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2024年2月5日月曜日

「68年世代」の修業時代

とくにどうということのない小文ですが、〈わたしの問い、わたしの研究〉というコーナーに
「68年世代」の修業時代」 → https://ywl.jp/view/cIqWX  という、回想をしたためました。
山川出版社のサイトで『歴史PRESS』のNo.17(12月号)、計4ぺージ。ダウンロードなどできます。かつて「70年代的現象としての社会運動史研究会」を『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)に寄稿しましたが、それと対をなすものです。
こんなものを書いた動機の一つは『歴史PRESS』誌から依頼があったからですが、もう一つは、昨夏の終わりにある人と同道した列車中の会話でした。
彼は、「今の学生たちは、"全共闘とかいって暴れていた学生たちは何も勉強せずに卒業していった" と考えているようです」と話を持ちかけ、ぼくを挑発して(?)きたのです。
いまは昔 年譜・著作ノート』(2012年3月)と合わせて読んでくださると、年次が分かりやすいかと思います。1969年12月に「文スト実」の最後の会議で、無期限ストライキの解除決議をした後のことですが、70年の春だったか、再開された柴田三千雄先生の授業2コマの期末の課題として2つのレポートを提出しました。ことの顛末は、2013年12月『10講』の刊行時の柴田家にまで及びますが、こんなことをしたためたのは、上の会話への答えといった意味もあります。
ところで、その69年12月に最後の「文スト実」を招集して筋を通した委員長Yは、その後、卒業論文「戦前における社会科学の成立」を70歳になった2017年に復刻自費出版し、さらに -「初心を忘れることは一度もなかった」と本人は言う - それを飛躍的に展開したような実証研究を2021年に公刊しました。グローバルにわたるフランクフルト学派の社会思想史/学問史です。

この1・2週にわたって新聞紙上では、「東アジア反日武装戦線」とかいうテロ組織の Leftoverメンバー、桐島聡のこと、その近辺にいたかもしれない「連合赤軍」の男女の惨劇などを想い出したように書きたてています。1974年~75年に三菱重工・三井物産‥‥大成建設・間組をはじめとする海外進出企業をねらった爆破・襲撃を繰りかえしていた秘密集団です。ぼくもYも、こういった悲しくニヒルな小宇宙とは全然別の世界、対話も成り立たない所にいて、思考し議論していたのでした。ミリゥ(milieu)が違った、と「総括」するほかありません。

50年余をへると、昭和も遠くなりにけり。「語り部」としてきちんと語り明かしておかねばならないことも少なくありません。

2022年4月28日木曜日

菊地信義さん 1943-2022

本の装幀者・菊地信義さんが亡くなりました。
じつはぼくの関係した本で山川出版社から出たものはすべて菊地さんの装幀です。
最初の『深層のヨーロッパ』〈民族の世界史9〉(1990)からずっと、
『民のモラル』〈歴史のフロンティア〉も、高校教科書も、そして
『ヨーロッパ史講義』(2015)も、
『礫岩のようなヨーロッパ』(2016)も、
『近世ヨーロッパ』(2018)のようなリブレットにいたるまで
装幀はすべて菊地信義さんでした。
山川出版社のかつての独特の品位(センス)を表現していたような気がします。
菊地さんと同席してお話できたのは1回きりでした。 「何でも言ってください」とのことでしたが、今はむかし、です。
悼む記事が今日の朝日新聞』夕刊に載っています。その筆者・水戸部 功さんは、なんと『歴史とは何か 新版』(5月刊)の装幀者です!

山川出版社から出た15冊については、↓のサイトから
www.yamakawa.co.jp/product/search?q=近藤和彦
ご覧ください。もしこれでうまくヒットしない場合は、
https://www.yamakawa.co.jp/product/search/
のぺージから「検索条件」として 近藤和彦 を入れて検索してみてください。

 15件がヒットしますが、そのうちなぜか唯一「 No Image 」と表示される『歴史的ヨーロッパの政治社会』(2008)は、こんな装幀(カバーデザイン)でした。文字だけの品格のある意匠。白い地も青い字も鮮明でした。

2019年10月8日火曜日

編集力の問題


 10月7日、『日経』文化欄にて、「誤記や捏造、揺らぐ出版」と題する、久しぶりに郷原記者の署名記事を読みました。
・池内紀『ヒトラーの時代』(中公新書、2019)
についてあまりに誤記、間違いが多い、という指摘に、研究者・小野寺さんのコメントが引用されています。じつは、こちらはそう珍しくない、多作な執筆者になくはない話かな、と思わせます。池内さんの翻訳文について、二昔ほど前にも話題になったことがありました。ゆったり温泉につかって書いているような随筆文なんでしょう。脇から舛添要一のコメントも加わったりして、やや混乱していますが、問題はやはり編集力ということではないでしょうか。

・深井智朗『ヴァイマールの聖なる政治的精神』(岩波書店、2012)
こちらはずっと深刻で、表向きは学術的な、学問を否定する作品でした。捏造、盗用、デッチ上げ。すでに本人は東洋英和女学院を懲戒解雇され、岩波書店も公に謝罪してこの本を回収しています。

 郷原記者は、こうしたことが続く原因を、現今の出版社の点数主義と、編集者の(忙しすぎるゆえの)手抜きとしています。そのとおりですが、もう一つ、編集者の水準の低下、「ゆとり世代」の基礎学力不足も深刻なのではないでしょうか。専門書ならばレフェリー制度、というのが一つの解決策ですね。

・かくいうぼくも、じつは剽窃まがい(無断の借用)の被害者です。加害者は多作で名の通った大学教授(and 創業100年をこえた出版社の担当編集者)で、もしや教授殿から、本文はできたから、「地図等はテキトーにやっといて」と任されたのでしょうか。若い編集者が、それこそテキトーに手にした、近藤和彦編『イギリス史研究入門』(山川出版社、2010)p.394 の地図を無断で拝借したのでした(対照してみると、ぼくが選択した地名だけでなく、文字の配置・傾斜も、イタリックもすべて一致。海の波線は異なります!)。完璧なコピー&ペイストです。参考文献表のある本でしたが、近藤の名も『イギリス史研究入門』という表記も、巻頭から巻末まで、どこにも見当たりませんでした。
 その著者先生の人柄は前から存じていましたので、ご本人と交渉してもノレンに腕押し(!)でしょうから、出版社の編集部に釈明を求めました。
 直ちに、担当編集者とその上司から平身低頭の対応がありました。担当編集者(20代?)のセリフによると「地図なんてどれも同じ」、コピーライトがあるなんて知らなかったというのです。この老舗出版社の名声を揺るがすような発言でした。
 おそらく事態をはじめて認識した上司が奮闘したに違いありません。次の第2刷から(微妙にニュアンスをつけて)「近藤和彦著『イギリス史10講』による」という1行が地図の下に加わりました。執筆者ご本人はというと、ある時、ある所で遭遇したら、‥‥頭を下げずに「お騒がせしました」とのご挨拶でした!

2018年12月11日火曜日

『近世ヨーロッパ』(世界史リブレット)続 3


I'さん「‥‥各国史に軸足を置きつつ、つまり自分の研究地域の事をいつも想起しながら、近世ヨーロッパの一体的な歴史展開を考えるようになっている。真に議論すべき論点は何かを簡潔に提示するというのは『イギリス史10講』と同様の姿勢であると思いますが、規模がヨーロッパと広くなったことで、『10講』よりもいっそうシャープに著者の問題意識が表明されることになったのではないか。」

¶ ご指摘のとおりです。ぼくにとってイギリス史は派生的・副次的なもので、(高校時代はもっぱらドイツ・オーストリア音楽でしたし)本郷進学時にはドイツ史ないしドイツ語圏と北イタリアあたりの都市史をやろうかと考えていたのですから、今回のような範囲で論述できるのは、故郷に帰ってきたような気分!
イングランド史およびフランス史をヨーロッパ史のなかで相対化しつつ議論できるのは喜びでした。【ですから Brexit は狂気の沙汰と考えています!】
もちろん『イギリス史10講』のために先史から(!)十分に勉強したこと、そして近年の「礫岩」や「コスモポリタニズム」や「主権」、そして「ジャコバン」をめぐる科研の共同研究から学習したことは無限にあり、ここに生きています。【このジャコバン科研でなにを問うているか、5月の西洋史学会大会@静岡の小シンポジウムでご報告します。】

I'さん「‥‥私自身がこれから考えて行かなければならないのは、「それでは、近世の主権国家と近現代の国民国家とはどう違うのか」(p.50)という問いであると感じています。
[中略]ある意味で停滞した伝統社会を描いてしまうという問題、これを克服するためには、本書(p.52)が16世紀後半のポリティーク派や神授王権について行ったように、私の時代と文脈において、すなわち当時のグローバル化された社会・経済・思想文化において再検討する必要があるのだと感じます。現地行政官が抱く「混乱(無秩序)の恐れから生まれた徳と国家理性、公共性と主権の考え‥‥」、とても重要なフレーズだと思います。本書が示唆する方法論を意識しつつ(それは C.A.ベイリーが、そして B.ヒルトンが共有した研究視角と思われます)、自分の研究を振り返ってみようと思います。」

¶ このあたり(p.50~)については、別の分野のK'先生も似たことを記してくださり、「‥‥50~53頁の主権にかかわる記述はインパクトのある、とてもいい内容だと感じました。」
その上で、「ついでですが、18世紀の啓蒙思想家たちは、共和政をパトリ(patrie)と重ねて論じており、またこの時期には国王への忠誠か、それともパトリへの忠誠かが議論となっています。近世におけるパトリ観念はもっと論じられていいテーマだと思います。この問題は二宮さんの1969年論文(『二宮宏之著作集』4、370~372頁)にも少し出てきます。」
と書き添えてくださった。パトリは中東欧史とアメリカ史の専売特許じゃありませんよ、ということですね。【ちなみに『フランス アンシァン・レジーム論』(2007)ですと、pp.40-42. パトリには「祖国」「愛国」等の訳語があてられていますが。】

2018年12月9日日曜日

『近世ヨーロッパ』(世界史リブレット)続 2


H先生「[長い文の最後に]‥‥私は18世紀末までを「近世」とし、以後を「近代」とするのはフランス革命の過大評価ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。」

¶‥‥フランス史のH先生にしてこのコメント! そうでした。時代区分という点では、迷ったあげく『近世ヨーロッパ』では完全に割愛しましたが、宗教改革でもなくフランス革命でもなく、歴史をきわめて長期でとらえて18世紀半ばくらいを「鞍のような時代」(Sattelzeit)と考え、その前後を分けるドイツ史の議論を、もうすこし討論すべきでした。
想い起こせば、旧『岩波講座 世界歴史』(1968年刊行開始)でも、おそらくは柴田先生の提唱で、18世紀末のフランス革命・産業革命ではなく、18世紀初めの啓蒙/カルロヴィッツ後の東西関係でもって「近代世界の形成」(第16巻まで)と「近代世界の展開」(第17巻以降)とを分けようとしていたのでした。アジア史との連結部でちょっとズレが残っていますが。

Kさん「‥‥本書の語り口は、『民のモラル』ではなく、『イギリス史10講』のそれであると思いました。‥‥『イギリス史10講』において非常に顕著だった用語・訳語の原理的な解説と言い換えは、本書でも随所にちりばめられていて(近世、近代=今様/当世風、新旧論争、人文主義、カトリック、公共善、イギリス革命、諸国家システム、啓蒙=文明開化)、また、世界史教科書の諸項目を相当に意識した構成とあいまって、想定読者の多くを占めるであろう高校世界史・日本史教員にとって親しみやすくかつ非常に有益な副読本として、この上ない仕上がりだと感じました。
世界史の「常識」を硬軟取り混ぜて、さらりと転倒させる筆致も『10講』以来のものだと思われます(ヘンリ8世は「セクハラ君主」ではない、『君主論』は「なんでもあり」の推奨本ではない、など)。
歴史の用語(訳語)の深い反省そのものが問題発見的な意義を持つものであるとの確信から書いておられるであろうことがひしひしと伝わってきました。そして、(『10講』でも感じたことですが)お書きになるものから、一種の歴史哲学的志向が透けて見えてくるようになってきているとの印象を抱いています(グローバル状況を背景/ネガにして可視化される、モラルと秩序を軸にしたヨーロッパ近世的なるもの)。
 今ちょうど、時代区分に関して考えている最中で、なおのこと本書の歴史哲学的な面を深読みしすぎたのかもしれません。」

¶「歴史の用語(訳語)の深い反省そのものが問題発見的な意義を持つ」ということは、内田義彦『社会認識の歩み』(岩波新書)あたりから学んだ大事なことだと今も思います。それが歴史哲学といえるほどの質を備えているかどうか分かりませんが、歴史的に考えるよすがであり、調べるに値することです。(およそ言葉に鈍感な人の文章は、読むにたえませんね。)
 なおマキャヴェッリの思想史的重要性とともに、その議論にジェンダー的含意が隠されているというヒント【運命という女神の髪は前にしか付いていない;(virtu)とは本来、男らしさ、男気、力強さ‥‥】をくれたのも、内田の『社会認識の歩み』でした。

 皆さんのおかげで少し自分を相対視できます。ありがとうございました。

『近世ヨーロッパ』(世界史リブレット)続


 この本が出来上がったことにより、ぺージをめくって速やかに前後を参照しながら読みやすくなって初めて気付かされる欠点・難点も、じつはあります。校正中に気付かなかったのは恥ずかしいですが、にもかかわらず、良き読者の良き評に恵まれて、幸せです。以下の方々ばかりでなく、皆さんに感謝しています。

Yさん「‥‥「高校世界史」の近世の前半と後半の2つの章にあたるヨーロッパ世界を、もっと大きな視野をもって、また、高校教科書では許されないと思われるような大胆な筆致と、個別事例の印象的な使い方で描いておられます。」

Hさん「‥‥私はリブレットのようなものをまだ書いたことがありませんが、なるほどこのような筆致で書くものなのか、と惹き付けられながら読んでいるところです。ときに先生の肉声が聞こえてくるような一節もあり、楽しみながら読んでいます。」

K先生「‥‥いろいろな出来事が重なりあいながら15・6世紀からフランス革命期まで発展してゆくヨーロッパ史をこれだけのわずかな紙幅にうまく収めるのは大変ご苦労があったことと思います。そこで、目次はきわめて簡潔に抽象的な語彙を並べて構成されることになったのだと思いますが、これを見て全体構想を掴み取るには、ある程度の歴史の素養が必要だろうという気がします。これだけ見ると難しい本だという印象を与えると思います。
中身を見れば、多くの固有名詞や礫岩国家というような新しい概念が出て来はしますが、かなり具体性があります。が、これを読みこなすのにはやはりある程度の素養が必要だろうという気がします。全体的にはかなり高度な書物だと思います。
でもよく書けているのではないでしょうか。これは紹介程度ではなく、真っ向からの書評に値する書物でしょう。」

Iさん「‥‥まずは表紙の絵に強い衝撃を受けました。じっくり拝読いたしますが、政治社会をめぐるこれまでの考察にくわえ、ヨーロッパ規模のみならず、世界規模の時代像についての議論も打ち出され、全体として組み合わされているようで、実に密度の濃い本であるとの印象を受けています。表紙の図版、さらには『百科全書』の日本語アルファベットの写真など、これまで私たちが見てきたナショナルな文化空間に閉じこもった日本像自体、近代以降のナショナルヒストリーの語りでつくられてきたものだということなのだと思います。それを解体して新しい像を提示するという使命は、日本史研究者だけではなく、むしろ西洋史研究者こそが担わねばならない、という気概のようなものを感じました。」

2018年12月1日土曜日

レパントの戦い

Mさん、
『近世ヨーロッパ』(山川出版社)について、早速にご関心をもっていただいてありがとうございます。
ご指摘のとおり、表紙には「レパントの戦い」の屏風絵を用いました。10年ほど前に Biombo (屏風)という展覧会がサントリー美術館であり、見てビックリしたものです。同時に展示されていたカール5世やフランソワ1世(かもしれない)武将の群像も含め、それ以来、いつかどこかで利用したいと考えていた材料です。

ヨーロッパ(ろうまの王)軍とオスマン帝国(とるこ)軍の戦闘を、1600年前後の日本で屏風絵として製作していたという事実がまず興味を惹きます。また戦国から徳川最初期の日本において、屏風絵という美術品がもっとも価値ある贈り物、輸出品だった、ということも、あまり広くは知られていない。家康のブレーン以心崇伝の『異国日記』を読んで気付かされることです。1613年、イギリス東インド会社のセーリスにたいして「日本国 源家康」が「イカラタイラ国主」への御朱印状とともに(おみやげとして)もたせたのは「押金屏風 五双」でした【『ヨーロッパ史講義』p.103】。

世界史リブレットですから(本文はたったの88ぺージです)、あまり立ち入って詳しく書き込めないのですが、
1) 近世という時代それじたいを問題として呈示し、
2) 各国史の叙述、とりわけフランス史中心史観を相対化し、
(副次的に、帝国礼賛史観にももの申し、)
3) またヨーロッパ史とアジア史・日本史との関係性(の大転換)を明示する、
(そうしてはじめてポンパドゥールのインド更紗画、そして産業革命が理解可能となる!)

というのが、本書に自ら課したミッションでした。

本体価格たったの729円で、近年の研究動向をふまえた政治社会史・(躍動する)国制史・文明史の成果を簡便に示す。しかも、引用されている歴史家は、ランケ『ロマンス系諸国民とゲルマン系諸国民の歴史』に始まり、ホブズボーム『革命の時代』で締める、というのも、ちょっとだけ、おもしろいでしょ!

2018年11月18日日曜日

絶対王政? アンシァン・レジーム? 近世という時代の主権国家

 『史学雑誌』10号で山﨑耕一さんの仲松優子『アンシァン・レジーム期フランスの権力秩序』(有志舎、2017)にたいする書評を読みましたが、最後の近くに(p.98)「いわゆる「コップの水が半分なくなったか、半分残っているか」の論争に近いように思われる」という名言がありました。これでちょっと重たい書評文が明るく締まりました。
その直前直後に入江幸二『スウェーデン絶対王政研究』(知泉書館、2005)を読んでいて、こちらはカール12世の即位儀礼(1697年)の特異性を明らかにしていておもしろい。しかし13年前のお仕事ということもあって(?)「主権」の主張が即「絶対主義」に結びついてしまう趣き。p.14における「絶対王政(絶対主義)」の定義も、いわば「君主政をとる近世主権国家」の特徴を述べているに過ぎないような気がします。
 かくも山田盛太郎の『日本資本主義分析』における absolutism/absolutisme/Absolutismus/天皇制絶対主義[という語が使えないので、様々の形容を用いる]の範式=のろいが、そうと自覚しない若い世代にも、戦後民主教育によって血肉化しているのです! コミンテルン・日本共産党とともに(隠れ)二段階革命戦略をとる方々ならともかく、そうでない立場から自由に、歴史的に考えようとする人なら、「絶対主義」「絶対王政」のいずれの語も、自己欺瞞か目潰しの効果があると意識したほうが良い。
 とか思いながら『史学雑誌』の巻末・出版広告を眺めていたら、なんと、一番最後の左下に、近世ヨーロッパの広告があるではないですか。96頁、本体729円とのこと。ただし、ぺージはどこからどこまで数えるのか、ぼくの見たところ92ぺージというのが正しいような気がします。宣伝文句も3行ばかり見えますが、これはぼくがしたためた文のほぼ半分の短縮形。元来は(縦書きで)こうでした。
 ≪表紙の絵は一五七一年、レパントにおけるスペインなど連合軍(左)とオスマン帝国海軍(右)との戦いを、想像により描いた日本の屏風絵である。裏表紙の肖像画は一七六四年、インド更紗を着たフランス貴婦人を描く。十六世紀から十八世紀の間に、ヨーロッパの政治・経済・文化は、そしてアジアに対する関係はどう変わったのか。ルネサンスと大航海の時代から、戦争と交流と学習を重ね、啓蒙と産業革命にいたる近世の三〇〇年を、ヨーロッパだけでなく世界史の変貌として見てゆこう。
 というわけで『近世ヨーロッパ』は写真のような装丁です。まもなくお目にかかります。

2018年10月14日日曜日

『近世ヨーロッパ』

土曜日に山川出版社の山岸さんに『近世ヨーロッパ』の再校ゲラ戻し、図版初校戻しを渡して、この世界史リブレットについて基本的にぼくの仕事はほとんど片付きました。今の時点の奥付には11月20日刊行*とあります。【*念校にてこれは、11月30日刊行、となりました。 → 実際の製品、カバー写真については こちら。】

専門書ではないので、想定読者は高卒~大学に入学したばかりの一般学生から専門外の先生方です。ですから、序の「近世ヨーロッパという問題」は、高校世界史の筋書、またテレビ番組の語りから説きおこし、「中世と近代の合間に埋没していた16~18世紀という時代が問題なのだ」と提起します。「1500年前後の貧しく貪欲なヨーロッパ人は荒波を越えて大航海に乗り出したのだ」がその理由は、何だったのか。「アジアとヨーロッパの関係は1800年までに(本書が対象とする期間に)大変貌をとげた」、どのように? なぜ?

想い起こすに、2000年前後の二宮さんは個人的な場で、当時勢いのあったアジア中心史観に不満を洩らし、「いろいろ言っても結局、ヨーロッパ人がアジアに出かけたので、アジア人がヨーロッパに来たのではない」と呟かれました。社会史・文化史・「‥‥的転回」の旗手も、やはり戦後史学(あるいはフランス人のヨーロッパ史)の軛(くびき)というか轍(わだち)というか、大きな枠組のなかで考えておられた。ぼくの二宮さんにたいする違和感の始まりは、1) フランス人的なドイツ的・イギリス的なものへの(軽い)偏見でしたが、続いて、2) 日本もアジアも遅れているという「感覚」でした。

『近世ヨーロッパ』は、こうした二宮史学(が前提にしていたもの)を十分に評価した上での批判、そしてフランス史(およびフランス中心主義)の再評価と相対化の試みです。
もう二つ加えるとすれば、α.ピュアな人々(ピューリタン、原理主義者、革命家)の相対化、中道(via media)と jus politicum を説いた「ポリティーク派」、徳と国家理性を論じた人文主義者たちの再評価ですし、またβ.じつは近世史の戦争と迷走の結果的な知恵としてとなえられる、議会政治の再評価、です。

だからこそ、ヨーロッパ近世史の転換期(含みのある変化のあった)17世紀を危機=岐路として描きました。よく言われる「30年戦争」「ウェストファリア条約」もそうですが、さらに決定的なのは、1685年のナント王令廃止 → ユグノー・ディアスポラ → 九年戦争 → 名誉革命(戦争)という経過ではないでしょうか? これはオランダ・フランス・イングランドの間の競合と同盟にもかかわり、p.56~p.68まで使って、本文は全88ぺージですので、かなり力を入れて書いています。
「イギリスは‥‥世紀転換期の産業革命に一人勝ちすることになる」(p.86)とか、「近代の西欧人は、もはや遠慮がちにアジア経済の隙間でうごめくのでなく、政治・経済・軍事・文明における世界の覇者としてふるまう。その先頭にはイギリス人が立っていた」(p.88)といった締めのセンテンスに説得力をもたせるには、17世紀の経済危機ばかりでなく政治危機をもどのように対策し、教訓化し、合理化したのか。「絶対主義」的な特権システムなのか、議会主権的な公論・合意システムなのか。この点を明らかにしておく必要がありました。

たしかに20代のぼくが読んだら、これは驚くべき中道主義、議会主義史観で、唾棄すべし、とでも呟いたかもしれない。それはしかし、青く、なにも歴史を知らない、観念論(イデオロギー)で世界をとらえていた、ナイーヴな正義観の表明でしかなかったでしょう。We live and learn.

2018年9月27日木曜日

木谷勤さん、1928-2018

木谷先生が亡くなったと、昨日、知らされました。
1928年4月生まれですから、90歳。

名古屋大学文学部で、北村忠夫教授の後任としていらっしゃり、1988年3月まで同僚でした。そのときの名大西洋史は4人体制(教授二人、助教授二人)で、年齢順に、長谷川博隆、木谷勤、佐藤彰一、近藤、そして助手は土岐正策 → 砂田徹と替わりました。志摩半島や、犬山ちかくの勉強合宿にもご一緒していただきました。
それよりも、名大宿舎が(鏡池のほとり、桜並木の下の)同じ建物の同じ階段、3階と1階の関係とあいなりましたので、その点でもお世話になりました。お宅でモーゼルのすばらしく美味しいワインを頂いたこともあります。福井大学時代の Werner Conze 先生のこととか、いろいろ伺いました。

何度も聞いた、忘れられない逸話は、戦争末期のやんちゃな木谷少年のことで、高等学校に入ったばかりだったのでしょうか。高松の名望家のぼっちゃんで、成績もよく、理系でした。空襲警報が鳴ると、いつもお屋敷の屋根に上って、阪神方面に向かう高空の米軍機を遠望し、「グラマン何機飛来」とか、今日は「B29何機」と大声で下の人に向けて告げるのを常としていた、といいます。
ところがある日、ふだんと違って飛行編隊の高度があまり高くなく、こっちに向かってくるではありませんか。爆撃機が機銃射撃しながら近づいてきたと認識した途端、身体に痛みを感じ、屋根から転落した木谷少年は、その後、数日間意識不明だったといいます。気付いてみるとみんなが心配してのぞき込んでいた、そして左腕は切断されていた。
木谷少年も、こうして高松空襲の犠牲者で、さいわい命はとりとめましたが、両手を使っての実験はできないので理系の道はあきらめ、戦後、文系、しかも西洋史・ドイツ近代史を専攻することになったわけです。(「花へんろ」の早坂暁と1歳違いですね。松山と高松という違いもありますが。)

山川出版社の旧『新世界史』の改訂版、および『世界の歴史』を出すための編集会議(2000年ころ)でご一緒して、そうです、ぼくの原稿が従来の謬見のまま、プロイセンおよびドイツ帝国について権威主義・軍国主義の中央集権国家*、と書いてるのを、そうではなく連邦主義の複合国家だと言ってくださり、誤りの再生産を防いでいただきました。
なおロンドンのベルサイズ(ハムステッドの手前)にはお嬢さん一家が滞在中のところ、ご夫妻で寄寓ということでしたが、ニアミスで残念でした。
ご夫妻と直接お話ししたのは、2008年の松江が最後だったでしょうか。いただいたお年賀状は去年のものが最後となりました。

* 近代ドイツを中央集権国家というイメージで語りたがるのは、いつの誰からでしょう? 伊藤博文・大久保利通以来、明治~昭和のオブセッション? 関連して「30年戦争」以来、ドイツはバラバラで荒廃した、といった定型句もありました。坂井榮八郎さんの『ドイツ史10講』(2003)が徹頭徹尾、こうした中央集権(を目標とする)史観に反対しています。

2016年6月22日水曜日

古谷・近藤 (編) 『礫岩のようなヨーロッパ』 (山川出版社)


お待たせしています。6年間の共同研究の成果(途中経過報告)ですが、ようやく索引の校正を終えて、責了です。
目次は、こうなっています(簡略表記)。

序章 礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題        近藤 和彦

第Ⅰ部 政治共同体と王の統治
1章 複合国家・代表議会・アメリカ革命 H. G. Koenigsberger(後藤はる美訳)
2章 複合君主政のヨーロッパ      J. H. Elliott(内村俊太訳)
3章 礫岩のような国家        Harald Gustafsson(古谷大輔訳)

第Ⅱ部 礫岩のような近世国家
4章 ハプスブルク君主政の礫岩のような編成と集塊の理論 中澤達哉
5章 バルト海帝国の集塊と地域の変容           古谷大輔
6章 ヨーロッパのなかの礫岩              後藤はる美
7章 複合国家のメインテナンス             小山 哲
8章 スペイン継承戦争にみる複合君主政         中本 香

序章につづき、翻訳3本、論文5本の力作揃い。
吉岡・成瀬(編)『近代国家形成の諸問題』(木鐸社、1979)以来の研究史的なパラダイムの、今日的な刷新であり、また最近の岡本(編)『宗主権の世界史』(名古屋大学出版会、2014)や池田・草野(編)『国制史は躍動する』(刀水書房、2015)の向こうを張る出版です。これでお終いではなく、これからも続く共同研究です。
11ページ・2段組の索引を( → で示した参照項目も)しっかり利用して、ご精読ください。7月中旬に、山川出版社から本体定価3800円にて刊行予定です。

2016年5月17日火曜日

日産ゴーンと 礫岩のような複合企業

 今朝の『日本経済新聞』電子版によると、
「日産、1000万台クラブへ。仏ルノーやロシアのアフトワズなどとアライアンス(提携)を駆使し、競争力を高めてきたゴーン氏。三菱自動車を事実上、傘下に組み入れ、提携戦略は新たな局面に入る。ゴーン流 連 邦 経 営 に死角はないのか。」
http://mx4.nikkei.com/?4_--_48696_--_962477_--_2
 合同や吸収合併でなく、アライアンスとか連邦経営といった語がふだんから国際企業の経営について使われているのか。知りませんでしたが、しかし、今回の三菱自動車の不正事件から急転直下、ゴーン日産の積極的な出資と提携によって、コングロマリット (conglomerate: 国際複合企業)であることをさらに推進するという戦略は、さらに鮮明になりました。
 6月に刊行される編著『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)はあくまでヨーロッパ近世史の共著です。
〈近世ヨーロッパの「国のかたち」が歴史学を動かす〉
というキャッチの論文集で、公共善と秩序を、絶対主義と帝国を問題にしますが、その序章「礫岩のような近世ヨーロッパの秩序問題」p.16では、Oxford University Museum におけるポルトガル出自の礫岩標本 =カラー写真をカバーに用います= を掲げたうえで、こう書きました。
図1の標本は「‥‥1580年前後のイベリア半島の礫岩状態を考える場合にも、あるいはポルトガルから独立したブラジルに生まれ、レバノンで育ったフランス人、カルロス・ゴーンが社長を務める国際複合企業「ルノー=日産」を見る場合にも示唆的」だと。
 J. H. エリオットにならって、ぼくだけでなく本書の共著者はみんな、法的に対等な合同(連邦)と従属的な合同(併合)という2つの型、を区別して討論しています。もし連邦経営という語が、今日の経営学でふつうに用いられる語なのだとしたら、それにも言及すべきだったかな。
 上の引用文を書いた12月には、三菱自動車がこんなことになって、それに乗じて日産がアグレッシヴに Unus non sufficit orbis という世界戦略を鮮明にするとは予想もしていなかったのですが。かくして礫岩、コングロマリット、国際複合企業は現代的なキーワードでもあります。山川出版社さん、初版部数について、定価について、(ゴーンに倣えとまでは申しませんが)いま少し積極的に出ても良いんじゃないでしょうか?

2015年11月24日火曜日

フランス革命とパリの民衆


 松浦義弘『フランス革命とパリの民衆:「世論」から「革命政府」を問い直す』 (山川出版社)を落手。
 A.ソブールを実証的に批判しようとする立派な分析の書と受けとめました。とはいえ、マイナーながら2つ不満があります。
1) ソブール批判といっても、その実、柴田三千雄、遅塚忠躬の歴史学のもっとも枢要な部分への疑問/批判なのだということを、どこかで、とくに註18の前後にあたる本文(p.11)で明言すべきでした。でないと、日本語で出版することの意味が半減してしまいます。
2) よほどの理由がないかぎり本のタイトルに「 」を用いることにぼくは反対です。タイトルに使う語はほとんどすべてキーワードであり、概念であり、その内実を議論するために本を/論文を公にするのです。そのことを読者に喚起するのに「 」が必要というなら、「フランス革命」も「民衆」もそうでしょう。pp.6-8で「サン=キュロット」と表記されているように。もしや「ソブール」も?
 これはナンセンスで、昔の東大本郷のだれかが『週刊新潮』かなにかに影響されて始めた悪弊で、野暮を通りこしています。どうしても必要な『「パンセ」を読む』といった場合以外はカッコなど付けなくても、しっかり論じられるはずです。書物における品格も考えたい。
 
 近藤の名も言及していただきましたが、念のため、ぼくは1976年「民衆運動・生活・意識」から E. P. トムスンのモラル・エコノミー用語には疑問をもっており、その旨『民のモラル』初版【山川版 巻末 p.16】でも指摘しておりました。昨年〈ちくま学芸文庫〉から新版を出せたので、あらためて誤解の余地のないように修文しました【p.342】。柴田三千雄、山根徹也とは違いますので、お検めください。

 なおまたこの機会に、フランスとイギリスの関係【両革命の異同 pp.134-5;競争的交流 p.169;2つの近代のわたりあい p.205, etc.;ワイン pp.14, 63, 172, 180, 184, 232 ... 】についてイギリス史10講でも繰りかえし述べましたので、ご笑覧ください。さいわい増刷が続き、細かいながら改良を重ねています。

2015年9月4日金曜日

鶴島博和 『バイユーの綴織を読む』


待望の『バイユーの綴織を読む - 中世のイングランドと環海峡世界』(山川出版社)
を手にしました。
綴織(つづれおり)の写真はすべてカラーで、関係史料をていねいに訳出しつつ対照するという編集。
ぼくの『イギリス史10講』pp.35-40あたりで書いたことに比べれば、当然ながら、はるかに叙述の細部にも、研究史的にいろいろな配慮が行きとどいていて、すばらしい。モチーフは、ただ「ギヨーム公がハロルド簒奪王を追討することの正当性」だけでなく、むしろ「ハロルド王の悲劇」をうたいあげた物語なのかもしれない。鶴島さんは、ハロルドの死についても、制作過程についても、よくわかる説明を加えています。

詳細な索引もついて、332+ページで 4600円という信じられない定価! 山川出版社としても「売れる」という確信を得たわけですね。
著者が「出版企画をもちこんだのは、30年近く前のこと」という豪傑ぶりですが、「日本語で書こう」(p.331)と方向転換するまでが大変なんだな。ぼくも肩をたたかれたような気がします。

謝辞には「神経的多動性症候群」と書き付けておられますが、
こういった作品を産んだのなら、それも悪くはないじゃないですか! 
若手のうちでも、成川くん、内川くんが少しはお手伝いできたとしたら嬉しいかぎりです。

2012年9月28日金曜日

『民のモラル』 並製版


〈歴史のフロンティア〉の初版は1993年11月でした。それからじつは2刷、3刷と 微細ながらも数々の訂正改良を重ねてきていますが、近年は版元品切れ。欲しい人は古書市場でどうぞ、という情況でした。

 しかし、今回立正大学で後期の教科書として指定するにあたり、せいぜい数部(10冊以内)しか間に合わないのでは授業にならないので、山川出版社と相談して、オンデマンドの「並製版」を作っていただきました。9月20日付。

初版第3刷と同じ形態・版面。ただしカバーに表示する定価について、消費税制の変遷にともない、内税でなく外税で
「本体2600円+税」
という表示に変わりました。

しっかりした厚紙の表紙から並製=ペーパーバックに変わったのですが、表紙の図柄(ホーガースの油絵と銅版画)は元のまま。内部も元のまま(ただし、ほんの少し色濃く=しっかり印字されている?)。 230-231ページ、ブリューゲルの版下のみ、ひそかに取り替えました。白黒でも見やすいようにという配慮です。本全体の厚みが減って、また表紙が bendable なので使いやすいという声も。

2012年4月28日土曜日

『フランス革命はなぜおこったか』(山川出版社)

柴田三千雄先生の遺著、〈フランス革命史再考〉の三巻本のうち第一巻だけですが公刊されました。 cf. 『史学雑誌』120-7(2011年7月).
予告されていた『革命はなぜおこったか - フランス革命史再考』というタイトルは、最終的に上のように変更されました。
 練りに練ったクールな文章で、著者がなにを考え、なにを伝えたかったかがよく分かる。 弟子の福井さんとぼくの協力による共編ですが、若いアンシァン・レジーム研究者の支援により、細部にも気の配られた本となりました。ご覧ください。

2011年11月2日水曜日

歴史のフロンティア

 第20巻は、本村凌二『帝国を魅せる剣闘士』(山川出版社、2011年10月)

 おもえば1993年11月の発刊以来すでに18年。時代も変わりましたが、よくもまぁ <歴史のフロンティア> 計20の巻が続きました。菊地信義さんの装幀で、定価2700円~2800円。『民のモラル』と『ルターの首引き猫』が最初の2巻でしたが、当時の大新聞の書評氏たちは一知半解の評言を加えたものでした。
 編集者さん、お疲れさま。

2011年7月21日木曜日

『イギリス史研究入門』 2刷

 まったくお待たせしました。『イギリス史研究入門』の2刷、ぼくの手元にはようやく昨日落手しました。

 第2版ではないので、初版1刷と外観は変わりませんし、ページだても同じです。しかし、当然予想されるように第7章の終わりかた(p.179)、第12章の終わりかた(p.293)、そして第二部に2010年、2011年刊行の本がいくつも補充されるといった追補があります。じつは、それ以外にも p.236 の地図や巻末付録、そして全巻におよぶ修文など、細々した補正がいっぱい。

 たとえば p.315 を見ていただいて、これだけ文献・リソースを充実させながら、しかし、1刷と同じく、第二部は p.379 で余白を確保しつつ終わる、といったことがどうして可能なのか。いろいろ点検して、小さな発見を続けてくださいな。