27日(日)には喜安朗さんの著書(http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784796703321)をめぐって、東洋大学でこのような公開討論会がありました。
→ http://www.toyo.ac.jp/site/ihs/52631.html
喜安さんのお話に続き、ぼくも戸邉さんとともに長めのコメントをさせていただきました。網野善彦、安丸良夫、二宮宏之、喜安朗の4人の方々とは、70年代から個人的なお付き合いもありましたし、それぞれのお仕事について、また戦後史学について、喜安さんとは少しちがう受けとめ方をしていますので、ぼくのコメントも無意味ではなかろうと考えたしだいです。安丸さんも見えて、80歳!お人柄のあふれる発言で感激しました。
ぼくの「はっきりした」発言は、誤解されては困りますが、「昔のなじみ」がなぁなぁでごまかすのはよくない、一期一会であればなおさら、という心境で、ザハリヒに対立いたしました。エモーショナルな要素はなく、「読書する左翼」へのリスペクトは保持しています。
東洋大学の会場から、夕方はネパール店で第2セッション、夜もふけて白山駅脇の第3セッションまで討論を続けられたことも幸せでした。戸邊さんの「転向文化の過剰性」について議論が始まり、議論における対等性、そしてデモクラシーから「自然権思想の近世・近代性」「法の支配という知恵」にまで論が及びました。これは大事な点で、もっと展開できれば、と希望しています。
ハナ・アレントのように Denken しつづけ書きつづけたい。考える歴史家でありたい、と思います。「転向」なるものが自由で・真剣な思考の喪失を意味するなら論外だけれど、知的転回=展開は、むしろインテリゲンチアの証なのかもしれない。君子豹変す、とも言います。ホイホイ転変して流されるのは困りますが、必要なときに思いきった言動に出るのは、むしろ望まれているのではないでしょうか。喜安さんの場合の「転成する」とはどういう意味なのか、結局よくわかりませんが。
というわけで、多くの方々とお話しする機会を作っていただいた、岡本さんと東洋大学の方々、ありがとう!
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