29日(土)には名古屋市立大学にて『イギリス史研究入門』と『イギリス文化史』の合同合評会! いったいどんなものになるかと心配し、また期待しつつ参りました。かなり率直にお話しできたと思いますが、
「印象派の魅力的な絵画を自由に描くためには、スケッチ、遠近法、絵の具の解き方、Old Mastersの勉強といったアカデミズムのトレーニングが前提」
という結論で、落ち着いたようです。
『イギリス史研究入門』の第二部 B. 研究文献で、あるべくして欠けているものといえば、いくらでも挙げることができます。『内田義彦著作集』全10巻(岩波書店、1988-9)もその一つ。
現行版(p.375)には、内田さんの本のうち『社会認識の歩み』(岩波新書、1971)だけが挙がっていて、校正の段階でこれを『経済学の生誕』にするか『内田義彦著作集』にするか、と悩んだすえ、やはり学生に一冊だけ勧める最初の本は、この岩波新書だと決断したのです。別の共著者の挙げたのが『社会認識の歩み』だったというのも、一つの強い理由。
ただ個人的なことを言えば、ぼくが初めて読んだ内田さんの本は『経済学の生誕』(未来社、増補版 1962)。これで、卒論で1750年代をやる大義名分みたいなものをもらった気がしたのでした。七年戦争(1756-63)期の全ヨーロッパ的危機意識、「スミスとルソー」、道徳哲学、利己心と公共性‥‥とあらゆるイシューが18世紀なかばのイギリス人(ヨーロッパ人)スミスに集中して現れているんだと納得してしまった。そのあとに読んだE・P・トムスンや二宮宏之なんぞより(!) はるかに力強く長続きするインパクトがあった。
ただ、この内田、トムスン、二宮の3人は雰囲気が似てないでもないし、顔もそうです。なにより文章に命をかけた物書きだった。「‥‥内田さんの筆は遅々として、骨身を削って苦吟される様は痛々しい限りであった」と田添京二氏が『月報』1に書いています。
それから、何より内田義彦は、大塚久雄を尊重はしていたが、近代というものをしっかり批判的に見つめていた。大塚のように日本の問題の根拠を「七化け八化けした近代」に求めたのではなく、「紛れもない近代」をしっかり問うた。講座派から生まれて、早くから講座派を抜けていた。そして丸山眞男よりずっと自由だった。その基礎に技術論と音楽があったかもしれない。
1913年生まれ、89年没。20世紀日本の生んだ偉大な知性でした。
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4 件のコメント:
こうした観点から、2・3年前に堂目ナントカという人が、内田義彦の仕事にまったく言及することなく『アダム・スミス』ないしは道徳感情論と国富論、について一書を著し、(そこまでは個人の自由かもしれないが、)それでサントリー学芸賞まで掠うとは! ドーモクし、世も末かと思いました。
マネが古典からいっぱいマネび、ピカソでさえベラスケスなど old masters を模写した(パロった)ことは常識です。先学の蓄積から学ばずに、おしゃべりするだけでは前に進むことはできません。
はじめまして。大学時代、最初に買って読んだ書物の一つが『資本論の世界』でした。今でも迷いが生じると、内田義彦の書物を開きます。
そういえば、例のスミスを扱った新書には、内田氏のほかに、昨年お亡くなりになった小林昇氏の著作も、まったく紹介されていませんでした。さらには水田洋氏の著作も。戦後日本を代表する三大スミス研究者の登場しないスミス研究の書が出るというのも、隔世の感があるというべきでしょうか。
匿名さん
ありがとうございます。どなたなのか、さっぱり見当がつきませんが‥‥
水田洋さんの名は、この堂目『アダム・スミス』に訳者としては登場するのですが、その著書は、目録さえ、見えない。隔世の感というより「可笑しい」というべきでしょう。
早速のご返信、ありがとうございます。大学時代、ゼミにて内田義彦と小林昇、どちらのスミス研究が優れているかと、ナンセンスな話で盛り上がったことを思い出しました。ゼミでは小林氏の支持者が支配的で、内田・小林両氏の著作に私淑する者としては、どうでもよいではないか、と思ったものです。
昨年の小林氏の訃報の際、メディアの扱いのあまりのぞんざいさに憤りを感じつつ、しかしいかにも奥ゆかしい氏らしかったかな、とも思った次第でした。
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