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2025年3月28日金曜日

花鳥風月

世の中、内も外もおかしなことばかりです。季節も、スギ花粉症の盛りに黄砂まで加わって、調子悪いこと、この上なし。
24日(月)に東京(靖国神社の標本木)の開花宣言がありましたが、わが集合住宅の中庭のソメイヨシノも同じ24日の夕刻に、このとおり。↓
そのあと暖かい日が続いて、27日(木)夜には、このように「四分咲き」というのでしょうか。夜目には十分に美しく見えます。↓
暖かさに誘われて、ヒキガエルも姿を現しました。↓

2024年12月10日火曜日

村棲みの世に遅るるも

 阿智村の住宅を巡見させていただいて、感慨深かったのですが、清内路の神社の脇、昔の「回り舞台」のあとが公民館になっていて、そこの2階にこんな和歌がいくつも詠まれて、掲げられていました。


養蚕を是としひたすらなりし世も 過ぎむとしつゝ残る桑株

村棲みの世に遅るるも承知にて 水声 鳥語 草莽の謡

阿智村と湾岸

 土・日は長野県 下伊那郡 阿智村(あちむら:清内路、駒場、昼神温泉)にて、都市史学会大会+山里科研総括シンポジウム「山里の都市性」でした。
 寒かった! 清内路(せいないじ)・駒場など guided tour の最中にも、みぞれか雪か、という具合でしたが、夜の懇親会は村長さんとご一緒。その翌朝、早めに起きて窓外をみると、阿智川の上を雪が舞っています。今季の初雪とのこと。


 2日目は充実した報告・討論を聞いて、夕刻の恵那山の上に半月を見て、高速バス・新幹線を乗り継ぎ、日曜遅くに帰宅。翌月曜に外に出ると、こんなにまぶしい陽光。隅田川大橋から永代橋、佃の高層住宅群をのぞむ光景ですが、信州と東京湾岸の違いは大きい。

2024年4月20日土曜日

燕の巣

 ソメイヨシノの時期が過ぎて、八重桜が満開。ツツジも始まり、花々が美しさを競う季節だなと思いつつ、運河に添って歩くうちに、すばやく身をひるがえす鳥。これは、逃げる虫を追う燕(swallow)です。
であれば、あの巣に戻ってきたのだろうか? 近くの集合住宅の駐車場の天井脇に営巣された古巣を見に行ってみました。これは(よそのマンションなので委細は知りませんが)管理組合で大切にされて、床が糞尿で汚れるけれど、それは黙って掃除する、上の巣のあたりは汚れてもそのままに放置する、という方針のようです。
 夜に、つがいの燕が狭い巣に身を寄せあっている様子を(失礼!)パチリと撮影しました。こんなに狭くて、このままでは卵を産んでもあふれ落ちたりしないだろうか、それまでに「増築」するのだろうか、と心配になるくらいです。
 ところで、他の巣には燕はまだ戻ってきていないようです。慣用句で
  One swallow does not make a summer.
  Eine Schwalbe macht noch keinen Sommer.
とはよく言ったもので、英独ともに4月はまだまだ夏とは言えません。ところがフランス語・イタリア語の場合は
  Une hirondelle ne fait pas le printemps.
  Una rondine non fa primavera.
と言って、夏ではなく、春まだき、という感覚なんですね。
地中海に近接しているかどうかで、春か、夏か、といった季節感も違うということでしょうか。

2024年3月24日日曜日

またもやカメラ問題

3月のイギリスは案の定、天気は悪いがあまり寒くはなく、水仙も桜も咲きそろい、朝夕にブラックバードは歌い、リサーチおよびワークショップには悪くない環境でした。
帰国したばかりで、まだ時差呆けです。これからいろいろと書こうと思いますが、まずは昨9月に続いて、またもやカメラで冷や汗をかいた話を。話は長くなります。

帰国の直前の3日間はケインブリッジ。大学図書館の文書室、稀覯本室でじつに効率的に仕事ができました。文書室ではアクトン文書と、Peter Laslett文書。とにかく写真を何百枚と撮ると、半日で充電は切れてしまうので、小型軽量のキャノンを2器、それにスマホ、と計3台のカメラを携行していました。
最終日は、夜にはLHR出立なので、時間を有効に使うため、文書はすでに前日に注文し、閲覧できるものを特定。稀覯本は夜に(CULでは iDiscover というあだ名!)インタネットシステムで注文。
どちらも朝イチに行っても、これから作業開始ですとか言われかねないので、まずは開架(North Front)にある3冊ほどのアクトン書簡集の所へ急ぎ、特定ぺージを撮影。 次いで、西1階の稀覯本室でメアリ・グラッドストン関連の稀覯本とご対面。ここで予期を越えて貴重な写真を発見し、撮影しました。
最後に西3階の文書室に移動して、待っていてくれたラスレット文書のファイルを速読。この人は(日本の学界ではいささか低い評価ですが)、ロック研究・17世紀研究で失意の経験をしたあと、1964年からケインブリッジ・人口家族史グループの創建にあたるより前の時点では、BBC放送と学内政治にかなり関与していたようです。70年代の日本来訪のことも記録されています。そのとき松浦先生たちと一緒にぼくも会いました。
ただ今のぼくとしては、そういったラスレットの学問遍歴よりも、1961-62年のケインブリッジ歴史学Tripos(学位修得コース)改革にかかわる論議こそ見たかったのです。9月に旧友JWが、何かあるかもしれないよと示唆してくれたので、今回、見てみたのですが、大収穫。
『歴史とは何か 新版』ではあたかもカーの講演と出版がカリキュラム改革の先鞭をつけたかのような傍註を付けましたが(pp.139, 252-255)、むしろ1960年から歴史学部を賑わしていた改革論議が前提にあって、カーは経済史や非イギリス史系の人びととともに改革派の旗色を鮮明にした、これに対してエルトンを先頭にイングランド史の先生方の国史根性が顕著になる、ということのようです。カーも62年に長い意見書を提出していますが、エルトンはやはり長い意見書を2度も出して、イングランド史以外を必須にすることは有害で、なんの益もない、と力説します。
ちなみにハスラムのカー伝(Vices of Integrity, 1999)にもこのカリキュラム論議は出てきますが、まだ Laslett Papersは寄託されてなかったので(ラスレットの死は2001年)、史料典拠は明示されぬまま伝聞知識として述べられています。まだ未整理で not available な部分が大半のラスレット文書ですが、これから大いに利用価値のある集塊だといん印象です。

昼食にはJWから呼ばれているので、後ろ髪を引かれる思いながら、今回の調査探究=historiaは12時過ぎに中断。荷を置いていた Clare Hall に急ぎ戻り、タクシーでJW宅へ。
庭に面する明るい部屋に、おいしい北欧風ランチとウォトカ(!)が待っていました。
彼は学部はケインブリッジ、大学院はクリストファ・ヒルのもとで学びたく、ヒル先生には面談して受け入れてくれたのだが、オクスフォードの大学院委員会を仕切っていたのは欽定講座教授 Trevor Roperで、ラディカル学生として知られたJWを容認せず、「ラディカル活動家の鼻面をぶんなぐり」『新版』p.263、不合格としたのでした。【学部生の入学は学寮、大学院生の入学は全学委員会で決めるので、こういうことになるのですね。】
その後は、JWが駅まで送ってくれて、夫人はプールへ泳ぎに。
14:14発の快速で Kings Cross、パディントンから Elizabeth Line 15:54発でヒースロウ3へ、と順調に移動できました。チェックインも問題なし。面倒な securityも通過して、ふーっ、2時間も余裕があるぞ、と免税店に向けて歩き始めて、気がついたのです。腰のカメラがないではないか!

セキュリティに入るとき、身ぐるみ、電子機器、時計、財布、金属的な携行品など、トレイは3つに分けられてしまって、こういうのは混乱のもとで、嫌だなと思ったのが、そのとおりになったわけです。急ぎ戻って係員に交渉しても、どこのレーンだったか、と尋ねられ、似たようなレーンばかりで、何番なんて記憶していません。係員は、そもそもぼくが勘違いしているんじゃないかと疑う態度で、ぼくの背の鞄をスキャンさせろ、という。
ほら鞄の中にカメラがあるじゃないか、と彼はいうのだが、あなたね、ぼくはリサーチのために小型カメラを2台、スマホを1台、携行しているのですよ。そのうちの1台、腰の黒い小ポーチに入れたキャノンが、ポーチごと、見えなくなっているから声をあげているのです。この2週間のリサーチの収穫の大部分がこのカメラの中に収まっているわけで、-- たしかに「万が一」に備えて、じつは数日前にカメラのSDカードをコンピュータの記憶装置にコピーしたけれど、しかし、この3日ほどの撮影部分はまだコピーしていない。すなわちケインブリッジでの収穫は無に帰してしまう!
20分ほど押し問答して、こんなことありえない!と絶望しかけて喉はからから。そこに、 Hey. Is this yours? とおばちゃんが黒い小ポーチを掲げてきた。どこかに紛れていたようです。
皆さんも空港の security では、どうか最大限に集中して、ご注意を!

2023年7月25日火曜日

『思想』・『歴史学研究』・『図書』

梅雨明け10日」はメッチャ暑い、とは気象予報士の言。そのとおり連日の猛暑ですが、皆さま、どうぞ慎重に、お健やかに。(蝉しぐれのなかで書いています。)

先にも書きましたとおり『思想』7月号「カーと『歴史とは何か』」をめぐる充実した特集号でしたが、8月号はなんと <特集 見田宗介/真木悠介> なのですね!
見田さんは駒場のまぶしいほどの先生でしたし、その後も社会学の学生たちを実存レヴェルで揺さぶっていた先生です。60年代には父親=見田石介がだれしも知るマルクス主義の学者で、父といかに距離を保つか、どこに自分のアイデンティティがあるか、を考え続けていたのでしょう。8月号、未見ですが、楽しみにしています。 http://kondohistorian.blogspot.com/2022/04/19372022.html でも私見をしたためました。

そうこうするうちに昨朝『歴史学研究』のための初校を終えました。9月号(No. 1039)で、
〈批判と反省〉『歴史とは何か 新版』(岩波書店, 2022)を訳出して
というタイトルです。じつは昨年8月に書き始めてすでに9月には8割方できあがっていました。どう締めるかで迷っているうちに、『図書』の連載で月々の〆切に(心理的に)追われるようになって、しばらく冬眠・春眠していた原稿です。 4月から中学の同期会とか、高校の同期生のやっている「千葉県生涯大学校」の講演とかに出かけて、旧友たちと懇談して気持も整いました。無理なく「締める」ことができたと思います。
というわけで、本当の順番は、この『歴史学研究』9月号が先で、『思想』7月号は後なのです。「思想の言葉」をご覧になって、ちょっと飛躍があると受けとめた方々には、申し訳ありません。9月に『歴史学研究』をご覧になっていただくと、無理なく接続するかと愚考します。いずれにしても、『歴史学研究』編集長とスタッフにはたいへんご心配をかけました。

なお『図書』の連載はまだまだ続きます。
第11回(7月号)ウェジウッド「女史」。 これは自分では良く書けたのかどうか分からないところが残ります。
第12回(8月号)はマクミラン社の兄弟。 こちらは自画自賛ながら、調べて書いた成果が実感できます。カーの出版についても、マクミラン社およびマクミラン首相についても、「そうだったのか!」と納得していただけるのではないでしょうか。連載のうちでも会心の回の一つです。この2回連続して、セクシュアリティが通奏低音になります。
熱心に読んでくださる読者、とくに現役の方々からいただく反応はなによりのご褒美です。ありがとうございます。

2023年4月30日日曜日

April

今月もあっという間に過ぎてゆきます。April についてイングランド人がどういったイメージ(日照と驟雨が交替することで知られる月: POD)をもっていたか、という中学高校で習った知識、プラス日本では新年度という画期性が、刻みこまれています。
とはいえ、ただただ天候と日夜のことに追われて、というわけではなく、それなりの成果はあるのですが、そのことはまた後日に。
じつは4月の前半にはいろいろありましたが、23日(日)夜から妻が腰が痛いと言いだし、翌日からは声が出ず、咳が続き、発熱しました。すわ、コロナの初期症状?と警戒しましたが、そうではなく「ひどい風邪」ということらしく、水分たっぷり、睡眠もたっぷり、小食ながら栄養バランスには留意、という方針で凌ぎました。
ほぼ24時間遅れでぼくもまた同じ症状で、身体の節々も痛く、咳で苦しみましたが、連続してたっぷり睡眠したのは効果的だったと思われます。この週末から、短時間ながら住宅の周囲を歩いています。かろうじて『図書』連載の6月号分(A J P テイラとトレヴァ=ローパ)の初校を終えていたのは、不幸中の幸いでした。
名古屋の学会大会のための新幹線および宿の予約も、ようやく済ませましたよ!

2023年2月4日土曜日

『みすず』誌

 寒いといってもすでに立春。近隣の散歩道のユキヤナギは無数の小さなつぼみを付け、いくつか目立ちたがり屋の雪白の小花も咲いています。
 2日ほど前に『みすず』no.722 (1・2月合併号) が到着。恒例の「読書アンケート特集」です。これは百数十名の執筆者の読書嗜好とともにその個性、そして現況がうかがえる企画で、毎年楽しみにしています。今世紀に入ってからは書き手に加えていただいたので、年末年始の慌ただしい折とはいえ、何をどう書くか、何日か悩むのも楽しい。
 今号の場合は pp.98-99 に
・R. J. エヴァンズ『歴史学の擁護』〈ちくま学芸文庫, 2022〉
・David Caute, Isaac and Isaiah: The Covert Punishment of a Cold War Heretic (Yale U.P., 2013)
・G. ルフェーヴル『1789年 - フランス革命序論』(岩波文庫, 1998)
Oxford Dictionary of National Biography (Online, 2004- )
・S. トッド『蛇と梯子 - イギリスの社会的流動性神話』 (みすず書房, 2022)
の5つをめぐって、ちょっとしたためました。すべて E. H. カーおよび『歴史とは何か 新版』、そして『図書』の連載(『歴史とは何か』の人びと)に、なんらかの側面で関係することばかりです。

 同じ『みすず』では、川口喬一さんという英文学者が、『歴史とは何か』拙訳および T.イーグルトンにおける(笑)をめぐって鋭く指摘しておられます。『新版』の訳文および挿入の[笑]について、ここまで的確に受けとめ、評してくださった方は、他になかったような気がします。
「‥‥訳者がおそらく多く意を注いだのは、オックスブリッジでの講演者独特のポッシュ・アクセント(あえて言えば息づかい)の翻訳であったろうと思われる。‥‥当然のことながら(笑)のタイミングは難しい。笑いはしばしば講演者と聴衆との共犯関係、前提の共有によって成立するからだ。カーの立論もまた聴衆との知の共犯関係を前提にして展開されている。共感と逸脱のスリル。」pp.8-9.
 そして段をかえて、イーグルトンの講演をめぐって続きます。「‥‥アメリカではしばしば観客を爆笑(笑)させているのに、エディンバラでは、間を置いて待ってもイーグルトンの期待した(笑)が起こらず、講演者が「つまんねぇ客だ」と呟く場面も見える。‥‥この場合、文化の場における共犯関係がすれ違っているのだ。」p.9. 以上の引用文では( )もママ。
 川口さんは、1932年生まれとのこと。だとすると二宮、遅塚と同い年で、今、(誕生日前なら)90歳ということでしょうか? 上に引用したより前の段では、鹿島さんの『神田神保町書肆街考』をめぐって、川口さんが北海道から東京に進学してより、池袋・茗荷谷・本郷・神保町をむすぶ都電を愛用して通ったという神保町書肆街のこと、そして戦後の洋書事情が語られています。p.8. この都電は、ぼくが大学に入学したときにはまだありましたが、本郷に進学した68年には無くなっていました。
 ところで、この知的で愉快な月刊誌『みすず』が8月で休刊とのこと!? 驚きです。残念です。ただし、この「読書アンケート号は、なんらかの形で継続する予定です」とのこと。p.109. 恒例の楽しみです。どんな形でも継続してほしい!

2023年1月28日土曜日

年末年始のこと:1

年が改まっても、新年の挨拶もなく、このブログも一向に更新されないので、ご心配いただいているかもしれません。そもそも3月に母が亡くなって、年賀状は控えました。

月刊『図書』の連載「『歴史とは何か』の人びと」* はアタフタしながらも、なんとか続けています。毎回、たっぷり勉強して(積ん読だけだった本もすみやかに読破して)新しい発見もあり、「楽しくて為になる」連載です。
* 9月:トリニティ学寮のE・H・カー → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
10月:謎のアクトン。11月:ホウィグ史家トレヴェリアン。12月:アイデンティティを渇望したネイミア。1月:トインビーと国際問題研究所。2月:R・H・トーニと社会経済史。3月:フランス革命史とルフェーヴル。‥‥

ところが、旧臘19日に2月号(トーニと社会経済史)の原稿を仕上げ、ホッとしたとたんに、翌20日未明に事故発生。
トイレにゆこうとした妻が体の向きを変えようとして、尻もちをつきうめきました。段差も障害物もないのですが、布団がはみ出ていたかもしれません。痛がっていましたが、すごい転倒というわけでもなく(事が深刻とは想像もしなかった)、明るくなるまで待ってもらい、タクシーで、なじみのカイロプラティークに行きました。しかし、これは外科に診てもらわねばならないということで、救急車に頼りました。
【救急車はあまり待たずに来て車内に収容されましたが、時節柄、空いている病院を探し当てて車が動き始めるまで、3人の隊員が電話をしまくって、82分もかかりました! 病院まで、別に渋滞していたわけではないが、28分計110分。医療逼迫の現実を身をもって認識しました。】結局、かなり遠い、初めての病院に到着。検査の結果、股関節の大腿骨頸部骨折でした。
70歳以上の(ときには還暦以後の)女性によくある大怪我ということで、そういえば、6月に△さん、前年に◇先生と、先例を指折り数えることができます! 「段差のない所で、何につまずいたということでなく、ふわっと転んだ。強い打撲というわけでもないのに骨折した」といった話を他人事として聞いたばかりでした。
医師には、骨折部分に金属ボルトを入れる手術が必要、術後のリハビリを含めて3週間の入院、と告げられました。
ただちに入院手続をとって、想い出したのは、2010年にケインブリッジで知り合ったX夫人からうかがった話です。- 彼女は交通事故で入院し、手術は成功しても半身不随になると予告されたので、それなら、と入院中に医師・看護師が見ていない時にできるだけ四肢を動かし(最初はベッド内で、後には起き出して)、この自発的運動によって、みごとに今のとおり完全恢復した、とおっしゃるのでした。このエピソードを想い出して、二人で話題にしました。

 コロナ禍ですので、手術後、見舞いに行っても直接会うことはできず、すべて看護師をつうじての伝達・受け渡しと決められていました。しかも最初は大部屋で、電話は禁止。そこで考えて、昔の女子高校生がやっていた「交換日誌」みたいなノートを、未使用の手帳から作成しました。個室に移って電話できるようになってからも、これは役立ちました。<つづく>

2022年12月15日木曜日

冬の星空

このところ全国的にたいへんな冷え込みとのことですが、関東平野は晴天で、また近ごろは月の出も遅いので、星空が楽しめます。
ちょうど(夜の12時以前ですと)東から南東にかけて「冬の大三角」が望める時期です。 → https://kondohistorian.blogspot.com/2021/12/blog-post.html (去年も書きました)
しかも今は夜空で一番明るく赤い火星(Mars)が、「大三角」とオリオン座の上方で惑い往来しています。https://www.astroarts.co.jp/special/2022mars/index-j.shtml
ちなみに惑星について『歴史とは何か 新版』p.170 が言及したのは、歴史における偶発性、不運、無知を論じる文脈でした。

2022年8月25日木曜日

真夏の大雪山国立公園

8月も下旬。みなさま、いかがお過ごしでしょう。
ぼくは母の新盆の後は、北海道に飛び、札幌から道東へ。十勝平野の北、大雪山の南の秘湯めぐりと洒落込んだのですが、警報が出るほどの強雨で、通行止めにも遭遇しました。 でも翌日にはカァーっと晴れて、たっぷり紫外線を浴びるとか。相客もそれなりに居て、(みんなマスクをしていますが)パンデミックも終局に向かいつつある、という空気でした。

然別(しかりべつ)湖糠平(ぬかびら)湖といった名は初耳のような気がするけれど、帯広から糠平を経由して十勝三俣にいたる士幌線については、中学の人文地理で習ったな、とあやふやな記憶がよみがえり、糠平のひがし大雪自然館の脇からおりて廃線跡を歩き、左手の橋梁跡へ、右手の鉄道博物館まで行ってみました。

糠平川橋梁の下では前日の強雨のためものすごい濁流(↓)を間近にみて危険を感じ、鉄道博物館の士幌線関連の展示は、モータリゼイション≒高度成長期の前までの林業と鉄道を想わせ、そこはかとなく懐かしいものでした。

2022年6月5日日曜日

カワセミ

毎日、近隣を散歩しますが、すでに5月は終わり、バードウォッチングがてら立ち寄っていたスポットからカワセミの子鳥4羽が巣立ってしまいました。
池の水面の何10cmか上に伸びている枯れ枝に3羽がとまっています。もう1羽は左手の茂みのなかです。
5月の後半にはこんな具合に立派なカメラを構えた人たち(ほとんど定年退職世代!)で朝も夕も一杯、ぼくのようにスマホで撮影する者は、なんだか肩身の狭い思いをしたもんです。連日人が寄せてきた池のわきも、今はたいへん静かになりました。

2022年5月17日火曜日

5月の実家

15日(日)は母の四十九日で、お坊さんと一緒に納骨・分骨まで無事すませました。

その後、無人の実家に行ってみました。
同行した長男が感激(!)したほど、樹木が繁茂して、公道や隣家にはみ出しています。街灯や通行する車や人のためのミラーを覆っていた枝葉を切除し、ミニマムの応急処理をしたあとになって、ようやく気付きました。(じつは最初から家の中の気配がおかしいような気がしたのですが、2ヵ月ほど来てないし季節も変わったので、気のせいかと考えました。)
母が使っていた帳面や、手紙、写真の類が畳のうえに散らばって、前回にぼくが行った折に、帰りを急いで乱雑なままにしたのだろうか? そんなはずはないのだが‥‥。
角の部屋のガラス戸が開閉できないと妻が言い出したときに、事態の意味がようやくわかってきました。そのガラス戸のロックの周囲がかろうじて手が入るくらいに破られています。
よく見ると、あらゆる部屋のタンスや引き出し、戸棚(以上、すべて上の段のみ)、押し入れが開いたままではありませんか。空き巣が侵入して、物色したあげく、最後にはアルミ雨戸を閉めて(少なくとも外からは異常とは見えないようにして)退散したあとだったのでした。位牌のない仏壇も、電源を切ってあった冷蔵庫も、だらしなく開いている、と気付いて怖くなりました。
亡父の能面、謡曲の本、ぼくの著書とか、『漱石全集』、昔の『岩波講座 日本歴史』といった類にはドロボーは目もくれず、現金やカード、宝石類を探したのでしょう。‥‥母はカードの類は持たない人だったし、老人ホームに移ってから4年半も経ったので、金目の小物はただの一つも残ってないのでした。 残念でしたね。
それにしても見るからに無人の陋屋で、アルミの雨戸もガタピシ。こんな所にまで、空き巣は「ダメモト」で侵入してみるものなのでしょうか。みなさま、ご用心を!

2022年4月12日火曜日

花の下にて春死なん

 花の季節。梅、桃からソメイヨシノへと移り、今は八重桜、そして小柄で可憐なハナカイドウが街路で満開を迎えています。

 この数年、加齢にふさわしく体力の衰えていた老母ですが、それなりに元気にしていました。とはいえ、3月中旬からは急に悪くなり、今春ばかりは、ウグイスも桜も、言葉にして愛でることはできませんでした。南関東ではどこでも桜が満開の日に
願わくば花の下にて春死なん‥‥」
というとおりになりました。百歳と2ヵ月余りの大往生です。

 今際の母を見舞い 夜半の月 

2021年12月28日火曜日

夜空の大三角

 中学生・高校生のころ、冬の夕刻、帰宅時にはすでに暗くなっていましたが、夜空は広く暗く、またぼくの視力も2.0だったので、天の川も鮮やかに見えました。いくつかの星座も覚えました。 
 冬空のオリオン座(4つの一等星に囲まれた真ん中の三つ星が狩人オリオンの体躯とベルト)、左下にはその猟犬シリウスの白い目(夜空で一番明るいマイナス一等星!)。 オリオンの左肩(赤いベテルギウス)と、シリウスと、その左(東)に大きな正三角形を形成するプロキオン。冬の星空の初心者にもよくわかる大三角でした。
      (c)ニッポン放送 https://news.1242.com/article/279622  
 ところが、いつのまにか視力も減退し、また都市の夜は明るくすぎて、地上から天の川を見ることはなくなっていたものだから、1980年にケインブリッジで夜空に the Galaxy=the Milky Way が鮮やかに見えたのは、嬉しい驚きでした。チャーチル学寮の西の林の中に大学天文台がありました。そもそもケインブリッジが広大な農村部の真ん中に位置して、街灯もあまりなかったから、星を見るのに適していたのでしょう。
 この数日、日本海側の大雪の報道を聞きながら、関東平野は寒いけれど、申し訳ないほどの快晴で、しかもこの数日は月も未明・早暁まで出ないので、視力が0.1にも達しないぼくでも、わが家のベランダから夜空を見上げて集中すると、オリオン座や大三角くらい、そして冬のダイアモンド(Hexagon)までは、なんとかわかります。
 何十年も前の夜空を想い出しつつ、しかし、あの赤いベテルギウスは、やがてまもなく太陽よりはるかに激しく燃焼して生命を終える運命なのだ(数万年の範囲内で!)と知ると、天文学と歴史学とのスケールの違いをあらためて突きつけられるような気持です。

2021年8月19日木曜日

長雨のあとの半月

8月の初めは例年どおり暑かったのですが、10日を過ぎてから異常な長雨で、被害のつづく地域の皆様にはお見舞い申しあげます。東京をはじめ首都圏は長雨で洗濯物が乾かないとか、植木鉢の植物が過剰な雨水で根がやられてしまったとか、いささか悠長な悩みにとどまりました。気温も下がって冷房を使わない日もありました。むしろ、コロナ禍のほうが真剣な問題であり続けています。

そうしたなか、すでに一昨日の夕刻でしたが、久しぶりに青空が現れ、見事な半月が見えました。青空も月も見ない日夜が何日も続いていたので、いささか新鮮な気持で撮影したというわけです。月を単独で撮るというのでなく、都会の空に位置づけた写真とするのは、そう簡単ではありませんね。目視の印象よりデジカメの写真のほうがはるかに明るく写ります。(今晩も、より円みをました月をタワマンを背景に撮ってみましたが、写真としては暈けてしまったので、こちらはボツ。)

2021年8月4日水曜日

還暦を過ぎた桜並木

暑い盛りですね。みなさま、どうぞ無理せず、平常心でお過ごしください。

いまは無人の実家に行き、樹木も雑草も蔓延放題なのですが、隣家や公道に覆いかぶさるような枝葉だけは刈り込んで、多少の手当てをして参りました。
南北の窓をすべて開け放つと、それなりに涼風が通って、爽やかな気持ちになります。蛇口から直接、冷たい水道水を飲むと、小中高校生のころの感覚がよみがえります。
自宅にも学校にも冷房などなかった当時、夏休みは学校に行って級友と遊ぶか、自宅でなにかやっていた。島崎藤村 → 夏目漱石 → ヘルマン・ヘッセ、そして『ジャン・クリストフ』を読むか、ブラームスを聴くか。高校1年の一時期は、ベートーヴェンやブラームスの総譜を見ながら、(作曲ではなく)編曲の真似事などをやっていたこともある‥‥。大学2年の夏は ヴェーバー『宗教社会学論集』との格闘(みすず書房の『論選』翻訳が出るのは何年か後でした)。
暑さをあまりつらいとは思わなかったのは、若かったから? それとも実際いまほど暑くはなかった?
それにしても、この南の庭から北の隣家へと抜ける緑陰の涼風の感覚は、なぜか(60年くらいの時を隔てて!)なつかしく想い起こされました。

近くの公園です。もちろん遊具も道路との境界柵なども、全部入れ替わっていますが、60年を越えた桜の並木は、ぼくの9歳から23歳くらいまでの成長を見知っています。
1956年、県が開発したこの住宅団地に我が家はすぐに入居したのですが、なにもなかった公園には1・2年して遊具が置かれ、桜並木が植樹されたのだと記憶します。ですからこの桜木たちは64歳くらい‥‥。

2021年6月1日火曜日

5月の憂鬱(2)

〈承前〉

とはいえ、今日(月)が助教出勤日とも限らず、そもそも学外者はキャンパスからシャットアウトされるかも。

ということで、もう一度覚悟を決めて3月の複数の来信(含 たくさんの添付物)から読み直して気付いたのは、指定されたサイトに並ぶたくさんのマニュアルのうち、1- というファイルをぼくはまだ読んでないのでした。
どうせメール主文と同じような挨拶だろうと考えて(推断して)、2-A、2-B、2-C、3-などの(1が済んでいることが前提の)部分的で条件的なマニュアルを読み、不親切で非実際的な指南書であると憤慨していたのでした。なにごとも(語学と同じで)順を踏んでゆかないと無理ですね。

そうと判明してからは、きわめて素直に、順調にことは進みました【なんと最初にすべきことは[すでに既存のアカウントでサインインしてしまっていた] Googleからサインアウトすることでした!】。マニュアル 1-の一番に 
" お手許に次の2つをご用意ください
 ① 3月にメールで配布したpdfに記載の初期パスワード
 ② 普段お使いのスマートフォン "
とあったのも実際的で、おかげで、くりかえされる「二段階認証」にもすみやかに対応できました。

というわけで、解決してしまえば、いけなかったのはマニュアル(指南書)ではなく、ぼくの早トチリ( ← 高慢と偏見!)でした。
メディア室のみなさま、ご免なさい。丁寧なマニュアルは - 読みさえすれば!- たいへん分かりやすいものでした。

5月の憂鬱(1)

コロナ禍と同時にこの間のぼくを憂鬱にしてきたのは、大学のメールシステムの Google Workplace への移動にともなうユーザ本人としての対応でした。すでに3月から5月末日までが移行期、と予告されていたのだから、十分に日時はあったはずですが、しかしことはそう簡単ではない。

そもそも大学教師(元もふくめて)にとって3・4・5月というのは暇な時候ではありません。少しでもまとめて時間が取れるので、前々から予定していた読書や分析や執筆やに専念できるかというと、研究会も、会議もあります。近ごろはZoomを利用して気軽に研究会合や会議が催される傾向もあります! 今年は確定申告が4月に延びたので、それも!
千葉の母には直接面会できない代わりに、ホーム側から設定してくれて Google Meet もありました。

というわけで(あまり合理的な理由にはなりませんが)、延ばしに延ばしてきました。情報メディア室からの案内のメールと添付の(正確には指定のサイトに収納された)たくさんのファイルが不親切なような気がして、しっかり読むのが滞っていたのです(新しい語学をやって、まだ格変化くらいしか分かってないのに、仮定法/条件法の文章を読まされるような感じ)。昨夜(日)も指南書を見ながら途中までやって、なんだか分からなくなり、挫折。‥‥そもそもお仕着せで指定されたパスワードを変更しないと、現アカウントをはじめ、すべてが失効するわけだから、これは月曜に無理にでも大学に出かけて - PC持参で - 助教さんに、手取り足取りやってもらうしかないか、と絶望的な気持になったのでした。 → つづく

2021年3月31日水曜日

はないかだ

 今春は花も若葉も早く、すでにソメイヨシノの盛りは過ぎました。
 この間ゆったりと花見をする心境ではなく、ようやく今日お昼に行ってみた大横川では、花筏(はないかだ)状態でした。