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2021年12月31日金曜日

『歴史とは何か 新版』

 2021年もあわただしく終わろうとしています。いろいろと欠礼してしまったことはご容赦ください。
 学問的には充実した1年で、中澤達哉(編)『王のいる共和政 - ジャコバン再考』の1章も仕上げましたが、それとは別に春から、E・H・カー『歴史とは何か 新版』の翻訳に取り組みました。両方とも岩波書店です。

「歴史とは、歴史家とその事実とのあいだの相互作用の連続するプロセスである」とか、
「歴史とは、現在と過去のあいだの終りのない対話である」といった、印象的で上手な説は人口に膾炙していますが、それで終わる本ではない。もっと深い学識と、未来への理性的な投企が宣言された書でもあります。カーが講演の依頼を受けてただちに、最初の粗稿をアメリカへのリサーチ旅行の船上でしあげ、その後、1年半にわたって熟成し、十分に準備して、ケインブリッジ大学の講義棟を一杯にして行われた講演です。
 BBCラジオでも放送され、『リスナ』誌に連載され、その年内に公刊した、勢いある講演録でした。新聞の論説委員もBBCの講演も十分に経験しているカーですから、そして言いたいことが一杯あるカー先生でしたから、そのこと(頭のなかでバズっていること)が読み取れないままでは、なんだか古今の引用の多い - ときにはラテン語の詩やフランス語の科学論まで、訳されないまま出てくる - 難解な書という印象しか残らないのではないでしょうか。
 ぼくは名古屋大学でも東京大学でも立正大学でも、それぞれ1年分だけ演習で読んだことがあります。いずれも(一部の)学生の反応はたいへん良かった。しかし、難しい(よく分からない)という反応も必ずありました。ぼく自身もよく読めているのかどうか自信を持てない箇所がいっぱい。

 コロナ禍で鬱々とする日夜がつづく間に、思い立って、前々から話のあった『歴史とは何か』の第二版をきちんと正確に(講演なのだから)よくわかる日本語にしよう、という気持をかためて岩波書店と話をしてゴーサインが出たのが、今年の3月。以来、考えていたより時間はかかりましたが、今は初校ゲラを抱えています。
 しっかり読み込むと、クローチェをアメリカに紹介した Carl Becker がコーネル大学であの R. R. Palmer を研究指導した(!)といった関係も発見し、なにより巻頭に出てくる『ケインブリッジ近代史』のアクトン教授が、最初だけでなく何度も何度も、数え方では17回も言及されるのは何故か、今回はじめて分かった気になりました! 嬉しい(再)発見の多い本です。1961年12月に刊行されて、ちょうど60年ですが、全然古くなっていないどころか、あらためて69歳のカーの意志の強さに感銘します。当然ながら執筆刊行中だった『ソヴィエト=ロシアの歴史』をいったん停止してまで取り組んだ What is History? ですから、内容にふさわしい訳本とします。訳註もたっぷり付けます。見開き左註で、見やすい版面にします!
 あす元日の『朝日新聞』に出る岩波書店の広告に、『歴史とは何か 新版』の2・3行も引用されるそうです。どんなデザインか、ぼくもまだ知りません!

2021年6月13日日曜日

集団接種に参りました(その2)

昨日につづき、今日は妻の接種に付き添いで参りました。昨日と同じ行程を、ORの成果か、なるほどと納得しながら進みました。ただし、おそらくは現場を仕切る責任者が替わると、ほんの少しでも滞留するコーナーが移るのかな、と思わせる場面もありました。
【万一の副反応の可能性を考えると、同一日に接種を受けるのは望ましくない、という専門家の助言に従ったのですが、見ていると夫婦で同時に接種を受ける組も少なくなく、ぼくのような判断は少数派かと思われます。そもそもワクチン接種といってもTV報道ではすごく長い注射針を肩に射し込んで、それだけでも恐怖でしたが、やってみると蚊に刺されたよりも軽い刺激で、拍子抜けでした。6時間以上もたって夜に軽い倦怠感のような、ぼんやりした感覚がありましたが、これがワクチン接種のせいか、そもそも暑さのせいか、分かりませんでした。接種した左肩は、今日2日目に軽く痛くなりました。腫れや違和感はありません。】

こうしたワクチン接種がせめて1ヵ月早めの日程で進んでいれば良かったけれど、今のスケジュールでは(65歳以上の希望者のワクチン接種がようやく7月末に完了!? 64歳以下の接種はそれより先!)、そもそも東京オリンピック・パラリンピックの強行は、ほとんどカミカゼ特攻隊的な無理難題ですよ。
今となってみれば、パンデミックのなか東京オリパラをあくまで実行するのは、何のためでもない、①菅政権の延命と、②国際利権法人IOCの強欲のため以外に、どんな目的があるというのでしょうか。医師や免疫学者の進言をないがしろに、みずからの権力と利権に執着するという点で、菅とバッハは共通しています。
JOCや東京都とすれば、開催決定権はIOCに握られ、こちらから中止・延期を申し出れば、即契約違反で、天文学的な賠償金を請求される。それが怖いから、言い出せないのでしょう。
であれば、発想を変えて、逆にこちらから積極的に、人類平和と親善、世界の健康と公共性を根拠に、それを損なおうとするIOCのバッハ会長(Baron Von Ripper-off)を法的に訴える、また国際世論にアピールする、ということを、いま損得経費の仮想計算も含めて、少なくとも思考実験的にやっておく必要があります。
日本側の合理的判断、決意、そして英語の交渉力が問われています! <『日経』https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE063CK0W1A500C2000000/
Washington Post https://www.washingtonpost.com/sports/2021/05/05/japan-ioc-olympic-contract/
https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-olympics-pandemic-vaccines/2021/06/10/

2021年6月11日金曜日

集団接種に参りました

暑い6月の金曜午後でしたが、江東区の公共施設でのワクチン集団接種に行って参りました。

5月17日から予約期間が始まり、区の通知で「ワクチンの安定的な供給が見込まれたことから」65歳以上の集団接種は「最大予約可能人数46,400人分」と明記されていたので、慌てることなく5月18日にPCに向かい、拍子抜けするくらい簡単に予約できました。ただちに自動的に確認メールも来たので、実際の接種まで3週間あまり待ちましたが、安心していました。前日にはリマインド・メールも到来。
これに続き区内医療機関での「個別接種」が始まり、さらにマスコミは政府の大規模接種センター(大手町・自衛隊)による接種を大きく報じました。選択肢が増えたこと自体はよいことですが、これで「浮気して」or「浮き足だって」大規模センターに押しかけ、地域自治体の接種予約をネグレクトする人々の気が知れないと思っています。最近の報道だと、その大規模接種センターがガラガラだというのも問題ですね。早く65歳未満にも接種対象を広げるべきです。

江東区は広いので、集団接種会場は区のスポーツセンター6カ所。接種時間は予約の段階で15分ごとに別けられていますが、到着した人は検温のあと全員屋内の待機室に案内されて、予約時刻が1時間以内の人から奥のホール(アリーナ)へ。老人たちは1時間以上前からやってきたりするので、そのための待機室だったわけです。
ざっと見たところ(撮影は禁止でした!)広いホールでは、15分枠ごとに15人が座って(1人1分という計算)順を待つように椅子が整然とならび、4列×15=60席ではなく、余裕をみて6列用意されていました。うち2列は全空席として、次に受付する該当列とそうでない列とを視覚的にはっきり区別しつつ、同時に席のアルコール消毒や忘れ物確認などをゆっくり施すという方針のようです。
会場には「事務」「責任者」「看護師」といったゼッケンをつけた係員がたくさん。
 (郵送された)「接種券」「予診票
  そして本人確認書類
の計3点の必須アイテムを携行しているかどうかは、最初の入館時から、くりかえし再確認されました。実際は順に
受付」(であらためて本人確認と予診票記載の遺漏がないかどうか形式的に確認)
→ 「予診」(予診票をみながら医師が問診) *
→ 「接種」(別の医師と言葉を交わしつつ) *
→ 接種後の経過観察(15分~30分)
→ 「最終受付」(体調確認と接種券の済証へのシール貼りなど)
と進みました。(2回目の接種予約は1回目に済ませています。)
【* この2つのプロセスのみ個室的に囲ったブースで、他はオープンな空間でした。】

ここまでの人のフローをいかに確実に間違いなく実現するか。これが枢要で、要するに Operations Research (大学一年・林周二先生の授業でやりました)をきちんと具体的に・集団的にやっているかどうかで運用は決まり、ときに報道されているような事故・混乱は防げるはずですね。
なお大学や事業所で集団接種をするというのは、たいへん良いことだと思います。社会的免疫状態(collective immunity)という観点から考えると、なによりも公共的な業務に従事している人、活動的に飛び回っている人からドンドン接種していただくべきでしょう。横並びの順番、平等主義がじつはあまり合理的でない無責任主義だったかもしれない、と再考しておく必要があります。

2021年1月23日土曜日

罰金と過料のちがい?

ご存知でしたか? 「過料」と「科料」と「罰金」のちがい!

いま22日の閣議決定をへて国会に上程されようとしている「特別措置法改正案」のなかの用語ですが、時短要請について知事が命令したことに違反した場合に「50万円以下の過料」; 「感染症法改正案」の場合は、感染者の入院拒否や病院からの逃亡にたいして「懲役1年以下または100万円以下の罰金」; という規定があります。

現在のあくまで個人主義的な自発性にもとづく自粛、行政側からすれば「協力のお願い」では効果がうすい、というので、現政権はおそるおそる罰則規定を加えるわけです。それにしても「過料」と「罰金」はどうちがうんだ? それに「過料」って「科料」のまちがいでは? というので辞書を引き、ウェブで調べてみました。

罰金」は刑法に定められているとおり、犯罪の処罰のうち死刑、懲役、禁固などの下位にある制裁の一つ。1万円以上。裁判所の判決できまるわけで、有罪になればもちろん「前科」として記録にのこる。その後の人生で、原則、公務員にはなれない。

科料」も刑法で定められた刑罰だけれど「軽微な犯罪に科する財産刑」で1万円未満。「とがりょう」とも読むらしい。

過料」は刑法上の刑罰ではないとのこと。「江戸時代から過失の償いに出させた金銭」に由来するもので、現行法でも軽い禁止に違反した場合にしはらう「秩序罰」、「あやまちりょう」とも読むらしい。

つまり、感染者が病院への入院を拒んだり、勝手に逃亡したりした場合は刑事罰として罰金/懲役を科される。休業や営業短縮などの命令に反した場合は、秩序罰として過料(罰金より軽い、あやまちりょう)にとどめる‥‥という差をつけるのですね。

ところでぼくは今のようなパンデミックの情況下には、強制力をともなう非常措置をとることに反対ではありません。ただし、せいぜい秩序罰だし、期限を明示し、始まりも終了も国会で決める、という条件で。

歴史的にローマの共和政でも、フランス革命の革命政府でも非常事態には dictator(独裁者)の執政が有期で(6ヵ月/1ヵ月)定められました。元老院や国民公会など議会が承認し決定することが条件です。カエサルが元老院で殺されたのは、有期のはずの独裁者なのに、彼の場合は「終身の独裁者」となったからでした。<小池和子『カエサル』(岩波新書、2020)

ロベスピエールたち山岳派の革命独裁(dictature)の場合は個人独裁ではありませんが、やはり(はじめは)期限をいちいち更新していました。なんといっても「徳と恐怖」の革命政府(非憲法体制)ですから、いささか疑問や異論を唱えただけで「反革命」と認定されればギロチン(断頭台)に上るわけです。1794年の3月からは、あのダントンさえ逮捕、処刑され、いつまで続くかわからぬ大恐怖のさなか、疑心暗鬼になった革命家たちが7月にクーデタを企て、ロベスピエールやサンジュストを国民公会で逮捕し革命独裁を終わらせました。

いずれの場合も、元老院や国民公会が舞台になったこと、議会主権が肝要です。

ところで、平和な日本ではギロチンでも暗殺でもなく、せいぜい「100万円以下の罰金」か「過料」でことは済みそうですが、それにしても  「罰金は、罪状や金額に関わらず、原則として現金一括払いで、納付した罰金は確定申告の控除対象とはなりません。」とのことです。 ご注意を! <https://www.keijihiroba.com/punishment/labor-seekers.html

2020年7月30日木曜日

Pandemic

 お変わりありませんか。パンデミックの脅威はなおこれからという勢いです。

 1918年に合衆国から始まったインフルエンザ(スペイン感冒)について歴史人口学の速水融さんの『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店、2006)が有名です。去年3月にブダペシュトの博物館で印象的だったのは、第一次世界大戦とのかかわりで一室ぐるっと具体的にこの Spanish Flu の脅威が展示されていることでした。(ウィーンにおける)ヴェーバー、クリムト、シーレ、(パリの)アポリネールなど、‥‥そしてぼくの知らない多くの名が列挙されていて、そうだったんだ、と認識をあらたにしました。パンデミックへの先見の明というわけではなく、むしろ第一次大戦(the Great War)への問題意識の強さの証だったのでしょう。

 これらとは別に、今春になってから美術史的な観点で執筆された、この記事
https://news.artnet.com/art-world/spanish-flu-art-1836843
ムンク(罹患したときの自画像、ただし1944年まで生き延びた)、たった28歳で逝ってしまったシーレ、そして55歳にして基礎疾患の塊みたいなクリムトの、それぞれの自画像を大きくとりあげて、一見の価値があります。もしまだなら、どうぞ。
(c)artnet

 ぼくたちに近い知識人たちでいえば、辰野金吾が64歳で1919年3月の第二波で、マクス・ヴェーバーが56歳で1920年6月の第三波で急逝したという事実があり、厳粛な気持になります。それぞれ人生の盛りともいうべき時に、無念の死だったでしょう。
 とはいえ、こうした人たちと違ってずっと無名のまま生き死んだ何千万の犠牲者たち‥‥は、戦争でなくパンデミックで亡くなった「無名戦士」たちでした。現今の Covid-19 と違って、若年層も容赦なく重症化するのでした。

2020年7月20日月曜日

Pasmoの履歴 → Zoomで代行?


 先日まったく久しぶりに雑草の繁茂する実家(空き家)にゆき、さらに老母のくらす老人ホームに往復しました。庭ではぼくの背丈より高くなったブタクサなど雑草を掻き分けながら、それにしても雨の多い今年の梅雨。晴れの続くころに庭木や雑草と奮闘することにして、先延ばし。
 前よりさらに痩せたように見える母ですが、ホームの方々が良くしてくださり、食欲もあります。広島県の弟二人も90歳を越えて、ついに姉・弟三人が90代とあいなり、めでたいといえばめでたい。とはいえ、三人とも遠出は不可能で、互いに相まみえることはできません。ぼくのケータイ電話で姉弟が会話した折には広島弁まる出しで、「江奥小学校の卒業生でわたしが一番[年上]じゃ」とか、ぼくの知らない「[母の母の実家の]○さんのせがれは元気かのぅ」とかいった話題を何度もくりかえすのです。
 で、帰途に Pasmo に入金したついでに「利用明細・残額履歴」(100件)をプリントしてみて驚きました。3月14日以来ぼくは電車・バスをほとんど使わなかったのです。
  4月には計12回(都営・メトロ・バスと乗り継いだら、それで3回、往復で6回という記録方式です)
  5月には計4回
  6月には計2回(妻の通院に同行した日の往復だけ!)
  7月には歯医者と、この実家・老人ホーム往復だけ(後者は乗換が多いので、回数が増えます)。
なにも忠良なる都民として「ステイホーム」、「自粛」を厳守したわけではありません。自転車や徒歩で移動できる範囲では毎日(外気のもとではマスクなしで)、雨でも出歩いていました。スーパー特売日の買い出しも(時間帯を考慮しつつ)積極的に。それにしても、これほど公共交通機関を利用しなかった月日なんて、東京生活では珍しい。そういえば、外食もしていません。
 代わりに、5月11日の初体験から以後、Zoomを利用して、毎週水曜は2コマの大学院授業、不定期に学会の企画委員会や研究会、また N先生の最終講義、早稲田WINE のウェビナーといった催しが続きます。従来からの電子メールの交信も含めると、知的 sociabilité という点では、それなりの刺激は維持しています。とはいえ、face-to-face のあまり合目的でもない挨拶・ヤリトリ、すなわち雑談がないままでは味気なく、さびしいですね。

2020年6月15日月曜日

コロナ後 と 香港

すでに識者によって予言されているとおり、Covid-19(のパンデミック)のもたらす変化は、過去からの断絶ではなく、すでに始まっていた変化の顕著な促進でしょう。よくは見えなかった兆候が、この危機によって誰にも明らかな時代の転換として現れます。危機、すなわち生死を分けるような分岐点、転換点です。

イギリスを代表する、もしやヨーロッパ一の金融企業(銀行)HSBC が驚くべき発言をしました。BBCの報道によると
HSBC "respects and supports all laws that stabilise Hong Kong's social order," it said in a post on social media in China.
「香港の治安を安定させるあらゆる法律を尊重し支持する」と。
現今の金融資本主義を代表する企業が、中国政府の治安優先、というより習近平の独裁体制=権威的全体主義体制を尊重し支持する、と。これは天地もひっくり返るほどのことですよ。
ちなみに BBC は同じ記事のなかで、日本のノムラ(investment bank Nomura)が香港への関与を再点検する(修正する)と報じて、対照しています。
資本主義は、あるいは18世紀のヒュームやスミス、そしてブラックストンに言わせれば「商業社会」は、自由と所有権(と法の支配)によって成り立つ「文明社会」でした。以後、この自由と所有権と文明の間の比重にはニュアンスはあれど、これを旗印にする自由主義者と、これを否定する(競争と搾取の元凶と考える)社会主義者は、19世紀の前半から対立してきました。
20世紀前半には、ケインズのように、政府の政策によって野放図な資本主義をコントロールしようとする経済学者、そして福祉国家(大きな政府)を唱える「新自由主義者」(ネオリベラルではありません!)が現れ、1970年代まで西側先進国の民主主義を支える政策体系でした。しかし、民主と福祉は、ナチスや、ソ連や中国の共産党独裁とは相容れないと考えられていた。政治家は、イギリス労働党も日本社会党も「政治的判断」によって海外の共産党独裁を許容することはあったけれど。
上の BBC は含蓄をこめてこう言います。
The bank's full name is the Hongkong and Shanghai Banking Corporation and it has its origins in the former British colony.

じつはぼくが1980年にイギリスに渡って直ちに British Council から四半期ごとに給費を振り込む銀行口座は Midland Bank と指定されました(バーミンガム起源の歴史的な銀行です)。これがしかし、80年代半ばに HSBC に吸収されて、以後ぼくの小切手や Bank Card は HSBCのものとなりました。

後年、上海に行ってそこでバンドの威容を誇る建物群のうちでもHSBCが一番であること[そこまでは事前に写真で承知していました]、それが革命後、共産党政権により接収されて上海共産党本部になったことは、感銘深い、共産党側の論理としては理解可能な事実です。
ところで、香港の気のいい若者たちとマンチェスタで交流したのは1990年前後のことでした。Oxford Road をずっと南に下った所の YMCAに泊まっていて、留学生たちと仲良くなったのです。若者たちといっても30歳前後(?)で Manchester Polytechnic(その後 Manchester Metropolitan Universityへと改組改称)に研修で来ていた様子。
中国名とは別に Bob とか John とか自称していました。戦後の日本で「フランク永井」「ジェームズ三木」と言っていたのと似てるなと受けとめました。ぼくがイギリスのしかもマンチェスタの歴史を研究しているというのを珍しがると同時に、香港での現実問題は「汚職」(corruption)だということで、香港政庁の汚職特別委員会ではたらく、明るい正義漢が印象的でした。
まだeメールなどの普及する前だったので、その後、連絡は取れなくなってしまったのが残念です。彼らもすでに60代でしょう。イギリスの植民地支配から自由になったのはいいけれど、中華人民共和国のきびしい統制下に、今どのような日夜を送っているのだろう。たとえ汚職が蔓延していても、自由で、冗談の言える社会のほうが、よほどマシです。
革命独裁政権が、政敵を腐敗している(corrupt)として追放する/粛清するのは、フランス革命中からの常でしたね。

2020年6月13日土曜日

Zoom の不都合な事実

 これは「セキュリティ上の不具合」より深刻かもしれない問題です。

 この2・3ヶ月で急速に普及した Zoom会議。ぼくも初体験は学会の委員会で、5月から立正大学院の演習で利用しはじめ、先日はN先生の最終講義の会に「出席」しました。
じっさいやってみると、これは非常事態をしのぐ手段というより、とても便利で、発言者の顔が間近なので、独自の効用があり、今後もさらに普及しそう。音声と図像の微妙なズレといった問題もないではないが、周辺機器を(100%無線でつなぐのでなく)できるだけ有線でつなぎ、発言しないときは音声をミュートにする、とかいった工夫でなんとかしのげそう。
 セキュリティ上の技術的不具合は解決しつつあるようです。
 というわけで明るい展望のもとに周辺機器と Wifi環境をととのえていたら、日本では今朝からアメリカの報道を引用する形で記事になっていますが、重大事件です。
 6月4日の天安門虐殺事件(Tiananmen Square massacre)をめぐって Zoom を利用した集会・催しがアメリカ、香港で行われたのに対して、中国政府が Zoom社に圧力をかけ、これに Zoom社が屈して、進行中の4つの集会のうち3つを中断し、主催者のアカウントを停止/廃止した(we suspended or terminated the host accounts)のです。とんでもない事件です。今ではアカウントは回復された(reinstated)からというので、New York Times, Wall Street Journal などの報道は歯切れが悪い。 → https://www.nytimes.com/2020/06/11/technology/zoom-china-tiananmen-square.html
https://www.wsj.com/articles/zoom-catches-heat-for-shutting-down-china-focused-rights-groups-account-11591863002
 当の Zoom社のブログ(米、6月11日)を見ると、こうです。 → https://blog.zoom.us/wordpress/2020/06/11/improving-our-policies-as-we-continue-to-enable-global-collaboration/
Recent articles in the media about adverse actions we took toward Lee Cheuk-yan, Wang Dan, and Zhou Fengsuo have some calling into question our commitment to being a platform for an open exchange of ideas and conversations.

 20世紀史の身近な(卑近な?)事件で喩えてみると、4つの大学の学園祭で、ナチスか、スターリンか、「反米委員会」かをテーマにして討論集会/デモンストレーションを企画し実行していたら、当該政府・大使館から抗議がきた。 → あわてた3つの大学当局が催しを強制中止した。 → 企画・主催者そして参加していた学生たちは怒っているが、マスコミは静観中ということでしょうか。喩えの規模が小さいけれど、本質は似ています。ディジタルでグローバルなプラットフォームを利用して進行したことにより、一挙に国際事件になるわけです。
 喩えを続けると、中止させられた3つの大学祭の催しは、当該国からの留学生が参加していたので、当該国の法律=政府に従順な Zoom社としては、彼らだけを排除したかったのだが技術的にその手段がなかったので催しそのものを中断した。当該国の留学生がいなかった1つの催しは、支障なく進行した(中国の外の法は守られている)、という言い草です。

 Zoom社は、アメリカの企業です。広大な中国市場もにらみつつ、コロナ禍の好機に急成長しつつあるグローバル企業。ただし起業者は中国の大学を卒業してカリフォルニアに渡った Eric Yuan (袁征)。出自にこだわっては彼の志を貶めることになるので、これ以上は言いませんが、会社として、(a)中国市場への拡がりと、(b)それ以外の地域における世論(人権と民主主義)とが二律背反する情況を、どう克服するか。これは Zoom社にとってほとんど生命にかかわる問題となるでしょう。
 さすがにそのことを認知しているからこそ、11日のブログでは次の3項について明記したのでしょう。
Key Facts (すでに5月から中国政府の告知があった;ユーザ情報を洩らしたりはしていない;(IPアドレスで)中国本土からの参加者が確認された Zoom会議についてのみ中断の措置をとった)
How We Fell Short (2つの間違いを認める)
Actions We're Taking (現時点での対策:中国本土の外に居るかぎりいかなる人についても中国政府の干渉には応じない;これから数日の間に地理的規制策を開発する;6月30日までにわが社の global policy を公にする)

 そして中国政府の理不尽に無念の思いを秘めて、ブログの最初のセンテンスは、こうしたためられています。
We hope that one day, governments who build barriers to disconnect their people from the world and each other will recognize that they are acting against their own interests, as well as the rights of their citizens and all humanity.

 Zoom社の誠意と無念の思いはいちおう認めるとして、現実的には甘いんじゃないか。
かつて1930年代にナチス=ドイツにたいして宥和策をとり、スターリン=ソ連と平和条約を結び、また戦後の合衆国における「反米活動」の炙り出しを困惑しつつ傍観していたことを厳しく反省する立場からは、現今の中国政府のありかた、それに宥和的な各国政府およびグローバル先端産業を、このまま許すわけにゆかないでしょう。

 コロナ禍は、あたかも稲妻のように、平時には隠れていた(忘れがちな)大問題を照らしだし、もろもろの動機や関係をあばきだしています。先例を点検し、記憶を呼び覚まし、しっかり考察して、賢明に生きたい。cf.『民のモラル』〈ちくま学芸文庫〉pp.22-23.

2020年5月4日月曜日

石川憲法学


(承前)さて、その『朝日新聞デジタル』のインタヴューで石川健治さんは、客観的緊急事態(ぼくの言葉で言い換えると constitutional emergency)と主観的緊急事態(dictatorial emergency)を対比して論じています。ただし彼は、ローマの dictator については何故か(朝日の編集が介入した?)触れていません。共和制ローマ、革命フランスから登場する「独裁」あるいは「ジャコバン主義」は、ただの歴史的なエピソードではなく、自由民主主義の非常事態における緊急避難的な措置の正当性/不当性という問題です。憲法学者も、歴史学者も真剣に考えなくてはならぬ、主権と民主主義、非常事態[革命的な情況]と執行権力、危機と学問といったイシューではないでしょうか。
【日本語では非常事態緊急事態が区別されているようにも聞こえますが、英語ではどちらも (state of) emergency で、通常ではない=extraordinary な情況です。私権やふだんの生活習慣が制限されてもしかたない「非常な」事態です。ローマ共和制でも respublica の存亡の危機には dictator (独裁官/執権) を「6ヶ月に限って」任命しました。「危機」はありうる。コロナ禍の後始末もできないうちに大地震・大津波が襲来することだってありうる。そうしたときに、強力なリーダーシップを発揮できる民主的制度を構築することは重要だと思います。】

 石川さんの書くものは
「八月革命・70年後」『「国家と法」の主要問題』(日本評論社、2018)をみても、また
尾高朝雄国民主権と天皇制』(講談社学術文庫、2019)の巻末解説(長い評注)をみても、
知的迫力があって、ドキドキします。仮に「‥‥の証拠が出てきてくれると「丸山眞男創作説」を打破できて大いに面白かったのだが、残念ながら‥‥」といったサスペンスも込められた文章を書く人です。東大法学部の憲法学の教授なのに!
それが浮ついた文にならない一つの根拠として、東大駒場の尾高朝雄文庫;国立ソウル大学校中央図書館古文献資料室(!);立教大学宮沢俊義文庫;早稲田大学のシュッツ・アルヒーフ;京都大学のハチェック文庫といった学者の蔵書・アルヒーフの踏査研究(evidence!)がある。20世紀の前半、戦間期に蓄積された知的資産をきちんと受け継ぐという「学問の王道」の観点からも、石川さんの言動はしっかり注目しておきたい。
 先の『朝日新聞』のインタヴューの場合は(記者の自粛のため?/理解をこえたため?)ちょっと知的迫力が足りないのは残念ですが。
おかげで、勉強することは次から次へ現れて、「自粛疲れ」なぞするヒマがありません! 

2020年4月19日日曜日

対数グラフの不吉な動き


前から言っていますように、大きく動く数値について、少しでも長期の傾向、瞬間的な方向(あたかも放物線に現れるような変化のヴェクトル)を見通しながら比較するには、なんといっても対数グラフです。
日本の新聞でもテレビでもグラフとして示されるのはナイーヴな(小学生向け)グラフで、右端がぐっと急上昇して、「みんなで破局に向かう」みたいな印象主義です。
そうしたなかで『日経』はこれまで米ジョンズホプキンズ大学の成果を紹介するときだけ、対数グラフをそのまま見せていました。そんなに難しいことではなく、高校2年の数学、および遅塚忠躬先生の経済史の授業を受けた人なら馴染みがあるはず。
ほぼ日々更新されていますが、みなさんもどうぞ。
4月18日(日本時間)時点のチャートから一つだけ引用します。感染者数についてはテストの少ない日本の数値は少なめに現れているかもしれませんので、ここでは広汎なテストがあってもなくても fact として現れる感染死者数のグラフを見ます。「累計死者数の増加ペース」という対数グラフで、一般に新聞テレビで見なれたものとちがう印象を与えるのではないでしょうか。
死者数が全国で10名をこえてから何日たつと、どのように増加しているか。示されているのは主要国だけで、右側のめもりが 10, 100, 1000, 10000と上がっているように、各グラフ線の傾き増加のペースが一致します。薄く「2日で倍増」「3日で倍増」「1週間で倍増」と補助線が添えられています。紫のスペインや緑のイタリア、青いアメリカのような死者が万をこえて動くスケールと、下方の死者が何百のレベルで動く日本や韓国のスケールとは絶対数で比べれば、それこそ桁違いです。
でも、対数グラフは桁が違っても増減の動向(倍々ゲームの動き)を比較できるのが利点。スペインやイタリアのように死者が万をこえている国でも、じつは最近その伸びが鈍化していること;中国および韓国は増加ペースが水平に近づいて、それぞれ押さえ込みの効果を上げつつあることがクリアにわかります。
警戒すべきはアメリカ合衆国と日本です。アメリカの青い線は最近「3日で倍増」の補助線から離れて死者増が鈍化しているかもしれないが、しかしスペイン、イタリアとは違って、水平に向かうのではなく、上方へ首をもたげています。つまりトランプ大統領のハッタリとは異なる動きを示しています。
日本のオレンジ線はまだ「1週間で倍増」の補助線より下にあります。でも、空色の韓国とは違って、その線は水平に向かうのではなく上方へ首をもたげ、まもなく韓国の死者数を抜くことはほとんど明らかです。

この対数グラフの出典は → https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/ 他にもたくさん図示されています。

2020年4月16日木曜日

危機を教訓とする


危機(歴史的な岐路)は、それを生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる、と前回に書きました。14世紀のペスト(黒死病)も、17世紀の全般的危機も、1929年の世界恐慌も、そうだったと思われます。
14世紀のペストは → 疫病者の船を一定期間隔離・遮断(Quarantine「40日」)する制度を;
17世紀の危機は → 南欧とオスマン帝国の衰弱;蘭・仏・英の競合とやがて財政軍事国家の覇権を;
1929年の恐慌は → ケインズ経済学、ニューディール、そしてソ連の覇権を;招来しました。

これらに比して1918-20年のインフルエンザは、十分には教訓化されなかったようです。
【そもそも、ぼくたちの習った学校世界史には出てこなかった! 例の『論点・西洋史学』ではいかに、と見直すと、さすが安村さんが「コロンブス交換」の項目でクロスビ、ダイヤモンド、マクニールの仕事に触れながら論じていますが、それ以外は弱いかな?】ヴェーバーが犠牲になったのは1918-19年のFlu第一波でなく、いったんは収束したかと思われた1920年、Flu第二波なのでした。気をつけましょう。

トッドが「‥‥歴史的に、誤ちが想像されるときには必ず誤ちを犯してきました。私は、人類の真の力は、誤ちを犯さない判断力よりも、誤っても生き延びる生命力なのだと考えています。」と言っていたのをもう一度想い起こしましょう。
http://kondohistorian.blogspot.com/2019/12/e.html
とにかく生き延びる生命力。これなくして教訓も意味も、なにもない。

2020年4月13日月曜日

道傳アナ

今ではアナウンサというより、NHKの解説委員でしょうか。
NHKの女子アナウンサのなかで一番知的で魅力的なかた。88年入社でまもなく(地方局周りをすることなく)夜のスポーツニュースキャスターを担当するという超エリートコース。たしかコロンビア大学院かどこかで国際政治学の修士号(1年ではなく2年の)をもっておられる。ある時点からBSに移って、落ち着いて、分析的なニュースを伝えたいと言っておられた(と新聞で読んだ)。
11日に ETV特集でブレマー、ハラリ、アタリの三人と今月上旬にインタヴューをしたものが編集のうえ放送されました。ぼくは録画で今日ようやく見たのですが、現在進行中のパンデミックについて疫学的に意味ある発言は別の番組に任せて、それぞれ国際政治、人類史、国際経済の専門家として見通せる、この危機の意味を道傳さんが上手に引き出していました。【放送前の予告では「緊急対談」とのことだったので、インタネット中継で4局をつなぎ、ありきたりの主張が繰りかえされる薄味の番組かと懸念しましたが、そんなことはない、三者が別の日に、道傳さんも十分に準備してやったインタヴューなので、内容がありました。】
ブレマーが賢明にほぼ予想できることを言って、ハラリが(イスラエル政府を批判しつつ)データ監視と民主主義の共存を、アタリが Think and live positive! と基本姿勢を訴えたのが良かった。NHK のサイトをよく探すと、16日(木)0:00(つまり深夜未明)にETVで再放送するようです。一見の価値あり。
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-04-15&ch=31&eid=12588&f=20

危機は、これまでの人類史でそうだったように、それをたくましく生き延び、教訓をえることによって、意味が生じる。

2020年3月26日木曜日

対数めもり


大きな変化の意味を考える、長期の傾向を比較する、さらに今後を予測するには、中学校や新聞で見なれた普通のグラフではなく、(半)対数めもりのグラフを使わなくちゃダメ、とは遅塚忠躬先生が口を酸っぱくしながら強調なさっていたことです。今回のようなパンデミックではまさしくそのとおりです。
感染者が何千人に達した、日に何十人増えた、といった実数は、疫学的にあまり意味はない。むしろ一定期間に感染者が何倍に増えたか、死者が何倍になったかという相対的な動向が問題なので、そのためにこそぼくたちは高2で対数を習ったのですよね。
さすが Johns Hopkins University の公開しているグラフはこのとおり、イタリア・スペイン・フランス・合衆国の増加傾向(勢い)の比較と警告に有効です。

『イギリス史10講』pp.150-151で、人口動態小麦価格のグラフを見ていただいたときも対数めもりだからこそ見える傾向を議論しました。もしそうでなければ、グラフの右端で断崖のような(蛇が鎌首をもたげているような)棒線が林立して、すごい急上昇してますね、といった印象主義より以上のことは語れない。変動を分析するには、対数めもりでないと幻惑(眩惑)されるのです。
環境問題・気候変動についても。じつはこのようなグラフの右端の hook(最近年の気温/炭酸ガスの急上昇)をどう解釈するかという問題があるようです。対数めもりで冷静に議論すべき論点です。

2020年3月22日日曜日

テレワークって


変な造語です。Work at home とか remote work とかなら、アリだと思いますが。

Covid-19 は、驚くべき急展開ですね。ダイアモンドプリンセス号が2月3日夜に横浜港に停泊した時点では、これほど世界中に急速に広まる pandemic の兆しとは予想されなかったし、なにより「不安だからといってむやみに病院に行き、検査を要求するのは無意味というより有害だ」という疫学専門家の意見が、まだ責任逃れのように聞こえたものです。
個々人の不安・恐怖の観点で考えるか、感染症の流行に社会的に対処する実践的な観点との違いがよく分かりました。前にも言及した、東北大学・押谷 仁教授が一般向けのインタヴューに答えた、よくわかる解説があります。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1582
英国政府の公衆向け簡便版は、こちらです↓
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/874281/COVID-19_easy_read.pdf

要するに、換気の悪い屋内に密集し、ハグしたりキスしたり、カンガクの議論をしたあげく、二次会は立食でおいしいものを飲み食いして、口角アワを飛ばして談論風発、といったことをしない、という理解でよいのでしょうか。じつは今月20日~22日の二泊三日で合宿研究会の予定でしたが、3週間前に慌てて(しかしメール討議の合理的な結論として)延期となりました。JSPS側も理性的に研究費の繰り越しを認めてくれたようです。そのときは、6月なら大丈夫、という見込みだったのですが、本当のパンデミックになってしまって、それさえ危ういのかもしれません。
この年度替わりに在外研究から帰国する人、逆に4月から出かけるべく(何年も前から)楽しみに予定していた人、本当に災難ですね。2010年4月にはアイスランドの火山噴火で、北極圏経由で英国に向かう飛行機がキャンセルされ、孤独な疎外感を味わいました。 →  http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/heathrow.html
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/still-stranded.html
そのときとは違って、今回はグローバルな事案なので、個々人の難儀というより、文明的な問題を共有する、といった情況でしょうか。

イギリスの大学では、オクスフォードの友人からのメールによると、こうです。
They are all learning how to do online teaching. One of my friends has his first online classes, five hours of teaching, today. Things have been very frantic for them. [They/them とは大学の教員たち]
でも、退職したご本人には、
It is unusually quiet, because everything is closed or cancelled. Still, there is plenty I can do, and spring is coming, so it will become more pleasant to be out in the garden(!)

ぼくの場合は花粉症もあるし、庭いじりするほどの土はないので、春を楽しむという気分ではありません。ただ、共同住宅の中庭のソメイヨシノがほぼ満開で、夜は、こんなぐあい。
ちょっと、ほっとします。

2020年3月2日月曜日

「東アジアとイタリア」から来る人


新型コロナ感染症をどう制御するか/できるか、という観点から、よくわかる説明をしてくれているのが、大阪大学の専門家お二人で、もしまだなら是非、お読みください。自分が感染するかどうかより、もっと大きな目で警戒すべきことがある。ということはパンデミックにさえならなければ、身の回りに1人や2人の患者が出てもパニクる必要はない、冷静に構えるべし、ということでもありますね。
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/022600659/

当方もいろいろ情報を集めたり、研究会予定について考えたりしているうちに、ケインブリッジのクレアホール学寮から、こんなメールが到来しました。

The rapid spread of coronavirus into Europe as well as East Asia raises questions about policy on offering apartments and guestrooms to Visiting Fellows or Life Members who come from infected areas. We will for the time being, not offer accommodation to Visiting Fellows or Life Members who come from high risk areas (as defined by Public Health England, Categories 1 and 2[1]).
(つまりぼくたち日本から来訪するメンバーは中韓伊からの方たちと同じで、学寮宿泊を当面は謝絶いたします、という通知です。)
(ちょっと微妙なこの方針について若干の正当性(理屈)は必要と考えるんでしょう。このように言います。↓)
In part this is to protect the college from a possible source of infection, but equally it is to protect the visitor from the problems which they would face in the event that they had to be quarantined within college.
We have therefore instituted a practice of asking those who wish to book guestrooms whether they are travelling from an infected area, and if they are, to refuse the booking with apologies.

で、その英国政府の定めたカテゴリー1と2なるぺージを見ますと、↓こんな具合。
https://www.gov.uk/government/publications/covid-19-specified-countries-and-areas/covid-19-specified-countries-and-areas-with-implications-for-returning-travellers-or-visitors-arriving-in-the-uk

2020年2月22日土曜日

水際作戦からパンデミックへ


いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。

¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来 満夫 教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MERS と違って「はじめに劇症が出ない感染症だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状は出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。【3月6日加筆:同じく東北大学の押谷 仁 教授が、大学のぺージでよく分かるように説明してくださっています。 → https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html
WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。

¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。官僚主義的で、どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけです。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかも、はじめは劇症でなくソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。これに英語発信の立ち後れという「日本的」問題も加わって(Ghosn 事案の場合と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。

‥‥これによって、付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな?