富山で開催された日本西洋史学会大会、たいへん有意義に過ごすことができました。準備委員会の万端の用意と設営のおかげで、発表・討論も充実し、また懇親会の料理とお酒についても友人たちとともに感嘆いたしました。(じつは実際的にはたいへん大事なことですが、日曜日の昼食も生協食堂で明るく機能的、快適でした。)
日曜午後の小シンポジウムについても、複数の教室の間を移動しながら、いろいろと学びました。とはいえ、学術的に出席者すべてに強い印象を刻みこんだのは、記念講演の演者だったのではないでしょうか。
お二人の講演はそれぞれのお人柄がたくまずも伝わるものでしたが、個人的にはとくに立石博高さんのお話
「近世スペインとカタルーニア:複合国家論の再検討」
に感銘を受けました。なによりこれは第1に、近世ヨーロッパ国制史の先端的な「礫岩のような国家」論と「諸国家システム」論に棹さすもので、かつすばらしく具体的に立ち入った17世紀論でした*。スペイン・イベリア半島にかぎらず、同時代的な問題と受けとめました。かつての「17世紀の危機」論を今の研究水準で再考するならさらに得るところがあるでしょう(ぼくが学生のとき初めて Elliott という(詩人 T. S. Eliot ではない)名を意識したのは Past & Present 誌における general crisis of the 17th century 論争をめぐるエリオット先生の寄稿でした)。
第2には、学長という激務のなかで、よくまぁこれだけのものを準備なさった!と感嘆すべき密度の、明快な講演でした。中年以上の大学教師、研究時間の劣化を嘆く者すべてにたいする叱咤激励という効果があったのではないでしょうか。【*ただし『ヨーロッパ史講義』(山川出版社)をまだご覧に入れていなかった分、「時差」が生じてしまいました!】
学会のあと、日曜の夕刻には市庁舎の展望塔に登り ↑ 立山連峰を遠望して、さすが日本一の山塊という思いを新たにしました。望遠鏡も自由に見られて、この360度の眺望を無料で毎日・夜まで提供なさっている富山市の英断にも感銘しました。
委員会の皆さま、そして学生諸君にもお礼を申しあげます。 近藤和彦
3 件のコメント:
近藤先生、富山では充実した時間をありがとうございました。先生が記されている通りで、僕も立石先生のご講演から深い感銘を得ました。これに触発される形で、参加記とまではいかないのですが、立石先生からご批判を頂いた「礫岩国家」について、僕の思うところをブログにまとめました。(歴史評論と西洋史学に礫岩国家の文章を書く必要もありました。)複合君主国家を論じる際、普遍君主が新たなレスプブリカに応じた議論を創造する過程はよく触れられますが、他方でこれに包摂された地方社会の個性(属性)については原初主義的に解釈してしまう傾向があります。しかし、ハラルドによる「スコーネはスウェーデンによってつくられた」論を参考にすると、それもまた、「普遍君主」の提供するレスプブリカを参照しつつ、戦略的に言葉を選んで自己の主張を発話しながら、地域の特徴と「信じる」論理を育んでいきました。この点、僕自身詳細に論じてきた点ではないのですが、某書に所収されるだろうスコーネ貴族論であらためて検討し、(それと『ヨーロッパ史講義』における小山さんのハラルドへの所見に触れるなかでconglomerate論の北欧的特徴が指摘されていましたので)、「礫岩国家」のアプローチ方法を皆さんに知って頂く上でもあらためて触れねばならないと思いました。
vielen Dank!
『礫岩のような国家』(仮)といった論文集、はやく出したいですね。そのためにも、その前提を整えないと。
前提を整えるという話に関連しましょうか…立石先生からとても勇気づけられるコメントを頂きまして、それに対する所感を整理しました。(「礫岩国家」論への立石先生からのコメントへの回答)一連の発言を整理していくと、論集の前提となる「礫岩のように国家をみるとはどのようなことか?」を整理できそうな気になってきました。
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