2011年2月26日土曜日

2月は如月

 2月は逃げる月というけれど、何もなしに逃げるのではなく、1年のうち一番忙しくたくさんのことを成し遂げて、あっという間に4週間が過ぎる、という了解でいました。
 今年の2月は、そうです、例年より諸課題が集中する、ということは前から分かっていました。例年の大学院口述試験(M、D)および判定と、卒業論文口述が三大行事。これに文学部のシノプシスおよび成績入力が期日限定のオンライン入力です【想像したとおり、期日は数日延期となりました。こんなに教員が多いのに、首尾よく完了する人ばかりじゃない!】。これに加えて学外のやや重い公務、教科書の日程、招聘予定研究者とのやりとりの不首尾、『二宮宏之著作集』II関連、また身辺の諸々の行事と決定事項‥‥、そして昨日の『クリオ』インタヴューというわけで、やりがいのある仕事ばかり。もちろん東大入試の後始末も、ただちに始まります。
 日英歴史家会議(AJC)や『イギリス史研究入門』2刷りのための作業さえ、滞りがちになりました。

 昨日の『クリオ』インタヴューにかぎって言えば、(2.5度目ということでもあり)3時間あまりもあれば十二分だろうと思っていたら、案外に1994年(第1回AJC とロンドン大学)くらいから先は、慌ただしく駆け足になっちゃいました。晩の会食は新しい会場で、ゆったり楽しめて良かったかな。ただし、はからずも13人の晩餐になりました!

 ところで、『二宮宏之著作集』関連ですが、「月報」2 はご覧のとおり。4月刊です。ぜひ読んでください。ぼくの「解説」は、二宮さんの「豊穣の四〇代」を軸に「力のこもった」というべきか、「力みすぎ」というべきか、とにかく一所懸命に書きました。これが22/23日に*完了していたので、24日のインタヴューは心安く臨めた、というわけです。ぼくは、究極的に教師(授業のパフォーマー)ではなく、物書き(兼)対話者なんだという自己意識を30代からもっていました。2月4日、授業アンケートに厳しいコメントを記してくれた匿名の1学生さん、ご免ね。
 *なぜ完了日が2日にわたったかというと、岩波書店が一太郎を使わないからです。ワードでは行端処理が崩れてしまう;rtfではルビが飛んでしまう;txtではルビもアクサンも消えてしまう‥‥。やりとりを繰りかえしたあと、結局、PDFで完成態はこうなるのだと見てもらうしかありませんでした。でもね、日本の責任ある出版社なら、一太郎で作業ができるようにしておいてほしいな。本当の日本語は ATOK で作文し、日本語の表示・印刷は一太郎で、というのが、ほとんど自明の真理です。

2011年2月24日木曜日

Marie Stopes

 こういうメールが Miles Taylor から来ました。
I am sending you details of an IHR conference next month on Marie Stopes, the birth control campaigner. I mention it to you, as Marie Stopes worked at the Imperial University, Tokyo, Japan 1907-8, and you may know of Japanese colleagues who might be interested in our event.

 マリ・ストープスについては、荻野美穂さんの『生殖の政治学』(山川〈歴史のフロンティア〉)でも重要な人物ですが、ぼくは Carmen Blacker による小評伝でその魅力というか波瀾万丈の人生を読み、いつだかのBBCの特集で、その息子の側からみた嫌らしさみたいなものを知りました。なんといっても eugenicist です。
 前半生では東京帝大からミュンヘン・ロンドンに留学した鉱物学の*助教授と恋に落ち、彼を追って Royal Society fellowship を得て横浜港にむかった。恋に破れたあともたくましく、日本中の鉱山をめぐって鉱石をあつめ、イギリスに帰国してからは、マンチェスタ大学講師、そして性解放および優生学の主導者でした。いさましい写真が残っています。

The birth of the birth control clinic
Wolfson/Pollard rooms, Institute of Historical Research
Friday 11th March 2011

In 1921 Marie Stopes opened the first of her pioneering birth clinics. Her work and its legacy and the subsequent history of family planning are explored in this one day-conference with the University of Exeter.

2011年2月17日木曜日

大聖堂 The pillars of the earth

 ケン・フォレットの『大聖堂』The pillars of the earth(現世の支柱) を基にしたテレビ連続ドラマ「大聖堂」が毎週 NHK BSで上映中です。http://www.nhk.or.jp/bs/movie/index.html
ちょっとだけ問題なきにしもあらずですが、しかし西洋史の人が見逃すのはもったいない。今晩 尋ねたら、院生はだれも見てない!?

 『イギリス史研究入門』で言いますと、その年表1135年前後から(p.381~2)、そして系図(p.391)、ヘンリ1世の姫マティルダをMaudと補って、マティルダとスティーヴンのあいだの骨肉の争い、この時期の尖頭アーチ(ゴシック様式)の急速な普及をになった職人集団、そして叙任権闘争といった時代性のもとに、歴史ドラマを楽しんでください。 cf. http://kondo.board.coocan.jp/

2011年2月16日水曜日

歴史学研究所(IHR)


 ロンドンの歴史学研究所(IHR)の移転工事は去年から予告されていましたが、今朝 所長の Miles Taylor より下記のようなメールが到来しました。前半のみ引用します。詳細は → http://www.history.ac.uk/news/ihr#2613 これからしばらくは不便することになりますね。1921年創立、東大の図書館より古いのだから当然ともいえます。 

As was announced before Christmas, the IHR will be moving this summer into a temporary location for two years, as the University continues with the refurbishment of Senate House. We will be rehoused in the 3rd floor of the South Block and in the Mezzanine. IHR staff have now been allocated new offices and we hope to finalise soon the relocation of the Common Room facilities as well.

We have now agreed with the Senate House Library which sections of the IHR Library will remain on open access during the temporary relocation, and full details of the new arrangements are now available on the IHR website: on the news page and on the Library pages.

I can also announce that the University has confirmed that it will be able to rehouse all of the IHR Events programme, that is our seminars, colloquia, conferences and Friends’ Events programme. It has also been agreed that external scholarly organisations which use IHR rooms and facilities will be charged the same rates during 2011-13 as they would in our usual premises. During 2011-13 our seminars and other events will run in the Ground Floor rooms of the South Block of Senate House, and on the Second Floor of Stewart House.
<後略>

2011年2月14日月曜日

a happy surprise

 日曜の朝。起床は遅く、しかも、なんだか怪しげな営業電話の相手をして、ちょっと機嫌の悪い状態で、またもや電話。‥‥ん、これも営業トークか、と思いきや
「‥‥中学のチョーノーです。近藤くん?‥‥」
えっ、張能正先生!! なんと『朝日新聞』の読書欄、岩波の広告(↓)に君の名前が出ているので、確かめたかった、と。「君はフランス文学が専門ですか」とは、ちょっと困ったが。
 中学卒業は1963年。その後、大学1年のとき千葉県庁でお会いして、また40歳のとき同期会でも再会しました。いま先生は84歳とのこと。あのころは30代でいらしたんですね。お元気な先生とお話しできて良かった。
 じつは、ぼくの英語力の半分は、この先生のおかげなのです。

 中学1年は New Tsuda Reader という教科書で、なんだか印象が薄かったのですが、2年になると、たしか三省堂の The Sun という教科書にいっせいに切り替わって、雰囲気が一気に新しくなった。きっと学習指導要領が変わったことに対応する新教科書だったのでしょう。1年では Have you a pen? と習っていたのに、2年からは Do you have a pen? が正しいとなりました。
 2年の最初の単元は The City という題で、都市なる存在の文明的意味みたいなメッセージのある本文。しかも奥付のページをみると、張能先生はその執筆者の一人として名を連ねておられるじゃないですか。先生はこれを活用しつつ、授業では簡単な和文英訳をどんどん出して、ぼくたちにやらせた。じつに簡単な問題で悩むところは一つもなかったけれど、これは要するに各単元をきちんと理解しているかどうかは、英文和訳でなく、和文英訳で確認できる、という信念にもとづく授業だったのでしょう。
 単純な言い回しを暗唱し、平叙文をただ否定文にしたり、疑問文にしたり。これは入門語学の最初の訓練ですね。

 これは中学の卒業写真。張能正先生は、前列右から4人目。ぼくは‥‥3列目のまん中でした。

 さらに張能先生の授業を補う形で(定年後の?)老先生と、もう一人どこかの大学院生(オーバードクター?)がおそらく非常勤で長文講読(和文英訳)のコマを持っておられた。老先生は完全にカタカナ英語なので、3年になると、発音の良い近藤が朗読しろ、などと命じられることが続きました。
 その老先生は発音は悪くても英語の分かった人で、別の似た表現について成り立つかどうか質問すると、二つの文をならべてどっちも意味の通る立派な英語だ、「アイザー ウィル ドゥーだ」とゆっくりいうのが決まり文句で、Either をイーザーと発音しない「古めかしさ」とともに、これは中学生の頭に刻みこまれた。

 こうした中学校の授業に加えて、NHKの「基礎英語」「英語会話」、そして文化放送の「百万人の英語」を聞くことによって、ぼくの英語の基礎能力は培われました。基礎英語は芹沢栄先生の教養主義的な(中1には高級すぎる)英語入門で、なんと
 The year's at the spring,
 And day's at the morn;
 Morning's at seven;
 The hill-side's dew-pearled;
 The lark's on the wing;
 The snail's on the thorn;
 God's in his Heaven -
 All's right with the world!
なんて暗唱させたのですよ! シャワートレーニングどころじゃない。

 Row, row, row your boat,
 Gently down the stream.
 Merrily, merrily, merrily, merrily;
 Life is but a dream.
というのもあった。なんて速くてむずかしい発音。なんて含蓄のある詩。

 発音とイントネーションこそ、大事。文法を暗記するのではなく、言い回しを暗唱すべし。迷ったときだけ文法に頼ればよい。‥‥1960~63年の国立中学という環境で考えると、なんて理想的な英語教育だったんでしょう!

 千葉高校に入ると、すぐに POD (Pocket Oxford Dictionary) の木村先生との出会いが待っていました。『文明の表象 英国』p.20 に書いたとおりです。

2011年2月10日木曜日

『二宮宏之著作集』第1巻

 昨夜、自宅に届いていました。洗練された造本、美しい版面。なんといっても最初の肖像写真‥‥‥。折り込みの「月報」にも、あまり知られてなかった事実(新宿高校およびパリにおける、伝説?)が記録されています。

 こちらの写真は、あまり知られていないでしょう。1960年、羽田を発つ二宮さんです。28歳。横になっている旗は「東大西洋史」という三色旗から白を除いた、赤・青の学科旗です。1969年に警察に押収されてしまったもの。

 巻末の解説は福井憲彦さんで、これまた福井節というべきか。かなり楽に、わかりやすく書いておられる。ぼくの場合(第2巻)はちょっと肩に力が入って、「そもそも二宮史学の1970年代における転回=展開は‥‥」といった議論をするので、こちらが先だと堅い。刊行の順番が逆でなくて良かった。分業による、よき協業となりました。【分業による協業という概念も、内田義彦さんから習いました!】
 岩波書店のサイトはこちらへ。→ www.iwanami.co.jp/series/

2011年2月6日日曜日

新燃岳


 新燃岳の噴火、おどろいて見ています。じつは2002年夏に家族旅行で、霧島温泉に泊まり、韓国岳から霧島連峰を縦走し、新燃岳では、直径数百メートルのお鉢を半分だけ巡って(あと半分はあまりに危険)、このとおり緑色の怪しい火口池を見下ろしました。いまこのお鉢が溶岩で一杯になっているわけですね。1421mの標識なんて、吹っ飛んでるでしょう。

 なおこの間、内田義彦『経済学の生誕』と、映画 Amazing Grace にそれぞれ新規書き込みがありました。匿名さん、ありがとう。
 このブログは簡明で良いのですが、新しいコメントがあっても、それは掲示順には全然反映されないので、よほど注意深い読者でなければ見過ごされる、という欠点があります。coocan の場合は、本文でもコメントでも、つねに新規書き込みの順に並び替わるという方式でした。

2011年2月5日土曜日

『みすず』読書アンケート


 『みすず』1・2月合併号(no. 590)到来。待ってました! 恒例の前年の読書アンケート。 去年とほとんど同じ感想をもちますが‥‥
 書く側としては、年末年始の繁忙時に、それなりに意味のあることを書き記すために、慌ただしいけれど、冬休みに取り組んでいる書き物と感応して、それなりの勢いのある文となる。
 できあがった『みすず』を読む側としては、大学関係者だと2月前半は最高に忙しいが、しかし旧知あるいは未知の物書きがなにをどう書いてるのか、楽しみではある。じっさい今年は今月3日深夜に手にして、翌日早朝の出勤を控えながら、自室で立ち読みしてしまった!
 好きなことを書かせてくれる、みすず書房に感謝。1年間に読んだ物について(新刊に限定せず)自由に、という編集方針は合理的です。 夏の『週刊読書人』〈上半期の収穫〉よりも長めに書けるのは嬉しい。定点観測的な意味をもつ短評として、この年中行事を位置づけています。

 ちなみに、今回ぼくが取りあげたのは、
1. 遅塚忠躬『史学概論』(東京大学出版会、2010)
2. 二宮宏之「歴史の作法」『歴史を問う』(岩波書店、2004)
3. 塩川徹也『発見術としての学問』(岩波書店、2010)
4. OED online (OUP)
です。
ただ列挙するのではつまらないので、遅塚忠躬と二宮宏之、フランスとイギリス、「普遍と洗練」「覇権と実用」「言語論的転回」といったことで、話に筋をつけてみました。 
『みすず』の今月号は → www.msz.co.jp/book/magazine/
去年は
 1 勝田俊輔『真夜中の立法者 キャプテン・ロック』
 2 高橋慎一朗・千葉敏之編『中世の都市』
 3 西川正雄編『ドイツ史研究入門』
 4 Craig Horner, ed., The diary of Edmund Harrold, wigmaker of Manchester 1712-15
 5 Charles Beddington, Canaletto in England

一昨年は、
 1. 金澤周作『チャリティとイギリス近代』
 2.『丸山真男書簡集』全5巻
 3. 加藤周一『日本文学史序説』上下
 4. 西川正雄『社会主義インターナショナルの群像 1914-1923』
 5. Douglas Farnie, The English cotton industry and the world market 1815-1896
でした。

2011年1月31日月曜日

Dorothy Thompson


 信じたくないことですが、Nさんよりの知らせで、 Dorothy Thompson が亡くなったとのこと。同姓同名で活躍した女性は何人もいますが、1923年生まれ、歴史家、The Chartist Experience の著者、EPT の未亡人です。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/dolly.htm
 昨9月・10月にメールで活発にやりとりをしていましたので、にわかに信じられません。

2011年1月30日日曜日

内田義彦 『経済学の生誕』

 29日(土)には名古屋市立大学にて『イギリス史研究入門』と『イギリス文化史』の合同合評会! いったいどんなものになるかと心配し、また期待しつつ参りました。かなり率直にお話しできたと思いますが、
 「印象派の魅力的な絵画を自由に描くためには、スケッチ、遠近法、絵の具の解き方、Old Mastersの勉強といったアカデミズムのトレーニングが前提」
という結論で、落ち着いたようです。

 『イギリス史研究入門』の第二部 B. 研究文献で、あるべくして欠けているものといえば、いくらでも挙げることができます。『内田義彦著作集』全10巻(岩波書店、1988-9)もその一つ。
 現行版(p.375)には、内田さんの本のうち『社会認識の歩み』(岩波新書、1971)だけが挙がっていて、校正の段階でこれを『経済学の生誕』にするか『内田義彦著作集』にするか、と悩んだすえ、やはり学生に一冊だけ勧める最初の本は、この岩波新書だと決断したのです。別の共著者の挙げたのが『社会認識の歩み』だったというのも、一つの強い理由。

 ただ個人的なことを言えば、ぼくが初めて読んだ内田さんの本は『経済学の生誕』(未来社、増補版 1962)。これで、卒論で1750年代をやる大義名分みたいなものをもらった気がしたのでした。七年戦争(1756-63)期の全ヨーロッパ的危機意識、「スミスとルソー」、道徳哲学、利己心と公共性‥‥とあらゆるイシューが18世紀なかばのイギリス人(ヨーロッパ人)スミスに集中して現れているんだと納得してしまった。そのあとに読んだE・P・トムスンや二宮宏之なんぞより(!) はるかに力強く長続きするインパクトがあった。
 ただ、この内田、トムスン、二宮の3人は雰囲気が似てないでもないし、顔もそうです。なにより文章に命をかけた物書きだった。「‥‥内田さんの筆は遅々として、骨身を削って苦吟される様は痛々しい限りであった」と田添京二氏が『月報』1に書いています。

 それから、何より内田義彦は、大塚久雄を尊重はしていたが、近代というものをしっかり批判的に見つめていた。大塚のように日本の問題の根拠を「七化け八化けした近代」に求めたのではなく、「紛れもない近代」をしっかり問うた。講座派から生まれて、早くから講座派を抜けていた。そして丸山眞男よりずっと自由だった。その基礎に技術論と音楽があったかもしれない。
 1913年生まれ、89年没。20世紀日本の生んだ偉大な知性でした。

2011年1月27日木曜日

『創文』と相川さん


 旧臘のことですが、創文社の月刊誌『創文』が終刊。いろいろなことを考えてしまいました。
http://www.sobunsha.co.jp/pr.html
 相川養三さんが『創文』の編集責任者になられたのはいつだったのでしょう。80年代から何度も「おみやげ」の本とともに訪問をうけ、執筆も依頼されていました。それというのも、紹介してくださったのは二宮さんで、ルフェーヴルの『革命的群衆』を美しい装丁で出版なさった直後。「本はきれいだけれど、高くて学生には買えないよ」などと勝手なことを口にしました。ゾッキ本ではなく、洗練された造本に値する内容の本を作りつづけて、何十年でしょう。

 そもそもぼくが学生として創文社という出版社を意識したのは、マックス・ヴェーバー〈経済と社会〉シリーズの翻訳、なかんづく世良晃志郎訳『支配の社会学』上下あたりが最初でしたか。高いかもしれないが、これだけ丁寧な訳注をつけてくれるのだから文句は言えない‥‥。まだ駒場の学生として、西洋中世・近世史、そして世界史の基礎知識はもっぱらこのウェーバー翻訳シリーズによって学びました。本郷に進学してからも役にたちました、ヴェーバーをちゃんと読んでる西洋史の学生なんてほとんどいなかったので。
 本郷に赴任してからは、ぼく自身が繁忙で『創文』への小文の寄稿、そしていただく本の書評はかなわなかったので、青木さん西川さんなどに手助けしてもらいました。John Brewer, Sinews of power の日本での最初の紹介は、青木さんによる『創文』だったんですよ。
『史学雑誌』や『思想』みたいに重くない、軽快な知的雑誌としての魅力はつづいて、そろそろぼく自身もなにか書かせてもらえるだろうか、などとぼんやり考えていたところ、昨秋に相川さんから留守電。
 以心伝心、とうれしい気持でようやくお話ししたら、なんとご病気で、年末に退職する、これまでの愛顧に感謝‥‥とのことで、絶句しました。
 相川さんの居ない『創文』はないので、終刊。なんとも明快で、かなしい結末です。

2011年1月7日金曜日

大阪城のシンボリズム


 大阪城、立派です。近世大坂 と 近代大阪の重層的 symbolism.
 夏の陣、冬の陣のあと、徳川幕府によって再構築された、近世西国統治の要衝であることの象徴性は、この石垣に現れます。すなわちユーラシアの東西にわたった軍事革命はこれで終止符、というシンボルです(∴1665年の落雷で天守閣が焼失したけれど、それは本質的な問題にはならなかった)。征服王朝の Norman castles(たとえば Tower of London)よりも宏大、威圧的。石材は、瀬戸内と近畿全域から運ばれた御影石(花崗岩)ということです。
 今の天守閣は、関東大震災後1930~31年、東洋一の商都の市民的象徴として、醵金によりコンクリートで構築されたというのもおもしろい。はるか南方、鯱の尾の先に望まれる通天閣がチャチに見える!

 要するに、大阪の繁栄は、近世までは(博多を西端とする)瀬戸内海域の中核として、近代においては(上海を中核とする)東シナ海域の東端として、ありえたのだということですね。杉原さん、阿部さんあたりが、もう論じているかな。 (12月27日の続きですが、)関東生まれ、関東育ちの大阪知らずがまわりに多いので、ひとこと。
cf. 『近代大阪経済史』(大阪大学出版会

2011年1月1日土曜日

謹 賀 新 年


隅田川の河口付近から、永代橋の向こうに東京スカイツリーを遠望します。
何キロも離れていますが、ようやく高さ500mをこえた現在、すでに他を圧する威容。
まだあと上に100m以上も伸びます。
ちょうど1年前の光景は、こちら。
左端下の水面に白い粒のように見えるのは、名にしおう都鳥(ユリカモメ)たち。

ちなみに、「業平橋」付近まで行って真下から見上げると、こんな感じです。

まるでねじれているように見えるでしょう。
基礎部分が正三角形、展望台までに断面は円になる、
という構造的な妙が、視角(視覚)によってこう見えるわけです。

今年も、どうかよろしく!

近藤 和彦

2010年12月27日月曜日

大阪にて

 たいへん充実した研究会、その翌朝です。
 この勢いで、しっかり実りある冬休みを過ごしたいものです。
 皆さん、良いお年を!

2010年12月26日日曜日

Amazing Grace 映画


           図像は Wikimedia Commons →

映画「アメイジング・グレイス」について、「ウィルバーフォースと友人たち」という題で、要旨、下のようなことをしたためました。来春3月5日から一般公開されるときに、頒布パンフレットに載ります。あらかじめ、ほんの一部を抜粋してご覧に入れます。

 テーマは、激動の時代における人の生き方と信仰、友情、政治と正義。主要な登場人物は実在の4人です。

 主人公ウィリアム・ウィルバーフォース(ウィルバーと呼ばれ続ける)1759~1833
 その親友ウィリアム・ピット(24歳で首相) 1759~1806
 ホウィグの怪物政治家、チャールズ・フォックス 1749~1806
 奴隷貿易船の航海士であったジョン・ニュートン 1725~1807

彼らについて歴史的な知識があると、映画のおもしろさは倍増するでしょう。もちろん全員、ODNBに項目があります。
 奴隷たちの亡霊に囲まれつつ、回心したニュートンの作詞した賛美歌が「アメイジング・グレイス」です。
 「すばらしい神の恵み
  私のようなヒトデナシも救ってくださった。
  かつて私は道に迷っていたが、神は見いだしてくださり
  かつて目の見えなかった私だが、今は見える」

 18世紀~19世紀の初め、
   カリブ海の西インド諸島 ⇔ アフリカ ⇔ イギリスなど西ヨーロッパ諸国
のあいだの三角貿易とイギリスの産業革命が表裏一体だったことは、最近の世界史の授業では常識かもしれない。「アメイジング・グレイス」に歌われるような回心と改革の Evangelicalism は、まだ常識ではないでしょう。女性作家ハナ・モアは、英文学関係者には知られていますね、大石さん。
 福音伝道主義者が取り組んだいくつもの課題のうち、奴隷制および奴隷貿易の廃止をめぐって、これを男の友情として描いたのが、映画 Amazing Grace だと言えるでしょう。ケインブリッジにおけるぼくの先生 Boyd Hilton, そして友人 Joanna Innes の研究テーマでもあります。(12月18日イギリス史研究会の) moral economy 論もまた、この転換期をどう理解するかといったことに極まります。
 もっとも良い参考文献は、『イギリス史研究入門』の5章(長い18世紀)、6章(19世紀)、10章(議会)、11章(教会)、12章(帝国)でしょうか。

 時代考証をふまえた映像情報もゆたかで、男女の衣装も、婚活マインドも楽しい。ジェイン・オースティンを連想する人も少なくないでしょう。温泉都市バースにおける社交、議会の本会議場における討論のテンポとウィット、558名いるはずの議員が重要案件の議決にさえあまり出席しないという事実、本会議場の別棟にあったクラブの様子もまた、印象的。
 ピットは享年46歳、首相在任中に過労死。ライヴァル、フォックスも同じ1806年に死にます(56歳)。ところが闘病をくりかえしていたウィルバーのほうは、結局、74歳まで生きながらえます。映画の前半の「結婚は愛と健康をもたらす」という従兄弟ソーントンの言は、伏線として置かれていたのでしょうか。
→ http://www.imdb.com/video/screenplay/vi330694937/

2010年12月25日土曜日

The King's Speech 映画


 今夕、忙中の時間をつくって、試写会に行って参りました。邦題は「英国王のスピーチ」、ご存じジョージ6世(在位1936~52)と先年101歳で亡くなった Elizabeth Queen Mother、そして知られざる Lionel Logue の3人を中心とした、感動の物語です。
 期待せずに行ったのですが、2時間の上映の終わりには、感涙。いくら顔をふいても止まらず、照明の前に長いクレディトのつづいたことに感謝したほどです。左右の男女もすすり上げていました。清らかな涙と、シネマートの外、夜の六本木の雑踏 ‥‥ なんというコントラスト!

 ジョージ5世の長男エドワード(David)は外向的で、女にももてる王太子(ウェールズ公)でしたが、その弟アルバート(Bertie、ヨーク公)はつねに兄と比較され、シャイでどもり、学業成績は68人中68位、病弱、泣き虫。めだつ兄の陰にあって、親にもナニーにさえバカにされていたとのこと。生来の左利きを無理に矯正されたことも、どもりの誘因だったようです。ここまではよく知られています。第1次大戦における海軍士官としての従軍も含めて、ODNBにはしっかり書きこんであります(Colin Matthew 執筆)。これを克服するために妃エリザベスの献身のあったことも、第二次大戦中の(自明の悪ナチスにたいする)国民的な戦意高揚のための行脚も、周知の事実。
 ところが、兄エドワード8世の「世紀の恋」のとばっちりで、もっとも不適格とみられたアルバートがジョージ6世として王位を継承するわけですから、confidenceを欠くアルバート=ジョージの、どもりはますますひどくなる。ここで登場するのがオーストラリア人 Lionel による言語治療 兼 カウンセリングなわけで、王族の親子関係からイギリスの階級関係、そしてすでに自治国のはずのオーストラリアにたいする差別意識までが上手に扱われて、この映画をおもしろくします。ちょっと Pygmalion=My Fair Lady のヒギンズ教授を思わせるところもないではない。
 英国王といっても、ジョージ6世の正式の称号は、king of Great Britain, Ireland and the British dominions beyond the seas, and emperor of India です。複合国家の王+インド皇帝。即位時にすでにアイルランドは独立しているのに!
【それからジョージ王も兄エドワードも Lionelも freemason だった[それのみが3人の共通点だった]という事実は、この映画では[単純化のために?]見逃されます。】
 映画のコリン・ファースの立派な体格のあたえるイメージと違って、国王ジョージは見るからに神経質で、胃腸も弱そうでした。1939年、小柄のかわいらしい王妃エリザベスと一緒の写真は、こちら↓
→ http://www.flickr.com/photos/striderv/2407182783/
 この映画を100%楽しむには、シェイクスピアの favourite quotes が頭に入っていることが必要かもしれません。もう一つ、映画音楽として前半はモーツァルトが使われ、後半の大事なところからベートーヴェンに変わることにも気付かされます。ラジオのことを wireless と呼んでいたこと、日本の玉音放送と違って、ライヴで放送されたことも大前提ですが、とにかく交響曲7番の第2楽章を背景に、どもる国王の大スピーチを聴いて涙しない聴衆は、よほど鈍感な人でしょう。スピーチの終わると同時に、BBCの職員、バキンガム宮殿の職員、ラジオに耳傾けていた市民のあいだで自然に拍手の波が広がることになり、音楽はピアノ協奏曲5番(emperor!)の第2楽章に替わる! 心にくい演出。

 来たる2月26日に一般公開だそうですが、すでに出来上がっているパンフレットに監修者=某大学教授がしたためた小文は、残念ながらフツーの高校生の感想文のレベルです(ウェブの世界の雑文と大差なし)。せめて、スピーチとは「演説」以前に、話すこと、言語能力、話しかたでもあるということくらい、指摘してもバチは当たらないのに。それから、きっとせわしなく視聴なさって、シェイクスピアもベートーヴェンも聞き流したのでしょう。
 
 結論。アカデミー賞を取っても取らなくても、これは感涙の作品。日本版監修者がだれであれ、ODNB を読んでから、ぜひ見に行きましょう。当然ながら、Lionel Logue の項目もあります。
→ http://www.imdb.com/video/screenplay/vi752421145/

2010年12月23日木曜日

冬至の満月


 満月の21日は、雨でお月さんを見ることができなかったので、昨22日、ほぼ満月の本郷構内を撮りました。手前の全身像が Conder (1852-1920), 向こうに小さくみえる胸像が West (1847-1908). どちらも工部大学校(帝大工科大学)の創設期の重要なイギリス人お雇い教師です。

 美しい光景ではありましたが、月を撮るのは、コンパクトカメラではむずかしい。

2010年12月19日日曜日

Illuminated!


 例年、クリスマスから新年にかけて医学部本館のイルミネーションが行われ、夜間に図書館脇から経済学部裏手を通過する者にとっての楽しみです。17日(金)の午前中に、医学部前でなにやってんだ‥‥と不審な男女グループを目撃しましたら、夜にはご覧のとおりとなりました。
 新年の御用始めまで点灯するから、2011 なんですね。
 昨冬の様子は、こちらです↓
http://kondohistorian.blogspot.com/2009/12/merry-christmas.html

2010年12月15日水曜日

『二宮宏之著作集』全5巻



 全5巻、2月8日から隔月(つまり偶数月)で、岩波書店の刊行です。
 その宣伝パンフの写真が、すばらしい。こちらをまっすぐ見つめて、おだやかに、容赦ない。
だれか若い人が「ニコニコしてる」と評しましたが、そうではない。知的なのです。
「フッフッフ、‥‥近藤くん、青空を眺めるためにここに来たんじゃないね。
やはり、△▼△ は止めにしましょう。」

2010年12月12日日曜日

『イギリス史研究入門』は品切れ状態?


 写真は University College London (UCL:『研究入門』pp.11, 132 をどうぞ。伊藤博文、夏目金之助の大学でもあります。)

 さいわい、この共著は好評で【掲示板でのコメントは → http://kondo.board.coocan.jp/】、
品切れ状態の小売り店もあるようです。だからといって直ちに増刷に走らないのが、山川出版社の堅実経営。日本の再販・委託販売システムゆえに、売る気のない特定の小売店に配達されたまま開箱されず倉庫に積んであった物が、3カ月の期限まぎわにドカンと返品されてくるかもしれないのです。
 ベストセラーを作ったのに(ベストセラーゆえに)やがて潰れてゆく出版社は、ほとんどこのパターンに眩惑されて、どんどん増刷し、返品の山を作って、その重みに潰れてしまうようです。恐ろしい。
 したがって、2刷は必ず出るようですが、そのタイミングをいま量っているとのこと。