2018年3月26日月曜日

満開の夜桜

あっという間にソメイヨシノも満開ですね。
千鳥ヶ淵とか大横川といった名所もありますが、ごく近所でもライトアップすると、こんなに、きれい。上に小さく見えるのは半ばの月です。

2018年3月22日木曜日

梅・桃・桜


桜の開花宣言のあとの寒い日々。今日からふたたび青空と暖気が戻りました。ぼくも睡眠負債の結果としての風邪から、ようやく回復途上です。
2月から慌ただしくしているうちに、いつのまにか3種の花がそれぞれのサイクルを見せています。
梅はもう散りどき。

桃は満開。

桜もソメイヨシノは一分咲きから勢いをつけて週末には満開でしょうか。

それぞれ近隣、そしてよく寄る道端で撮りました。

2018年3月14日水曜日

長崎にて

 長崎に参りました。
 世の中の転変からはちょっと距離を保って、歴史的な主権について討論し、新しい知識を得て、また「うまかもん」に感激する2日間。先週9・10・11日の東京における John と Michael のセミナーから連続していますので、疲労感とともに、満足感も。
 着いた日のランチは「長大」食堂でちゃんぽん、夜は五島列島の料理尽くし、今日昼は「一人前」の茶碗蒸し、今夕は波止場で中華料理。
 残念ながらぼくの場合は観光するヒマはゼロです。

2018年3月3日土曜日

ウィンストン・チャーチル

 原題は Darkest Hour. 1940年5月の政治的決断がテーマの映画。
 試写会の案内はすでに暮からいただいていました。しかし、大学の仕事や執筆や公務などで時間は自由にならず、ようやく今週の月曜に身を空けて半蔵門・麹町に駆け付けたところ、なんと「30分前からすでに満員でお断りしています」! 
あとは1日のみ、1時間前には来てください、と。トホホ。

 アカデミー賞候補というので前人気が高まっているとか。
パンフレットには木畑洋一さんが Essay を寄稿していて、「首相としての足場が定まらない時期のチャーチルを、エキセントリックといってよいその人物像を効果的に示しつつ、見事に描き出した」と評しておられます。

2018年3月2日金曜日

3月の研究集会

2月はアッと言うまに逃げ去り、すでに3月です!
ぼくにとって最後の大学勤めなのですが、同時に学問的にもたいへん有意義な催しが続きます。

すでにずいぶん前から準備されていましたが、この3月にイギリスからジョン・モリル(ケンブリッジ大学名誉教授)と一緒にマイケル・ブラディック(シェフィールド大学教授)が来日して、連続セミナーが開催されるのです。東京では、3月9日(金)に東京大学、10日(土)・11日(日)に東洋大学です。それぞれのオーガナイザからの案内を以下に転載します。

この3つのセミナーは事前登録不要ですが、【2】【3】の懇親会参加をご希望の方は、会場手配の都合上、下記までご一報ください、とのことです。
 東洋大学人間科学総合研究所(渡辺) [a]は半角@に換えてください。
ご関心のありそうな方に本案内を転送してよいとのことです。

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J・モリル/M・ブラディック氏 来日セミナー

【1】 3/9(金)18:30~20:30
東京大学(本郷)小島ホール1階 第2セミナー室
  Prof. John Morrill (with Prof. Michael Braddick), "How to spend a lifetime living with early modern Reformations and Revolutions"
https://politicaleconomyseminar.wordpress.com/ (近日更新予定)
※ポリティカル・エコノミー研究会(PoETS)主催、井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」共催

【2】3/10(土)13:30~18:00
東洋大学(白山)10号館A301教室
<「民」と革命--17世紀イギリス史再考・2>
  Prof. John Morrill, "The Peoples' Revolution: Civil Wars within and between three kingdoms and four peoples 1638-1660"
  Prof. Michael Braddick, "The people in the English Revolution"
  コメント:山本浩司(東京大学), "The English Revolution and the politics of stereotyping"
※科研基盤A(大阪大学)「歴史的ヨーロッパにおける主権概念の批判的再構築」主催、井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」共催

【3】3/11(日)11:00~16:00(13:00~14:00は昼食・懇親会)
東洋大学(白山)10号館3階A301教室
<社会史再考・2>
 Prof. John Morrill, "Revisionism and the New Social History"
 Prof. Michael Braddick, "Politics, language and social relations in early modern England"
 コメント:辻本諭(岐阜大学)
※井上記念助成研究所プロジェクト「グローバル時代の歴史学」主催

更新情報は、以下のサイトに随時掲示します。
 https://www.toyo.ac.jp/site/ihs/
 https://www.facebook.com/toyo.ihs/
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2018年2月26日月曜日

教師 冥利

 寒い夕に3年生ゼミの惜別会がイタリアン食堂で催されました。
両手に余る贈り物をいただいてしまいましたが、なによりも「先生のもとで卒業論文を書きたかった!」という言、そして ← こんな肖像イラストには驚き、嬉しく、感極まりました。みなさん、ありがとう!

2018年2月6日火曜日

みすず〈2017年読書アンケート〉

みすず』1・2月号(no.667)が到来したのは、先週末のこと。
例年のことながら、見始めると止まりません。立ったまま、あれこれ前後をひっくり返しながら読み耽って、就寝時間はますます遅くなる。
 かくして、いつも期して待つ〈読書アンケート〉特集号ですが、その唯一の欠点は、索引がないので、あ、この本、だれかも言及していた! といってそれを探し当てるのが大変。探してアチコチしているうちに、また別の本が目に入って、そちらに気が移り‥‥、といったことで、際限がないのです。
 そんなこと! 編集者の立場にたてば、年末の〆切日を無視して、年始の@日にもなって一太郎でデータを送りつける先生方(!)に対応するのを優先するなら、索引どころか、執筆者順をあいうえお順やABC順に整えることさえ不可能です。去年はビリから29番、今年もビリから16番の近藤の言う台詞ではありませんでした!
 新顔として、ブレイディみかこさん、草光俊雄さんの新規参加に気付きました。逆に常連のうち、ノーマ・フィールドさん、喜安朗さんの名が今年は見えなかった。

 それで、ぼくが〈2017年読書アンケート〉として挙げた書目を列挙しますと:
1. Koenigsberger, Mosse & Bowler, Europe in the Sixteenth Century, 2nd ed., 1989
2. Friedeburg & Morrill (eds), Monarchy Transformed: Princes & their Elites in Early Modern Western Europe, 2017
3. 池田嘉郎『ロシア革命 - 破局の8か月』2017
石井規衛『文明としてのソ連 - 初期現代の終焉』1995
4. 鈴木博之『建築 未来への遺産』2017
5. 松浦晋也『母さん、ごめん。- 50代独身男の介護奮闘記』2017
内実については、『みすず』本誌をご覧ください。

旧アンケートについては ↓ など。
http://kondohistorian.blogspot.jp/p/201516-413

2018年1月31日水曜日

bloody moon

ほんとに血のような(汚れた!)満月で、これを目撃したことは幸せというより、なにか不吉な予兆ともとれます。
ほんの10分ほど前に我が家のベランダから撮ったショットです。
満月で隠れていた星々もいくつか姿を現しました。

2018年1月30日火曜日

冬は寒い

 ご心配をかけているかもしれません。
 このところ大学内の試験や論文審査、学外の公的任務に追われて、
ブログ更新が滞っていますが、なんとか凌いでいますので、ご安心を!

 最近の寒さについては、とくにどうということはありません。
ケインブリッジもロンドンもこれ以上の厳冬だったり、むしろ雨雲で気分が滅入ったり‥‥。
栄養バランス、就床前の温かいお風呂、睡眠時間さえ保たれていれば、マルチタスクの日夜が続いても、なんとかなるものです。

2018年1月15日月曜日

戌年のごあいさつ

 新年、おめでとうございます。
 昨秋から家族の病気の一進一退でドタバタしています。
 年賀状には
 「‥‥ (れき)に伏して 志 千里にあり
などとしたためましたが、これは曹操の
 「驥老伏櫪 志在千里、烈士暮年 壯心不已」
の一部ですから、取りようによっては、「老驥」気取りの、かなり背負った発言と取られるかも知れません。ただし、ぼくとしては世に流布する「櫪に伏すとも」という読みでなく、むしろ素直に順接で、「櫪に伏して」、志だけは千里の遠くに在り、といった実情を謙虚に述べたつもりです。
 そこに老人の挫折をみるか、まだまだ終わっていませんという心情をみるか。

 抑制された心情は、型に約束があって枠のはまった定型句によってこそ表現しやすいような気がしています。

  小春日に 母と語りめづ 向島蜜柑
   
 向島とは広島県の旧御調(みつぎ)郡、尾道水道の向かいに見える「むかいしま」です。母は戌年、弟が向島に密柑山をもつ農民歌人です。先に老人ホームの誕生会で慰問の子どもたちが「みかんの花が咲いている‥‥」と歌ったら、ただちに母は「わたしの歌じゃよ」と申しました。
 尾道高女卒の母にとっては、林芙美子の「海が見えた。海が見える」や小津安次郎の「東京物語」などは、きわめてローカルに親近性を覚える作品です。

 皆さまも、ご健勝に。

2017年12月22日金曜日

ジョージアン・ダブリンの都市空間

「都市史学会」ワークショップのご案内です。
http://suth.jp/event/20171225/ ← ポスターもダウンロードできます。】

参加=事前申込不要。会員以外の方もご参加いただけます。
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ジョージアン・ダブリンの都市空間――建築史的視点から

日時:2017年12月25日(月) 13:30-18:00
場所:東京大学工学部一号館(3F・建築学専攻会議室315 号室)

趣旨:
ジョージI~IV 世期(18 世紀初めから19 世紀初め)のダブリンは、ヨーロッパ最大規模の街路、ヨーロッパで最も壮麗とうたわれた建築物、ブリテン帝国で最も美しいとた たえられた公園がつくられるなど、ヨーロッパを代表する華やかな都市へと成長した。
これまで日本の建築史/都市史/西洋史研究においてダブリンが対象とされることはほぼ皆無であった。本ワークショップは、建築および都市空間に注目して全盛期ダブリンの姿を描きだすことにより、その豊かな個性と魅力を伝えたい。さらにダブリンをイングランド、スコットランドの諸都市と比較することで、ブリテン諸島の都市史研究に新しい地平を開くことも試みたい。

プログラム: 司会=坂下 史(東京女子大学)

13:30-14:00 発題
ジョージアン・ダブリンを見る視角
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻伊藤研究室
(伊藤 毅・小南弘季・岩田会津・海老原利加・杉山結子)

14:00-15:45
報告Ⅰ ジョージアン・ダブリンのマクロ的予備考察 | 勝田俊輔(東京大学)
報告Ⅱ 富とチャリティと病院
― ジョージアン・ダブリンの建築物と都市開発 | 大石和欣(東京大学)
報告Ⅲ ジョージアン建築の一起源
― 18世紀のエディンバラおよびダブリンにおける建築的取り組みに表れた社会的課題
| 近藤存志(フェリス女学院大学)

15:45-16:35
コメントⅠ ダブリンの風景を読む | 桑島秀樹(広島大学)
コメントⅡ ジョージアン都市の歴史を比較すると | 近藤和彦(立正大学)

16:35-18:00 討論

【お問い合わせ】都市史学会事務局 〒113-8656 東京都文京区本郷 7-3-1
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻伊藤毅研究室気付 電話= 03-5841-6184
HP= http://suth.jp/event/20171225/ Email= office@suth.jp
【後援】2013-2017 年度科学研究費・基盤研究(S)
「わが国における都市史学の確立と展開にむけての基盤的研究」(研究代表者:伊藤 毅)

2017年11月11日土曜日

人生はシネマティック!


この映画は11日公開。『日本経済新聞』夕刊の映画評でも★★★★という評点が付いていましたが、
朝日.com では、↓のような評。
http://www.asahi.com/and_M/interest/entertainment/Cfettp01711118378.html
(配給元からの情報をそのまま抜粋・編集したような文で、手抜きです。)

ぼくの評価はそれよりは高く、このブログにて、すでに8月10日にコメントしました。
日本公開タイトルは、「人生って映画みたい」というのと「映画制作者の人生」とを重ねているのでしょう。原題の Their Finest Hour & a Half は「最高の1時間半」。戦時映画の所要時間、90分、ということに込めて、
1) ふつうの戦意高揚映画とはちがう、精魂こめた映画のためにわたしたちはこんな苦労をしました、というメッセージ。
2) そうした劇中劇の制作をともにした男女の「最高の瞬間」‥‥だから Hour & a Half は省いて、Their Finest で余韻を残す。
なんといっても戦中なので、人の命は計れない。限られた命と能力のかぎりで、ほとんど同志愛(comradery; フランス語だったら camaraderie)が表出した瞬間、ということでしょうか。この 1) 2) を重ねたタイトルです。
3) でも、もっと理屈っぽく、人の心を動かすための虚構(作為)、「本当らしい演技」、事実と表象、といった作品論議もたたかわせる、ちょっと知的に青いところも、この映画に楽しさを増しています。

2017年11月6日月曜日

お墓のものがたり

生と死を具体的に考える日夜ですが、4日(土)16時:BS日本テレビの番組「家族とお墓のものがたり」は、直で見ることはできないことは分かっていたので録画し、今日(日)午後にゆっくり見ました。この番組は「全国優良石材店」の提供

 1.開高健・牧羊子の円覚寺における墓石
 2.歌手の九重佑三子さんが嫁にはいった「田辺家」の墓
 3.松塚俊三さんの語る遍路と松塚家の墓

この3つのモニュメントに記念されている方々(夫妻)をめぐる物語でした。3つとも、偶然かどうか、縦に立つのでなく、横に安定して座っています!
それぞれのお話にしみじみしてしまいましたが、墓はいずれ必ず無縁仏になる、墓は生きている人のためにある、といった名言が繰りかえされました。

ぼくも、このうちの一つには墓参しています。

2017年10月18日水曜日

ジョン・ウォルタ夫妻

ご無沙汰です。
9月1日夜から、老いたる母の闘病につきあって、心の余裕のない7週間目です。
「老老介護」でおたがいに疲労困憊!とはなりたくない、というときに、ケアマネージャさんが有能で助かっています。

そうした折、今月末よりケインブリッジからジョン・ウォルタ夫妻が来日して、ぼくの知性を再活性化してくれます。
(肖像権を考慮して、右側をトリミングしました。ぼくはなぜかすごい日焼け。)
ジョンは、C・ヒルの影響下に17世紀史を始め、社会史、民衆文化、とりわけ暴力の問題を正面から議論してきた人です。エセックス大学まで自転車で通勤したこともある! 日本人で留学生としてお世話になった方が何人もいるのではないでしょうか。
近世民衆史および政治社会の歴史家で、もっとも重要な人のひとり。J・モリルの親友でもあります。
ブロン夫人はアイリッシュ・ディアスポラおよびジェンダー研究。

東京でのジョンの予定は、次のとおり:
【主催者からは事前登録不要だが、懇親会参加希望の方は ihs@toyo.jp にご一報ください、とのこと。
 この@マークは半角に変えてください。】
・10月28日(土)午後2時、東洋大6号館2階にて
Crowds & popular politics in the English Revolution: Recovering agency.
(コメント:那須敬) ⇔ なぜかブロン夫人のセミナーと同階隣室にてぶつかる?

・10月29日(日)午後1時、東洋大10号館3階にて
The new social history & discovering political culture in early modern England.
(斎藤修、高橋基泰、ギヨーム・カレ氏を迎えて、ケインブリッジ学派についての大討論会になるかも)
→ 詳細は、こちらのサイトから https://www.toyo.ac.jp/site/ihs/334083.html

・11月7日(火)午後6時30分、東大経済(小島ホール2階)にて
 Reflections on my career as a historian

2017年10月5日木曜日

Kazuo Ishiguro

The Guardian
Thursday 5 October 2017 14.23 BST

The English author Kazuo Ishiguro has been named winner of the 2017 Nobel prize in literature, praised by the Swedish Academy for his “novels of great emotional force”, which it said had “uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”.

日本国籍のあるなしということより、「英語で書く作家」ということでしょうか。
訳すのではなく、最初から英語で考え書く。たしかにそのほうが、ある真理、普遍的なこと、饒舌なレトリックで誤魔化せないことを表現できるような気がする。ぼくたちも日本語で討論していて煮詰まってしまったときに、「それじゃ、英語でどう言うか考えてみよう」というのは一つの賢明な手段ですね。
それから、イシグロは、ある種の知的な観点(方法、構成、洗練された文体 ‥‥ )をしっかり出してくれる。それが嬉しい。『イギリス史10講』では『日の名残り』に2カ所で論及しました。

With names including Margaret Atwood, Ngugi Wa Thiong’o and Haruki Murakami leading the odds at the bookmakers, Ishiguro was a surprise choice. But his blue-chip literary credentials return the award to more familiar territory after last year’s controversial selection of the singer-songwriter Bob Dylan. The author of novels including The Remains of the Day and Never Let Me Go, Ishiguro’s writing, said the Academy, is “marked by a carefully restrained mode of expression, independent of whatever events are taking place”.

2017年9月17日日曜日

記憶/記念の(発信の)場


歴史意識についてexplicit で象徴的なモニュメントは、前にも書いたとおり、ダブリンの場合、他の都市にもまして場所の記憶と結びついて顕著だと思われます。中央郵便局や聖スティーヴン公園に1916年関連のモニュメントが集中し、逆にトリニティ・カレッジ(大学)には18世紀ないし19世紀のリベラリズムが表象されているように。
ドイツ語では記念碑を Denkmal と言いますが(松本彰さんなど)、考えるよすが or 考えることをうながす存在ですね。経験的な感覚と思索をうながされました。

なおまた立像が横溢するロンドンのシンボリズムについては、The Evening Standard 紙に議論が載っているのを坂下史さんから教えられました。↓
https://www.standard.co.uk/comment/comment/simon-jenkins-it-s-time-to-have-the-argument-about-london-s-historic-statues-a3622161.html

 今日のアメリカ合衆国において、南軍 Confederatesはracistだ、として南軍関連の立像を攻撃しているグループの行動は、あたかも「民のモラル」の代執行のようです。The Evening Standard 紙の良識は、あくまで複合文化、競合する価値の併存をとなえる相対主義の立場です。その結論は London is a diverse and sometimes offensive city. I would rather it was both than neither.
ちょっと崩れた破格な英語ですが、でもロンドンには both diverse and sometimes offensive であってほしい。neither(どちらでもない)のは嫌、とはっきりしています。

2017年9月14日木曜日

海港コーヴ

港町コーヴは南西部の中心都市コーク(それ自体が中世からの港市です)から大西洋に出てゆく外航船のための「外港」のような役割で、入江のなか、水深の深い良港です。いまは海軍基地があります。多数の Irish の人々がここからアメリカに移民として渡りました。アメリカで成功した Irish Americanたちが故郷に寄付して、坂道の上の丘に、立派な大聖堂を建てました。
1912年4月、当時は(ヴィクトリア女王の1849年来訪を記念して) Queenstown と改名されていましたが、Titanic 号の最後の寄港地でした。『イギリス史10講』p.255. 沖に停泊した豪華客船の2224名の乗客・乗組員は、先にも登載した Gothic revival の大聖堂を見上げたわけです。

 昔の鉄道は廃線となり、駅舎が観光用に残っています。1912年のタイタニックと1915年のLusitania撃沈を記念する(忘れない)ために、湾を一望する丘の上に小公園ができていました。

南西アイルランド

 帰国してみたら、No sooner had I arrived in Tokyo than . . . というわけで、暑いだ涼しいだと言ってる間もなく、母の看病モードに移行してしまいました。

 それにしても8月のアイルランド紀行で、もう一つ書いておかねばならないのは、南西地方の海港の豊かさでした。
海路でフランスやスペインと往来するのは案外近い。Kinsale の海の料理がおいしいのは、あきらかにその影響でしょう。旧デズモンド家の城は今ではワイン博物館になっていました。コーク市の評判の大聖堂ばかりでなく、コーヴ(Cobh)でも、ヨール(Youghal)でも、立派な教会堂が迎えてくれました。
 18世紀コークがバターの生産と輸出で栄えたとか、Wolfe Tone が手引きしたフランス軍の上陸(の失敗)とか、そういえばどこかで読んだなぁという史実も、その舞台に立って改めてモニュメントとともに見ると、甦ります。
 R. R. Palmer, The Age of the Democratic Revolution, II (Princeton, 1964) pp.271-2 における1796年、バントリ湾の上陸策の不首尾について昔(1979-80年、名古屋でした!)に読んだときには、リアリティのない逸話でした。今回、寒冷前線と虹に迎えられてバントリ湾に降りたち、細身のウルフ・トーン像に挨拶し、また丘を登ってホワイト(Viscount Bantry)の邸宅の庭から旧式の大砲とともに湾を遠望して、
 「強者どもが夢のあと」
という思いを強くしました。パーマによると、トーンはパリで孤独で、バブーフの陰謀については知らされないまま執政政府に全幅の信頼をおいていたのでした。p.250. 

 内陸部と海港との違いは、他でもそうだが、アイルランドの場合にとくに甚だしいということでしょうか? 近世・近代以前にも、トリスタン・イズーの伝説の時代から、このビスケー湾(ブルターニュ)、イギリス海峡(コーンウォル)、聖ジョージ海峡(ウェールズ、アイルランド)の繋がりはきわめて重要でした。中世前半のキリスト教伝来も、ジャコバイトの移動路としても、そしてカトリック避難民が醸造酒・蒸溜酒のノウハウとともに大陸へ逃れる(wild geese ならぬ wine geese の)経路としても、この南西の海の道が決定的でした。キンセールのワイン博物館が雄弁に語っているとおりです。

2017年8月23日水曜日

記念像のアイルランド

 ロンドンにて、まだ Irish impact を反芻しています。
 Trinity College 前の College Green は車と人の雑踏がばかりでなく、現在工事中の標識がたくさんあって、きれいな写真になりませんが、黒くみえる立像にご注目。
 こちらの右から大学に向かって Grattan, 大学正門から街に向かって Goldsmith, Burke と18世紀後半(啓蒙・自由主義)の人物(だけ)が立ち並びます。
 当然ながら、現代アイルランド共和国はこのままを許容するわけにゆきませんので、カメラの右後ろには Tone grave, Thomas Davis と19世紀のラディカルたちが構えていますし、さらに北側のオコネル通りには、もちろんオコネルの巨大な像から GPO(1916年3月完成、4月に占拠、襲撃)まで、19世紀・20世紀のシンボリズムがあふれます。
 数が多いだけなら、ロンドン・ウェストミンスタにも「偉人」の立像がたくさん居並びますが、ダブリンでは(土地がコンパクトということもあって?)College Green に18世紀後半の自由主義者(でイングランドにも受容された3人)、
その先に少し遠ざかって19世紀前半の志半ばでたおれた2人、
さらに方向は北に転じて、ローマカトリック Pro-Cathedral に近い大通りにオコネル、19世紀の十分影響力を行使した活動家たちが居並ぶ、という明快な配置です。これは topology と chronology が重なって意味をもちます。ある段階で、だれか mastermind(個人? 集団?)がいてこそ実現した場所的色づけ(臭いづけ)なのではないかと、想像したくなります。

2017年8月22日火曜日

風のアイルランド


 アイルランド探訪のなかでも、いくつか重要な側面があり、まずは ancient Ireland とされてきたもの(invented traditionかもしれない)の最たるスポットを訪ねました。順不同です。

¶「タラの丘」は太古の王(high kings)の居所だったと伝えられる丘。古墳から遠からぬ所に、シャムロックを手にもつ聖パトリックの立像も据えられ、シンボリズムは十分ですが、近代史ではオコネルの1843年「百万人集会」の場にもなりました。
『風と共に去りぬ』でもタラはアメリカ南部の Irish American の心の支えで、この映画のライトモチーフになっています。最後の場面ではスカーレットの Tomorrow is another day が「明日は明日の風が吹く」と訳されて、名訳か迷訳か、ひとしきり議論されましたが、現場に立ってみて、そうか、この強風のことなのだ、と妙に納得しました。
緑、緑、緑のただなか、たえまなく吹きつける風に、全身で耐えている4人の写真です。

¶ カシェルの岩山はマンスタ王の居城だったのが、1101年に教会領となり、修道院文化の繁栄の中心でした。1647年にクロムウェル軍の包囲攻撃で廃虚となり、1749年には屋根が除去されて、荒廃が進んだようです。大聖堂わきの十字架を撮りましたが、ここでも身の危険を感じるほどの強風。
誰かさんのようにこの廃虚で「運命の人とのめぐりあい」はなかったけれど、しかし、アイルランド史、ブリテン諸島史、ヨーロッパ史のことを再考しました。

 Gone with the Wind も、The Wind that shakes the barley も、the wind をキーワードとしていたのでした。これが分かってなければ、アイルランド史は(アメリカ史も!)理解できないということか。