2024年12月20日金曜日
ナベツネと東京高校
2011年に亡くなった柴田三千雄さんと同い年です。そればかりか、旧制東京高校で同級生、学徒援農で、信州の農家に泊まり込み、なにかでお腹を壊して苦しんでいたところ、ナベツネに背負われてその農家まで帰ったことがある、というエピソードを聞いたことがあります。
昭和20年春に二人とも東京帝大文学部に入学、ただちに徴兵されて、ナベツネは茨城へ、柴田さんは習志野へ。8月に敗戦、生きて大学に戻り、ナベツネは哲学、柴田さんは西洋史。二人とも共産党に入って、やがて抜けた、という経歴も同じです。(しかしその後は、交遊があったとは聞いていません。)
東京高等学校(東高)は、第一高等学校(一高)と同じく戦前のエリート校ですが、1921年に設立された比較的新しい(大正デモクラシーの)旧制高校で、戦後の学制改革により、一高と東高はともに東大教養学部として(人も資産も)統合されました。
俗に「官僚になって出世するには一高、学者・インテリになるには東高」と語られたようで、シティボーイの通う「ジェラルミン高校」という渾名があったようです。
渡辺、柴田以外に、有名どころの卒業生には、清水幾太郎、森有正、星新一、朝比奈隆、黒田寛一、生松敬三、城塚登、伊東俊太郎、南博、家永三郎、永原慶二、網野善彦、佐々木潤之介、山本達郎、二宮敬、高橋康也、糸川英夫、江上不二夫、小宮隆太郎、矢野健太郎、串田孫一‥‥などがいました。戦後日本を背負った、錚錚たる群像!
東高で英語の教授、松浦嘉一に教わったというのが、柴田・松浦高嶺の友情の始まりのようです。
2024年12月10日火曜日
阿智村と湾岸
寒かった! 清内路(せいないじ)・駒場など guided tour の最中にも、みぞれか雪か、という具合でしたが、夜の懇親会は村長さんとご一緒。その翌朝、早めに起きて窓外をみると、阿智川の上を雪が舞っています。今季の初雪とのこと。
2日目は充実した報告・討論を聞いて、夕刻の恵那山の上に半月を見て、高速バス・新幹線を乗り継ぎ、日曜遅くに帰宅。翌月曜に外に出ると、こんなにまぶしい陽光。隅田川大橋から永代橋、佃の高層住宅群をのぞむ光景ですが、信州と東京湾岸の違いは大きい。
2024年11月17日日曜日
山の上ホテルの記憶
1960年代に、学生のぼくにとっては、御茶の水駅から明大ブントの大きな立看群をすりぬけて、駿河台下・神保町の古書店街に下るその前に、右手にのぼる坂道があって、その奥に見える独特の洋館、不思議な、縁のない建物でしかなかった。
初めてその建物に入ったのは、正確にいつだったか覚えていません。でも、1987年にある出版社の編集部長と取締役が、(まだ名古屋にいた)ぼくを招いて企画にオルグしようとしたときの現場が、このホテルのロビーだったことは、そのときのお二人の表情までふくめて確かに覚えています。文人のホテルということは、そのころまでに認識していて、まさかここで将来、館詰めにされるんじゃないだろうな、と半分マジメに思ったものです。
【幸か不幸か、流行作家ではないので、その後にも、他の旅館もふくめて「館詰め」の上げ膳下げ膳で原稿執筆したとかいった経験は、ありません。あるのは、大学の自分の研究室で、原稿についてのヤリトリの後、編集者が「わたしは他の仕事を片づけながら待ちますから」と言って鞄からなにか書類を持ちだして、ぼくに背を向けて仕事を始め、数時間すわりこんでしまった。ぼくは机のパソコンに向かって文章をひねり出すほかなかった‥‥といった程度の経験です。】
次に覚えているのは、1989年9月の「フランス革命200年」の研究集会の折です。(組織責任者の遅塚さんが、ランチは「山の上」の中華、と指定なさって)柴田、二宮、樋口、ヴォヴェル、ルーカス、ハントといった先生方と一緒に、本郷からタクシーに分乗して、Hill Top 1階の中華料理に行って着席したのですが、遅塚さんは実務関連かなにかで到着がかなり遅れました。まぁよい、先に注文、乾杯だと柴田さんの音頭で、英仏チャンポンの談笑が始まったのですが、壁の大きな水墨画に添えられた漢詩には何が表現されているのか、とたしかリン・ハントから質問されて、日本人全員で四苦八苦、冷や汗をかいたのです。しばらくしてようやく遅塚さんが到着。白文を読む遅塚さんにとっては何でもない漢詩で、一挙に解決‥‥、といったこともありました。
この経験から後は、なんとなく気取った二次会には最適な場所、ということで、ワインを飲むためだけに数人で「山の上」のバーに行く、といったことも90年代にはありましたね。2000年をこえると、そうした luxury は縁遠くなったような気がします。他にもいろんな場所ができたから、ということもあるかな。
1937年創建の建物が、2024年にもとの明治大学に戻って改装、再利用されるというのは、めでたいことです。機会があれば、再訪してみますか?
2023年9月20日水曜日
往路と帰路
Mapを見つめていましたら、イスタンブル、アンカラあたりの上空に達し、これは大丈夫かも、というので、睡魔に身を任せることにしました。数時間後に目覚めてみると、なんと飛行機は北京・天津・大連あたりを飛んでいます。
結局は、西ヨーロッパからイスタンブル経由で、東へ東へと向かうというのは「一帯一路」というイメージでしょうか。イギリスでも中国人のプレゼンスは色濃かった!
最後は、房総半島からぐるっと回って、東京の北から山手線に沿って、新宿・渋谷・大崎の真上を飛んで羽田に着陸しました。
蒸し暑い! でも想像したほどひどくはない。
というわけで、また日本時間の生活に復帰しました。
2023年9月4日月曜日
フライトの不思議
東京から(シベリア・スカンディナヴィア経由で)ロンドンまでの直行便の飛行時間はかつて11時間(ロンドンから東京に向かう場合は偏西風に乗るので、もっと短かい)。それが戦争の影響で今では14時間半とのこと。
日本は戦争当事国ではないとしても、ウクライナ支持を明確にしている「敵性国」なわけだから、ロシア国家として、領空内の日本の民間機の航行の安全は保証しないのでしょう。どのように飛ぶのか、大いに関心がありました。
で、飛行中、(仮眠以外は)窓の外と、座席画面のFlight Mapを注視していました。
羽田を発って、千葉の幕張から霞ヶ浦を越えて、茨城の海岸から太平洋をずっと北上。以前のように日本海には向かわないのですね。それどころか、Flight Mapによると、千島列島の東を北上している! カムチャツカ半島の東側。
そこから、Flight Mapの表示は、信じがたい「奇行」を描きます↓
しばらくして、Mapは合理的な表示に戻り、アンカレッジから北極海へ↓
北極海からグリーンランドへ、そしてアイスランド上空(いつどのようにレイキャヴィクを通過したのかわかりませんでした)から荒々しい奇景を遠望して、なんとスコットランドへ。↓
要するに、昔のアンカレッジ航路を再利用して(ただしノンストップで)、ユーラシア大陸に触れることなく、カナダ・北大西洋を経由してブリテン諸島に到達する、という航路なのでした。ただし、ランカシャ・マンチェスタ・Midlandsは白いちぎれ雲が多く、いい写真は撮れませんでした。LHRには西から着陸。
2023年8月20日日曜日
大手町駅 B7 出入口
①丸の内(正面)側に出るには、改札を出てすぐに「JR東京駅」という指示のとおりに、エスカレータに乗って、その先を歩けば、迷う余地もなく、にぎやかなOazoの地下通路を通って、いつのまにか東京駅丸の内北口付近の雑踏にまぎれこむ、という構造です。これは地下通路も地上通路もあって、ほぼ同じ方角に移動する、一番利用者が多い経路でしょう。
逆に東京駅から東西線に向かう場合は、丸の内北口から丸善Oazoをめざして、それを右手に見ながら「東西線」という指示のとおりに歩けばいいのです(地上でも地下でも基本的に同じです)。
②八重洲口に出るには、大手町駅の改札を出て東西線の電車路の上を(すなわち永代通りの下を)日本橋方向=東にやや歩き、B8b あたりから右折して、あまり人出のない、さびしい昔ながらの「連絡通路」を歩いて、やがて八重洲地下街に到達する、という構造です。
逆方向ですと、東京駅で新幹線を降りて、八重洲口から東西線まで歩く、という人が辿りがちの、あまり楽しくない経路です。
③むしろ新しく - といっても10年以上前に - できた「東京駅日本橋口」にゆくには、大手町駅の改札を出て東西線の電車路の上(すなわち永代通りの下)を日本橋方向=東に向かい、B7 という出口から地上に出ます。そこは超モダンな空間で、新幹線【JR東海、JR東日本とも】の改札口、長距離バスの発着を利用する人びとが多いのですが、天井/空が高いので、混雑感・圧迫感はなく、ぼくとしては気に入っています。時間帯によっては、ツアー団体客や修学旅行客の集合場所として利用されています。
じつは今朝早くに、必要があって、この③の経路を使って東京駅に往復したのですが、ただいま大規模な再開発工事中で、さらに数年後にはすごい空間になるのだなと見上げました。「東京駅日本橋口」から北を見て左側にたつ高いビルが「サピア・タワー」という名の大きな建築で、知識産業が入居しています。何年も前にブレーン企業のセミナーに呼ばれてここの上階で話をしたことがありました。関西の私立大学の東京教室もあります。
このサピア・タワーは朝7時に開館で、それより前の早朝には館内のエスカレータが使えない。したがって東京駅を利用する大きな荷物の旅行客は、永代通りの長いB7階段をエッチラオッチラ利用せざるをえず、これは辛いな、と思わせるところでした。
今朝の帰路に階段で気付いたのは、この写真のとおりの掲示です。
そうか、利用者からの要望が続き、いよいよ、B7の「改良工事」に取りかかるわけですね。とはいえ今年の9月11日~2028年3月とは(5年間!)かなり長い! 近接するB6もB8aも改良工事で閉鎖中、ということは、この近辺の再開発が大規模だということを示しています。同時に、工事閉鎖中の不便もまた大きく、とりわけ東西線の早朝・深夜利用者には影響は少なくありません。
2023年2月4日土曜日
『みすず』誌
2日ほど前に『みすず』no.722 (1・2月合併号) が到着。恒例の「読書アンケート特集」です。これは百数十名の執筆者の読書嗜好とともにその個性、そして現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています。今世紀に入ってからは書き手に加えていただいたので、年末年始の慌ただしい折とはいえ、何をどう書くか、何日か悩むのも楽しい。
今号の場合は pp.98-99 に
・R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』〈ちくま学芸文庫, 2022〉
・David Caute, Isaac and Isaiah: The Covert Punishment of a Cold War Heretic (Yale U.P., 2013)
・G. ルフェーヴル『1789年 - フランス革命序論』(岩波文庫, 1998)
・Oxford Dictionary of National Biography (Online, 2004- )
・S. トッド『蛇と梯子 - イギリスの社会的流動性神話』 (みすず書房, 2022)
の5つをめぐって、ちょっとしたためました。すべて E. H. カーおよび『歴史とは何か 新版』、そして『図書』の連載(『歴史とは何か』の人びと)に、なんらかの側面で関係することばかりです。
同じ『みすず』では、川口喬一さんという英文学者が、『歴史とは何か』拙訳および T.イーグルトンにおける(笑)をめぐって鋭く指摘しておられます。『新版』の訳文および挿入の[笑]について、ここまで的確に受けとめ、評してくださった方は、他になかったような気がします。
「‥‥訳者がおそらく多く意を注いだのは、オックスブリッジでの講演者独特のポッシュ・アクセント(あえて言えば息づかい)の翻訳であったろうと思われる。‥‥当然のことながら(笑)のタイミングは難しい。笑いはしばしば講演者と聴衆との共犯関係、前提の共有によって成立するからだ。カーの立論もまた聴衆との知の共犯関係を前提にして展開されている。共感と逸脱のスリル。」pp.8-9.
そして段をかえて、イーグルトンの講演をめぐって続きます。「‥‥アメリカではしばしば観客を爆笑(笑)させているのに、エディンバラでは、間を置いて待ってもイーグルトンの期待した(笑)が起こらず、講演者が「つまんねぇ客だ」と呟く場面も見える。‥‥この場合、文化の場における共犯関係がすれ違っているのだ。」p.9. 以上の引用文では( )もママ。
川口さんは、1932年生まれとのこと。だとすると二宮、遅塚と同い年で、今、(誕生日前なら)90歳ということでしょうか? 上に引用したより前の段では、鹿島さんの『神田神保町書肆街考』をめぐって、川口さんが北海道から東京に進学してより、池袋・茗荷谷・本郷・神保町をむすぶ都電を愛用して通ったという神保町書肆街のこと、そして戦後の洋書事情が語られています。p.8. この都電は、ぼくが大学に入学したときにはまだありましたが、本郷に進学した68年には無くなっていました。
ところで、この知的で愉快な月刊誌『みすず』が8月で休刊とのこと!? 驚きです。残念です。ただし、この「読書アンケート号は、なんらかの形で継続する予定です」とのこと。p.109. 恒例の楽しみです。どんな形でも継続してほしい!
2022年9月1日木曜日
池袋のジュンク堂
4階にはジュンク堂開店25周年特別企画として「人文学入門の手引」による展示があり、
それぞれ、なかなかの壮観です。
『歴史とは何か 新版』にともなう岩波書店の「特製ブックガイド」23点について、前にこのブログで触れました。 →https://kondohistorian.blogspot.com/2022/08/blog-post.html
「人文学入門の手引」は、7月にジュンク堂からの委嘱があり「歴史学」というジャンルについて5点を推薦ということで、こんな原稿を用意したのでした。
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人文書5冊(歴史学)
1.『翻訳語成立事情』 柳父 章 (岩波新書、1982)
高校3年生や大学1年生が最初に読むべき本。言葉は歴史的に生まれ、使われてきた。「自由」も「社会」も「個人」も「愛」も「彼・彼女」も幕末・明治の東西交流から生まれた。
2.『社会認識の歩み』 内田義彦 (岩波新書、1971)
社会を歴史的に考えるキミのために。マキアヴェリは運の女神は前からつかまえるしかないと主体性をうながし、ホッブズは国家を論じる前に人の感情に立ち入って考える。
3.『歴史学入門 新版』 福井憲彦 (岩波書店、2019)
歴史学をはじめとする学問は20世紀に大きく転換した。今どのような景色になっているか、本書はバランスよく指南してくれる。このあと何を読むと良いか、文献案内もたっぷり。
4.『全体を見る眼と歴史家たち』 二宮宏之 (平凡社ライブラリー、1995)
フランスで生まれ展開したアナール学派。パリで彼らと一緒に史料調査し、議論した二宮による自分ごととしての歴史学。この語りにあなたの心が動かないなら、歴史学はあきらめよう。
5.『歴史とは何か 新版』 E・H・カー 近藤和彦訳(岩波書店、2022)
名著の新訳・註釈付き。「歴史とは現在と過去の対話」、そして「すべての歴史は現代史」といった有名なせりふの意味を知りたければ、これを読むしかない。歴史学入門の仕上げ。
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ところが、内田さんも二宮さんも版元品切ということで、しばらく悩んだあげく、エイヤッと ↓ 写真のように差し替えてみたわけです。
2022年7月1日金曜日
2021年8月19日木曜日
長雨のあとの半月
8月の初めは例年どおり暑かったのですが、10日を過ぎてから異常な長雨で、被害のつづく地域の皆様にはお見舞い申しあげます。東京をはじめ首都圏は長雨で洗濯物が乾かないとか、植木鉢の植物が過剰な雨水で根がやられてしまったとか、いささか悠長な悩みにとどまりました。気温も下がって冷房を使わない日もありました。むしろ、コロナ禍のほうが真剣な問題であり続けています。
そうしたなか、すでに一昨日の夕刻でしたが、久しぶりに青空が現れ、見事な半月が見えました。青空も月も見ない日夜が何日も続いていたので、いささか新鮮な気持で撮影したというわけです。月を単独で撮るというのでなく、都会の空に位置づけた写真とするのは、そう簡単ではありませんね。目視の印象よりデジカメの写真のほうがはるかに明るく写ります。(今晩も、より円みをました月をタワマンを背景に撮ってみましたが、写真としては暈けてしまったので、こちらはボツ。)
2021年7月31日土曜日
Interview with Sir Keith Thomas
やや日時が経ったものですが、2016年3月に日本学士院の招待で Sir Keith がいらしたときに、皆さんの協力で実現した内容充実のインタヴューが収録されている号です。2時間たっぷりでしたから、編集しても pp.33-58 で、かなりの分量です。
小見出しだけでも示しますと、
A Welsh boy
Oxford 1952-57
The year 1956 and after
History School at Oxford
'Women', 'Double Standard' and 'Anthropology'
Years leading up to 1971
Religion and the Decline of Magic
Digitization and historian's métier
British history, history of ideas and cultural history
Historical change and 'how'
The prospect of historical studies/humanities
でした。‥‥オクスフォード内の学寮による空気の違いも、また当然ながら Past & Present 誌のことなども語られています。
1971年の『信仰と呪術の衰退』まででたっぷり立ち入った話になり、時間もそれだけ費やしたので、その後がやや駆け足になったのは反省点ですが、それでも重要な論点は出て、British history についても intellectual history にたいしても ディジタル化、データベース、人文学の意義についても、ご意見を開陳していただきました。当方の異議とのやりとり、関心のズレも明らかにできたかと思います。
(Sir Keith も今年の早春に録音起こしの原稿をご覧になって、あきらかにその充実度に感銘をうけ、さらにそれを確かなものとすべく、しっかり加筆、修文してくださいました。)
1933年生まれ、いま88歳で、ご夫妻ともにお元気なのはうらやましいかぎり。
EAJBH の定期購読者でなく、この号だけを購入したい人は、どうすれば良いのでしょう?
表紙裏の記事からは、
Chief Editor for vol.8: NAKAMURA Takeshi, Hirosaki University, Japan
Place of Issue: Faculty of Humanities & Social Sciences, Hirosaki University 〒036-8560
とのことです。
2021年6月13日日曜日
集団接種に参りました(その2)
【万一の副反応の可能性を考えると、同一日に接種を受けるのは望ましくない、という専門家の助言に従ったのですが、見ていると夫婦で同時に接種を受ける組も少なくなく、ぼくのような判断は少数派かと思われます。そもそもワクチン接種といってもTV報道ではすごく長い注射針を肩に射し込んで、それだけでも恐怖でしたが、やってみると蚊に刺されたよりも軽い刺激で、拍子抜けでした。6時間以上もたって夜に軽い倦怠感のような、ぼんやりした感覚がありましたが、これがワクチン接種のせいか、そもそも暑さのせいか、分かりませんでした。接種した左肩は、今日2日目に軽く痛くなりました。腫れや違和感はありません。】
こうしたワクチン接種がせめて1ヵ月早めの日程で進んでいれば良かったけれど、今のスケジュールでは(65歳以上の希望者のワクチン接種がようやく7月末に完了!? 64歳以下の接種はそれより先!)、そもそも東京オリンピック・パラリンピックの強行は、ほとんどカミカゼ特攻隊的な無理難題ですよ。
今となってみれば、パンデミックのなか東京オリパラをあくまで実行するのは、何のためでもない、①菅政権の延命と、②国際利権法人IOCの強欲のため以外に、どんな目的があるというのでしょうか。医師や免疫学者の進言をないがしろに、みずからの権力と利権に執着するという点で、菅とバッハは共通しています。
JOCや東京都とすれば、開催決定権はIOCに握られ、こちらから中止・延期を申し出れば、即契約違反で、天文学的な賠償金を請求される。それが怖いから、言い出せないのでしょう。
であれば、発想を変えて、逆にこちらから積極的に、人類平和と親善、世界の健康と公共性を根拠に、それを損なおうとするIOCのバッハ会長(Baron Von Ripper-off)を法的に訴える、また国際世論にアピールする、ということを、いま損得経費の仮想計算も含めて、少なくとも思考実験的にやっておく必要があります。
日本側の合理的判断、決意、そして英語の交渉力が問われています!
<『日経』https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE063CK0W1A500C2000000/
<Washington Post https://www.washingtonpost.com/sports/2021/05/05/japan-ioc-olympic-contract/
https://www.washingtonpost.com/world/asia_pacific/japan-olympics-pandemic-vaccines/2021/06/10/
2021年6月11日金曜日
集団接種に参りました
5月17日から予約期間が始まり、区の通知で「ワクチンの安定的な供給が見込まれたことから」65歳以上の集団接種は「最大予約可能人数46,400人分」と明記されていたので、慌てることなく5月18日にPCに向かい、拍子抜けするくらい簡単に予約できました。ただちに自動的に確認メールも来たので、実際の接種まで3週間あまり待ちましたが、安心していました。前日にはリマインド・メールも到来。
これに続き区内医療機関での「個別接種」が始まり、さらにマスコミは政府の大規模接種センター(大手町・自衛隊)による接種を大きく報じました。選択肢が増えたこと自体はよいことですが、これで「浮気して」or「浮き足だって」大規模センターに押しかけ、地域自治体の接種予約をネグレクトする人々の気が知れないと思っています。最近の報道だと、その大規模接種センターがガラガラだというのも問題ですね。早く65歳未満にも接種対象を広げるべきです。
江東区は広いので、集団接種会場は区のスポーツセンター6カ所。接種時間は予約の段階で15分ごとに別けられていますが、到着した人は検温のあと全員屋内の待機室に案内されて、予約時刻が1時間以内の人から奥のホール(アリーナ)へ。老人たちは1時間以上前からやってきたりするので、そのための待機室だったわけです。
ざっと見たところ(撮影は禁止でした!)広いホールでは、15分枠ごとに15人が座って(1人1分という計算)順を待つように椅子が整然とならび、4列×15=60席ではなく、余裕をみて6列用意されていました。うち2列は全空席として、次に受付する該当列とそうでない列とを視覚的にはっきり区別しつつ、同時に席のアルコール消毒や忘れ物確認などをゆっくり施すという方針のようです。
会場には「事務」「責任者」「看護師」といったゼッケンをつけた係員がたくさん。
(郵送された)「接種券」「予診票」
そして本人確認書類
の計3点の必須アイテムを携行しているかどうかは、最初の入館時から、くりかえし再確認されました。実際は順に
「受付」(であらためて本人確認と予診票記載の遺漏がないかどうか形式的に確認)
→ 「予診」(予診票をみながら医師が問診) *
→ 「接種」(別の医師と言葉を交わしつつ) *
→ 接種後の経過観察(15分~30分)
→ 「最終受付」(体調確認と接種券の済証へのシール貼りなど)
と進みました。(2回目の接種予約は1回目に済ませています。)
【* この2つのプロセスのみ個室的に囲ったブースで、他はオープンな空間でした。】
ここまでの人のフローをいかに確実に間違いなく実現するか。これが枢要で、要するに Operations Research (大学一年・林周二先生の授業でやりました)をきちんと具体的に・集団的にやっているかどうかで運用は決まり、ときに報道されているような事故・混乱は防げるはずですね。
なお大学や事業所で集団接種をするというのは、たいへん良いことだと思います。社会的免疫状態(collective immunity)という観点から考えると、なによりも公共的な業務に従事している人、活動的に飛び回っている人からドンドン接種していただくべきでしょう。横並びの順番、平等主義がじつはあまり合理的でない無責任主義だったかもしれない、と再考しておく必要があります。
2021年4月16日金曜日
立正大学のR
峰原坂の正門から入ると変化に気付きませんが、6号館食堂・図書館の脇から山手通りの通用口へ下ると、2019年以来の大工事がすべて完了して、きれいになっています! 11号館と新13号館を合体させて一つの建物であるかのように見せているのですね。
左隣は大崎警察署。あいにくの天気でしたが、違和感のない連続性が示されています。
大学のロゴもいつのまにか「緑のR」から「青のRデザイン」に替わりました(校舎の左壁、そして1階の中ほど)!
2021年3月31日水曜日
2021年1月3日日曜日
謹 賀 新 年
1年前には想像もしなかった変事つづきの旧年でしたね。アタフタと対応しているうちに時は経過し、季節は移ろい、いつの間にかお正月。(雪国と違って)関東平野は寒いけれど無風の快晴がつづきます。パンデミックは収まらないどころか、ますます猛威をふるっています。この1年間の行動は自宅から約30kmくらいの範囲内にとどまり、飛行機を利用しての旅行など遠い昔のことのようです。
そうした中でもITのおかげで遠隔の知友の顔を拝みながら対話したり、会合に参加したりできるのは、小さな幸せです。授業も学会もかえって便利になったかなという印象もありますが、しかし失われたものも少なくない。無駄なソシアビリテやちょっとした所作も大事だったんですね。
そうしたグローバルな非日常のなかでも、古今の書物を読み、書きながら考え、ときには分かった!という気持になれるのは、職業の恵みでしょうか。幸運な人生なのかもしれません!
加齢とともに、時折の知友のやさしさがいとおしく、身にしみますし、家族の生活と健康に思いをめぐらし、‥‥毎日散歩しています。この写真の横綱力士碑の左手にたつ横書の碑には「安政四年正月」とあります。
みなさまも どうぞご健勝に!
2021年正月 近藤 和彦
2020年8月31日月曜日
湾岸の夜景
この夏は、コロナ禍(と日差し)を避けてほとんど毎夜に散歩してきました。歩くコースは四方にあるとはいえ、やはり湾岸らしく、潮の香りがして展望もひらける所に惹きつけられ、この写真にあるような光景を歩くことが多いです。
東京港の入口、芝浦と台場をつなぐレインボーブリッジを遠望し、右手は「パークタワー晴海」と「晴海タワーズ」。紛らわしいけれど、三井不動産と三菱地所が競争的に共存しています(晴海2丁目)。この3棟の先、(ここからはほとんど見えない)オリンピック選手村に直結する一帯(晴海4丁目・5丁目)を Harumi Flag と呼ぶことにしたようです。タワマンの住み心地が良いかどうか、ぼくの好みではないけれど、ただ、周辺の緑地・遊歩道はよく整備されて、気持のよい空間です。むかしはセメント工場があり、はるか亀戸から貨物線が通じていました。
その Harumi Flag の写真を撮った場所を振り返ってみると、こんな具合です(豊洲2丁目・3丁目)。
左から三井不動産が再開発したタワマンと複合商業施設ららぽーと、青く光るのは豊洲の波止場で、かつてすべて石川島播磨造船( → 現 IHI)の敷地でした。それを記念したモニュメントが随所に残っています。右手の明るく大きな建物は、この夏にオリンピックを見込んで完成したばかりの三井のホテル+オフィス棟。
つまり真ん中に(夜は黒く光る)豊洲波止場前の海面をはさんで、三菱地所と三井不動産が対峙する配置です。どちらも海に接する遊歩道に、「ここの標高は5.5m」という同様の道標があり、緑地にはさらに丘のように盛り土した箇所もあり、人工の快適空間。
ぼくは、こういうのが嫌いじゃない。小学2年で千葉の新宿小学校に転校して以来、場所は移動しつつも、日本の高度経済成長と近隣の住環境の大転換とをずうっと目撃してきた世代です。40歳で湾岸は東京商船大学の脇に転居してきたのですが、このときも1988年(バブル最中で)佃の超高層マンションがニョキニョキと建てられ、地下鉄有楽町線が開通したのでした。湾岸の大変貌の画期でした。
2020年6月26日金曜日
川勝 の 勝!
それからは静岡芸術文化大学(木村尚三郎後任)をへて政治にコミットしたようで、2009年の静岡県知事選挙で、(自民党・民主党の支持者を分裂させながら)当選、以後、2選、3選は圧倒的に勝利しています。
一方のJR東海の金子慎社長は、といえば東大法卒、国鉄・JRの人事・総務畑で出世してきたかもしれないが、内向きの能吏で、- そもそも歴代首相とやりあい、英語での交渉もでき、皇室との個人的なつきあいもある川勝知事を相手に -、太刀打ちできるタマではない。
今晩のNHK-TV、7時のニュースでも、川根の水で入れたおいしいお茶を供されて、金子社長が完全に手玉にとられてしまった場面が放映されました【この部分を、9時のニュースでは繰りかえさなかった。NHK幹部の独自の政治的判断≒配慮が介在したと想像されます!】。
問題は、大井川や南アルプスだけではありません。
コロナ禍で「リモート仕事」「Zoom会議」の快感を知ってしまった国民が、はたして、東京-名古屋は40分、東京-大阪は67分、といった恐怖のトンネル続きの「利便性」をこれからも支持しつづけるだろうか。ここは、むしろ東京オリンピックの中止、Aegis Ashoreの中止(河野防衛相の英断)、につづいて、never too late to mend! 電磁気によるリニア新幹線計画じたいを中止するという英断が待たれます。東京首都圏への過度の集中、通勤・出張を再考する好機ですよ、金子社長!
* ウェッジ選書とは、すなわち JR東海きもいりの出版でした! なんという皮肉/めぐり合わせ!
2020年3月6日金曜日
神保町を歩く
コロナウィルス19とスギ花粉の時候がら、「不要不急の外出」は控えていますが、緊急必要のタスクがあれば、それなりの防備をした上で出かけざるをえません。大学にも、量販店にも。しかし一番良いものはやはり神田神保町の古書店街に、ということで、火曜・木曜には久方ぶりに出かけました。
靖国通りに面した2つの老舗店で良い買い物ができました。
崇文荘書店は(坂巻助手、岡本先輩に教えられ)社会経済史も充実して、70年代にはお世話になったものです。書店側でも本の価値がよく分かっていて「ちょっと高め」の価格設定でしたね。今はどうかな。「日本の古本屋」kosho.or.jp というウェブぺージがあって、読者は歩き回らなくても相場がわかる(今では海外の古書店に注文するのも手軽にできる)ということもあり、それなりにリーズナブルな価格設定でなければ、売れません。
田村書店は、仏文の田村先生と関係あるのかないのか知りませんが、フランス文学や古典学に強い店。2階へ上がる階段にも古書が一杯で、階段幅は半分に狭まっている! そういうこともあって、これまでこの書店の2階に上がった覚えがない。今回は「日本の古本屋」で2巻本のラテン語辞典がかなり安く出ていたので、問い合わせたら、まだ在庫、というので飛んで行きました。ご主人とちょっとお話しできたし、なにより1階の和書は、今でも勉強家の学生にとって魅力的な掘り出し場です。
上の両店ではなく、別の古書店の前の歩道で、ちょうど荷車から降ろしているのを見かけたら、なんと西洋近世近代史の(ぼくの蔵書の一部、といっても通る)良い本ばかり複数の山を造っている! 思わず蔵書印かなにか手がかりをと思って手にとろうとしたら、「ダメです、店の中のものだけにしてください」と厳命されてしまった!
春の晴れた午後。まだ日本の書籍市場も捨てたものではない、という気持にさせてもらいました。
(とはいえ、駿河台下交差点付近では、小川町ですが、昔むかしのエスワイルという洋菓子店も、またKKR・気象庁方面へ向かう千代田通りの左手・地下にあった鰻の店も、なくなっています。どちらも最初は柴田先生に連れて行ってもらった店。ずっとご無沙汰していたぼくもいけないのだが、悲しい。)
2020年1月5日日曜日
謹 賀 新 年
旧年は、おかげさまで身辺にあまり大きな変化もなく過ぎました。それでも沖縄で首里城などぐすくを歩き(10月末の炎上には驚き悲しみました)、ブダペシュトやブラティスラヴァ、対馬、青森、水戸に遊びました。それぞれ良き先達のおかげで印象深い経験となりました。なにより古くからの師友に再会し、またいくつもの研究集会で報告者やコメンテータをつとめ、討論に参与できる機会が続いたのは、嬉しいことでした。
華麗ならぬ加齢のすすむにつれ、折々の交わりがいとおしく、このブログに所感をしたためています。
今年も どうかご健勝にお過ごしください。
2020年正月 近藤 和彦
(写真[クリックすると拡大]は晴れて寒い今日、晴海大橋から遠望した豊洲の海辺です。
正面にやや低く4・5層で横に広がるのが「ららぽーと」で、その真ん中に波止場の跳ね橋が見えます。
豊洲の新市場は、画面の右端「ゆりかもめ」の軌道を右手前に延伸した先にあります。)