2021年7月31日土曜日

Interview with Sir Keith Thomas

The East Asian Journal of British History (EAJBH), vol.8 (2021) が到来。
やや日時が経ったものですが、2016年3月に日本学士院の招待で Sir Keith がいらしたときに、皆さんの協力で実現した内容充実のインタヴューが収録されている号です。2時間たっぷりでしたから、編集しても pp.33-58 で、かなりの分量です。

小見出しだけでも示しますと、
  A Welsh boy
  Oxford 1952-57
  The year 1956 and after
  History School at Oxford
  'Women', 'Double Standard' and 'Anthropology'
  Years leading up to 1971
  Religion and the Decline of Magic
  Digitization and historian's métier
  British history, history of ideas and cultural history
  Historical change and 'how'
  The prospect of historical studies/humanities
でした。‥‥オクスフォード内の学寮による空気の違いも、また当然ながら Past & Present 誌のことなども語られています。

1971年の『信仰と呪術の衰退』まででたっぷり立ち入った話になり、時間もそれだけ費やしたので、その後がやや駆け足になったのは反省点ですが、それでも重要な論点は出て、British history についても intellectual history にたいしても ディジタル化、データベース、人文学の意義についても、ご意見を開陳していただきました。当方の異議とのやりとり、関心のズレも明らかにできたかと思います。
(Sir Keith も今年の早春に録音起こしの原稿をご覧になって、あきらかにその充実度に感銘をうけ、さらにそれを確かなものとすべく、しっかり加筆、修文してくださいました。)

1933年生まれ、いま88歳で、ご夫妻ともにお元気なのはうらやましいかぎり。

EAJBH の定期購読者でなく、この号だけを購入したい人は、どうすれば良いのでしょう?
表紙裏の記事からは、
  Chief Editor for vol.8: NAKAMURA Takeshi, Hirosaki University, Japan
  Place of Issue: Faculty of Humanities & Social Sciences, Hirosaki University 〒036-8560
とのことです。

2021年7月15日木曜日

エヴァンズ『エリック・ホブズボーム』上・下

 オクスフォードの歴史学欽定講座には Robert Evans (近世中欧、ハプスブルク朝)、
 ケインブリッジの歴史学欽定講座には Richard Evans (ドイツ特別の道、史学史) 
とじつに紛らわしい配置が続いていました。いずれにしてもオクスブリッジの歴史学が「国史」でなくヨーロッパ史に比重をかけていることの現れで、そのこと自体は歓迎していました。
このたび、そのリチャード・エヴァンズ(Cambridge)の『エリック・ホブズボーム 歴史の中の人生』上・下 が木畑洋一監訳で岩波書店から刊行。原著は2019年なので、たいへん迅速です。

 ホブズボームという魅力的な歴史家の生涯を実にさまざまの(私信も共産党諜報記録もふくむ!)情報を駆使しながら、かなりの詳細まで描き込んだ伝記で、性生活も、出版契約の金額の交渉・再交渉も書きこまれているのには驚きます。それにしても、ホブズボームのように20世紀を代表具現するような歴史家、包括的で飾らない人柄の伝記を書くよう遺族から依頼されたエヴァンズ(Birkbeckでホブズボームの同僚)は、誇らしく思ったことでしょう。
 リチャード・エヴァンズについて、個人的にIHRでの記憶はなく、むしろ2010年、ケインブリッジで President of Wolfson College になったことを記念する講演会に出ました。TVカメラも入り、「お顔を撮されたくない方はこちらへ」といった案内で、マスコミPRの上手な方、という印象でした。
 ずっと以前にはE・H・カーの What is History? の2001年版・2018年版への Introduction(研究史的なサーヴェイ)も読んでいて、その才覚には脱帽します。In Defence of History (2nd ed., 2001)の著者でもあります。

¶ ホブズボームと日本人については、訳者あとがきで木畑さんが触れておられるとおり、「日本人をよく分からない存在と思っていた」だろうと、ぼくも思います。 水田洋さんと何度も会って交渉したとしても、その(翻訳にその主なエネルギーが注がれた)仕事をよく理解していたわけでもないでしょう。それより前、戦後すぐに Past & Present で高橋幸八郎と接触していたはずですが、どこにも言及がありません。
 そもそも都築忠七さんをはじめ、ホブズボーム的ソシアビリテに入り込める日本人は、無かったのではないでしょうか。分析的な学問への意志、ジャズから異文化にいたる懇談・冗談まで、縦横に英語(やドイツ語・フランス語)でやりとりできる、左翼(的)知識人が戦前・戦後日本にいたか、という問題でもあります‥‥。
【ぼく自身はホブズボームが1974年に来日し、東大社研で講演したとき、一所懸命に労働者コミュニティについて質問しましたが、それは sociology だ、と軽くあしらわれました。1980年からIHRのホブズボーム・セミナーにも時折出席しましたが、ぼくからアピールすることは無かった‥‥。】  

¶ なお、E・H・カーについての言及は一箇所だけ(それも無内容)ですし、またカーの側でもホブズボームへの言及がない、ということが何を意味しているのか、(カーがイギリス共産党には一度も近づかなかったという事実以上には)すぐには分かりません。
 諸々のことを考えさせてくれる本ですが、それにしても、これは人を惹きつけて仕事の邪魔をする(!)本ですね。
 みなさん、夜に読み始めると、やめて就寝に向かう機会を失い、3時、4時になっても止まりません! 昼間明るいうちに読み始めましょう。

2021年7月4日日曜日

〈ドイツ史の特別の道〉?

 今日(3日)は早稲田のWINE シンポジウムで「帝政期ドイツの国民形成・国家形成・ナショナリズム」が催されました。1871年のドイツ帝国成立から150年、ということで、要するに現時点で、ドイツ近現代史の何がどう問題か、という討論会でした。 https://www.waseda.jp/inst/cro/news/2021/05/06/5771/
  報告は西山さん、小原さん、
  コメントは篠原さん、森田さんでした。
https://mobile.twitter.com/winewaseda/status/1398826161564647427

 いくつも大事な論点が指摘されましたが、ぼく個人としては、
1) deutscher Sonderweg の訳として「特有の道」ではなく「特別の道」「特殊な道」とすべしということ(おそらくドイツ史研究者にとっては既に前々からの合意点)とともに、
2) ドイツ国民史の枠内だけで考えるのでなく、外との関係、またビスマルクをカヴール、ルイ・ナポレオン、ディズレーリ、(さらには伊藤博文、大久保利通‥‥)のような同時代人との連続性で捉えるべき、という小原さんには十分に賛成できます。西山さんの場合は、おそらく似たことを contingency という語で表現されていました。

 じつはイギリス史でもかつてイングランド(人)の特殊性(peculiarities of the English)といった議論がされたまま、あまり発展しませんでした。 ぼくの場合は、ペリ・アンダスンの近現代史のとらえ方に関連して、こう言ったことがあります。
「その論理はこうである。西欧(≒フランス)史の理念型が想定され、その理念型に照らして自国史に欠けているもの/遅れている要素をさがす。日本やドイツにおける「特有の道」論にも似た、自国史批判の急進版劣等複合(コンプレックス)である。グラムシのヘゲモニー論を用いて、独自の世界観をもたず貴族の価値観に拝跪する俗物ブルジョワ、そして利益還元にしか関心のない組合労働者が批判される。
なぜこうなったのか。それは、イギリスの17世紀以降、近現代史を通じて「本当の市民革命」がなかったからだという。あたかも日本近代史についての大塚久雄、丸山眞男の口吻さえ想わせるほどである。」『イギリス史10講』pp.289-290.[ただし13刷にて、すこし修文改良]

アンダスンも、大塚も丸山も、あくまで国内の諸要素(の編成)に絞って議論し、同時代の外との関係を有機的に議論しようとはしなかったのです。国内の市民社会の充実、民主主義の成熟を一番に考えていたから!? そのためにこそ、同時代を広くみるしかないのに。30年代の講座派の成果(山田盛太郎の「過程と構造」!)に絡め取られた日本の歴史学と社会科学、ヨーロッパの場合は学問の雄=歴史学における系譜的発想の拘束性。

 1970年代からぼくたちは、こうした祖父の世代の成果=殻=拘束衣からゆっくりと脱皮し、ようやく発見の学、分析の学としての歴史学を参加観察し、また具体的に担ってきたのだろうか。
Public history ないし森田コメントにかかわって指摘されたとおり、新しいメディアの出現・蔓延にたいしては、ぼくたちの積極的参加・関与、同時にすでにある史資料をしっかり読み、既存のテクノロジを最大限に活用するというのが、参加者たちのコンセンサスでしょうか。先の歴史学研究会の「デジタル史料とパブリック・ヒストリー」はアイルランドにおけるうまく機能している企画の紹介でした。↓
https://kondohistorian.blogspot.com/2021/06/blog-post_22.html

 今日の早稲田のシンポジウムはドイツ近現代史やナショナリズム研究を共通の場として、司会の中澤さんも含めて、ほとんど同じ世代の気心も知れた研究者たちだったから(?)、議論が噛みあい、補強しあうシンポジウムとなりました。

2021年6月22日火曜日

パブリック・ヒストリー?

19日(土)の歴研・総合部会ウェビナー「デジタル史料とパブリック・ヒストリー」は、ジェイン・オールマイア(TCD)のお話が手慣れて明快だったし、いくつも論点が明示されて意義ある研究会となりました。
コメンテータのお一人が事前のパワポでたいへん重要なことを言ってくださっていたのに、当日欠席で、討論できなかったのは残念でした。ぼくとしても「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」『歴史学研究』1000号(2020年9月)よりさらに一歩踏み込んで議論すべきことがありました。

個人的感想としては、1994年以降のアイルランド和平交渉が進んだ中で I. Paisley のような長老派ユニオニスト(宗派主義右翼)が、オールマイア・パワポでも紹介されたような、2010年10月22日の発言(演説)をしたことが決定的に重要だと思います。
. . . A nation that forgets its past commits suicide.
サッチャ時代の荒廃をなんとか癒やし矯正すべく、そのための環境作りをした保守党メイジャ、労働党ブレア政権をいま再評価すべきでしょう。

宗派主義にたいして世俗合理的に考え、かつ影響力をもつ人の働きが決定的に重要となる局面が歴史にはあります。1598年のアンリ4世、1919-48年のガンディ
日本では1990年代後半に、80台後半だった林健太郎さんが「日中戦争は侵略戦争であって、いかなる意味でもそれは否定できない」と他ならぬ『朝日新聞』に寄稿したことを想い出します。お弟子さんたちが「これはすばらしい遺言だ」と感激していました。欲を言えば、参議院議員をしている期間に、国会での演説として議事録に刻みこみ、広く国際的な物議をかもしてほしかったですね。

なお Jane Ohlmeyer については、今年初めの「フォード講義」@Zoom
Ireland, Empire and the Early Modern World ↓
https://www.rte.ie/history/2021/0304/1201023-ireland-empire-and-the-early-modern-world-watch-the-lectures/ (梗概と動画50分×6)
そして新聞などでの積極的発言 ↓
https://www.irishtimes.com/opinion/ireland-has-yet-to-come-to-terms-with-its-imperial-past-1.4444146 
が、とても好ましい。マスコミがそれだけ知識人を大切にしている文化の現れでもあり、日本におけるぼくたちの側の工夫が不足していることの現れでもありますね。

2021年6月16日水曜日

デジタル史料とパブリック・ヒストリー

デジタル史料とパブリック・ヒストリー 1641年アイルランド反乱被害者による証言録取書(1641 Depositions)
歴史学研究会の総合部会・例会として催されます。 → http://rekiken.jp/seminars/Sougou.html

日時:2021年6月19日(土) 15時00分~18時00分
報告:ジェーン・オーマイヤ Jane Ohlmeyer(ダブリン大学トリニティ・カレッジ TCD)
コメント:勝田俊輔、吉澤誠一郎、後藤真
通訳・運営協力: 槙野翔、正木慶介、八谷舞

参加形式:ZOOMウェビナー
*次のGoogleフォームから、6月16日(水)までに参加登録ください。
https://forms.gle/ytH51B1GU7u1vdkx8

この史料の意義については、ぼくの「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」『歴史学研究』1000号(2020年9月)pp.29-30でも触れました。
「ピューリタン革命」「三王国戦争」を考えるときにも、また今日のイングランド・アイルランド・スコットランドのあいだの「歴史問題」を考えるときにも避けて通れない1641年「虐殺」「フレームアップ」事件の原史料がオンラインで読めるのです。写真で、ママの転写(transcript)で、そして研究者のコメントつきで。
https://1641.tcd.ie/ (どなたもアクセスできます)
歴史学の具体的な革命の一例だと考えます。日本史・東アジア史の方々にもぜひ知ってほしい国際プロジェクトです。
【登載が、実家のちょっとした事案で遅れました。歴史学研究会の参加登録は16日(水)までとのことです!】

2021年6月13日日曜日

集団接種に参りました(その2)

昨日につづき、今日は妻の接種に付き添いで参りました。昨日と同じ行程を、ORの成果か、なるほどと納得しながら進みました。ただし、おそらくは現場を仕切る責任者が替わると、ほんの少しでも滞留するコーナーが移るのかな、と思わせる場面もありました。
【万一の副反応の可能性を考えると、同一日に接種を受けるのは望ましくない、という専門家の助言に従ったのですが、見ていると夫婦で同時に接種を受ける組も少なくなく、ぼくのような判断は少数派かと思われます。そもそもワクチン接種といってもTV報道ではすごく長い注射針を肩に射し込んで、それだけでも恐怖でしたが、やってみると蚊に刺されたよりも軽い刺激で、拍子抜けでした。6時間以上もたって夜に軽い倦怠感のような、ぼんやりした感覚がありましたが、これがワクチン接種のせいか、そもそも暑さのせいか、分かりませんでした。接種した左肩は、今日2日目に軽く痛くなりました。腫れや違和感はありません。】

こうしたワクチン接種がせめて1ヵ月早めの日程で進んでいれば良かったけれど、今のスケジュールでは(65歳以上の希望者のワクチン接種がようやく7月末に完了!? 64歳以下の接種はそれより先!)、そもそも東京オリンピック・パラリンピックの強行は、ほとんどカミカゼ特攻隊的な無理難題ですよ。
今となってみれば、パンデミックのなか東京オリパラをあくまで実行するのは、何のためでもない、①菅政権の延命と、②国際利権法人IOCの強欲のため以外に、どんな目的があるというのでしょうか。医師や免疫学者の進言をないがしろに、みずからの権力と利権に執着するという点で、菅とバッハは共通しています。
JOCや東京都とすれば、開催決定権はIOCに握られ、こちらから中止・延期を申し出れば、即契約違反で、天文学的な賠償金を請求される。それが怖いから、言い出せないのでしょう。
であれば、発想を変えて、逆にこちらから積極的に、人類平和と親善、世界の健康と公共性を根拠に、それを損なおうとするIOCのバッハ会長(Baron Von Ripper-off)を法的に訴える、また国際世論にアピールする、ということを、いま損得経費の仮想計算も含めて、少なくとも思考実験的にやっておく必要があります。
日本側の合理的判断、決意、そして英語の交渉力が問われています! <『日経』https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE063CK0W1A500C2000000/
Washington Post https://www.washingtonpost.com/sports/2021/05/05/japan-ioc-olympic-contract/
https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-olympics-pandemic-vaccines/2021/06/10/

2021年6月11日金曜日

集団接種に参りました

暑い6月の金曜午後でしたが、江東区の公共施設でのワクチン集団接種に行って参りました。

5月17日から予約期間が始まり、区の通知で「ワクチンの安定的な供給が見込まれたことから」65歳以上の集団接種は「最大予約可能人数46,400人分」と明記されていたので、慌てることなく5月18日にPCに向かい、拍子抜けするくらい簡単に予約できました。ただちに自動的に確認メールも来たので、実際の接種まで3週間あまり待ちましたが、安心していました。前日にはリマインド・メールも到来。
これに続き区内医療機関での「個別接種」が始まり、さらにマスコミは政府の大規模接種センター(大手町・自衛隊)による接種を大きく報じました。選択肢が増えたこと自体はよいことですが、これで「浮気して」or「浮き足だって」大規模センターに押しかけ、地域自治体の接種予約をネグレクトする人々の気が知れないと思っています。最近の報道だと、その大規模接種センターがガラガラだというのも問題ですね。早く65歳未満にも接種対象を広げるべきです。

江東区は広いので、集団接種会場は区のスポーツセンター6カ所。接種時間は予約の段階で15分ごとに別けられていますが、到着した人は検温のあと全員屋内の待機室に案内されて、予約時刻が1時間以内の人から奥のホール(アリーナ)へ。老人たちは1時間以上前からやってきたりするので、そのための待機室だったわけです。
ざっと見たところ(撮影は禁止でした!)広いホールでは、15分枠ごとに15人が座って(1人1分という計算)順を待つように椅子が整然とならび、4列×15=60席ではなく、余裕をみて6列用意されていました。うち2列は全空席として、次に受付する該当列とそうでない列とを視覚的にはっきり区別しつつ、同時に席のアルコール消毒や忘れ物確認などをゆっくり施すという方針のようです。
会場には「事務」「責任者」「看護師」といったゼッケンをつけた係員がたくさん。
 (郵送された)「接種券」「予診票
  そして本人確認書類
の計3点の必須アイテムを携行しているかどうかは、最初の入館時から、くりかえし再確認されました。実際は順に
受付」(であらためて本人確認と予診票記載の遺漏がないかどうか形式的に確認)
→ 「予診」(予診票をみながら医師が問診) *
→ 「接種」(別の医師と言葉を交わしつつ) *
→ 接種後の経過観察(15分~30分)
→ 「最終受付」(体調確認と接種券の済証へのシール貼りなど)
と進みました。(2回目の接種予約は1回目に済ませています。)
【* この2つのプロセスのみ個室的に囲ったブースで、他はオープンな空間でした。】

ここまでの人のフローをいかに確実に間違いなく実現するか。これが枢要で、要するに Operations Research (大学一年・林周二先生の授業でやりました)をきちんと具体的に・集団的にやっているかどうかで運用は決まり、ときに報道されているような事故・混乱は防げるはずですね。
なお大学や事業所で集団接種をするというのは、たいへん良いことだと思います。社会的免疫状態(collective immunity)という観点から考えると、なによりも公共的な業務に従事している人、活動的に飛び回っている人からドンドン接種していただくべきでしょう。横並びの順番、平等主義がじつはあまり合理的でない無責任主義だったかもしれない、と再考しておく必要があります。

2021年6月3日木曜日

散歩の風景

健康管理の第一歩は散歩(a walk)ということで、近隣のあらゆる方角へ歩いています。湾岸のタワマン群を見上げたり
→ https://kondohistorian.blogspot.com/2020/08/blog-post_31.html
また伊能忠敬(彼もまた18世紀人!)の「始めの一歩」像を拝んだりもします。

こういった水鳥の姿になごむことも。(写真の右寄りに)異種の2羽があまりヒトを気にせず休息しているのか、餌を狙っているのか。鳥の動きがあまりないので、最初は姿を見つけて喜んでいた大人も子どもも、やがて飽きて次のなにかのために歩き出す、というのも可笑しい。

2021年6月1日火曜日

5月の憂鬱(2)

〈承前〉

とはいえ、今日(月)が助教出勤日とも限らず、そもそも学外者はキャンパスからシャットアウトされるかも。

ということで、もう一度覚悟を決めて3月の複数の来信(含 たくさんの添付物)から読み直して気付いたのは、指定されたサイトに並ぶたくさんのマニュアルのうち、1- というファイルをぼくはまだ読んでないのでした。
どうせメール主文と同じような挨拶だろうと考えて(推断して)、2-A、2-B、2-C、3-などの(1が済んでいることが前提の)部分的で条件的なマニュアルを読み、不親切で非実際的な指南書であると憤慨していたのでした。なにごとも(語学と同じで)順を踏んでゆかないと無理ですね。

そうと判明してからは、きわめて素直に、順調にことは進みました【なんと最初にすべきことは[すでに既存のアカウントでサインインしてしまっていた] Googleからサインアウトすることでした!】。マニュアル 1-の一番に 
" お手許に次の2つをご用意ください
 ① 3月にメールで配布したpdfに記載の初期パスワード
 ② 普段お使いのスマートフォン "
とあったのも実際的で、おかげで、くりかえされる「二段階認証」にもすみやかに対応できました。

というわけで、解決してしまえば、いけなかったのはマニュアル(指南書)ではなく、ぼくの早トチリ( ← 高慢と偏見!)でした。
メディア室のみなさま、ご免なさい。丁寧なマニュアルは - 読みさえすれば!- たいへん分かりやすいものでした。

5月の憂鬱(1)

コロナ禍と同時にこの間のぼくを憂鬱にしてきたのは、大学のメールシステムの Google Workplace への移動にともなうユーザ本人としての対応でした。すでに3月から5月末日までが移行期、と予告されていたのだから、十分に日時はあったはずですが、しかしことはそう簡単ではない。

そもそも大学教師(元もふくめて)にとって3・4・5月というのは暇な時候ではありません。少しでもまとめて時間が取れるので、前々から予定していた読書や分析や執筆やに専念できるかというと、研究会も、会議もあります。近ごろはZoomを利用して気軽に研究会合や会議が催される傾向もあります! 今年は確定申告が4月に延びたので、それも!
千葉の母には直接面会できない代わりに、ホーム側から設定してくれて Google Meet もありました。

というわけで(あまり合理的な理由にはなりませんが)、延ばしに延ばしてきました。情報メディア室からの案内のメールと添付の(正確には指定のサイトに収納された)たくさんのファイルが不親切なような気がして、しっかり読むのが滞っていたのです(新しい語学をやって、まだ格変化くらいしか分かってないのに、仮定法/条件法の文章を読まされるような感じ)。昨夜(日)も指南書を見ながら途中までやって、なんだか分からなくなり、挫折。‥‥そもそもお仕着せで指定されたパスワードを変更しないと、現アカウントをはじめ、すべてが失効するわけだから、これは月曜に無理にでも大学に出かけて - PC持参で - 助教さんに、手取り足取りやってもらうしかないか、と絶望的な気持になったのでした。 → つづく

2021年5月18日火曜日

〈主権〉概念の批判的再構築 ‥‥

16日(日)15:20~18:30の日本西洋史学会大会・小シンポジウム「礫岩のような国家にみる〈主権〉概念の批判的再構築」ですが、Webinarの裏方も含めると200名を越える参加者(視聴者)があったようです。全参加者名はリアルタイムでは分かりませんでしたが、Google Form で寄せられた質疑で多くの既知の方々の発言を正確に読むことができました。かなり水準の高い学会シンポジウムになったという感想をもっています。【その後、主要参加者名は、発言しなかった方も含めて、知ることができました。】
→ http://seiyoushigakkai.org/2021/convention/

ぼくの場合は技術的に支障があり、机上に2台目のPC(タブレット)は開けていましたが、そこから(せっかく司会が用意してくれていた)裏方連絡網に入ることができず、司会と質疑スプレッドシートと Webinarのchat だけによって「舞台」の進行についてゆく、という事態となりました。(途中から)時間制限についてあまり気にしなくて宜しいという司会の連絡があったのは知らぬまま、また焦って事前の想定からやや外れたナーヴァスな発言をしたかもしれません。

18:30から Zoom Meeting に移ってからは、参加者の名前もお顔も見えて、二次会的なムードになりましたね。パネラー以外の学識が開陳される好機となりました。

それにしても、15:20~19:45の長時間にわたって、大事な論点がたくさん出て/飛び交い、それを多くの研究者と同時にシェアしたわけです。研究史的に意義あるシンポジウム(& post-session)だったと総括できるのではないでしょうか。

Google Form に記入していただいた質疑・発言は(これがディジタルの利点ですが)すべてしっかり保存され、パネラー全員が共有できるようになっています。

とはいえ、たとえば1977年・東北大学における西洋史学会大会シンポジウムもそれだけで終わらず、2年後に『近代国家形成の諸問題』として公刊されたからこそ、(各報告の深い学識と、今となっては批判されるべき点の充溢する)研究史に残る有意義な研究集会だったと言えるわけですね。今後が大事だと思います。

ご協力、ありがとうございました。個人的にはITの習熟がなお残る課題です。今後ともよろしく。

2021年5月14日金曜日

日本西洋史学会大会(土・日)の報告レジュメ

5月15日(土)16日(日)の日本西洋史学会大会は、関係者の尽力で、準備万端ととのってきたようです。全体の招待講演が後藤春美さん(東大)と石坂尚武さん(同志社大)。いろんなシンポジウムも並んで、楽しみにしています。
http://www.seiyoushigakkai.org/2021/index.html
とはいえ、Zoom だ Webinar だと言われてもちょっと‥‥という人も少なくなく、ぼくの知る退職世代ですと、若干の努力と試行錯誤のあと、「もぅいい」と止めてしまう人もあり、残念です。
かくいうぼく自身、小シンポジウム【礫岩のような国家にみる「主権」理解の批判的再構築】
http://www.seiyoushigakkai.org/2021/symposia.html
でコメンテータをつとめます。そして4月末日には(大会報告要旨集とは別の)配布レジュメ(A4・3ぺージ)を送達したつもりだったのですが、学会ウェブぺージからは行き着くことができず、登載は未だなのかと勝手に納得して放置していました。とはいえ、今日(木)になっても見えないのはおかしいと、ついに代表者=ITエキスパート氏に質問。

その返答にて問題は一挙に解決しましたので、そのエッセンスを次に引用します。

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Q. ところで、先日から大会のサイトで捜しているのですが、すでに2週前に提出した(事前配布の)各報告レジュメはどこに収められているのでしょうか。

A. レジュメへのたどり着き方、確かにわかりにくくなっています。最初わかりませんでしたが、すでに先週の金曜日から公開されています。以下にたどり方を記します。

http://seiyoushigakkai.org/2021/convention/ 
 にはいってください。この頁に入るには大会登録者のパスワードなどが必要です。
② 16日の「15:20~18:20 小シンポジウム」という行までスクロールしてください。
 「15:20~18:20 小シンポジウム」の右隣に小さな小さなGoogle Drive(△)とOne Drive(雲)のアイコンが二つならんでいます。このいずれかをクリックしてください。
③ たとえばGoogle Driveのアイコンをクリックすると、「小シンポジウム」のフォルダに飛びます。そこの3番目のフォルダに、皆様のレジュメ(PDF)が並んでおります。

これをダウンロードする、という次第です。

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というわけで、ぼくの場合は解決しました。しかし、こうしたエキスパート氏がいない小シンポ・グループやそもそも一般参加者(視聴者)は、いったい、どうするんでしょう? そうでなくとも多忙な大会準備委員会を質問攻めに?
あるいは、焦っていろいろ試みたあげく、時間切れであきらめ、挫折感とともに(自分およびITにたいする)憤りにちかいものを覚える‥‥
そもそも Covid-19 の長期化とともに憂鬱が昂じているのに、さらに心の健康に悪いことが加わる‥‥
そうしたことを回避して、爽快な5月の学会を楽しむためにも、上記の交信が少しでもお役にも立つなら、幸せです。

それではみなさま、16日(日)に! この日は二宮宏之さんのお誕生日でもあります。

2021年4月16日金曜日

立正大学のR

 水曜には大崎の立正大学まで授業に行って参りました。教室で授業をするのはじつに2020年1月から15ヵ月ぶり! 大学事務に顔を出すのは、20年3月の年度末処理以来でした。 学生もそれなりに居ますが、しかし Covid前に比べると、やはり空いています。
 峰原坂の正門から入ると変化に気付きませんが、6号館食堂・図書館の脇から山手通りの通用口へ下ると、2019年以来の大工事がすべて完了して、きれいになっています! 11号館と新13号館を合体させて一つの建物であるかのように見せているのですね。

 左隣は大崎警察署。あいにくの天気でしたが、違和感のない連続性が示されています。
大学のロゴもいつのまにか「緑のR」から「青のRデザイン」に替わりました(校舎の左壁、そして1階の中ほど)!

2021年4月6日火曜日

山陽路

昔むかし、学齢前に住んでいた松山から、母の実家・広島県の(今は尾道市に合併した)向島に行くには、瀬戸内の今治=尾道間の連絡船で、しまなみの大きな島小さな島の間を抜けながら、次々に変わる景色のなかを船に揺られました。
その後、住居が京都、千葉に移ってからは、母とともに山陽本線で神戸から須磨の浦、舞子の浜の美しい松林を眺め、姫路の次「相生」から岡山平野へ抜けるまでの山あいの蛇行する鉄路は、機関車がナンダ坂コンナ坂‥‥とあえぎながら上るのですが、この光景は小学生には忘れられないものでした。そして岡山、福山を過ぎて、しばらく海が見えなくなったあと、「松永」から左にカーヴして、まもなく家並みの合間に、尾道水道の海面と造船所のクレーンなどが目に入ってくる。
   海が見えた、海が見える。
   五年振りに見る尾道の海はなつかしい。
   汽車が尾道の海にさしかかると
   煤けた小さい町の屋根が
   提灯のように拡がってくる。
   赤い千光寺の塔が見える。
   山は爽やかな若葉だ。
   緑色の海の向こうに[向島の]
   ドックの赤い船が帆柱を空に突きさしている。
   私は涙があふれていた。
といった林芙美子の文章を染めた(観光用の)手拭いを、千葉に住む母は部屋にずうっと飾っていました。林芙美子は、母と同じ「尾道高女」の卒業なのです。いまは無人の家に、まだ垂れ飾ったまま。母ほどではないが、ぼくにとってもささやかな原風景のひとつです【新幹線の「新尾道」経由だと、この感動は味わえません。福山で在来線に乗り換えるにかぎります】。
この向島にいま二人の叔父が90歳を過ぎて在住です。

その尾道からさらに西へ行った隣町、三原市では   〈古民家しみず〉再生プロジェクト  というのが始まったということです。叔父が『中國新聞』の切り抜きを送ってくれました。
  → http://www.kominkashimizu.net/
 「西国街道の古民家を 民泊&土蔵ギャラリー&カフェ として再生し 地域に活気を取り戻す!」という謳い文句で、古民家カフェがこの春から始まるのです。
まもなくパンデミックが収まって、ご無沙汰の二人の叔父に会い、この古民家カフェにも訪ねて行けますように。

2021年3月31日水曜日

はないかだ

 今春は花も若葉も早く、すでにソメイヨシノの盛りは過ぎました。
 この間ゆったりと花見をする心境ではなく、ようやく今日お昼に行ってみた大横川では、花筏(はないかだ)状態でした。

2021年3月20日土曜日

大横川の春

 すでに、ご無沙汰一ヶ月以上になりますか。
 パンデミックも日本政治も、世界政治も、気の滅入る現状。それに花粉症が加わって、じつに憂鬱。‥‥とはいえ、なにもせず内向しているわけではなく、いくつかの有意義な仕事を続けてはいます。これについては、もうすこし具体化してからお伝えします。

 今日は桜の開花宣言はあっても、まだまだ

  楽しさも中くらいなり 大横川の春

ということで、川面の光景をご覧に入れます(最寄り駅は門前仲町です)。

2021年2月11日木曜日

長老支配  gerontocracy!

東大駒場に入学して、おもしろいと思った授業がいくつもあったうち、京極純一先生の「政治学」はまた特段でした。定員700か800くらいの大教室で、最前列の2・3列は席取りが激しく、真ん中あたりでも、早めに行かないと席がなくなる。立ち見の学生もいるし、後方には双眼鏡をもって板書を写すヤツさえいる、といった授業。法学部進学者には必修だったからだけでなく、とにかく面白かったのです。
 「ふかいことをおもしろく、
  おもしろいことをまじめに、
  まじめなことをゆかいに」
井上ひさしより前から、こういう講義を心がけておられたのか。

あの三木清か藤田嗣治みたいな眼鏡をかけて、老先生のような雰囲気だったけれど - 1924年生まれということは、まだあのころ御年42歳だったのか!-、「わたしは保守主義だ」とのたまいながら、飄々と政治現象を分析なさる。のちに『日本の政治』(東京大学出版会)になる前の原型だったのかもしれません。

その京極先生の講義で、大学1年になったばかりのぼくは、Gerontocracy と板書された英語をみて、知らないだけでなく、意味を想像することさえできない英単語がある、という衝撃を受けたのでした!

Geronto- とは老人、年寄りという意味。-cracy とは権力、支配をいう(ギリシア語から来ている)。政界の長老の意向で国政がうごくとか、会社でも先代の社長が方針を決める場合がそうですね。「伝統主義」と同じことになる場合もあるが、なにより年季の入った者がそれゆえに力をもって、他の人は異論を言えない場合が、この老人支配です。年齢自体より、年季ゆえの権力関係‥‥。 とかいった説明を受けて、もぅ忘れられない。講義の上手な方でした。

今回のオリパラ組織委・森喜郎会長の「不注意」放言と、それを厳しく批判できない自民党。なにより「なにがいけないんだ」と言い出しそうな二階幹事長。これこそ gerontocracy の見本です。
十代で男女共学を経験していない世代は、じつはぼくの母親たちも含めて男尊女卑だった/あるいはそうした価値観に順応しないと生き苦しかった。森、二階ばかりでなく、彼らに直言できない橋本聖子オリパラ担当大臣も、自由に発言できないなら、降板する好機ではないかな。
現在のオリンピックの理念は、美しいナニカではなく、IOCバッハ会長の姿勢に現れているように、あくまで国際スポーツ興行の金もうけ主義だと思います。だからこそ、協賛企業の意向(スポンサーから降りるかどうか)を気かけているわけ。ここはガラパゴス・差別文化をニヤニヤと/苦笑いでやり過ごすのでなく、好機ととらえて、スッキリしましょう。

じつは靖国合祀問題も同じですね。

2021年2月10日水曜日

むずかしい → やさしい → 深くおもしろい → 愉快な瞬間

なぜか文藝春秋およびNHKで半藤一利の遺文が話題になっています。そのこと自体は良いことで、異論はありません。しかしその新刊本を紹介するところで

むずかしいことをやさしく、
 やさしいことをふかく、
 ふかいことをおもしろく、
 おもしろいことをまじめに、
 まじめなことをゆかいに、
 そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

という名文の引用源はいろいろある、というのは怪しからんのではありませんか? ましてや、ここで永六輔の2014年の本がしゃしゃり出てくるのはおかしい。

国会図書館の「レファレンス事例詳細」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000158633
にありますとおり、井上ひさし・劇団こまつ座ですよ!
こまつ座の『the座』14号(1989年9月)pp.16-17 で言及され、井上家の机の前にこの一文が吊されていたということです。 これだけ「やさしく」「ふかく」「ゆかいに」真理を言い当てている名文です。敬意をもって接したい。

とはいえ、少々の物書き経験者として申しますと、最初から「むずかしいことをやさしく」というのは、そもそも不可能に近い。
「むずかしいと見えること」をためつすがめつ、寝ても覚めても考え通すことによって、ある日アルキメデスのように、「分かった! エウレーカ!」とひらめく。
そうした寝ても覚めても、風呂に入っても、の日夜をへて、ある時、ようやく啓示のように、やさしく、深く、おもしろいことがやって来る愉快な瞬間に恵まれるんだな。

2021年2月2日火曜日

きさらぎの小春日和

「如月小春」という知的できれいな演劇人がいました。書評でも活躍していた。惜しくも20年前に立教大学の教室で、くも膜下出血のため亡くなりました。

今日はその名を想い起こすほど穏やかな日。運河の鵜3羽と鴎2羽が(争うことなく)日なたで昼休み中です。

2021年1月23日土曜日

罰金と過料のちがい?

ご存知でしたか? 「過料」と「科料」と「罰金」のちがい!

いま22日の閣議決定をへて国会に上程されようとしている「特別措置法改正案」のなかの用語ですが、時短要請について知事が命令したことに違反した場合に「50万円以下の過料」; 「感染症法改正案」の場合は、感染者の入院拒否や病院からの逃亡にたいして「懲役1年以下または100万円以下の罰金」; という規定があります。

現在のあくまで個人主義的な自発性にもとづく自粛、行政側からすれば「協力のお願い」では効果がうすい、というので、現政権はおそるおそる罰則規定を加えるわけです。それにしても「過料」と「罰金」はどうちがうんだ? それに「過料」って「科料」のまちがいでは? というので辞書を引き、ウェブで調べてみました。

罰金」は刑法に定められているとおり、犯罪の処罰のうち死刑、懲役、禁固などの下位にある制裁の一つ。1万円以上。裁判所の判決できまるわけで、有罪になればもちろん「前科」として記録にのこる。その後の人生で、原則、公務員にはなれない。

科料」も刑法で定められた刑罰だけれど「軽微な犯罪に科する財産刑」で1万円未満。「とがりょう」とも読むらしい。

過料」は刑法上の刑罰ではないとのこと。「江戸時代から過失の償いに出させた金銭」に由来するもので、現行法でも軽い禁止に違反した場合にしはらう「秩序罰」、「あやまちりょう」とも読むらしい。

つまり、感染者が病院への入院を拒んだり、勝手に逃亡したりした場合は刑事罰として罰金/懲役を科される。休業や営業短縮などの命令に反した場合は、秩序罰として過料(罰金より軽い、あやまちりょう)にとどめる‥‥という差をつけるのですね。

ところでぼくは今のようなパンデミックの情況下には、強制力をともなう非常措置をとることに反対ではありません。ただし、せいぜい秩序罰だし、期限を明示し、始まりも終了も国会で決める、という条件で。

歴史的にローマの共和政でも、フランス革命の革命政府でも非常事態には dictator(独裁者)の執政が有期で(6ヵ月/1ヵ月)定められました。元老院や国民公会など議会が承認し決定することが条件です。カエサルが元老院で殺されたのは、有期のはずの独裁者なのに、彼の場合は「終身の独裁者」となったからでした。<小池和子『カエサル』(岩波新書、2020)

ロベスピエールたち山岳派の革命独裁(dictature)の場合は個人独裁ではありませんが、やはり(はじめは)期限をいちいち更新していました。なんといっても「徳と恐怖」の革命政府(非憲法体制)ですから、いささか疑問や異論を唱えただけで「反革命」と認定されればギロチン(断頭台)に上るわけです。1794年の3月からは、あのダントンさえ逮捕、処刑され、いつまで続くかわからぬ大恐怖のさなか、疑心暗鬼になった革命家たちが7月にクーデタを企て、ロベスピエールやサンジュストを国民公会で逮捕し革命独裁を終わらせました。

いずれの場合も、元老院や国民公会が舞台になったこと、議会主権が肝要です。

ところで、平和な日本ではギロチンでも暗殺でもなく、せいぜい「100万円以下の罰金」か「過料」でことは済みそうですが、それにしても  「罰金は、罪状や金額に関わらず、原則として現金一括払いで、納付した罰金は確定申告の控除対象とはなりません。」とのことです。 ご注意を! <https://www.keijihiroba.com/punishment/labor-seekers.html