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2023年4月30日日曜日

April

今月もあっという間に過ぎてゆきます。April についてイングランド人がどういったイメージ(日照と驟雨が交替することで知られる月: POD)をもっていたか、という中学高校で習った知識、プラス日本では新年度という画期性が、刻みこまれています。
とはいえ、ただただ天候と日夜のことに追われて、というわけではなく、それなりの成果はあるのですが、そのことはまた後日に。
じつは4月の前半にはいろいろありましたが、23日(日)夜から妻が腰が痛いと言いだし、翌日からは声が出ず、咳が続き、発熱しました。すわ、コロナの初期症状?と警戒しましたが、そうではなく「ひどい風邪」ということらしく、水分たっぷり、睡眠もたっぷり、小食ながら栄養バランスには留意、という方針で凌ぎました。
ほぼ24時間遅れでぼくもまた同じ症状で、身体の節々も痛く、咳で苦しみましたが、連続してたっぷり睡眠したのは効果的だったと思われます。この週末から、短時間ながら住宅の周囲を歩いています。かろうじて『図書』連載の6月号分(A J P テイラとトレヴァ=ローパ)の初校を終えていたのは、不幸中の幸いでした。
名古屋の学会大会のための新幹線および宿の予約も、ようやく済ませましたよ!

2023年1月29日日曜日

年末年始のこと:2

(承前)妻の術後の経過は良く、3週間の入院という予告からはるかに短縮されて、12月29日退院と決まりました。ただし逆に、脚が不自由で介助の必要な家族と二人で生活するのは不安で、27日、病院の帰りに、地域の「長寿サポートセンター」に寄って、助言をいただきました。飛び込みでしたが、親切に対応していただきました。頼るべきは頼って、孤立してしまわないことは大事です。介護保険も、そのために夫婦それぞれ支払っているのだ、と自分に言い聞かせて‥‥。【 → 1月6日にはさっそくサポートセンターの人と屈強の業者がきて、玄関、寝室、居間に床から天井までの可動支持柱(つっかい棒)、手すりなどを設置してくれました。】
27日の帰途、すでに日没直後でした。運河にかかる橋は軽く太鼓橋になっていて、視線の先、南西の空には明るい三日月! 穏やかな気持で、あぁこのところ月を見上げるということもなかった、そもそも新月前後だったから‥‥、と想いがたゆたう時に、
いきなり後方からドヤしてきたのが、自転車に乗った中年男でした。「橋の真ん中でうろうろすんじゃない」。そしてぼくの顔を見て、さらに絡んできた! 
そもそもぼくは(一休さんではないので、橋の真ん中ではなく)橋のアーチの頂点だが右端の、歩道の中ほどを歩いたり止まったりしていたわけだから、自転車の男のほうが遠慮しながら走行すべきなのですよ! でもこの類のアラフォーと口論しても何もいいことはないので、どう遣り過ごすかを第一に考えて対処し、結局、どつくのをやめた彼が次の信号で左折するところまで、しっかり目視しました(以後、再会しないように)。
このアラフォー君も、きっとなにか彼なりの問題と課題をかかえて、心に余裕がなかったのでしょう。夕焼け空や「冬の大三角」などを見上げて想いをただよわせると、すこし気分も変わるでしょうにね。

2023年1月28日土曜日

年末年始のこと:1

年が改まっても、新年の挨拶もなく、このブログも一向に更新されないので、ご心配いただいているかもしれません。そもそも3月に母が亡くなって、年賀状は控えました。

月刊『図書』の連載「『歴史とは何か』の人びと」* はアタフタしながらも、なんとか続けています。毎回、たっぷり勉強して(積ん読だけだった本もすみやかに読破して)新しい発見もあり、「楽しくて為になる」連載です。
* 9月:トリニティ学寮のE・H・カー → https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/6074
10月:謎のアクトン。11月:ホウィグ史家トレヴェリアン。12月:アイデンティティを渇望したネイミア。1月:トインビーと国際問題研究所。2月:R・H・トーニと社会経済史。3月:フランス革命史とルフェーヴル。‥‥

ところが、旧臘19日に2月号(トーニと社会経済史)の原稿を仕上げ、ホッとしたとたんに、翌20日未明に事故発生。
トイレにゆこうとした妻が体の向きを変えようとして、尻もちをつきうめきました。段差も障害物もないのですが、布団がはみ出ていたかもしれません。痛がっていましたが、すごい転倒というわけでもなく(事が深刻とは想像もしなかった)、明るくなるまで待ってもらい、タクシーで、なじみのカイロプラティークに行きました。しかし、これは外科に診てもらわねばならないということで、救急車に頼りました。
【救急車はあまり待たずに来て車内に収容されましたが、時節柄、空いている病院を探し当てて車が動き始めるまで、3人の隊員が電話をしまくって、82分もかかりました! 病院まで、別に渋滞していたわけではないが、28分計110分。医療逼迫の現実を身をもって認識しました。】結局、かなり遠い、初めての病院に到着。検査の結果、股関節の大腿骨頸部骨折でした。
70歳以上の(ときには還暦以後の)女性によくある大怪我ということで、そういえば、6月に△さん、前年に◇先生と、先例を指折り数えることができます! 「段差のない所で、何につまずいたということでなく、ふわっと転んだ。強い打撲というわけでもないのに骨折した」といった話を他人事として聞いたばかりでした。
医師には、骨折部分に金属ボルトを入れる手術が必要、術後のリハビリを含めて3週間の入院、と告げられました。
ただちに入院手続をとって、想い出したのは、2010年にケインブリッジで知り合ったX夫人からうかがった話です。- 彼女は交通事故で入院し、手術は成功しても半身不随になると予告されたので、それなら、と入院中に医師・看護師が見ていない時にできるだけ四肢を動かし(最初はベッド内で、後には起き出して)、この自発的運動によって、みごとに今のとおり完全恢復した、とおっしゃるのでした。このエピソードを想い出して、二人で話題にしました。

 コロナ禍ですので、手術後、見舞いに行っても直接会うことはできず、すべて看護師をつうじての伝達・受け渡しと決められていました。しかも最初は大部屋で、電話は禁止。そこで考えて、昔の女子高校生がやっていた「交換日誌」みたいなノートを、未使用の手帳から作成しました。個室に移って電話できるようになってからも、これは役立ちました。<つづく>

2021年6月11日金曜日

集団接種に参りました

暑い6月の金曜午後でしたが、江東区の公共施設でのワクチン集団接種に行って参りました。

5月17日から予約期間が始まり、区の通知で「ワクチンの安定的な供給が見込まれたことから」65歳以上の集団接種は「最大予約可能人数46,400人分」と明記されていたので、慌てることなく5月18日にPCに向かい、拍子抜けするくらい簡単に予約できました。ただちに自動的に確認メールも来たので、実際の接種まで3週間あまり待ちましたが、安心していました。前日にはリマインド・メールも到来。
これに続き区内医療機関での「個別接種」が始まり、さらにマスコミは政府の大規模接種センター(大手町・自衛隊)による接種を大きく報じました。選択肢が増えたこと自体はよいことですが、これで「浮気して」or「浮き足だって」大規模センターに押しかけ、地域自治体の接種予約をネグレクトする人々の気が知れないと思っています。最近の報道だと、その大規模接種センターがガラガラだというのも問題ですね。早く65歳未満にも接種対象を広げるべきです。

江東区は広いので、集団接種会場は区のスポーツセンター6カ所。接種時間は予約の段階で15分ごとに別けられていますが、到着した人は検温のあと全員屋内の待機室に案内されて、予約時刻が1時間以内の人から奥のホール(アリーナ)へ。老人たちは1時間以上前からやってきたりするので、そのための待機室だったわけです。
ざっと見たところ(撮影は禁止でした!)広いホールでは、15分枠ごとに15人が座って(1人1分という計算)順を待つように椅子が整然とならび、4列×15=60席ではなく、余裕をみて6列用意されていました。うち2列は全空席として、次に受付する該当列とそうでない列とを視覚的にはっきり区別しつつ、同時に席のアルコール消毒や忘れ物確認などをゆっくり施すという方針のようです。
会場には「事務」「責任者」「看護師」といったゼッケンをつけた係員がたくさん。
 (郵送された)「接種券」「予診票
  そして本人確認書類
の計3点の必須アイテムを携行しているかどうかは、最初の入館時から、くりかえし再確認されました。実際は順に
受付」(であらためて本人確認と予診票記載の遺漏がないかどうか形式的に確認)
→ 「予診」(予診票をみながら医師が問診) *
→ 「接種」(別の医師と言葉を交わしつつ) *
→ 接種後の経過観察(15分~30分)
→ 「最終受付」(体調確認と接種券の済証へのシール貼りなど)
と進みました。(2回目の接種予約は1回目に済ませています。)
【* この2つのプロセスのみ個室的に囲ったブースで、他はオープンな空間でした。】

ここまでの人のフローをいかに確実に間違いなく実現するか。これが枢要で、要するに Operations Research (大学一年・林周二先生の授業でやりました)をきちんと具体的に・集団的にやっているかどうかで運用は決まり、ときに報道されているような事故・混乱は防げるはずですね。
なお大学や事業所で集団接種をするというのは、たいへん良いことだと思います。社会的免疫状態(collective immunity)という観点から考えると、なによりも公共的な業務に従事している人、活動的に飛び回っている人からドンドン接種していただくべきでしょう。横並びの順番、平等主義がじつはあまり合理的でない無責任主義だったかもしれない、と再考しておく必要があります。

2021年1月3日日曜日

謹 賀 新 年

   新年をいかがお迎えでしょうか。

 1年前には想像もしなかった変事つづきの旧年でしたね。アタフタと対応しているうちに時は経過し、季節は移ろい、いつの間にかお正月。(雪国と違って)関東平野は寒いけれど無風の快晴がつづきます。パンデミックは収まらないどころか、ますます猛威をふるっています。この1年間の行動は自宅から約30kmくらいの範囲内にとどまり、飛行機を利用しての旅行など遠い昔のことのようです。

 そうした中でもITのおかげで遠隔の知友の顔を拝みながら対話したり、会合に参加したりできるのは、小さな幸せです。授業も学会もかえって便利になったかなという印象もありますが、しかし失われたものも少なくない。無駄なソシアビリテやちょっとした所作も大事だったんですね。

 そうしたグローバルな非日常のなかでも、古今の書物を読み、書きながら考え、ときには分かった!という気持になれるのは、職業の恵みでしょうか。幸運な人生なのかもしれません!

 加齢とともに、時折の知友のやさしさがいとおしく、身にしみますし、家族の生活と健康に思いをめぐらし、‥‥毎日散歩しています。この写真の横綱力士碑の左手にたつ横書の碑には「安政四年正月」とあります。

 みなさまも どうぞご健勝に!

 2021年正月     近藤 和彦

2020年6月26日金曜日

川勝 の 勝!

 川勝平太といえば、オクスフォードでもマンチェスタでも聞こえた男でした。ぼくより1歳若いが、小松芳喬先生と日本の社会経済史学会で鍛えられてアジア史をふまえ、イギリスでは Peter Mathias先生(そして Douglas Farnie先生)の薫陶のお蔭で、良い仕事をまとめることができたのです。早稲田大学では British Parliamentary Papers (いわゆるブルーブック)の購入決定に理事会が反対したというので、タンカを切って辞職して、国際日本文化研究センターに移動。そのころすでに環境史には一家言あり、1997年の日英歴史家会議(AJC, 慶応)ではスマウト先生の環境史報告へのコメンテータをつとめました。【じつは川勝とぼくの共著もあります!『世界経済は危機を乗り越えるか:グローバル資本主義からの脱却』(ウェッジ選書*、2001)】
 それからは静岡芸術文化大学(木村尚三郎後任)をへて政治にコミットしたようで、2009年の静岡県知事選挙で、(自民党・民主党の支持者を分裂させながら)当選、以後、2選、3選は圧倒的に勝利しています。

 一方のJR東海の金子慎社長は、といえば東大法卒、国鉄・JRの人事・総務畑で出世してきたかもしれないが、内向きの能吏で、- そもそも歴代首相とやりあい、英語での交渉もでき、皇室との個人的なつきあいもある川勝知事を相手に -、太刀打ちできるタマではない。
 今晩のNHK-TV、7時のニュースでも、川根の水で入れたおいしいお茶を供されて、金子社長が完全に手玉にとられてしまった場面が放映されました【この部分を、9時のニュースでは繰りかえさなかった。NHK幹部の独自の政治的判断≒配慮が介在したと想像されます!】。

 問題は、大井川や南アルプスだけではありません。
 コロナ禍で「リモート仕事」「Zoom会議」の快感を知ってしまった国民が、はたして、東京-名古屋は40分、東京-大阪は67分、といった恐怖のトンネル続きの「利便性」をこれからも支持しつづけるだろうか。ここは、むしろ東京オリンピックの中止、Aegis Ashoreの中止(河野防衛相の英断)、につづいて、never too late to mend! 電磁気によるリニア新幹線計画じたいを中止するという英断が待たれます。東京首都圏への過度の集中、通勤・出張を再考する好機ですよ、金子社長!

* ウェッジ選書とは、すなわち JR東海きもいりの出版でした! なんという皮肉/めぐり合わせ!

2020年3月22日日曜日

テレワークって


変な造語です。Work at home とか remote work とかなら、アリだと思いますが。

Covid-19 は、驚くべき急展開ですね。ダイアモンドプリンセス号が2月3日夜に横浜港に停泊した時点では、これほど世界中に急速に広まる pandemic の兆しとは予想されなかったし、なにより「不安だからといってむやみに病院に行き、検査を要求するのは無意味というより有害だ」という疫学専門家の意見が、まだ責任逃れのように聞こえたものです。
個々人の不安・恐怖の観点で考えるか、感染症の流行に社会的に対処する実践的な観点との違いがよく分かりました。前にも言及した、東北大学・押谷 仁教授が一般向けのインタヴューに答えた、よくわかる解説があります。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1582
英国政府の公衆向け簡便版は、こちらです↓
https://assets.publishing.service.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/874281/COVID-19_easy_read.pdf

要するに、換気の悪い屋内に密集し、ハグしたりキスしたり、カンガクの議論をしたあげく、二次会は立食でおいしいものを飲み食いして、口角アワを飛ばして談論風発、といったことをしない、という理解でよいのでしょうか。じつは今月20日~22日の二泊三日で合宿研究会の予定でしたが、3週間前に慌てて(しかしメール討議の合理的な結論として)延期となりました。JSPS側も理性的に研究費の繰り越しを認めてくれたようです。そのときは、6月なら大丈夫、という見込みだったのですが、本当のパンデミックになってしまって、それさえ危ういのかもしれません。
この年度替わりに在外研究から帰国する人、逆に4月から出かけるべく(何年も前から)楽しみに予定していた人、本当に災難ですね。2010年4月にはアイスランドの火山噴火で、北極圏経由で英国に向かう飛行機がキャンセルされ、孤独な疎外感を味わいました。 →  http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/heathrow.html
http://kondohistorian.blogspot.com/2010/04/still-stranded.html
そのときとは違って、今回はグローバルな事案なので、個々人の難儀というより、文明的な問題を共有する、といった情況でしょうか。

イギリスの大学では、オクスフォードの友人からのメールによると、こうです。
They are all learning how to do online teaching. One of my friends has his first online classes, five hours of teaching, today. Things have been very frantic for them. [They/them とは大学の教員たち]
でも、退職したご本人には、
It is unusually quiet, because everything is closed or cancelled. Still, there is plenty I can do, and spring is coming, so it will become more pleasant to be out in the garden(!)

ぼくの場合は花粉症もあるし、庭いじりするほどの土はないので、春を楽しむという気分ではありません。ただ、共同住宅の中庭のソメイヨシノがほぼ満開で、夜は、こんなぐあい。
ちょっと、ほっとします。

2020年3月2日月曜日

「東アジアとイタリア」から来る人


新型コロナ感染症をどう制御するか/できるか、という観点から、よくわかる説明をしてくれているのが、大阪大学の専門家お二人で、もしまだなら是非、お読みください。自分が感染するかどうかより、もっと大きな目で警戒すべきことがある。ということはパンデミックにさえならなければ、身の回りに1人や2人の患者が出てもパニクる必要はない、冷静に構えるべし、ということでもありますね。
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/022600659/

当方もいろいろ情報を集めたり、研究会予定について考えたりしているうちに、ケインブリッジのクレアホール学寮から、こんなメールが到来しました。

The rapid spread of coronavirus into Europe as well as East Asia raises questions about policy on offering apartments and guestrooms to Visiting Fellows or Life Members who come from infected areas. We will for the time being, not offer accommodation to Visiting Fellows or Life Members who come from high risk areas (as defined by Public Health England, Categories 1 and 2[1]).
(つまりぼくたち日本から来訪するメンバーは中韓伊からの方たちと同じで、学寮宿泊を当面は謝絶いたします、という通知です。)
(ちょっと微妙なこの方針について若干の正当性(理屈)は必要と考えるんでしょう。このように言います。↓)
In part this is to protect the college from a possible source of infection, but equally it is to protect the visitor from the problems which they would face in the event that they had to be quarantined within college.
We have therefore instituted a practice of asking those who wish to book guestrooms whether they are travelling from an infected area, and if they are, to refuse the booking with apologies.

で、その英国政府の定めたカテゴリー1と2なるぺージを見ますと、↓こんな具合。
https://www.gov.uk/government/publications/covid-19-specified-countries-and-areas/covid-19-specified-countries-and-areas-with-implications-for-returning-travellers-or-visitors-arriving-in-the-uk

2020年2月22日土曜日

水際作戦からパンデミックへ


いま中国、日本だけでなく、韓国、その他においても「市中感染」の段階に進んでしまった新型コロナウィルス(WHO の正式名称は COVID-19)ですが、これについてぼくは疫学もその歴史も知りませんから、特別なことは指摘できない。また不安やパニックを煽ったりしたくありません【当面、12日から個人的には花粉症で苦しみ始めました!】。ただ二つほどのことは言えます。

¶1.NHKテレビにもしばしば登場される賀来 満夫 教授(東北医科薬科大)がすでに2月前半には指摘なさっていたとおり、政府も医療チームもできること分かっていることはやっている、ただしこれは SARS や MERS と違って「はじめに劇症が出ない感染症だから、やっかいだ」ということです。つまり COVID-19のキャリアでありながら(とくに若くて元気な人は)ほとんど軽症で、肺炎の症状は出ない。だから普通の生活を送りながらウィルスを拡散しているかもしれない。糖尿病や循環器に疾患をもつ人、そして高齢者が罹患すると重症化してニュースになるが、その周囲にもっと多くの(軽症の)感染者がウィルスを拡げてゆく可能性を警戒すべきだ、とおっしゃっていました。事態はそのとおりに展開しています。【3月6日加筆:同じく東北大学の押谷 仁 教授が、大学のぺージでよく分かるように説明してくださっています。 → https://www.med.tohoku.ac.jp/feature/pages/topics_217.html
WHO はもう少し早めに、この病気の世界的な拡がりの脅威を警告すべきでした。そうすることによって、各国政府に早めで真剣な取組をうながすことになったでしょう。

¶2.もう一つの問題は、横浜港に停泊している Diamond Princess 号の国際法的な位置と船長の指揮権です。(日本政府は、船内の感染者数を日本国内の症例とは別にカウントしています!)
・外国籍の船が、感染症とともに、3700人もの多国籍・多言語の人々を乗せて寄港してしまった場合(しかも、入国手続は全員未履行)に、どうすべきかというノウハウはなかった。だから日本政府は毅然たる/明快な方針を立てなかったということでしょうか。官僚主義的で、どこか真剣さが足りないような気がしました。
・それにしても、船のなかのとりわけ緊急の問題は、船長(とそのスタッフ)に権限・リーダーシップがあるはずですが、今回の事態からはそれがさっぱり見えてこない。乗客にたいするコミュニケーション、乗員従業員にたいする指示・指導‥‥大きな問題を残しました。
グロティウスから大沼保昭、金澤周作にいたる賢者も即答できない、歴史的で急を要する事態が発生したわけです。そうした認識が1月の時点では(だれにも?)不足していた。
「水際作戦」とか quarantine (昔は40日!今は14日)といった、近世・近代的な対策では、スペイン風邪(WWI 直後のインフルエンザ pandemic)以後の現代的感染症 - しかも、はじめは劇症でなくソフトに始まる新型感染症 - には対処できない。これに英語発信の立ち後れという「日本的」問題も加わって(Ghosn 事案の場合と同じ)、この2020年は疫病史だけでなく、世界史に刻みこまれる年になりそうです。

‥‥これによって、付随的に、2020年真夏のオリンピック強行という愚行が、なんとか延期・修正されるかな?

2018年10月1日月曜日

退院の一報、励みになります


10月1日、台風一過で32度を超える暑さはかなわないけれど、それにしても洗濯日和です。2回も洗濯機を回しましたよ。ついでに風呂掃除も。

昨夜は大阪からの大移動と、台風対策で気疲れして、強風の音を聞きつつ早く寝てしまいました。
今朝起きてみたら、気にかけていた友人からメールが来ていて、彼の入院手術について、無事、昨日退院したとのこと。養生やリハビリでこれからも大変でしょうが、まずは安堵しました。
こういうニュースは、嬉しいだけでなく、ぼく自身にとっても励みになるのだと自覚しました。

2018年1月30日火曜日

冬は寒い

 ご心配をかけているかもしれません。
 このところ大学内の試験や論文審査、学外の公的任務に追われて、
ブログ更新が滞っていますが、なんとか凌いでいますので、ご安心を!

 最近の寒さについては、とくにどうということはありません。
ケインブリッジもロンドンもこれ以上の厳冬だったり、むしろ雨雲で気分が滅入ったり‥‥。
栄養バランス、就床前の温かいお風呂、睡眠時間さえ保たれていれば、マルチタスクの日夜が続いても、なんとかなるものです。

2016年12月5日月曜日

帯状疱疹とゴルバチョフ


 史学会大会の前の木・金あたりから頭皮(→ 顔の皮膚)の神経痛があり、その痛みが眼孔の奥にも及んだので、11月12日(土)に普段からお世話になっている眼科に行ってみたところ、帯状疱疹(herpes)が出るかもしれない、と予告されました。それまで、帯状疱疹とは想像もしていなかったので、「道」がみえて、なぜか一安心。
 13日(日)から額に疱疹が出始めました。痛みも増します。しかし、これがだんだん増えて眼に近づいたので、不安になり、火曜朝に順天堂病院に予約なしながら(皮膚科は急患を受け付けるというので)、これから行きたいと電話したら、なんと即日緊急入院という危ないケースもあり、と受け付けてくれた!
「万一の場合」にはこれがないと困る、という林・柴田両先生以来の教訓で「歯ブラシ」と、それから(さすがPCはなしで)原稿と材料を持って、順天堂病院に参りました(家族は所要で出かけているので、ぼく一人で)。電車のなかでも気付いた人はそっと距離を保つ、見るも無惨な形相です。
 ところが、皮膚科では血液検査と診察で、典型的な「三叉神経の帯状疱疹」ということで(こわい Ramsay Hunt症候群ではない)、適切な措置をしていただき、なんだか拍子抜けで、そのまま帰宅して、言われたとおりの経過をたどっています。18~20日くらいが峠だったでしょうか。
早めに治療(抗ウイルス錠+鎮痛錠+胃保護+軟膏)を開始したことが良かった、と言われています。顔や頭髪も積極的に洗って清潔にするように、とのことで心理的に楽になりました。孫と接触しても大丈夫、とも。
 見苦しいので、額に大きなガーゼを当てて授業をしたこともあります。電車内は帽子を被ることにしています。ゴルバチョフの額もどきの瘡蓋がいったんとれて、今は赤褐色のケロイド状でまだらな傷跡です。11月26日の書評会でも、12月3日の研究会でも、顔を合わせた方々を驚かせました。この次は火曜に同じ病院内の皮膚科とペインクリニックに行って、経過を見ます。頭髪が伸びてしまって、鬱陶しいのですが、散髪に行くのはその後ですね。
【ゴルバチョフ大統領(左)といっても、今の学生たちは知らない!これにもビックリ。】

2015年11月24日火曜日

頸椎症性神経根症

 つい2週間前のことです。大学のエレヴェータで出会ったグレースーツの紳士が、右腕に三角巾をしておられたので、どうしたのですかと尋ねたら、「肩の骨がささくれだって、神経を圧迫し、耐えられないように痛む。70歳を越えたらだれでもなるかもしれない、と医者に言われた」とのこと。お大事にと言って別れた、そのときのぼくはけっして冷たい気持で聞き流していたわけではない。でも、あたたかい気持で親身に心配してあげていたわけでもない。要するにぼくには関係ない不幸として受けとめていたのです。

 天網恢々‥‥そうしたぼくを戒めるかのように、13日(金)の深夜、就寝時から突然、右の二の腕、肘、そして右肩が大変に痛み/しびれ始めました。時間とともに、悶絶するほど痛くなる。未明に起き出して、湿布(ロキソニン)を探し出して貼ったけれど、気休めにもなりません。
 翌日(土)は千葉の老母のところに行く約束で、睡眠不足のまま出かけて(昼間は不思議なことにさほど痛まないので)この日はさほどの力仕事もなく、無事に過ごしました。とはいえ、やはり就寝後、数分たつとしびれ/疼痛が始まり、これが少し部位を移しながら波状に朝まで続く、悶絶の夜です! 日曜は史学会大会。これも、起床・活動時は軽く耐えられる痛みなので、皆さんとも普通に会話できました。

 16日(月)、知り合いの薦めもあり、麻布十番の鍼灸院に行きました。生まれて初めて。ちょっと緊張しましたが、話のやりとりをしながら納得づくで身体をほぐし、鍼をうち、灸をすえて、リラックスはできたと思います。若いときからの緊張と無理な力みが右手、右肩、身体の右半分すべてに累積しているとのこと。とはいえ急に恢復するわけではなく、じつはこの月曜夜あたりから疼痛も厳しくなったような気がします。
夕刻にはスマートフォンの画面入力さえビンビン響くように、指先や手の甲など身体の浅いところが痛む。ロキソニンに加えて、就寝時にパジャマの上から「衣類に貼るホッカイロ」を右肩および右肘のあたりに貼り、またバッファリンを飲む、ということを始めました。
 しかし、あいかわらず深夜にくりかえす悶絶の経験から再考すると、ロキソニンは部位を冷やして痛みを逆に強めているような気がするし、ホッカイロは上手に貼らないと低温ヤケドに近い痛みが残ります。というわけで、ロキソニンは中止、ホッカイロは一箇所、肩のみ。バッファリンは効果はあるのだが、多用しないことが条件。
 水木金から土日にも校務(推薦入試の面接と判定会議!)が続き、ようやく23日(月)になって鍼灸院を再訪。肩から二の腕、肘の部位をピンポイントで確認しつつ処置してもらいました。この月曜からホッカイロ、バッファリンも止めて、勧められた温湿布、トウガラシエキスの入った「ホグリラ 温感」のみ。あとはお酒を断ち、朝・夜2回の風呂。 → これでなんとか快方に向かっている気分です。

 ところで麻布十番って、歩くのが楽しい所ですね。http://www.azabujuban.or.jp/access/

 なお、インターネットで日本整形外科学会のサイトから「頸椎症性 神経根症」というページを捜しあてました。その記述とわが症状はピッタリで、加齢変化によるのですが、付随的に「遠近両用めがねでパソコンの画面などを頸をそらせて見ていることも原因となることがあります」! ‥‥手術はよほどのことがないかぎり必要ないようで、「基本的には自然治癒する疾患です。‥‥治るまでには数ヶ月以上かかることも少なくなく、激痛の時期が終われば気長に治療します」とのこと。
 こちらも参考になりました。頸椎症にも2つあるんですね。→ http://www.sekitsui.com/9specialist/sp005-html/
 現代医学でも決め手はないようで、ぼくと周囲の皆さんの直観が合致して、鍼灸に頼ったことは正しかった、と信じます。とはいえ、即効はなく、身体を温め、冷たい部分がないように、そして努めて上半身を動かす、ということでしょうか。軽い体操も教えていただきました。神経根症は身体の真ん中および足腰には作用しないようです。そもそも歩数計を装着して毎日しっかり歩いていますので、今のところ足腰は大丈夫。