日曜の朝。起床は遅く、しかも、なんだか怪しげな営業電話の相手をして、ちょっと機嫌の悪い状態で、またもや電話。‥‥ん、これも営業トークか、と思いきや
「‥‥中学のチョーノーです。近藤くん?‥‥」
えっ、張能正先生!! なんと『朝日新聞』の読書欄、岩波の広告(↓)に君の名前が出ているので、確かめたかった、と。「君はフランス文学が専門ですか」とは、ちょっと困ったが。
中学卒業は1963年。その後、大学1年のとき千葉県庁でお会いして、また40歳のとき同期会でも再会しました。いま先生は84歳とのこと。あのころは30代でいらしたんですね。お元気な先生とお話しできて良かった。
じつは、ぼくの英語力の半分は、この先生のおかげなのです。
中学1年は New Tsuda Reader という教科書で、なんだか印象が薄かったのですが、2年になると、たしか三省堂の The Sun という教科書にいっせいに切り替わって、雰囲気が一気に新しくなった。きっと学習指導要領が変わったことに対応する新教科書だったのでしょう。1年では Have you a pen? と習っていたのに、2年からは Do you have a pen? が正しいとなりました。
2年の最初の単元は The City という題で、都市なる存在の文明的意味みたいなメッセージのある本文。しかも奥付のページをみると、張能先生はその執筆者の一人として名を連ねておられるじゃないですか。先生はこれを活用しつつ、授業では簡単な和文英訳をどんどん出して、ぼくたちにやらせた。じつに簡単な問題で悩むところは一つもなかったけれど、これは要するに各単元をきちんと理解しているかどうかは、英文和訳でなく、和文英訳で確認できる、という信念にもとづく授業だったのでしょう。
単純な言い回しを暗唱し、平叙文をただ否定文にしたり、疑問文にしたり。これは入門語学の最初の訓練ですね。
これは中学の卒業写真。張能正先生は、前列右から4人目。ぼくは‥‥3列目のまん中でした。
さらに張能先生の授業を補う形で(定年後の?)老先生と、もう一人どこかの大学院生(オーバードクター?)がおそらく非常勤で長文講読(和文英訳)のコマを持っておられた。老先生は完全にカタカナ英語なので、3年になると、発音の良い近藤が朗読しろ、などと命じられることが続きました。
その老先生は発音は悪くても英語の分かった人で、別の似た表現について成り立つかどうか質問すると、二つの文をならべてどっちも意味の通る立派な英語だ、「アイザー ウィル ドゥーだ」とゆっくりいうのが決まり文句で、Either をイーザーと発音しない「古めかしさ」とともに、これは中学生の頭に刻みこまれた。
こうした中学校の授業に加えて、NHKの「基礎英語」「英語会話」、そして文化放送の「百万人の英語」を聞くことによって、ぼくの英語の基礎能力は培われました。基礎英語は芹沢栄先生の教養主義的な(中1には高級すぎる)英語入門で、なんと
The year's at the spring,
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in his Heaven -
All's right with the world!
なんて暗唱させたのですよ! シャワートレーニングどころじゃない。
Row, row, row your boat,
Gently down the stream.
Merrily, merrily, merrily, merrily;
Life is but a dream.
というのもあった。なんて速くてむずかしい発音。なんて含蓄のある詩。
発音とイントネーションこそ、大事。文法を暗記するのではなく、言い回しを暗唱すべし。迷ったときだけ文法に頼ればよい。‥‥1960~63年の国立中学という環境で考えると、なんて理想的な英語教育だったんでしょう!
千葉高校に入ると、すぐに POD (Pocket Oxford Dictionary) の木村先生との出会いが待っていました。『文明の表象 英国』p.20 に書いたとおりです。
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