2016年8月28日日曜日

成瀬 治 先生(1928-2016)


 日曜未明のメールで第一報を知りましたが、別のソースから確認をとるのにすこし時間がかかりました。
「Landständische Verfassung考(上・中)」(『北海道大学文学部紀要』)、『岩波講座 世界歴史』14巻、17巻(1969-70)、そして吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)などなどで研究史を画した成瀬先生、翻訳もたくさんありますが、闘病中のところ、26日に亡くなったとのことです。88歳。
7月末に『礫岩のようなヨーロッパ』をお送りしたら、奥様からお変わりなく過ごしておられるというお葉書をいただきましたし、2週間前のケインブリッジでは、成瀬 → 二宮 → われわれ、といった(ねじれた?)系譜をヨーロッパの学者たちと議論していましたから、. . . 残念、としか言葉がありません。
ぼくにとっては(先生にとっても!)本郷西洋史最初の演習は Rosenberg, Bureaucracy, aristocracy and autocracy: the Prussian experience 1660–1815; 続いて講義はフランス・アンシァンレジームにおける impôt (アンポ税制)史で -「アンポ、反対。闘争、貫徹。」の時代だったので - 法文一号館の教室に冷たい空気が流れていたような気がしました。大学院に入ったら演習は Habermas, Strukturwandel で、こういった点にも、時代の表面に流されることなく、見るべき所をしっかり見ている方だったことが現れています。ただし、68-70年の東大内の政治力学に翻弄された面もあったでしょうか。すこし才能をもてあまし気味のところも。
 学問的な評価という点では、『礫岩のようなヨーロッパ』序章(pp.3-24)をご覧ください。
 ご冥福をお祈りしております。

2016年8月24日水曜日

先行作品 と 自分の道

National Gallery にて Painters' Paintings という特別展をやっていますね。
http://www.nationalgallery.org.uk/whats-on/exhibitions/painters-paintings

要するに、ヴァンダイク以来、リュシアン・フロイトにいたる画家が、先行画家の作品をどのように意識しながら創作し、自分を模索したか、ということがテーマで、ほんのすこしでも「蔵書」をもちつつ仕事をするわれわれ学者・研究者・物書きにとって、他人事ではない展示。考えさせる企画です。
歴史は科学か騙(かた)りか、といった抽象的な問題の建てかたにはぼくは反対です。文句なしの学問であり、アートです。じつは先週のケインブリッジでもワークショップが終わってから、日本人6名の間で、先行研究と自分の仕事との「継承と差別化」、言い換えると「先生」を尊重しつつしかし独自の道を歩む、という点で盛り上がりました。驕慢になるというのとは違いますよ。「絶対主義」 → 「市民革命」 → 「民族独立」といったコミンテルン史観粉砕!ということでも。
研究史とか intellectual history とか特殊化することなく、自分の問題として考えるべき論点だと思いました。

2016年8月23日火曜日

礫岩のようなイギリス


今日午後に、BLのカフェにて旧知の3氏に遭遇しました。
Cambridge Workshop について質問がつづき、「礫岩」とは互いに異質だということじゃない、「Kさんとぼくは性格も出身も違うが、友人である。なぜか?」
という問題だ、と言ったら、半分わかってくれた模様です。
ぼくは学生時代から反nationalist です。「違うから独立したい」というのは1919年の論理で、21世紀の将来は見通せない。「礫岩のような」議論は、後ろ向きでなく、前向きの志から来ています。
『イギリス史10講』について2014年初めの『朝日』の書評欄が、イングランド・スコットランド・ウェールズの違いにも目配りした概説‥‥ といったふざけた紹介をしていました。結局は受け手の問題で、「こと」を理解できていない人には、なんともコメントのしようがなくて誤魔化したのでしょう。

なおまた 北ウェールズ行に関連しても質問がありました。
ウェールズとイングランドの関係は、琉球や台湾やでなく、関西と関東の関係だ、と言ってみたら、これまた半分納得してくれました。
景観も、文化と自尊心、言語と信教も異なる。このことを認めなくちゃ話は始まらない。しかし独立したいとは考えていない‥‥。
サイダー(Seidr)を昨日お昼に飲みました。

2016年8月21日日曜日

コンウィ城:カムリの怨念

現ウェールズはバイリンガルですが、今日は北ウェールズ・ランディドノー経由でコンウィ城に参りました。
1280年代、90年代、エドワード長脛王の征服戦争の拠点であったばかりでなく、
いまやUNESCO世界遺産にまで指定されて、けさ乗ったタクシー運転手などは
その圧倒的な迫力を自慢しつつ、クソッと3度くらい繰り返す、そういった複合感情の凝縮した歴史遺産です。
(カムリの怨念のこもった?)強風に命の危険も感じつつ、城=要塞を歩いて回りました。
エドワードの「ゆうれい」も目撃。cf.『イギリス史10講』pp. 41, 54-56, 59.
下の男は気付いていないのかもしれません。

最後は、コンウィの蜂に襲われて、あ痛!退散とあいなりました!

2016年8月18日木曜日

A Conglomerate Europe

今日は第一日目、Chapel Court Room にて
Rethinking early modern European states
12名の intensive discussion というのもなかなか疲れるが、いいですね。
夏のケインブリッジにてコーヒーブレイクも外で。
夜は Brexit についても十分に話ができました。
今晩は晴れて満月。
韓国の金さん、李さんとも去年の大阪AJC以来1年ぶりに会いました。
明日も天気は良いようです。

2016年8月16日火曜日

何年ぶりのケインブリッジ

暑い日本からロンドン経由でケインブリッジへ。
昨夕、こんな風景の中に身を投じました。
晴れて暑いとはいえ、室内で半袖でいるのは寒い。
夏をこうした環境で過ごせるかどうかは、長い間には決定的な差異となるのかも。
左にスーパーのセインズベリ、右に(ジョギング中の男の脇にみえる板戸を押して入ると)Sidney Sussex College. 16世紀創立、クロムウェルの学寮、表の雑踏とは別の世界です。ここで A Conglomerate Europe: Rethinking the early modern European states を明日から催します。

2016年8月8日月曜日

天皇陛下の2つのボディ

 今日午後には今上天皇のお言葉が放送されました。ぼくも3:00から見て聴きました。
 象徴天皇の誠意があきらかな、よく練られたお話で、政治理論的・歴史的には、近現代の君主の「2つのボディ」が明白に現れていました。第1の心と体をもつご当人の気持、そして第2に「国政にたいする権能をもたない」象徴としての法人格。その2つの間のずれが糊塗できないところまできたということでしょう。

 行政およびマスコミの討論はこれからでしょうが、もしカントロヴィツの「2つのボディ」論を理解しないまま近現代天皇について発言するとしたら、それは愚かなナンセンスです。行政もマスコミも賢明になりましょう。歴史学も人文学も、物理学や生物学とおなじく、実学の極みです。その成果を軽んじると、ニワトリや魚群の行動と区別のつかない、条件反射になってしまいます。

イチロー 3000th career hit


 このところ(7月の終わりから)イチローと一緒に調子が出ないような気分でいましたが、ようやく、このとおり文句なしの3塁打で 3000th career hit を決めてくれました。オリンピックのどの金メダルよりも価値ある記録かもしれない。
しかも日本の新聞(電子版)によると、
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 試合後、イチローは「3千を打って思い出したのは、このきっかけをつくってくれた(元オリックスで2005年に死去した)仰木彬監督のこと」と語った。記録達成直後のベンチに座ったイチローが涙を流す姿を中継映像がとらえていた。
「達成した瞬間にチームメートやファンが喜んでくれた。僕が何かをすることで他人が喜んでくれることがなにより大事だと再認識した」。
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 そうなんです。42歳の生き方そのものが、人びとをどれだけ前向きに、幸せにしてくれることか。

2016年8月5日金曜日

校正おそるべし

 『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)につき、ただちに何人もの方々が感想や印象を書き送ってくださっているところです。有り難うございます。8月17~18日には、ケインブリッジにて、ちょっとしたワークショップを催し、ヨーロッパ・英国側の方々と討論してみます。

 本の仕上がりについて厳しい目を注いでくださる読者には感謝しつつ、「校正おそるべし」との感を深くしています。
同時に、日本エディタースクールの代表、吉田公彦さんのことを想い起こしました。
 1970年代に『社会運動史』という同人誌を編集刊行していましたが、
その4号までの仕上がりをみて(フランス現代史家吉田八重子さんの夫君として)座視していられないという御気持になったのでしょう。
吉田さんは、ぼくと相良匡俊さんを含む数人のシロート院生・助手をある日曜に呼んで、エディタースクール(市ヶ谷のお堀を望む古い建物にありました)の2階の教室で、校正、版面制作について、みっちり教えてくださいました。
要は『校正必携』(日本エディタースクール出版部)の考え方、心構えの基本でした。

・植字工(オペレータ)は著者の秘書ではないのだから、こちらの癖も専門も知らない。だれにも分かる明快な指示をしなくてはいけない。
・たくさん訂正、指示を出してもよい。ただし、訂正や、(打ち消し線、)は正確にドコからドコまでか、( )や ’、’を含むのか含まないのか、欧字の場合はTなのかtなのか、曖昧さを残してはいけない。
・誤解の余地が少しでもあるなら、赤字とは別に、余白に黒鉛筆で(このようにと)しあがり例を記す。横文字・アクサン・ルビの場合は必須。
・校正記号は、『校正必携』の規則に従う。

【・版面の作り方、透明な定規でタテヨコ0.1mmまで計測する、といったことまで教えていただいたので、後々、出版社のプロの方々とは、話が通じやすかった! そのころまともな出版社の編集者は、日本エディタースクールの夜間講座などに通って修了証を取得していました。】

 この半日トレーニング(速習コース)のお陰で、以後ぼくの校正は(3色くらいを使用したうえ)鉛筆の指示も加えて、明快なので、シロート眼には「多様性」「複合性」がめだつかもしれませんが、どの出版社・担当者からも、不評だったことはありません。
 いまやオペレータがコンピュータ制作する時代には、大昔の話かもしれません。

2016年7月21日木曜日

『礫岩のようなヨーロッパ』 山川出版社

 7月下旬とはいえ、今の大学では授業や校務が続きます。
そうしたなかに涼風がさわやかに吹きわたるように
古谷大輔・近藤和彦(編)『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)が公刊されました。本体価格 3,800円
 写真と目次は → こちら

出版社は、刊行前からの評判におどろき、急ぎ増刷りしたとのこと。一般書店配本は週末の模様です。

 じつは、残念ながらすでに誤植を発見!
p.129 下から3行目の見出し
  礫岩のような近代国家の集塊性(誤) → 礫岩のような近世国家の集塊性(正)
p.131 上から13行目
  三者は,信教国家化的な状況‥‥(誤) → 三者は,非信教国家化的な状況‥‥(正)

 校正ゲラが行き交うなかで事故が起こってしまったようです。さっそく訂正スリップを挿入して対応します。

 このことはさておき、全体はすばらしい出来上がりです!
内容の充実度にくらべて、案外に厚くない。横組でエレガントな仕上がり。
註と索引のポイントが小さいので、v + 223 pp. に内実がコンパクトにぎゅっと収まっている感じ。

 あらためて仕上がりを手にして、この本の価値は3つあるなと思います。
第1に、第Ⅰ部として、1章(ケーニヒスバーガ)・2章(エリオット)・3章(グスタフソン)の翻訳章が本体の半分近くを占めて、なにより重要な3論文の良心的な邦訳(訳註もふくむ)を提供することに、この出版の意義があると明示しているかのごとくです。
第2に、第Ⅱ部として5人の日本人の研究論文が呼応するように続き、近世ヨーロッパ史の前線がよく見えます。
第3に、第Ⅰ部と第Ⅱ部をはさむように、序章索引が、それぞれ本の始まりと終わりから各部分の有機的なつながりと構成を示し、担保しています。
ちなみに索引の最初には、こう記しました(p.210)。

 「本書はまえがきにも記されたとおり数年にわたる共同研究の所産であり、表記と用語についても討論と調整を重ねてきたが、礫岩のような政体をあつかう彩りゆたかな議論にたいして形式的な統一を強いて無理が生じるのは避けたい。文脈により「同君連合」や「複合君主政」や「礫岩」が、そして「主権」と「絶対主義」が共存しているのには、それなりの理由がある。
 索引は悉皆性よりも有用性を優先して作成した。そのさいの留意点は次のとおりである。[中略]複合君主は煩瑣になりすぎない範囲で明示した。また「王による支配/統治」「議会」「君主」「君主政」「国民国家」「従属的な合同」「神聖ローマ帝国」「政治共同体と王による支配/統治」「政治的」「対等な合同」「帝国」「ハプスブルク(家/朝)」「複合国家」「モナルキア」「礫岩」等々といった重要キーワードについては、その語義や用法を述べたページを斜体(イタリック)で示した。」

 各部分のそれぞれの価値は言うまでもなく、それと同時に、論文集としての全体的なまとまりとダイナミクスは、自画自賛ながら、数年間におよぶ古谷科研の全員の協力の賜物であり、研究会などで叱咤激励し協力してくださった関係者の皆さまのおかげです。
なおまた3月に山川出版社を退社なさった山岸美智子さんの全面的な支援(介護?)によって、これだけエレガントな本になったという事実は特記しておきたいことです。

(校務の洪水のあいまに)取り急ぎ、感想を申し述べました。

2016年7月12日火曜日

立正大学のPR

 昨夕、山手線の電車に乗り込んで、自然とドアの上方に目がゆき、びっくり。わが目を疑いました。立正大学の広告があるではないですか!

これまで地下鉄でもJRでも、新聞でも、他大学の(かならずしもよいとは限らない)広告を見るたびに、なぜわが立正大学はこういったPRに消極的なのだろう、と不思議に思っていました。東急・池上線の電車には車内広告があるらしいですが、あまりにもローカル。ぼく自身はまだ見たことがありません。

立正大学は今から30年ほど(?)前に経営的な失敗に遭遇してからは、アツモノに懲りて、「石橋をたたいて渡らない」経営方針で来ました。今では毎年発表される私学の財政収支の番付で、ベストテンどころかベスト3くらいにいつも着けているほどの黒字なのに、それを有効に使わないでいたのです。「カネの使い方を知らないコガネ持ち」。1968年まで学長をつとめた石橋湛山(1884-1973)に顔向けできない大学経営陣でした。
なにしろ日本で一番古いかもしれない高等教育機関(日蓮宗・飯高檀林、1580年)で、しかも立地は抜群。JR「大崎」駅には、山手線だけでなく、湘南新宿ラインが走り、隣の「品川」乗り換えで、東海道新幹線および総武線快速、上野東京ラインにも便利、ということで、神奈川県、埼玉県、千葉県からのアクセスは抜群によいのです。静岡県、茨城県、群馬県から毎日通学している学生も少なくありません! 山手線沿線の私学というだけなら、いくつもありますが、立正ほどにアクセスのよい大学は他にあるでしょうか? これに都営浅草線の「五反田」、池上線の「大崎広小路」も加えてみると、徒歩数分の駅が3つあって、これは他もうらやむ「資源」です。
さらに去年から、付属中高の移転にともない、品川キャンパスが広く、きれいになりました。山手通りも歩道がたいへん広く歩きやすくなっています(自転車道が独立)。
これらが生かされることなく「知る人ぞ知る」で経過していたのです。

今年4月から新学長・齊藤昇さん(英米文学)に替わって、なにか変わるかな、と思っていたら、
1) だれもが知る看板教授をゲット:吉川洋さんを経済学部に、冨山太佳夫さんを文学部に迎えました。従来から心理学、社会学、有職故実で活躍なさっている方々は、いつもどおり、テレビ画面にご登場です。
2) 研究支援課を改組して「研究支援・地域連携課」とし、品川区とのコラボが増えました。ぼくの場合も、去年のある市民講座は条件が合わず辞退しましたが、今年秋のシェイクスピア公開講座には講師をつとめます。「<学者王ジェイムズ>と<インテリ王子ハムレット>」は10月12日(水)です。よろしく!
3) こうしたことの一環として、山手線の電車広告があったわけですね。内向きからの脱皮です。
とはいえ次の戦術がほしい! 中長期的には、なにより若手教員を大切に育てることかな。

ところで、立正大学と創価学会(創価大学)、そして立正佼成会とは、無関係です。非公式の交流さえないようです。ときに誤解もありますので、念のため。

2016年7月5日火曜日

Brexit と議会主権

 その後の経過を見つめつつの考察です。マスコミに載る多くの論評よりは、おのずから歴史的で、すこし深みのある考察となります。

A. レファレンダムとはそもそも「特定問題についての有権者の意向伺い」なので、最終的な決定は、議会で首相が何をどう言うかにかかっています。6月23日のレファレンダムの無視ややり直しはありえないとしても、国民総懺悔で、「ご免なさい、軽率でした」とEUメンバーの全国民に謝って歩く行脚、というのは理論的にありうる。しかし、現実的にはほぼない。ふざけんな、ということになります。

B. EUからの離脱(Brexit)を唱えていた二人、ボリス・ジョンスン(保守党)とナイジェル・ファラージ(UK独立党)の二人ともに、レファレンダム前にとなえていた主張=政策を撤回して、リーダーであることを辞退しました。- これが意味するのは、次の3点でしょうか。
 1) 二人ともに公党の指導者としては不適格で無責任なデマゴーグだった。
 2) そうしたデマゴーグに煽られてEU離脱に投票した52%の有権者の危うさ。
 3) そうしたデマゴーグの煽りを書き立てたマスコミの危うさ。

C. ただし、EU離脱に投票し、それに賛意を表明したマスコミ・政治家は全員デマゴーグか右翼かだったと捉えては、表面的すぎます。むしろ、残留派のキャメロン首相が情勢を見誤ったように、離脱派のインテリの一部もまた情勢分析を誤った。すなわち、イギリスの国制(国のしくみ)という観点から、「EU官僚の中央集権主義/高慢と偏見」なるものを牽制し、英国の議会主権を維持するために、究極は_僅差で_EU統合・残留することを望みつつ、その僅差が十分に「批判票」ないしは「牽制/交渉のためのプレッシャ」として政治的意味をもつことを期待した。ところが、意外に伸びて過半をこえてしまったというのもあったでしょう。

D. ここで想起するのは『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、7月刊)です。こんなことになるなら、3・4週間でも早く公刊されれば良かったですね。
 その第2章で「複合君主政のヨーロッパ」を論じるエリオットは、章の最後に、現在の問題を「統一性と多様性を願うというヨーロッパ史に通底していた‥‥気持を両立させるための試み」とまとめ、17世紀の司教の言を引用しつつ、「神が創造した世界では、より完全な統合をめざしても不完全なものにならざるをえない」と結論しています(p.74)。
 また第1章では、ケーニヒスバーガが「複合国家・代表議会・アメリカ革命」を論じつつ、ふつう議会主権というところを「絶対主義的な議会による統治」とまで言っています。近世の「ボダンの主権理論の勝利の行進」(p.45)のなかに、jura summi imperii としての議会主権が位置づけられているのです。そう、イギリス法では(アメリカや日本のような)三権分立ではなく、議会の絶対主義。王権も議会のなかにあってこそ機能します(Crown in Parliament)。だからこそ行政は議会に従属する議院内閣制だし、司法のトップは2009年まで議会(貴族院)に所属した。‥‥この事実と意味を日本のイギリス史や政治学は十分に認識し強調してきたでしょうか。
 専制、君主の絶対主義にたいする防衛、また千年をこえるイギリス史の経験にもとづく知恵、として表象されてきた、何にもまさるべき議会の絶対主義。これを、ヨーロッパ議会ならぬヨーロッパ行政官が陵辱するのは許しがたいと考えたのだとすると、今回のレファレンダムは、歴史的な意味も見え方も違ってきます。
 エリオット先生(1992)、ケーニヒスバーガ先生(1989)の慧眼に脱帽。【ページは、印刷所に入る前の責了版のものを示しています。】

2016年6月28日火曜日

@nifty掲示板

「@niftyレンタル掲示板」という名の掲示板 blog ですが、1999年末にHPを開設した当初から利用して参りました。今では「イギリス史 Q&A」に特化したサイトとして、細々と維持しています。 → http://kondo.board.coocan.jp/bbs/
ところがこのたび、@nifty側の都合で、今秋10月にてこれを閉鎖するとの通告を受けました。
 今こちらのサイト http://kondohistorian.blogspot.com/ が一方的発信を主目的としたブログである(メンバーおよび許可を受けた者のコメントが事後的に採用される)のと違って、あちらの coocan掲示板(bbs)は相互発信≒交流型で、それが2000年代半ばには楽しいフォーラムとして機能したと思います。最初のインストールからすでに16年、インタネット社会の定着局面における無料サーヴィス掲示板の使命は果たしたということでしょうか。
 ぼく自身は広告の介在、そしてスパムの処理を煩わしいと思っていましたから、その歴史を懐かしみつつも、coocan掲示板の消滅はしかたないかな、という気分です。
 閲覧の皆さま、ありがとうございました。

 こちら kondohistorian.blogspot.com については、変わりなく、よろしく!
 サイトへのアクセス数、特定投稿へのアクセス数などが分かるシステムになっていますが、最近では『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社)のページへの閲覧が22日昼からほんの5日で700アクセスです! この書への、そしてヨーロッパ史への、礫岩EUへの、関心の広さを印象づけられました。出版社も、イギリスのEUレファレンダムが「幸か不幸か、絶妙のタイミングになってしまいました」との所感とともに精勤してくださっています。

2016年6月24日金曜日

イギリス人民の愚かな選択

 今日午後の「西洋史料講読」の授業中に、EUの地図を見せながら「EUレファレンダムはつばぜり合いで、結果は予断を許さない」などと言っていたら、学生がスマホを見ながら「いまBBCで、離脱派勝利と出ました」! そんなことがあってよいのか。
驚きと困惑と憤りに近いものが、込み上げてきました。イギリスの良識が敗北したのです。
つづく「大学院演習」ではすこし落ち着いて感想を述べたあと、早々に退室して、BBCおよび新聞から情報収集し、考察しました。
ところで、大前提として、日本のマスコミは Great Britain を「大英帝国」と訳すので、問題を混線させます。過去の帝国も現今の英連邦も関係ない。ただ海峡の向こうの「ブリタニア大島」をさす地理的な用語です。
むしろ問題は、過去・現在・将来のイギリスを考えるにあたって「ヨーロッパ=コネクション」を重視するのか、「大西洋コネクション」にすがるのか。歴史家がずうっと議論してきた論点、イギリス人自身のアイデンティティ、そして国家戦略にかかわるイシューが、ここではっきりと問われたわけです【『イギリス史10講』(岩波新書)p. 9】。そして保守党、労働党、自由民主党、スコットランド党などなど、コモンセンスを備えた政党のキャンペーンにもかかわらず、短期的な感情(条件反射)に訴え、短いセンテンスで煽る右翼のキャンペーンが優ってしまった。これは民主主義の危機です。
レファレンダム=人民投票とは、はたして大衆社会において賢明な政治手法なのか、という根本問題にも思いいたります。

現在えられる情報から、こう言えます。今回のレファレンダムは、当然ながら一つの要因だけで決まったのではなく、
1) たとえばスコットランドおよび北アイルランドでは有権者が残留(Remain)を選んだのは、それぞれの地方の、年来の権限委譲(devolution)を求める動きからして自然な選択です。その系として、連合王国(UK)がヨーロッパ連合から離脱するなら、わたしたちはイギリスでなくヨーロッパ連合を選ぶ、という声で、十分に合理的。

2) イングランドの地方(provinces)が離脱≒独立を選んだ、ロンドンは残留を選んだ。あるいは老人は離脱派で、若者は残留派だ‥‥といった日本のマスコミの解説は表面的です。
それよりも明らかなのは、Financial Times にもあった投票分析で、かなり「不都合な事実」です。すなわち、学士(大卒)以上の人口比率の低い選挙区では「離脱」を選び、学士以上の比率の高い選挙区では「残留」を選んだ。同じロンドン地域でも学歴による差は歴然。(スコットランドについては学歴は有意の差を示さず、全般に残留を支持。)
http://www.scoopnest.com/user/FT/746224372432527360
EU vote → https://t.co/dYKO9PjIxd
EUのメンバーであってこそ現在のイギリスは存立する;イギリス国内の雇用も、EU内の雇用もお互い様で、広域の経済・文化があってこその繁栄だ;ワインが無関税で輸入され、思い立ったらフランス・イタリアに自由に旅行できるのもEUのお陰だ;ブリュセル官僚によってイギリスが不当に主権を侵害されているというのは右翼のフレームアップに過ぎない(じじつ、イギリスからEUに議員も役人も送っている)‥‥といった事実を認識しているのは、多くは学卒の人々にすぎなかった。右翼デマゴーグのキャンペーンは、考えない男女大衆をベースに拡がった、ということでしょう。これは憂うべき分裂であり、こうした two nations の分裂を放置してきた政治は、痛いしっぺ返しを受けたということではないでしょうか。
【アメリカ合衆国におけるトランプ現象のことを考えると、さらに暗澹たる気持になります。】

3) キャメロン首相は、みずから保守党内の権力基盤を固めるために(とくに喫緊というわけではなかった)EUレファレンダムを2年前に計画し、これに楽勝することによって長期政権を固めようと図っていたのだが、最近数ヶ月の不思議な政治力学によって、あれよあれよという間に、思惑とは反対の方に流れてしまった。政治の舵取りを誤ったわけだから、甘さと無責任を認めて辞職するほかありません。

4) 政治力学(politics)の次元とは別に、歴史的な国制(constitution:国の仕組み)という観点から考えると、せっかく中世以来の知恵として確立してきた代表議会制による審議をすっとばして(議会主権を棚上げして)、人民に可否の決定を任せた、しかもたった一日の人民主権に丸投げした。これでは歴史学的に言うと「(人民という名の)王の政治」です。
中世には賢人会、近世以降には議会や社団など中間団体によって「王の独裁」は牽制されチェックされてきました。「政治共同体と王の政治 dominium politicum et regale」という原理原則を、アングロサクソン以来の政治文化=「古来の国制」として、イギリス人は後生大事にしてきたのではなかったのか? 歴史の知恵を放棄して人民投票に賭けたという愚行の手痛いバツを、これからイギリス人民は、キャメロンを初めとするエリートたちと一緒に、長く負い続けるでしょう。【 cf.『礫岩のようなヨーロッパ』:25日に追記】

5) これによってイギリス・連合王国の国際的信任はガタ落ちです。右翼に世論の多数派をもってゆかれ、良識よりも条件反射的なソントクを優先し、リベラリズムよりも直近の雇用や手当てに惹かれる国民、というのでは尊敬されません。つまらん小人の国として、リーダーシップも、経験知も期待されなくなるでしょう。
Great Britain はすでに great ではなくなった、ということでしょうか。

6) 国際的な影響ははなはだしく、日本経済も深刻な影響を受けます。それ以上に、ヨーロッパ内で反EUの動きが勢いを帯びて、第二次大戦後に築きあげてきた連帯と信頼のきづなが(エコならぬ)エゴによって台無しにされる。こちらのほうが憂慮すべき問題と思われます。
考えたくないけれども、【合衆国の共和党政治のゆくえとともに】21世紀の世界史について、最悪のシナリオが始まるのを否定できません。

EU レファレンダム

いま木曜から金曜に替わったところですが、EU レファレンダムを、固唾をのんで注目しています。
(8月のロンドン宿泊の予約=ポンド払い=は、昨晩に済ませてしまいました!)
投票時間は現地、木曜の22時まで。ユーラシアの東と西で、日本より8時間遅れですから、まだまだ投票中。したがってテレビも新聞も中立的な事実しか報道していません。
先にも書いたとおりで、ぼくの立場は Remain です。
Leave という愚かな選択をしてしまった場合、キャメロン首相が辞任して「あらためて再投票」という策もあり? それって、前提条件が変わらないかぎり、「一事不再議」という原則に反するのでは?

2016年6月22日水曜日

古谷・近藤 (編) 『礫岩のようなヨーロッパ』 (山川出版社)


お待たせしています。6年間の共同研究の成果(途中経過報告)ですが、ようやく索引の校正を終えて、責了です。
目次は、こうなっています(簡略表記)。

序章 礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題        近藤 和彦

第Ⅰ部 政治共同体と王の統治
1章 複合国家・代表議会・アメリカ革命 H. G. Koenigsberger(後藤はる美訳)
2章 複合君主政のヨーロッパ      J. H. Elliott(内村俊太訳)
3章 礫岩のような国家        Harald Gustafsson(古谷大輔訳)

第Ⅱ部 礫岩のような近世国家
4章 ハプスブルク君主政の礫岩のような編成と集塊の理論 中澤達哉
5章 バルト海帝国の集塊と地域の変容           古谷大輔
6章 ヨーロッパのなかの礫岩              後藤はる美
7章 複合国家のメインテナンス             小山 哲
8章 スペイン継承戦争にみる複合君主政         中本 香

序章につづき、翻訳3本、論文5本の力作揃い。
吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)以来の研究史的なパラダイムの、今日的な刷新であり、また最近の岡本(編)『宗主権の世界史』(名古屋大学出版会、2014)や池田・草野(編)『国制史は躍動する』(刀水書房、2015)の向こうを張る出版です。これでお終いではなく、これからも続く共同研究です。
11ページ・2段組の索引を( → で示した参照項目も)しっかり利用して、ご精読ください。7月中旬に、山川出版社から本体定価3800円にて刊行予定です。

Trump 現象

憂慮しています。
悩める共和党の「切り札」「ラッパ」としてのトランプ。結局は、合衆国における無責任なマスコミの視聴率争いの(意図せざる)結果です。かのヒトラーも、合法的な選挙に勝利して政権を執りました。ただしヒトラー首相は核弾頭の発射ボタンをまだ持っていなかった。ナチス期よりもはるかに危険な今の時代に、こういった人格破綻者が「民主的な手順」をふんで≒ケンカのルールを遵守して、米大統領=軍最高司令官(imperator)になるなんて、これは人類文明史(がつづくなら、それ)に残る大事件です。

虚栄心がまさり、攻撃的で目立ちたがり屋というくらいなら、他国の権力者としての前例もあり、現職の例もあります。しかし彼らは政治を知っている練達の権力者で、しかも一人っきりではない。専門家チームを組んでいます。
ところがトランプは、有能な専門職能チームをもっているのか。イスラームにも女性にも国際政治にも、無知で不用意な発言を、インパクトのある短いセンテンスで繰りかえし、それを無知な大衆有権者が喜び、カタルシスを覚えるという構造。

アメリカという大衆社会における知的中間層の失権、たとえばジェフ・ブッシュ程度の常識的保守政治家さえ大統領選に生き残れない政治文化とは!
すでに19世紀からトクヴィルが憂慮していた貴族なき=中間団体なきアメリカ合衆国は、カネとハッタリに左右される阿呆の国なのか? 驚くばかりです。合衆国内に優秀な頭脳は何百万もいて、数的に日本より多いことは明らかなのだが‥‥、その社会構造/政治社会の秩序の問題ですね。
ぼくは、相対的な選択として Hillary Clinton 支持です。

EU, in or out?

イギリスが EUメンバーに留まるか、離脱するか。
歴史家として、これは自明の問いだったので、あまり本気で意見を言ってきませんでしたが、連合王国内で、ここまで離脱派の勢いが高まり、そして残留派の国会議員を殺傷する事件まで生じると、危機感をもちます。

日本のマスコミは、経済的効果、ブリュッセル・エリートへの反感、といったことに関心を集中させていますが(それだけ考えが浅い)、それらに加えて、人びとのアイデンティティをめぐる感情の問題も大きい。「政治国民」political nation とは歴史的に(19世紀半ばくらいまで)地域エリート以上のことでしたが、現代では一般有権者大衆です。

ところで第1に、そもそも referendum を「国民投票」と訳してよいのでしょうか。特定問題についての選択肢を明示した上での直接投票のことを中学社会で「レファレンダム」とならい、高校世界史や公民では「人民投票」plebiscite とならうのではないでしょうか? 2014年のスコットランド独立を問うレファレンダムは「住民投票」と訳して、今回は国民投票と訳して、マスコミ関係者は良心の呵責といわないまでも、小さな疑問くらいは感じないのですか?
第2に、人はソントクだけで判断し、動くわけではありません。いまの日本列島でいえば沖縄の人たちが感じている「憤り」とスコットランド人が覚えた感情は似ているでしょう。
今回のレファレンダムにあたって離脱派は、生活上の疑問・不満をあおって「憤怒」にまで高めようとしている。その明日は、内向きで分裂したイギリス(連合王国)です。ものつくりやサーヴィスよりも金もうけに執心する人びと。人類史・文明の来し方行く末を考えることより、直接的で感性的な小宇宙での充実がまさっているようです。

連合王国の新聞の論調ですが、その全国5大紙はちょうど日本の全国5大紙と類似しています。
     The Times読売新聞   Leave(保守本流), NATO堅持
   The Guardian* ~ 朝日新聞   Remain=「投票に行く、残留する」
The Financial Times日本経済新聞   Remain=世界資本主義の立場
  The Independent毎日新聞   唯一不明(?), 中立主義
The Daily Telegraph産経新聞   Leave(右翼)

* その日曜紙は The Observer で international, liberal and open Britainを主唱。
 この点は、たとえば1997年の「ゼノフォビアよ、さよなら」から一貫します。 cf.『文明の表象 英国』pp.218-9.

なぜか今のアメリカ合衆国の反知性主義キャンペーンに似てきたとすると、憂慮すべきことです。主権回復といった奇麗事、経済社会の問題を移民に絞りあげて人心を煽るのは、右翼の常套手段です。イギリスの有権者は不幸なコックス議員の殺害事件を機会に、落ち着いて知性を働かせるべきでしょう。もしブリュッセル官僚に問題があるなら、ヨーロッパ議会選挙にしっかり取り組むべきです。EUにおいても、立法が行政より上に立っているのだから。

というわけで、ぼくは民主主義、知性主義、ヨーロッパ文明、複合社会、そして反民族主義の立場から、EU堅持のうえでの改革派です。
Splendid Isolation とはパクス=ブリタニカの時代の自由主義外交の結果でしかない。イギリス人は「礫岩のようなヨーロッパ」のなかの一員であり、隣人と仲良くしないわけにゆきません。
イギリス(連合王国)がEUから抜けるなら、当然のように他の国々も続いて抜けようとするでしょうし、また連合王国からはスコットランド、ウェールズ、北アイルランドの独立運動が勢いづくでしょう。地域ナショナリズムの時代が賢明な時代とは、ぼくには思えません。The wise vote is for remain. ガーディアン紙も述べています。

2016年6月17日金曜日

Ichiro Suzuki

 イチロー(鈴木一朗)の大記録達成、おめでとう。

「天才が努力を重ねると恐ろしいことになる」とは、野村克也の評らしいのですが、納得。しかも、B型というのだから、なおさらうれしい。
 なにより、苦しいとき、世間から冷笑されるときにこそ、コンスタントな努力によって難関を克服してきたという事実、考える野球選手ということが、尊敬に値します。
当然ながら、用具を大切にあつかい、情緒が安定している人なのですね。

 このところ色々と課題山積で(多方面からの注視も意識せざるをえず)ブログ発言が減っていますが、理由のある reticence ですので、ご心配なく。

2016年5月24日火曜日

一橋大学のキャンパスにて

22日(日)は、午前の日本西洋史学会大会会場にてゆっくりお話しできないまま、午後は急ぎ、東京駅から中央特快にて国分寺乗り換えで国立へ。
初夏の眩しい日差しの中、見知った顔を認めながら兼松講堂へ参りました。
安丸さんのお別れの会。急ぎ参じてよかったです。

 <写真は一橋大学社会学部のページより拝借>

第一部は安丸さんがどんな学者だったか(こちらはたいていの参列者は知っている)、そしてどんなに良き教師だったかもよくわかるお話がつづき、涙が止まりませんでした。大軒さんという元朝日新聞の方がバッハの無伴奏チェロ第2番の「サラバンド」を演奏してくださったのも、場に相応しい演出でした。
第二部はマーキュリホールに移動して、多摩丘陵を眺めながら、立食の会。卒業生の皆さんの賑わいで、次第にちょっとわたしたちは部外者、という空気になりかけましたが、最後のご夫人の「セビリヤの理髪師」発言が、全員を大いに幸せにしてくれました。お茶も立てていただき、ありがとうございます。
懇談中には、出版界の方々からやや暗い声を耳にしましたが、しかし『現代思想』では安丸良夫特集号を編むとのこと。ぼくも書かせていただきますが、全部を読むことを楽しみにしています。

なおまた、北原 敦さんの「フランス革命からファシズムまで: 二宮・柴田・グラムシとの対話」が『クリオ』の最新30号に出ているのを見ました。pp.1-38. 元気になります。 →『クリオ』の連絡先は東大西洋史学研究室です。