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2023年11月12日日曜日

NZD ナタリ・デイヴィス ありがとう!

昨夜、なぜか胸騒ぎがしてNew York Times の obituary欄を検索したら、
Natalie Zemon Davis, Historian of the Marginalized, Dies at 94
とありました。生まれは1928年です。
息子=音楽家のアーロンに看取られてトロントの自宅で10月21日に亡くなったとのことです。学生時代から一緒だった夫チャンは、去年に亡くなっていました。
落ち着いてウェブのぺージを見直すと、プリンストンもトロント大学も、バークリもミシガン大学も、オクスフォードの歴史学部も、それぞれ縁のあった所は、みなオビチュアリや懐古の記事を載せないわけにゆかない気持になっているのですね。Google ですべてヒットします。
ぼくは1995年1月にヨークで開催された社会史学会の朝食の場で遭遇して、楽しく放談することができたようすを『UP』に書きました。その縁で、97年5月、6月に彼女を日本に招聘するときにも、実務的なことも含めて、いろいろお手伝いしました。このとき、立命館、東大、北大(西洋史学会大会)でデイヴィスに接した方々は、みな強い印象 - inspiration そのもの - を受けたでしょう。
『iichiko』という雑誌に、二宮さん福井さんと一緒のインタヴューを載せることができましたが、その夜はなんとシャルチエも合流して、英語仏語チャンポンの談笑とあいなりました! 97年にはすでに69歳だったナタリは夕食時に、アルコールはいけない、脳細胞に悪い効果がある、とキッパリおっしゃって、こちら日本人学者たちを絶句させたものです。
【ちなみに『歴史とは何か』のときにやはり69歳だったE・H・カーは、アルコールを忌避したわけではないが、パブのような所には無縁の人でした。酔うことが楽しいとは思わなかったのでしょう。】
その後のデイヴィスはさらに文化史、ジェンダー史、ユダヤ人・先住民史の関わり(braided history)へと切り込んでゆき、ぼくたちをほとんど置いてきぼりにしそうな勢いでした。
「贋者のリメイク-マルタン・ゲールからサマーズビへ、そしてその先」 「16世紀フランスにおける贈与と賄賂」ともに拙訳『思想』880号(1997年10月) はよく読むと、その片鱗/予兆がうかがえます。 ぼくの「デイヴィス(ナタリ)」『20世紀の歴史家たち(3)』(刀水書房、1999)はいささか息切れしていたかもしれない。
70歳代、80歳代もまた知的に創造的に生きた、カッコいいNZD
なんとオバマ大統領は、2013年、彼女に National Humanities Medalを授与していたんだね。これもカッコいい大統領!< https://www.nytimes.com/2023/10/23/books/natalie-zemon-davis-dead.html> こちらに写真があります。
音楽家(piano, percussion)のアーロンは来日のたびに連絡してくれたので、会うことができました。

2023年10月31日火曜日

『図書』11月号休載 → 最終回は「E・H・カーと女性たち」

 岩波書店の『図書』に連載しています「『歴史とは何か』の人びと」ですが、申し訳ありません、11月号(899)はお休みとさせていただきます。
 第1回(2022年9月号)<https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074>にも記しましたとおり、三面六臂どころか、90歳まで執筆を続けたE・H・カー(1892-1982)ですが、その謎をすこしでも解き明かすために、20世紀のエリート群像の生きざまのなかで人物カーを脱特権化=相対化してみるという目論見でした。見開き6ぺージ(約6000字弱)の essay(試論)とはいえ、毎回、読むべきもの/確認すべきことが多くて、大変でした。肖像写真の選定にも苦労しました。しかし、それに見合う新しい発見/気付きもあり、充実した連載でした。
 元来は12回連載ということで始まりましたが、途中で15回に延伸できるかとの打診があり、やや充実させることができました。とはいえ、9月のアイルランド・イングランド旅行は(その準備段階も含めて)強烈で、連載原稿を仕上げることはできず、11月号は休載。12月号で第15回=最終回「E・H・カーと女性たち」をご覧に入れるということにさせてください。写真も含めて、それなりに印象的な最終回(有終の美!)とさせていただきます。(すでに最終回のゲラ校正も戻して、執筆者としての仕事は済んでいます。)
 ご愛読の方々、そして感想や声援を寄せて下さったみなさん、ありがとうございました。

2023年8月20日日曜日

大手町駅 B7 出入口

東西線を利用してJR東京駅に出るには大手町駅(の東側=日本橋寄り)から歩くのが便利です。
①丸の内(正面)側に出るには、改札を出てすぐに「JR東京駅」という指示のとおりに、エスカレータに乗って、その先を歩けば、迷う余地もなく、にぎやかなOazoの地下通路を通って、いつのまにか東京駅丸の内北口付近の雑踏にまぎれこむ、という構造です。これは地下通路も地上通路もあって、ほぼ同じ方角に移動する、一番利用者が多い経路でしょう。
逆に東京駅から東西線に向かう場合は、丸の内北口から丸善Oazoをめざして、それを右手に見ながら「東西線」という指示のとおりに歩けばいいのです(地上でも地下でも基本的に同じです)。
②八重洲口に出るには、大手町駅の改札を出て東西線の電車路の上を(すなわち永代通りの下を)日本橋方向=東にやや歩き、B8b あたりから右折して、あまり人出のない、さびしい昔ながらの「連絡通路」を歩いて、やがて八重洲地下街に到達する、という構造です。
逆方向ですと、東京駅で新幹線を降りて、八重洲口から東西線まで歩く、という人が辿りがちの、あまり楽しくない経路です。
③むしろ新しく - といっても10年以上前に - できた「東京駅日本橋口」にゆくには、大手町駅の改札を出て東西線の電車路の上(すなわち永代通りの下)を日本橋方向=東に向かい、B7 という出口から地上に出ます。そこは超モダンな空間で、新幹線【JR東海、JR東日本とも】の改札口、長距離バスの発着を利用する人びとが多いのですが、天井/空が高いので、混雑感・圧迫感はなく、ぼくとしては気に入っています。時間帯によっては、ツアー団体客や修学旅行客の集合場所として利用されています。

じつは今朝早くに、必要があって、この③の経路を使って東京駅に往復したのですが、ただいま大規模な再開発工事中で、さらに数年後にはすごい空間になるのだなと見上げました。「東京駅日本橋口」から北を見て左側にたつ高いビルが「サピア・タワー」という名の大きな建築で、知識産業が入居しています。何年も前にブレーン企業のセミナーに呼ばれてここの上階で話をしたことがありました。関西の私立大学の東京教室もあります。
このサピア・タワーは朝7時に開館で、それより前の早朝には館内のエスカレータが使えない。したがって東京駅を利用する大きな荷物の旅行客は、永代通りの長いB7階段をエッチラオッチラ利用せざるをえず、これは辛いな、と思わせるところでした。
 今朝の帰路に階段で気付いたのは、この写真のとおりの掲示です。
 そうか、利用者からの要望が続き、いよいよ、B7の「改良工事」に取りかかるわけですね。とはいえ今年の9月11日~2028年3月とは(5年間!)かなり長い! 近接するB6もB8aも改良工事で閉鎖中、ということは、この近辺の再開発が大規模だということを示しています。同時に、工事閉鎖中の不便もまた大きく、とりわけ東西線の早朝・深夜利用者には影響は少なくありません。

2023年8月14日月曜日

近刊予告

近況ですが、『歴史学研究』No.1039(2023年9月)に 〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して (全7ぺージ)①  

『思想』No.1193(2023年9月)に 翻訳のスタイル (全4ぺージ)③  

が掲載されます。【後者は『思想』7月号「E・H・カーと『歴史とは何か』」特集号における上村論稿に触発されてしたためた小文で、そこで呈示された疑問や指摘に答えています。個人間の論争ではありません。一般的な意味を求めて、多くの第三者読者に向けて発した、論文/翻訳のスタイルについてのコメントです。ぼくもかつては清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、1959)の愛読者で、卒業論文の執筆時に大いに参照しました。】
どちらも早ければ8月末には公刊とのことで、編集サイドの厚意とすみやかな作業のお陰です。ありがとうございます。
お読みになる順序としては、先にも少し書きましたとおり、
 『歴史学研究』9月号〈批判と反省〉①に最初の目を通していただき、
 その次に「思想の言葉:いま『歴史とは何か』を読み直す」『思想』7月号②を、
 そして、『思想』9月号の「翻訳のスタイル」③
という順で読んでいただくと、一番ナチュラルで良いかな、と思います。
②は、早くから岩波書店のウェブ「たねをまく」 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 にて公開されていますが、やはり順序として①が最初に読めるようにみずから努力すべきだったと、段取りの悪さを反省しています。

2022年4月22日金曜日

カー『歴史とは何か 新版』 予告の3

 『歴史とは何か』の巻頭になぞのエピグラフがあったことはお気づきでしょうか。
 清水訳(岩波新書)では、扉のあと、「はしがき」が始まる前のぺージに

   「八分通りは作りごとなのでございましょうに、
   それがどうしてこうも退屈なのか、
   私は不思議に思うことがよくございます。」
                        キャサリン・モーランド 歴史を語る
とあり、なにか有閑・教養マダムで、もしや高齢でお上品な淑女の発言のようにも聞こえます。何のことを言っているのか分かりにくいし、本文が始まる前のエピグラフとしておいた著者の意図・効果も不明で、それこそ「不思議に思って」(I often think it odd ...)いました。
 若きジェイン・オースティンの生前は未刊の小説 Northanger Abbey 第14章とのことで、調べてみると、いろいろなことが判明します。なにより主人公 Catherine Morland は17歳の夢見る乙女。読書が大好き、世の中のいろいろなことに興味津々、でもその深みまではよく分かっていないティーンが、男女のこと(結婚)についても、文学についても次第に目を開かされる、という設定でした。バースで知り合った新しい知己とのあいだの会話で、どういった本を読むのか、好きなのかといった話題のなかでのキャサリンの発言です。ぼくはこう訳しました。

   「不思議だなって思うことがよくあるのですが、
   歴史の本ってほとんど作りごとでしょうに、
   どうしてこんなにもつまらないのでしょう。

原文は
   I often think it odd that it should be so dull,
   for a great deal of it must be invention.

この直前にキャサリンは、こうも言っていますので、2回目・3回目の it は history です。
   I can read poetry and plays, and things of that sort, and do not dislike travels.
   But history, real solemn history, I cannot be interested in. Can you?

 キャサリンのナイーヴな発言は『歴史とは何か』の巻頭に、かなり挑発的なミッションを負って置かれていたのです。というわけで、巻末の訳者解説にはこうしたためました。pp.367-368.[ ]は今回の抜粋にあたっての補い。改行も増やします。

    ------------------------------------------------------------ 
 ‥‥じつは[1961年の初版以後、]英語の各版が新しくなるにつれて、巻頭におかれたキャサリン・モーランド嬢のエピグラフはカーの本文からどんどん(何10ぺージも)離れてしまっていた。これを本訳書では中扉の裏(2ぺージ)、第一講の直前に戻すことによって、元来のカーの意図(としたり顔)を生かす。
 従来の『歴史とは何か』の論評ではあまり言及されないが、ジェイン・オースティンの最初の作品『ノーサンガ・アビ』(死後1818年刊)において、17歳で読書好きのヒロイン、キャサリン嬢は率直に、歴史物はほとんど作りごと(インヴェンション)なのに、どうしてこんなにつまらないのかと感想を洩らしていた。この文脈で history とは歴史物の作品であるが、英語では本書のテーマ、歴史および歴史学と区別はつかない(補註a)。
 歴史/歴史学とは過去の事実への拝跪であるという岩礁[への座礁]も、歴史家の作りごとであるという渦潮[への沈没]も、第一講で明確に否定されるのであるが、カーは愛読したジェイン・オースティンからこのエピグラフを引いて、あらかじめ渦潮派の問いかけを呈示し、それにたいする反論を予告していたわけである。だからといって、カーのことを素朴な実証主義者(岩礁派)だといった虚像(カカシ)を仕立てあげて攻撃するポストモダニストには、[笑]をもって答えるのだろう。ちょうど『歴史とは何か』を執筆しているころのカーの肖像写真(332ぺージ)の表情が語るかのようである。 <以上> 
     ------------------------------------------------------------
  

 [その写真は、これです。(c) The estate of E. H. Carr.
 たとえば『危機の二十年』(岩波文庫)で使われている肖像写真は温厚きわまる老紳士ですが、それよりも元気で、いたずらの表情です。]

2022年4月18日月曜日

カー『歴史とは何か 新版』 予告の2

◇ [訳者解説のつづき]

 本書の読者は、カーの講演の様子を想像しながらウィットのきいた冗談に笑い、皮肉にため息をつき、豊かで具体的な議論の一つ一つから自由にインスピレーションをえることができる。ただ、本書は論争の書でもあり、どのような筋書きで成り立っている書なのか、その柱と梁だけでも確認しておくのは余計ではないであろう。

 第一講「歴史家とその事実」は、冒頭の謎のようなアクトンは別にすると、その展開のまま素直に読めるであろう。大海原に生息する魚類にたとえられる「事実」と歴史家のあつかう歴史的事実なるものの区別、シュトレーゼマン文書にみる史料のフェティシズム、クローチェとコリンウッドの歴史論。巧みなたとえを用いながら話は進み、結びは、こうまとめられる。歴史家のあぶない陥穽として、一方には事実(過去)の優位をとなえるスキュラの岩礁のような史料の物神崇拝が、他方には歴史家の頭脳(現在)の優位をとなえるカリュブディスの渦潮のような解釈主義/懐疑論、今日のいわゆるポストモダニズムが存在する。しかし、カーとともにある歴史家は、史料/事実に拝跪して座礁するのでなく、主観的な解釈、構築という渦潮に翻弄されて沈没するのでもなく、二つの見地のあいだを巧みに航行する。そうした最後に導かれるのが、よく知られている「歴史家とその事実のあいだの相互作用」「現在と過去のあいだの対話」である。全体を通読した後にもう一度読みかえすなら、「読むのと書くのは同時進行です」といったノウハウ - 論文執筆のヒント - も含めて、第一講に込められた意味はさらによく見えてくるであろう。

 ところで冒頭の欽定講座教授(補註c)アクトンであるが、じつはアクトンの名も彼の『ケインブリッジ近代史』(補註e)も、日本の読者にはあまりなじみがないのではないか。カーは、「アクトンは後期ヴィクトリア時代のポジティヴな信念‥‥から語り出しています」、「ところがですね、これはうまく行かんのです」と否認するかに見える。読者は一読して、アクトン教授とはこの本で最初に否とされる古いタイプの歴史家の役回りなのかと受けとめるであろう。博学なコスモポリタンで、講義でも会話でも人々を知的に高揚させながら、生前に一冊も歴史書を著すことのないまま心筋梗塞(過労死)で亡くなり、せっかくの野心的な企画も挫折した、魅力的で不運な歴史家。「なにかがまちがっていたのです」とカーは畳みかける。しかし、そのアクトンは本書のあらゆる講でくりかえし登場し、論評されるのである。索引を見ても、アクトンはマルクスと並ぶ双璧である。なぜか。片付いたはずの後期ヴィクトリア時代の「革命=リベラリズム=理念の支配」(256, 261ぺージ)の亡霊のようなアクトンが、それぞれの文脈でカーの議論をつないでいる。『歴史とは何か』を解読する一つの鍵はアクトンにある。この点はデイヴィスもエヴァンズも渓内謙も看過している。
 [以下 5ぺージほど中略]

 カーが未完の第二版で意図していたのは「過去をどう認識するかについての哲学論議」(9ぺージ)ではなかった。この点は重要であるがデイヴィスが立ち入らないので、訳者として補っておきたい。もしそうした認識論談義を求められたならば、たとえば『マルク・ブロックを読む』(岩波書店、2005, 2016)における二宮宏之と同じく、思弁的な方法論に淫する人々に向けて弁じたリュシアン・フェーヴルの「そんなことは方法博士にまかせておけばよい」という台詞をカーもくりかえしたのではないか。フェーヴルやブロックについて二宮が明言したのと同様に、カーもまた「歴史を探究し記述するとはいかなる営みなのかを研究の現場に即しながら根本から考え直すような書物を書きたいと希っていた」(二宮、193ぺージ)‥‥[以下1ぺージあまり中略]
 こうしたことより、現役歴史家にとって大きな問題と思われるのは、たとえばしばしば言及されるフランス革命について、G・ルフェーヴルの名はあがってもその複合革命論、ましてやR・R・パーマの同時代国制史への言及がないことである。カーは「歴史家稼業であきなうのは諸原因の複合性です」(146ぺージ)と述べるのにとどまらず、因果(why)だけでなくいかに(how)を考えるという示唆もあった。その因果連関論を縦の系列のつながりに留めることなく、同時的な複合情況(contingency)へと視角を広げ、さらにはアナール派や Past & Present の社会文化史と交流し、啓発しあう可能性もないではなかっただろうが、これは展開されないままに留まった。‥‥[中略]このようにカーの到達点からさらに具体的な「過去を見わたす建設的な見通し」へとつなげてゆくのが、今日の課題なのではないか。「今、わたしたちこそ、さらに一歩先に進むことができる」(333ぺージ)という自叙伝の一文は、わたしたち自身の言明とすることができるであろう。
 その自叙伝は‥‥1980年、88歳にして自分の人生と著作を省みた語りで、そこに反省的な自己正当化が働いていないとは言えない。父のこと以外には家族関係に言及しないという心機が働いているかのようである。それにしても、ここでのみ開示される「秘密」もあり、巻頭の「第二版への序文」と合わせて、晩年のカーの貴重な証言である。エヴァンズを初めとして多くのE・H・カー論の依拠する情報源でもある。
 巻末におく略年譜は、自叙伝ではパスされている事実婚を含む3度の結婚、不如意に終わったロンドン大学の教授ポストへの応募、7年間の失業といった「事実」を補い、‥‥訳者が作成した。激動の20世紀をそのただなかで生き、考え、書いたE・H・カーの姿が浮かびあがる。
 [後略。以下3ぺージあまり]

 5月の刊行を、お楽しみに! → 岩波書店 twitter

カー『歴史とは何か 新版』(岩波書店、5月17日刊行)予告の1

 このような装丁の本です。 → 岩波書店

 昨年11月末から本文(第一講~)の初校ゲラが出始め、巻末の略年譜と補註の初校ゲラが出たのは2月末でした。十分に時間をかけて、くりかえし朱をいれて、多色刷りの著者校を戻し、そうした作業の最後に訳者解説を書きあげたのは3月13日。ちょうどそのころから母の具合が急に悪くなって、祈るような気持で仕事を進めました。3月末、百歳の母が力尽きて亡くなったときは、一瞬、刊行日程を1ヶ月延ばしてもらえるか、お願いしようと考えたほどです。編集サイドの最大限の支援と協力に支えられて、かつ今日のITのおかげで、瞬時にメールやPDFで正確にゲラや訂正文を送受できるので、本文は四校まで、索引は再校まで見て、ぼくの側ですべて完了したのは4月16日でした。
 なにしろ前付がxxii、本体+付録は371ぺージ、後付が(横組)索引と略年譜で17ぺージ、合計410ぺージ(と余白ぺージ)。それにしても岩波新書(清水幾太郎訳)が252ぺージだったのに、今回は四六判で410ぺージ。差異は量的なものにとどまりません。
 以下は訳者解説から、内容にかかわる部分の抜粋をご覧に入れます。

    ◇

 「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです。」
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになるのです。」
- こういったセンテンスで知られるE・H・カーの『歴史とは何か』であるが、それ以上には何を言っているのだろう。「すべての歴史は現代史である」とか「歴史を研究する前に、歴史家を研究せよ」、そして恐怖政治について「従来、公正な裁きの行なわれていた地においては恐ろしいことだが、公正な裁きの行なわれたことのない地においては、異常というほどでもない」といったリアリストの言があるかと思えば、「世界史とは各国史をすべて束ねたものとは別物である」といった高らかな宣言もあり、最後は20世紀の保守的な論者たちの言説を列挙したうえで、「それでも、世界は動く」といった決め台詞で読者をうならせる。古今の名言が次から次に現れて、ぼんやり読むと、全体では何を言っているのか分からなくなるかもしれない。
 およそ歴史学入門や史学概論を名のる本、そして大学の授業で、E・H・カーとその『歴史とは何か』に触れないものはないであろう。だが、その内実はといえば、上のように印象的な表現の紹介にとどまるものが少なくないのではないか。ちなみに二宮宏之「歴史の作法」[『歴史はいかに書かれるか』所収](岩波書店、2004)でも、遅塚忠躬『史学概論』(東京大学出版会、2010)でも、カーの『歴史とは何か』は俎上にのぼるが、論及されるのはほぼ第一講だけである。たしかに遅塚の場合は事実と解釈の問題に立ち入って批判的だが、しかし第二講以下はコメントに値しなかったのであろうか。むしろ、作品としての全体を扱いかねたのかもしれない。

    ◇

 カーは1961年の初めに6週連続のトレヴェリアン記念講演(補註f)を行なった。『歴史とは何か』はその原稿をととのえ脚註を補って、同年末に出版されたものである。大学での講演(講義)であるが、教職員・学生ばかりでなく一般にも公開され、無料で出席できた。ケインブリッジ市の真ん中を南北にはしるトランピントン街から、平底舟(パント)とパブでにぎわうケム川のほとり(グランタ・プレイス)へ抜けるミル小路に沿って建つ講義棟の教室を一杯にして、時に笑いに包まれながらこの講演は進行したという。直後には同じ原稿をすこし縮めた講演がBBCラジオで放送されている。
 この講演にのぞむカーの意気込みは十分であった。それには事情がある。[以下 2ぺージほど中略]

 本訳書の底本は What is History? Second edition, edited by R. W. Davies, Penguin Books, 1987 であり、これに1980年執筆の自叙伝、訳者が作成した略年譜を加えている。[以下 3ぺージあまり中略]

◇ 
To be continued.

2021年8月22日日曜日

ホーガース版画

東大の経済学部図書館に所蔵する大河内コレクション・ホーガース版画にちなんで
『Hogarth・資本主義・民主主義:強欲と勤勉の18世紀イギリス(仮)』
という企画がしばらく前に立ちあがり、今月から連続研究会が、この時勢ですのでZoomにて公開開催されます。今年度後半にぼくも『民のモラル』の著者として登壇します。

案内文を貼り付けます。
------------------------------------------------------------ 
蒸し暑い日々が続いておりますが、お変わりありませんでしょうか。
さて、研究会の第1回目を、8月23日(月)に開催することになりましたのでご案内いたします。ご都合がつくようでしたらご参加いただければ、ありがたく存じます。

◎近世ヨーロッパの文化と東アジア研究会
「東アジアへの西欧の知の伝播の研究」2021年度第1回公開研究会
・開催日時:2021年8月23日(月)13:30~16:00 オンライン(Zoom)による開催
・要参加登録
https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZEtde6ppjouHd1sgIBl2AhWZO8mELhUa-8W

・タイムテーブル 
13:30-13:40 総合司会・開会挨拶:野原慎司(東京大学准教授)
13:40-14:40 報告1:小野塚知二(東京大学教授) 
 「美、風刺、「封建的自由」:ホガースと近世日本の形象表現のずれ」(仮題)
14:40-14:55 休憩
14:55-15:55 報告2:有江大介(横浜国立大学名誉教授)
 「西欧社会経済思想の19世紀後半東アジアへの波及:明六社知識人と厳復たちの翻訳」(仮題)
※各報告には質疑応答の時間を含みます
15:55-16:00 閉会挨拶:石原俊時(東京大学教授)

2021年4月6日火曜日

山陽路

昔むかし、学齢前に住んでいた松山から、母の実家・広島県の(今は尾道市に合併した)向島に行くには、瀬戸内の今治=尾道間の連絡船で、しまなみの大きな島小さな島の間を抜けながら、次々に変わる景色のなかを船に揺られました。
その後、住居が京都、千葉に移ってからは、母とともに山陽本線で神戸から須磨の浦、舞子の浜の美しい松林を眺め、姫路の次「相生」から岡山平野へ抜けるまでの山あいの蛇行する鉄路は、機関車がナンダ坂コンナ坂‥‥とあえぎながら上るのですが、この光景は小学生には忘れられないものでした。そして岡山、福山を過ぎて、しばらく海が見えなくなったあと、「松永」から左にカーヴして、まもなく家並みの合間に、尾道水道の海面と造船所のクレーンなどが目に入ってくる。
   海が見えた、海が見える。
   五年振りに見る尾道の海はなつかしい。
   汽車が尾道の海にさしかかると
   煤けた小さい町の屋根が
   提灯のように拡がってくる。
   赤い千光寺の塔が見える。
   山は爽やかな若葉だ。
   緑色の海の向こうに[向島の]
   ドックの赤い船が帆柱を空に突きさしている。
   私は涙があふれていた。
といった林芙美子の文章を染めた(観光用の)手拭いを、千葉に住む母は部屋にずうっと飾っていました。林芙美子は、母と同じ「尾道高女」の卒業なのです。いまは無人の家に、まだ垂れ飾ったまま。母ほどではないが、ぼくにとってもささやかな原風景のひとつです【新幹線の「新尾道」経由だと、この感動は味わえません。福山で在来線に乗り換えるにかぎります】。
この向島にいま二人の叔父が90歳を過ぎて在住です。

その尾道からさらに西へ行った隣町、三原市では   〈古民家しみず〉再生プロジェクト  というのが始まったということです。叔父が『中國新聞』の切り抜きを送ってくれました。
  → http://www.kominkashimizu.net/
 「西国街道の古民家を 民泊&土蔵ギャラリー&カフェ として再生し 地域に活気を取り戻す!」という謳い文句で、古民家カフェがこの春から始まるのです。
まもなくパンデミックが収まって、ご無沙汰の二人の叔父に会い、この古民家カフェにも訪ねて行けますように。

2020年3月2日月曜日

「東アジアとイタリア」から来る人


新型コロナ感染症をどう制御するか/できるか、という観点から、よくわかる説明をしてくれているのが、大阪大学の専門家お二人で、もしまだなら是非、お読みください。自分が感染するかどうかより、もっと大きな目で警戒すべきことがある。ということはパンデミックにさえならなければ、身の回りに1人や2人の患者が出てもパニクる必要はない、冷静に構えるべし、ということでもありますね。
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/022600659/

当方もいろいろ情報を集めたり、研究会予定について考えたりしているうちに、ケインブリッジのクレアホール学寮から、こんなメールが到来しました。

The rapid spread of coronavirus into Europe as well as East Asia raises questions about policy on offering apartments and guestrooms to Visiting Fellows or Life Members who come from infected areas. We will for the time being, not offer accommodation to Visiting Fellows or Life Members who come from high risk areas (as defined by Public Health England, Categories 1 and 2[1]).
(つまりぼくたち日本から来訪するメンバーは中韓伊からの方たちと同じで、学寮宿泊を当面は謝絶いたします、という通知です。)
(ちょっと微妙なこの方針について若干の正当性(理屈)は必要と考えるんでしょう。このように言います。↓)
In part this is to protect the college from a possible source of infection, but equally it is to protect the visitor from the problems which they would face in the event that they had to be quarantined within college.
We have therefore instituted a practice of asking those who wish to book guestrooms whether they are travelling from an infected area, and if they are, to refuse the booking with apologies.

で、その英国政府の定めたカテゴリー1と2なるぺージを見ますと、↓こんな具合。
https://www.gov.uk/government/publications/covid-19-specified-countries-and-areas/covid-19-specified-countries-and-areas-with-implications-for-returning-travellers-or-visitors-arriving-in-the-uk

2019年5月25日土曜日

歴研

5月26日(日)は歴史学研究会大会の合同部会@立教大学。9:30から17:30まで、全日シンポジウムです。
去年の合同部会からの続きですが、「主権国家」再考 Part 2 という設営で、
皆川 卓 さん「近世イタリア諸国の主権を脱構築する:神聖ローマ皇帝とジェノヴァ共和国」
岡本隆司さん「近代東アジアの主権を再検討する:藩属と中国」
という2つの報告があります。これにコメンテータとして、大河原知樹さんと近藤が加わります。
フェアバンクによる華夷秩序・朝貢条約システム・主権国家体制
という定式は、アヘン戦争前後の清 ⇔ 列強関係を説明するには「分かりやすい」が、この定式化にはいろんな問題が内包されています。オリエンタリズムの歴史学版でもあるけれど、なにより - 西洋史の観点から言うと -「条約システム」や「主権国家体制」が(政治学や国際関係論の授業のように)議論の大前提になっている点が問題の始まりだろうと思われます。
西洋列強の覇権、国際法もまた歴史的な産物で、それこそ中世末から、とくに16世紀からのヨーロッパ内の事情、対外交渉によりゆっくり形成されます。ウェストファリア条約(1648)でバッチリ確立するわけではない(しかし17世紀はたしかな変化の世紀ではある)。16世紀~18世紀の戦争と交渉のノウハウ、啓蒙と産業革命を手にした西洋列強は、1790年代には、かつての豊かなアジアへの野蛮な遅参者ではなく、自信満々の近代人としてアジアの秩序に挑戦します。「その先頭にはイギリス人が立っていた」のです。『近世ヨーロッパ』(山川出版社、2018)pp.6, 14, 86, 88. この事実の歴史性を忘れてはならない。
なおまた、このときアヘン戦争前の清朝は、東アジア朝貢秩序の最盛期にあった、というのがフェアバンクの早い時点からの問題意識でもあったらしく、このへんは専門家に尋ねたいところです。

24日、メイ首相の辞任表明とか、いろいろ事態は動いていますね。26日、トランプ大統領の大相撲桟敷席観戦は、無理しすぎと思います。これらについては、また。

2019年5月15日水曜日

わが家にも詐欺師の魔手が

本日、朝日生命大手町ビルの「一般社団法人全国銀行協会」から封書が家人あてに届きました。
[重要]という赤字の印、「宛名をご確認の上開封してください」という注意書き、そして正確な住所・宛名。「元号の改元による銀行法改正のお知らせ」に始まる丁寧な文章‥‥。これは真正の通知文なのかとおもわせる雰囲気。
ただし、持って回った文体で、一読しても何を言ってるのかよく分からない。「全国銀行協会加盟銀行にて口座開設をされているお客様」あてなのに、家人あてに来て、ぼくあてには来ないのはなぜ?。
そもそも「改元に伴い、セキュリティ強化の観点から新システムへの変更を行っております」というあたりから、マユツバ。「当銀行協会にて口座開設時の登録情報のご確認、キャッシュカードの暗証番号変更手続きをおこなって頂く様[ママ]お願い申し上げます。」というので、これは詐欺だと分かった。漢字変換も乱れて、本当の「全国銀行協会」にしては品格がない。

「尚2019年5月17日までに登録情報のご確認、暗証番号の変更手続きがお済みでないお客様に関しましては‥‥お口座のご利用を停止させて頂く場合がございます。」
今日は何日だと思ってるの? こうやって急がせて、子や信頼できる人に相談する暇を与えない、というテクニックなのでしょう。
ご丁寧にも
「当銀行協会加盟銀行におきましては、お客様にお電話口で暗証番号等をお聞きすることや、キャッシュカードを郵送にてお送りいただくような[ママ]ことは決して御座いません。」とそれらしく朱書してあります。ということは、三菱やみずほや三井ではそんなことはしないが、フェイクの「全国銀行協会」ではIDを聞き出したり、郵送を依頼したり、受け子を遣わすことがございますよ、という意味ですね!
とにかく慌てた消費者が 03-572*-920* という番号に電話してくれば、トンデ火に入る夏の虫、あとはノラリクラリと個人情報を引き出すのでしょう。
念のため検索してみると、この電話番号についての問い合わせが今日15日から突然に急増しています。

すでに真正の一般社団法人全国銀行協会(↓)には、注意喚起の記事が出ています。
https://www.zenginkyo.or.jp/topic/detail/nid/3564/
また本当の全国銀行協会の相談室の電話番号は、上のものとは全然違います。

みなさま、そしてみなさまの親御さんには、どうぞご留意のほどを。
詐欺師も生活がかかっているので(!)あの手この手でアプローチしてきますね。
そもそもわが家の住人・住所が正確に掌握されているということからして、許しがたい。

2017年2月13日月曜日

しながわネットTV

品川区公式チャンネル 「しながわネットTV」というサイトに、すでに今月初めから搭載されて、インターネット配信されているとのことです。
こちらからアクセスしてください ↓ ↓
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000030400/hpg000030327.htm
近藤和彦:「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」

これと同じコンテンツが youtube でも見られるということです。
前半 → (56分)

後半 → (42分)


なお、近藤の顔と声を見聞きしたくない方には、文章化したテクストだけを読めるようになっています。PDFで前半9ページ、後半7ページ。ダウンロードもできるはずですが、ただし、こちらには写真など図像は載っていません。

前編 pdf
後編 pdf

前から申しておりますとおり、これを学問的に再構成して根拠も明記した論文としては
「『悲劇のような史劇ハムレットを読む」を『文学部論叢』のために書きましたので、こちらをご覧ください(3・4月に公刊)。

2016年9月14日水曜日

ヒトゴロシにもイロイロある


シェイクスピアの生まれはエリザベス1世の治政、1564年。ジェイムズ王への代替わり時には39歳で、創作力の頂点。亡くなるのは徳川家康と同じ1616年。ということは「真田丸」の同時代人でもあり、おもしろい話はたくさんあります。
立正大学文学部の公開講座ですが、ご案内申しあげます。
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w.html
詳しくは↓
http://letters.ris.ac.jp/aboutus/koukaikouza/idkqs4000000293w-att/28kokaikoza.pdf
申し込み期日は厳密に考える必要があるのかどうか? むしろ数百人の湛山講堂が満杯であふれるといった事態を避けるためでしょう。

2016年9月9日金曜日

Commentarii


 以前から不思議だったのは、このブログの閲覧者のうち MS Office のインストールや使用法、認証のトラブルにかかわる発言にアクセスする方が非常に多いことでした。なにかソフト(今ではアプリ、ですか?) Office の不正利用のためのノウハウ・ページと誤解してアクセスなさっているのか、それにしても(合衆国、中国、ロシアも含めて)閲覧者数が多すぎるな、と。
 ほんの数日前に、忽然と気付いたのですが、ぼくのブログの名が「オフィスにて」となっていて、どんなスレッドであれ、これは省略されない。検索エンジンでもその結果は、たとえば 「オフィスにて 成瀬治先生」といった表示になるわけです。これは不覚でした。

 (じつはオフィスに行かずに書いているケースも増えていますから)この際、トップの名称を変えてみます。全体の表題を「無」にするという選択は blogger にて許されないようですから、スポーツの「実況中継」ほどにリアルタイムではありませんが、研究教育だの、思考の道具だのにともなう時宜的な commentaries だということで、カエサル的な!?(あるいはぼくたちの学生時代の『判例コンメンタリー』的な!?)名称でちょっとやってみましょう。これにより、アクセス数は健全化するでしょう。

2016年5月17日火曜日

日産ゴーンと 礫岩のような複合企業

 今朝の『日本経済新聞』電子版によると、
「日産、1000万台クラブへ。仏ルノーやロシアのアフトワズなどとアライアンス(提携)を駆使し、競争力を高めてきたゴーン氏。三菱自動車を事実上、傘下に組み入れ、提携戦略は新たな局面に入る。ゴーン流 連 邦 経 営 に死角はないのか。」
http://mx4.nikkei.com/?4_--_48696_--_962477_--_2
 合同や吸収合併でなく、アライアンスとか連邦経営といった語がふだんから国際企業の経営について使われているのか。知りませんでしたが、しかし、今回の三菱自動車の不正事件から急転直下、ゴーン日産の積極的な出資と提携によって、コングロマリット (conglomerate: 国際複合企業)であることをさらに推進するという戦略は、さらに鮮明になりました。
 6月に刊行される編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)はあくまでヨーロッパ近世史の共著です。
〈近世ヨーロッパの「国のかたち」が歴史学を動かす〉
というキャッチの論文集で、公共善と秩序を、絶対主義と帝国を問題にしますが、その序章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」p.16では、Oxford University Museum におけるポルトガル出自の礫岩標本 =カラー写真をカバーに用います= を掲げたうえで、こう書きました。
図1の標本は「‥‥1580年前後のイベリア半島の礫岩状態を考える場合にも、あるいはポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」を見る場合にも示唆的」だと。
 J. H. エリオットにならって、ぼくだけでなく本書の共著者はみんな、法的に対等な合同(連邦)と従属的な合同(併合)という2つの型、を区別して討論しています。もし連邦経営という語が、今日の経営学でふつうに用いられる語なのだとしたら、それにも言及すべきだったかな。
 上の引用文を書いた12月には、三菱自動車がこんなことになって、それに乗じて日産がアグレッシヴに Unus non sufficit orbis という世界戦略を鮮明にするとは予想もしていなかったのですが。かくして礫岩、コングロマリット、国際複合企業は現代的なキーワードでもあります。山川出版社さん、初版部数について、定価について、(ゴーンに倣えとまでは申しませんが)いま少し積極的に出ても良いんじゃないでしょうか?

2015年4月19日日曜日

『ヨーロッパ史講義』(山川出版社、2015)


こういうタイトルで「あたかも12名のオムニバス授業の渾身の一コマの記録」のような本を作りましょう、と呼びかけたのが 2012年5月でした。共著者の皆さん、公私ともに多事多端の折から、力作の原稿が出そろうまで難儀をしましたが(校正もなかなかたいへんでした)、最初の企てどおり12名の力作ぞろいの共著としてちょうど3年目に刊行されます。いま見ている巻末・奥付のゲラ刷りに 5月20日発行と記されています。
最初の「序」では「‥‥全体をとおして、時代によって変化する人と人の結びつきやアイデンティティ、政治や世界観をめぐって、ヨーロッパにかかわる世界の歴史のポイントを考える連続講義として」企画、執筆された、としたためられ、12の章は次のとおりです(すべてに副題が添えられていますが、ここでは省きます)。
 1.佐藤 昇 「建国神話と歴史」
 2.千葉敏之 「寓意の思考」
 3.加藤 玄 「国王と諸侯」
 4.小山 哲 「近世ヨーロッパの複合国家」
 5.近藤和彦 「ぜめし帝王・あんじ・源家康」
 6.後藤はる美「考えられぬことが起きたとき」
 7.天野知恵子「女性からみるフランス革命」
 8.伊東剛史 「帝国・科学・アソシエーション」
 9.勝田俊輔 「大西洋を渡ったヨーロッパ人」
 10.西山暁義 「アルザス・ロレーヌ人とは誰か」
 11.平野千果子「もうひとつのグローバル化を考える」
 12.池田嘉郎 「20世紀のヨーロッパ」

計247ページ、「入門書の顔をした小論文集」のような大学テキストです。図版や参考文献表もしっかり備わっています。 山川出版社から本体価格は2300円と聞いています。カバーのデザインは決まっていますが、その校正刷りはまだ見ていないので、色の具合などどぎつくないか、ドキドキして待っています。 → 追記:出来上がりは、シャープで端整な装丁となりました。物理的にあまり重くないというのも良かった!
ぜひ大学(および大学院)の授業でもご活用ください。請うご期待。

2015年3月11日水曜日

BL の撮影解禁

12月19日のアナウンスに続いて、ついに MSS, Rare Books も! Asian ということは India Office Records もという意味ですね!
英国図書館(BL)を史料館として利用している者にとって、使い勝手が、大転換するということで、うれしい!

March 2015
Reader Service message
Self-service photography in our Reading Rooms

Dear Kazuhiko,

Following the initial roll-out of self-service photography http://email.bl.uk/In/77814854/0/ImXcnYgrN9plRfBAFSNb4zKFlqr1d9OGegMbENZPiJm/ in several of our Reading Rooms in January, we are pleased to tell you that this facility will be extended to the following Reading Rooms in March 2015:

• Asian & African Studies
• Business & IP Centre
• Manuscripts
• Maps
• Rare Books & Music

Our curators have been working hard behind the scenes to identify material that can be photographed. With over 150 million items in our collections this is a huge task that will take some time to complete. From 16 March 2015 a significant amount of additional material will be available for photography for personal reference purposes and curators will continue to identify more material appropriate for inclusion.

Items which cannot be photographed include (but are not limited to): those that have not yet been assessed as appropriate for photography; restricted or special access material; items at risk of damage; and items where there may be data protection, privacy or third party rights issues. This will be a small proportion of our overall collections. Of the material ordered across all of our Reading Rooms in 2014, more than 95% of those items would now be available to photograph.

You may use compact cameras, tablets and mobile phones to photograph material and any copies made must not be used for commercial purposes. As with our current copying services, copyright, data protection and privacy laws must always be adhered to.

Before using your device to take photographs, we kindly ask that you view our Self-service Photography Video http://email.bl.uk/In/77814855/0/ImXcnYgrN9plRfBAFSNb4zKFlqr1d9OGegMbENZPiJm/ This video outlines the new policy, along with information on copyright, data protection and collection handling.

A handout, available in the Reading Rooms, explains this facility and if you need further advice or assistance, please speak to our Reading Room staff.

Best wishes,
Reader Services

2015年2月13日金曜日

ワインな英国人


12日に読売新聞オンラインの記者さんから下記のような連絡が参りました。
題名「酒都を歩く(ぶりてん数寄)」「ワインな英国人」からもご想像のつくとおり、帰宅途上にスマートフォンで読むようなライトな記事(3ページもの)です。

≪先ほど、インタビュー記事をアップいたしました。
 URLは以下の通りです。
http://www.yomiuri.co.jp/otona/special/sakababanashi/20150130-OYT8T50208.html

また、連載記事の紹介を在日英国大使館が運営している Taste of Britain でも
紹介させていただいています。
https://www.facebook.com/oishii.igirisu

ヨミウリオンラインにアップ後、使用している写真の一部を使い、こちらのフェイスブックでも紹介をする予定です。≫

2013年6月30日日曜日

初版刊行後 50周年



 E・P・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』の初版がゴランツから刊行されたのは1963年。その後、アメリカ版、ペンギン版と出ましたが、いま出回っているのは、基本的に1968年のペンギン版(or その再版にあたる1980年ゴランツ版)でしょう。68年版はペーパー版であるだけでなく、初版に残っていたフランス語のフレーズなど、ちょっとだけインテリ向けだった表現が、ふつうの英語読者むけに改善され、また68年という時宜をえて、一般学生が競って購入する本になりました。日本でも(今でも)邦訳本より英語版を買った方がはるかに安価ですね。

 初版から50年、あらゆる方面からの批判をふまえて、21世紀にどう継承されるのか。
 The global E. P. Thompson という催しが企画されています。ぼくにも言いたいことがあり、せっかく声をかけていただいたので、10月3~5日にはハーヴァードでしゃべり交流してこようと思います。案内は、こちら ↓

http://wigh.wcfia.harvard.edu/content/global-ep-thompson-reflections-making-english-working-class-after-fifty-years

 じつは Cambridge, MASS に行くのは初めてです!「世界史」の企画としても刺激をうけそう。

 トムスンについては、『20世紀の歴史家たち』4(刀水書房、2001)などなどでコメントしました。ご覧ください。