2020年9月15日火曜日

戸田三三冬『‥‥アナキズムの可能性』

 戸田三三冬さんという存在感のある女性の、ドシッと重い遺稿集。カバー折り返しの写真も「みさと」さんの面影をよく伝えています。
 本のメインタイトルは『平和学と歴史学』(三元社)とあり、これだけではおとなしい印象ですが、副題のほうに意味があり、じつはすごい大冊で600ぺージになんなんとし、巻末の索引は夫・三宅立さんによる周到なもので16ぺージにおよびます。アナキズム、アナーキー、インタナショナル、社会主義、愛郷心・愛国心(patriotismo)、くに・故郷・祖国(paese)といった語を手引に、ぺージを前に後にくって読み返す価値があります。
  戸田三三冬さん(1933-2018)は、略歴からみても、
  卒業論文(1960)で「ドイツ11月革命におけるレーテ」
  修士論文(1963)で「第一次大戦中における中欧再編問題」 
  フルブライト奨学金でアメリカ・ボストン留学、ヨーロッパ旅行 
  アナキスト・マラテスタの著作に遭遇して、日本アナキストクラブに参加
  三宅立さんと結婚 
  イタリア政府給費留学生としてナポリ留学 
  各大学で非常勤講師を重ねつつ、1990-2004年に文教大学教授
  日本平和学会のシンポジウム「人間・エコロジー・平和」を企画・司会
  マラテスタ研究センター主宰 
といった具合に、三面六臂の活躍でした。  
 戸田さんはぼくよりずっと年長で、親しくお話しする機会は多くなかったし、会合でぼくが発言しても「坊や、いいこと言うわね」程度にあしらわれたように記憶します。それにしても本書に集められた論考も授業の記録も、人柄と語り口をしのぶ良きよすがとなっていて、懐かしいものです。たとえば、巻末の長い「解題」にも紹介されているとおり、
  [長いヤリトリのあと] 
  司会:「‥‥ストップしないと(戸田先生の話は)止まらないから」 
  戸田:「一つ言わせて! 私の平和学の根底にはアナキズムと仏教があります」
  司会:「それはみんなわかっている」
  会場と戸田:「ハッハハ」(p.528) 
  
 じつはいま「ジャコバン研究史から見えてくるもの」という拙稿、すでに去年に執筆したものですが、ただいま再考中でして、 「彼[マラテスタ]にとっては社会主義者、アナキスト、インタナショナリストは、常に同義である」(p. 363) といった戸田さんの文章に「再会する」ことにより、わが身体にいつしか刻みこまれたマルクス主義的≒近代主義的偏向(!?)をあらためて反省します。 
 イタリア人アナキスト・マラテスタは在ロンドン、1881-1919年。イギリス史の基本的レファレンスである Oxford Dictionary of National Biography にも当然のように Errico Malatesta が(クロポトキンなどとともに)立項されています。ロンドンの亡命者コミュニティというのは、すでに1840年代から呉越同舟で、おもしろい。なんと1905年、08年にはあのレーニンもマラテスタたちの居るロンドンに滞在しました! 顔を合わせてしまったら、どうする/したんでしょう?

2020年9月2日水曜日

菅だけは止めてほしい


自民党の総裁選、かねてから意欲を示していた石破茂、岸田文雄についで、菅義偉官房長官が立候補表明しました。
各政治家それぞれの政治傾向や能力, etc.ということ以前に、この2・3日で判明したのは、安倍晋三総理総裁の「任期の残余をつとめるだけだから+現政権の連続性」という2つの論理で党内派閥間の力学をうまく収め、その既定方針を崩さないために自民党の党大会は省いて、予定調和の菅に決しようということでしょう。
現政権の安倍=麻生=菅枢軸のうち麻生太郎は80歳ですし、高慢な失言も多いので、もはや出番はなし。これまで官邸をまとめ官僚を統率してきた実務派官房長官の経験に頼り、その奮闘努力をねぎらって残余1年間の総理総裁職を贈与する、という理屈が自民党の中で浸透するというのは、分からないではない。
それにしても、菅はイカン。
なによりいけないのは、菅義偉の記者会見にも現れる滑舌の悪さ。原稿を読んでいるにもかかわらず、前のめりでカンでしまう発音の悪さ。しっかり息を継ぎ、キーワードはゆっくり明快に発音しなければ、公人として失格です。もう一つ、政治家として内向きすぎます。河野太郎の対局かな。国際感覚ゼロの人が No.1 になってはいけない。この2つの理由で、総理総裁=首相になるべからざる人です。

昭和天皇の「終戦のみことのり」(の録音)は聞いていて恥ずかしくなるほど下手なスピーチでした。ブレスを意識するとか、公的な〈朗読〉すなわちスピーチの基本の訓練がなかったのでしょう。日本の旧エリートはそれでも良かったのか。音楽的センスの問題でもある。朗読をあなどるなかれ。
菅官房長官が「順当に」継承するなら、日本国の首相のスピーチは、日本語の分からない人にも分かるほど下手くそで、どこかの省庁の局長の「木で鼻をくくった」答弁みたいなものを毎日聞かされることになるのです! 耐えがたい。

2020年8月31日月曜日

湾岸の夜景

8月も今日で終わり。午後は、12月の都市史学会オンライン大会(http://suth.jp/event/convention2020/)へ向けての勉強会で、熱い4時間あまり。6時半に外を見ると、すでに暗くなっていて、河面をわたる風は涼しく、さすが盛夏も終わりか、と感じさせます。

この夏は、コロナ禍(と日差し)を避けてほとんど毎夜に散歩してきました。歩くコースは四方にあるとはいえ、やはり湾岸らしく、潮の香りがして展望もひらける所に惹きつけられ、この写真にあるような光景を歩くことが多いです。

東京港の入口、芝浦と台場をつなぐレインボーブリッジを遠望し、右手は「パークタワー晴海」と「晴海タワーズ」。紛らわしいけれど、三井不動産と三菱地所が競争的に共存しています(晴海2丁目)。この3棟の先、(ここからはほとんど見えない)オリンピック選手村に直結する一帯(晴海4丁目・5丁目)を Harumi Flag と呼ぶことにしたようです。タワマンの住み心地が良いかどうか、ぼくの好みではないけれど、ただ、周辺の緑地・遊歩道はよく整備されて、気持のよい空間です。むかしはセメント工場があり、はるか亀戸から貨物線が通じていました。
その Harumi Flag の写真を撮った場所を振り返ってみると、こんな具合です(豊洲2丁目・3丁目)。
左から三井不動産が再開発したタワマンと複合商業施設ららぽーと、青く光るのは豊洲の波止場で、かつてすべて石川島播磨造船( → 現 IHI)の敷地でした。それを記念したモニュメントが随所に残っています。右手の明るく大きな建物は、この夏にオリンピックを見込んで完成したばかりの三井のホテル+オフィス棟。

つまり真ん中に(夜は黒く光る)豊洲波止場前の海面をはさんで、三菱地所と三井不動産が対峙する配置です。どちらも海に接する遊歩道に、「ここの標高は5.5m」という同様の道標があり、緑地にはさらに丘のように盛り土した箇所もあり、人工の快適空間。
ぼくは、こういうのが嫌いじゃない。小学2年で千葉の新宿小学校に転校して以来、場所は移動しつつも、日本の高度経済成長と近隣の住環境の大転換とをずうっと目撃してきた世代です。40歳で湾岸は東京商船大学の脇に転居してきたのですが、このときも1988年(バブル最中で)佃の超高層マンションがニョキニョキと建てられ、地下鉄有楽町線が開通したのでした。湾岸の大変貌の画期でした。

2020年8月28日金曜日

『歴史学研究』1000号


          http://rekiken.jp/journal/2020.html
創刊1933年の『歴史学研究』が、戦後歴史学の中核をになった期間をへて、今も生き延び、この9月号で1000号を迎えたということです。創刊1000号記念の特集は「進むデジタル化と問われる歴史学」。なんと近藤も寄稿しています!

正直、昨秋に編集部から依頼を受けたとき、一瞬は迷いました。歴史学研究会とは「因縁」というものがあって、それは何十年たったら解消する、といった簡単なものではありませんので。ところが2・3年前から「研究部長」さんが変わって、歴研内部の討論のトーンも変わったような気がします。「主権国家再考」の討議にも参加しました。はばかりながら学問的な再考・修正・革新には、学生時代から積極的にかかわってきたという自負はありますので、2019年には「主権なる概念の歴史性について」という大会コメントを『歴史学研究』989号に寄せました。【西川正雄さんがお元気なら、大いに喜んでくださったでしょう。彼との関係修復(2007年7月、於ソウル・駒場)はあまりにも遅かった!】

今回はそれより長く、1000号記念特集で、ディジタル化/これからの歴史学に関係するなら、いかようにも自由に、という特段の依頼だったので、それなら、自分のためにも人のためにも、整理して記録しておこうとその気になりました。現今のディジタル化とグローバル化について短期的な(他の人にも書ける)エッセイをしたためるのでなく、1980年前後から顕著になっていた世界的な知の転換と同期してきたITの展開という文脈、そのなかに90年代以降の(≒ Windows 95 以降の)ディジタル史料(リソース)、オンライン学問の発達・展開を位置づけて論述してみたいと思いました。ぼく自身も同時代人としてそのただなかで生きてきたのです。
OUP や Proquest や Gale-Cengage といった特定企業名も出てきますが、それぞれ競合しつつ、2000年(OED オンライン供用)~2004年(ODNB)あたりから学界も個々の研究者も気持・志向・文化が転換したような気がします。社会経済史学会では、大会でも部会でも、Query をどのように立てて検索し、結果をどう処理するか、といったことを熱心に議論していました。
ぼく自身も、2004年7月には「オクスフォードの新DNB」について『丸善Announcement』に書かせていただいたし、12月には(Keith Thomas の代わりに)Martin Dauntonを招待して、丸善 OAZO にて ODNBシンポジウムを開催していただきました。

しかし同時に、現ディジタル世界のありようはあまりにも問題が多く - 今日のアメリカ政治にも、日本社会にも如実に現れているとおり -、賢明で積極的な対応が不可欠です。好き嫌いや利便性よりも、反証可能性をおもてに出した、クリアでシンプルな文章とすべきだと考えました。
従来の歴史学からの連続性、民主的アクセスが保証された知の営為、といったことも隠れたモチーフです。また他方ではイングランド・アイルランド・スコットランドの間の「歴史問題」をおもてに出した連携のような関係が、日本・韓国・中国・台湾などの間でいつになったら構築されるのだろう、という憂慮もあります。
後半はいささか整理不足で、あれもこれもとなってしまいました。

2020年8月27日木曜日

朋あり 遠隔より談ず、また楽しからずや


このブログへの登載が間遠ではないかと心配するメールなどいただいています。コロナ禍と盛夏のただなかですが、いちおう元気です。ケアを要する家族も、皆みなさまの助力で、大きな変化はなく、なんとかやっています。

そうしたなかで、喜びといえば Zoomミーティング ですかね。
同一空間に会して歩く姿を見つめたり、全身が丸くなったとか、縮んだとか(?)いった印象とともに談笑することは今はできないけれど、リモートの画面で、ふだんは見ない書斎の背景を見せてもらったりしながら、久しぶりに談論風発‥‥、また楽しからずや。

たとえ(ご本人の嗜好で)リモート画面は伴わなくても、メールや電話で優しく細やかな配慮をいただいたりすると、これもうれしいですね。人は一人では生き続けられない、という真理にも想いいたります。

2020年8月13日木曜日

空蝉に ‥‥

特別に長い梅雨のあと、急に盛夏の猛暑がつづきます。みなさんお変わりありませんか。
わが集合住宅の敷地にもようやく蝉時雨(せみしぐれ)が襲来して、「滝もとどろに鳴く蝉」は部分的には深更にもやまず(例年はうるさいなぁと感じることもあったのですが)今年は、それがなんだか嬉しい。

7年間は地中の幼虫としてのいのち。つまり2013年の夏(『イギリス史10講』仕上げの夏!)に産み落とされ、地中にもぐって成長し、ようやく暑くなったので、夕刻、地上に這い出て見たことのない母の産んでくれた樹木にのぼり、夕闇のなか脱皮して、大きな羽根をえて、身体も一回り大きくなり、翌朝に飛び立つ。飛ぶ昆虫としての7日間くらいのいのち‥‥。考えるといとおしくなります。
昼間に(大学のリモート授業のあいまでしたが)郵便ポストまで投函しに行った折にふと大きな街路樹の足元をみると、小さな(1cm未満の)丸い穴がいくつもあることに気づきました。これは何だ、と思いつつ見上げると、高さ2m~3mくらいのところに蝉の抜け殻がいくつもあります。そぅか! 日が暮れてから来ると、あれをふたたび観察できるかもしれない! 小学生時代にはカメラなんて持っていなかったけれど、今はいくらでも写真が撮れる! 
というわけで、結局、晩には次に書くようなことを回想しながら、何匹もの脱皮の写真を撮りました。


小学生時代に母の実家(広島県)に行くと、夏は「クマンゼミ」と呼ばれた大きく透明な羽根をもつ蝉が、うじゃうじゃといて、網など使うまでもなく子どもの手でも一度に2・3匹づつ捕まえることができました。そして夕刻になると、樹木の幹を登る幼虫の何匹かを捕獲して、窓や縁側の手すりなどに置いたのです。彼らとしては違和感があったに違いないのですが、いささか体勢を整えなおしてから覚悟を決めて動かなくなり、やがて背中が割れ、美しい青緑の肉体、そして透明な羽根をゆったりと露出します。この間、自分の体重で、殻の割れ目に尻をはさむような形で逆立ちし大きな頭が下にくるのですが、6本の脚を上手に使いつつ体操選手のように屈伸して体位を180度変えて、頭が上、二枚の羽根がすなおに下向きに伸びるような位置に収まると、‥‥柔らかい身体が堅牢さを獲得し、なにより地上に出てから木登り・脱皮の重労働を完了するまで(3時間以上?)の疲労から回復するために動かなくなります。
明朝(鳥たちが動き始めるより前に)元気に飛び立てるよう、また(人にうるさいと思われながら)元気に歌い回れるよう、体力のみなぎるのを待つのでしょう。小学生だったぼくには、夏休みの良い観察(observation)課題でしたが、ただ夜8時~9時くらいに蝉の動きが静止してしまうと、もうすることがなく、寝るしかない。(すごく早起きしてみるほどの根性もなく)明朝は飛び立ったあとの抜け殻(うつせみ)を確認するだけでした。

「クマンゼミ」は瀬戸内ならぬ東京では見られませんが、基本は同じかな。
こんな句を見つけました。
空蝉に 朝日さしこむ 過去未来 (小枝 恵美子)

2020年8月2日日曜日

さみだれを集めて‥‥


先週のことですが、NHKニュースで河川工学の先生が
さみだれを集めて早し 最上川
と朗じて、このさみだれとは梅雨の長雨のことで、流域が広く、盆地と狭い急流のくりかえす最上川は増水して怖いくらいの勢いで流れているんですね‥‥と解説しているのを聞いて、忘れていた高校の古文の教材を想い出しました。

さみだれを集めて早し 最上川 (芭蕉、c.1689年)
さみだれや 大河を前に家二軒 (蕪村、c.1744年)

 明治になってこの二句を比べ論じた正岡子規の説のとおり、芭蕉の句には動と静のバランスを描いて落ち着いた絵が見える。しかし、蕪村の句は、増水した大河に飲み込まれそうな陋屋2軒に注目したことによって、危機的な迫力が生じる。蕪村に分がある、というのでした。
 しかしですよ、子規先生! 
第1に、そもそも蕪村は尊敬する芭蕉の歩いた道を数十年後にたどり歩き、芭蕉の句を想いながら自分の句を詠んだわけで、後から来た者としての優位性があって当然です。ないなら、凡庸ということ。
第2に、句人・詩人なら、完成した句だけでなく、
さみだれを集めて涼し 最上川
とするかどうか迷い再考した芭蕉の、そのプロセスにこそ興味関心をひかれるでしょう。蕪村はそうしたことも反芻しながらおくの細道を再訪し、自らを教育し直したわけです。
 さらに言えば、第3に正岡子規(1867-1902)もまた近代日本の文芸のありかを求めて先人芭蕉、蕪村、明治のマスコミ、漱石との交遊、‥‥を通じて自らの行く道を探し求めていたのでしょう。そのなかでの蕪村の再発見だとすると、高校古文での模範解答は、論じる主体なしの芭蕉・蕪村比較論にとどまって、高校生にとっては「はぁそうですか」程度の、リアリティに乏しいものでした。教える教員の力量ももろに出ちゃったかな。

 たとえれば、ハイドンの交響曲とベートーヴェンの交響曲を比べて、ベートーヴェンのほうがダイナミックに古典派を完成しているだけでなく、ロマン派の宇宙をすでに築きはじめていると言うのは、客観的かもしれないが、おこがましい。ハイドンが楽員たちと愉快に試みつつ完成した形式を踏襲しながら、前衛音楽家として実験を重ねるベートーヴェン。啓蒙の時代を完成したハイドンにたいして敬意は失うことなく、しかし十分な自負心をもって新しい時代を切り開いてゆく。(John Eliot Gardiner なら)révolutionnaire et romantique ですね。

 両者を論評しつつ自らの道を追求したシューマン(1810-56)が、上の子規にあたるのかな。優劣を評定するだけの進化論や、それぞれにそれぞれの価値を認めるといった相対主義ではつまらない。自らの営為と関係してはじめて比較研究(先行研究)は意味をもつ、と言いたい。

2020年7月30日木曜日

Pandemic

 お変わりありませんか。パンデミックの脅威はなおこれからという勢いです。

 1918年に合衆国から始まったインフルエンザ(スペイン感冒)について歴史人口学の速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店、2006)が有名です。去年3月にブダペシュトの博物館で印象的だったのは、第一次世界大戦とのかかわりで一室ぐるっと具体的にこの Spanish Flu の脅威が展示されていることでした。(ウィーンにおける)ヴェーバー、クリムト、シーレ、(パリの)アポリネールなど、‥‥そしてぼくの知らない多くの名が列挙されていて、そうだったんだ、と認識をあらたにしました。パンデミックへの先見の明というわけではなく、むしろ第一次大戦(the Great War)への問題意識の強さの証だったのでしょう。

 これらとは別に、今春になってから美術史的な観点で執筆された、この記事
https://news.artnet.com/art-world/spanish-flu-art-1836843
ムンク(罹患したときの自画像、ただし1944年まで生き延びた)、たった28歳で逝ってしまったシーレ、そして55歳にして基礎疾患の塊みたいなクリムトの、それぞれの自画像を大きくとりあげて、一見の価値があります。もしまだなら、どうぞ。
(c)artnet

 ぼくたちに近い知識人たちでいえば、辰野金吾が64歳で1919年3月の第二波で、マクス・ヴェーバーが56歳で1920年6月の第三波で急逝したという事実があり、厳粛な気持になります。それぞれ人生の盛りともいうべき時に、無念の死だったでしょう。
 とはいえ、こうした人たちと違ってずっと無名のまま生き死んだ何千万の犠牲者たち‥‥は、戦争でなくパンデミックで亡くなった「無名戦士」たちでした。現今の Covid-19 と違って、若年層も容赦なく重症化するのでした。

2020年7月20日月曜日

Pasmoの履歴 → Zoomで代行?


 先日まったく久しぶりに雑草の繁茂する実家(空き家)にゆき、さらに老母のくらす老人ホームに往復しました。庭ではぼくの背丈より高くなったブタクサなど雑草を掻き分けながら、それにしても雨の多い今年の梅雨。晴れの続くころに庭木や雑草と奮闘することにして、先延ばし。
 前よりさらに痩せたように見える母ですが、ホームの方々が良くしてくださり、食欲もあります。広島県の弟二人も90歳を越えて、ついに姉・弟三人が90代とあいなり、めでたいといえばめでたい。とはいえ、三人とも遠出は不可能で、互いに相まみえることはできません。ぼくのケータイ電話で姉弟が会話した折には広島弁まる出しで、「江奥小学校の卒業生でわたしが一番[年上]じゃ」とか、ぼくの知らない「[母の母の実家の]○さんのせがれは元気かのぅ」とかいった話題を何度もくりかえすのです。
 で、帰途に Pasmo に入金したついでに「利用明細・残額履歴」(100件)をプリントしてみて驚きました。3月14日以来ぼくは電車・バスをほとんど使わなかったのです。
  4月には計12回(都営・メトロ・バスと乗り継いだら、それで3回、往復で6回という記録方式です)
  5月には計4回
  6月には計2回(妻の通院に同行した日の往復だけ!)
  7月には歯医者と、この実家・老人ホーム往復だけ(後者は乗換が多いので、回数が増えます)。
なにも忠良なる都民として「ステイホーム」、「自粛」を厳守したわけではありません。自転車や徒歩で移動できる範囲では毎日(外気のもとではマスクなしで)、雨でも出歩いていました。スーパー特売日の買い出しも(時間帯を考慮しつつ)積極的に。それにしても、これほど公共交通機関を利用しなかった月日なんて、東京生活では珍しい。そういえば、外食もしていません。
 代わりに、5月11日の初体験から以後、Zoomを利用して、毎週水曜は2コマの大学院授業、不定期に学会の企画委員会や研究会、また N先生の最終講義、早稲田WINE のウェビナーといった催しが続きます。従来からの電子メールの交信も含めると、知的 sociabilité という点では、それなりの刺激は維持しています。とはいえ、face-to-face のあまり合目的でもない挨拶・ヤリトリ、すなわち雑談がないままでは味気なく、さびしいですね。

2020年7月19日日曜日

Go to トラブル


 Travel も trouble も平板にカタカナで表記すると「トラブル」ですね。
 違いは最初の母音が強い[æ]か、日本語のアに近い[ʌ]かということで、あきらかです。Apple や cat の[æ]か、cut や love の[ʌ]か、です。Cat と cut の区別は間違えようもないでしょう。
後半の弱い音節が「ブル」か「ベル」か、とかろうじて区別するというのは、非実践的な(日本の教室でしか通用しない)まやかしです。-vel と綴っても弱母音なので、「ベル」どころか「ブル」とさえ聞こえず、むしろ「ボー」と聞こえるかもしれない。「アンビリーバボー」と同様です。
 英語はとにかく強勢のある音節で識別するので、この場合、最初の音節をきちんと発音しないかぎり、英米人に、というより英語の話者には伝わらないでしょう。
 残念ながら、この基礎力は、中学・高校の英語の先生が英語の分かった人だったか、非力をカタカナ英語でごまかしながら授業してる人だったかによって、(あるいは、ラジオ「百万人の英語」で五十嵐先生の音声学を聴いていたかどうかによって)決まってしまうのかもしれません。

 で、安倍内閣の(だれが言い出したのでしょう)「Go to トラベル」政策ですが、すでにトラブル続きです。
a)そもそも英語として、Go to travel ... という表現は自然でしょうか。むしろ、
Go out for a trip / go to the countryside / visit friends / come to town
といった言い回しのほうが普通でしょう。
b)憶測ですが、どこかの大臣室に出入りする役人か「有識者」で英語的センス無しの人の発案かもしれません。
Go という動詞はそもそもどこでもいいから(ここではないどこかへ)行ってしまう/姿を消すという意味合いで用いられます。
だからこそ、Gone with the wind で「風とともにレットは去ってしまった」わけだし、
ケンカ腰で Go! と言えば「失せろ」という意味、
曖昧な顔をして Where can I go? と聞けば「ハバカリはどちらですか」という意味です。
 「Go to トラブル」内閣のゆくえやいかに? あきらかに some trouble(もしや troubles)へと向かっているのでしょう。

2020年7月10日金曜日

雨と『次郎物語』


 未知の新型コロナウィルスに続いて、これまで経験したことがないような雨が連続。「線状降水帯」という語はしばらく前から使われて、理解しやすいのですが、それにしても同じような所で長雨が続くのは勘弁してほしい。
 これから書くのは、水害地のみなさんには申し訳ない、九州と雨にかかわる悠長な想い出です。

 大分・福岡・佐賀を貫く筑後川(筑紫次郎)。少年時代(中一でしたか?)に読んだ、下村湖人『次郎物語』のいくつかのエピソードをおぼろげに覚えています。イカダを組んで少年たちが川下り、にわか雨で走るかどうか、‥‥。
 雨のなかを走るかどうかについては、納得のいかない「算数」あるいは「ギリシア的詭弁」の問題で、もしや以後(日本の)文人たちの論法への不審が芽生えた最初だったかもしれない。
 こういうことです。少年たちがたむろしていたあるとき、にわか雨が降り出し、(だれも傘は持たず)何人かは急ぎ駅だか学校だかへ向かって走りだしたのだが、年長の@くんは「走っても歩いてもあびる雨の量は同じだから、走るのは無駄」といって悠然と雨中を歩き通した、というエピソード。そのとき、ぼくにはなぜこれが違うのかは言えなかったけれど、納得ゆかず、以後、雨の日のたびにこの問題が再浮上して悩ましかったのです。
 @くんの論法は、(たとえば)学校と駅の間が1000mだとして、100mあたりの単位雨量が u だとすると、この間を走っても歩いてもあびる雨の量は u×10 で変わらない、というもの。
→ もし、雨の量が「単位×移動する距離」で決まるなら、亀さんのようにノロノロ歩いても(たとえ24時間かかっても)u×10 で同じ。古代ギリシアの詭弁家みたい!
 そのときのぼくは、あびる雨の量は移動距離でなく(停止していても雨をあびるのだから)、「単位×雨中の滞在時間」で決まるといった反証ができずに、悶々としていたわけです。1分あたりの雨量を r とすると、(たとえば)学校と駅の間を歩いて12分かかる(r×12)のと、2分で疾走する(r×2)のとでは、顕著な差が出ます。【駅前商店街に屋根付きのアーケードとかはない、雨中に走って転倒する事故もなし、という前提。】
 下村湖人(1884-1955)は、佐賀で生まれ育ち、帝大英文をでた教育者らしいですが、わがナイーヴな少年時代を悩ませた作家でした。その後もにわか雨で傘を持ちあわせない折には、いつも想い起こされた逸話です。

2020年7月2日木曜日

香港、加油!


中国共産党がここまで厚顔・破廉恥なのは、ウイグル(新疆)やティベット(西蔵)にたいする姿勢でわかっていたことですが、それにしても香港にたいする「國家安全法」(National Security Act)の効果はてきめんです。抗議どころか、コメントや疑問の声さえ封じてしまいそう。しかも香港人でなく、外国籍の者にまで適用が及ぶ、ということは、香港人が海外でおこなった発言・行動についても適用されるかもしれない。恐怖の弾圧法です。
罪刑を具体的に規定しないまま施行するのは、いかようにでも解釈し裁量できるような恐怖を導入するためですね。モンテスキュは『法の精神』で言いました。
「共和国においては徳(vertu)が必要であり、君主国においては名誉(honneur)が必要であるように、専制政体の国においては恐怖(crainte)が必要である。徳はここではまったく必要なく、名誉はここでは危険なものとなろう。」岩波文庫(上)p.82
この「恐怖」を後にロベスピエールは terreur (テロル)と言い換えたのでした。なんと今度の「國家安全法」では、恐怖の習近平政権に対する抗議を表明するデモンストレーションは「テロル」と規定されているのです!! なんという言語的暴力! なんという破廉恥!

コロナ後と香港(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/blog-post.html)では、1982年にマンチェスタで出会った、快活な香港の正義漢たちの現在を心配しています。
Zoomの不都合な事実(https://kondohistorian.blogspot.com/2020/06/zoom.html)では、中国共産党にたいして弱腰の成長企業・諸国を憂いています。 
【そもそも1997年施行の「一國二制度」というレトリックのまやかしに乗ってしまった時のイギリス政府[サッチャ・メイジャ政権]の甘さが悔やまれます。じつは香港・中国利権に目がくらんで、半ばこうなると承知しながら、言語論的まやかしに乗ったのかもしれない、とさえ疑われます。】

香港、加油! 香港、挺住!

2020年6月26日金曜日

川勝 の 勝!

 川勝平太といえば、オクスフォードでもマンチェスタでも聞こえた男でした。ぼくより1歳若いが、小松芳喬先生と日本の社会経済史学会で鍛えられてアジア史をふまえ、イギリスでは Peter Mathias先生(そして Douglas Farnie先生)の薫陶のお蔭で、良い仕事をまとめることができたのです。早稲田大学では British Parliamentary Papers (いわゆるブルーブック)の購入決定に理事会が反対したというので、タンカを切って辞職して、国際日本文化研究センターに移動。そのころすでに環境史には一家言あり、1997年の日英歴史家会議(AJC, 慶応)ではスマウト先生の環境史報告へのコメンテータをつとめました。【じつは川勝とぼくの共著もあります!『世界経済は危機を乗り越えるか:グローバル資本主義からの脱却』(ウェッジ選書*、2001)】
 それからは静岡芸術文化大学(木村尚三郎後任)をへて政治にコミットしたようで、2009年の静岡県知事選挙で、(自民党・民主党の支持者を分裂させながら)当選、以後、2選、3選は圧倒的に勝利しています。

 一方のJR東海の金子慎社長は、といえば東大法卒、国鉄・JRの人事・総務畑で出世してきたかもしれないが、内向きの能吏で、- そもそも歴代首相とやりあい、英語での交渉もでき、皇室との個人的なつきあいもある川勝知事を相手に -、太刀打ちできるタマではない。
 今晩のNHK-TV、7時のニュースでも、川根の水で入れたおいしいお茶を供されて、金子社長が完全に手玉にとられてしまった場面が放映されました【この部分を、9時のニュースでは繰りかえさなかった。NHK幹部の独自の政治的判断≒配慮が介在したと想像されます!】。

 問題は、大井川や南アルプスだけではありません。
 コロナ禍で「リモート仕事」「Zoom会議」の快感を知ってしまった国民が、はたして、東京-名古屋は40分、東京-大阪は67分、といった恐怖のトンネル続きの「利便性」をこれからも支持しつづけるだろうか。ここは、むしろ東京オリンピックの中止、Aegis Ashoreの中止(河野防衛相の英断)、につづいて、never too late to mend! 電磁気によるリニア新幹線計画じたいを中止するという英断が待たれます。東京首都圏への過度の集中、通勤・出張を再考する好機ですよ、金子社長!

* ウェッジ選書とは、すなわち JR東海きもいりの出版でした! なんという皮肉/めぐり合わせ!

2020年6月15日月曜日

コロナ後 と 香港

すでに識者によって予言されているとおり、Covid-19(のパンデミック)のもたらす変化は、過去からの断絶ではなく、すでに始まっていた変化の顕著な促進でしょう。よくは見えなかった兆候が、この危機によって誰にも明らかな時代の転換として現れます。危機、すなわち生死を分けるような分岐点、転換点です。

イギリスを代表する、もしやヨーロッパ一の金融企業(銀行)HSBC が驚くべき発言をしました。BBCの報道によると
HSBC "respects and supports all laws that stabilise Hong Kong's social order," it said in a post on social media in China.
「香港の治安を安定させるあらゆる法律を尊重し支持する」と。
現今の金融資本主義を代表する企業が、中国政府の治安優先、というより習近平の独裁体制=権威的全体主義体制を尊重し支持する、と。これは天地もひっくり返るほどのことですよ。
ちなみに BBC は同じ記事のなかで、日本のノムラ(investment bank Nomura)が香港への関与を再点検する(修正する)と報じて、対照しています。
資本主義は、あるいは18世紀のヒュームやスミス、そしてブラックストンに言わせれば「商業社会」は、自由と所有権(と法の支配)によって成り立つ「文明社会」でした。以後、この自由と所有権と文明の間の比重にはニュアンスはあれど、これを旗印にする自由主義者と、これを否定する(競争と搾取の元凶と考える)社会主義者は、19世紀の前半から対立してきました。
20世紀前半には、ケインズのように、政府の政策によって野放図な資本主義をコントロールしようとする経済学者、そして福祉国家(大きな政府)を唱える「新自由主義者」(ネオリベラルではありません!)が現れ、1970年代まで西側先進国の民主主義を支える政策体系でした。しかし、民主と福祉は、ナチスや、ソ連や中国の共産党独裁とは相容れないと考えられていた。政治家は、イギリス労働党も日本社会党も「政治的判断」によって海外の共産党独裁を許容することはあったけれど。
上の BBC は含蓄をこめてこう言います。
The bank's full name is the Hongkong and Shanghai Banking Corporation and it has its origins in the former British colony.

じつはぼくが1980年にイギリスに渡って直ちに British Council から四半期ごとに給費を振り込む銀行口座は Midland Bank と指定されました(バーミンガム起源の歴史的な銀行です)。これがしかし、80年代半ばに HSBC に吸収されて、以後ぼくの小切手や Bank Card は HSBCのものとなりました。

後年、上海に行ってそこでバンドの威容を誇る建物群のうちでもHSBCが一番であること[そこまでは事前に写真で承知していました]、それが革命後、共産党政権により接収されて上海共産党本部になったことは、感銘深い、共産党側の論理としては理解可能な事実です。
ところで、香港の気のいい若者たちとマンチェスタで交流したのは1990年前後のことでした。Oxford Road をずっと南に下った所の YMCAに泊まっていて、留学生たちと仲良くなったのです。若者たちといっても30歳前後(?)で Manchester Polytechnic(その後 Manchester Metropolitan Universityへと改組改称)に研修で来ていた様子。
中国名とは別に Bob とか John とか自称していました。戦後の日本で「フランク永井」「ジェームズ三木」と言っていたのと似てるなと受けとめました。ぼくがイギリスのしかもマンチェスタの歴史を研究しているというのを珍しがると同時に、香港での現実問題は「汚職」(corruption)だということで、香港政庁の汚職特別委員会ではたらく、明るい正義漢が印象的でした。
まだeメールなどの普及する前だったので、その後、連絡は取れなくなってしまったのが残念です。彼らもすでに60代でしょう。イギリスの植民地支配から自由になったのはいいけれど、中華人民共和国のきびしい統制下に、今どのような日夜を送っているのだろう。たとえ汚職が蔓延していても、自由で、冗談の言える社会のほうが、よほどマシです。
革命独裁政権が、政敵を腐敗している(corrupt)として追放する/粛清するのは、フランス革命中からの常でしたね。

2020年6月13日土曜日

Zoom の不都合な事実

 これは「セキュリティ上の不具合」より深刻かもしれない問題です。

 この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
 セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
 というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
 6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
 当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.

 20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
 喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。

 Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
 さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)

 そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.

 Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。

 コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.

2020年5月21日木曜日

自粛ポリス


 世間では「自粛ポリス」とかいった攻撃的な、しかしチマチマした民衆的〈制裁〉が見られるらしく、悲しい。
 近現代の国家(≒福祉国家)では暴力・強制力は国家が独占する(リンチを許さない)という原理で動いていますが、そうなるより以前の国家社会では - そもそも警察はなかったし - 自力救済で問題を解決するか、逆に軍隊の強制に反対するしかなかった。やむにやまれず、たいていは1個人の単独行動より、共同体としての直接行動・示威行動でした。騒擾・一揆・リンチ・シャリヴァリ、そして直訴がくりかえされたわけです。
 そうしたさいに、ただ何かに異議を申し立てての抗議や反乱というより、むしろ「官」が行きとどかない/職務怠慢であるのに代わって、自ら正しい(とされている)ことを執行する -〈正義の代執行〉あるいは〈制裁の儀礼〉といった行動様式が、日本でもヨーロッパでもアメリカでも見られました。そのことの意味を
拙著民のモラル ホーガースと18世紀イギリス』〈ちくま学芸文庫〉で考えました。
 そのときは文明人にとっての「異文化」、その意味を考えるというスタンスで、これは〈いじめ〉問題の捉えなおしにもつながると考えていたのです。コロナ禍のような、想定外の緊迫・恐怖が続くと、これまでマグマのように鎮静していた民衆的・共同体的な〈騒ぎとモラル〉の文化が噴出してくるのですね。
 そこまではよく分かります。でも、今日見られる「自粛ポリス」は、たいてい権力をカサに着た、チマチマして匿名の〈いじめ〉、あるいは脅しのようで、目の覚めるような未来への構想・〈夢〉は示してくれない。もっと前向きに開けた直接行動・デモンストレーションがあると、楽しいのにね。
 むかし、「国大協自主規制路線 反対!」とか言っていたのを想い出します。

2020年5月19日火曜日

薔薇の名前?

みなさん、お変わりありませんか?

近ごろのぼくは基本的に、非常勤の大学院授業(週2コマ)をオンラインであれこれ試すこと以外は、書いちゃ読み、読み直しちゃ発見し、書き直しちゃ歩き‥‥といった繰り返しの毎日・毎夜です。E.H.カーのタイプの仕事かな。...Reading and writing go on simultaneously. The writing is added to, subtracted from, reshaped, cancelled, as I go on reading. The reading is guided and directed and made fruitful by writing: the more I write, the more I know what I am looking for....
いわゆるリモート・ワーク。インターネットの恩恵なしにはありえない「生活様式」です。今日午前には「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」という拙稿をようやく仕上げて送りました。小論ですが、註は28個付いています。

散歩は毎日、買い物も3日に一度くらいは出かけています。散歩はあまり人気のない近辺を選び(3密ではないので)マスクなし、買い物は閉鎖空間に入るのでマスクを着けて。
歩いている途中に気づいたのですが、いまバラが満開。この薔薇の名前を知らないのは悲しいけれど、美しいものを美しい、と感じ入るときを忘れているわけではないのは、救いかな。

2020年5月4日月曜日

石川憲法学


(承前)さて、その『朝日新聞デジタル』のインタヴューで石川健治さんは、客観的緊急事態(ぼくの言葉で言い換えると constitutional emergency)と主観的緊急事態(dictatorial emergency)を対比して論じています。ただし彼は、ローマの dictator については何故か(朝日の編集が介入した?)触れていません。共和制ローマ、革命フランスから登場する「独裁」あるいは「ジャコバン主義」は、ただの歴史的なエピソードではなく、自由民主主義の非常事態における緊急避難的な措置の正当性/不当性という問題です。憲法学者も、歴史学者も真剣に考えなくてはならぬ、主権と民主主義、非常事態[革命的な情況]と執行権力、危機と学問といったイシューではないでしょうか。
【日本語では非常事態緊急事態が区別されているようにも聞こえますが、英語ではどちらも (state of) emergency で、通常ではない=extraordinary な情況です。私権やふだんの生活習慣が制限されてもしかたない「非常な」事態です。ローマ共和制でも respublica の存亡の危機には dictator (独裁官/執権) を「6ヶ月に限って」任命しました。「危機」はありうる。コロナ禍の後始末もできないうちに大地震・大津波が襲来することだってありうる。そうしたときに、強力なリーダーシップを発揮できる民主的制度を構築することは重要だと思います。】

 石川さんの書くものは
「八月革命・70年後」『「国家と法」の主要問題』(日本評論社、2018)をみても、また
尾高朝雄国民主権と天皇制』(講談社学術文庫、2019)の巻末解説(長い評注)をみても、
知的迫力があって、ドキドキします。仮に「‥‥の証拠が出てきてくれると「丸山眞男創作説」を打破できて大いに面白かったのだが、残念ながら‥‥」といったサスペンスも込められた文章を書く人です。東大法学部の憲法学の教授なのに!
それが浮ついた文にならない一つの根拠として、東大駒場の尾高朝雄文庫;国立ソウル大学校中央図書館古文献資料室(!);立教大学宮沢俊義文庫;早稲田大学のシュッツ・アルヒーフ;京都大学のハチェック文庫といった学者の蔵書・アルヒーフの踏査研究(evidence!)がある。20世紀の前半、戦間期に蓄積された知的資産をきちんと受け継ぐという「学問の王道」の観点からも、石川さんの言動はしっかり注目しておきたい。
 先の『朝日新聞』のインタヴューの場合は(記者の自粛のため?/理解をこえたため?)ちょっと知的迫力が足りないのは残念ですが。
おかげで、勉強することは次から次へ現れて、「自粛疲れ」なぞするヒマがありません! 

2020年5月3日日曜日

朝日新聞デジタル


 コロナ禍のなかで『朝日新聞デジタル』が良いことをしています。従来は内容の充実した記事に限って、最初のパラグラフだけ見せて、あとは「有料会員限定記事」として閉じていました。緊急事態宣言(4月7日)後は
「‥‥掲載している記事を原則[すべて]無料で公開する緊急対応を行いました。報道機関として、より多くの方々にいち早く正確な情報をお届けするために実施したものです。[その後、事態の長期化を見すえて]4月17日(金)16時より、新型コロナウイルス関連の情報をまとめた「新型コロナウイルス特集」ページを公開し、暮らしや健康を守るために必要な記事を無料で公開する対応に変更いたします。これに伴い、新型コロナウイルス関連以外の有料会員限定記事の無料会員への公開は終了いたします。」
というわけで、コロナウイルス関連記事に限って開放し、読み放題、ダウンロード放題です。
 そのなかには、たとえば石川健治さんのインタヴュー記事「「緊急」の魔力、法を破ってきた歴史 憲法学者の警鐘」のようなものもありました。4月17日付。
https://digital.asahi.com/articles/ASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html?_requesturl=articles%2FASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html&pn=15

 降って湧いたような全般的危機が、国民性(政治文化)をあぶり出す、というのは、わたしたちが日々、参加観察している現象です。でももっと重要なのは、全般的危機をどう克服するか/できるか、が国民のその後の運命を決める、ということです。さらにいえば、医学・衛生学・薬学・工学ばかりでなく、人文社会系の学問も、こうした全般的危機に用立てることのできる知見・学識があるはずで - 速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006)はその顕著な例でした -、この機会に自分は「専門バカ」ではない、という証をたてたいですね。(つづく)

カイロプラクティク

お変わりありませんか?
この緑かおる時候(im wunderschönen Monat Mai . . .)に、人の心を消極的にさせるパンデミックです。対策は social distancing だ、などと言われては、アル中気味になる方もいるでしょう。

ぼくはといえば、4月前半から左肩・左腕が上がらず、おかしいなと思っていたのですが、もろもろで落ち着かない日夜に、そのまま過ごしていました。複数の原稿や公務に対応すべく、督促を受けながら泡を食っていたのです。
パソコンでは右手だけでも不自由ながら入力できますので!
それが4月13日にはゴマカシがきかなくなって、左肩・左腕・左手の先まで鋭く痛み、衣服の着脱もできなくなりました。「左手を軽く添える」という動作ができなくなると、紙に文字を書くこともできません。
2015年11月の頸椎症性 神経根症のときとほとんど同じ(左右が違うだけ)。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2015/11/blog-post_24.html
あのときの麻布十番の針灸はとても良かったのですが、今はなく、しかたなく地域の整形外科に行って、後悔しました。レントゲンを撮ったあとは、「頸椎板ヘルニア」の理学療法とかいうことで、よく分からない電気的な刺激をうけ、首を牽引したり、痛いのに両腕を20回上下するとか、‥‥しかも周りに何人も同じような患者が同じようなことをしている!
隣の薬局経由で、帰途、歩きつづけるのさえ困難を感じつつ、もう行きたくないと思いました。
万事に意欲を失ってしまいそうなまま、痛み止めの効果で仮眠したあと、必死でウェブ検索しました。キーワードは、頸椎板、神経根症、鍼灸など。
ヒットしたうち、港カイロプラクティク(http://holistic.blue/)の説明が簡単明瞭で、院長の動画は無骨なくらい。好感をもちましたが、やや遠い。電車を乗り換えていく元気はないので、キーワードをカイロプラクティクに替えて検索すると、近隣にいくつもあるではないですか。そのうち歩いて行ける所に、深夜にインターネット予約して、明朝、返事があり、そのまま行って施術してもらいました。初回は1時間あまり時間をかけて話を聞きながら、全身に「手のわざ」(chiro-practic)を施してもらい、効果を実感しました。その後、4回施術。
お蔭さまで、今は正常心を取り戻しております。