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2025年4月17日木曜日

主権・IR・カー

「主権国家」再考』(岩波書店)は本日、16日発売とのことですが、先にも書きました詳細な目次だけでなく、立ち読みコーナーもあって、ぼくの「序論」についてはちょうど半分、pp.1-10 がウェブで読めるようになっています。
https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0616940.pdf (目次のあとです)
そうした出版のオンライン開示は便利だなぁと見ているうちに、さらに今月刊のE・H・カー『平和の条件』(岩波文庫)も、訳者による解説(部分)が読めることを発見。
https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/8771
ちょうど『「主権国家」再考』がらみで、中澤論文からドイツの Andreas Osiander による
'Rereading early twentieth-century IR theory: Idealism revisited', International Studies Quarterly 42 (1998) へと導かれ、この論文でE・H・カーの国際関係学(IR)批判が試みられていることを認知したばかりでした。
この間のいろんなことが繋がってきて、嬉しいかぎりです。

2025年4月10日木曜日

Shohei's 'might-have-been'

 『「主権国家」再考』が岩波書店のウェブぺージに載りました。中澤達哉責任編集/歴史学研究会編、岩波書店、4730円。16日刊行とのこと。詳細な目次も、こちらに → https://www.iwanami.co.jp/book/b10132793.html
先にも(3月6日)書きました「‥‥今、トランプ第二期政権は歴史も国際法もなきがごとく、独特の「主権」を主張して世界を驚愕させている。」というぼくのセンテンスは、今となっては、ちょっと弱すぎる表現でした。
 そうした折、なんと大谷翔平(とドジャーズ選手たち)がホワイトハウスに招かれてトランプ大統領と談笑する光景が報道されました。何を話したのか、あまり愉快でない報道写真でした。ここでもし Shohei Ohtani が 
「ぼくは高校しか出てないし、野球のことばかり考えてきましたが、でも高校の公民では貿易収支(balance of trade)と経常収支(balance of current account)の区別は習いました。トランプさんはどうして今さら「貿易収支」みたいな物の取引の赤字なんかにこだわって、国際的なマネーや目に見えない富のやりとりは見ないんですか? 大統領はたしか大学を出て、すごいビジネスで成功なさっているんですよね」
とか、たとえ通訳を通してでも言えたなら、Shohei's Show-time! として、万国で人気が沸騰したに違いないのに。たられば(might-have-been)史観ですが。

2025年3月5日水曜日

主権国家サイコー!?

 この4月に刊行予定で進んでいる
 歴史学研究会編(中澤達哉責任編集)『「主権国家」再考』(岩波書店、2025)
ですが、ぼくは 序章「主権という概念の歴史性」を担当しています。
 昨夏の終わりが原稿〆切、暮れから正月に初校、2月に再校の期間がありました。歴史学研究会大会の合同部会で4年間にわたり共通テーマとして議論されたことが前提で、各章ともすでに部分的には『歴史学研究』大会特集号に連載されている論考を「再考」し、整えたものです。ぼくの場合は「序章」なので、第989号に載ったコメントから大幅に加筆して、「歴史的で今日的な問題」としての主権を、19世紀の東アジア、近世のヨーロッパについて論点整理してみたつもりです。そのさいに
・H. Wheaton, Elements of International Law (1836/1857)とその漢訳『萬國公法』(1864)および和訳・海賊版(1865-)
・J.H.エリオット「複合君主政のヨーロッパ」内村俊太訳、古谷・近藤編『礫岩のようなヨーロッパ』(山川出版社、2016)所収
が議論を展開するうえで、たいへん役に立ちました。
 とはいえ、11月~2月のあいだに国際政治上の緊迫と変化は著しく、悠長なことばかりで済ませることはできない、と再考しました。 → つづく

2025年2月19日水曜日

『読書アンケート 2024』

みすず書房より『読書アンケート 2024』(単刊書、2月刊、800円)が到来。
https://www.msz.co.jp/book/detail/09759/ 
ぼくも短かいながら5件の出版について感想を述べました(pp.175-178)。掲載の順番は、おそらく原稿がみすず書房に着いた順で、この本文180ぺージのうち、ぼくはビリから4番です。
月刊誌『みすず』は紙媒体ではなくなり、今はウェブ配信ですが、毎年2月号に載っていた読書アンケートだけで単刊書とすることになり、毎年の年初の楽しみは保たれます。むしろ前より厚くなった観があります。
ぼくの場合は、
1.二宮宏之『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024)
2.木庭顕『ポスト戦後日本の知的状況』(講談社選書メチエ、2024)
3.松戸清裕『ソヴィエト・デモクラシー 非自由主義的民主主義下の「自由」な日常』(岩波書店、2024)
4.Lawrence Goldman, The Life of R.H.Tawney: Socialism and History (Bloomsbury Academic, 2013)
5.『みすず』168号~177号(1973-74)に連載された、越智武臣「リチャード・ヘンリー・トーニー あるモラリストの歴史思想」
を挙げてコメントしました。
4,5については、今書いている本『「歴史とは何か」の人びと』のなかの一つの章にもかかわり、また著者ゴールドマンが、E・H・カーの世代のインテリ男性の性(さが)について明示的に問うているので、響きました。
巻末の奥付に (c) each contributor 2025 とあり、著作複製権についてはぼくにあるのでしょうが、出たばかりの本ですので、ここには言及するだけで、文章は引用しません。

2025年2月4日火曜日

卒寿の著書

 みなさんは、服部春彦フランス革命と絵画 イギリスへ流出したコレクション』(昭和堂、今年2月刊)を見ましたか? 先に『文化財の併合 フランス革命とナポレオン』(知泉書館、2015)がありました。これに続く、フランス革命・ナポレオン・美術品の移動というテーマだな、と軽い気持で読みはじめて、驚嘆しました。
 明快な問題設定のもと、研究史と(回顧録や売立てカタログ‥‥からイギリス政治史のオーソドックスな史料 Hansard 議会議事録にいたる!)多様な史料を渉猟し分析した、374ぺージの研究書です! 今回はフランス史というより、イギリスの美術品取引史です。フランス革命期に大量の絵画が、フランス・ネーデルラント・イタリア各地から大量にイギリスへ移動したプロセス ~ 1824年、ロンドンに国立美術館(National Gallery)が設立されるまでの、オークションから私的契約売買まで、美術品取引の実際が具体的に解明され、迫力があります。
 イギリス史をやっている者にとって、18世紀前半のホウィグ体制において枢軸をなしたウォルポール家(Houghton Hall)タウンゼンド家(あの農業改良の Turnip Townshend)の今日にいたるまでの家運の転変はおもしろいものです。両家は同じノーフォーク州でほとんど隣接した大所領をもって、たがいに交際していました。しかし世紀後半の代になるとHorace Walpole は放漫な家政で、結局、せっかくのコレクションをロシアのエカチェリーナに売却するしかなかったばかりか、19世紀にはロスチャイルド家と縁組みし、今日も観光客を迎えて入場料を取り、一般向けのイヴェントをくりかえして所領を維持しています。他方のタウンゼンド家は代々、堅実な農業経営のおかげで、今も一般客を入れることなく所領を維持しています。
 1770年代にあの急進主義の風雲児 ジョン・ウィルクスが、そのウォルポールの Houghton collectionを国内に留めるための議会演説を行ったこと( → その効なくロシア宮廷に売却)から始まり、ナショナルな絵画館の設立運動をめぐるLinda Colley 説の批判、そして1824年にようやく National Gallery 創立、38年の新館開館にいたる政治社会史には、感服しました。脱帽です。
 たしかノーリッジのEdward Rigby(1747-1821)の娘 Elizabethは Charles Eastlakeとかいう NGの初代館長に嫁したのではなかったかな? この時代のチャリティ、農業改良、医療をはじめとする公共プロジェクト、そして大陸旅行記が父・娘ともにありますね。NG の1824年設立/38年の新館までで本書は終わりますが、それにしても、多くの登場人物、そして
公衆(the public)なる語にどのような意味がこめられていたか」p.335 
といった議論に刺激されます。服部春彦さんによるイギリス近代史の研究書です!
 1934年4月生まれの服部さんは、遅塚、二宮、柴田(この順)と同じころパリに留学していた方ですが、名古屋大学西洋史におけるぼくの先任助教授でした。こういう方が元気でしなやかに生産的でいらっしゃるので、こちとらも呆けることはできません。

2024年12月25日水曜日

『講義 ドラマールを読む』

 クリスマス直前に、二宮宏之さんの遺著『講義 ドラマールを読む』(刀水書房、2024年12月)が到来! 知る人ぞ知る、ながらく話題になっていた、二宮さんの東大文学部における1984年度の講義全23回分が、そして講義中に配布された資料も一緒に、二宮素子さんのたゆまぬ努力、刀水書房=中村さんの全面サポートにより、ついに本になったのですね。
 B5の横組2段で iv+466ぺージ! 一般書店には置かず、刀水書房のサイトから直接注文する方式です。
http://www.tousuishobou.com/tankoubon/4-88708-487-2.html
https://tousui-online.stores.jp/
 ずしりと重い、存在感のある大著です。横組2段ですから、見開きで4段となり、視野の中心に左右にひろく拡がりますが、案外に目に優しく、読みやすい。 録音が忠実に起こされているので、数々の歴史家や研究史についてのコメント、また(完成本であれば割愛されたかもしれない)言い直しや言い淀みまで再現され、二宮さんのお話をそのまま聴いているような気持になります。そして配布資料に加えられた手書きの文字! 彼の口吻と、お顔や姿勢まで再生されるかと想われるようなご本ですが、なにより17-18世紀フランスをめぐる学識の厚み、熱い意気込みが読む人に伝わります。17-18世紀の書物を探す苦労、辞書を読む楽しさとともに、「ポリース」(← ギリシアのpoliteia、ローマの res publica、ドイツのPolizei)から始まってアンシァン・レジーム[あるいは近世ヨーロッパ]のキーワードが時代の用法としてよみがえる。
 (ちょうど同じ頃に名古屋大学文学部でも集中講義をなさいましたが、こちらは「フランス王権の象徴機能」でした。計4日、12コマの集中では『ドラマール』をやるのは困難ですね。)
 これは生前の二宮宏之さんがくりかえし口になさっていた、(最後の著作となさりたかった)すばらしい名講義で、多くの人を感動させる本ではないでしょうか。さぞやご本人はこれをご自分の手で、最後までしっかり推敲したうえで公けになさりたかったでしょう。
 何人もの協力でようやく世に出た由です。関係なさった皆々さんに感謝いたします。

2024年12月6日金曜日

『社会運動史』は研究誌か?

 日仏会館で14日(土)に催される〈近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉については、先に述べましたが、こちらは22日(日)一橋大学における催しです。ブログを転写しますと → http://blog.reki-nin.org/

「歴史と人間」研究会 シンポジウム
研究誌『社会運動史』(1972-1985)とは何だったか ― 史学史的に考える ―〉
 2024年12月22日(日) 13:30-17:00
 一橋大学国立東キャンパス 第3研究館3F 研究会議室
 国立キャンパス地図 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
13:30-13:40 司会(見市 雅俊)による趣旨説明
13:40-14:30 原 聖 報告
  休憩
14:45-15:05 コメント1 加藤 晴康
15:05-15:25 コメント2 近藤 和彦
15:25-15:45 コメント3 成田 龍一
  休憩
16:00-17:00 質疑応答

 この集会のテーマは、ぼく自身も関係者ですので、話は具体的になります。
『社会運動史』を研究誌としてだけとらえると、さらにまた『社会史研究』とならべて論じると、その本来の意味はかなり違ってきてしまうのではないか。おそらく加藤さんもそうお考えでしょう。
 『歴史として、記憶として』(御茶の水書房、2013)の第一部、第二部をご覧になれば、1968年ころ以後の青年インテリゲンチア(!)がどんな空気を呼吸していたか、見えてくるでしょう。70年代の『社会運動史』は、1982年に出現したエレガントな第一線の学者たちの(商業的な)『社会史研究』とは異質です。もっと先行きの見えない暗中模索で、ウゾームゾーの来し方行く末の可能性があったことは、加藤さんの部分も含めて、各執筆者はかなり率直に書いています。ぼく自身はというと、執筆時にはあまり意義を感じていなかった(むしろ拙速だという思いがあった)出版ですが、いま読み直すと、時代の/世代の証言集として意味があった/出てよかった本だと思います。
 22日(日)には、(喜安さんは別格として)社会運動史研究会の一番上の世代=加藤と、一番若い世代=近藤の二人が、「後から来た」「外から観察する」原さん、成田さんとどういった対話ができるでしょうか。

2024年12月5日木曜日

日仏文化講座

すでにみなさんご存知かもしれませんが、12月14日(土)に日仏会館でたいへん有意義な催しが企画されています。 → https://www.fmfj.or.jp/events/20241214.html
日仏会館 日仏文化講座
近代日本の歴史学とフランス――日仏会館から考える〉
2024年12月14日(土) 13:00-17:30(12:40開場予定)
日仏会館ホール(東京都渋谷区恵比寿3-9-25)
定員:100名
一般1000円、日仏会館会員・学生 無料、日本語
参加登録:申込はこちら(Peatix) <https://fmfj-20241214.peatix.com/>

日仏会館の案内をそのまま転写しますと ↓
 日仏会館100年の活動を幕末以降の歴史の中に置き、時間軸の中でこれを反省的に振り返り、次の100年を展望します。フランスとの出会い、憧憬、対話、葛藤は、日本語世界に何をもたらしたのでしょう。フランスに何を発信したのでしょう。100年前に創設された日仏会館は、そこでどのような役割を果たしたのでしょうか。本シンポジウムは、この問題を日本の歴史学の文脈で考えます。その際、問題観の転換と広がりに応じて、大きく四つの時期にわけ、四人の論者が具体的テーマに即して報告します。
【プログラム】
司会:長井伸仁(東京大学)・前田更子(明治大学)
 13:00 趣旨説明
 13:05 高橋暁生(上智大学)
 「二人の箕作と近代日本における「フランス史」の黎明」
 13:35 小田中直樹(東北大学)
 「火の翼、鉛の靴、そして主体性 - 高橋幸八郎と井上幸治の「フランス歴史学体験」」
  休憩
 14:15 高澤紀恵(法政大学)
 「ルゴフ・ショックから転回/曲がり角、その先へ - 日仏会館から考える」
 14:45 平野千果子(武蔵大学)
 「フランス領カリブ海世界から考える人種とジェンダー - マルティニックの作家マイヨット・カペシアを素材として」
  休憩
 15:30 コメント1 森村敏己(一橋大学)
 15:45 コメント2 戸邉秀明(東京経済大学)
  休憩
 16:10 質疑応答ならびに討論
 17:25 閉会の辞

主催:(公財)日仏会館
後援:日仏歴史学会

NB〈近藤の所感〉: 「近代日本の歴史学」を考えるにあたってフランスにフォーカスしてみることは大いに意味があります。プログラムから予感される問題点があるとしたら、
第1に、箕作・高橋・井上・二宮のライン(東大西洋史!)が強調されているかに思われますが、これとは違う、法学・憲法学の流れ、京都大学人文研のフランス研究がどう評価されるのか。
第2に、20世紀の学問におけるドイツアカデミズムの存在感(とナチスによるその放逐 → 「大変貌」)の意味を考えたい。箕作元八も、九鬼周造もフランス留学の前にドイツに留学しました。柴田三千雄も遅塚忠躬もフランス革命研究の前に、ドイツ史/ドイツ哲学を勉強しました(林健太郎の弟子でした)! さらに言えば、二宮宏之の国制史は(初動においては)成瀬治の導きに負っていました!!

2024年9月2日月曜日

Re-imagining Democracy

7月に書き込んでから、猛暑にやられたというわけではありませんが、このブログに書き込む余裕のないまま、8月はあっという間に過ぎてしまいました。台風と長雨もなかなかでしたね。みなさんの近辺では、豪雨等々の大きな被害のないことを祈ります。
ドタバタとしていますが、このあとぼくは、スコットランド・イングランドに参ります。

いろいろと書くべきことは多いのですが、3月にオクスフォードでお世話になったイニス、フィルプのお二人がオクスフォード大学のウェブサイトに 
Re-imagining Democracy というぺージを作成し、ニュース・近況を告知しています。すでにご存知かもしれませんが、念のためお知らせします。
https://re-imaginingdemocracy.com/
共著『民主政のイメージ更新』プロジェクトの第4巻:中欧・北欧は、2027年完成を目標としています。中澤科研としては黙って看過できませんね。cf. 『王のいる共和政 ジャコバン再考』(岩波書店、2022)pp.20-21.
なおこの8月に彼らが始めた
Centre for Intellectual History という試論ぺージもありますが、こちらはほとんど共著のエッセンス/論文素案のお披露目の舞台といった感じです。
Joanna Innes ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/what-did-it-mean-to-be-a-democrat-in-the-age-of-revolutions
Mark Philp ↓
https://intellectualhistory.web.ox.ac.uk/article/between-democracy-and-liberalism-ludwig-bambergers-path

中澤編『王のいる共和政 ジャコバン再考』(2022)、歴研編『「主権国家」再考』(2025)とも問題意識の重なる共著企画ですね。

2024年7月26日金曜日

暑い7月

 今月に入ってから、いろんなことがありました。
 イギリス総選挙と労働党の組閣;フランス国民議会選挙と政権の「オランピク休戦」!;合衆国ではトランプ狙撃に続き、これではトランプ圧勝に向かうかと見られた情況が、22日、バイデンの大統領選辞退、ハリス支持にともない、事態は急転直下 → 民主党の団結へと転じて「最悪」は防げるかもという希望が生じました。‥‥
 そうしたなか、2冊の本が到来して、背筋をのばされる思いです。
 順番に、まずは『中学生から知りたい パレスチナのこと』(ミシマ社、2024年7月)です。
 2022年6月に『中学生から知りたい ウクライナのこと』で、時宜をえた出版を実現した、小山哲・藤原辰史のお二人とミシマ社のトリオについては、このブログでも触れました。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2022/06/blog-post_11.html
これはすばらしい内容と迅速な公刊で、大歓迎でしたが、じつは特別に驚いたわけではなかった。100%の好感とともに、このお二人なら、こういうこともなさるかな、と自然に受けとめました。
 今回の『パレスチナのこと』については、まずは驚き、さらにこれこそ歴史的な学問をやっている人びとの責任のとり方だ、と姿勢を正しました。
 イスラエルの蛮行、ガザの惨状につき、日夜、憤りとともに心を痛める(さらに歴史的背景を自分なりに探る‥‥)までは - このブログを見る人なら - だれもがやっているかもしれませんが、「事態は複雑だ、解決はむずかしい」より先に一歩進めて、歴史と地理を考える/調べる、さらに二歩目の、自分がやってること/自分の世界史観の見直し・再展開につなげる、というまでは(手がかりがないと)なかなか難儀です。
 イスラエル国を批判することが「反ユダヤ主義」に直結するのではないかと懸念し、そもそもホロコーストと「英仏の帝国主義」に翻弄された被害者としてイスラエル人を免罪する/サポートするという傾向が、わたしたち生半可の知識をもつ者には少なくなかった。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_29.html
https://kondohistorian.blogspot.com/2024/01/blog-post_30.html
 そうした生半可の常識(学校教育で教えられ/カバーされてきた事実認識)をひっくり返す本です。現代アラブ・パレスチナの専門家=岡真理さんによって、「2000年前にユダヤ人(ユダヤ教徒)が追放されて世界に離散した」というのはフィクション(p.24);かつての南アフリカ共和国のようなアパルトヘイト国家=イスラエル国は -「ホロコースト」の犠牲者であるがゆえに - 何があっても - 免責される;「敬虔なユダヤ教徒はシオニズムを批判し、これに反対してきました」(p.49)といったぐあいに指摘され、目の覚める思いです。  〈つづく〉

2024年4月6日土曜日

マーチモント街

3月、ロンドンの宿の近くには Marchmont Street というのがあって、学生、インテリ、外国人向きの空気があります。初めてここに馴染んだのは1981年でした。ロンドン大学歴史学研究所(IHR)で4泊5日の院生セミナー「ロンドン史料指南」があり、この通りの北、Cartwright Gardensにある学生寮 Hughes Parry Hallに泊まり、南西の Russell Square を経由してIHR、つまりセネットハウスまで通ったのが始まり。
その後も、交通の便がよく、安宿、古本屋、ある時期はコピー屋、貸しPCといった便宜のためによく来たものです。バングラデシュをやってた人文地理の人に連れられてベンガル料理の店に来たこともあるし、そもそもロンドン大学の先生方御用達の North Sea もこの北にあります。フィッシュ&チップスといっても、労働者用の持ち帰り[take away]と中産階級用のテーブルで食べる尾頭付きとは、入口も違うのだとは、ここで初めて教えられました!
Cartwright Gardens にはその名の由来の John Cartwright(1740-1824)の立像と、さらにこの地域の来歴を示すボードができています。

今回、ぼくがこのマーチモント街を急ぎ足で通過して、北のBL(国立図書館)に向かうところをNさんが目撃したとのことです。また別の日曜には周辺を早足で散歩した折に、「日本人だろうか、いや見覚えがあるような‥‥」と悩みつつ通り過ぎてから振りかえると、先方も振りかえって、「なんだM先生ではないか!」といったこともありました。
地下鉄ラッセル・スクウェア駅と旧国鉄 St Pancras/Kings Cross駅にはさまれた地区なので、日本人の利用者も少なくないのでしょう。近代史をやっている者には限りなくおもしろい地区です。
その一つの例として(先のカートライト兄弟のこともありますが)マーチモント街から一つ筋違いの Judd Streetの61-63番には、1848年後に亡命してきたゲルツェン/ヘルツェンの居所として青い銘板=ブループラークがあります。【このプラークという語は日本語では「歯垢」という意味しかない!というので、『図書』では使用を牽制 → 抑制されてしまいました!】
今は Marchmont Stにあって営業しているJudd Booksという古書店も、20世紀には元来のJudd Stにあって広く、行くたびに収穫があったものです。今、その跡は全然別のカフェ - Half Cup Cafe, Kings Cross - になっていました。
【ちなみに、以前はマーチモント街/あるいはUCLまでUSBを持っていって紙にプリントしたものですが、今やそうしたPCやプリントの店は見あたらない。じゃあどうするんだ、と心配していたら、今では宿の受付にメールでPDFを添付して頼めば(10数枚までなら、カラーでも)無料でやってくれるのでした。時代も変わりました。】

2024年3月24日日曜日

またもやカメラ問題

3月のイギリスは案の定、天気は悪いがあまり寒くはなく、水仙も桜も咲きそろい、朝夕にブラックバードは歌い、リサーチおよびワークショップには悪くない環境でした。
帰国したばかりで、まだ時差呆けです。これからいろいろと書こうと思いますが、まずは昨9月に続いて、またもやカメラで冷や汗をかいた話を。話は長くなります。

帰国の直前の3日間はケインブリッジ。大学図書館の文書室、稀覯本室でじつに効率的に仕事ができました。文書室ではアクトン文書と、Peter Laslett文書。とにかく写真を何百枚と撮ると、半日で充電は切れてしまうので、小型軽量のキャノンを2器、それにスマホ、と計3台のカメラを携行していました。
最終日は、夜にはLHR出立なので、時間を有効に使うため、文書はすでに前日に注文し、閲覧できるものを特定。稀覯本は夜に(CULでは iDiscover というあだ名!)インタネットシステムで注文。
どちらも朝イチに行っても、これから作業開始ですとか言われかねないので、まずは開架(North Front)にある3冊ほどのアクトン書簡集の所へ急ぎ、特定ぺージを撮影。 次いで、西1階の稀覯本室でメアリ・グラッドストン関連の稀覯本とご対面。ここで予期を越えて貴重な写真を発見し、撮影しました。
最後に西3階の文書室に移動して、待っていてくれたラスレット文書のファイルを速読。この人は(日本の学界ではいささか低い評価ですが)、ロック研究・17世紀研究で失意の経験をしたあと、1964年からケインブリッジ・人口家族史グループの創建にあたるより前の時点では、BBC放送と学内政治にかなり関与していたようです。70年代の日本来訪のことも記録されています。そのとき松浦先生たちと一緒にぼくも会いました。
ただ今のぼくとしては、そういったラスレットの学問遍歴よりも、1961-62年のケインブリッジ歴史学Tripos(学位修得コース)改革にかかわる論議こそ見たかったのです。9月に旧友JWが、何かあるかもしれないよと示唆してくれたので、今回、見てみたのですが、大収穫。
『歴史とは何か 新版』ではあたかもカーの講演と出版がカリキュラム改革の先鞭をつけたかのような傍註を付けましたが(pp.139, 252-255)、むしろ1960年から歴史学部を賑わしていた改革論議が前提にあって、カーは経済史や非イギリス史系の人びととともに改革派の旗色を鮮明にした、これに対してエルトンを先頭にイングランド史の先生方の国史根性が顕著になる、ということのようです。カーも62年に長い意見書を提出していますが、エルトンはやはり長い意見書を2度も出して、イングランド史以外を必須にすることは有害で、なんの益もない、と力説します。
ちなみにハスラムのカー伝(Vices of Integrity, 1999)にもこのカリキュラム論議は出てきますが、まだ Laslett Papersは寄託されてなかったので(ラスレットの死は2001年)、史料典拠は明示されぬまま伝聞知識として述べられています。まだ未整理で not available な部分が大半のラスレット文書ですが、これから大いに利用価値のある集塊だといん印象です。

昼食にはJWから呼ばれているので、後ろ髪を引かれる思いながら、今回の調査探究=historiaは12時過ぎに中断。荷を置いていた Clare Hall に急ぎ戻り、タクシーでJW宅へ。
庭に面する明るい部屋に、おいしい北欧風ランチとウォトカ(!)が待っていました。
彼は学部はケインブリッジ、大学院はクリストファ・ヒルのもとで学びたく、ヒル先生には面談して受け入れてくれたのだが、オクスフォードの大学院委員会を仕切っていたのは欽定講座教授 Trevor Roperで、ラディカル学生として知られたJWを容認せず、「ラディカル活動家の鼻面をぶんなぐり」『新版』p.263、不合格としたのでした。【学部生の入学は学寮、大学院生の入学は全学委員会で決めるので、こういうことになるのですね。】
その後は、JWが駅まで送ってくれて、夫人はプールへ泳ぎに。
14:14発の快速で Kings Cross、パディントンから Elizabeth Line 15:54発でヒースロウ3へ、と順調に移動できました。チェックインも問題なし。面倒な securityも通過して、ふーっ、2時間も余裕があるぞ、と免税店に向けて歩き始めて、気がついたのです。腰のカメラがないではないか!

セキュリティに入るとき、身ぐるみ、電子機器、時計、財布、金属的な携行品など、トレイは3つに分けられてしまって、こういうのは混乱のもとで、嫌だなと思ったのが、そのとおりになったわけです。急ぎ戻って係員に交渉しても、どこのレーンだったか、と尋ねられ、似たようなレーンばかりで、何番なんて記憶していません。係員は、そもそもぼくが勘違いしているんじゃないかと疑う態度で、ぼくの背の鞄をスキャンさせろ、という。
ほら鞄の中にカメラがあるじゃないか、と彼はいうのだが、あなたね、ぼくはリサーチのために小型カメラを2台、スマホを1台、携行しているのですよ。そのうちの1台、腰の黒い小ポーチに入れたキャノンが、ポーチごと、見えなくなっているから声をあげているのです。この2週間のリサーチの収穫の大部分がこのカメラの中に収まっているわけで、-- たしかに「万が一」に備えて、じつは数日前にカメラのSDカードをコンピュータの記憶装置にコピーしたけれど、しかし、この3日ほどの撮影部分はまだコピーしていない。すなわちケインブリッジでの収穫は無に帰してしまう!
20分ほど押し問答して、こんなことありえない!と絶望しかけて喉はからから。そこに、 Hey. Is this yours? とおばちゃんが黒い小ポーチを掲げてきた。どこかに紛れていたようです。
皆さんも空港の security では、どうか最大限に集中して、ご注意を!

2023年11月12日日曜日

NZD ナタリ・デイヴィス ありがとう!

昨夜、なぜか胸騒ぎがしてNew York Times の obituary欄を検索したら、
Natalie Zemon Davis, Historian of the Marginalized, Dies at 94
とありました。生まれは1928年です。
息子=音楽家のアーロンに看取られてトロントの自宅で10月21日に亡くなったとのことです。学生時代から一緒だった夫チャンは、去年に亡くなっていました。
落ち着いてウェブのぺージを見直すと、プリンストンもトロント大学も、バークリもミシガン大学も、オクスフォードの歴史学部も、それぞれ縁のあった所は、みなオビチュアリや懐古の記事を載せないわけにゆかない気持になっているのですね。Google ですべてヒットします。
ぼくは1995年1月にヨークで開催された社会史学会の朝食の場で遭遇して、楽しく放談することができたようすを『UP』に書きました。その縁で、97年5月、6月に彼女を日本に招聘するときにも、実務的なことも含めて、いろいろお手伝いしました。このとき、立命館、東大、北大(西洋史学会大会)でデイヴィスに接した方々は、みな強い印象 - inspiration そのもの - を受けたでしょう。
『iichiko』という雑誌に、二宮さん福井さんと一緒のインタヴューを載せることができましたが、その夜はなんとシャルチエも合流して、英語仏語チャンポンの談笑とあいなりました! 97年にはすでに69歳だったナタリは夕食時に、アルコールはいけない、脳細胞に悪い効果がある、とキッパリおっしゃって、こちら日本人学者たちを絶句させたものです。
【ちなみに『歴史とは何か』のときにやはり69歳だったE・H・カーは、アルコールを忌避したわけではないが、パブのような所には無縁の人でした。酔うことが楽しいとは思わなかったのでしょう。】
その後のデイヴィスはさらに文化史、ジェンダー史、ユダヤ人・先住民史の関わり(braided history)へと切り込んでゆき、ぼくたちをほとんど置いてきぼりにしそうな勢いでした。
「贋者のリメイク-マルタン・ゲールからサマーズビへ、そしてその先」 「16世紀フランスにおける贈与と賄賂」ともに拙訳『思想』880号(1997年10月) はよく読むと、その片鱗/予兆がうかがえます。 ぼくの「デイヴィス(ナタリ)」『20世紀の歴史家たち(3)』(刀水書房、1999)はいささか息切れしていたかもしれない。
70歳代、80歳代もまた知的に創造的に生きた、カッコいいNZD
なんとオバマ大統領は、2013年、彼女に National Humanities Medalを授与していたんだね。これもカッコいい大統領!< https://www.nytimes.com/2023/10/23/books/natalie-zemon-davis-dead.html> こちらに写真があります。
音楽家(piano, percussion)のアーロンは来日のたびに連絡してくれたので、会うことができました。

2023年9月30日土曜日

バーミンガム大学にて

 今回の旅行は、ダブリンに2泊したあとは北アイルランドで4泊、ロンドンで2泊、バーミンガムで1泊、ロンドンで6泊、とたいへん忙しく機動的に動きました。
 バーミンガムは1982年以来です。New Street駅の近く、Town Hall(ヘレニズム様式!)やミュージアムのまわりは新しい建物が増えたとはいえ、基本は40年前と同じ。丘あり沢ありで起伏の多い街に、運河が行き渡っているのが印象的。全国的な運河網のハブだ、という歌いこみで、歩くにも飲食するにも楽しい環境を整備しています。
 今回の目的は大学図書館の Special Collection 所管の Papers of E H Carr です。New St.駅から University Stationへの鉄路も、他ならぬウスタ運河に沿って建設されています。産業革命の運輸は鉄道ではなく、運河だったという事実をみなさん、忘れがちです。18世紀後半から運河建設・改良は進み、鉄道建設は1825年/30年から始まる、というのは厳然たる事実です。ウェジウッドの陶磁器を鉄道でガタゴト運ぶわけにはゆきません。運河網を利用してリヴァプールにもロンドンにも、またその先の海外にも安全確実に運送できたのです。『イギリス史10講』pp.189-191.
 
 で、その運河脇の University駅に着くと、ホームで迎えてくれたのは、このジョーゼフ・チェインバレン。「エネルギーと人間的磁力」にあふれた美男、あの富裕ブルジョワのお嬢さんビアトリス・ポタの胸を焦がした「一言でいうと最高級の男性」です。バーミンガム市長、選挙権が拡大する時代の自由党の「将来の首相」。『イギリス史10講』pp.239-240.しかしベアトリスと別れ、1886年にグラッドストン首相と対立して自由党を割って出たチェインバレンは、civic pride のバーミンガム大学の初代総長にも就いていたんですね。市中でも大学内でもチェインバレンの存在感は大きい。
 広い空が広がるバーミンガム大学のキャンパスは、なぜか名古屋大学のキャンパスを連想させるところがあります。名大より広く、緑も多く、モニュメントも多いけれど。
 その北寄りの Muirhead Tower(ULとは別の新建築)に Cadbury Research Libraryと称する特別コレクション、手稿、稀覯本の部門があり、前週にインターネット予約をしたうえで参りました。最初の手続、確認を済ませたうえでアーキヴィストに導かれ、おごそかにドアの中に入ると、すでに予約した手稿の箱3つが待っていました。
 
 そこでは、こんな鉛筆書きのメモ(Last chapter / Utopia / Meaning of History)やタイプの私信控え etc., etc.を(座する間もトイレに行く間もなく)立ったまま、次から次に読み、写真に撮り、ということでした。各紙片に番号は付いていないし、また(私信や新聞雑誌の切抜きを除くと)日付もないので、取り急ぎのサーヴェイでは、全体的にきちんとした印象はむずかしい。それにしても、『歴史とは何か』第2版(M1986, P1987)における R W Davies の「E・H・カー文書より」(新版 pp.265-311)はかなりデイヴィス自身の問題意識に沿った引用・まとめであり、それとは違うまとめ方も十分にありうると思われます。たとえば、新版 pp.288-295では、70年代のカーの社会史・文化史への関心は十分に反映していませんでした!

2023年8月14日月曜日

近刊予告

近況ですが、『歴史学研究』No.1039(2023年9月)に 〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して (全7ぺージ)①  

『思想』No.1193(2023年9月)に 翻訳のスタイル (全4ぺージ)③  

が掲載されます。【後者は『思想』7月号「E・H・カーと『歴史とは何か』」特集号における上村論稿に触発されてしたためた小文で、そこで呈示された疑問や指摘に答えています。個人間の論争ではありません。一般的な意味を求めて、多くの第三者読者に向けて発した、論文/翻訳のスタイルについてのコメントです。ぼくもかつては清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書、1959)の愛読者で、卒業論文の執筆時に大いに参照しました。】
どちらも早ければ8月末には公刊とのことで、編集サイドの厚意とすみやかな作業のお陰です。ありがとうございます。
お読みになる順序としては、先にも少し書きましたとおり、
 『歴史学研究』9月号〈批判と反省〉①に最初の目を通していただき、
 その次に「思想の言葉:いま『歴史とは何か』を読み直す」『思想』7月号②を、
 そして、『思想』9月号の「翻訳のスタイル」③
という順で読んでいただくと、一番ナチュラルで良いかな、と思います。
②は、早くから岩波書店のウェブ「たねをまく」 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 にて公開されていますが、やはり順序として①が最初に読めるようにみずから努力すべきだったと、段取りの悪さを反省しています。

2023年8月13日日曜日

OEDの新画面

しばらく Oxford English Dictionary をオンラインで利用しないまま過ごしていたので、何週間ぶりだろう、一昨日、https://www.oed.com/ にアクセスしてみて一驚。画面が一新されて、何を見ているのかすぐには分からなかったのです。
特定の単語にヒットしたあとは、
Factsheet Meaning & use Etymology Pronunciation Frequency Compounds & derived words
とかいったぺージのどれを見ればよいのか。旧来の、ほとんど紙媒体の辞典のフォントを大きくしたままの画面では、何故いけないのでしょう。
一つの単語につき、語源の発音も、多様な意味・用法も用例も、頻度も、大きな画面(A4に印刷した場合、1ぺージに収まらず、10ぺージを越えることもザラ)に一覧できれば、必要に応じて、そちらにフォーカスすればよい。この一覧性こそ、知的な思考には必要不可欠です。
特定の目的で特定の結論を求める、効用本位の(utilitarian)- いわゆる字引としての - 利用でなく、ぼくは OEDを思考をうながし(thought-provoking)、インスピレーション豊か(inspiring)なデータベースとして何十年と利用してきました(昔は大判の辞書をコピー機のある部屋まで運んで、200%くらいに拡大プリントしたうえで、読み、書き込んだりしたものです)。
近年のなにか小賢しい利用を優先した「改悪」のような気がします。
いちおうの緊急対策として、
Meaning & use のウェブぺージを開いて、Show all quotations にチェックを入れて読んでゆく/Copy & paste して(色分けなど加えて)自分の.docとする
というのと、Etymologyのぺージを開く、というのを併用する(どちらも自分の.docとして、合体し保存)といった策を講じています。皆さんは、どうしていますか?

2023年7月25日火曜日

『思想』・『歴史学研究』・『図書』

梅雨明け10日」はメッチャ暑い、とは気象予報士の言。そのとおり連日の猛暑ですが、皆さま、どうぞ慎重に、お健やかに。(蝉しぐれのなかで書いています。)

先にも書きましたとおり『思想』7月号「カーと『歴史とは何か』」をめぐる充実した特集号でしたが、8月号はなんと <特集 見田宗介/真木悠介> なのですね!
見田さんは駒場のまぶしいほどの先生でしたし、その後も社会学の学生たちを実存レヴェルで揺さぶっていた先生です。60年代には父親=見田石介がだれしも知るマルクス主義の学者で、父といかに距離を保つか、どこに自分のアイデンティティがあるか、を考え続けていたのでしょう。8月号、未見ですが、楽しみにしています。 http://kondohistorian.blogspot.com/2022/04/19372022.html でも私見をしたためました。

そうこうするうちに昨朝『歴史学研究』のための初校を終えました。9月号(No. 1039)で、
〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して
というタイトルです。じつは昨年8月に書き始めてすでに9月には8割方できあがっていました。どう締めるかで迷っているうちに、『図書』の連載で月々の〆切に(心理的に)追われるようになって、しばらく冬眠・春眠していた原稿です。 4月から中学の同期会とか、高校の同期生のやっている「千葉県生涯大学校」の講演とかに出かけて、旧友たちと懇談して気持も整いました。無理なく「締める」ことができたと思います。
というわけで、本当の順番は、この『歴史学研究』9月号が先で、『思想』7月号は後なのです。「思想の言葉」をご覧になって、ちょっと飛躍があると受けとめた方々には、申し訳ありません。9月に『歴史学研究』をご覧になっていただくと、無理なく接続するかと愚考します。いずれにしても、『歴史学研究』編集長とスタッフにはたいへんご心配をかけました。

なお『図書』の連載はまだまだ続きます。
第11回(7月号)ウェジウッド「女史」。 これは自分では良く書けたのかどうか分からないところが残ります。
第12回(8月号)はマクミラン社の兄弟。 こちらは自画自賛ながら、調べて書いた成果が実感できます。カーの出版についても、マクミラン社およびマクミラン首相についても、「そうだったのか!」と納得していただけるのではないでしょうか。連載のうちでも会心の回の一つです。この2回連続して、セクシュアリティが通奏低音になります。
熱心に読んでくださる読者、とくに現役の方々からいただく反応はなによりのご褒美です。ありがとうございます。

2023年6月30日金曜日

カルガモ母子と『思想』7月号

 うっとうしい天気ですが、爽快な光景です。集合住宅のアトリウム池に数日前から大柄のカルガモが一羽すわりこんでいて、大丈夫だろうかと心配していたら、今日はなんと小さな雛7羽を従えて、池を泳いでいます。抱卵して動きがほとんどなかったのでした。
ご覧のとおり浅い池なので、お母さんの脚は床に着いて、ほとんど歩いています。
 先日到来した『思想』第1191号(7月号)は、特集として出色の号かもしれません。
 カーその人、著書『歴史とは何か』とその日本における/中国における受容、20世紀史におけるカーの所説の意味(の転換)、そして清水幾太郎訳(1962)と近藤の新版(2022)をめぐって、等々、なかなかの壮観です。各論考から大いに学べます。
 なおまた、「思想の言葉」についてはウェブの「たねをまく」に公開していただいて、早々と感想を寄せてくれる方もあり、有難いことです(縦組の文章を横組に開示しているので、漢数字がやや煩わしいですが)。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7306 
ただし、最後の数行前に、脱落があります。
  二〇世紀を生きた自由主義者社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人の告白でもあった。
    ↓ 
  二〇世紀を生きた自由主義者--社会主義的かもしれないが「一皮むけば七五%はリベラル」の知識人--の告白でもあった。
とダーシを2箇所補ってください。たった今、再見しましたら、直っています。担当者の方、有難うございました!

 ただし同じ号のなかで唯一、「カー『歴史とは何か』と〈言語論的転回〉以後の歴史学--近藤和彦の新訳をめぐって--」に限って、大きな違和感があります。清水旧訳を名訳とするかどうかは、拙文でも述べた「年長の先生方」の懇談(p.2)を想起して「あの年長の先生方のお仲間」を相手にしているのか、と認識を改めました。その旺盛なお仕事を何十年も前から読み、学んで、遠くから尊敬し羨望してきた方の文章なので、かなり困惑しています。
 「もう一工夫欲しかった」「誤訳ではないか」「疑問点」「‥‥するべきではなかったか」と指摘されている箇所は、ほとんど誤解と無理解によるものと思われます。いずれザハリッヒに学問的にコメントしたいと考えています。ただ今、身辺が多事多端ですので。

2023年6月4日日曜日

『図書』という月刊誌

こちらに「『歴史とは何か』の人びと」という連載を続けています。5月20・21日、名古屋の学会大会では、久しぶりに対面で懇談できたのも良かったのですが、何人もの方々から「読んでいますよ」と言っていただき、励まされました。
6月号(第10回)では「A・J・P・テイラとトレヴァ=ローパ」という、ちょっと問題的な20世紀の歴史家二人について立ち入っています。それは、第1にE・H・カーが『歴史とは何か』で彼らの言を効果的に引用しているからですが、また第2に20世紀のオクスフォードの学者たちの小宇宙を - スノッブのようにあがめ憧れるのでなく - 具体的にイメージングしておくことも必要、と考えたからでした。次(7月号)の「ウェジウッド「女史」」へとつながります。
同じ6月号には、桜井英治さん、大石和欣さん、池田嘉郎さんといった面々も書いていらして、前からの「日本書物史ノート」「東京美術学校物語 西洋と日本の出会いと葛藤」といった連載とあいまって、なかなかの読み物です。
さらには、今号から「西洋社会を学ぶ意味」というタイトルで、前田健太郎さんの「政治学を読み、日本を知る」という連載も始まったのに気付きました。これからが期待されます。しかも、この記事はウェブで読めるのですね。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7252
そういえば、ぼくの連載「『歴史とは何か』の人びと」の第1回目(昨年9月号)も、ウェブに公開されているのでした。 → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
便利です。 岩波書店の英断だと思います。

2022年12月14日水曜日

チャールズ3世の即位と立憲君主制

 『世界』1月号(12月10日ごろ発売)No.965 に「チャールズ三世の即位と立憲君主制のゆくえ」という拙稿が載っています。
 エリザベス二世の国葬儀の朝(9月19日)に『朝日新聞』に載った「二人のエリザベス」を見た編集者が依頼してきたものですから、おお急ぎで、研究者にとっては既知のことを述べたにすぎません: pp.133-142.しかし、一般には常識・通念にはなっていない大事なこと、共有すべき知識というのは、少なくない。
 エリザベス二世の死、チャールズ新王の即位(5月に戴冠式)という代替わりに、国のかたち、権力のしくみが明示的に集約的に現れます。それは日本における1989年、2019年にも同様でした。歴史学や国家学の研究者を刺激してくれる良い機会です。
 ちょうど個人的にも礫岩のようなヨーロッパ(山川出版社)、天皇像の歴史を考える:コメント『史学雑誌』、王のいる共和政 ジャコバン再考(岩波書店)といった共同研究の成果をふまえて、十分に述べることができたと思います。いわゆるアウトリーチです。 → https://websekai.iwanami.co.jp/ 
 なお『世界』のこの号は、特集ではなくても加藤陽子さん、橋本伸也さん、藤原帰一さんなどなど、関係しないではない記事がいくつもあり、楽しめます。「アメリカの憂鬱」という up-to-date な特集もあります。