ご無沙汰しています。暑い夏でした。
8月14日の「首相談話」について、旧聞に属するかもしれませんが、一言申しますと、有識者会議の強い意見の成果でしょうか、ミニマムの合格点になったと思います。満点ではありません。
とりわけ政府の責任で発表された英語版にも注意したいと思います。ぼくはこれを北海道・礼文で読みました。
「‥‥痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明してきました」という日本語が過去形だと問題にする筋もありましたが、英語では明白に、過去形でなく現在完了形です。
Japan has repeatedly expressed the feelings of deep remorse and heartfelt apology for its actions during the war.
念のため、現在完了形とは、過去のこと、終わったことでなく、present perfect (完璧なる現在)という時制です。高校英語では「現在完了の3つの用法」といったアホな教え方をしていますが、(経験・継続・完了のいずれであれ)あくまで現在を歴史的にみた表現。単純過去や単純現在とちがって、今を成り立たせているものの来し方を見通す時制でしょう。割り切っていえば、過去形でなく現在形であり、条件反射の時制でなく、今を歴史的に見渡す時制です。
The past is not dead; it's not even passed.
というフォークナとも共通する「歴史をみる眼」=「現在をみる眼」=「将来をみる眼」。これを、安倍首相の個人的な好悪をこえて公に発信せよと説得し、迫り、「うーん、しかたないか」と従わせた賢人たちに、敬意を表したいと思います。
2015年8月30日日曜日
2015年8月29日土曜日
永栄 潔
朝刊にて、永栄 潔 の名に遭遇。
『朝日新聞』を定年退職して大学非常勤講師や、高校同期会でも活躍している永栄。その著書『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』で第14回新潮ドキュメント賞を受章と。おめでとう!
→ https://www.shinchosha.co.jp/prizes/documentsho/
千葉高校時代には陸上部でも生徒会でも活躍していた。女の子の心をときめかしてもいた。結局、結婚したのも同期の女子だ。ぼくたちが2年生の秋、翌年度から3年生を文系理系に分けて編成するという学校の告知にたいして、千葉高校の教養主義の終焉というので、ぼくたちはブツブツ言っていたのだが、全学集会で一人挙手して、教頭に質問があります、といった永栄は格好よかった。そのあと一人召喚されて、「はい」と言わされたらしい! ちょうどヴェトナム戦争、北爆の1964年だった。
今も体形を維持して格好いい68歳。どうぞお元気で!
『朝日新聞』を定年退職して大学非常勤講師や、高校同期会でも活躍している永栄。その著書『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』で第14回新潮ドキュメント賞を受章と。おめでとう!
→ https://www.shinchosha.co.jp/prizes/documentsho/
千葉高校時代には陸上部でも生徒会でも活躍していた。女の子の心をときめかしてもいた。結局、結婚したのも同期の女子だ。ぼくたちが2年生の秋、翌年度から3年生を文系理系に分けて編成するという学校の告知にたいして、千葉高校の教養主義の終焉というので、ぼくたちはブツブツ言っていたのだが、全学集会で一人挙手して、教頭に質問があります、といった永栄は格好よかった。そのあと一人召喚されて、「はい」と言わされたらしい! ちょうどヴェトナム戦争、北爆の1964年だった。
今も体形を維持して格好いい68歳。どうぞお元気で!
2015年8月7日金曜日
首相の有識者会議
毎日 暑いですね。
例年、その暑い8月には20世紀史の史料や史実が公開されて目を覚まされますが、この夏は、8月14日録音の「大東亜戦争終結に関する詔書」(玉音放送)の原盤発表にかかわり「御文庫付属室」の写真、そしてなにより安倍首相諮問の有識者会議「21世紀構想懇談会」の報告書が各新聞に載りました。この16名の「有識者」の選定にどういう力が働いたか存じませんが、北岡伸一さんのイニシアティヴは明らかで、9割方は現実的で穏当な委嘱だったと思われます。林健太郎も中曽根康弘も「侵略戦争」と認めているアジア・太平洋戦争ですが、なかには冴えない先生も交じっていて「国際法上定義が定まっていないなどの理由で「侵略」という語を用いることに異議が表された」とのことです。これがだれなのか、簡単に同定できますね。
じつは靖国神社について論及していないのも不満ですが、とはいえ、まずは現首相に「読む気」になってもらわなくてはならず、そこは一種のレトリックとして、必要不可欠、絶対に踏まえるべきことを明記し訴えた、という位置づけでしょうか。
ぼくの側では、もっと卑小なレヴェルでの発言ですが、『週刊読書人』7月24日号に〈上半期の収穫〉をしたためています。今年の3点は、
T.ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、
J.ウァーモルド【どうしてワーモルドじゃないの?】『ブリテン諸島の歴史 17世紀 1603-1688』(慶応義塾大学出版会:Langford 監修の SOHBIの翻訳)、
そして
服部春彦『文化財の併合』(知泉書館)です。
例年、その暑い8月には20世紀史の史料や史実が公開されて目を覚まされますが、この夏は、8月14日録音の「大東亜戦争終結に関する詔書」(玉音放送)の原盤発表にかかわり「御文庫付属室」の写真、そしてなにより安倍首相諮問の有識者会議「21世紀構想懇談会」の報告書が各新聞に載りました。この16名の「有識者」の選定にどういう力が働いたか存じませんが、北岡伸一さんのイニシアティヴは明らかで、9割方は現実的で穏当な委嘱だったと思われます。林健太郎も中曽根康弘も「侵略戦争」と認めているアジア・太平洋戦争ですが、なかには冴えない先生も交じっていて「国際法上定義が定まっていないなどの理由で「侵略」という語を用いることに異議が表された」とのことです。これがだれなのか、簡単に同定できますね。
じつは靖国神社について論及していないのも不満ですが、とはいえ、まずは現首相に「読む気」になってもらわなくてはならず、そこは一種のレトリックとして、必要不可欠、絶対に踏まえるべきことを明記し訴えた、という位置づけでしょうか。
ぼくの側では、もっと卑小なレヴェルでの発言ですが、『週刊読書人』7月24日号に〈上半期の収穫〉をしたためています。今年の3点は、
T.ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)、
J.ウァーモルド【どうしてワーモルドじゃないの?】『ブリテン諸島の歴史 17世紀 1603-1688』(慶応義塾大学出版会:Langford 監修の SOHBIの翻訳)、
そして
服部春彦『文化財の併合』(知泉書館)です。
2015年8月4日火曜日
Paul Langford 1945-2015
ラングフォド先生の授業(講義)を、ぼくは1981年にケインブリッジの Faculty of History 棟で聴講しました。オクスフォードから一種の非常勤講師として1学期間だけいらしたのです。ぼくの2歳年上とはいえ、24歳から特別研究員(junior research fellow)として研究に専念し、 The Excise Crisis (OUP, 1975)をはじめとして、18世紀の諸イシューを焦点に、政治社会史をダイナミックにとらえようとする仕事を次々に発表する新しい星として、日本でも松浦高嶺さん、青木康さんをはじめ、知る人ぞ知る研究者でしたから、毎週欠かさず聞きました。あのとき36歳だったのですね。
ぼくの先生 Boyd Hilton, そして John Morrill と同期で、同じオクスフォード歴史学の秀才3人組。Langford (18世紀)が、生涯、オクスフォードで教え、(HRB、一種、日本学術振興会の会長さんみたいな激務でロンドンにいた期間は別として)勤務したのにたいし、Morrill (17世紀)、Hilton (19世紀)の2人は、ともに以後ケインブリッジで生涯を過ごすことになった。オクスブリッジのどちらが上か、強いか、というのは(ほとんどセリーグとパリーグを比べるのに等しい)愚問に属するけれど、それぞれの歴史学部の顔となったわけです。
その主著 Langford, Public Life & the Propertied Englishman (OUP, 1991) は Ford Lectures の大冊ですが、2つの意味で印象的でした。1) J. ハーバマスにただの一度も言及することなく18世紀イギリスの言論、公共性、ブルジョワ、商業生活を論じていること。2) 18世紀前半の宗派がもろに表面化する係争的政治文化から、後半への転換を論じるところで Kondo, The workhouse issue at Manchester (Nagoya University, 1987)が数度にわたり論及・引用されていること。
1995年、ロンドン在住中でしたが、Joanna Innes の仲介でラングフォド先生の18世紀史セミナーで研究報告することができました。リンカン学寮の中庭に面した、明るい=ネオバロック風の部屋。事後に恒例の The Mitre で一杯飲んだあと、 Covered Market 近くのピザ屋で、上の2点について改めて尋ねてみました。2) については外交辞令的な(?)お褒めの言葉でしたが、1) についてはハーバマスなんて読んでないし、影響も受けていない、自分は経験主義史家だ、と繰りかえされました。
まだ若いぼくとしては、こうした答えにはいささか不満が残る夜でした。しかし、この English elite のイメージとは異なる風貌の、オクスフォードを代表する知性と議論できて、なおぼくの側の地平の広まりと深まりが必要だと再認識したことでした。やはり南ウェールズの出身で、どこか John Habakkuk に似た雰囲気でしたね。
しばらくご病気だったと聞いていましたが、訃報を聞き、いろいろなことが甦ってきました。ご冥福を祈ります。
ぼくの先生 Boyd Hilton, そして John Morrill と同期で、同じオクスフォード歴史学の秀才3人組。Langford (18世紀)が、生涯、オクスフォードで教え、(HRB、一種、日本学術振興会の会長さんみたいな激務でロンドンにいた期間は別として)勤務したのにたいし、Morrill (17世紀)、Hilton (19世紀)の2人は、ともに以後ケインブリッジで生涯を過ごすことになった。オクスブリッジのどちらが上か、強いか、というのは(ほとんどセリーグとパリーグを比べるのに等しい)愚問に属するけれど、それぞれの歴史学部の顔となったわけです。
その主著 Langford, Public Life & the Propertied Englishman (OUP, 1991) は Ford Lectures の大冊ですが、2つの意味で印象的でした。1) J. ハーバマスにただの一度も言及することなく18世紀イギリスの言論、公共性、ブルジョワ、商業生活を論じていること。2) 18世紀前半の宗派がもろに表面化する係争的政治文化から、後半への転換を論じるところで Kondo, The workhouse issue at Manchester (Nagoya University, 1987)が数度にわたり論及・引用されていること。
1995年、ロンドン在住中でしたが、Joanna Innes の仲介でラングフォド先生の18世紀史セミナーで研究報告することができました。リンカン学寮の中庭に面した、明るい=ネオバロック風の部屋。事後に恒例の The Mitre で一杯飲んだあと、 Covered Market 近くのピザ屋で、上の2点について改めて尋ねてみました。2) については外交辞令的な(?)お褒めの言葉でしたが、1) についてはハーバマスなんて読んでないし、影響も受けていない、自分は経験主義史家だ、と繰りかえされました。
まだ若いぼくとしては、こうした答えにはいささか不満が残る夜でした。しかし、この English elite のイメージとは異なる風貌の、オクスフォードを代表する知性と議論できて、なおぼくの側の地平の広まりと深まりが必要だと再認識したことでした。やはり南ウェールズの出身で、どこか John Habakkuk に似た雰囲気でしたね。
しばらくご病気だったと聞いていましたが、訃報を聞き、いろいろなことが甦ってきました。ご冥福を祈ります。
2015年7月25日土曜日
日英歴史家会議(AJC)プロシーディングズ
旧聞に属す、とお考えかもしれません。2012年9月にケインブリッジ大学トリニティホール学寮にて開催された第7回日英歴史家会議(AJC)ですが、その編集プロシーディングズは未刊行でした。諸般の事情が複合して、会議の後すみやかに刊行することかなわぬまま経過しておりましたが、この間の友人たちの奮闘努力により、ようやく公刊にいたりましたので、お知らせします。xii + 322 pp.の美麗な本です。
表紙写真は開催時のトリニティホールで、会議場は手前にみえる看板の矢印のとおり直行して歩いたなお先にありました。The hidden gem という渾名をもつこの学寮において、History in British History を共通テーマにかかげた有意義で楽しい会議が3泊4日にわたり実現したのは、なにより11名のAJC委員(x ページにお名前が列挙されています)とロンドン大学歴史学研究所(IHR)、そしてトリニティホール学寮長ドーントン教授の協力の賜物です。
じつは各セッションのコメント、また若手のペーパーについて収録できなかったものが少なくないことは残念至極です。もし時宜を逸したとのそしりがあれば、甘んじて受けます。巻末には Appendix として AJC の第1回(1994)~第7回(2012)のプログラムを収めました。これは後の刊行物ではなく実施時のプログラムによるもので、史料的な価値がないではないと思われます。
たしかに完璧とは言いがたい刊行物ですが、Preface の最後にお名前を刻印した方々の助力があってこそ日の目を見ることになりました。叱咤激励をいただいた皆さまに感謝いたします。
なお 今年8月10~11日には大阪大学中之島センターにて第8回日英歴史家会議(AJC)が開催されます。
→ http://ajchistorians.wix.com/ajc2015
この本は、会場でも頒布される予定です。 近藤和彦
2015年7月11日土曜日
『文化財の併合 : フランス革命とナポレオン』
むしろ新刊書で驚嘆し、おもわず姿勢を正したのは、『物語 』よりなにより、
服部春彦 『文化財の併合:フランス革命とナポレオン』 (知泉書館、2015年6月)
です。1934年生まれ(81歳!)の服部さんの、これまでとうって変わって、文化政治史のお仕事。「普遍主義ミュージアム」の立場からする略奪・押収・併合と、その後の祖国への返還を分析したモノグラフです。「研究史の概観と課題の設定」から始まって、書き下ろし、xii+481ページ。第Ⅱ部は「フランスにおける収奪美術品の利用」、その第4章は「フランス革命とルーヴル美術館の創設」です。18世紀の絵画カタログを多用なさっているようですが、これらの「ほとんどは現在インターネットで閲覧可能」と。服部先生は IT を活用なさっていたのですね。興奮します。
天上の河野健二、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬としては、これを見て脱帽するしかないのではないでしょうか。地上の現役研究者諸兄も、ね。
服部春彦 『文化財の併合:フランス革命とナポレオン』 (知泉書館、2015年6月)
です。1934年生まれ(81歳!)の服部さんの、これまでとうって変わって、文化政治史のお仕事。「普遍主義ミュージアム」の立場からする略奪・押収・併合と、その後の祖国への返還を分析したモノグラフです。「研究史の概観と課題の設定」から始まって、書き下ろし、xii+481ページ。第Ⅱ部は「フランスにおける収奪美術品の利用」、その第4章は「フランス革命とルーヴル美術館の創設」です。18世紀の絵画カタログを多用なさっているようですが、これらの「ほとんどは現在インターネットで閲覧可能」と。服部先生は IT を活用なさっていたのですね。興奮します。
天上の河野健二、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬としては、これを見て脱帽するしかないのではないでしょうか。地上の現役研究者諸兄も、ね。
2015年7月10日金曜日
『物語 イギリスの歴史』
このところ AJC 2012 の会議録 History in British History の出版のために、何人かの助力をえて、火事場の踏ん張りのような日夜を過ごしました。この本は、8月の日英歴史家会議@大阪より前にご覧に入れることができます。
というわけで、近刊のみなさんの本については注意の行き届かないこともあり、君塚直隆『物語 イギリスの歴史』上・下(中公新書、2015年5月)は今ごろようやく拝見しました。上下2巻ともに巻頭の地図は、「近藤和彦編『イギリス史研究入門』(山川出版社、2010年)を基に著者作成」とあります。むしろ『イギリス史10講』(岩波新書、2013年)を基に作成、とか記された方が正直か、と思いました。その他、日本語の出版も多用されているのは率直なのか、先行業績への敬意なのか。どちらにしても悪いことではありません。
でも、著者にはあまり研究史の展開/転回をアピールしようという気はなさそうです。ブリテン諸島の政治社会の複合性とアイデンティティについてなにか論じるとか、ヨーロッパ人や大西洋人やアジア人と混交した社会と歴史を呈示するとかいうことなしに、王様・女王様と政治家(politicians)の逸話をたくさん連ねただけの old-fashioned story なのでしょうか? 「帝国」という語もかなり安直に使用されていませんか? こういうことを続けていると、「だからイギリス史はつまらない」と、とりわけヨーロッパ史や中国史の先生方に揶揄されてしまうのです。昔からのパターンでした。逸話をたくさん連ねるのは良い。それによって読者の文明を見る目が修正され、歴史認識が広がり深まるなら。でも、ただトリビアが蓄積されるだけなら、退屈ですね。
「主要参考映画一覧」というのがあって、『冬のライオン』『ブレイブハート』から『英国王のスピーチ』『日の名残り』まで挙がっているのには、吹き出してしまった。『10講』の副読本だったのかと。ご免。でも『日の名残り』の英語原題名は間違っていますよ(下、p.241)、中公の校正さん! I remind you! ついでに「執事たち」という複数形も butler(使用人頭)は一人なのだから、可笑しい。
この『物語』上下は、著者の歴史観も出版社の志もよくわからない出版です。「きみの志はなんですか」と天上から尋ねる声が聞こえてきそう。
そういう事情もあって、おわりに(p.237)に「この辺で少しだけ単著は休ませていただき、‥‥と念じている」と記されているのでしょうか? そうだとしたらここは静かに、刮目して、君塚さんの次を見守りたいと思います。
というわけで、近刊のみなさんの本については注意の行き届かないこともあり、君塚直隆『物語 イギリスの歴史』上・下(中公新書、2015年5月)は今ごろようやく拝見しました。上下2巻ともに巻頭の地図は、「近藤和彦編『イギリス史研究入門』(山川出版社、2010年)を基に著者作成」とあります。むしろ『イギリス史10講』(岩波新書、2013年)を基に作成、とか記された方が正直か、と思いました。その他、日本語の出版も多用されているのは率直なのか、先行業績への敬意なのか。どちらにしても悪いことではありません。
でも、著者にはあまり研究史の展開/転回をアピールしようという気はなさそうです。ブリテン諸島の政治社会の複合性とアイデンティティについてなにか論じるとか、ヨーロッパ人や大西洋人やアジア人と混交した社会と歴史を呈示するとかいうことなしに、王様・女王様と政治家(politicians)の逸話をたくさん連ねただけの old-fashioned story なのでしょうか? 「帝国」という語もかなり安直に使用されていませんか? こういうことを続けていると、「だからイギリス史はつまらない」と、とりわけヨーロッパ史や中国史の先生方に揶揄されてしまうのです。昔からのパターンでした。逸話をたくさん連ねるのは良い。それによって読者の文明を見る目が修正され、歴史認識が広がり深まるなら。でも、ただトリビアが蓄積されるだけなら、退屈ですね。
「主要参考映画一覧」というのがあって、『冬のライオン』『ブレイブハート』から『英国王のスピーチ』『日の名残り』まで挙がっているのには、吹き出してしまった。『10講』の副読本だったのかと。ご免。でも『日の名残り』の英語原題名は間違っていますよ(下、p.241)、中公の校正さん! I remind you! ついでに「執事たち」という複数形も butler(使用人頭)は一人なのだから、可笑しい。
この『物語』上下は、著者の歴史観も出版社の志もよくわからない出版です。「きみの志はなんですか」と天上から尋ねる声が聞こえてきそう。
そういう事情もあって、おわりに(p.237)に「この辺で少しだけ単著は休ませていただき、‥‥と念じている」と記されているのでしょうか? そうだとしたらここは静かに、刮目して、君塚さんの次を見守りたいと思います。
2015年6月14日日曜日
立正大学 史学科の Facebook
紙媒体ではなく IT 空間で発信しようという方針です。

史学科の若手教員たちの奮闘により、このようなフォーラムが生まれました。
よろしく!
→ https://www.facebook.com/RisshoShigaku

史学科の若手教員たちの奮闘により、このようなフォーラムが生まれました。
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2015年5月31日日曜日
オクスフォードの新総長
News and events
Professor Louise Richardson, currently the Principal and Vice-Chancellor of the University of St Andrews, has been nominated as the next Vice-Chancellor of the University of Oxford.
Prior to joining St Andrews in 2009, Professor Richardson lived and worked in the United States where she was Executive Dean of the Radcliffe Institute for Advanced Study at Harvard University.
Professor Richardson said of her nomination: 'Oxford is one of the world's great universities. I feel enormously privileged to be given the opportunity to lead this remarkable institution during an exciting time for higher education. I am very much looking forward to working with talented, experienced, and dedicated colleagues to advance Oxford’s pre-eminent global position in research, scholarship, and teaching.'
The Nominating Committee was chaired by the Chancellor of Oxford University, Lord Patten of Barnes, who said: 'The panel was deeply impressed by Professor Richardson’s strong commitment to the educational and scholarly values which Oxford holds dear. Her distinguished record both as an educational leader and as an outstanding scholar provides an excellent basis for her to lead Oxford in the coming years.'
Subject to the approval of Congregation, the University’s parliament, Professor Richardson will succeed the current Vice-Chancellor, Professor Andrew Hamilton, on 1 January 2016.
Professor Louise Richardson, currently the Principal and Vice-Chancellor of the University of St Andrews, has been nominated as the next Vice-Chancellor of the University of Oxford.
Prior to joining St Andrews in 2009, Professor Richardson lived and worked in the United States where she was Executive Dean of the Radcliffe Institute for Advanced Study at Harvard University.
Professor Richardson said of her nomination: 'Oxford is one of the world's great universities. I feel enormously privileged to be given the opportunity to lead this remarkable institution during an exciting time for higher education. I am very much looking forward to working with talented, experienced, and dedicated colleagues to advance Oxford’s pre-eminent global position in research, scholarship, and teaching.'
The Nominating Committee was chaired by the Chancellor of Oxford University, Lord Patten of Barnes, who said: 'The panel was deeply impressed by Professor Richardson’s strong commitment to the educational and scholarly values which Oxford holds dear. Her distinguished record both as an educational leader and as an outstanding scholar provides an excellent basis for her to lead Oxford in the coming years.'
Subject to the approval of Congregation, the University’s parliament, Professor Richardson will succeed the current Vice-Chancellor, Professor Andrew Hamilton, on 1 January 2016.
2015年5月29日金曜日
Christopher Bayly (1945-2015)
By Paul Lay < History Today, posted 13th May 2015
Paul Lay offers a few words on the eminent historian, who died in April.
The sudden, unexpected death last month of the distinguished historian Christopher Bayly, one of the pioneers of global history and a remarkable scholar of India in particular, came as a tremendous shock to those many who knew him, indeed anyone who had admired and absorbed his innovative, brilliant works.
Paul Lay offers a few words on the eminent historian, who died in April.
The sudden, unexpected death last month of the distinguished historian Christopher Bayly, one of the pioneers of global history and a remarkable scholar of India in particular, came as a tremendous shock to those many who knew him, indeed anyone who had admired and absorbed his innovative, brilliant works.
2015年5月19日火曜日
日本西洋史学会大会 @ 富山
富山で開催された日本西洋史学会大会、たいへん有意義に過ごすことができました。準備委員会の万端の用意と設営のおかげで、発表・討論も充実し、また懇親会の料理とお酒についても友人たちとともに感嘆いたしました。(じつは実際的にはたいへん大事なことですが、日曜日の昼食も生協食堂で明るく機能的、快適でした。)
日曜午後の小シンポジウムについても、複数の教室の間を移動しながら、いろいろと学びました。とはいえ、学術的に出席者すべてに強い印象を刻みこんだのは、記念講演の演者だったのではないでしょうか。
お二人の講演はそれぞれのお人柄がたくまずも伝わるものでしたが、個人的にはとくに立石博高さんのお話
「近世スペインとカタルーニア:複合国家論の再検討」
に感銘を受けました。なによりこれは第1に、近世ヨーロッパ国制史の先端的な「礫岩のような国家」論と「諸国家システム」論に棹さすもので、かつすばらしく具体的に立ち入った17世紀論でした*。スペイン・イベリア半島にかぎらず、同時代的な問題と受けとめました。かつての「17世紀の危機」論を今の研究水準で再考するならさらに得るところがあるでしょう(ぼくが学生のとき初めて Elliott という(詩人 T. S. Eliot ではない)名を意識したのは Past & Present 誌における general crisis of the 17th century 論争をめぐるエリオット先生の寄稿でした)。
第2には、学長という激務のなかで、よくまぁこれだけのものを準備なさった!と感嘆すべき密度の、明快な講演でした。中年以上の大学教師、研究時間の劣化を嘆く者すべてにたいする叱咤激励という効果があったのではないでしょうか。【*ただし『ヨーロッパ史講義』(山川出版社)をまだご覧に入れていなかった分、「時差」が生じてしまいました!】
学会のあと、日曜の夕刻には市庁舎の展望塔に登り ↑ 立山連峰を遠望して、さすが日本一の山塊という思いを新たにしました。望遠鏡も自由に見られて、この360度の眺望を無料で毎日・夜まで提供なさっている富山市の英断にも感銘しました。
委員会の皆さま、そして学生諸君にもお礼を申しあげます。 近藤和彦
日曜午後の小シンポジウムについても、複数の教室の間を移動しながら、いろいろと学びました。とはいえ、学術的に出席者すべてに強い印象を刻みこんだのは、記念講演の演者だったのではないでしょうか。
お二人の講演はそれぞれのお人柄がたくまずも伝わるものでしたが、個人的にはとくに立石博高さんのお話
「近世スペインとカタルーニア:複合国家論の再検討」
に感銘を受けました。なによりこれは第1に、近世ヨーロッパ国制史の先端的な「礫岩のような国家」論と「諸国家システム」論に棹さすもので、かつすばらしく具体的に立ち入った17世紀論でした*。スペイン・イベリア半島にかぎらず、同時代的な問題と受けとめました。かつての「17世紀の危機」論を今の研究水準で再考するならさらに得るところがあるでしょう(ぼくが学生のとき初めて Elliott という(詩人 T. S. Eliot ではない)名を意識したのは Past & Present 誌における general crisis of the 17th century 論争をめぐるエリオット先生の寄稿でした)。
第2には、学長という激務のなかで、よくまぁこれだけのものを準備なさった!と感嘆すべき密度の、明快な講演でした。中年以上の大学教師、研究時間の劣化を嘆く者すべてにたいする叱咤激励という効果があったのではないでしょうか。【*ただし『ヨーロッパ史講義』(山川出版社)をまだご覧に入れていなかった分、「時差」が生じてしまいました!】
学会のあと、日曜の夕刻には市庁舎の展望塔に登り ↑ 立山連峰を遠望して、さすが日本一の山塊という思いを新たにしました。望遠鏡も自由に見られて、この360度の眺望を無料で毎日・夜まで提供なさっている富山市の英断にも感銘しました。
委員会の皆さま、そして学生諸君にもお礼を申しあげます。 近藤和彦
2015年5月14日木曜日
酒都を歩く(英国編)
読売新聞 Online からこのような通知がきました。
>‥‥本村凌二先生の記事を今朝ほどアップしました。
>以下のURLです。
>http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakaba/20150507-OYT8T50159.html
>2回にわけて掲載予定です。‥‥
関連ページがふえて、やや錯綜してきましたが、2月のぼくのインタヴューも含む、全体の「もくじ」はこうなっています。
→ http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakaba/
>‥‥本村凌二先生の記事を今朝ほどアップしました。
>以下のURLです。
>http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakaba/20150507-OYT8T50159.html
>2回にわけて掲載予定です。‥‥
関連ページがふえて、やや錯綜してきましたが、2月のぼくのインタヴューも含む、全体の「もくじ」はこうなっています。
→ http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakaba/
あとの祭り
承前
従来のイギリスの世論調査、投票所出口調査(の方法)をめぐるマスコミ側の当惑は
→ http://www.bbc.com/news/uk-politics-32606713
労働党(と保守党)の将来については
→ http://www.theguardian.com/politics/2015/may/13/beware-of-instant-explanations-for-what-went-wrong-with-labour-campaign
従来のイギリスの世論調査、投票所出口調査(の方法)をめぐるマスコミ側の当惑は
→ http://www.bbc.com/news/uk-politics-32606713
労働党(と保守党)の将来については
→ http://www.theguardian.com/politics/2015/may/13/beware-of-instant-explanations-for-what-went-wrong-with-labour-campaign
2015年5月10日日曜日
連合王国(UK)総選挙の結果
1. 報道されているとおり、5月7日の庶民院(衆議院)選挙の結果は、
合計650議席(過半数は326)のうち、
現政権の保守党(Con)が24議席ふやして331議席へ
連立与党だった自民党(LD)が49議席へらして8議席へ
野党・労働党(Lab)が26議席へらして232議席へ
野党・スコットランド国民党(SNP)が50議席ふやして56議席へ
北アイルランドの民主統一党(DUP)が現状維持で8議席のまま
その他が2議席増やして15議席へ
となりました。
おおかたの予想に反して保守党が単独過半数を制し、これを機に基本的に政策構想の違う(社民リベラル的な)自民党との連立を解消し、保守党が単独で組閣するという結果になりました。
同時に(社民・EU的な)スコットランド国民党【民族党ではありません】がスコットランドの全59議席のうち56を占めて「圧勝」したわけですが、こうした事態について、日本のマスコミで明快な、筋の通る説明はありません。
一つは得票率と地域性を考慮にいれ、もう一つはSNPを「スコットランド民族党」と訳すことなく社民の地域党と認識すれば、ことは明白です。
2. 保守党またはトーリ党の正式名称は The Conservative & Unionist Party of the UK です。連合王国の保守・統一党。ディズレーリ以来の保守的=有機体的な世界・歴史観、したがって王制に親しい国民統合(one nation)主義、自由放任主義による「小さな政府」をかかげます。キャメロンは Thatcherのクールな「歴史の終わり」的アナクロニズムを反省して、ディズレーリ+ネオリベラル(それゆえの EU skeptic)で政権を運営してゆくようです。
親EUの自民党を切り捨てて単独政権とするという点で、(公明党を切り捨てない)安倍連立政権とは政治のやり方が違います。議席が24ふえたといっても、得票率は0.8%増で、むしろ現状維持。選挙上手あるいは敵失の結果といえます。One nationといっても、連合王国内の連邦主義に反対し、アイルランド・スコットランド・ウェールズを手放さない中央集権主義(England 中心主義)ですし、対外的にEU懐疑、親英連邦(pro-Commonwealth)、旧植民地以外からの移民規制に傾きます。
たいする労働党は、ブレア党首(1994)以来の New Labour, しかも Ed Miliband 党首は一時は moral economy を唱えていました。首都圏での善戦をはじめ、得票率は 1.5%増で悪くはない。ところが26議席も減らした。
なぜか? 歴史的に地盤としていたスコットランドで、社民路線のSNPに支持をさらわれてしまったから。これはスコットランド独立をめざすかどうかという国制(constitution)問題というよりも、現キャメロン政権(のあらゆる政策)にたいして明白な批判を呈示しているSNPへの支持という政治力学(politics)の問題なのではないかと思われます。
SNP(スコットランド国民党)はスコットランド以外で立候補せず、また近々にはスコットランド独立をはかるつもりもなく、むしろ連合王国政治におけるスコットランド地域の発言力をます、ということが目標です。
元来、グラッドストン、ロイドジョージ以来のリベラルと、80年代の労働党から分離した社会民主同盟がくっついてできた「自由民主党」(Liberal Democratic)-日本の自民党とは成り立ちが全然ちがいます- ですが、2010年から保守党と連立政権を維持して、不本意な「共犯者」の5年間を過ごしてきた結果、有権者から見捨てられたわけです。
3. 結局、これは推測ですが、
イングランドの従来の自民党(LD)支持者が → 保守党へ
スコットランドの従来の労働党支持者が → SNPへ
という大きな地滑りが生じ、スコットランドで労働党の死票がふえた、ということでしょう。選挙戦中には「接戦になる」という予想がもっぱらだったので、それに対応して SNPは anti-Tory, 保守党を連立政権から排除するために何でもすると明言し、つまり労働党=SNPの連立を予期していました。
蓋を開けてみると、232(Lab)+56(SNP)=288、これに8(LD)を足しても全然およばない。(スコットランドとロンドン以外では)反保守党勢力の完敗です。
保守党の one nation をかかげるキャメロン首相にとって、ウィリアム王子の姫シャーロットが選挙戦中に生まれ、大々的に報じられた、というのは、願ってもない追い風となりました。ナイーヴな愛国の国民は、王家とキャメロン一家と現政権下の繁栄を支持して投票場に行ったわけです。
投票率はUK全体で66.1%、スコットランドでは71.1%でした。【総選挙で66%すなわち3分の2が投票に行くというのは、現日本ではありえない数値ですが、イギリスでは伝統的に7割をこえていました。日本人よりはるかに political な nationです! ∴英国民としては(Scottish politics 以外では)、あまり燃える要素がない総選挙だったということになります。】
数値などデータは BBC および The Guardian(どちらも Online)、そして分析の前提は『イギリス史10講』(岩波新書)によります。
選挙予報・世論調査の信頼性という、もう一つの考えるべきイシューも露呈した総選挙でした。
2015年5月6日水曜日
SNP とは「スコットランド民族党」なのか?
否。
日本のマスコミは(新聞協会かどこかで決めたのでしょうか)5月7日の総選挙がらみで「スコットランド民族党」というのが存在するかのような報道が繰りかえされています。これは大間違い。
Scottish National Party とは、その公式のサイトには「スコットランド独立をめざす社会民主主義の政党です」とあり、民族うんぬんはいっさい言っていません。
→ http://www.snp.org/about-us
1) つまり右翼ではなく、社民の政党で、現保守党=自民党連立政権に反対する、というのが一番のポイント。選挙結果により連立が組まれる場合も、anti-Tory (トーリ党を政権に入れない)という方針で動く、と明言しています。
2) 雇用、福祉と地方自治、減税、環境、EU堅持を訴え、緊縮財政・ネオリベラリズムに反対しています。
→ votesnp.com/docs/manifesto.pdf
3) ロンドンの現 Westminster politics に反対してまずはスコットランドの発言力を増す、というのが第1の political な課題。次いで第2に(1707年に消滅した)スコットランド国の再生・独立、という constitutional な目標をかかげています。
すでに1999年からエディンバラに議会(Scottish Parliament)は存在し、機能していますが、完全独立国家になろうとしているわけです。(カナダやニュージーランドと同じような)英国王を元首としていただく、英連邦内の主権国家になろうという主張です。
4) その結果(おそらくは同君連合という関係になる)イングランド王国もまた改めて、手続きをへて独立国家となるのかどうか、ウェールズはどうするのか、は礫岩政体の、今後の重大・国制イシューですね。
∵なにより、大前提ですが、「スコットランド民族」というものは存在しません。ハイランドのケルトの血が騒ぐとかいっても、ロウランドは全然ちがうし、スコットランド住民には黒人もアジア系も多い。スコットランド国民(Scottish nation)という政治的な国民の党なのです。
∴結論:SNP の正確な訳は「スコットランド国民党」です。21世紀だから多民族党、というのではなく、Nation を民族と訳すことに無理がある。「国民」と訳しましょう。 ちなみに「アイルランド民族」というのも存在しません! すでに19世紀からアイルランド自治をかかげた Irish National Party 「アイルランド国民党」(80議席ほど)が、やはり二大政党政治のなかでキャスティング・ヴォートを握っていました。グラッドストンの時代にも理念型的な二大政党政治があったわけではありません。 cf. 『イギリス史10講』pp.227, 244-6, 267-8, 277-8.
歴史学や政治学や社会学における常識を、マスコミの皆さんも考慮にいれて、尊重してくださいね。マスコミ(デスク)の知的水準が問われますよ。
日本のマスコミは(新聞協会かどこかで決めたのでしょうか)5月7日の総選挙がらみで「スコットランド民族党」というのが存在するかのような報道が繰りかえされています。これは大間違い。
Scottish National Party とは、その公式のサイトには「スコットランド独立をめざす社会民主主義の政党です」とあり、民族うんぬんはいっさい言っていません。
→ http://www.snp.org/about-us
1) つまり右翼ではなく、社民の政党で、現保守党=自民党連立政権に反対する、というのが一番のポイント。選挙結果により連立が組まれる場合も、anti-Tory (トーリ党を政権に入れない)という方針で動く、と明言しています。
2) 雇用、福祉と地方自治、減税、環境、EU堅持を訴え、緊縮財政・ネオリベラリズムに反対しています。
→ votesnp.com/docs/manifesto.pdf
3) ロンドンの現 Westminster politics に反対してまずはスコットランドの発言力を増す、というのが第1の political な課題。次いで第2に(1707年に消滅した)スコットランド国の再生・独立、という constitutional な目標をかかげています。
すでに1999年からエディンバラに議会(Scottish Parliament)は存在し、機能していますが、完全独立国家になろうとしているわけです。(カナダやニュージーランドと同じような)英国王を元首としていただく、英連邦内の主権国家になろうという主張です。
4) その結果(おそらくは同君連合という関係になる)イングランド王国もまた改めて、手続きをへて独立国家となるのかどうか、ウェールズはどうするのか、は礫岩政体の、今後の重大・国制イシューですね。
∵なにより、大前提ですが、「スコットランド民族」というものは存在しません。ハイランドのケルトの血が騒ぐとかいっても、ロウランドは全然ちがうし、スコットランド住民には黒人もアジア系も多い。スコットランド国民(Scottish nation)という政治的な国民の党なのです。
∴結論:SNP の正確な訳は「スコットランド国民党」です。21世紀だから多民族党、というのではなく、Nation を民族と訳すことに無理がある。「国民」と訳しましょう。 ちなみに「アイルランド民族」というのも存在しません! すでに19世紀からアイルランド自治をかかげた Irish National Party 「アイルランド国民党」(80議席ほど)が、やはり二大政党政治のなかでキャスティング・ヴォートを握っていました。グラッドストンの時代にも理念型的な二大政党政治があったわけではありません。 cf. 『イギリス史10講』pp.227, 244-6, 267-8, 277-8.
歴史学や政治学や社会学における常識を、マスコミの皆さんも考慮にいれて、尊重してくださいね。マスコミ(デスク)の知的水準が問われますよ。
2015年4月19日日曜日
『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015)
こういうタイトルで「あたかも12名のオムニバス授業の渾身の一コマの記録」のような本を作りましょう、と呼びかけたのが 2012年5月でした。共著者の皆さん、公私ともに多事多端の折から、力作の原稿が出そろうまで難儀をしましたが(校正もなかなかたいへんでした)、最初の企てどおり12名の力作ぞろいの共著としてちょうど3年目に刊行されます。いま見ている巻末・奥付のゲラ刷りに 5月20日発行と記されています。
最初の「序」では「‥‥全体をとおして、時代によって変化する人と人の結びつきやアイデンティティ、政治や世界観をめぐって、ヨーロッパにかかわる世界の歴史のポイントを考える連続講義として」企画、執筆された、としたためられ、12の章は次のとおりです(すべてに副題が添えられていますが、ここでは省きます)。
1.佐藤 昇 「建国神話と歴史」
2.千葉敏之 「寓意の思考」
3.加藤 玄 「国王と諸侯」
4.小山 哲 「近世ヨーロッパの複合国家」
5.近藤和彦 「ぜめし帝王・あんじ・源家康」
6.後藤はる美「考えられぬことが起きたとき」
7.天野知恵子「女性からみるフランス革命」
8.伊東剛史 「帝国・科学・アソシエーション」
9.勝田俊輔 「大西洋を渡ったヨーロッパ人」
10.西山暁義 「アルザス・ロレーヌ人とは誰か」
11.平野千果子「もうひとつのグローバル化を考える」
12.池田嘉郎 「20世紀のヨーロッパ」
計247ページ、「入門書の顔をした小論文集」のような大学テキストです。図版や参考文献表もしっかり備わっています。 山川出版社から本体価格は2300円と聞いています。カバーのデザインは決まっていますが、その校正刷りはまだ見ていないので、色の具合などどぎつくないか、ドキドキして待っています。 → 追記:出来上がりは、シャープで端整な装丁となりました。物理的にあまり重くないというのも良かった!
ぜひ大学(および大学院)の授業でもご活用ください。請うご期待。
2015年4月18日土曜日
ピケティの仕事
The History Manifesto (2014)も明示的に The Communist Manifesto (1848)のパロディ、あるいは「虎の威を借りて」登場したマニフェストといった側面がありました。別にこう言ったから The History Manifesto の価値が貶められるとは思いません。若い人に『共産党宣言』って何だ?と喚起する波及効果もあるし‥‥
Thomas Piketty, Le Capital au XXIe siècle (2013; みすず書房 2014)もまた Das Kapital (1867)を21世紀的に横領した命名です。でも、これは非難や否定ではない。
→ http://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html
ピケティの『21世紀の資本論』が力強く目覚ましいのは何故か。けっして一部でいわれているような
・「格差」の深刻さ/不可避性を明らかにした、とか
・日本の将来のための有効な処方箋が示されている、とか
いったことではない。ピケティは社民党や共産党の広告塔ではありませんし、アベノミクスの批判者として登場したのでもありません。
12月~3月くらいの新聞雑誌・テレビにおけるすごいブームが、年度替わりとともに後退したかにも見えますが、これはマスコミの浮気心の証拠ではあれ、ピケティの仕事の限界でも何でもありません。
むしろ、学問的に彼の方法と議論がすばらしいのは、
1) 短期でなく歴史的に長期の(3世紀にわたる)データを集積し分析することによって、クズネッツの短期分析の誤り(時代に拘束された楽観論)を明らかにし、それまで見えなかった長期変動と法則性を見えるようにしてくれたこと【この点で、マルクス『資本論』における議会刊行物を使った本源的蓄積[原蓄]の長い歴史よりもずっと計量的で説得的な議論を呈示している】;
2) 「国民経済の型」があるとしても、それは50年以上もすれば変わりうることを示し;
3) 1930年代~70年頃までに(万国共通とはいわないが)多くの国で特異な民主的移行期を経験したこと、を説得的に明らかにしているからでしょう。
ぼくなら、経済分析における(久々の)歴史的dimensionの復権、or 歴史学における経済分析の再登場、or もっと端的に歴史学のルネサンスといいたい。
なお以上に加えて、4) 付随的に、ニューディール期からヴェトナム戦争期までの間に成長し、知的形成をおこなったインテリたち(民主的知識人)の存在被拘束性があばかれ;丸山真男、岡田与好、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬、和田春樹から、ずっと下って、近藤にまでいたる、知と発言が相対化されているのではないでしょうか? 民主主義の歴史化。日本現代史の相対化。そういったすごい仕事だと受けとめました。
学問は、その政策的な提言・有効性で評価するのでなく、その知的なインパクトで評価したい。
Thomas Piketty, Le Capital au XXIe siècle (2013; みすず書房 2014)もまた Das Kapital (1867)を21世紀的に横領した命名です。でも、これは非難や否定ではない。
→ http://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html
ピケティの『21世紀の資本論』が力強く目覚ましいのは何故か。けっして一部でいわれているような
・「格差」の深刻さ/不可避性を明らかにした、とか
・日本の将来のための有効な処方箋が示されている、とか
いったことではない。ピケティは社民党や共産党の広告塔ではありませんし、アベノミクスの批判者として登場したのでもありません。
12月~3月くらいの新聞雑誌・テレビにおけるすごいブームが、年度替わりとともに後退したかにも見えますが、これはマスコミの浮気心の証拠ではあれ、ピケティの仕事の限界でも何でもありません。
むしろ、学問的に彼の方法と議論がすばらしいのは、
1) 短期でなく歴史的に長期の(3世紀にわたる)データを集積し分析することによって、クズネッツの短期分析の誤り(時代に拘束された楽観論)を明らかにし、それまで見えなかった長期変動と法則性を見えるようにしてくれたこと【この点で、マルクス『資本論』における議会刊行物を使った本源的蓄積[原蓄]の長い歴史よりもずっと計量的で説得的な議論を呈示している】;
2) 「国民経済の型」があるとしても、それは50年以上もすれば変わりうることを示し;
3) 1930年代~70年頃までに(万国共通とはいわないが)多くの国で特異な民主的移行期を経験したこと、を説得的に明らかにしているからでしょう。
ぼくなら、経済分析における(久々の)歴史的dimensionの復権、or 歴史学における経済分析の再登場、or もっと端的に歴史学のルネサンスといいたい。
なお以上に加えて、4) 付随的に、ニューディール期からヴェトナム戦争期までの間に成長し、知的形成をおこなったインテリたち(民主的知識人)の存在被拘束性があばかれ;丸山真男、岡田与好、柴田三千雄、二宮宏之、遅塚忠躬、和田春樹から、ずっと下って、近藤にまでいたる、知と発言が相対化されているのではないでしょうか? 民主主義の歴史化。日本現代史の相対化。そういったすごい仕事だと受けとめました。
学問は、その政策的な提言・有効性で評価するのでなく、その知的なインパクトで評価したい。
2015年4月15日水曜日
The History Manifesto
Guldi & Armitage, The History Manifesto (Cambridge U.P., 2014)
ですが、Creative Commons ということで、遅まきながらPDFをダウンロードしました。
→ http://historymanifesto.cambridge.org/
このページからコロンビア大学でのシンポジウム(conversation!)の動画も視聴して、アメリカの歴史家たちの知的健全さを再認識した次第。American Historical Review でもさっそく議論しています。
Thinking about the past in order to see the future ということ、あるいは
we are all in the business of making sense of a changing world というのが、歴史家の、忘れてはならぬ、自明の仕事・ミッションだとくりかえし説いています。
せいぜい5年計画、あるいは次の学長選挙までの任期の範囲内でしかものを考えない、今日の公共言説における歴史的=長期的発想の欠如から説きおこし、歴史の復権、長期的な big questions の大切さをとなえ、歴史学教育の細分化に警鐘をならします。
最初、索引をみて Hobsbawm, Tawney, Thirsk などが当然ながら見えますが、E.P. Thompson がなく、おや?と思いましたが、本文ではしっかり 41ページあたりで触れています。
歴史学者およびインテリの世代論(68年~70年代論)でもあり、そこで『歴史として、記憶として』も想起しましたが、後者の場合はセンチメンタルな懐古で、前を向いていなかったような気がします。
本書についてはピケティ先生も推奨者に名を連ねていて、さもありなんと思いました。
ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房、2013)とも大前提は共通しますが、ルカーチよりもはるかにディジタル時代にたいして前向きで積極的です。
全体にむしろ、日本の歴史学界、人文学の現状への警鐘・警告ととらえるべきかもしれない。
ですが、Creative Commons ということで、遅まきながらPDFをダウンロードしました。
→ http://historymanifesto.cambridge.org/
このページからコロンビア大学でのシンポジウム(conversation!)の動画も視聴して、アメリカの歴史家たちの知的健全さを再認識した次第。American Historical Review でもさっそく議論しています。
Thinking about the past in order to see the future ということ、あるいは
we are all in the business of making sense of a changing world というのが、歴史家の、忘れてはならぬ、自明の仕事・ミッションだとくりかえし説いています。
せいぜい5年計画、あるいは次の学長選挙までの任期の範囲内でしかものを考えない、今日の公共言説における歴史的=長期的発想の欠如から説きおこし、歴史の復権、長期的な big questions の大切さをとなえ、歴史学教育の細分化に警鐘をならします。
最初、索引をみて Hobsbawm, Tawney, Thirsk などが当然ながら見えますが、E.P. Thompson がなく、おや?と思いましたが、本文ではしっかり 41ページあたりで触れています。
歴史学者およびインテリの世代論(68年~70年代論)でもあり、そこで『歴史として、記憶として』も想起しましたが、後者の場合はセンチメンタルな懐古で、前を向いていなかったような気がします。
本書についてはピケティ先生も推奨者に名を連ねていて、さもありなんと思いました。
ルカーチ『歴史学の将来』(みすず書房、2013)とも大前提は共通しますが、ルカーチよりもはるかにディジタル時代にたいして前向きで積極的です。
全体にむしろ、日本の歴史学界、人文学の現状への警鐘・警告ととらえるべきかもしれない。
2015年4月8日水曜日
作為の過ぎる ダウントン・アビ
毎日曜夜の Downton Abbey について、前にも言及しました(2014年12月8日)。
http://kondohistorian.blogspot.com/2014/12/downton-abbey.html
第一次世界大戦をはさむ変動の時代のヨークシャ貴族の館をセンチメンタルに描く period melodrama ということで、これまで見てきましたが、回を重ねるごとに、ちょっと盛りだくさん過ぎて、興がそがれます。登場人物が(制作側の理由で)都合よく死にすぎだし、また彼・彼女の気持は(視聴者の気を持たせるために?)フワフワと揺れすぎ。
作者 Julian Fellowes は、時代考証もたっぷり、何十組の男女の交錯をしっかり描いたと自信をもっているらしいが、男女関係も、投資の破綻と相続信託の形成、所領経営も次から次に転回させているうちに coherence がなおざりになってしまう。
この日曜には三女 Sybil が娘を産むとともに死にましたが、やがて長女 Mary の出産後に Matthew も事故死するそうです。二女 Edith はさらに男運のなさに翻弄されるらしい。悪役従者 Thomas の度重なる非行にもかかわらず、彼にたいしてグランサム伯夫妻が甘いのはよく分からない設定だし-いくら good, old days とはいえ-、せっかく出獄する Bates と Ana を襲うさらなる不幸の連続も、やりすぎです。
結論として、かなり通俗的な視聴率ねらいのメロドラマで、「‥‥アイルランド、カトリック、ロイドジョージ内閣といった同時代史をまったく知らないシロートにも、衣装や有職故実が楽しめる」というねらいの21世紀的な「作り物」かな。Yorkshire accentをあまり強調すると、アメリカの視聴者にさえ英語が分からなくなってしまう、ということか、ローカルな労働者以外は、かなり標準語アクセントです。
そもそも NHKの放映でさえ、複数のエピソードが細切れに同時進行して楽しめないが、もともとイギリスのITVで放映されたときには、さらにコマーシャルが話の進行を分断していたわけだから、インテリには耐えがたい連ドラだったかもしれない。
http://kondohistorian.blogspot.com/2014/12/downton-abbey.html
第一次世界大戦をはさむ変動の時代のヨークシャ貴族の館をセンチメンタルに描く period melodrama ということで、これまで見てきましたが、回を重ねるごとに、ちょっと盛りだくさん過ぎて、興がそがれます。登場人物が(制作側の理由で)都合よく死にすぎだし、また彼・彼女の気持は(視聴者の気を持たせるために?)フワフワと揺れすぎ。
作者 Julian Fellowes は、時代考証もたっぷり、何十組の男女の交錯をしっかり描いたと自信をもっているらしいが、男女関係も、投資の破綻と相続信託の形成、所領経営も次から次に転回させているうちに coherence がなおざりになってしまう。
この日曜には三女 Sybil が娘を産むとともに死にましたが、やがて長女 Mary の出産後に Matthew も事故死するそうです。二女 Edith はさらに男運のなさに翻弄されるらしい。悪役従者 Thomas の度重なる非行にもかかわらず、彼にたいしてグランサム伯夫妻が甘いのはよく分からない設定だし-いくら good, old days とはいえ-、せっかく出獄する Bates と Ana を襲うさらなる不幸の連続も、やりすぎです。
結論として、かなり通俗的な視聴率ねらいのメロドラマで、「‥‥アイルランド、カトリック、ロイドジョージ内閣といった同時代史をまったく知らないシロートにも、衣装や有職故実が楽しめる」というねらいの21世紀的な「作り物」かな。Yorkshire accentをあまり強調すると、アメリカの視聴者にさえ英語が分からなくなってしまう、ということか、ローカルな労働者以外は、かなり標準語アクセントです。
そもそも NHKの放映でさえ、複数のエピソードが細切れに同時進行して楽しめないが、もともとイギリスのITVで放映されたときには、さらにコマーシャルが話の進行を分断していたわけだから、インテリには耐えがたい連ドラだったかもしれない。
2015年3月11日水曜日
BL の撮影解禁
12月19日のアナウンスに続いて、ついに MSS, Rare Books も! Asian ということは India Office Records もという意味ですね!
英国図書館(BL)を史料館として利用している者にとって、使い勝手が、大転換するということで、うれしい!
March 2015
Reader Service message
Self-service photography in our Reading Rooms
Dear Kazuhiko,
Following the initial roll-out of self-service photography http://email.bl.uk/In/77814854/0/ImXcnYgrN9plRfBAFSNb4zKFlqr1d9OGegMbENZPiJm/ in several of our Reading Rooms in January, we are pleased to tell you that this facility will be extended to the following Reading Rooms in March 2015:
• Asian & African Studies
• Business & IP Centre
• Manuscripts
• Maps
• Rare Books & Music
Our curators have been working hard behind the scenes to identify material that can be photographed. With over 150 million items in our collections this is a huge task that will take some time to complete. From 16 March 2015 a significant amount of additional material will be available for photography for personal reference purposes and curators will continue to identify more material appropriate for inclusion.
Items which cannot be photographed include (but are not limited to): those that have not yet been assessed as appropriate for photography; restricted or special access material; items at risk of damage; and items where there may be data protection, privacy or third party rights issues. This will be a small proportion of our overall collections. Of the material ordered across all of our Reading Rooms in 2014, more than 95% of those items would now be available to photograph.
You may use compact cameras, tablets and mobile phones to photograph material and any copies made must not be used for commercial purposes. As with our current copying services, copyright, data protection and privacy laws must always be adhered to.
Before using your device to take photographs, we kindly ask that you view our Self-service Photography Video http://email.bl.uk/In/77814855/0/ImXcnYgrN9plRfBAFSNb4zKFlqr1d9OGegMbENZPiJm/ This video outlines the new policy, along with information on copyright, data protection and collection handling.
A handout, available in the Reading Rooms, explains this facility and if you need further advice or assistance, please speak to our Reading Room staff.
Best wishes,
Reader Services
英国図書館(BL)を史料館として利用している者にとって、使い勝手が、大転換するということで、うれしい!
March 2015
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Dear Kazuhiko,
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