2020年6月26日金曜日

川勝 の 勝!

 川勝平太といえば、オクスフォードでもマンチェスタでも聞こえた男でした。ぼくより1歳若いが、小松芳喬先生と日本の社会経済史学会で鍛えられてアジア史をふまえ、イギリスでは Peter Mathias先生(そして Douglas Farnie先生)の薫陶のお蔭で、良い仕事をまとめることができたのです。早稲田大学では British Parliamentary Papers (いわゆるブルーブック)の購入決定に理事会が反対したというので、タンカを切って辞職して、国際日本文化研究センターに移動。そのころすでに環境史には一家言あり、1997年の日英歴史家会議(AJC, 慶応)ではスマウト先生の環境史報告へのコメンテータをつとめました。【じつは川勝とぼくの共著もあります!『世界経済は危機を乗り越えるか:グローバル資本主義からの脱却』(ウェッジ選書*、2001)】
 それからは静岡芸術文化大学(木村尚三郎後任)をへて政治にコミットしたようで、2009年の静岡県知事選挙で、(自民党・民主党の支持者を分裂させながら)当選、以後、2選、3選は圧倒的に勝利しています。

 一方のJR東海の金子慎社長は、といえば東大法卒、国鉄・JRの人事・総務畑で出世してきたかもしれないが、内向きの能吏で、- そもそも歴代首相とやりあい、英語での交渉もでき、皇室との個人的なつきあいもある川勝知事を相手に -、太刀打ちできるタマではない。
 今晩のNHK-TV、7時のニュースでも、川根の水で入れたおいしいお茶を供されて、金子社長が完全に手玉にとられてしまった場面が放映されました【この部分を、9時のニュースでは繰りかえさなかった。NHK幹部の独自の政治的判断≒配慮が介在したと想像されます!】。

 問題は、大井川や南アルプスだけではありません。
 コロナ禍で「リモート仕事」「Zoom会議」の快感を知ってしまった国民が、はたして、東京-名古屋は40分、東京-大阪は67分、といった恐怖のトンネル続きの「利便性」をこれからも支持しつづけるだろうか。ここは、むしろ東京オリンピックの中止、Aegis Ashoreの中止(河野防衛相の英断)、につづいて、never too late to mend! 電磁気によるリニア新幹線計画じたいを中止するという英断が待たれます。東京首都圏への過度の集中、通勤・出張を再考する好機ですよ、金子社長!

* ウェッジ選書とは、すなわち JR東海きもいりの出版でした! なんという皮肉/めぐり合わせ!

2020年6月15日月曜日

コロナ後 と 香港

すでに識者によって予言されているとおり、Covid-19(のパンデミック)のもたらす変化は、過去からの断絶ではなく、すでに始まっていた変化の顕著な促進でしょう。よくは見えなかった兆候が、この危機によって誰にも明らかな時代の転換として現れます。危機、すなわち生死を分けるような分岐点、転換点です。

イギリスを代表する、もしやヨーロッパ一の金融企業(銀行)HSBC が驚くべき発言をしました。BBCの報道によると
HSBC "respects and supports all laws that stabilise Hong Kong's social order," it said in a post on social media in China.
「香港の治安を安定させるあらゆる法律を尊重し支持する」と。
現今の金融資本主義を代表する企業が、中国政府の治安優先、というより習近平の独裁体制=権威的全体主義体制を尊重し支持する、と。これは天地もひっくり返るほどのことですよ。
ちなみに BBC は同じ記事のなかで、日本のノムラ(investment bank Nomura)が香港への関与を再点検する(修正する)と報じて、対照しています。
資本主義は、あるいは18世紀のヒュームやスミス、そしてブラックストンに言わせれば「商業社会」は、自由と所有権(と法の支配)によって成り立つ「文明社会」でした。以後、この自由と所有権と文明の間の比重にはニュアンスはあれど、これを旗印にする自由主義者と、これを否定する(競争と搾取の元凶と考える)社会主義者は、19世紀の前半から対立してきました。
20世紀前半には、ケインズのように、政府の政策によって野放図な資本主義をコントロールしようとする経済学者、そして福祉国家(大きな政府)を唱える「新自由主義者」(ネオリベラルではありません!)が現れ、1970年代まで西側先進国の民主主義を支える政策体系でした。しかし、民主と福祉は、ナチスや、ソ連や中国の共産党独裁とは相容れないと考えられていた。政治家は、イギリス労働党も日本社会党も「政治的判断」によって海外の共産党独裁を許容することはあったけれど。
上の BBC は含蓄をこめてこう言います。
The bank's full name is the Hongkong and Shanghai Banking Corporation and it has its origins in the former British colony.

じつはぼくが1980年にイギリスに渡って直ちに British Council から四半期ごとに給費を振り込む銀行口座は Midland Bank と指定されました(バーミンガム起源の歴史的な銀行です)。これがしかし、80年代半ばに HSBC に吸収されて、以後ぼくの小切手や Bank Card は HSBCのものとなりました。

後年、上海に行ってそこでバンドの威容を誇る建物群のうちでもHSBCが一番であること[そこまでは事前に写真で承知していました]、それが革命後、共産党政権により接収されて上海共産党本部になったことは、感銘深い、共産党側の論理としては理解可能な事実です。
ところで、香港の気のいい若者たちとマンチェスタで交流したのは1990年前後のことでした。Oxford Road をずっと南に下った所の YMCAに泊まっていて、留学生たちと仲良くなったのです。若者たちといっても30歳前後(?)で Manchester Polytechnic(その後 Manchester Metropolitan Universityへと改組改称)に研修で来ていた様子。
中国名とは別に Bob とか John とか自称していました。戦後の日本で「フランク永井」「ジェームズ三木」と言っていたのと似てるなと受けとめました。ぼくがイギリスのしかもマンチェスタの歴史を研究しているというのを珍しがると同時に、香港での現実問題は「汚職」(corruption)だということで、香港政庁の汚職特別委員会ではたらく、明るい正義漢が印象的でした。
まだeメールなどの普及する前だったので、その後、連絡は取れなくなってしまったのが残念です。彼らもすでに60代でしょう。イギリスの植民地支配から自由になったのはいいけれど、中華人民共和国のきびしい統制下に、今どのような日夜を送っているのだろう。たとえ汚職が蔓延していても、自由で、冗談の言える社会のほうが、よほどマシです。
革命独裁政権が、政敵を腐敗している(corrupt)として追放する/粛清するのは、フランス革命中からの常でしたね。

2020年6月13日土曜日

Zoom の不都合な事実

 これは「セキュリティ上の不具合」より深刻かもしれない問題です。

 この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
 セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
 というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
 6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
 当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.

 20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
 喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。

 Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
 さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)

 そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.

 Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。

 コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.

2020年5月21日木曜日

自粛ポリス


 世間では「自粛ポリス」とかいった攻撃的な、しかしチマチマした民衆的〈制裁〉が見られるらしく、悲しい。
 近現代の国家(≒福祉国家)では暴力・強制力は国家が独占する(リンチを許さない)という原理で動いていますが、そうなるより以前の国家社会では - そもそも警察はなかったし - 自力救済で問題を解決するか、逆に軍隊の強制に反対するしかなかった。やむにやまれず、たいていは1個人の単独行動より、共同体としての直接行動・示威行動でした。騒擾・一揆・リンチ・シャリヴァリ、そして直訴がくりかえされたわけです。
 そうしたさいに、ただ何かに異議を申し立てての抗議や反乱というより、むしろ「官」が行きとどかない/職務怠慢であるのに代わって、自ら正しい(とされている)ことを執行する -〈正義の代執行〉あるいは〈制裁の儀礼〉といった行動様式が、日本でもヨーロッパでもアメリカでも見られました。そのことの意味を
拙著民のモラル ホーガースと18世紀イギリス』〈ちくま学芸文庫〉で考えました。
 そのときは文明人にとっての「異文化」、その意味を考えるというスタンスで、これは〈いじめ〉問題の捉えなおしにもつながると考えていたのです。コロナ禍のような、想定外の緊迫・恐怖が続くと、これまでマグマのように鎮静していた民衆的・共同体的な〈騒ぎとモラル〉の文化が噴出してくるのですね。
 そこまではよく分かります。でも、今日見られる「自粛ポリス」は、たいてい権力をカサに着た、チマチマして匿名の〈いじめ〉、あるいは脅しのようで、目の覚めるような未来への構想・〈夢〉は示してくれない。もっと前向きに開けた直接行動・デモンストレーションがあると、楽しいのにね。
 むかし、「国大協自主規制路線 反対!」とか言っていたのを想い出します。

2020年5月19日火曜日

薔薇の名前?

みなさん、お変わりありませんか?

近ごろのぼくは基本的に、非常勤の大学院授業(週2コマ)をオンラインであれこれ試すこと以外は、書いちゃ読み、読み直しちゃ発見し、書き直しちゃ歩き‥‥といった繰り返しの毎日・毎夜です。E.H.カーのタイプの仕事かな。...Reading and writing go on simultaneously. The writing is added to, subtracted from, reshaped, cancelled, as I go on reading. The reading is guided and directed and made fruitful by writing: the more I write, the more I know what I am looking for....
いわゆるリモート・ワーク。インターネットの恩恵なしにはありえない「生活様式」です。今日午前には「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」という拙稿をようやく仕上げて送りました。小論ですが、註は28個付いています。

散歩は毎日、買い物も3日に一度くらいは出かけています。散歩はあまり人気のない近辺を選び(3密ではないので)マスクなし、買い物は閉鎖空間に入るのでマスクを着けて。
歩いている途中に気づいたのですが、いまバラが満開。この薔薇の名前を知らないのは悲しいけれど、美しいものを美しい、と感じ入るときを忘れているわけではないのは、救いかな。

2020年5月4日月曜日

石川憲法学


(承前)さて、その『朝日新聞デジタル』のインタヴューで石川健治さんは、客観的緊急事態(ぼくの言葉で言い換えると constitutional emergency)と主観的緊急事態(dictatorial emergency)を対比して論じています。ただし彼は、ローマの dictator については何故か(朝日の編集が介入した?)触れていません。共和制ローマ、革命フランスから登場する「独裁」あるいは「ジャコバン主義」は、ただの歴史的なエピソードではなく、自由民主主義の非常事態における緊急避難的な措置の正当性/不当性という問題です。憲法学者も、歴史学者も真剣に考えなくてはならぬ、主権と民主主義、非常事態[革命的な情況]と執行権力、危機と学問といったイシューではないでしょうか。
【日本語では非常事態緊急事態が区別されているようにも聞こえますが、英語ではどちらも (state of) emergency で、通常ではない=extraordinary な情況です。私権やふだんの生活習慣が制限されてもしかたない「非常な」事態です。ローマ共和制でも respublica の存亡の危機には dictator (独裁官/執権) を「6ヶ月に限って」任命しました。「危機」はありうる。コロナ禍の後始末もできないうちに大地震・大津波が襲来することだってありうる。そうしたときに、強力なリーダーシップを発揮できる民主的制度を構築することは重要だと思います。】

 石川さんの書くものは
「八月革命・70年後」『「国家と法」の主要問題』(日本評論社、2018)をみても、また
尾高朝雄国民主権と天皇制』(講談社学術文庫、2019)の巻末解説(長い評注)をみても、
知的迫力があって、ドキドキします。仮に「‥‥の証拠が出てきてくれると「丸山眞男創作説」を打破できて大いに面白かったのだが、残念ながら‥‥」といったサスペンスも込められた文章を書く人です。東大法学部の憲法学の教授なのに!
それが浮ついた文にならない一つの根拠として、東大駒場の尾高朝雄文庫;国立ソウル大学校中央図書館古文献資料室(!);立教大学宮沢俊義文庫;早稲田大学のシュッツ・アルヒーフ;京都大学のハチェック文庫といった学者の蔵書・アルヒーフの踏査研究(evidence!)がある。20世紀の前半、戦間期に蓄積された知的資産をきちんと受け継ぐという「学問の王道」の観点からも、石川さんの言動はしっかり注目しておきたい。
 先の『朝日新聞』のインタヴューの場合は(記者の自粛のため?/理解をこえたため?)ちょっと知的迫力が足りないのは残念ですが。
おかげで、勉強することは次から次へ現れて、「自粛疲れ」なぞするヒマがありません! 

2020年5月3日日曜日

朝日新聞デジタル


 コロナ禍のなかで『朝日新聞デジタル』が良いことをしています。従来は内容の充実した記事に限って、最初のパラグラフだけ見せて、あとは「有料会員限定記事」として閉じていました。緊急事態宣言(4月7日)後は
「‥‥掲載している記事を原則[すべて]無料で公開する緊急対応を行いました。報道機関として、より多くの方々にいち早く正確な情報をお届けするために実施したものです。[その後、事態の長期化を見すえて]4月17日(金)16時より、新型コロナウイルス関連の情報をまとめた「新型コロナウイルス特集」ページを公開し、暮らしや健康を守るために必要な記事を無料で公開する対応に変更いたします。これに伴い、新型コロナウイルス関連以外の有料会員限定記事の無料会員への公開は終了いたします。」
というわけで、コロナウイルス関連記事に限って開放し、読み放題、ダウンロード放題です。
 そのなかには、たとえば石川健治さんのインタヴュー記事「「緊急」の魔力、法を破ってきた歴史 憲法学者の警鐘」のようなものもありました。4月17日付。
https://digital.asahi.com/articles/ASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html?_requesturl=articles%2FASN4K3CQ3N4BUPQJ00C.html&pn=15

 降って湧いたような全般的危機が、国民性(政治文化)をあぶり出す、というのは、わたしたちが日々、参加観察している現象です。でももっと重要なのは、全般的危機をどう克服するか/できるか、が国民のその後の運命を決める、ということです。さらにいえば、医学・衛生学・薬学・工学ばかりでなく、人文社会系の学問も、こうした全般的危機に用立てることのできる知見・学識があるはずで - 速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店、2006)はその顕著な例でした -、この機会に自分は「専門バカ」ではない、という証をたてたいですね。(つづく)

カイロプラクティク

お変わりありませんか?
この緑かおる時候(im wunderschönen Monat Mai . . .)に、人の心を消極的にさせるパンデミックです。対策は social distancing だ、などと言われては、アル中気味になる方もいるでしょう。

ぼくはといえば、4月前半から左肩・左腕が上がらず、おかしいなと思っていたのですが、もろもろで落ち着かない日夜に、そのまま過ごしていました。複数の原稿や公務に対応すべく、督促を受けながら泡を食っていたのです。
パソコンでは右手だけでも不自由ながら入力できますので!
それが4月13日にはゴマカシがきかなくなって、左肩・左腕・左手の先まで鋭く痛み、衣服の着脱もできなくなりました。「左手を軽く添える」という動作ができなくなると、紙に文字を書くこともできません。
2015年11月の頸椎症性 神経根症のときとほとんど同じ(左右が違うだけ)。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2015/11/blog-post_24.html
あのときの麻布十番の針灸はとても良かったのですが、今はなく、しかたなく地域の整形外科に行って、後悔しました。レントゲンを撮ったあとは、「頸椎板ヘルニア」の理学療法とかいうことで、よく分からない電気的な刺激をうけ、首を牽引したり、痛いのに両腕を20回上下するとか、‥‥しかも周りに何人も同じような患者が同じようなことをしている!
隣の薬局経由で、帰途、歩きつづけるのさえ困難を感じつつ、もう行きたくないと思いました。
万事に意欲を失ってしまいそうなまま、痛み止めの効果で仮眠したあと、必死でウェブ検索しました。キーワードは、頸椎板、神経根症、鍼灸など。
ヒットしたうち、港カイロプラクティク(http://holistic.blue/)の説明が簡単明瞭で、院長の動画は無骨なくらい。好感をもちましたが、やや遠い。電車を乗り換えていく元気はないので、キーワードをカイロプラクティクに替えて検索すると、近隣にいくつもあるではないですか。そのうち歩いて行ける所に、深夜にインターネット予約して、明朝、返事があり、そのまま行って施術してもらいました。初回は1時間あまり時間をかけて話を聞きながら、全身に「手のわざ」(chiro-practic)を施してもらい、効果を実感しました。その後、4回施術。
お蔭さまで、今は正常心を取り戻しております。

2020年4月19日日曜日

対数グラフの不吉な動き


前から言っていますように、大きく動く数値について、少しでも長期の傾向、瞬間的な方向(あたかも放物線に現れるような変化のヴェクトル)を見通しながら比較するには、なんといっても対数グラフです。
日本の新聞でもテレビでもグラフとして示されるのはナイーヴな(小学生向け)グラフで、右端がぐっと急上昇して、「みんなで破局に向かう」みたいな印象主義です。
そうしたなかで『日経』はこれまで米ジョンズホプキンズ大学の成果を紹介するときだけ、対数グラフをそのまま見せていました。そんなに難しいことではなく、高校2年の数学、および遅塚忠躬先生の経済史の授業を受けた人なら馴染みがあるはず。
ほぼ日々更新されていますが、みなさんもどうぞ。
4月18日(日本時間)時点のチャートから一つだけ引用します。感染者数についてはテストの少ない日本の数値は少なめに現れているかもしれませんので、ここでは広汎なテストがあってもなくても fact として現れる感染死者数のグラフを見ます。「累計死者数の増加ペース」という対数グラフで、一般に新聞テレビで見なれたものとちがう印象を与えるのではないでしょうか。
死者数が全国で10名をこえてから何日たつと、どのように増加しているか。示されているのは主要国だけで、右側のめもりが 10, 100, 1000, 10000と上がっているように、各グラフ線の傾き増加のペースが一致します。薄く「2日で倍増」「3日で倍増」「1週間で倍増」と補助線が添えられています。紫のスペインや緑のイタリア、青いアメリカのような死者が万をこえて動くスケールと、下方の死者が何百のレベルで動く日本や韓国のスケールとは絶対数で比べれば、それこそ桁違いです。
でも、対数グラフは桁が違っても増減の動向(倍々ゲームの動き)を比較できるのが利点。スペインやイタリアのように死者が万をこえている国でも、じつは最近その伸びが鈍化していること;中国および韓国は増加ペースが水平に近づいて、それぞれ押さえ込みの効果を上げつつあることがクリアにわかります。
警戒すべきはアメリカ合衆国と日本です。アメリカの青い線は最近「3日で倍増」の補助線から離れて死者増が鈍化しているかもしれないが、しかしスペイン、イタリアとは違って、水平に向かうのではなく、上方へ首をもたげています。つまりトランプ大統領のハッタリとは異なる動きを示しています。
日本のオレンジ線はまだ「1週間で倍増」の補助線より下にあります。でも、空色の韓国とは違って、その線は水平に向かうのではなく上方へ首をもたげ、まもなく韓国の死者数を抜くことはほとんど明らかです。

この対数グラフの出典は → https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/ 他にもたくさん図示されています。

2020年4月16日木曜日

危機を教訓とする


危機(歴史的な岐路)は、それを生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる、と前回に書きました。14世紀のペスト(黒死病)も、17世紀の全般的危機も、1929年の世界恐慌も、そうだったと思われます。
14世紀のペストは → 疫病者の船を一定期間隔離・遮断(Quarantine「40日」)する制度を;
17世紀の危機は → 南欧とオスマン帝国の衰弱;蘭・仏・英の競合とやがて財政軍事国家の覇権を;
1929年の恐慌は → ケインズ経済学、ニューディール、そしてソ連の覇権を;招来しました。

これらに比して1918-20年のインフルエンザは、十分には教訓化されなかったようです。
【そもそも、ぼくたちの習った学校世界史には出てこなかった! 例の『論点・西洋史学』ではいかに、と見直すと、さすが安村さんが「コロンブス交換」の項目でクロスビ、ダイヤモンド、マクニールの仕事に触れながら論じていますが、それ以外は弱いかな?】ヴェーバーが犠牲になったのは1918-19年のFlu第一波でなく、いったんは収束したかと思われた1920年、Flu第二波なのでした。気をつけましょう。

トッドが「‥‥歴史的に、誤ちが想像されるときには必ず誤ちを犯してきました。私は、人類の真の力は、誤ちを犯さない判断力よりも、誤っても生き延びる生命力なのだと考えています。」と言っていたのをもう一度想い起こしましょう。
http://kondohistorian.blogspot.com/2019/12/e.html
とにかく生き延びる生命力。これなくして教訓も意味も、なにもない。

2020年4月13日月曜日

道傳アナ

今ではアナウンサというより、NHKの解説委員でしょうか。
NHKの女子アナウンサのなかで一番知的で魅力的なかた。88年入社でまもなく(地方局周りをすることなく)夜のスポーツニュースキャスターを担当するという超エリートコース。たしかコロンビア大学院かどこかで国際政治学の修士号(1年ではなく2年の)をもっておられる。ある時点からBSに移って、落ち着いて、分析的なニュースを伝えたいと言っておられた(と新聞で読んだ)。
11日に ETV特集でブレマー、ハラリ、アタリの三人と今月上旬にインタヴューをしたものが編集のうえ放送されました。ぼくは録画で今日ようやく見たのですが、現在進行中のパンデミックについて疫学的に意味ある発言は別の番組に任せて、それぞれ国際政治、人類史、国際経済の専門家として見通せる、この危機の意味を道傳さんが上手に引き出していました。【放送前の予告では「緊急対談」とのことだったので、インタネット中継で4局をつなぎ、ありきたりの主張が繰りかえされる薄味の番組かと懸念しましたが、そんなことはない、三者が別の日に、道傳さんも十分に準備してやったインタヴューなので、内容がありました。】
ブレマーが賢明にほぼ予想できることを言って、ハラリが(イスラエル政府を批判しつつ)データ監視と民主主義の共存を、アタリが Think and live positive! と基本姿勢を訴えたのが良かった。NHK のサイトをよく探すと、16日(木)0:00(つまり深夜未明)にETVで再放送するようです。一見の価値あり。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-04-15&ch=31&eid=12588&f=20

危機は、これまでの人類史でそうだったように、それをたくましく生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる。

2020年3月29日日曜日

『論点・西洋史学』 ミネルヴァ書房


鬱陶しいニュースが続きます。世界史に残るパンデミックの展開を同時代人として経験するとは、想像もしていませんでした。

そうした空気を一掃するような、金澤周作監修『論点・西洋史学』が到来。高さ26cmで xi+321+6 pp. のソフト装ですが、ずっしり重い大冊。https://www.minervashobo.co.jp/book/b505245.html

ミネルヴァ書房の最初は「よくわかる教科書」といったオファーにたいして、むしろ金澤さんのほうから逆提案して「「論点」だけで構成された西洋史本」を実現させたということです。編者でなく監修者ということらしいですが、とにかくそのイニシアティヴ/リーダーシップが明白で、「はじめに」も「おわりに」も気持が入って、力強い。

「おわりに」に引用されているチェスタトンによれば、望遠鏡派は「大きな物を研究して小さな世界に住み」、顕微鏡派は「小さな物を研究して大きな世界に住む」。そこで金澤さんの名言によれば、西洋史学は、どちらでもなく、「ちょうどよい論争的な多義性を持っている」(p.303)。はたまた「本書は決して、歴史の解釈には正解も優劣もない、といったようなシニカルで相対主義的な態度を推奨するものではない‥‥。むしろ、‥‥歴史ならではの、複数性と矛盾しない「真実」ににじりよっていく姿勢を善きものとして大切にします。本書で登場する競技場(アリーナ)の参加者はほとんど全員、真摯に歴史の真実を追究する求道者です。」(iii)と言い切る。 
そうした点からも、「はじめに」に続く「準備体操1 歴史学の基本」「準備体操2 史料と歴史家の偏見,言葉の力と歪み」を読んでも、学生よりまず誰より、この書を選ぶ教員たちを惹きつけるでしょう!

5人の編者たちとの会議が楽しかっただろうことは容易に想像できますが、123名もの担当執筆者とのヤリトリ・意思疎通はさぞや大変だったでしょう。

そこで本体の項目を個別的に見ると、じつは不満を覚える項目もないではありません(担当者の実力不足か、たまたま多忙すぎたか)。しかし、落ち着いて前後の項目をひっくり返し、相互参照しながら読むと、なにが問題なのかが浮き彫りにされてくる、という構造になっています。そうした点でも、積極的な学生たちには取り組み甲斐のある(active learning! の)教材と言えそうです。
たとえば、歴史記述起源論から中世史・近世史における国家論、そして19世紀の諸国民史から「帝国論」まですべて通読したうえで、「凸凹先生の項目は、少しくすんでいませんか」「△○先生って、短くてもシャープに表現できるすごい方ですね」とか議論するような学生が(院生が?)現れたら、すばらしい。

カバーデザインも、論点のある絵(1529年の表象)で、これだけでも1時限たっぷり討論できますね。
執筆者の半分くらい(?)はよく知っている方、半分くらいは知らない方々ですが、読んでいてぼくも元気になります。
ありがとうございました。

2020年3月26日木曜日

対数めもり


大きな変化の意味を考える、長期の傾向を比較する、さらに今後を予測するには、中学校や新聞で見なれた普通のグラフではなく、(半)対数めもりのグラフを使わなくちゃダメ、とは遅塚忠躬先生が口を酸っぱくしながら強調なさっていたことです。今回のようなパンデミックではまさしくそのとおりです。
感染者が何千人に達した、日に何十人増えた、といった実数は、疫学的にあまり意味はない。むしろ一定期間に感染者が何倍に増えたか、死者が何倍になったかという相対的な動向が問題なので、そのためにこそぼくたちは高2で対数を習ったのですよね。
さすが Johns Hopkins University の公開しているグラフはこのとおり、イタリア・スペイン・フランス・合衆国の増加傾向(勢い)の比較と警告に有効です。

『イギリス史10講』pp.150-151で、人口動態小麦価格のグラフを見ていただいたときも対数めもりだからこそ見える傾向を議論しました。もしそうでなければ、グラフの右端で断崖のような(蛇が鎌首をもたげているような)棒線が林立して、すごい急上昇してますね、といった印象主義より以上のことは語れない。変動を分析するには、対数めもりでないと幻惑(眩惑)されるのです。
環境問題・気候変動についても。じつはこのようなグラフの右端の hook(最近年の気温/炭酸ガスの急上昇)をどう解釈するかという問題があるようです。対数めもりで冷静に議論すべき論点です。

2020年3月22日日曜日

テレワークって


変な造語です。Work at home とか remote work とかなら、アリだと思いますが。

Covid-19 は、驚くべき急展開ですね。ダイアモンドプリンセス号が2月3日夜に横浜港に停泊した時点では、これほど世界中に急速に広まる pandemic の兆しとは予想されなかったし、なにより「不安だからといってむやみに病院に行き、検査を要求するのは無意味というより有害だ」という疫学専門家の意見が、まだ責任逃れのように聞こえたものです。
個々人の不安・恐怖の観点で考えるか、感染症の流行に社会的に対処する実践的な観点との違いがよく分かりました。前にも言及した、東北大学・押谷 仁教授が一般向けのインタヴューに答えた、よくわかる解説があります。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1582
英国政府の公衆向け簡便版は、こちらです↓
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/874281/COVID-19_easy_read.pdf

要するに、換気の悪い屋内に密集し、ハグしたりキスしたり、カンガクの議論をしたあげく、二次会は立食でおいしいものを飲み食いして、口角アワを飛ばして談論風発、といったことをしない、という理解でよいのでしょうか。じつは今月20日~22日の二泊三日で合宿研究会の予定でしたが、3週間前に慌てて(しかしメール討議の合理的な結論として)延期となりました。JSPS側も理性的に研究費の繰り越しを認めてくれたようです。そのときは、6月なら大丈夫、という見込みだったのですが、本当のパンデミックになってしまって、それさえ危ういのかもしれません。
この年度替わりに在外研究から帰国する人、逆に4月から出かけるべく(何年も前から)楽しみに予定していた人、本当に災難ですね。2010年4月にはアイスランドの火山噴火で、北極圏経由で英国に向かう飛行機がキャンセルされ、孤独な疎外感を味わいました。 →  http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/heathrow.html
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/still-stranded.html
そのときとは違って、今回はグローバルな事案なので、個々人の難儀というより、文明的な問題を共有する、といった情況でしょうか。

イギリスの大学では、オクスフォードの友人からのメールによると、こうです。
They are all learning how to do online teaching. One of my friends has his first online classes, five hours of teaching, today. Things have been very frantic for them. [They/them とは大学の教員たち]
でも、退職したご本人には、
It is unusually quiet, because everything is closed or cancelled. Still, there is plenty I can do, and spring is coming, so it will become more pleasant to be out in the garden(!)

ぼくの場合は花粉症もあるし、庭いじりするほどの土はないので、春を楽しむという気分ではありません。ただ、共同住宅の中庭のソメイヨシノがほぼ満開で、夜は、こんなぐあい。
ちょっと、ほっとします。

2020年3月10日火曜日

確定申告の期限


毎年、この時期は(春の休業期の原稿執筆に加えて)年度末の諸事と確定申告とが重なり、(去年はブダペシュト行きの直前でもあり)ドタバタすると同時に、なにごとも早めに取りかかればこうならない‥‥、といった反省しきりなのです。今年もあいかわらず、可能なかぎり先延ばしにしていた確定申告。
15日期限、といっても日曜日。どうなるんだ? もはや猶予なし、とすがる思いで、ウェブのお知恵拝借と検索していたら、なんと国税庁(NTA)から、こんなお知らせがあったのですね!
https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/shinkoku/kansensho/kigenencho.htm
 「今般、政府の方針を踏まえ、新型コロナウイルス感染症の拡大防止の観点から、申告所得税(及び復興特別所得税)、贈与税及び個人事業者の消費税(及び地方消費税)の申告期限・納付期限について、令和2年4月16日(木)まで延長することといたしました。」 
なんたる朗報!
民間のサイトには、「確定申告会場で相談される方に高齢者が多いために配慮がされたと思います」とか、したためられています! 
 https://manetatsu.com/2020/03/241946/ (マネーの達人)
 https://www.sumoviva.jp/feature/feature_458.html (スモールビズ)

業界で「働く高齢者」とか「ライターさん」とかいう範疇に、ぼくは入っているのでしょうか。でも、単純に期限延長でぬか喜びしてはいけない。来年度の etc, etc.にも影響するのだから、ここは早め早めに、とどのサイトも助言してくださっています。ありがとうございます。

2020年3月6日金曜日

神保町を歩く


コロナウィルス19とスギ花粉の時候がら、「不要不急の外出」は控えていますが、緊急必要のタスクがあれば、それなりの防備をした上で出かけざるをえません。大学にも、量販店にも。しかし一番良いものはやはり神田神保町の古書店街に、ということで、火曜・木曜には久方ぶりに出かけました。

靖国通りに面した2つの老舗店で良い買い物ができました。
 崇文荘書店は(坂巻助手、岡本先輩に教えられ)社会経済史も充実して、70年代にはお世話になったものです。書店側でも本の価値がよく分かっていて「ちょっと高め」の価格設定でしたね。今はどうかな。「日本の古本屋」kosho.or.jp というウェブぺージがあって、読者は歩き回らなくても相場がわかる(今では海外の古書店に注文するのも手軽にできる)ということもあり、それなりにリーズナブルな価格設定でなければ、売れません。

田村書店は、仏文の田村先生と関係あるのかないのか知りませんが、フランス文学や古典学に強い店。2階へ上がる階段にも古書が一杯で、階段幅は半分に狭まっている! そういうこともあって、これまでこの書店の2階に上がった覚えがない。今回は「日本の古本屋」で2巻本のラテン語辞典がかなり安く出ていたので、問い合わせたら、まだ在庫、というので飛んで行きました。ご主人とちょっとお話しできたし、なにより1階の和書は、今でも勉強家の学生にとって魅力的な掘り出し場です。

上の両店ではなく、別の古書店の前の歩道で、ちょうど荷車から降ろしているのを見かけたら、なんと西洋近世近代史の(ぼくの蔵書の一部、といっても通る)良い本ばかり複数の山を造っている! 思わず蔵書印かなにか手がかりをと思って手にとろうとしたら、「ダメです、店の中のものだけにしてください」と厳命されてしまった! 

春の晴れた午後。まだ日本の書籍市場も捨てたものではない、という気持にさせてもらいました。
(とはいえ、駿河台下交差点付近では、小川町ですが、昔むかしのエスワイルという洋菓子店も、またKKR・気象庁方面へ向かう千代田通りの左手・地下にあった鰻の店も、なくなっています。どちらも最初は柴田先生に連れて行ってもらった店。ずっとご無沙汰していたぼくもいけないのだが、悲しい。)

2020年3月2日月曜日

「東アジアとイタリア」から来る人


新型コロナ感染症をどう制御するか/できるか、という観点から、よくわかる説明をしてくれているのが、大阪大学の専門家お二人で、もしまだなら是非、お読みください。自分が感染するかどうかより、もっと大きな目で警戒すべきことがある。ということはパンデミックにさえならなければ、身の回りに1人や2人の患者が出てもパニクる必要はない、冷静に構えるべし、ということでもありますね。
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/022600659/

当方もいろいろ情報を集めたり、研究会予定について考えたりしているうちに、ケインブリッジのクレアホール学寮から、こんなメールが到来しました。

The rapid spread of coronavirus into Europe as well as East Asia raises questions about policy on offering apartments and guestrooms to Visiting Fellows or Life Members who come from infected areas. We will for the time being, not offer accommodation to Visiting Fellows or Life Members who come from high risk areas (as defined by Public Health England, Categories 1 and 2[1]).
(つまりぼくたち日本から来訪するメンバーは中韓伊からの方たちと同じで、学寮宿泊を当面は謝絶いたします、という通知です。)
(ちょっと微妙なこの方針について若干の正当性(理屈)は必要と考えるんでしょう。このように言います。↓)
In part this is to protect the college from a possible source of infection, but equally it is to protect the visitor from the problems which they would face in the event that they had to be quarantined within college.
We have therefore instituted a practice of asking those who wish to book guestrooms whether they are travelling from an infected area, and if they are, to refuse the booking with apologies.

で、その英国政府の定めたカテゴリー1と2なるぺージを見ますと、↓こんな具合。
https://www.gov.uk/government/publications/covid-19-specified-countries-and-areas/covid-19-specified-countries-and-areas-with-implications-for-returning-travellers-or-visitors-arriving-in-the-uk

2020年2月22日土曜日

水際作戦からパンデミックへ


いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。

¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来 満夫 教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MERS と違って「はじめに劇症が出ない感染症だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状は出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。【3月6日加筆:同じく東北大学の押谷 仁 教授が、大学のぺージでよく分かるように説明してくださっています。 → https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html
WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。

¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。官僚主義的で、どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけです。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかも、はじめは劇症でなくソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。これに英語発信の立ち後れという「日本的」問題も加わって(Ghosn 事案の場合と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。

‥‥これによって、付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな?

2020年2月11日火曜日

川島昭夫さん(1950-2020)

 川島さんが2月2日に亡くなったと、先ほど知らされました。69歳。

 1950年生まれ、あるいは1969年の京都大学入学者には人も知る逸材が多くて、(西洋史にかぎらず)あの人も、この人も、という情況でした、今でもそうです。ぼくが川島さんを意識したのは(誰から聞いたのでしたか)越智武臣先生のもとにすごい逸材がいる、ということでした。17世紀あたりの科学史やものの歴史、近代のantiquarianism といった変なこともやってる自由人!
 たしか父上は『西日本新聞』の記者で、そうした点でも、かつて『朝日新聞』九州本社に勤務した越智先生と話が通じやすかったのでしょうか。広く自由な興味関心のままに、京都の教員生活を楽しまれたのかな。いつだかの年賀状には、俳句をひねることもある、と記されていました。
 20年以上前のなにかの学会で、「こんなアホな報告、聞いていられない」と途中で廊下へ出たら、すでに廊下に退出していた川島さんと目が合って、あはは、となったこともありました。ぼくの「自由の度合い」は川島さんのそれに一歩出遅れている、ということかな。
 いまさらの恨み言をひとつしたためると、『岩波講座 世界歴史』16巻〈主権国家と啓蒙〉に執筆してくれるはずだったのに、どれだけ待っても原稿を出してくれず、1999年夏、ぼくがオクスフォードに滞在して自分の原稿の仕上げにアタフタしているうちに、岩波書店がこれ以上は待てないとのことで(当時はファクスおよび紙媒体の郵便のヤリトリでした)、結局見切り発車となってしまいました。そのときの「月報」には、正誤表のあとに、
 「本巻掲載予定の‥‥「森林と法慣習」(川島昭夫)は、都合により収載できませんでした。読者の皆様に深くお詫び申し上げます」
と記されています。
 その翌年の Anglo-Japanese Conference of Historians (IHR, 28 Sep.2000) ではオブライエン司会で
 British colonial botanic gardens and Edinburgh
という報告をなさいました。Respondent はキャナダインでした。
 谷川・川島・南・金澤(編著)『越境する歴史家たちへ』(ミネルヴァ書房、2019年6月)には寄稿されていません。
 最後にお会いしたのは京大の構内で、あわただしく挨拶しただけでした。川島さんが65歳で定年退職なさった直後ですから、4年前でしたか。ぼくも彼もそれぞれの研究会合に向かう途上で、こんなに急いで別れて良いのだろうか、とそのときも心残りでした。

 ご冥福をお祈りします。

2020年2月5日水曜日

ピート市長!


アイオワ州の民主党コーカスで、途中経過ながら、まさかの38歳 Pete Buttigieg が第1位!
政治手腕は未知数ですが、若さと落ち着きの好青年、democratic capitalism を支持する、カトリック≒アングリカンというので、案外これから他州でも支持を拡げるかも。Gay であると公言したうえでの出馬ですから、今後は右翼からの攻撃・揶揄はすごいでしょう(警備はしっかりやってほしい)。

長い大統領選挙キャンペーンで、ぼくが考える第1の基準は「トランプに勝てるか」です。サンダーズやウォレンがどれだけ正しいことを主張しても、最終的に全国で勝てない選挙戦をつづけるのは、トランプ再選に手を貸すことになる。今のアメリカ合衆国で50%以上の有権者を獲得できる、かつ理性的な政策・政治姿勢はなにか、という観点から考えるべきです。
想うに、16世紀フランスの血で血をあらった宗教戦争(36年間におよんだ)の最後に出現したポリティーク派(正しい信仰かどうかよりも、公共善/国家の存立を優先した人文主義者たち)の選択を、いまも実際的で賢明だと思います。「パリはミサに値する」。プロテスタントのナヴァル王アンリは、みずからの信仰を曲げてまで、内戦の終結、フランス王国の安泰、各信教の自由を優先しました。近世フランス、ブルボン朝の繁栄の始まりです。

ところで CNN も言うとおり、
  But while Buttigieg will struggle with building national name recognition,
  voters will likely struggle with pronouncing his name.
マルタ系の氏名らしいですが、日本のマスコミの「ブティジェッジ」という表記には無理がある。ゲルマン風には「ブティギーク」となりますが、これでは硬い。最初の音節 Butt に強勢をおいて、後半の -gieg をどう流すか、がポイントですね。弱く「ジッジ」ないし曖昧母音で「ジャッジ」かな。
https://edition.cnn.com/2019/01/23/politics/how-to-pronounce-pete-buttigieg/index.html
↑ こんなサイトがあります。すでに1年前にCNNの質問に答えて本人が「ブティジッジ」(後半は弱く曖昧)と発音しています。でも笑って「ピート」でいいんだよ、とのこと。