2024年12月10日火曜日
村棲みの世に遅るるも
「養蚕を是としひたすらなりし世も 過ぎむとしつゝ残る桑株」
「村棲みの世に遅るるも承知にて 水声 鳥語 草莽の謡」
2024年10月31日木曜日
総選挙と大人の政治
おごる自民党が大敗して191議席(← 247)、
自民ににじり寄る公明党もまさかの大敗で24議席(← 32)、
与党 計215 ⇔ 野党 計235 でした(定数465)。
野党を愚弄し、有権者をなめきった安倍晋三政権から菅義偉政権(連続して麻生太郎が大御所然と内閣に鎮座していた)の罪状 - つまり旧統一教会、キックバック脱税、なにより不透明な官房専決 - がようやく公になって、岸田政権はなぁなぁで凌いできましたが、解散・総選挙の決断ができずに自壊。弱体=石破政権はただちに総選挙に打って出たまではよかったが、泰然たる読書人よろしく、火急の大問題に対応し処理する実行力に欠け、腰の定まらぬままアタフタ、右往左往してしまった。
野党間で立候補調整の余裕のないまま=不十分な準備のまま臨んだ総選挙なのに、与党がこれだけ大敗するとは、よほどのことです。有権者をなめるんじゃない、ということです。
今後の連立政権・閣外協力のための協議、権謀術数については、みにくい「野合」だの「数の論理」だのと冷笑するのでなく、政治とはそういうことです。交渉し妥協する大人のゲームとして、日本政治の成長を見守りたいと思います。
純粋主義(puritanism)、ブレない政治が良いとしてきた価値観は、あまりにも幼い。GHQのマッカーサに「12歳の国民」と評されたころの世界観です。そろそろ卒業したい。
とはいえ、同時に、ひそかに参政党、日本保守党といった純右翼政党が得票を伸ばしている事実は警戒しています。総選挙では自民党の(男権・靖国)別働隊のように動きました。いずれ彼らは自民党に吸収されるのか、逆に自民党が男権=靖国セクトを細胞分裂させて、自身は現代の保守主義政党に脱皮するのか。注目したい。後者は、ほとんどありえないですね!
彼らは国連の女性差別撤廃委員会(UN-CEDAW)の勧告に、本質的・感性的に反発し凝り固まるグループです。CEDAWについて正確には → https://www.ohchr.org/en/topic/gender-equality-and-womens-rights その 29 October: Press Release というぺージです。
2022年9月18日日曜日
エリザベス女王からチャールズ王へ
https://digital.asahi.com/articles/ASQ9J6581Q9HUCVL044.html
で拙稿が公開されました。印刷版では、女王の葬儀(文字どおりの国葬です)の19日(月)朝刊に載るはずのものですが、ウェブでは半日早く公開されるのですね。
他の識者・先生方とはちょっとちがう議論をしています。『イギリス史10講』も『歴史とは何か 新版』も『王のいる共和政 ジャコバン再考』も著している者として、短いスペースながら言うべきことは言いました。
ウェブですとカラー写真で、かつ「紙媒体では所定のスペースから溢れ出てしまい、ボツになったチャリティ法についてのパラグラフ」が甦りました! ここにこそ、ウェブ版のメリットあり、ということですが、しかし、これでは紙離れ、ウェブ志向が、ますます進行してしまいます! ちょっと心配。
2022年9月9日金曜日
The Queen is dead
ヨーロッパの君主として例のとおり、間髪を入れず、
The Queen is dead. Long live the King!
と宣告されたのでしょう。
新王「チャールズ3世」とは、ジャコバイトの呪われた歴史がありますが‥‥
イギリス史をやっていますから、いろいろと考えます。
今の時点では、立憲君主制あるいは「国のかたち」について、どこかに書いてみたいという気持になっています。
かつて書いたもののうち、映画「クイーン」(2006)評、また中澤編『王のいる共和政』(岩波書店, 2022)にも関係します。
2022年7月15日金曜日
7月14日に思ったこと
直ちにいろいろと考えましたが、身辺のことに紛れ、ブログ登載はかないませんでした。ここに遅まきながら、すこし書いてみます。
7月8日昼に奈良であった安倍元首相襲撃/暗殺について、直後の報道や政党の発言の多くは、a.「民主主義への挑戦だ」「暴力による言論封殺は許せない」といったものでした。まもなく b.「特定の宗教団体へのうらみ」という捜査陣からのリーク情報が加わりました。
後者(b)のリークについては、まず正規の記者会見報道でなくリークであることがけしからんと思いましたが、やがて海外メディアでのみこれが Moonies (文鮮明から始まった世界統一神霊教会)のことだと報じられたのには、怒りに近いものを感じました。日本のマスコミ業界の自主規制はここまで極まっているのです。こういった自主規制≒事なかれ報道に甘んじているマスコミでは、いざという時に信用されませんよ。
そもそも世界統一神霊教会のことを、今どう名を変えているとしても、「特定の宗教団体」と呼ぶべきなのか、ただの「カルト」ではないか、という付随的な疑問もありますが、こちらは(今日のところは)問題にしません。
◇
むしろ大問題なのは、(a)今回の事件は「民主主義への挑戦」や「暴力による言論封殺」のたぐいなのか、ということです。Oh, No! それ以前の、より深刻な問題ではないでしょうか。
41歳の容疑者は、民主主義や議会制民主主義に不満をもらしたことはあったのか。あるいは自分の凶行が、国政の基本(国のかたち)にある「効果」をもたらすことを期待して -政治的テロリズムとして- 手製銃の引き金を引いたのか。否でしょう。
彼はもっと別のレベルの、しかし本人にとっては深刻な不幸(母のこと、失意の人生、誰かの不用意な発言, etc.)について繰りかえし悩み、その不幸の原因を「これ」と思い詰めて、「これ」を解決する/消すためにどうするか執拗に考えた。それが母を奪ったカルトの代表を襲うこと、それが実行不可能となると、第2目標として安倍晋三元首相を襲うことだった。‥‥
そこには論理の飛躍があり、分析も検証もないままの思いつきで、それを直線的に実行するための情報とノウハウを集積したのでしかありません。しかし、そもそも複合的な事態を調査探究したり、友人や同輩と対話し討論しながら、考えを具体化してゆくという訓練も経験も、彼は -学校でも自衛隊でも- していないのではないでしょうか。そもそも「話し相手」「グチ友だち」といえるほどの人は居なかったのかもしれない。
TVなどで中学高校の同級生や、職場の同僚が「あんなにおとなしい人が‥‥」「いつも人に合わせる人で、暴力をふるうなんて想像もできない」とコメントするのを聞かされると、そもそも取材する側の無知と想像力の浅さに唖然とします。おとなしすぎる人こそ危険なのです。自分の意見を言ったことのない人こそ(いざとなれば)凶暴になるのです。
こうしたことは民主主義や議会制よりはるか以前の、人間の社会性、あるいは文明/市民性の大前提ではないでしょうか。
学校教育で、また社会で、こうした事態や証言の分析、人前での報告、ディベートやディスカッション、そして紙の上での文章化‥‥要するに以前から問われていた公民教育/文明的経験を欠いたまま、やれ「民主主義を守る」だの「言論の自由」だの言ってみても、ただのお題目にすぎないのではないでしょうか。 ◇
じつは9日(土)午後8:00-8:45のNHKスペシャル「安倍元首相 銃撃事件の衝撃」と題する番組の後半で、御厨(みくりや)貴さんがコメントしていました。【まだ土曜まで NHK plus での視聴は可能です。】
「‥‥災害、疫病、戦争と続いて、人心が惑った。この国もテロを呼びこむのか。みんなが何でも言える社会になった。これはいい。しかし(イエス or ノーの)二値論理の対立になっちゃっている。これはまずい。自分の要求(思い)が通らない時にどうするか。内容のある議論を尽くして、これなら許せるという妥協点を見つける。このマリアージュが大事です。」
「妥協できる合意」を見つけて実行しよう、という立場です。
◇
1789年7月14日から、フランス革命は時々刻々と展開しますが、1792年、93年と緊迫した情勢で、いわゆるジャコバン派(山岳派)が勢いをもち、93~94年のいわゆる「革命独裁」を国民公会が支持することになります。
この苛烈な革命独裁は、味方と敵、パトリオットと反革命、徳と悪徳、純粋と腐敗といったシャープな対置、二項対立を是とし、異論をとなえる者、迷い、曖昧なままでいる者を許さず、さらには「まちがえる権利」も許さなかった。『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)p.14. これをかつての「ジャコバン史学」は、歴史の必然とするか、あるいはせいぜい「歴史の劇薬」として是認していた。ロベスピエールやサンジュストの93~94年のメンタリティを、純粋で高貴と受けとめるか、悲劇的に狂っていると受けとめるか。革命史にかかわる人は、全員、この問題に正気で取り組むべきでしょう。
御厨さんの立場は、必然や劇薬ではない。イギリスの首相ピットも、89年に始まったフランス革命には賛同し(バークとはちがいます)、92年の急転には唖然とし、93年1月のルイ14世処刑には意を決して、2月に対仏大同盟を結成します。はっきりと識別しておきたい。巻末の「関連年表」も活用してください。
2021年9月26日日曜日
政治の世界、学問の世界
なんとも間が空きました。 身の回りで気にかかることが続いたからですが、それだけでなく、ある原稿が完成に近づいて、そちらに集中したかったから、という理由もありました( → これについては後日)。
そうしたなかで、コロナ禍第5派、8月末には菅義偉首相の延命工作とその不首尾が目立ってきたと思いきや、なんと9月3日には総裁選不出馬宣言、それに続いて、にわかに自民党内の力学が動めき出したのです。
史上最低の菅内閣(ダンマリを決め込んでただ進行、よくも1年もちました!)が消えるのは良いことだけれど、そのあとどうなるのか?(届け出順でなく、立候補宣言順でみると)
・岸田文雄の「ソフト資本主義」、反二階・非安倍
・河野太郎の「実行力」(?)、発言力
・高市早苗の筋金入り(!)右翼・秩序派男権路線
・野田聖子のフェミニズム・弱者路線
といった「線」はわかりますが、
結局、当選の見込みのない(4位確定の)野田聖子のみフランクな発言をしていて、好感をもてないではない。他の3候補は、ニュアンスの差こそあれ、菅政権の批判はしない、安倍政権の汚点を追及しない、自民のコアである靖国・遺族会に配慮する、といったことで特徴が消えて、その分、内容的には高市(安倍の手飼い)が実力以上に浮上しています。 ぼく個人としては、内向きなだけの(つまり内政しか念頭にない)政治家、そして有能な同志が一緒にやりたいと申し出てくれないような人は、首相をつとめる資格はないと思っています。
マスコミはといえば、学術会議問題、歴史認識, etc.については質問しない、という暗黙の合意があるのでしょうか。政策・方針について独自に立ち入り追求することなく、国会議員・自民党員・世論の動勢を追うばかりです。ようするに勝ち馬はだれか、岸田・高市が連合する可能性はあるのか、といった分析(算術)のみ。
なおまた、野党側は蚊帳の外、話題の外で、せっかくの敵の弱将=スガが沈没してからは、どう攻めてよいか分からないままなのです。
学問の世界では、違いやズレにこだわり、そこに注目することから新しい展望を切り開いてゆくことが良しとされます。少数派であること、むしろ唯一であることは、弱点ではなく、むしろ希望のしるしです。
政治の世界では、なにより数と勢いが決定的。昨日までの敵をも巻き込みつつ、合従連衡、多数派を形成すること(plus 大衆へのイメージ戦略)に日夜、身を削っているようです。もしやそれ自体が目的になり、喜びになっているのでしょうか。
2020年12月22日火曜日
野村達朗さん, 1932-2020
1977年4月に名古屋大学に赴任して、ぼくの人生は新しい局面に入ったのですが、その名古屋におけるインフルエンサが野村達朗さんでした。ぼくが『思想』630号(1976年12月)に書いた「民衆運動・生活・意識」をほめてくださって、アメリカとイギリスと違うけれど、同じ労働者民衆の世界を社会史として見ている、それ以上に「近藤さんは民衆だ!」と過大評価してくださいました。
名大文学部では非常勤の授業を続けてくださって、学生の良い先生でした。不定期ながら西洋史の研究会をやることもできました。それよりも映画についてのイニシエーションをしてくださって、名古屋は大須の芝居小屋で無声映画、グリフィスの『国民の創生』、そして『イントレランス』を一緒に見ました。小川プロの『日本国古屋敷村』も。
西洋史学会大会の大シンポジウム、『過ぎ去ろうとしない近代』(山川出版社、1993)にどうしてアメリカ労働社会史の野村が入っているんだと、尋ねる人がありましたが、こうした名古屋の「密」なソシアビリテの結果であります。
野村さんは1932年、鹿児島の生まれ。九州大学の大学院を修了してから愛知県立大学に赴任してそのまま30年間勤めあげたのでした。あの二宮宏之、遅塚忠躬と同じ「32年テーゼ」の年の生まれです。1950年代の東大西洋史は(34年生まれのTさんの言によると)、二宮・遅塚、そして33年生まれの西川正雄と「(知的)プリンスみたいな学生が揃っている研究室で、ぼくなんか気後れして‥‥」とのことでした。九州大学の、しかもエレガントでないアメリカ史をやって、野村さんも、このTさんと同じく「文化資本」の隔絶を感じてしまうはずのところ、そこはしっかり非共産党系の左翼労働民衆という立場を確立して自分の道を歩まれた。自己紹介では飲んべの「ノムラー」です、といった具合に気どらないおじさんでした。
アメリカ史、カナダ史の交遊も広く、安武秀岳、太田和子、木村和男、金井光太朗、遠藤泰生‥‥といった方々とのお付き合いも、野村さんのおかげで始まったのでした。名古屋のアメリカンセンターで David Apter, Jack Greene をはじめ重要な学者たちと面談する機会もいただきました。亡くなってしまった木村和男とは、名大から四谷通りを下っていった店で初対面ながら、カナダや毛皮のことより、まずは吉岡昭彦、そしてグレン・グールドで盛り上がりました。
近藤・野村(編訳)『歴史家たち』(名古屋大学出版会、1990);遅塚・近藤(編)『過ぎ去ろうとしない近代』で一緒に仕事をしましたが、明記されていなくとも、たとえば野村さんの『ユダヤ移民のニューヨーク』(山川出版社、1995)が〈歴史のフロンティア〉のシリーズに入っているのも、友情の結果です。『イギリス史10講』(2013)の名古屋における合評会にも出かけてくださいましたが、耳が不自由になって、とのことでした。2014年にいただいた(唯一の!)電子メールでは、長年ご愛用のワープロ専用機が壊れて使い物にならない‥‥と嘆いておられました。
なかなか語り尽くせません。想い出を愛しみたいと思います。
2020年11月1日日曜日
まともな発言
この間の日本学術会議問題に現れた政治文化、マスコミや有権者のより深い問題、反知性主義について、こんな文章もあります。
たとえば『日経ビジネス』における小田嶋隆さんの「ア ピース オブ 警句」 → https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00090/
は辛口で、ジャーナリストおよび国民を(臆病な)チキンないし小学生程度とこきおろします。チキンではなかった NHKクロースアップ現代の国谷裕子キャスターがなぜ降板させられたか、という問題にも説きおよびます。小田嶋氏の結論は、次のとおり:
≪ そして、[チキンたちは]学者から学問の自由を奪い、研究者を萎縮させ、10億円ばかりの税金を節約することで、何かを達成した気持ちにさせられるわけだ。で、われわれはいったい何を達成するのだろうか。たぶん、役人から安定を奪った時と同じ結果になる。 安定した生活を営む役人をこの国から追放することで、われわれは、めぐりめぐって自分たちの生活の安定を追放する仕儀に立ち至っている。おそらく、自由に研究する学者を駆逐することを通じて、われわれは、自分たち自身の自由をドブに捨てることになるだろう。 昔の人は、こういう事態を説明するために、素敵な言葉を用意しておいてくれている。 「人を呪わば穴二つ」というのがそれだ。 他人の自由を憎む者は、いずれ自分の自由を憎むことになる。≫
なおまた学者知識人の発言としては、三島憲一さんが『論座』で↓
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102100003.html https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020091400003.html https://webronza.asahi.com/culture/articles/2020102200007.htmlまともな議論をしています。とりわけ「人事だからこそ、その理由を言わねばならない」と説き、ムッソリーニやヒトラーのいない「日本型のファシズムを考え」ようとしているのは、異議なし。
ときを同じくして恒木・左近(編)『歴史学の縁取り方』(東京大学出版会)が公刊されました。恒木氏、そして最後の章の小野塚氏が冴えている。きわめて刺激的でおもしろい本。これについては、また後日に。
2020年10月29日木曜日
記者会見
学術会議会員の不任命とその後の菅総理大臣および加藤官房長官の説明にならない言い逃れ、といった事態から、じつは学術会議がどうこう、というよりもずっと深刻な情況が明らかになって来つつあると思われます。権力者の意思は黙って貫き、異論は無視して -「人のうわさも75日」だから - やがて、くどくどと同じ対質をくりかえす連中は孤立し、結局は内閣官房の思いどおりに世の中は動き定まる‥‥。その内閣官房の意思は、どのようにして(どんな理由でいつ、だれが言い出して、可能な別の選択肢は不採用として)決まったのか、については「最終的な決済」以外はゴミなので破棄して記録は残さない‥‥。
このような、法治国家や市民社会にあるまじき、権威主義的な集権国家がいつのまにか登場し、通用し、こうしたことに「おかしい」とか「気持が悪い」とか言うひとはたしかに一定数いるが、それが国民の、あるいはマスコミの大多数にはならない、という情況。これが不気味です。いつこうなったのでしょう?
古川さんと鈴木さんの始めた change.org の署名活動が、14万人以上の署名を短時間で集めたこと、そして10月13日にこれを内閣府に提出したことはNHKなどで報じられました。 → https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012661631000.html
さらに26日には日本記者クラブで記者会見が行われ、古川さん、鈴木さん、瀬畑さんの発言、質疑の様子が Youtube で(計1時間17分)見られます。組織的でも党派的でもない、3人の誠実さと真意が現れた、よい記者会見だったと思います。まだなら、どうぞ → https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=5W71tY9IqBY&feature=youtu.be
古川さんのキーワードは不公正(アンフェア)、鈴木さんの場合はわたし個人の考え、瀬畑さんの場合は、政府も自信をもって理由を公けにしてください、でした。2020年10月22日木曜日
〆切は今日22日(木)
菅政権の反知性主義的で、強権的というより陰険な政治のやり方への抗議の署名キャンペーンが続きます。「西洋史研究者の会」の呼びかけたものは今晩で〆切です。 → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/
賛同署名者は西洋史研究者に限定していません。あくまで個人的に賛同してくださった方々です。そのご氏名(匿名希望者は除く)は、こちら → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/home/sandousha/
携帯の自由競争、前例打破‥‥といった受けの良い政策提言で支持率を維持しつつも、都合の悪い文書記録は残さない/廃棄するという、近代法治国家としてはありえない官房の(断固たる!)方針に支えられた知性攻撃ですから、恐ろしい。
「総合的・俯瞰的」という管理者的で上から目線の言い逃れだけで、なにも理由を説明しない、「木で鼻をくくった」応答に終始するのではいくらなんでもまずいだろう、という発言が自民党議員のなかにもチラホラ出ています。その名は記憶しておきたい。 → 岸田文雄(前政調会長)、稲田朋美(元防衛相)、村上誠一郎(元行革担当相)! こうした議員までもが「説明責任を果たしていない/乱暴ではないか」と言明する事態なのです。
なお、10月2日のぼくの発言もご覧ください。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2020/10/blog-post_37.html
2020年10月14日水曜日
日本史の14万人余り署名
今夕のNHKニュースで14万人余りの署名をもって内閣府へ提出しに行った鈴木淳さん古川隆久さんの勇姿を拝見しました。日本史の近現代史ゼミの元院生の皆さんが見せた結束力。すばらしい。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201013/k10012661631000.html
それから一歩遅れて始まった「西洋史研究者の会」ですが、 → https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/shomei/
「今回の任命拒否の6人に宇野重規さんの名前が。えっ誤爆じゃないの‥‥」 という声もあります。ぼくもそう思いました。 宇野さんはそもそも自由な人で、その立場を貫いて安倍政権のいくつかの施策に反対を表明していたにすぎない。菅義偉およびその取り巻きたちは、「諫言」(かんげん)という言葉を知らず、「甘言」のパンケーキに囲まれていたい人々なのか。 これでは、自由民主主義の政治家としての未来はありません。
もともとテレビでアップされた菅の「眼」には(安倍晋三にはない?)暗さ・悲しさのようなものを感じていました。おぼっちゃま安倍晋三くんより、実力と運で這い上がってきた菅義偉くんのほうが狭量(非寛容)で、陰険(危険)なのかもしれません。 それが就任時のご祝儀高支持率を背景にして、菅イカロスのように、冷たく結論だけ表明して、「分かるでしょ」「よく考えなさい」という路線を押し出してきたようです。これはモンテスキュのいう専制政治、- 法も徳も名誉もなく - 君公の勝手な都合と「恐怖」によって統治するデスポティスムです(『法の精神』岩波文庫、上、pp. 51, 82-3)。
9日の「3社グループインタヴュー」における「105人のリストは見ていない」という発言は、学者を小馬鹿にしたものでした。万が一にも(見てもだれとは分からないから)「テキトーに5・6人削っといて‥‥」ということだったとしたら、不勉強すぎます。秘書官などに選別をまかせた、即 総理大臣以外の判断結果をみて「99名任用」がなされたということなら、違法性はさらに増しますよ。法学部卒業者なら、そこは分かるでしょ。
このところ、日本も合衆国も連合王国も中国も(!)それぞれの現れ方には政治文化のちがいがありますが、それにしてもそれぞれ大変な時代(great transformation!)に居合わせたものですね。 こちとらも、老いぼれてはいられません!
2020年10月12日月曜日
西洋史研究者の会
みなさま ご無沙汰しております。
菅政権に抗議する署名キャンペーンが始まりました。
このURL、https://seiyoushi-kenkyusha-kai.org/index.php/shomei/ をクリックして署名フォームに入ってください。
行政の長としての器じゃない驕慢な言動のある菅イカロスですが、 まだ高い支持率を引きずり下ろすには、それなりの運動が必要とみえます。 22日〆切としています。
近藤 和彦 http://kondohistorian.blogspot.com/
2020年10月11日日曜日
パンケーキが怖い
菅義偉が自民党の総裁選挙に立候補したときから、ぼくは懸念を表明していました。
→ http://kondohistorian.blogspot.com/2020/09/blog-post.html
この人は政権の実務をあずかる能吏かもしれないが、No.1 になる(権力を代表具現する)にはふさわしくない人なのです。何より public speech ができない。むずかしい問題となると、担当官に言わせるか、事前に熟慮した想定問答集のメモにたより、失言しないようになるべく短く答える。
これは官房長官だったときの、あのでかく厚い帳面の端の付箋です。
→ https://www.asahi.com/articles/ASN962V20N93UEHF008.htmlなぜか朝日新聞 Online(9月7日登載)に一つや二つでなく10以上も類似の視角からの写真があります。見てみましょう。
たくさんならぶ付箋をよく見ると(クリックすると拡大)、「岸田 30万円」には上に「共」、 「30万円 妥当性」には「日テレ」、 「30万円 理由」には「朝」と朱書されている!
つまりそれぞれ共同通信、日本テレビ、朝日新聞が質問する予定項目(そして答弁)が並んでいるのです!次の写真の場合は、
「IMF予測」に「共」、 「布マスク配布」に「朝」とか朱書されて並んでいますが、それらの付箋の一番上には
一つだけ薄青い紙で「山口代表」とあります。つまり公明党の山口代表とのネゴ、あるいは配慮についての想定答弁・メモが(この場合は何社からの質問でもなく)用意されていた! 例の困窮家庭30万円給付から全国民一律10万円給付への転換( → 岸田政調会長の凋落の始まり)の直前に公明党の介入があったことの証拠でもあります!
菅おじさんは、こうした念入りの想定問答集がないと記者団の前に立つのが怖い。丁々発止、臨機応変のやりとりは苦手なのでしょう(岸田、石破、河野とは違うタイプです)。総理大臣に就任してからは通例の記者会見は9月16日のみ、それからはあのパンケーキ朝食会をはさんで、10月5日には読売新聞、北海道新聞、日本経済新聞の3社、9日には毎日新聞、朝日新聞、時事通信の3社に限定して「グループインタヴュー」なるものを設営しただけです。3社が総理を囲むように座して(予定の質問を発し)、他の記者クラブ各社はそれをただ傍聴する。当日志望の他のマスコミはクジで当選したら別室で音声のみを傍聴する(!)とかいう設営。
なにかとんでもなく「公共性を怖がる首相」を自由民主党は選んでしまったようですよ。外国メディアからあきれられても、当然です。菅個人というより、こうしたことを横行させる自民党、マスコミ、そして有権者の問題です。
2020年10月8日木曜日
田中優子さん、カッコいい!
法政大学のサイトにすみやかに総長メッセージが出ていたのを知りませんでした。 「日本学術会議会員任命拒否に関して」と題する5日付けのものです。
→ https://www.hosei.ac.jp/info/article-20201005112305/(まずこの間の経過と制度をまとめ確認したうえで)「‥‥内閣総理大臣が研究の「質」によって任命判断をするのは不可能です。」と明快です。 「さらに、この任命拒否については理由が示されておらず、行政に不可欠な説明責任を果たしておりません。」
そしてこのあとに続く文章がすばらしい。
「本学は2018年5月16日、国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動に対し、「データを集め、分析と検証を経て、積極的にその知見を表明し、世論の深化や社会の問題解決に寄与することは、研究者たるものの責任」であること、それに対し、「適切な反証なく圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」との声明を出しました。そして「互いの自由を認めあい、十全に貢献をなしうる闊達な言論・表現空間を、これからもつくり続けます」と、総長メッセージで約束いたしました。
その約束を守るために、この問題を見過ごすことはできません。」
田中さんがカッコいいのは、和服姿だけではありません!2020年10月7日水曜日
日本学術会議 - 日本学士院
5日のこのブログで言及した署名キャンぺーンを始めた日本史の二人は、「左翼」とは言い難い、個人主義的な、学者として誠実な人たちです。そこに意味があると思います。
今晩のニュースで思わず快哉の声をあげたのは、またもや静岡県知事、イギリス学界では Heita Kawakatsu として知られる川勝の記者会見です(オブライエン先生もファーニ先生も[ドイツ的に]ハイタ・カワカツと発音していました!)。川勝もまた(学生時代はいざ知らず)左翼とは言い難い。むしろ彼を右寄りと受けとめている人も多いでしょう。
その川勝知事が今日、静岡県の記者会見で日本学術会議の人事に触れて、
「‥‥「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した。『学問立国』である日本に泥を塗った行為。一刻も早く改められたい」と強く反発した。 川勝知事は早大の元教授(比較経済史)で、知事になる前は静岡文化芸術大の学長も務めた、いわゆる「学者知事」だ。 川勝知事は6人が任命されなかったことを「極めておかしなこと」とし、文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」とした。」ということです(朝日新聞 online、7日夕:https://digital.asahi.com/articles/ASNB761QMNB7UTPB00D.html)。
そうなんですよ。菅首相が苦学して「法の精神」も、「現代政治の思想と行動」も身につける間もなく卒業してしまい、しかし経験的に世の中の機微だけは修得して権力に近づいた、小役人の頂点として内閣官房長官に納まるまでは幸運のわざ、と諒解できます。しかし総理大臣、すなわち statesman もどきの政治家として役を演じきるには、どうしても近くに賢いブレーンが必要不可欠です。(あの驕慢なエゴイスト・トランプがこれまでなんとか演技できてきたのも、献身的な側近 brains のおかげでしょう。)
川勝知事の記者会見で「文部科学相や副総理が任命拒否を止めなかったことも「残念で、見識が問われる」とした」というのも、問題は同類です。菅義偉という男のまわりには、権力の亡者ばかりがたむろして、忖度し追随しないと怖いことになる、という冷たい空気が漂っているのでしょうか?【ただし、ここで制度的に厳密なことを言い立てると、日本学術会議は文科省ではなく内閣府(← 総理府)の機関で、これを総理大臣が所轄しているので、文科相には発言権限がない! 文科省が管轄する(名称が似ていないではない)国家公務員団体は「日本[むかしの帝国]学士院」です。】
ここで、日本学術会議よりもう一つ格上の賢者の集まり、「日本学士院」が - ただの御老体の終身年金受給者集団ではないという証に - どのような見識を示すのか、注視したいと思います。
2020年10月5日月曜日
日本学術会議会員の任命拒否 → 署名へ
前から申していますとおり、宇野重規、加藤陽子さんの態度表明は - 菅内閣の一枚上を行こうとして - 立派だと受けとめています。
菅政権は「適法にやっています」と黙って専制をつらぬく、という姿勢。いくつかの野党は「戦前への逆コース」をアピールしていますが、そうではない。これは新しい、ポストモダンの政治手法です。マスコミはトランプの病状と芸能人の死のほうが視聴率を取れるので、そちらの方面ばかり報道する‥‥。これはむなしい現状です。
このブログで嘆息する以上に、なにかできることはないか、と案じていたら、アカデミズムのなかから、鈴木淳さん・古川隆久さんの呼びかけで、こんな署名キャンペーンが始まりました。ノンポリで(むかしの伊藤ゼミ、高村ゼミのよしみ?)学問的に誠実な動きだと思います。
→ https://www.change.org/p/菅首相に日本学術会議会員任命拒否の撤回を求めます!
このまま放っておくと、香港のようになってしまいます。菅義偉の顔が習近平のように見えてきました。
2020年10月2日金曜日
自由民主主義は今や‥‥
事態に1日遅れで反応していることを恥じますが、日本学術会議会員の任命を拒否された学者に、宇野重規さんも含まれていると今朝知って、天を仰ぎました。
他の分野の方々の学問的なお仕事についてぼくから言えることはありませんが、少なくとも歴史学の加藤陽子さんと政治学・思想史の宇野重規さんについては、まちがいなく今日の学問と自由民主主義の担い手です。宇野さんの公開声明は熟慮された、立派なものです。こうした賢者を自由民主党総裁・菅義偉が任命拒否したとなると歴史的なスキャンダルです。
菅義偉は田舎出身で苦学して政治の世界に入ったとかいう経歴が一時話題になりましたが、苦学すれば即、立派な人なのではない! いったい法政大学で何を学んだのでしょう?(もしや左翼への反感のみ?)そもそも法学や政治学の考えかたを修得しましたか? 加藤陽子さんが小泉内閣(福田官房長官)のもとで公文書管理法の成立のためにどれだけ力を尽くしたか。こういった専門知を大切にしないとしっぺ返しを喰いますよ!
中国の習近平やロシアのプーチンならやりかねない暴政を、日本国の首相、しかも自由民主党総裁が(黙って)やってしまった。どんなに重大な失政をやってしまったか、菅首相もその取り巻きも、まだ認識していないようです!(司法研修生の任官拒否とは質が違います!)公明党はすこし動揺し始めたかな?
これには、まず全国の学者・研究者が抗議すべきです。(担当秘書官のせい!?とかへ理屈を造作して)とんでもない職務怠慢・誤解でした、とすみやかに決定を撤回し、任命を回復するならよし。さもなければ、
1) 日本学術会議として、まず会長声明。次いで学術会議の各会員は政府の審議会で委員をしているなら、その席でまず不条理を訴え、わたしは菅政権の御用学者ではない、自由な発言を続けると声明する。政権側の動きがないかぎり、以後の出席を拒否する。
そもそも学術会議は、病気でもないのに6名の欠員、即、定員不足のまま任務を完遂できるのですか? 首相としてこうした異常事態を招いた責任をどうします?
2) 全国のあらゆる学会で抗議の声明。新聞などへの公共広告。さらに事態が解決に向かわないなら、学会メンバーたちの政府への協力を拒否。たとえば新型コロナ関連の専門家(疫学・生理学‥‥)も助言・データ提供を拒否します。
こうした学界をあげてのサボタージュで、事態の深刻さ、自由民主主義と学問のなんたるかを菅政権に知らしめるしかないでしょう。岸信介・佐藤栄作・安倍晋三と継承されてきた保守右派の国政のうちでも、管理主義、中央集権の性向をいや増した菅政権。おどろくべく非文明的で貧相な政権です。この件の処理をまちがうと、急転直下、信任を失い、短命な内閣に終わる、という展開になるかもしれません。
2020年10月1日木曜日
きのうのニャロメ
すでに10月、中秋の名月です。
春からずうっとせわしなく、慌ただしく、2つほどの原稿は仕上げ、旧友とのリモート懇談や Webinarを楽しむ余裕はありましたが、なにより3月以来ある課題を抱えこんだまま進展がなく、憂鬱な気持がつづいていました。それが28日に人手を借りつつなんとか解決して、ようやく秋の涼風や名月をよろこぶ気分にもなったのです。
そうしたなかで、昨日は若き友人からのメールにて、岩波書店のtwitterにこんな記事があると知らされました。
→ https://twitter.com/Iwanamishoten/status/1310459260334215170
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「岩波書店@Iwanamishoten
1066年の今日、ノルマン・コンクエスト開始。ノルマンディー公ギヨーム(ウィリアム)がイングランドに侵攻、勝利を収め、ノルマン王朝を開きました。征服王朝であるため、封建制に立脚するものの王権は強く、影響は地方にまで及びました。
近藤和彦『イギリス史10講』 http://iwnm.jp/431464
午後3:00 ・ 2020年9月28日・Hootsuite Inc.
愛知地域労働組合きずな@QDdrZLvHCC29HKa
・9月28日
返信先: @Iwanamishotenさん
以前にも書きましたが、中の人は近藤先生から先生が名大助教授時代に西洋史を教えていただきました。元東大全共闘として出された、明日のジョーを文字った、昨日のニャロメというガリ版のビラを講義で学生に配布して戦後歴史学の転換、刷新を熱く語っておられたことが記憶に残っています。」
----------------------------------------〈以上、引用〉
この投稿者はだれでしょう。名前までは想いだせませんが、書いてあることは(忘れていましたが)まざまざと想い出せる事実です。69・70年の退却戦という局面でたしかに「きのうのニャロメ」の漫画イラスト付きのビラを作っていました。それをコピーして77年後半~80年前半(?)くらいに名古屋の西洋史の教材として配ったのでした。
これに類したことは名古屋大学だけでなく、1974~77年に助手でしたので東大西洋史でもいろいろありました。とぎれとぎれの記憶の糸をたどると、学生Sくんは(西川正雄さんの下でドイツ社民党かなにかをやろうとしていましたが)他の何人かとも一緒に、安丸良夫やE・P・トムスンを読んだりしました。
Sくんはときに研究室にたむろしていましたが、ある日、テレビ局から電話の問合せで、「エジプトのピラミッドは正確に東西南北を向いているというが、それは各面がそうなのか、稜線が向いているのか」という質問がありました。ぼくが百科事典のぺージを繰りつつ、「この研究室にはエジプト史の人はいませんので‥‥」とうろたえていると、Sくんが研究室の『広辞苑』を開いて、各側面が東西南北に向いているとのことです、と助けてくれたのでした! 機転の利くSくん、ともに「広辞苑もさすが簡にして要をえたレファレンスだね」と感じ入った場面をいま想い出しています。現行の広辞苑には(エジプトに特化した)そういう記述はありませんね‥‥。
そうした彼が学者先生になるのでなく、故郷に戻って組合専従になるのだというので皆驚きました。同窓会名簿(2012)をみると、その時点では ITUC(International Trade Union Confederation)に勤めているんですね。世界史的な見識を発揮していることでしょう。
2020年9月2日水曜日
菅だけは止めてほしい
自民党の総裁選、かねてから意欲を示していた石破茂、岸田文雄についで、菅義偉官房長官が立候補表明しました。
各政治家それぞれの政治傾向や能力, etc.ということ以前に、この2・3日で判明したのは、安倍晋三総理総裁の「任期の残余をつとめるだけだから+現政権の連続性」という2つの論理で党内派閥間の力学をうまく収め、その既定方針を崩さないために自民党の党大会は省いて、予定調和の菅に決しようということでしょう。
現政権の安倍=麻生=菅枢軸のうち麻生太郎は80歳ですし、高慢な失言も多いので、もはや出番はなし。これまで官邸をまとめ官僚を統率してきた実務派官房長官の経験に頼り、その奮闘努力をねぎらって残余1年間の総理総裁職を贈与する、という理屈が自民党の中で浸透するというのは、分からないではない。
それにしても、菅はイカン。
なによりいけないのは、菅義偉の記者会見にも現れる滑舌の悪さ。原稿を読んでいるにもかかわらず、前のめりでカンでしまう発音の悪さ。しっかり息を継ぎ、キーワードはゆっくり明快に発音しなければ、公人として失格です。もう一つ、政治家として内向きすぎます。河野太郎の対局かな。国際感覚ゼロの人が No.1 になってはいけない。この2つの理由で、総理総裁=首相になるべからざる人です。
昭和天皇の「終戦のみことのり」(の録音)は聞いていて恥ずかしくなるほど下手なスピーチでした。ブレスを意識するとか、公的な〈朗読〉すなわちスピーチの基本の訓練がなかったのでしょう。日本の旧エリートはそれでも良かったのか。音楽的センスの問題でもある。朗読をあなどるなかれ。
菅官房長官が「順当に」継承するなら、日本国の首相のスピーチは、日本語の分からない人にも分かるほど下手くそで、どこかの省庁の局長の「木で鼻をくくった」答弁みたいなものを毎日聞かされることになるのです! 耐えがたい。
2020年8月13日木曜日
空蝉に ‥‥
わが集合住宅の敷地にもようやく蝉時雨(せみしぐれ)が襲来して、「滝もとどろに鳴く蝉」は部分的には深更にもやまず(例年はうるさいなぁと感じることもあったのですが)今年は、それがなんだか嬉しい。
7年間は地中の幼虫としてのいのち。つまり2013年の夏(『イギリス史10講』仕上げの夏!)に産み落とされ、地中にもぐって成長し、ようやく暑くなったので、夕刻、地上に這い出て見たことのない母の産んでくれた樹木にのぼり、夕闇のなか脱皮して、大きな羽根をえて、身体も一回り大きくなり、翌朝に飛び立つ。飛ぶ昆虫としての7日間くらいのいのち‥‥。考えるといとおしくなります。
昼間に(大学のリモート授業のあいまでしたが)郵便ポストまで投函しに行った折にふと大きな街路樹の足元をみると、小さな(1cm未満の)丸い穴がいくつもあることに気づきました。これは何だ、と思いつつ見上げると、高さ2m~3mくらいのところに蝉の抜け殻がいくつもあります。そぅか! 日が暮れてから来ると、あれをふたたび観察できるかもしれない! 小学生時代にはカメラなんて持っていなかったけれど、今はいくらでも写真が撮れる!
というわけで、結局、晩には次に書くようなことを回想しながら、何匹もの脱皮の写真を撮りました。
小学生時代に母の実家(広島県)に行くと、夏は「クマンゼミ」と呼ばれた大きく透明な羽根をもつ蝉が、うじゃうじゃといて、網など使うまでもなく子どもの手でも一度に2・3匹づつ捕まえることができました。そして夕刻になると、樹木の幹を登る幼虫の何匹かを捕獲して、窓や縁側の手すりなどに置いたのです。彼らとしては違和感があったに違いないのですが、いささか体勢を整えなおしてから覚悟を決めて動かなくなり、やがて背中が割れ、美しい青緑の肉体、そして透明な羽根をゆったりと露出します。この間、自分の体重で、殻の割れ目に尻をはさむような形で逆立ちし大きな頭が下にくるのですが、6本の脚を上手に使いつつ体操選手のように屈伸して体位を180度変えて、頭が上、二枚の羽根がすなおに下向きに伸びるような位置に収まると、‥‥柔らかい身体が堅牢さを獲得し、なにより地上に出てから木登り・脱皮の重労働を完了するまで(3時間以上?)の疲労から回復するために動かなくなります。
明朝(鳥たちが動き始めるより前に)元気に飛び立てるよう、また(人にうるさいと思われながら)元気に歌い回れるよう、体力のみなぎるのを待つのでしょう。小学生だったぼくには、夏休みの良い観察(observation)課題でしたが、ただ夜8時~9時くらいに蝉の動きが静止してしまうと、もうすることがなく、寝るしかない。(すごく早起きしてみるほどの根性もなく)明朝は飛び立ったあとの抜け殻(うつせみ)を確認するだけでした。
「クマンゼミ」は瀬戸内ならぬ東京では見られませんが、基本は同じかな。
こんな句を見つけました。
空蝉に 朝日さしこむ 過去未来 (小枝 恵美子)