2020年4月16日木曜日
危機を教訓とする
危機(歴史的な岐路)は、それを生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる、と前回に書きました。14世紀のペスト(黒死病)も、17世紀の全般的危機も、1929年の世界恐慌も、そうだったと思われます。
14世紀のペストは → 疫病者の船を一定期間隔離・遮断(Quarantine「40日」)する制度を;
17世紀の危機は → 南欧とオスマン帝国の衰弱;蘭・仏・英の競合とやがて財政軍事国家の覇権を;
1929年の恐慌は → ケインズ経済学、ニューディール、そしてソ連の覇権を;招来しました。
これらに比して1918-20年のインフルエンザは、十分には教訓化されなかったようです。
【そもそも、ぼくたちの習った学校世界史には出てこなかった! 例の『論点・西洋史学』ではいかに、と見直すと、さすが安村さんが「コロンブス交換」の項目でクロスビ、ダイヤモンド、マクニールの仕事に触れながら論じていますが、それ以外は弱いかな?】ヴェーバーが犠牲になったのは1918-19年のFlu第一波でなく、いったんは収束したかと思われた1920年、Flu第二波なのでした。気をつけましょう。
トッドが「‥‥歴史的に、誤ちが想像されるときには必ず誤ちを犯してきました。私は、人類の真の力は、誤ちを犯さない判断力よりも、誤っても生き延びる生命力なのだと考えています。」と言っていたのをもう一度想い起こしましょう。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2019/12/e.html
とにかく生き延びる生命力。これなくして教訓も意味も、なにもない。
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