でやりました公開講演の要録がパンフレットになりました。表紙を写真でご覧に入れますが、しゃれたデザインです。立正大学、品川区のどちらからこんなアイデアが湧いてきたのでしょう?
 ぼくは例のとおり、悲劇のような史劇として「長い16世紀」のなかに『ハムレット』を読み解きます。
いろいろ読み直してみると、なんとヤン・コット『シェイクスピアはわれらの同時代人』(最初は1961)や、カール・シュミット『ハムレットあるいはヘクバ』(1956)といった先学の直観の後塵を拝した議論に過ぎないのかもしれません。彼らがポーランド人、ドイツ人といった具合に英語国民でないうえに、政治的・精神的な緊張のただなかで発言していたという事実は、重要でしょう。20世紀英・米そして日のインテリがぬるま湯のなかで、『ハムレット』はノンセンス劇だ、実存的危機がテーマだなどとのたまって収まっていたのが、可笑しくなる。

2016年から2017年へ

世界史の潮流を変えそうな勢いの、今年おこった2つの事件を挙げるとすると、第1にアメリカ合衆国におけるトランプの当選、第2にヨーロッパ連合(EU)とイギリス(連合王国)の関係でしょうか。マスコミでいろいろと言われていますが、アイデンティティと秩序をめぐって、ぼくが『図書』1月号に書いた程のことを指摘している記事はあまり多くない。
重大事故の原因は、つねに一つではなく複数。革命は(ピューリタン革命もフランス革命もロシア革命も)つねにいくつもの要素の複合した情況(contingency)の産物です。
右か左か、白人中間層の不満、反エリート・反既得権益・反知性主義の「箱」を開けてしまったネットメディア(SNS)の存在も、たしかに問題でしょう。しかし、現状および将来に不安を抱く中間層(とそれに取り入るポピュリズム)だけで過半数を占めたわけではない。それとは性格のちがう要素も一緒に複合しています。
権力闘争という要素もあったでしょう。それらに加えて、イギリスでは立憲主義(議会主権)という問題、アメリカでは既得権益でうまくやってきた共和党成金たち(Trump家もその例)のさらなる利権欲もあったでしょう。フランス革命が民衆の反乱よりも、まずはアリストクラート(特権貴族)の反動から始まったことを忘れてはなりません。フランス革命の研究史から学ぶことは多い。

2016年12月19日月曜日

中之島センター & ダイビル

(承前)
17日の会は、大阪・中之島における『礫岩のようなヨーロッパ』をめぐる、ヨーロッパ中近世史の方々による合評会でした。執筆者も6名が出席し、企画者・司会のリードのおかげで、効率的に集中的に討論することができました。
中世から近世への移行の契機(?)をめぐって考えに違いのある場合も含めて、基本的な共通理解は確認できました。せっかくいらした並み居る論客も、時間の制約のもとでは自由に発言なさったわけではなく、その点は残念でした。同じく中之島のダイビル3階でも討論は継続。

自宅に着いてみると岩波書店から『図書』1月号が到来していました。http://www.iwanami.co.jp/magazine/
「EUと別れる? イギリスのレファレンダムと憲政の伝統」pp.7-11
という拙文を寄稿しましたが、最後に『礫岩のようなヨーロッパ』におけるケーニヒスバーガの「議会絶対主義」という語にも注意を喚起したものです。
6月23日のレファレンダムの結果は(当初のショックから落ち着いてみると)ただ右翼のデマゴギーの産物というだけではとらえきれず、複合的ですが、イギリス人にとって金科玉条の議会主権にたいするEUの侵犯、というキャンペーン言説がかなり効果的だったから、という一面もあります。その点で、トランプ旋風のアメリカ合衆国とはすこし違う。

ちなみに、フォーテスキュの dominium politicum et regale はイギリスの場合、
「議会と王権(という2つの別の機構)による主権の分有」
と理解してよいでしょうか? 否です。
イギリス憲政の理解では politicum et regale は King in Parliament (議会のなかの王、王とともにある議会)として現象します。
近代には、行政は責任内閣制;司法も貴族院の司法議員 law lords が最高位(つまり最高裁は議会(貴族院)の中にあった)。要するに、日本・合衆国・フランスのような三権分立でなく、三権がすべて議会のなかにある、そうした議会主権=「議会絶対主義」。
【EUから、司法の立法府からの独立を申し渡されて、2009年に独立しました】。

つまり dominium politicum et regale は、 politicum et regale が形容詞であることにも現れているように、2つの実体・機構による主権(権力)の分有をさすとは限らず、むしろ、mixed constitution をはじめとする歴史的な統治構造の分析概念として(のみ)有用なのかも、と未整理ながら、考えこみました。
【なお直江真一氏による「政治権力と王権による支配」(『法政研究』67, pp.545, 547註3)というのは、完全に混乱した誤訳です。http://ci.nii.ac.jp/naid/110006261848

ついでに16世紀末イギリスの作品『悲劇の形をとった史劇、デンマーク王子ハムレット』についても進展があります。いずれ、また後日に。

2016年12月18日日曜日

大阪歴史博物館


今月10-11日には大阪歴史博物館で都市史学会大会、17日には大阪大学中之島センターで関西中世史研究会と古谷科研の合同研究会。2つの週末に連続して(帯状疱疹の痣をさらしつつ)歴史的な大阪の空気を呼吸しました。

大阪はぼくの両親(松山と尾道)が1945年2月4日に結婚して住んだ所です。その3月に大阪大空襲で焼け出されて松山に戻りましたが、戦後1953年にふたたび大阪に出て働きました(戦後に住んだのは阪急沿線・桂の住宅で、こどものぼくには大阪市はよくわからない広大な都会でした)。
このたびの都市史学会大会は、大阪城と難波宮跡にはさまれた歴史博物館で、なぜかNHKと礫岩のようにくっついた建物にて。
古代から近代までの大坂・大阪史の問題の豊かさを具体的に示していただき、また合間に博物館の展示を拝見しました。閉会後の夕刻には難波宮のあとを歩いてみました。
古代からの歴史の長さという点でも、水運による瀬戸内海・東アジアとの接続という点でも、大坂は(江戸より)はるかロンドンに近い存在かなと考えました。
もし1868年に東京でなく大阪に遷都していたとしたら、ロンドンとの類似性はさらに増した、というより複雑になったかな。
午後のブルッゲ・ベルゲン・ヴェネチア・カイロ・アムステルダム・長崎における商人集団と多文化のありかたをめぐるシンポジウムでも、いろいろと示唆をいただき、なお考えを深めてゆきたいと思いました。
みなさま、ありがとうございます。

2016年12月5日月曜日

帯状疱疹とゴルバチョフ


 史学会大会の前の木・金あたりから頭皮(→ 顔の皮膚)の神経痛があり、その痛みが眼孔の奥にも及んだので、11月12日(土)に普段からお世話になっている眼科に行ってみたところ、帯状疱疹(herpes)が出るかもしれない、と予告されました。それまで、帯状疱疹とは想像もしていなかったので、「道」がみえて、なぜか一安心。
 13日(日)から額に疱疹が出始めました。痛みも増します。しかし、これがだんだん増えて眼に近づいたので、不安になり、火曜朝に順天堂病院に予約なしながら(皮膚科は急患を受け付けるというので)、これから行きたいと電話したら、なんと即日緊急入院という危ないケースもあり、と受け付けてくれた!
「万一の場合」にはこれがないと困る、という林・柴田両先生以来の教訓で「歯ブラシ」と、それから(さすがPCはなしで)原稿と材料を持って、順天堂病院に参りました(家族は所要で出かけているので、ぼく一人で)。電車のなかでも気付いた人はそっと距離を保つ、見るも無惨な形相です。
 ところが、皮膚科では血液検査と診察で、典型的な「三叉神経の帯状疱疹」ということで(こわい Ramsay Hunt症候群ではない)、適切な措置をしていただき、なんだか拍子抜けで、そのまま帰宅して、言われたとおりの経過をたどっています。18~20日くらいが峠だったでしょうか。
早めに治療(抗ウイルス錠+鎮痛錠+胃保護+軟膏)を開始したことが良かった、と言われています。顔や頭髪も積極的に洗って清潔にするように、とのことで心理的に楽になりました。孫と接触しても大丈夫、とも。
 見苦しいので、額に大きなガーゼを当てて授業をしたこともあります。電車内は帽子を被ることにしています。ゴルバチョフの額もどきの瘡蓋がいったんとれて、今は赤褐色のケロイド状でまだらな傷跡です。11月26日の書評会でも、12月3日の研究会でも、顔を合わせた方々を驚かせました。この次は火曜に同じ病院内の皮膚科とペインクリニックに行って、経過を見ます。頭髪が伸びてしまって、鬱陶しいのですが、散髪に行くのはその後ですね。
【ゴルバチョフ大統領(左)といっても、今の学生たちは知らない!これにもビックリ。】

2016年11月26日土曜日

「いき」の哲学


 承前。『「いき」の構造』は今のように岩波文庫にはいるより前、ぼくが学生のときに、岩波書店が旧版のままの再刊を出して、その「いき」な装幀が話題になったので、薄い本なのに、と思いながら(!)初めて読みました。
パリと京都のエスプリ(?)を知る東京人・九鬼周造による英語圏の history of ideas のような才覚が際だちました。極端(ヤボ、下品)を排した、意気・粋・生きかたの解釈学として、全面的に感服します。だがしかし、悲しいかな、両大戦間の知識人として、議論を「民族的特殊性」へと絞りあげ、「いきの核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。」(岩波文庫版、p.107)としてしまう。そうしないと収まらない、時代のなにか強迫的な磁場のようなものがあったのでしょうか。

 にもかかわらず、次のようなコメントがあるかぎり、この本は読まれ続けるべきです。その「序」の第2段落に
「生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
とあります。この「哲学」とは、狭義の哲学でもあるけれど、あのハムレットがホレイショに向かって言う
「天と地のあいだには、君の philosophy では思いもつかないことがあるのだよ」
の philosophy であり、また現在の欧米の大学における Ph D(Doctor of Philosophy)というタームに存続している、人文的な学問、学知、のことですね。ですから
「生きた学問は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
「生きた歴史学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。」
と、無理なく言い換えることができる。

 岩波書店の岩波文庫アンケートで、九鬼周造のドイツ・フランスにおける「経験を論理的に言表すること」に触れようとして、1冊につきたった90字の文字制限では、言いたいことを分かるように表現するのはむずかしかった。 背景としては、EU問題、ピューリタン史観への批判(中庸の再評価)も『史劇ハムレット』論も含まれていました。

 この2週間の帯状疱疹の苦しみから快復して、さて次の仕事は、立正大学の公開講座「インテリ王子ハムレットと学者王ジェイムズ」の録音起こしの校正に続いて、学問的な註を補い、これを論文『史劇ハムレット』論として仕上げることです。歴史学による文学批評の批判ですよ!