AJC(日英歴史家会議)について進展がありましたのでお知らせします。
予定どおり、9月11日から14日までケインブリッジ大学のトリニティホール学寮にて開催されます。共通論題は〈History in British History〉.
まもなく(来週から?)Trinity Hall にて宿泊予約サイトが開きますが、委員はもちろん、プログラムに名のある方々は特別の事情がないかぎり、こうした手続きをとる必要はありません。
ロンドン大学の IHR のサイトにも、下のとおりプログラムが登載されていますので、ご覧ください。ジュニアのセッションも含めて、請うご期待。
→ http://www.history.ac.uk/events/event/4290
美しいケインブリッジのなかでも gem と呼ばれる Trinity Hall でお会いしましょう。
2012年6月23日土曜日
2012年6月19日火曜日
吉田秀和さん
しかし、吉田秀和といえば、なんといってもその文章です。1975年から刊行された『吉田秀和全集』(白水社)、そして『朝日新聞』の音楽時評は愛読しました。「British Museum ではどこの馬の骨かわからぬ訪問者にもベートーヴェンの自筆楽譜を触って調べることを許す、その大国の器量」といった文明論。そして、あまりにも平明な楽譜の解釈、あまりにも平明な演奏の批評(コンサート会場で演奏時間を計測している!)には、感銘するというより、こんなに分かって「いいのかしら」と思ったりした。【いま『吉田秀和全集』は段ボール箱に入ったまま出てこないので、記憶だけで認めています。ご容赦。】
学生時代に初めて読んでから、忘れがたい文がいっぱいあるけれど、一つは戦後の日比谷公会堂で、当時の吉田青年がだれかに投げつけるつもりで礫を握りしめてコンサートに行き、演奏を聴いて、もうそんなことはどうでもよくなったという箇所。【このだれか、というのは小林秀雄だろうか? 】
もう一つは1983年、ぼくは帰国して名古屋にいましたが、すでに『全集』を出して圧倒的な影響力をもつこの人が、来日したホロヴィッツの演奏について、「なるほどこの芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は ─ 最も控えめにいっても ─ ひびが入ってる。それも一つや二つのひびではない」という名言を吐いた。‥‥
そうです。ただの骨董品かフェイクを世間が有り難がり続けているなら、(根拠を明らかにしつつ)よく分かるように明言したい。
率直で事にそくした批判を、なぜ人は避けてきたのだろう。そして曖昧な「権威」にたいしても「風評」にたいしても、こんなに脆弱な「国民」。右であれ左であれ、変わらない。
結局、吉田さんはただの音楽評論家やエッセイストだったのではなく、20世紀日本の産んだブルジョワ文明論者の代表の一人、そしてコスモポリタンだった。たとえばショパンの**を好きで堪まらない人が、彼のコンサート批評に不満で「吉田秀和ってそんなに偉いのか」と反発したりすることは一杯あっただろう。それは、文明論者と蓼喰う虫(オタク)の文化衝突だったにすぎない。
2012年6月16日土曜日
雨にけぶる超高層
大雨の災害に見舞われている地域の皆さんには、悠長な話で申し訳ありません。
この近隣では、雨天は景観を変えて、好天なら見える超高層の建物を覆い隠してしまいます。今日のような天気だと、スカイツリーは何キロも先なので当然のように白い雲に覆われて、全く見えません。しかしかなり遠方の橋や構築物は、低い位置にあるかぎり見える。
雨雲の高さが問題で、このオフィスから約500メートル離れている超高層マンションは上層部が見えません。10階で高さ約30メートルと概算すると、約33階以上≒約100メートル以上の部屋では、きっと窓外が真っ白で、なにも見えないのでしょう。じつはオフィスビルも含めると、100メートル以上の建物は全部で6棟見えるはずで、見えかた、すなわち雨雲の模様にムラがあることもこの写真から分かります。
そもそもカラー写真なのに色彩が乏しくて、産業革命期の煤煙を示す歴史写真のごとき雰囲気です。
この近隣では、雨天は景観を変えて、好天なら見える超高層の建物を覆い隠してしまいます。今日のような天気だと、スカイツリーは何キロも先なので当然のように白い雲に覆われて、全く見えません。しかしかなり遠方の橋や構築物は、低い位置にあるかぎり見える。
雨雲の高さが問題で、このオフィスから約500メートル離れている超高層マンションは上層部が見えません。10階で高さ約30メートルと概算すると、約33階以上≒約100メートル以上の部屋では、きっと窓外が真っ白で、なにも見えないのでしょう。じつはオフィスビルも含めると、100メートル以上の建物は全部で6棟見えるはずで、見えかた、すなわち雨雲の模様にムラがあることもこの写真から分かります。
そもそもカラー写真なのに色彩が乏しくて、産業革命期の煤煙を示す歴史写真のごとき雰囲気です。
2012年6月5日火曜日
「‥‥歴史学」と「‥‥時代」
2日(外語大)、3日(東洋大)と続けて、研究会というべきかコローキアムというべきか、意義深い催しがありました。すなわち、「二宮宏之と歴史学」と「『社会運動史』の時代」。発言者の半分以上が重なっていた。
2日のぼくの発言については、事後に賛成の意を表してくれた方もありましたが、二人から「話が長い」とか「ポイントは何だったんだ」とか難じられました。そもそも司会を困らせてしまいました。たしかに口頭でレジメ無しで語るときには、聞き手のことも考えて simple & clear でなくちゃいけません。反省します。
で、要点は2つ。第1は、二宮宏之は一人だったのではない、同時代の交友のなかで考え発言していたということ。
第2は、当日も引用しましたが、ジョルジュ・ルフェーヴルの言。
「‥‥[みずから探求することなく]他の研究者の成果を借用して仮説をたてる。それじたいが悪いわけではない。だが、歴史家はそれだけで終わるわけにはゆかない。‥‥歴史家は質問表をつくり、史料調査から始めて、史料の指し示すところを組み立てる。ドッブとスウィージは問題を定式化した。さあ、いまや歴史家の領域で仕事をしよう。」
この文を朗読して着席すれば、必要十分だったのかな。もちろん史料なるものの問題性も論じないとしたら阿呆です。
反省して翌3日の会合は、5分未満の発言で済ませましたよ。
2日のぼくの発言については、事後に賛成の意を表してくれた方もありましたが、二人から「話が長い」とか「ポイントは何だったんだ」とか難じられました。そもそも司会を困らせてしまいました。たしかに口頭でレジメ無しで語るときには、聞き手のことも考えて simple & clear でなくちゃいけません。反省します。
で、要点は2つ。第1は、二宮宏之は一人だったのではない、同時代の交友のなかで考え発言していたということ。
第2は、当日も引用しましたが、ジョルジュ・ルフェーヴルの言。
「‥‥[みずから探求することなく]他の研究者の成果を借用して仮説をたてる。それじたいが悪いわけではない。だが、歴史家はそれだけで終わるわけにはゆかない。‥‥歴史家は質問表をつくり、史料調査から始めて、史料の指し示すところを組み立てる。ドッブとスウィージは問題を定式化した。さあ、いまや歴史家の領域で仕事をしよう。」
この文を朗読して着席すれば、必要十分だったのかな。もちろん史料なるものの問題性も論じないとしたら阿呆です。
反省して翌3日の会合は、5分未満の発言で済ませましたよ。
2012年5月30日水曜日
AJC 2012: provisional programme
右肩の FEATURES の一番上をクリックしてご覧ください。
今朝きまった仮プログラムを登載しました(会場は、上の写真の Trinity Hall です)。
予約などなどについては、また後日。
2012年5月21日月曜日
クールビズ
今日という日に、日食の話題ではなく、済みません。
今朝は公務のため、いつもより早く出て有楽町線で都心部へ(永田町乗り換え 9:14)。東西線と大違いで、立っている人は少ない。車中で気付いたのですが、こちらと対面の客の男女比は1:1。男性小計7名のうちぼくも含めて計6名がダークスーツ。しかしネクタイをしているのはぼく一人! なんとこちらとあちらの計14名中、スーツ姿は多数派なのだが、タイを締めているのはたった一人。それほどに世の中にクールビズなるものは普及していたんですね。朝の都心にむかう通勤電車に乗車して初めて自覚したことでした。
とはいえ、目的地の会議に出席してみたら、真ん中の机を囲んだ計9名のうち男性は7名、うち6名がタイを装着していました。ノータイの方は霞ヶ関の方でした!
電車の中での観察とあわせ考察すると、つまり定刻出勤の行政や企業の上級職の皆さんはノータイで、大学関係者の場合は「公務」でふだんと違う所に出るときはスーツにタイと「気合いを入れて」臨む、ということかな。会議の設営者は、大学教授たちがそうするだろうと想定して、やはりタイ着用と決めたんだろうか。
じつはぼくもふだんの授業や大学の会議にはノータイです。結局、ダブルスタンダードです。
今朝のようなスーツにタイ、というのは非日常の催しに参与し、粗相のないように、慎重にしっかり討論して方針を決めよう、しかも定刻に終わるように議長に協力します、という決意表明でもある。定刻の10分以上前に着席して前回の議事録を読みながら待機する、なんて、教授会でもありえないことです!
今朝は公務のため、いつもより早く出て有楽町線で都心部へ(永田町乗り換え 9:14)。東西線と大違いで、立っている人は少ない。車中で気付いたのですが、こちらと対面の客の男女比は1:1。男性小計7名のうちぼくも含めて計6名がダークスーツ。しかしネクタイをしているのはぼく一人! なんとこちらとあちらの計14名中、スーツ姿は多数派なのだが、タイを締めているのはたった一人。それほどに世の中にクールビズなるものは普及していたんですね。朝の都心にむかう通勤電車に乗車して初めて自覚したことでした。
とはいえ、目的地の会議に出席してみたら、真ん中の机を囲んだ計9名のうち男性は7名、うち6名がタイを装着していました。ノータイの方は霞ヶ関の方でした!
電車の中での観察とあわせ考察すると、つまり定刻出勤の行政や企業の上級職の皆さんはノータイで、大学関係者の場合は「公務」でふだんと違う所に出るときはスーツにタイと「気合いを入れて」臨む、ということかな。会議の設営者は、大学教授たちがそうするだろうと想定して、やはりタイ着用と決めたんだろうか。
じつはぼくもふだんの授業や大学の会議にはノータイです。結局、ダブルスタンダードです。
今朝のようなスーツにタイ、というのは非日常の催しに参与し、粗相のないように、慎重にしっかり討論して方針を決めよう、しかも定刻に終わるように議長に協力します、という決意表明でもある。定刻の10分以上前に着席して前回の議事録を読みながら待機する、なんて、教授会でもありえないことです!
2012年5月15日火曜日
教室変更
2012-05-17 木曜日 立正大学の2時限 西洋史料講読 ですが、 433 から → 9B15 へ変更します。
433では黒板消しが安定せず落下するということもありますが、 なんといっても、この部屋ではスライドを見てもらうのに手間がかかりすぎるという問題です。
山手線の胴体広告(英国政府観光庁)から始まった史料講読ですが、 スライド写真なしには授業が進みませんので、 やや広すぎる部屋ですが、今週から以後、通年でこちらに移動します。
https://portal.ris.ac.jp/ActiveCampus/index_after.html にも掲示されているとおり相違ありません。
433では黒板消しが安定せず落下するということもありますが、 なんといっても、この部屋ではスライドを見てもらうのに手間がかかりすぎるという問題です。
山手線の胴体広告(英国政府観光庁)から始まった史料講読ですが、 スライド写真なしには授業が進みませんので、 やや広すぎる部屋ですが、今週から以後、通年でこちらに移動します。
https://portal.ris.ac.jp/ActiveCampus/index_after.html にも掲示されているとおり相違ありません。
2012年5月7日月曜日
2012年4月28日土曜日
『フランス革命はなぜおこったか』(山川出版社)
柴田三千雄先生の遺著、〈フランス革命史再考〉の三巻本のうち第一巻だけですが公刊されました。 cf. 『史学雑誌』120-7(2011年7月).予告されていた『革命はなぜおこったか - フランス革命史再考』というタイトルは、最終的に上のように変更されました。
練りに練ったクールな文章で、著者がなにを考え、なにを伝えたかったかがよく分かる。 弟子の福井さんとぼくの協力による共編ですが、若いアンシァン・レジーム研究者の支援により、細部にも気の配られた本となりました。ご覧ください。
練りに練ったクールな文章で、著者がなにを考え、なにを伝えたかったかがよく分かる。 弟子の福井さんとぼくの協力による共編ですが、若いアンシァン・レジーム研究者の支援により、細部にも気の配られた本となりました。ご覧ください。
2012年4月22日日曜日
オフィス ***
ご心配してくださる方がありましたので、昨日の一景をご覧に入れます。
まだ段ボール箱を積み上げてるばかりでなく、左手に緑色の養生テープがだらりと垂れていたりして、いかにも構築途中です。じつは今日、写真の状態よりもすこし模様替えして--PC本体やプリンタ、Scansnap などを机上に置いては、本郷の二の舞になりそうなので--ちょっと工夫しました。使い勝手も改善されています。
それにしても本郷の426室ではフロアさえほとんど見えなかった。そもそも何色だったのだろう? 今度のオフィスでは、このように床が見えます! 27平米の2倍以上を使用するわけだから当然といえば当然。
ここを、3日には「鴎庵」と名づけましたが、OSによって鴎外のカモメの正字が出ないし、なんと読むのか、即時には分かりにくいというので、撤回します。 数年前まで K-Office を名のっておられた*先生が、水道橋・専大前の個人オフィスを「*研究室」と改名なさったので、わたくしメは「 オフィス *** 」を名乗らせていただくことにします。特定の数字 *** については、ウェブでなく個人的なおつきあいで、お知らせします。
まだ段ボール箱を積み上げてるばかりでなく、左手に緑色の養生テープがだらりと垂れていたりして、いかにも構築途中です。じつは今日、写真の状態よりもすこし模様替えして--PC本体やプリンタ、Scansnap などを机上に置いては、本郷の二の舞になりそうなので--ちょっと工夫しました。使い勝手も改善されています。
それにしても本郷の426室ではフロアさえほとんど見えなかった。そもそも何色だったのだろう? 今度のオフィスでは、このように床が見えます! 27平米の2倍以上を使用するわけだから当然といえば当然。
ここを、3日には「鴎庵」と名づけましたが、OSによって鴎外のカモメの正字が出ないし、なんと読むのか、即時には分かりにくいというので、撤回します。 数年前まで K-Office を名のっておられた*先生が、水道橋・専大前の個人オフィスを「*研究室」と改名なさったので、わたくしメは「 オフィス *** 」を名乗らせていただくことにします。特定の数字 *** については、ウェブでなく個人的なおつきあいで、お知らせします。
2012年4月15日日曜日
立正大学 史学科
こんなところです。
場所:JR「大崎」あるいはJR「五反田」下車です。↓
http://www.ris.ac.jp/guidance/cam_guide/osaki.html立正大学HPには「JR大崎駅と五反田駅から徒歩5分」と記されていますが、それは慣れた人が速歩で無駄なく歩いた場合。たしかに交通至便ですが、初めての人なら10分近くは見ておいたほうがよいでしょう。山手通り(長らく工事中)の西側の斜面に位置します。
同僚はこんな皆さんです。お写真もどうぞ ↓
http://risweb2.ris.ac.jp/faculty/letters/sigakuka/kyoin.html
場所:JR「大崎」あるいはJR「五反田」下車です。↓
http://www.ris.ac.jp/guidance/cam_guide/osaki.html立正大学HPには「JR大崎駅と五反田駅から徒歩5分」と記されていますが、それは慣れた人が速歩で無駄なく歩いた場合。たしかに交通至便ですが、初めての人なら10分近くは見ておいたほうがよいでしょう。山手通り(長らく工事中)の西側の斜面に位置します。
同僚はこんな皆さんです。お写真もどうぞ ↓
http://risweb2.ris.ac.jp/faculty/letters/sigakuka/kyoin.html
2012年4月10日火曜日
3月20日
年度替わりに加えて引越、そして新任校での勤務開始‥‥でしたので、あれから3週間しか経過していませんが、「いまは昔‥‥」と言いたくなるほど、色々なことが続きました。まだ終わっていません。
そうした季節、あの3月20日(祝)にご都合をつけて参集してくださった皆さま、ありがとうございました。 参加してくださった全員の合力で、楽しく、またしみじみと感じ入る集いとなりました。
とはいえ、一番の功績は、発起人の4人による準備と演出でした。この最後の点について、当日皆さまの前では明言することを忘れていました。あらためて、ありがとうございます。
おみやげもたくさん頂きましたが、なによりこうした「とき」を共有できたのが幸せでした。
そうした季節、あの3月20日(祝)にご都合をつけて参集してくださった皆さま、ありがとうございました。 参加してくださった全員の合力で、楽しく、またしみじみと感じ入る集いとなりました。
とはいえ、一番の功績は、発起人の4人による準備と演出でした。この最後の点について、当日皆さまの前では明言することを忘れていました。あらためて、ありがとうございます。
おみやげもたくさん頂きましたが、なによりこうした「とき」を共有できたのが幸せでした。
2012年4月9日月曜日
山手線・車体広告
「英国政府観光庁」による山手線の車体広告と駅の壁面広告、気付きましたか?
いつもながら即応性に欠けるところがあって、カメラを抱えて出かけたころには、有楽町駅の壁面広告は剥がされてステンレスがむき出しになっていました。
あきらめてプラットフォームに出たら、なんとその電車が来ました! ボディ外面だけなので、乗車すると見ることも写真を撮ることもできない。大崎駅に着いて、大急ぎでシャッタを切りましたが、せいぜい 2 shots くらい。次の電車を待ちましたが(反対方向の電車も見ましたが)いざ構えていると当該電車は来ない。
じつは「ジェイアール東日本企画」というウェブページに解説があるのを、今夜、探しあてました。2月19日~3月31日、2編成のみだったんですね。http://www.jeki.co.jp/transit/train/body/number.html
つまり、もう3月末に終わっているはずのところ、きのうは間違えて1編成が走っていたということなのでしょうか。それとも「うどんこの定理」のための施し?
なんでこんなことにこだわるかというと、中学校で鉄道少年だったから、ではなく、この4月からの「史料講読」の授業で使いたいからなのです。史料といっても図像も景観も含むので、「英国政府観光庁」の表象は、じつに良いイントロになるのです。
いつもながら即応性に欠けるところがあって、カメラを抱えて出かけたころには、有楽町駅の壁面広告は剥がされてステンレスがむき出しになっていました。
あきらめてプラットフォームに出たら、なんとその電車が来ました! ボディ外面だけなので、乗車すると見ることも写真を撮ることもできない。大崎駅に着いて、大急ぎでシャッタを切りましたが、せいぜい 2 shots くらい。次の電車を待ちましたが(反対方向の電車も見ましたが)いざ構えていると当該電車は来ない。
じつは「ジェイアール東日本企画」というウェブページに解説があるのを、今夜、探しあてました。2月19日~3月31日、2編成のみだったんですね。http://www.jeki.co.jp/transit/train/body/number.html
つまり、もう3月末に終わっているはずのところ、きのうは間違えて1編成が走っていたということなのでしょうか。それとも「うどんこの定理」のための施し?
なんでこんなことにこだわるかというと、中学校で鉄道少年だったから、ではなく、この4月からの「史料講読」の授業で使いたいからなのです。史料といっても図像も景観も含むので、「英国政府観光庁」の表象は、じつに良いイントロになるのです。
2012年4月8日日曜日
立正大学 文学部 教授
4月1日に辞令をいただき、上記のような身分となりました。どうぞよろしく。
IT環境について変化はありますが、従来のメールアドレス( @nifty および @l.u-tokyo )を使用していますので、3月までと同様にお願いします。また、ris.ac.jp の kondo というのも使えます。
3月30日にガイダンスのガイダンスというのを受け、4月1日からは本日まで一日も休まず精勤しております(すでに授業は4コマ済ませました)。
今夕、ある老先生から東大西洋史の大事な行事に遅刻してはいけませんと叱られましたが、何をおっしゃる、本務校優先ですよ。5:40 pmまで立正大学の院生ガイダンスとTA手続きをしていて、本郷のファカルティ・クラブに駆けつけたのが 6:30 pm(しかも澤田先生をアシストしながら)なのですから、むしろ誉めていただきたいところです。
それにしても、こちらは若い人がたくさん集ってよかったね。
IT環境について変化はありますが、従来のメールアドレス( @nifty および @l.u-tokyo )を使用していますので、3月までと同様にお願いします。また、ris.ac.jp の kondo というのも使えます。
3月30日にガイダンスのガイダンスというのを受け、4月1日からは本日まで一日も休まず精勤しております(すでに授業は4コマ済ませました)。
今夕、ある老先生から東大西洋史の大事な行事に遅刻してはいけませんと叱られましたが、何をおっしゃる、本務校優先ですよ。5:40 pmまで立正大学の院生ガイダンスとTA手続きをしていて、本郷のファカルティ・クラブに駆けつけたのが 6:30 pm(しかも澤田先生をアシストしながら)なのですから、むしろ誉めていただきたいところです。
それにしても、こちらは若い人がたくさん集ってよかったね。
2012年4月3日火曜日
鴎庵の設営
(承前)
移転先のオフィスは、西窓ならぬ南の水面を見おろし、潮の干満も、水に映る季節感も直接感じることのできるところです。カモメや鵜なども見るので「鴎庵」かな。海面をはるかに望むのでなく、まぢかに臨むので、鴎外の「望潮楼」は、ちょっと当たらない。
60平米あまりということで楽観していたら、じつは西窓亭(27平米)にはなかった風呂・手洗い・台所には本や書類は置けないわけだし、天井もやや低い。
白木の書棚をあつらえて、床の見える、余裕のある知的空間としたい、という願望は、そう容易に実現するものではない、と気付くまで、しばらくかかりました。
まず29日夕、引越業者が帰ったあとはこんな具合:
31日(土)には、荒天にもめげず5人の若者が結集して、かなり段取りよく開箱・排架作業をしてくれました。書斎作りは人任せにできないというのは自明の理として、それにしても大きなアウトラインは機動的にやってもらったほうが、はかどる。意味ある細部は、これから時間をかけてたっぷり詰めます。
壁の書棚は高さ25cm×奥行き20cmで統一しましたが、可動スチール書架の組み合わせで、合理的・機能的な空間とします。
鴎外先生が机を二つ用意して、それを仕事によって替えた、といったことを聞いて/読んで、羨ましいと思ったのは何十年前。これからのぼくは、そうしたいものです。
移転先のオフィスは、西窓ならぬ南の水面を見おろし、潮の干満も、水に映る季節感も直接感じることのできるところです。カモメや鵜なども見るので「鴎庵」かな。海面をはるかに望むのでなく、まぢかに臨むので、鴎外の「望潮楼」は、ちょっと当たらない。
60平米あまりということで楽観していたら、じつは西窓亭(27平米)にはなかった風呂・手洗い・台所には本や書類は置けないわけだし、天井もやや低い。
白木の書棚をあつらえて、床の見える、余裕のある知的空間としたい、という願望は、そう容易に実現するものではない、と気付くまで、しばらくかかりました。
まず29日夕、引越業者が帰ったあとはこんな具合:
31日(土)には、荒天にもめげず5人の若者が結集して、かなり段取りよく開箱・排架作業をしてくれました。書斎作りは人任せにできないというのは自明の理として、それにしても大きなアウトラインは機動的にやってもらったほうが、はかどる。意味ある細部は、これから時間をかけてたっぷり詰めます。
壁の書棚は高さ25cm×奥行き20cmで統一しましたが、可動スチール書架の組み合わせで、合理的・機能的な空間とします。
鴎外先生が机を二つ用意して、それを仕事によって替えた、といったことを聞いて/読んで、羨ましいと思ったのは何十年前。これからのぼくは、そうしたいものです。
西窓 より撤去
西窓の小部屋といっても27平米あまりのオフィスは、1月にはこんな具合で、「穴蔵みたい」「古めかしい英国の臭いがする」と評する方がいました。なにしろ在外をはさんで24年間使い続けた部屋ですので。その方はむしろ「老人臭」とでも言いたかったのか。とにかく物持ちのよい人ですので、工夫に工夫を重ねて、隙間なく(床も見えないくらいに)本や書類を詰め込んで/積み上げていました。
2月に**商事の人が来て、おおざっぱに見積もって、「段ボール200箱くらいですかね」と。
「よく見てください、棚は二重に入っていますよ;こんな部屋でも奥は深い、電話がかかってきても5回鳴るくらいでは行きつかないほど、細く曲がりくねった経路になっているのです。」
3月21日に7人の侍の力仕事が始まってから、2度3度にわたって箱を追加してもらい、結局、合計320箱が届きました。うち10個くらいは余りましたが、しかし、古い(名古屋時代の!?鈴木書店の)段ボールも生かしている場合もあるので、結局320と考えてよいでしょう。なにしろ1号館4階の部屋と廊下(あっちとこっち)だけでなく、2号館1階別室にも36個仮置きさせてもらいました。
これに18連の組立スチール書棚/ラック、割れ物、PC・電器系の養生機器が加わります。
あいだに母の卒寿の祝いとか、26・27日の History of Consumer Culture とか重要な催しも挟まりましたが、とにかく28日で荷造り作業は終了。
29日朝9時過ぎに**商事と引越業者が来て、トラック2台に搬入。小休止をはさみ、きれいさっぱりとなったのは11時でした。
キーを助教さんに託し、昼食をはさんで、午後は新オフィスへ。こちらについては to be continued.
2月に**商事の人が来て、おおざっぱに見積もって、「段ボール200箱くらいですかね」と。
「よく見てください、棚は二重に入っていますよ;こんな部屋でも奥は深い、電話がかかってきても5回鳴るくらいでは行きつかないほど、細く曲がりくねった経路になっているのです。」
3月21日に7人の侍の力仕事が始まってから、2度3度にわたって箱を追加してもらい、結局、合計320箱が届きました。うち10個くらいは余りましたが、しかし、古い(名古屋時代の!?鈴木書店の)段ボールも生かしている場合もあるので、結局320と考えてよいでしょう。なにしろ1号館4階の部屋と廊下(あっちとこっち)だけでなく、2号館1階別室にも36個仮置きさせてもらいました。
これに18連の組立スチール書棚/ラック、割れ物、PC・電器系の養生機器が加わります。
あいだに母の卒寿の祝いとか、26・27日の History of Consumer Culture とか重要な催しも挟まりましたが、とにかく28日で荷造り作業は終了。
29日朝9時過ぎに**商事と引越業者が来て、トラック2台に搬入。小休止をはさみ、きれいさっぱりとなったのは11時でした。
キーを助教さんに託し、昼食をはさんで、午後は新オフィスへ。こちらについては to be continued.
2012年3月24日土曜日
あとの祭り
3月20日には発起人のみなさんの奮闘努力のお陰で、すばらしい集いが実現しました。
ありがとうございます。
このブログの匿名 watcher さんまで来てくださったとは、感激です。
とはいえ、第一部にまさる第二部の充実たるやすばらしく、福岡から飛んできた松塚さん、障害にもめげず沖縄から駆けつけた Tony, メッセージをケインブリッジから寄せてくれた Martin(新さんが代読), さらには40年の付き合いの青木さんのお話に、中高年男性がウルウル、しみじみ、感動的な rare occasion となりました。
もっとも、1979年に卒論でせっかく Strafford伯と複合国家に注目した磯谷さんの先見の明に、しっかり対応できなかった点は、33年ぶりに皆さんの前で謝ることができました。でも優しく great outline and significant detail の格言を引用して、第一部と第二部の対応関係を保証してくださり、嬉しかった。
せっかく参集してくださった皆さん全員と語りあうことはできず、残念でした。2時間半、ほとんど食べることなく(しかし飲みながら)できるだけ多くの人と語ろうとしたのですが。高田さん、中村さん、那須さん、松園さん、‥‥申し訳ありませんでした。
最後の現役院生のあいさつも、人柄がでて良かったよ。
なおフランス在住および一時滞在の6名から、そしてロンドン在の3名からもすばらしい品をいただきました。
(なにしろ中学の張能先生によれば、近藤くんはフランス文学をやってるの!?)
美しい花も。
なにより年度末、しかもお彼岸という繁忙期に、百人近くの方々が参集してくださり、元気なお姿を見せてくださっただけで十分に嬉しいのですが。
(一部の方とは、あらためて6月2日に対決・決闘いたしましょう。)
お配りした『いまは昔‥‥』、一寸だけでもお役に立てば、幸いです。
【ただいま年度末の行事と並行して、リフォーム、引越のため、てんてこ舞いです。欠礼のだん、ご海容を。書きこみもようやく今になりました。】
ありがとうございます。
このブログの匿名 watcher さんまで来てくださったとは、感激です。
とはいえ、第一部にまさる第二部の充実たるやすばらしく、福岡から飛んできた松塚さん、障害にもめげず沖縄から駆けつけた Tony, メッセージをケインブリッジから寄せてくれた Martin(新さんが代読), さらには40年の付き合いの青木さんのお話に、中高年男性がウルウル、しみじみ、感動的な rare occasion となりました。
もっとも、1979年に卒論でせっかく Strafford伯と複合国家に注目した磯谷さんの先見の明に、しっかり対応できなかった点は、33年ぶりに皆さんの前で謝ることができました。でも優しく great outline and significant detail の格言を引用して、第一部と第二部の対応関係を保証してくださり、嬉しかった。
せっかく参集してくださった皆さん全員と語りあうことはできず、残念でした。2時間半、ほとんど食べることなく(しかし飲みながら)できるだけ多くの人と語ろうとしたのですが。高田さん、中村さん、那須さん、松園さん、‥‥申し訳ありませんでした。
最後の現役院生のあいさつも、人柄がでて良かったよ。
なおフランス在住および一時滞在の6名から、そしてロンドン在の3名からもすばらしい品をいただきました。
(なにしろ中学の張能先生によれば、近藤くんはフランス文学をやってるの!?)
美しい花も。
なにより年度末、しかもお彼岸という繁忙期に、百人近くの方々が参集してくださり、元気なお姿を見せてくださっただけで十分に嬉しいのですが。
(一部の方とは、あらためて6月2日に対決・決闘いたしましょう。)
お配りした『いまは昔‥‥』、一寸だけでもお役に立てば、幸いです。
【ただいま年度末の行事と並行して、リフォーム、引越のため、てんてこ舞いです。欠礼のだん、ご海容を。書きこみもようやく今になりました。】
2012年3月17日土曜日
Brewer 再訪
今回はぼくは主催者でなく、ただの参加者ですが、次のような催しが続きます。
18日(日)午後2時~5時
青山学院大学5号館517にてイギリス史研究会
John Brewer の講演:Sex scandal & British politics
26日(月)~28日(水)には学習院大学で History of consumer culture のコンファレンス↓
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~20070019/HCCwelcome.html
こちらは Brewer, Offer, Styles, そして草光さん, etc. がペーパーを読みます。
ぼくは司会だけ。
18日(日)午後2時~5時
青山学院大学5号館517にてイギリス史研究会
John Brewer の講演:Sex scandal & British politics
26日(月)~28日(水)には学習院大学で History of consumer culture のコンファレンス↓
http://www-cc.gakushuin.ac.jp/~20070019/HCCwelcome.html
こちらは Brewer, Offer, Styles, そして草光さん, etc. がペーパーを読みます。
ぼくは司会だけ。
2012年3月15日木曜日
『いまは昔 - 年譜・著作ノート』
あまり時間的余裕のないまま、いそぎ制作した表記の出版物ですが、1947年生まれの一人の軌跡というだけでなく、時代の証言としての意味もあるかな、と思います。山川出版社と『週刊読書人』の全面的な協力により、スクラップブック、アルバムも含みます。
B5で96ページ。イメージとしては『丸山真男ノート』や、『内田義彦著作集』第10巻の「年譜・著作目録」。ただし、視覚的な楽しさも加えて作りました。
3月20日(祝)の集いに来てくださる方々に、お土産として進呈いたします(非売品です)。
B5で96ページ。イメージとしては『丸山真男ノート』や、『内田義彦著作集』第10巻の「年譜・著作目録」。ただし、視覚的な楽しさも加えて作りました。
3月20日(祝)の集いに来てくださる方々に、お土産として進呈いたします(非売品です)。
2012年3月13日火曜日
『革命はなぜおこったか - フランス革命史 再考』
間遠になっているのは、例年どおりの年度末の繁忙によりますが、plus これが最後というので、なすべき「御用」がたんとある、という事情です。 Tantae molis erat.
「御用」のうちには、公共的に意義ある仕事もあって、昨夏以来、ついに柴田三千雄先生の最後の著作が責了。4月には本になります。
先生の希望で、山川出版社。いつもながら瀟洒な本です。
このブログで述べるべきことは他にもいくつもありますので、これからおいおい‥‥
「御用」のうちには、公共的に意義ある仕事もあって、昨夏以来、ついに柴田三千雄先生の最後の著作が責了。4月には本になります。
先生の希望で、山川出版社。いつもながら瀟洒な本です。
このブログで述べるべきことは他にもいくつもありますので、これからおいおい‥‥
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