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2025年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 戦禍や災害がうち続き、政治も危うげな昨今です。みなさま、いかが新年をお迎えでしょう。
 こちらの直近の最優先課題は
「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
の仕上げです。中澤(編)『「主権国家」再考』(岩波書店)は共著者とともに校正中です。その次の仕事『デモクラシー像の更新』も、自分の勉強として、公けの出版として、今から楽しみが一杯です。
 これらにも関連して、昨3月にはオクスフォード、バーミンガム等、9月にはスコットランド(ハイランド)、バーミンガム、ケインブリッジ等に参りました。ワークショップや人びととの再会懇談、文書リサーチとともに、1689年~1746年のジャコバイトの関連史跡を見て歩き、エディンバラでは一つの史料の細部を確かめることができました。ECCOなどディジタル化された画面では(いくら拡大しても)判別不能の、現物を見て触って、はじめて確かめられる特徴や細部など、喜びです。これはカーのいう「史料フェティシズム」でしょうか。
 それにしてもスコットランドのうち、ハイランドとロウランドの違いは、車で巡行してあらためて印象づけられます。北西部の氷期の痕跡、rough で tough な地理・天候とジャコバイトの心性は、無関係ではありませんね!(スコットランド王国には歴史的な大学が4つありましたが、グラスゴー以外は東海岸に偏っています。)
写真はインヴァネス(ジャコバイト最後の戦地 Cullodenの最寄り都市)のあるパブに刻まれていたエピグラムです。
 今年もお元気にお過ごしください。
 2025年正月     近藤 和彦

2023年9月30日土曜日

バーミンガム大学にて

 今回の旅行は、ダブリンに2泊したあとは北アイルランドで4泊、ロンドンで2泊、バーミンガムで1泊、ロンドンで6泊、とたいへん忙しく機動的に動きました。
 バーミンガムは1982年以来です。New Street駅の近く、Town Hall(ヘレニズム様式!)やミュージアムのまわりは新しい建物が増えたとはいえ、基本は40年前と同じ。丘あり沢ありで起伏の多い街に、運河が行き渡っているのが印象的。全国的な運河網のハブだ、という歌いこみで、歩くにも飲食するにも楽しい環境を整備しています。
 今回の目的は大学図書館の Special Collection 所管の Papers of E H Carr です。New St.駅から University Stationへの鉄路も、他ならぬウスタ運河に沿って建設されています。産業革命の運輸は鉄道ではなく、運河だったという事実をみなさん、忘れがちです。18世紀後半から運河建設・改良は進み、鉄道建設は1825年/30年から始まる、というのは厳然たる事実です。ウェジウッドの陶磁器を鉄道でガタゴト運ぶわけにはゆきません。運河網を利用してリヴァプールにもロンドンにも、またその先の海外にも安全確実に運送できたのです。『イギリス史10講』pp.189-191.
 
 で、その運河脇の University駅に着くと、ホームで迎えてくれたのは、このジョーゼフ・チェインバレン。「エネルギーと人間的磁力」にあふれた美男、あの富裕ブルジョワのお嬢さんビアトリス・ポタの胸を焦がした「一言でいうと最高級の男性」です。バーミンガム市長、選挙権が拡大する時代の自由党の「将来の首相」。『イギリス史10講』pp.239-240.しかしベアトリスと別れ、1886年にグラッドストン首相と対立して自由党を割って出たチェインバレンは、civic pride のバーミンガム大学の初代総長にも就いていたんですね。市中でも大学内でもチェインバレンの存在感は大きい。
 広い空が広がるバーミンガム大学のキャンパスは、なぜか名古屋大学のキャンパスを連想させるところがあります。名大より広く、緑も多く、モニュメントも多いけれど。
 その北寄りの Muirhead Tower(ULとは別の新建築)に Cadbury Research Libraryと称する特別コレクション、手稿、稀覯本の部門があり、前週にインターネット予約をしたうえで参りました。最初の手続、確認を済ませたうえでアーキヴィストに導かれ、おごそかにドアの中に入ると、すでに予約した手稿の箱3つが待っていました。
 
 そこでは、こんな鉛筆書きのメモ(Last chapter / Utopia / Meaning of History)やタイプの私信控え etc., etc.を(座する間もトイレに行く間もなく)立ったまま、次から次に読み、写真に撮り、ということでした。各紙片に番号は付いていないし、また(私信や新聞雑誌の切抜きを除くと)日付もないので、取り急ぎのサーヴェイでは、全体的にきちんとした印象はむずかしい。それにしても、『歴史とは何か』第2版(M1986, P1987)における R W Davies の「E・H・カー文書より」(新版 pp.265-311)はかなりデイヴィス自身の問題意識に沿った引用・まとめであり、それとは違うまとめ方も十分にありうると思われます。たとえば、新版 pp.288-295では、70年代のカーの社会史・文化史への関心は十分に反映していませんでした!

2022年2月10日木曜日

羽生結弦の悔し涙

冬季オリンピックにおける氷上の不運を省みて、
 「どんなに努力しても報われない努力ってあるんだな
と。たしかに人生の一つの真実かも知れないし、とりわけ勝負の世界ではそうなのでしょう。ただ、「塞翁が馬」という格言もあります。彼のまだまだ長い人生においては、この北京こそ、わが人生[の地平]が広がる画期だったと言えるようになるかもしれない。
 めげることなく、しっかり生きてほしいと思います。

 かく言うぼくも立派な人生を歩んでいるわけではありませんが、70歳を越えると、人の恩をしみじみ感じる機会も少なくありません。
 大河内一男(1905-1984)の収集したホーガース版画コレクションがあって、それが東大経済の図書館に寄贈されたとは前々から聞いていました。先月、それを初めてゆっくり拝見しました。幸か不幸か、東京の Covid 感染者が1日900人台(全国で数千人台)に留まった最後の日でした! 翌日から急に東京は2000人を突破、全国は1万人を突破したのでした。  思っていたより良い状態の版画で、紙質も含めて、写真や刊本で見るのとはリアリティが違いました。18世紀の庶民たちはこれを見ながら、このオランダ商人はダレのことだ、この職人はあいつにソックリ、この牧師は笑わせる‥‥と口々に思ったことを言いながら、興じたのです。 「わたしの絵は、わたしの舞台であり、男女はわたしの俳優で、一定の動きや表情によって黙劇を演じるのです」 というホーガースの自信作。「疑いもなく卑猥」な「一代の奇傑ホーガース」について、3月に語る機会をいただきました。色々の方々の口添えがあってのことらしく、ありがたいことです。
 文化も経済も政治も転変する18世紀のイギリスは、大河内一男の『社会政策』上下巻(有斐閣)の重要な舞台ですが、当時の日本の学者にはイメージを結びがたい時代でもあったようです。大塚久雄や他のピューリタン史家たちと異なる時代像を求めてレズリ・スティーヴンに頼ったこともあるとか。 ぼくたちには、どうしても「1968年の東大総長」という事実が先に立ってしまうけれど、その前の学者としての大河内に、ホーガースの版画はどんなインスピレーションを与えたのでしょう。

 アダム・スミス文庫100年の記念事業です。↓下記のとおり。
東アジアへの西欧の知の伝播の研究
2022年3月11日(金)13:30-16:00
【開催方法と申し込み】Zoom によるオンライン開催
 参加希望の方は 2022年3月10日までに以下の URLよりお申し込みください。前日までに接続先をメールでお知らせします。
https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/tZYuf-6pqT0rH9NhqqRu2JEAdR7ZEaU6x89v 
プログラム
 13:30-13:40 開会挨拶・趣旨説明:野原慎司(東京大学准教授)
 13:40-14:40 報告1:東田 雅博(金沢大学名誉教授)
    「東アジアの文化の西欧への衝撃と受容――シノワズリーとジャポニスム――」
 14:40-14:55 休憩
 14:55-15:55 報告 2:近藤 和彦(東京大学名誉教授)
    「一代の奇傑ホーガース」
 【各報告には質疑応答の時間を含みます】
 15:55-16:00 閉会挨拶:石原俊時(東京大学教授)

2021年11月10日水曜日

海域史・華人史研究からみたFO 17 と『英国史10講』

§ 今日(10日)午後に、Gale(Cengage)の催したウェビナーで、村上衛さんのお話を視聴しました。
 https://www.gale.com/jp/webinar
イギリス外務省文書 FO 17, Foreign Office: General Correspondence から19世紀半ば=とくにアヘン戦争後=の海域史をみると、どんなことが浮き彫りにされるのか、この史料にどういった利点があるのか、たいへん具体的でよくわかるお話でした。
「中国史」の相対化はもちろん、海賊史、海難史、またイギリス帝国史も相対視されて、気持よいくらい。ウェビナーなので、該当する史料の例示もテキパキと行われて、白黒の紙媒体で行われていた20世紀の研究報告から、はるか別の環境へとやって来たのだなぁと感心。
海域における海賊行為とその取り締まりを実質的に(無料で)下請けしていたイギリス海軍のはたらき、その事実を清政府は看過したか黙認したか、といった微妙なことさえ考えさせられました。

§ そこで連想したのが、わが『イギリス史10講』の中国語版です。『英国史10講』というタイトル。今年の7月に、何睦さんの訳で中国工人出版社から出たということです(著者献本がつい先日到来したばかりです)。

残念ながらぼくは現代中国語は読めず、乏しい漢文的知識で辿るしかないのですが、各講の最初の年表も含めて忠実に訳してくださっているようです。巻頭の年表を見ても、
  2017年  脱離欧盟(EU)談判開始
という10刷(2018)の修正加筆が反映されています。 サッチャ、ブレア、チャーチル、ケインズなど固有名詞がどう表記されるのかも新鮮な印象。写真もすべてキャプション付きで掲載されて、全体的に良心的な翻訳かなと思います。

唯一、アヘン戦争に関係して1840年4月8日、議会におけるグラッドストンの反対演説をそのまま引用した箇所:
「たしかに中国人は愚かな大言壮語と高慢の癖があり、しかも、それは度をこしています。しかし、正義は中国人側にあるのです。異教徒で半文明的な野蛮人たる中国人側に正義があり、他方のわが啓蒙され文明的なクリスチャン側は、正義にも信仰にももとる目的を遂行しようとしているのであります。‥‥」【岩波 p.211;工人出版社 p.251】
この引用文はそっくり削除されて、地の文だけで「舶麦頓的 "非正義且不道徳的戦争"」へと叙述が続いています!(このブログでは現代中国の略字体は日本語活字で代用)
ぼくはグラッドストンの論法(上から目線)が独特で重要だと考えたからこそ、これを議会議事録(ハンサード)から引用したのですが、たしかに中国人読者にとっては不愉快な記述ですね。そうした配慮で削除されたのでしょうか?

しかしながら、同じ中国に関する記述でも、20世紀に入って:
「イギリスの中国権益は上海に集積していた。‥‥[このあと中略することなく逐語的に訳したうえ]イギリスは「条約を遵守させることが非常に困難」な中国よりは、日本に宥和政策をとることによって権益を保持しようとした。法の支配、私有財産、自由貿易といった基本について大きく隔たる中国側にイギリスが接近するのは、1931-32年(満州事変、上海事変)以後である。」【岩波 p.266;工人出版社 p.314】
といった中国人の読者にとって愉快ではないだろう段落も、「正如后藤春美所言‥‥」と忠実に訳してくれているようです。ただし最後の満州事変、上海事変は「九一八事変、八一三事変」と表現されていますが、これは中国の読者のためには自然な言い換えでしょう。
というわけで、上のグラッドストン演説の件については不明なところが残りますが、翻訳の話が浮上してから、順調に翻訳出版が実現したことには感謝しています。
これまで『イギリス史10講』をはじめとして、書いたり発言したりするときに近隣諸国にたいして特別の遠慮をすることも、自制することもなかったのですが、このような中国語訳をみて、あらためて自分の文章を客観視できました。Sachlich であることの合理性にも思い至りました。

2021年6月22日火曜日

パブリック・ヒストリー?

19日(土)の歴研・総合部会ウェビナー「デジタル史料とパブリック・ヒストリー」は、ジェイン・オールマイア(TCD)のお話が手慣れて明快だったし、いくつも論点が明示されて意義ある研究会となりました。
コメンテータのお一人が事前のパワポでたいへん重要なことを言ってくださっていたのに、当日欠席で、討論できなかったのは残念でした。ぼくとしても「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」『歴史学研究』1000号(2020年9月)よりさらに一歩踏み込んで議論すべきことがありました。

個人的感想としては、1994年以降のアイルランド和平交渉が進んだ中で I. Paisley のような長老派ユニオニスト(宗派主義右翼)が、オールマイア・パワポでも紹介されたような、2010年10月22日の発言(演説)をしたことが決定的に重要だと思います。
. . . A nation that forgets its past commits suicide.
サッチャ時代の荒廃をなんとか癒やし矯正すべく、そのための環境作りをした保守党メイジャ、労働党ブレア政権をいま再評価すべきでしょう。

宗派主義にたいして世俗合理的に考え、かつ影響力をもつ人の働きが決定的に重要となる局面が歴史にはあります。1598年のアンリ4世、1919-48年のガンディ
日本では1990年代後半に、80台後半だった林健太郎さんが「日中戦争は侵略戦争であって、いかなる意味でもそれは否定できない」と他ならぬ『朝日新聞』に寄稿したことを想い出します。お弟子さんたちが「これはすばらしい遺言だ」と感激していました。欲を言えば、参議院議員をしている期間に、国会での演説として議事録に刻みこみ、広く国際的な物議をかもしてほしかったですね。

なお Jane Ohlmeyer については、今年初めの「フォード講義」@Zoom
Ireland, Empire and the Early Modern World ↓
https://www.rte.ie/history/2021/0304/1201023-ireland-empire-and-the-early-modern-world-watch-the-lectures/ (梗概と動画50分×6)
そして新聞などでの積極的発言 ↓
https://www.irishtimes.com/opinion/ireland-has-yet-to-come-to-terms-with-its-imperial-past-1.4444146 
が、とても好ましい。マスコミがそれだけ知識人を大切にしている文化の現れでもあり、日本におけるぼくたちの側の工夫が不足していることの現れでもありますね。

2021年6月16日水曜日

デジタル史料とパブリック・ヒストリー

デジタル史料とパブリック・ヒストリー 1641年アイルランド反乱被害者による証言録取書(1641 Depositions)
歴史学研究会の総合部会・例会として催されます。 → http://rekiken.jp/seminars/Sougou.html

日時:2021年6月19日(土) 15時00分~18時00分
報告:ジェーン・オーマイヤ Jane Ohlmeyer(ダブリン大学トリニティ・カレッジ TCD)
コメント:勝田俊輔、吉澤誠一郎、後藤真
通訳・運営協力: 槙野翔、正木慶介、八谷舞

参加形式:ZOOMウェビナー
*次のGoogleフォームから、6月16日(水)までに参加登録ください。
https://forms.gle/ytH51B1GU7u1vdkx8

この史料の意義については、ぼくの「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」『歴史学研究』1000号(2020年9月)pp.29-30でも触れました。
「ピューリタン革命」「三王国戦争」を考えるときにも、また今日のイングランド・アイルランド・スコットランドのあいだの「歴史問題」を考えるときにも避けて通れない1641年「虐殺」「フレームアップ」事件の原史料がオンラインで読めるのです。写真で、ママの転写(transcript)で、そして研究者のコメントつきで。
https://1641.tcd.ie/ (どなたもアクセスできます)
歴史学の具体的な革命の一例だと考えます。日本史・東アジア史の方々にもぜひ知ってほしい国際プロジェクトです。
【登載が、実家のちょっとした事案で遅れました。歴史学研究会の参加登録は16日(水)までとのことです!】

2020年8月28日金曜日

『歴史学研究』1000号


          http://rekiken.jp/journal/2020.html
創刊1933年の『歴史学研究』が、戦後歴史学の中核をになった期間をへて、今も生き延び、この9月号で1000号を迎えたということです。創刊1000号記念の特集は「進むデジタル化と問われる歴史学」。なんと近藤も寄稿しています!

正直、昨秋に編集部から依頼を受けたとき、一瞬は迷いました。歴史学研究会とは「因縁」というものがあって、それは何十年たったら解消する、といった簡単なものではありませんので。ところが2・3年前から「研究部長」さんが変わって、歴研内部の討論のトーンも変わったような気がします。「主権国家再考」の討議にも参加しました。はばかりながら学問的な再考・修正・革新には、学生時代から積極的にかかわってきたという自負はありますので、2019年には「主権なる概念の歴史性について」という大会コメントを『歴史学研究』989号に寄せました。【西川正雄さんがお元気なら、大いに喜んでくださったでしょう。彼との関係修復(2007年7月、於ソウル・駒場)はあまりにも遅かった!】

今回はそれより長く、1000号記念特集で、ディジタル化/これからの歴史学に関係するなら、いかようにも自由に、という特段の依頼だったので、それなら、自分のためにも人のためにも、整理して記録しておこうとその気になりました。現今のディジタル化とグローバル化について短期的な(他の人にも書ける)エッセイをしたためるのでなく、1980年前後から顕著になっていた世界的な知の転換と同期してきたITの展開という文脈、そのなかに90年代以降の(≒ Windows 95 以降の)ディジタル史料(リソース)、オンライン学問の発達・展開を位置づけて論述してみたいと思いました。ぼく自身も同時代人としてそのただなかで生きてきたのです。
OUP や Proquest や Gale-Cengage といった特定企業名も出てきますが、それぞれ競合しつつ、2000年(OED オンライン供用)~2004年(ODNB)あたりから学界も個々の研究者も気持・志向・文化が転換したような気がします。社会経済史学会では、大会でも部会でも、Query をどのように立てて検索し、結果をどう処理するか、といったことを熱心に議論していました。
ぼく自身も、2004年7月には「オクスフォードの新DNB」について『丸善Announcement』に書かせていただいたし、12月には(Keith Thomas の代わりに)Martin Dauntonを招待して、丸善 OAZO にて ODNBシンポジウムを開催していただきました。

しかし同時に、現ディジタル世界のありようはあまりにも問題が多く - 今日のアメリカ政治にも、日本社会にも如実に現れているとおり -、賢明で積極的な対応が不可欠です。好き嫌いや利便性よりも、反証可能性をおもてに出した、クリアでシンプルな文章とすべきだと考えました。
従来の歴史学からの連続性、民主的アクセスが保証された知の営為、といったことも隠れたモチーフです。また他方ではイングランド・アイルランド・スコットランドの間の「歴史問題」をおもてに出した連携のような関係が、日本・韓国・中国・台湾などの間でいつになったら構築されるのだろう、という憂慮もあります。
後半はいささか整理不足で、あれもこれもとなってしまいました。

2019年8月31日土曜日

書いて考える/考えて書く

久方ぶりですね。
8月はひたすら内省と執筆の月でした。

去年の学生たちと読んだ Gordon Taylor, A Student's Writing Guide: How to plan & write successful essays (Cambridge U. P., 5th printing, 2014) ですが、気の利いた引用が多くて、読み進むのが楽しくなったものです。ときに再読しますが、ここには註の付け方とか巻末の参考文献表のスタイルをどうするか、といった退屈で、また大学や学会・出版社により少しづつ異なるルールには踏み込みません。そんなことは各々のルールに黙って従えばよいので、論文(原稿)が書けるかどうかで必死になってる人には副次的な問題です。
I have always preferred to reflect upon a problem before reading on it. Jean Piaget
関係文献を読むより、まずは何が問題なのか考えをめぐらす(瞑想する)ことが大事だというのですね。
さらには
How do I know what I think till I see what I say.  E. M. Forster
書いて文字になったものを見て、はじめて自分が考えていることがわかる!

よーく考えて、まずは書き付ける(引用はまずは記憶に頼ってよい)。どんな点で至らないのか、何をさらに調べなくてはいけないのか、目に見えるようにする。関係文献を探すのはそれからで良いし、何をどう読みなおすべきかもわかってくる。
とにかく頭の中にあることを文字にしないまま考えを進めたり、論文を書き進める/議論を展開するとかは(天才でもないかぎり)不可能だ、ということですね。
E. H. カーが『歴史とは何か』で言っていた(あまり引用されない)本質的なポイントは、
「素人の皆さんは‥‥歴史家は関係史料をしっかり読み込んで、ノートもファイルしたうえで、機が熟すと、おもむろに著書の最初から順に終わりまで書き下ろす、とでもお思いでしょうが、そうは問屋は下ろしてくれない。少なくともわたしの場合は、二三の決定的な史料(証言)と思われるものに出会ったら、むずむずしてきて(the itch becomes too strong)書き始めちゃう。それは最初か、どの部分か、どこでもいいんです。で、それからは読むのと書くのとが同時に進むんです。読み進むにつれて、書いた文は追加されたり削られたり、修文されたり棒引きされたり。書いた文章によって[史料・文献の]読みの方向が定まり、実を結びます。書き進むにつれて、わたしが探しているものが分かってくるし、わたしの所見の意味と関連性が理解できるようになるのです。‥‥」Taylor, p.6.
この引用があるだけでも、著者 Taylor先生の聡明さが想像できるというものです!

昔(まだ100%手書きの時代に)、ぼくの近辺に「メモやノートは必要ない、読んだことは頭に入っている。ひたすら原稿用紙に向かって書いて行けばいいのだ。めったに書き損じはない」とうそぶく男が2人いました。はたして天才だったのでしょうか? 1人は(すでに故人です)一生の間に論文(らしきもの)を2本だけ書きました。もう1人は(定年で退職しました)一生の間に書いたのはすべて学内紀要で、全国誌にはひとつもありません。もちろん欧文はゼロ。2人のどちらも今からみて研究史的に意義あるものは残していませんし、その名前さえ、近くにいた人以外は知らないのではないでしょうか。つまり書くこと、推敲することを疎んじて、書いて考える(自分の文章を導きに、批判し、考えを深め展開する)といったことをしない人は、学者研究者としては成長しないということかな。

2018年8月18日土曜日

堪え/がたきを堪え 忍びがたきを忍び


 「平成最後の夏(上)」のつづきです。『日経』の同じぺージに「終戦の詔書」の原本の写真があります。記者は詔書の日付が8月14日だということの確認のつもりで添えたのかもしれませんが、この写真はそれ以上に雄弁で、「玉音放送」を朗読した昭和天皇の「間」の悪さというか、演説の下手さかげんの根拠のようなことがようやく見えてきました。

 大きな字で清書してあるのはよいけれど、(昔の正しい国語らしく)句読点がまったくないばかりか、なにより行の切れ目と意味の切れ目が一致しない。
【以下、写真のとおり詔書を転写するにあたって、行の切れ目に/を補います。それから文の終わりに、原文にはないが「。」を補います。カナに濁点もありません。こんな原稿を手にして、なめらかに、リズミカルに朗読せよ、というのが無理というもの。】

【前略】  ‥‥爾臣民ノ衷情モ朕 善/
ク之ヲ知ル。然レトモ 朕ハ時運ノ趨ク所 堪へ/
難キヲ堪へ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ/
太平ヲ開カムト欲ス。/
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾 臣/
民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ。/  【後略】

(わたしたちの感覚では)まるで清書した役人が意地悪だったのかとさえ憶測されるほど、パンクチュエーションもブレスも無視した原稿です。
 玉音放送のあの有名な「然レトモ 朕ハ時運ノおもむク所 堪へ[ここに1秒弱の空白]
がたキヲ堪へ 忍ヒがたキヲ忍ヒ‥‥[このあたりは順調に朗読]」
の読み上げで、音楽的にも文学的にもナンセンスな「間」が入ったのは、ご本人のせいではなく、じつは大書された原稿の行末から次の行頭へと縦に眼が移動する(Gに反する動きゆえの)物理的な「間」なのでした!
 詔書はマス目の原稿用紙ではないのだから、気の利く臣下だったら、(句読点の代わりに)数ミリの空白や文字の大小を上手に巧みにまじえて、行末で重要語のハラキリ、クビキリが生じないように清書できたでしょうに。【今日の NHKのアナウンサー原稿も大きな縦書きですが、句読点は明示し、なるべくハラキリ、クビキリの生じないように工夫しているでしょう。】
 陛下、まことにご苦労なさったのですね!

それにしても「爾(なんじ)臣民」のくりかえしが多い。上の6行だけで3回も!
 ポツダム3国(連合軍)の意向ににじり寄りつつ、「‥‥國體(こくたい)ヲ護持シ得テ 忠良ナル爾 臣民ノ赤誠ニ信倚シ」、天皇制を維持してよいというかすかな保証をなんらかの筋からえて嬉しい。なんじ人民も蜂起や軍事クーデタを企てることなく、「赤誠」の志を示してくれるなら、共にやってゆこうと祈念していたわけですね。

2018年7月31日火曜日

東大闘争の語り

災害と猛暑が交替で襲来します。お変わりありませんか。
小杉亮子『東大闘争の語り-社会運動の予示と戦略』(新曜社)が出たことを、塩川伸明さんから知らされ、購入しました。

読んでみると、pp.38-39に聞き取り対象者44名の一覧が(許諾した場合は)本名とともにあり、最首助手、長崎浩助手、石田雄助教授、折原浩助教授、から大学院の長谷川宏さん、匿名の学部生がたくさん、そして当時仏文だった鈴木貞美にいたるまで挙がっています。匿名ではあれ、話の内容(と学部学年)からダレとわかる場合も。ふつうは東大闘争の抑圧勢力として省かれる共産党(当時は「代々木」とか「民」とか呼んでいた)関係の証言もあり、叙述に厚みがあります。何月何日ということを極めつつ歴史を再構成して行くのも好感がもてます。45年~50年前の集団的経験について、インタヴューに答えつつどう語るか。当事者の証言を史料としてどう扱うか、方法的にも価値があると思われます。

ただし、方法的に社会学であることに文句はないが、当時の東大社会学関係者の証言が偏重されています。いくらなんでも東大闘争の関係者として、和田春樹さんや北原敦さん(そして塩川伸明さん)を含めて、歴史学関係者の証言がゼロというのは、どうかと思います。
(『文学部八日間団交の記録』を録音からおこして編集した史料編纂者はぼくですし‥‥)文学部ストライキ実行委員会の委員長は西洋史のK(Kは69年に全学連委員長になってしまったので、下記のFFに交替)、学生会議を仕切っていたのは仏文のF、あまり知的でなく行動派のSも西洋史でした(このイニシャルは本書のなかの証言者の記号とはまったく別)。東洋史院生の桜井由躬雄さんは亡くなってしまったので、ここに登場しないのは仕方ないとしても。69年1月10・11・12日に安田講堂や法文2号館に泊まり込んでいた西洋史の学生で後に重要な学者になった人は何人もいる。
哲学の長谷川さんの言として、「白熱した議論を哲学科と東洋史と仏文はやってて‥‥」(p.259)、また学部3年のFのことを紹介しつつ社会学科ではノンセクトの学生が活発に活動しており(p.262)といった一面的な語りは、大事ななにかが抜けていませんか? と問いただしたくなる。本書全体の導き手のような福岡安則の好みによるのだろうか。
そうした偏りはあるとしても、これまでの類書に比べると、相対的に信頼できる出版です。いろいろとクロノロジーの再確認を促されます。
社会学だと運動が予示的(≒ユートピア的)か、戦略的かという問題になるのかもしれません。しかし、『バブーフの陰謀』(1968年1月刊!)とグラムシを読んでいた歴史学(西洋史)の者にとって、「ジャコバン主義とサンキュロット運動」という枠組、そしてカードル(中堅幹部)の決定的な役割、といったことの妥当性を追体験するような2年間でした。

なお69年12月に文スト実のFFが呼びかけて(代々木の破壊工作を避けて)検見川で集会をもち、議論のあげくに「ストライキ解除」決議をとった。これは敗北を確認し、ケジメをつけて前を見る、という点で、たいへん賢明な決断でした。その後のFFは立派な学者になっていますが、先には70歳を記念して、ご自分の卒業論文をそのまま自費出版なさった。尊敬に値する人です。

2015年9月4日金曜日

鶴島博和 『バイユーの綴織を読む』


待望の『バイユーの綴織を読む - 中世のイングランドと環海峡世界』(山川出版社)
を手にしました。
綴織(つづれおり)の写真はすべてカラーで、関係史料をていねいに訳出しつつ対照するという編集。
ぼくの『イギリス史10講』pp.35-40あたりで書いたことに比べれば、当然ながら、はるかに叙述の細部にも、研究史的にいろいろな配慮が行きとどいていて、すばらしい。モチーフは、ただ「ギヨーム公がハロルド簒奪王を追討することの正当性」だけでなく、むしろ「ハロルド王の悲劇」をうたいあげた物語なのかもしれない。鶴島さんは、ハロルドの死についても、制作過程についても、よくわかる説明を加えています。

詳細な索引もついて、332+ページで 4600円という信じられない定価! 山川出版社としても「売れる」という確信を得たわけですね。
著者が「出版企画をもちこんだのは、30年近く前のこと」という豪傑ぶりですが、「日本語で書こう」(p.331)と方向転換するまでが大変なんだな。ぼくも肩をたたかれたような気がします。

謝辞には「神経的多動性症候群」と書き付けておられますが、
こういった作品を産んだのなら、それも悪くはないじゃないですか! 
若手のうちでも、成川くん、内川くんが少しはお手伝いできたとしたら嬉しいかぎりです。

2015年3月11日水曜日

BL の撮影解禁

12月19日のアナウンスに続いて、ついに MSS, Rare Books も! Asian ということは India Office Records もという意味ですね!
英国図書館(BL)を史料館として利用している者にとって、使い勝手が、大転換するということで、うれしい!

March 2015
Reader Service message
Self-service photography in our Reading Rooms

Dear Kazuhiko,

Following the initial roll-out of self-service photography http://email.bl.uk/In/77814854/0/ImXcnYgrN9plRfBAFSNb4zKFlqr1d9OGegMbENZPiJm/ in several of our Reading Rooms in January, we are pleased to tell you that this facility will be extended to the following Reading Rooms in March 2015:

• Asian & African Studies
• Business & IP Centre
• Manuscripts
• Maps
• Rare Books & Music

Our curators have been working hard behind the scenes to identify material that can be photographed. With over 150 million items in our collections this is a huge task that will take some time to complete. From 16 March 2015 a significant amount of additional material will be available for photography for personal reference purposes and curators will continue to identify more material appropriate for inclusion.

Items which cannot be photographed include (but are not limited to): those that have not yet been assessed as appropriate for photography; restricted or special access material; items at risk of damage; and items where there may be data protection, privacy or third party rights issues. This will be a small proportion of our overall collections. Of the material ordered across all of our Reading Rooms in 2014, more than 95% of those items would now be available to photograph.

You may use compact cameras, tablets and mobile phones to photograph material and any copies made must not be used for commercial purposes. As with our current copying services, copyright, data protection and privacy laws must always be adhered to.

Before using your device to take photographs, we kindly ask that you view our Self-service Photography Video http://email.bl.uk/In/77814855/0/ImXcnYgrN9plRfBAFSNb4zKFlqr1d9OGegMbENZPiJm/ This video outlines the new policy, along with information on copyright, data protection and collection handling.

A handout, available in the Reading Rooms, explains this facility and if you need further advice or assistance, please speak to our Reading Room staff.

Best wishes,
Reader Services

2014年12月19日金曜日

ついに British Library も!

こんな通知メールが到来しました。朗報です。
むずかしい相手でもあきらめずに要望し続けるものですね。
以下引用:

December 2014
Reader Service message
Self-service Photography

Dear Kazuhiko,

Over the past few years, many people who use our Reading Rooms have asked us
to consider introducing a self-service photography facility so that Readers
can use their own devices to photograph items for personal research purposes.

We are now pleased to announce that we are extending our current self-service
copying facilities to include photography. The new arrangements will take
effect from 5 January 2015 in the following Reading Rooms:

Boston Spa Reading Room
Humanities – Floor 1 & 2
Newsroom
Science – Floor 1 & 2
Social Sciences

We will review and assess the feedback we receive from Readers and staff,
before introducing self-service photography in the following Reading Rooms in
March 2015:-

Asian & African Studies
Business & IP Centre
Maps
Manuscripts
Philatelic
Rare Books & Music

You will be able to photograph all physical collection items which you can
currently copy using our self-service copying facilities. Because of license
restrictions that apply to some of our electronic resources, you will not be
able to photograph computer screens.

You may use compact cameras, tablets and mobile phones to photograph material.
Any copies made may be used for personal reference purposes but must not
be used for a commercial purpose. As with our current copying services, copy
right and data protection/privacy laws must still be adhered to.

Before using your device to take photographs, we kindly ask that you view
our guidelines on self-service photography
http://email.bl.uk/In/72187364/0/44CotTs5F9XtT7EDGk7xUssbuwClh4a4fgMbENZPiJm/

2014年5月30日金曜日

『民のモラル』(ちくま学芸文庫)

 ご無沙汰しています。5月は wunderschoen というわけには参りませんで、
多くの皆さまにご心配をかけてきました。

 ただこの間にも筑摩書房と精興社の方々は獅子奮迅のお仕事を進めてくださり、そのおかげで、順調に『民のモラル』の改訂版が出ます。6月10日発売、本体1300円です。
筑摩書房のページ・著者近影も
こちらでは山川版とちくま版、それぞれのカバーデザインをご覧に入れます。
山川のカバー写真(1993)では、なぜか赤色が強調されたうえ全体に黒っぽくなっていました。まるで夕焼けの街頭みたいに。
ちくまのカバーおよび口絵(2014)では、青色の要素もしっかり表現され、白昼、青空の下の光景であることが歴然。

 せっかくこの機会をいただいたので、今となっては中途半端な終章「新しい文化史」は削除し、副題を「ホーガースと18世紀イギリス」と改めて、焦点も議論も明快な本としました。本文も巻末の史料・文献解題もミニマムながら補正して、2014年の刊行物として意味あるものとしました。なおまた編集担当者の熱意のおかげで地図など図版を追加することができ、18世紀なかば、Rocqueのロンドンを、シティのニューゲイト監獄・市門から、ホーバンを西に、聖ジャイルズ教会を経由して、オクスフォード街、そしてハイドパーク入口のタイバン処刑場までたどって歩けるようにしました。じつは今日でも基本的に(微調整すれば)この260年前の地図で歩くことができるんです! 見開きの地図が、右から左へと、次々に連続します。

 本とは一人では出せないものと承知はしていましたが、今回もつくづく、その認識をあらたにしました。
あとがきに名を挙げた方々に、感謝。

2012年12月9日日曜日

真珠湾攻撃


8日朝の『日本経済新聞』で、西洋史出身の郷原記者と、文書館担当の松岡編集委員の共同記事を見ました。
「大使館怠り説 覆す? 新事実」↓
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO49302190X01C12A2BC8001/

これは時宜をえた記事です。郷原くんの健在もうれしい。専門家の間では特筆すべきほどの発見じゃないのかも知れないが、国民周知の事実ではないのだから、この愚劣の歴史を、マスコミはもっと繰りかえし報じるべきです。
最後に渡辺昭夫・東大名誉教授が述べるように、この発見があってもなくても、12月8日(US時間で7日)のパールハーバが宣戦布告なき奇襲攻撃であることは、紛れもない事実。

それにしても、軍部だけでなく外務省も共謀して、攻撃を開始する時刻よりあとに通告するように計ったという。無能な役人が暗号解読・翻訳に時間がかかって、あるいは不在で遅れてしまった、というのではない、故意の遅滞のために、わたしたち子々孫々にいたるまで、事あるたびに恥じなければならない。「それ以外に勝つ手段がなかったから‥‥」?

とんでもない。
戦争とは国際的な力のゲームなのだ。「はっけよい」と手をつく前に突っかかっては相撲にならないのと同じ。国際法のルールを、はたして将兵は周知していたのだろうか。一方の「生きて虜囚の辱めを受けず」と同様に、ガラパゴス列島の中だけで通用する発想と倫理でやっていたわけだ‥‥。

しかも、じつはすべての交信がアメリカに傍受され、解読され、文書館に保存されていたのだから、(日本の外務省は発信記録をなぜか紛失した - 東京裁判のため?)なんと虚しい‥‥。

戦後はその反動で、全国民が戦争を呪い忘れれば、即、平和主義であるかのようなフィクション、じつはアメリカの核の傘の下に守られてこそ通用する、ほとんどママゴト民主主義でやってきた。
のろわしい記録の紛失 ⇔ 記憶の喪失。

がっかりしてしまう。

2012年4月9日月曜日

山手線・車体広告

「英国政府観光庁」による山手線の車体広告と駅の壁面広告、気付きましたか?
 いつもながら即応性に欠けるところがあって、カメラを抱えて出かけたころには、有楽町駅の壁面広告は剥がされてステンレスがむき出しになっていました。
あきらめてプラットフォームに出たら、なんとその電車が来ました! ボディ外面だけなので、乗車すると見ることも写真を撮ることもできない。大崎駅に着いて、大急ぎでシャッタを切りましたが、せいぜい 2 shots くらい。次の電車を待ちましたが(反対方向の電車も見ましたが)いざ構えていると当該電車は来ない。
 じつは「ジェイアール東日本企画」というウェブページに解説があるのを、今夜、探しあてました。2月19日~3月31日、2編成のみだったんですね。
http://www.jeki.co.jp/transit/train/body/number.html 
つまり、もう3月末に終わっているはずのところ、きのうは間違えて1編成が走っていたということなのでしょうか。それとも「うどんこの定理」のための施し?

 なんでこんなことにこだわるかというと、中学校で鉄道少年だったから、ではなく、この4月からの「史料講読」の授業で使いたいからなのです。史料といっても図像も景観も含むので、「英国政府観光庁」の表象は、じつに良いイントロになるのです。

2010年11月29日月曜日

Virtual reality とはこんなもんか

0. 世の中にはよくわからないことがありますが、以下は、単純にして怠慢なアウトソーシングと copy & paste の結果をだれも確かめてなかった、というお粗末な始末記です。

1. Manchester workhouse 関連で、新しくアプロードされた史料か文献はあるかな、とインターネットを探した折に、信じがたい発見をしたのです。
何番目かのヒットに次のようなものがありました。
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 Title: The Workhouse Issue at Manchester Selected Documents, 1729-35
 Author: 近藤, 正治 Kondo, Shoji
 Issue Date: 31-Mar-1987
 Publisher: 名古屋大学文学部
 Citation: 名古屋大学文学部研究論集史学. v.33, 1987, p.1-96
 URI: http://hdl.handle.net/2237/9791
 ISSN: 0469-4716
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 おいおい、近藤正治さんよ、これはあなたではなくぼくの仕事だよ。あなたがどんな方か知らないが、名古屋大学文学部に所属したことはないだろうに。
そもそも、Nagoya Repository という、名古屋大学の紀要類をディジタル・アーカイヴにする企画の一部らしいが、
http://hdl.handle.net/2237/9791 をクリックしてみると、正しく『研究論集』でぼくが編纂した史料集が PDF で出てきます。PDFなので 最初のページの著者名は Kazuhiko Kondo のまま。 → だったら問題ないじゃないか、と言いたいところですが、そうではない。

2. そもそも著作権は著者=近藤和彦にあるはずだが、その仕事が、①本人の関知しないまま、②著者名が変えられて、③ヴァーチャル世界に登載されている、という問題です。
① じつは何年か前に、名大図書館から同じく『名古屋大学文学部研究論集』に載ったぼくの Town and county directories in England and Wales, 1677-1822 という article について名大リポジトリに掲載してよいかどうか、郵便で問い合わせが来ました。これに OK した覚えはあります。同時に、1985年のこの article だけについて問い合わせが来て、翌々87年の workhouse issue について来ないのはどうしてか。リポジトリの年度区切りとか、著作権25年といった考え方とか、ありうるのかと想像しましたが、それ以上は深く考えないままで打ち過ごしていたのです。
‥‥いずれ材料を補充しつつ、この第2版を制作しなくてはいけない、と考えていました。Workhouse issue は英米ではそれなりに引用・参照されている史料集なので [→ Handley 1990; Horner 2001; Innes 2005; Langford 1991; Speck 1999]。→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/Quoted.htm

3. 大学の知的資源の公共的アクセス・情報公開の推進といったことが数年前から話題になりました。大学の図書を市民に開放するとか‥‥。そもそも公共図書館の不備・未成熟をどうするかという問題と、官公庁の情報公開とが一緒になっての動きだと思われますが、しかし大学の人的資源はギリギリだという与件もあり、 じゃぁ SOLUTION はアウトソーシング、ということでにわか情報業者がもうかる構図です。
 そうしたアウトソーシングの意味を全否定するつもりはありませんが、競争入札で、かつ新規業者を優先する方針でやった結果が、ここに出ています。
 なにかの contingency の結果として、名大工学部の近藤正治先生の論文をPDF化した直後に、近藤和彦の番になって、そのままコピー&ペイストして「いっちょ上がり」だったのでしょう。
 仕上がりを再確認するのはいったい同じオペレータか、職制か知りませんが、いずれにしても sine ira et studio、たんたんと作業を進めたのでしょう。
 著作権許諾を問われた近藤正治先生の側も、多数のペーパーについて、PAが(?) たんたんと「承諾」という返事を繰りかえしたに違いない。
 
4. 上の3に書いたのは、憶測 a plausible conjecture に過ぎませんが、これに随伴して
②近藤和彦の仕事として検索した場合にはヒットせず、
③しかし、本人の知らぬまにインターネットの世界では利用が繰りかえされてきた、
という問題があります。英米の歴史研究者で Kondo Shoji という名は知られていないでしょう。 Google などで検索・ヒットしてもパスする(内容を見ない)、というケースがほとんどだったでしょう。
 そもそも本人の研究計画のなかで The workhouse issue at Manchester: selected documents は緊急性の低い課題だったのでよかったとは言えますが、もし緊要な仕事だったらどうするのでしょう。損害賠償の訴訟‥‥といったこともありえますよ。

 これを書くためにまさか、と思いながら検索したら
 長谷川 博隆 の読みが Hasegawa, Kazuhiko
となっています!(Ciceroの法廷弁論にあらわれるcolonus と clientela)

ふざけるな、と言いたい。リポジトリを構築する図書館の担当者さん、委託された業者さん、どうぞ堅実に仕事してください。
【上の Workhouse Issue at Manchester の author にかぎって、名大図書館はすでに修正してくださいました。12月3日追記】

2010年10月15日金曜日

史学研究会(11月2日@京都大学)



 案内のポスターをいただきました。ありがとうございます。
 「モラル・エコノミー論を歴史的に再考する
という題で話をいたします。右上肩の FEATURES(ページ)に案内状を転載させていただきました。

 このブログでは、これまで以下のようなエントリで一寸づつですが関連ある発言をしてきました。

モラル・エコノミー(労働党の今日)↓
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/09/blog-post_28.html
悲報(EPTの研究助手の死)↓
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/10/blog-post_12.html
ウォーリク大学 現代史史料センター
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/09/sent-to-coventry.html
ジョン・ウォルタ
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/06/john-bron.html
ずっと前、2007年のインタヴューも関連します ↓ 
http://www.cengage.jp/ecco/2007/05/post-1.html
つまりディジタル史料論でもあり ↑
また、わが『民のモラル』(1993)の再考 ↓ という意味もあります。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~kondo/statet0402.htm
どうぞよろしく。

2010年10月12日火曜日

悲 報

 なんたることだ。今はウースタに一人で暮らす Dorothy からメール到来。

Dear Kazu

I sent you the name and address of Edward's former research assistant Malcom Thomas . . <中略>. . but I thought I should tell you that I have just had a
'phone call from his wife to say that he died yesterday.
He was only 67 and apparently in reasonable health. His wife didn't know whether you had been in touch as she is not an academic and doesn't keep in detailed touch with his academic work.

He was a delightful man and his death will be a loss but his files will be full of unpublished material - he was too much of a perfectionist to publish much of his work.

Best wishes Dorothy Th.

 このマルカムの次のリサーチ助手が E. E. Doddで、後者とのコレスポンデンスがウォーリク大学にあって9月に読みに行ったのです。Moral economy 論議をめぐってそちらで判明しない事柄はしっかりマルカム君に尋ねなくては、と考えながら後回しにしていた。ぼくは一種、現代の切迫したオーラル・ヒストリをやっているのだという自覚が不足していました。油断してると当事者はどんどん消えてゆく! 反省します。
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/09/blog-post_28.html
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/09/sent-to-coventry.html

 ドラシへの返事には次のようにしたためました(抜粋)。

. . . thank you for letting me know the truth.
<近況について中略>
I now realize that Edward acknowledged both 'the late E. E. Dodd' and
'Malcolm Thomas . . . whose gifted services I was once fortunate to have as a research assistant' in his Customs in Common.

I just regret that I should have come in touch much sooner.
Thank you again and please take good care of yourself.


 それにしてもアナログ時代の写真の管理は、よほどしっかりしないと迷宮入り。Wick Episcopi で
EPT夫妻と一緒に撮った写真はどこかに隠れてしまい、その白黒ゼロックスの何度も複写したものしか手元にはない!? これまたひどい話、なんとかしたい。

2010年9月25日土曜日

実学としての歴史学

 モリル先生に誘われて The 1641 Deposition Online というプロジェクトの打ち上げ研究会に交ぜてもらいました(11時~16時、17時までドリンク。その後ディナー)。


正式のインタフェイスはまだですが、すでに試行版がトリニティ大学図書館のサイトに載っています。今も、今後も無料。http://www.tcd.ie/history/1641/ すばらしい。見てみてください。

 アイルランド史で「研究のもっとも盛んな時代」すなわちおもしろいのは、近刊の『イギリス史研究入門』p.306 によると18世紀らしいですが、もしや史料的には、この1641年問題こそ外国にいる日本人にも互角に取り組める、取り組みがいのあるテーマなのか、と思いました。アイデンティティ、言語、記憶、記録、すべてにかかわる暴力、司法といった観点から、やるべきこと、やれることが山ほどありそう。

 革命のきっかけになった「アイルランド大叛乱=大虐殺」の証言録取書を全部テクストとしておこして、全文検索できるようにし、しかも元のマニュスクリプトも画像として対照しつつ見られる。これはすばらしく教育的。
 しかし教育的というのは、もっと広い公衆教育という意味も込められています。アイルランド・ブリテン間の喉に突き刺さった骨である、370年前の atrocity を
  The Irish cannot forget it;
  The English cannot remember it.
だったら原史料(公文書)をウェブに公開してだれにもアクセスできるようにし、大いに議論してもらおうじゃないか。こういう姿勢で、日韓・日中・日米のあいだの「歴史問題」を議論する公衆に委ねるということは可能なのでしょうか。
 これまでのイングランド(Cambridge)・スコットランド(Aberdeen)・アイルランド(Trinity)の3国研究者と、IBMのIT技術者と、オーバードクターの協力と雇用を兼ねた、何重もの trinity 企画。
修正主義者にしてよき教師モリル先生の手にかかると、このアカデミックな企画が、来年10月に完成して、正式ローンチをアイルランド共和国大統領と、北アイルランドのユニオニストの同席のもとに敢行し、しかも多様なブリテン、多様なアイルランドへの堅実な一歩としようというわけです。

 松浦高嶺先生、こうなると「修正主義は木をみて森をみない」という批判は、引っ込めないわけに行きませんね。テキは一枚も二枚も上でした。民族主義史観やピューリタン(純情)史観の克服をめざすのが修正主義なので、日本のナイーヴな「修正主義」とは本質的に違います。
Knowledge is mightier than ignorance. モリル先生の言うとおりですね。
ヨーロッパ的コンテクスト、17世紀の全般的な危機(と暴力の象徴主義)といったことも話題になりました。
(それから今晩、 Russell と Morrill との間には友情の亀裂があって、ラッセルが亡くなるまで本当の修復はできなかったと聞きました。)ぼくはぼくで、1980年、最初の留学時に Mark Goldie に勧められながら、revisionist seminar に出ることを忌避したという事実を告解して、赦しを請いました。

 ダブリン側の中心にいる Jane Ohlmeyer (上の写真で両 John にはさまれた美女)は、高神さんと同期とか? カレン先生ともお友だち。