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2025年1月5日日曜日

謹 賀 新 年

 戦禍や災害がうち続き、政治も危うげな昨今です。みなさま、いかが新年をお迎えでしょう。
 こちらの直近の最優先課題は
「歴史とは何か」の人びと - E・H・カーと20世紀知識人群像』(岩波書店)
の仕上げです。中澤(編)『「主権国家」再考』(岩波書店)は共著者とともに校正中です。その次の仕事『デモクラシー像の更新』も、自分の勉強として、公けの出版として、今から楽しみが一杯です。
 これらにも関連して、昨3月にはオクスフォード、バーミンガム等、9月にはスコットランド(ハイランド)、バーミンガム、ケインブリッジ等に参りました。ワークショップや人びととの再会懇談、文書リサーチとともに、1689年~1746年のジャコバイトの関連史跡を見て歩き、エディンバラでは一つの史料の細部を確かめることができました。ECCOなどディジタル化された画面では(いくら拡大しても)判別不能の、現物を見て触って、はじめて確かめられる特徴や細部など、喜びです。これはカーのいう「史料フェティシズム」でしょうか。
 それにしてもスコットランドのうち、ハイランドとロウランドの違いは、車で巡行してあらためて印象づけられます。北西部の氷期の痕跡、rough で tough な地理・天候とジャコバイトの心性は、無関係ではありませんね!(スコットランド王国には歴史的な大学が4つありましたが、グラスゴー以外は東海岸に偏っています。)
写真はインヴァネス(ジャコバイト最後の戦地 Cullodenの最寄り都市)のあるパブに刻まれていたエピグラムです。
 今年もお元気にお過ごしください。
 2025年正月     近藤 和彦

2024年9月15日日曜日

グレンコウの宿恨

はるばるスコットランドのハイランドも西海岸、コウの大渓谷(Glencoe)に参りました。
すごく険しく、ものすごく広大で、これは写真でなく実際に来てみないとその迫力はわからない。と言いながらここは写真でご覧に入れるしかありません。
訪ねあてたのは、マクドナルド氏族の末裔が19世紀末に建てた1692年の虐殺の顕彰碑。
これより前に Campbell, Duke of Argyll家の居城 Inveraray にも参りました。別の大渓谷(glen)を抜けて、潮の満ち干のいちじるしい深い入り江(loch)に面した立派な居城です。
対立したジャコバイトとホウィグと両方に挨拶したわけです。
そもそもこんなにも大渓谷で隔てられた各氏族、交際・連絡は険しい陸路よりも、リアス式に奥まで切り込んだ Loch の水路によるところが大きかったろうと、十分に想像できました。それだけ陸路をたどるのは大変でした・・・ その夕刻、太陽を背にして走るうちに、虹の根本に遭遇したのでした。 
ついでにスコットランドの loch とは湖だけでなく、海の入江についてもいうのだと認識しました。ドイツ語の See も海と湖と両方を指しますね。日本の古語でも「うみ」は琵琶湖だったり、瀬戸内海や日本海だったり・・・

2024年9月11日水曜日

虹の根本

ただ今、ハイランドを探訪旅行中。幸運にも虹の根本(ねもと、こんぽん)に遭遇。
車を降りて、撮影しました。

2021年6月16日水曜日

デジタル史料とパブリック・ヒストリー

デジタル史料とパブリック・ヒストリー 1641年アイルランド反乱被害者による証言録取書(1641 Depositions)
歴史学研究会の総合部会・例会として催されます。 → http://rekiken.jp/seminars/Sougou.html

日時:2021年6月19日(土) 15時00分~18時00分
報告:ジェーン・オーマイヤ Jane Ohlmeyer(ダブリン大学トリニティ・カレッジ TCD)
コメント:勝田俊輔、吉澤誠一郎、後藤真
通訳・運営協力: 槙野翔、正木慶介、八谷舞

参加形式:ZOOMウェビナー
*次のGoogleフォームから、6月16日(水)までに参加登録ください。
https://forms.gle/ytH51B1GU7u1vdkx8

この史料の意義については、ぼくの「ECCOから見えるディジタル史料の宇宙」『歴史学研究』1000号(2020年9月)pp.29-30でも触れました。
「ピューリタン革命」「三王国戦争」を考えるときにも、また今日のイングランド・アイルランド・スコットランドのあいだの「歴史問題」を考えるときにも避けて通れない1641年「虐殺」「フレームアップ」事件の原史料がオンラインで読めるのです。写真で、ママの転写(transcript)で、そして研究者のコメントつきで。
https://1641.tcd.ie/ (どなたもアクセスできます)
歴史学の具体的な革命の一例だと考えます。日本史・東アジア史の方々にもぜひ知ってほしい国際プロジェクトです。
【登載が、実家のちょっとした事案で遅れました。歴史学研究会の参加登録は16日(水)までとのことです!】

2019年12月13日金曜日

英国の解体


 悲しい予測が当たり、イングランドにおけるジョンソン保守党の圧勝、コービン労働党の完敗、スコットランド国民党の勝利、という選挙結果です。株式や為替市場がこの結果を歓迎しているというのは、国有化・反大企業をとなえる労働党(社会主義)政権への見込みがなくなったことを歓迎してのことでしょう。
 Get Brexit done! という単純でナイーヴなジョンソン路線が有権者に是認され、来年早々にヨーロッパ連合(EU)からの離脱手続に入ることになります。
 これではっきりしなかったイギリスの先行きが見えてきた、と歓迎する人は、問題の表面しか見ていない。ニワトリ程度のレベルの知性しか持ちあわせていません。ジョンソン政権が公言してきたことは、すべての問題をEUの官僚主義に帰し、イギリスが国家主権を回復すればすべてが解決するというだけで、なにも具体性がない。ヨーロッパから離れて、どうするのでしょう? 頼りにする盟友は、アメリカ合衆国? インド? 中国? すでに破綻した造船業は中国資本の肩入れで営業継続というニュースがありました。日本企業はどんどん離れて行きます。
 なにより憂慮するのは、労働党のこれからです。
 
 図に示すのは Politico の世論調査で、2016年のレファレンダム以来、もう一度あらためて(冷静になって)EUについてレファレンダムをやるとしたら、あなたはどちらに投票しますか、という「仮定の Brexit Referendum」です。2016年6月の投票の一瞬だけヨーロッパ離脱(Leave)票が50%を越えましたが、その後は一貫して、今日までヨーロッパ残留(Remain)派が常に数%の差をつけて優位なのです! つまりイギリスの有権者は悔い改めている! しかも別の調査では、若者であればあるほどヨーロッパと一緒でいたい派。
 こうした絶好のチャンスであるにもかかわらず、党の方針としてヨーロッパ残留、EU内での改革、孤立主義との闘い、を唱えることのできなかったコービン労働党とは何なのか。多くの良識派が党から去り、今回の総選挙ではイングランドでもスコットランドでも議席を失ったのには理由があります。コービンは直ちに党首を辞するべきです。
 なお、Scottish National Party は「民族党」ではありません。スコットランド民族というものは存在しないので。むしろスコットランド国民としての誇りをかかげた政党で、イングランドが賢明であるかぎり、ヒュームやスミスの時代から、連合王国として一緒にやって行こうとしてきたわけですが、これほど愚かで自己中のイングランド政治家たちを見ていると、分離独立してEU内に留まるしかないという決断を下すのも理解できます。
 北アイルランドは、さらに険悪なことになるかもしれません。

 EUのメンバー国にとっても、イギリス連合王国の離脱が良い効果をもたらすはずがなく、‥‥これまで、文明の中心、高等教育の拠点としてかろうじて存続してきたヨーロッパが、そうした知的ヘゲモニーを失い、グローバルな地殻変動(大混乱!)の21世紀へと突入するのでしょうか。2001年から始まっていた悪の連鎖ですが。
 経験と良識のイギリス知性が完敗した2019年総選挙でした。
 イギリス史を研究する者として、悲しく無力感を覚えます。

2017年2月18日土曜日

大学もチャリティ

 「チャリティとは慈善か」とは、前から言い続けている問題ですが、今回、大学院への推薦状を書いていて、ほら、このとおり、と言いたいくらいの見事な例に出くわしました。
 The University of Edinburgh is a charitable body, registered in Scotland, with registration number SC005336.

 金澤周作さんや伊東剛史さんのお仕事にもよく現れているとおり、海難救援団体も動物園も博物館も子どものためのNPOも、チャリティなのです。慈愛にみちた救貧法人もそうだし、エリートの学校法人も「コミュニティの益となる目的」のために設立・運用されている基金や社団であれば、チャリティです。慈愛にみちているかどうかよりも、信託法のもとにあるファンドにもとづく任意活動であることこそ、要件です。ファンドを賢明に運用して、事業資金を黒字で確保することも、理事会の責務として想定されています。日本でいえば、サントリー文化財団ばかりでなく、日本学術振興会(JSPS)も、国家公務員共済(KKR)も、英米法の範疇ではチャリティと定義されるでしょう。cf.『イギリス史10講』p.220 

 最初に書いたことにもどれば、エディンバラ大学がチャリティ団体だ(日本の「国立大学法人」ですかね?)という点だけでなく、もう1点、イングランドとスコットランドは別の法体系で動いている、という連合王国の事実もここで確認されます。「無君・一法・万民」のフランス共和国とちがって、「一君・二法・三国民」のイギリス連合王国です。
 EU(ヨーロッパ連合)のメンバーであることと、連邦主義とがあいまって、現代のイギリスの経済と大学ビジネスを繁栄させてきたわけですが、さて、EUから抜けてしまうと、どうなるか。

2016年10月14日金曜日

悲劇的な史劇 or 悲劇の形をとった史劇


【承前】 そもそも『ハムレット』の正規の題は The tragical history of Hamlet, Prince of Denmark です。高貴のプリンスは、ルターのヴィッテンベルク大学をちゃんと卒業したのか留年中なのか、むしろNIETなのか、よくわからない状態で実家のエルシノール城に戻ったのです。
あたかも実存哲学的な科白と筋を展開しつつ、1600年前後の〈諸国家システム〉における王位継承のあやうさと王殺し、母子の関係のアクチュアリティを埋め込むことによって、『ハムレット』は多義的で近世的な作品として呈示されています。おそらくシェイクスピアは相当の自負心をもって、ロンドンの観衆・聴衆・読者にむけて、ヨーロッパ事情と寓意に満ちた作品を見せつけました。それは「悲劇の物語(history)」でもあり、「悲劇の形をとった史劇(history)」でもあり、歴史的な悲劇でもある。

複合君主政のイギリスはステュアート家による代替わり(1603)の直前直後でした。しかもジェイムズの母は「淫乱のメアリ」! 父(夫)殺しに積極的に関与していました。 ロンドンの観衆は、複合君主政(しかも選挙王制)の「デンマーク・ノルウェイ王国」における王位継承の悲劇を人ごとでなく受けとめたでしょう。「淫乱の母」とその一人王子も含めてハムレット家は劇の終わるまでに全滅し、その宰相ポローニアス家も死に絶える。いったい王位はどうなるのか。
ハムレット王子が息絶える前の最後の言葉は、1) 学友ホレイショにむけて、見たこと my story をしっかり伝えてくれ、2) election があればノルウェイ王子フォーティンブラスが勝つだろう、he has my dying voice、と言って死ぬのです。父王フォーティンブラスと父王ハムレットのあいだの古き意趣がここで想起され、1524/36年~1660年のあいだ、選挙王制をとる「デンマーク・ノルウェイ」の複合君主政がここで機能し始めます。
劇末にてフォーティンブラスが盛大に葬式を執り行うのは、王位継承を受けての喜びの、公的行事なのでした。

そもそも父ハムレットが死んでその一人王子ハムレットが王位を継承しなかったのは、臣民の賛同が得られないから[人望がないから]、ということが含意されています。(まだ学生だから、ではありません。事実、メアリはほとんど生後まもなく1542年に、ジェイムズは1歳に満たずして1567年に王位を継承したのですから。)

12日夕の公開講演は、この間、ケインブリッジのワークショップから、福岡大学の七隈史学会も、映画論も含めて、スキッツォ的に拡散しがちなわが関心事が、近世的・礫岩的に連結した瞬間でした! いらしてくださった皆さん、ありがとう。 いらっしゃらなかった皆さん、いずれ録画配信、あるいは書き物で。

2016年10月13日木曜日

『ハムレット』


ご無沙汰しました。学期の始まりと、「東奔西走」とまでは言わないが、いろいろなことが続き、blogに書き込む気になれない、という日夜でした。

昨12日夕には、立正大学の公開講座(品川区共催)で、没後400年 シェイクスピアを視る という企画の一環(第3回)として、
「インテリ王子ハムレット」と「学者王ジェイムズ」
という話をしました(品川区から録画チームが来て無事収録できたようですから、いずれインターネット公開されることになると思われます)。

ロンドンからデンマーク、この間いろいろと撮りためた写真も使いながら、 -当然ながら、ズント海峡、エルシノールのクロンボー城、地の神の像の写真も見ていただきました- 文学研究の作品論とは異なる観点から『ハムレット』を見直し、1600年前後のロンドンの観衆・聴衆・読者がどう受けとめただろうか、論じてみました。一般むけで楽しく、しかしやや論争的なお話としました。
『デンマーク王子ハムレットの悲劇の物語』(1599から上演、刊本は1603~23に数版でます)が、じつに「礫岩のようなヨーロッパ」を地でゆく悲劇的史劇であることを最近に「再発見」したぼくの、エキサイトしたお話でした。
『ハムレット』を翻訳で読んだのは高校生のとき、さらに高校の図書館で研究社の対訳叢書(市河三喜監修)を見つけて、対訳註釈の付いた版で英語を読むよろこびを知りました。
To be or not to be: that is the question. から始まる一種実存哲学的な雰囲気と、言葉、言葉、言葉‥‥の溢れる警句的、寓話的な近世の宇宙を(今おもえば)このとき垣間見たのですね。16・7歳の少年が同年配の乙女にたいしてもつ、不安定な感覚もあいまって Frailty, thy name is woman. とか;時代にたいするカッコをつけたスタンスとして The time is out of joint. とか暗唱して悦に入っていたものです。もっとも
There are more things in heaven and earth, Horatio, than are dreamt of in your philosophy. というのは気取っているが、しかし青い高校生にとっては心底は理解できないままの科白でした。
‥‥のちのち大学院教師となって、ほとんど常識のつもりで『ハムレット』の科白を(日本語で)言ってみても、まるで反応のない院生が過半だと知ったときほどの驚愕(宇宙を共有していない!?)は、ありませんでしたね。それ以後またしばらく経って、『イギリス史10講』でシェイクスピアを引用するときにも、ちょっとだけ考えこみましたよ。結論は、「妥協しない」。著者として現実的に貫きたいことは貫く、というわけで、『イギリス史10講』には、(巻末索引に 37, 111 ページが採られているだけでなく)シェイクスピアに限らず、高校生にも読める英語のセンテンスが重要な論理展開の場面で、いくつか訳なしで書き込まれているわけです。

ところで、そうした「引用文に満ち溢れた」『ハムレット』という作品ですが、なぜかデンマーク宮廷にイングランドだけじゃなく、ノルウェイだかの使節や軍人が出入りしている;ドイツ留学やフランス留学が前提されているのは国際性の現れとしていいかもしれないが、劇の結末は、ノルウェイ王子が登場して、これから立派な葬式を執り行なおう、と宣言して終わる。‥‥これは、いかにも取って付けたというか、変なエンディング、という印象でした。しかし、高校生には手に余る問題で、以来、思考停止していました。

ローレンス・オリヴィエ監督・主演の『ハムレット』が、ぼくの受容原型で、それ以外は余分な粉飾(!?)のような気さえしていました。
こうした50年前(!)から棚上げしていたぼくの疑問と思考停止は、礫岩のようなヨーロッパ、複合君主政という視点をとることによって、眼からウロコが落ちるように氷解するのです! to be continued.

2015年5月31日日曜日

オクスフォードの新総長

News and events

Professor Louise Richardson, currently the Principal and Vice-Chancellor of the University of St Andrews, has been nominated as the next Vice-Chancellor of the University of Oxford.

Prior to joining St Andrews in 2009, Professor Richardson lived and worked in the United States where she was Executive Dean of the Radcliffe Institute for Advanced Study at Harvard University.

Professor Richardson said of her nomination: 'Oxford is one of the world's great universities. I feel enormously privileged to be given the opportunity to lead this remarkable institution during an exciting time for higher education. I am very much looking forward to working with talented, experienced, and dedicated colleagues to advance Oxford’s pre-eminent global position in research, scholarship, and teaching.'

The Nominating Committee was chaired by the Chancellor of Oxford University, Lord Patten of Barnes, who said: 'The panel was deeply impressed by Professor Richardson’s strong commitment to the educational and scholarly values which Oxford holds dear. Her distinguished record both as an educational leader and as an outstanding scholar provides an excellent basis for her to lead Oxford in the coming years.'

Subject to the approval of Congregation, the University’s parliament, Professor Richardson will succeed the current Vice-Chancellor, Professor Andrew Hamilton, on 1 January 2016.

2015年5月10日日曜日

連合王国(UK)総選挙の結果


1. 報道されているとおり、5月7日の庶民院(衆議院)選挙の結果は、
合計650議席(過半数は326)のうち、
現政権の保守党(Con)が24議席ふやして331議席へ
連立与党だった自民党(LD)が49議席へらして8議席へ
野党・労働党(Lab)が26議席へらして232議席へ
野党・スコットランド国民党(SNP)が50議席ふやして56議席へ
北アイルランドの民主統一党(DUP)が現状維持で8議席のまま
その他が2議席増やして15議席へ
となりました。
おおかたの予想に反して保守党が単独過半数を制し、これを機に基本的に政策構想の違う(社民リベラル的な)自民党との連立を解消し、保守党が単独で組閣するという結果になりました。
同時に(社民・EU的な)スコットランド国民党【民族党ではありません】がスコットランドの全59議席のうち56を占めて「圧勝」したわけですが、こうした事態について、日本のマスコミで明快な、筋の通る説明はありません。
一つは得票率と地域性を考慮にいれ、もう一つはSNPを「スコットランド民族党」と訳すことなく社民の地域党と認識すれば、ことは明白です。

2. 保守党またはトーリ党の正式名称は The Conservative & Unionist Party of the UK です。連合王国の保守・統一党。ディズレーリ以来の保守的=有機体的な世界・歴史観、したがって王制に親しい国民統合(one nation)主義、自由放任主義による「小さな政府」をかかげます。キャメロンは Thatcherのクールな「歴史の終わり」的アナクロニズムを反省して、ディズレーリ+ネオリベラル(それゆえの EU skeptic)で政権を運営してゆくようです。
親EUの自民党を切り捨てて単独政権とするという点で、(公明党を切り捨てない)安倍連立政権とは政治のやり方が違います。議席が24ふえたといっても、得票率は0.8%増で、むしろ現状維持。選挙上手あるいは敵失の結果といえます。One nationといっても、連合王国内の連邦主義に反対し、アイルランド・スコットランド・ウェールズを手放さない中央集権主義(England 中心主義)ですし、対外的にEU懐疑、親英連邦(pro-Commonwealth)、旧植民地以外からの移民規制に傾きます。

たいする労働党は、ブレア党首(1994)以来の New Labour, しかも Ed Miliband 党首は一時は moral economy を唱えていました。首都圏での善戦をはじめ、得票率は 1.5%増で悪くはない。ところが26議席も減らした。
なぜか? 歴史的に地盤としていたスコットランドで、社民路線のSNPに支持をさらわれてしまったから。これはスコットランド独立をめざすかどうかという国制(constitution)問題というよりも、現キャメロン政権(のあらゆる政策)にたいして明白な批判を呈示しているSNPへの支持という政治力学(politics)の問題なのではないかと思われます。
SNP(スコットランド国民党)はスコットランド以外で立候補せず、また近々にはスコットランド独立をはかるつもりもなく、むしろ連合王国政治におけるスコットランド地域の発言力をます、ということが目標です。
元来、グラッドストン、ロイドジョージ以来のリベラルと、80年代の労働党から分離した社会民主同盟がくっついてできた「自由民主党」(Liberal Democratic)-日本の自民党とは成り立ちが全然ちがいます- ですが、2010年から保守党と連立政権を維持して、不本意な「共犯者」の5年間を過ごしてきた結果、有権者から見捨てられたわけです。

3. 結局、これは推測ですが、
イングランドの従来の自民党(LD)支持者が → 保守党へ
スコットランドの従来の労働党支持者が → SNPへ
という大きな地滑りが生じ、スコットランドで労働党の死票がふえた、ということでしょう。選挙戦中には「接戦になる」という予想がもっぱらだったので、それに対応して SNPは anti-Tory, 保守党を連立政権から排除するために何でもすると明言し、つまり労働党=SNPの連立を予期していました。
蓋を開けてみると、232(Lab)+56(SNP)=288、これに8(LD)を足しても全然およばない。(スコットランドとロンドン以外では)反保守党勢力の完敗です。
保守党の one nation をかかげるキャメロン首相にとって、ウィリアム王子の姫シャーロットが選挙戦中に生まれ、大々的に報じられた、というのは、願ってもない追い風となりました。ナイーヴな愛国の国民は、王家とキャメロン一家と現政権下の繁栄を支持して投票場に行ったわけです。

投票率はUK全体で66.1%、スコットランドでは71.1%でした。【総選挙で66%すなわち3分の2が投票に行くというのは、現日本ではありえない数値ですが、イギリスでは伝統的に7割をこえていました。日本人よりはるかに political な nationです! ∴英国民としては(Scottish politics 以外では)、あまり燃える要素がない総選挙だったということになります。】
数値などデータは BBC および The Guardian(どちらも Online)、そして分析の前提は『イギリス史10講』(岩波新書)によります。

選挙予報・世論調査の信頼性という、もう一つの考えるべきイシューも露呈した総選挙でした。

2015年5月6日水曜日

SNP とは「スコットランド民族党」なのか?

 否。
 日本のマスコミは(新聞協会かどこかで決めたのでしょうか)5月7日の総選挙がらみで「スコットランド民族党」というのが存在するかのような報道が繰りかえされています。これは大間違い。
Scottish National Party とは、その公式のサイトには「スコットランド独立をめざす社会民主主義の政党です」とあり、民族うんぬんはいっさい言っていません。
http://www.snp.org/about-us

1) つまり右翼ではなく、社民の政党で、現保守党=自民党連立政権に反対する、というのが一番のポイント。選挙結果により連立が組まれる場合も、anti-Tory (トーリ党を政権に入れない)という方針で動く、と明言しています。
2) 雇用、福祉と地方自治、減税、環境、EU堅持を訴え、緊縮財政・ネオリベラリズムに反対しています。
votesnp.com/docs/manifesto.pdf

3) ロンドンの現 Westminster politics に反対してまずはスコットランドの発言力を増す、というのが第1の political な課題。次いで第2に(1707年に消滅した)スコットランド国の再生・独立、という constitutional な目標をかかげています。
すでに1999年からエディンバラに議会(Scottish Parliament)は存在し、機能していますが、完全独立国家になろうとしているわけです。(カナダやニュージーランドと同じような)英国王を元首としていただく、英連邦内の主権国家になろうという主張です。
4) その結果(おそらくは同君連合という関係になる)イングランド王国もまた改めて、手続きをへて独立国家となるのかどうか、ウェールズはどうするのか、は礫岩政体の、今後の重大・国制イシューですね。

∵なにより、大前提ですが、「スコットランド民族」というものは存在しません。ハイランドのケルトの血が騒ぐとかいっても、ロウランドは全然ちがうし、スコットランド住民には黒人もアジア系も多い。スコットランド国民(Scottish nation)という政治的な国民の党なのです。

結論:SNP の正確な訳は「スコットランド国民党」です。21世紀だから多民族党、というのではなく、Nation を民族と訳すことに無理がある。「国民」と訳しましょう。 ちなみに「アイルランド民族」というのも存在しません! すでに19世紀からアイルランド自治をかかげた Irish National Party 「アイルランド国民党」(80議席ほど)が、やはり二大政党政治のなかでキャスティング・ヴォートを握っていました。グラッドストンの時代にも理念型的な二大政党政治があったわけではありません。 cf. 『イギリス史10講』pp.227, 244-6, 267-8, 277-8.

 歴史学や政治学や社会学における常識を、マスコミの皆さんも考慮にいれて、尊重してくださいね。マスコミ(デスク)の知的水準が問われますよ。

2014年9月19日金曜日

スコットランド をめぐる festival of democracy

 後ろ髪を引かれる思いで、投票日の18日(木)、ヒースロウからコペンハーゲンに乗り継ぎ、たったいま東京に帰り着きました。すでに19日(金)です。
 レファレンダムを「住民投票」と訳すのはどうかと思います(総選挙もまた住民が投票します)。今回のレファレンダムは、ゴミ処理場をどうするか、幹線道路をどうするか、といったレベルの問題ではなく、国のかたちを変えるかどうかという、国政選挙以上の国制をめぐる選挙ですから、人民投票に近い。
 選択肢は、単純:Should Scotland become an independent country? これに Yes か No で答える(チェック×する)という投票です。
 しかも有権者は、SNP の立法で、なんと16歳以上と定められました。自国の将来・未来を決める投票だから、だとしても高校2年生まで投票するのには、個人的に抵抗感があります。そもそもUKは政治的国民で、投票率は高いのですが、今回の有権者登録は97%にまで上ったというのだから、関心の高さは remarkable です。事前の世論調査では、Yesが48%、Noが52%。
 政府も、労働党もこれには脅威をおぼえて、投票前日にキャメロン首相(オクスフォード大学卒)、前首相ブラウン(エディンバラ大学出身)がともに連合王国堅持の立場から熱烈なキャンペーンをしました。
 17日にオクスフォードでお話ししたO先生とぼくは同じ立場で、ナショナリズムは不毛で、政治の視野狭窄をもたらすと考えます。
 いま開票結果が順に明らかになっている途中ですが、なんといっても大都市エディンバラとグラスゴーが決定的。エディンバラは18世紀からそうであるようにホウィグ的・UK支持。グラスゴーはひところまで労働党基盤だったはずなのに、いまは Scottish National Party の地盤になっているとのこと。最近の労働若者映画でよく描かれているとおり、失業若者が多い、したがって閉塞感の強い地域です。すでに1997年の労働党政権下でdevolutionが進行し、さらにSNPのサモンド党首がスコットランド首相に収まっているわけですが、21世紀のナショナリズム、煽りと内向で、スコットランドの将来ばかりでなく、連合王国の将来、そしてEUの将来を誤るデマゴーグではないか、というのがぼくの本音。
 独立して=主権国家になってどうするのか。あらゆる点で連合王国の重要部分として存在し、機能してきたスコットランド。しかし、イングランド人が結婚(Union)した相手をなおざりにしてきたことは確かで、プライドへのrespect が足りなかった、怒らせてしまった、ということも事実。タカをくくっていたこともたしか。
 ゴードン・ブラウンが What we have built together, by sacrificing and sharing, let no narrow nationalism split asunder! と熱弁をふるったのは、テレビでも見ましたが、18日のガーディアンは好意的です。
 開票途中で、案外、Yes が伸びないというので「安堵」の空気が出ているようですが、最後に最大の選挙区グラスゴーの票が確定するので、これが決定的です。No、すなわち連合王国が維持されるなら、スコットランド人も理性を失わずに合理的な選択をしたと判断してよいでしょう。さもなければ、連合王国全体、ヨーロッパ全体、コモンウェルス全体の政治文化は、良くない方向に展開するところでした。
 スペインも、フランスも(?)、さらには「琉球処分」にも関係するイシューです。

 多様性を前提に、連帯する連邦国家。アメリカ合衆国やドイツ連邦共和国に似た国制、が解決策でしょう。

2014年9月15日月曜日

スコットランド独立?

 ちょっと説明が足りませんでした。
(イングランド王、デンマーク王、ノルウェイ王を兼ねた)クヌート王によって命名されたスコーネのロンドン(Lund)からイングランドのロンドン(London)に参りました。見慣れた景色も相対化されます。
 スコーネをとりまく周囲の離合集散(スウェーデン、デンマーク、バルト海、ノルマン人の礫岩...)をふりかえると、-Skane と Scone! そしてScotland が無関係とは考えられない - 1707年、そしてバノクバンの1314年を想い出しながら、スコットランドの有権者が Yes! と投票したくなる気持は、わからないではない。
 SNP とは日本のマスコミがいう民族党ではなくて(スコットランド民族なんて存在しません)、19世紀のアイルランド国民党と同じく、構築され、主張されているスコットランド国民党ですが、
現UK の保守党(Unionist Party)にたいする political な反対と、
UK の constitution(国のかたち)問題とを混交させたデマゴギーをやっていると思われます。
もしSNP、独立派が勝利すると、イギリス史はもちろん、ヨーロッパ史においても時代が変わるんじゃないかと思います。それだけ重要なレファレンダムです。
『イギリス史10講』では pp.57-58, 181-183, 156, 299-302 などが関連します。

 18日、木曜の投票を刮目して待ちましょう。
日本のテレビ局からせっかく取材のお申し込みを受けましたが、すみません、ただいま在ロンドンで、遊んでいるわけではないぼくには、ちょっと無理なスケジュールでした。

2011年12月2日金曜日

朗報

しばらくgmail を開けていなかったら、こんなメールが到来していた。
「2週間前ほど前になりますが,博士論文
The politics of the people in Glasgow and the west of Scotland, 1707-c.1785
を提出しました.ずいぶんと長引いてしまい,提出まで4年と2ヵ月かかりました.
‥‥この4年と2ヵ月,Dickinson先生に本当にお世話になりました.」

O, great! Congratulations!
偉大な先生のもとで、よくも頑張ったね。
いま、君がどんな顔をしているのか、見たくなった。

2010年10月18日月曜日

読者へ



  だれもが知っている(と思っている)イギリス。
  じつは歴史の重さゆえに、わかりにくい英国。

 新刊の『イギリス史研究入門』(山川出版社)ですが、最初からことばの問題に取り組みます。
でも、どこかの修正主義文献のように「ことは複雑で一様に語れない」「合理的分析にはなじまない」なんて論法ではありません。学問=科学なら simple & clear に論じてみよ!というのが、知り合いの scientist たちからの教訓です。

 「読者へ」というアピールもありますので、右肩の FEATURES からクリックしてご覧ください。

 この程度の抜粋引用は、著作権契約の許容範囲内でしょう。ただし皆さんがこれらから一部・全部を引用なさる場合は、出典を明示する必要があります。

2010年9月25日土曜日

実学としての歴史学

 モリル先生に誘われて The 1641 Deposition Online というプロジェクトの打ち上げ研究会に交ぜてもらいました(11時~16時、17時までドリンク。その後ディナー)。


正式のインタフェイスはまだですが、すでに試行版がトリニティ大学図書館のサイトに載っています。今も、今後も無料。http://www.tcd.ie/history/1641/ すばらしい。見てみてください。

 アイルランド史で「研究のもっとも盛んな時代」すなわちおもしろいのは、近刊の『イギリス史研究入門』p.306 によると18世紀らしいですが、もしや史料的には、この1641年問題こそ外国にいる日本人にも互角に取り組める、取り組みがいのあるテーマなのか、と思いました。アイデンティティ、言語、記憶、記録、すべてにかかわる暴力、司法といった観点から、やるべきこと、やれることが山ほどありそう。

 革命のきっかけになった「アイルランド大叛乱=大虐殺」の証言録取書を全部テクストとしておこして、全文検索できるようにし、しかも元のマニュスクリプトも画像として対照しつつ見られる。これはすばらしく教育的。
 しかし教育的というのは、もっと広い公衆教育という意味も込められています。アイルランド・ブリテン間の喉に突き刺さった骨である、370年前の atrocity を
  The Irish cannot forget it;
  The English cannot remember it.
だったら原史料(公文書)をウェブに公開してだれにもアクセスできるようにし、大いに議論してもらおうじゃないか。こういう姿勢で、日韓・日中・日米のあいだの「歴史問題」を議論する公衆に委ねるということは可能なのでしょうか。
 これまでのイングランド(Cambridge)・スコットランド(Aberdeen)・アイルランド(Trinity)の3国研究者と、IBMのIT技術者と、オーバードクターの協力と雇用を兼ねた、何重もの trinity 企画。
修正主義者にしてよき教師モリル先生の手にかかると、このアカデミックな企画が、来年10月に完成して、正式ローンチをアイルランド共和国大統領と、北アイルランドのユニオニストの同席のもとに敢行し、しかも多様なブリテン、多様なアイルランドへの堅実な一歩としようというわけです。

 松浦高嶺先生、こうなると「修正主義は木をみて森をみない」という批判は、引っ込めないわけに行きませんね。テキは一枚も二枚も上でした。民族主義史観やピューリタン(純情)史観の克服をめざすのが修正主義なので、日本のナイーヴな「修正主義」とは本質的に違います。
Knowledge is mightier than ignorance. モリル先生の言うとおりですね。
ヨーロッパ的コンテクスト、17世紀の全般的な危機(と暴力の象徴主義)といったことも話題になりました。
(それから今晩、 Russell と Morrill との間には友情の亀裂があって、ラッセルが亡くなるまで本当の修復はできなかったと聞きました。)ぼくはぼくで、1980年、最初の留学時に Mark Goldie に勧められながら、revisionist seminar に出ることを忌避したという事実を告解して、赦しを請いました。

 ダブリン側の中心にいる Jane Ohlmeyer (上の写真で両 John にはさまれた美女)は、高神さんと同期とか? カレン先生ともお友だち。

2010年8月2日月曜日

country house

盛夏の日本の皆さまには申し訳ありませんが、このところ England は最高気温せいぜい23度。ロンドンが23度だと、ケインブリッジは21度といった感じ(かわいそうに、Scotland では19度未満?)。

今日は曇天ながら Julian の Sunday lunch に招かれて、ケインブリッジの南西、Cockayne 村の17世紀の農家へ。
同時に むかしUCLでお会いして以来の Kathleen Burk 夫妻が招かれていて、15年ぶりにお話ししました。美味しい料理の後に庭でコーヒー。

夕刻には雨がぱらつく天気でしたが、カンスタブルに負けない絵になったかな。
「300年以上前の壁も柱も傾いている家の修繕に、どれだけ手間がかかるか」、「この広い庭の手入れがたいへんでね‥‥」とかいった会話は、たいていの日本の大学教授には縁がない。手間をかけるのが楽しいんだ‥‥。イースタ休みも、夏休みも家・庭いじり(+勉強)のためにある、とは恐れ入ります。

カリフォーニアをよく知るキャスリンによれば、
Sunday lunch is an English institution which Americans don't have. And I like it.

もう一つ、日本では許されない、ワインをそれなりに飲んだ後の運転。これがないと Sunday lunch ばかりか、こうした country house を購入して(擬似ジェントルマンのように)ときおり行き来する優雅な生活自体が、成り立ちません。‥‥そのための濃いコーヒー。

2010年6月1日火曜日

Did you know?



 イギリスの司法の末端は、ヴェーバのいう名望家支配の典型=治安判事がしきる四季法廷でになわれ、重罪事犯になると、中央から巡回してくる高裁判事のもとで行われる Assizes が一種、州共同体の祭事のように機能した、と自分でも書いていました(『民のモラル』;『伝統都市』第4巻)。高裁はあっても最高裁はない、or 貴族院の law lords が決裁する、という理解です。
 貴族院は立法府でありながら司法の最高機関でもあり、(アメリカの議会と違って)国家元首が出席するか、欠席の場合も玉杖が Crown in parliament を代表具現する。

 日本やアメリカの、三権分立を厳しく設定した憲法になじんでいると、イギリスの司法と立法の「癒着」は際だちます。法曹のなかでも barrister は弁護士だったり判事だったり、そもそもみんな Inns of court のメンバー。いったいこれでよいのか! と感じていました。
 わが友人の妻は去年まで barrister だったのですが、今年から判事殿です。日本では弁護士と裁判官の人事交流は稀ではないでしょうか。それに日本の判事(判事補)さんは、3年ごとに任地を転勤して(地域インタレストに左右されない裁判をおこなうためだそうです)、たいへんな生活を送っておられますが、イギリスではローカルな勤務が認められ、自宅家族の居住地からあまり遠くない裁判所に通勤する例が多いようです。

 そうした現状に「革新」の大ナタがふられることになったのは、EU人権裁判所からの意向でした。2005年の国制改革法により、2009年10月に貴族院から The Supreme Court of the UK が独立して、12人の判事が構成する司法の最高機関=最高裁が確立したのです。
 ようやく形式的にも三権分立となったわけです。しかも最高裁の場所はウェストミンスタ、議会と修道院の対面、かつての Middlesex Guildhall、すなわち財務省のはす向かい。司法・立法・行政、そして教会が Parliament Square を囲むことになりました。
 ご存じでした? ぼくはほんの数日前に知りました。(あいかわらずスコットランドは刑事裁判の最上級審だけは自国内に堅持するようですね!)

2010年5月12日水曜日

Cameron, new PM

今日午後、ブラウンが宮殿に参上して辞表を提出。今夕、女王がキャメロンを宮殿に呼んで組閣を要請。
今晩中に連立内閣をつくる、という算段です。
1997年の総選挙ではエキサイトしましたが、今回はどうも‥‥。
保守党がいまや本質的に English party で、スコットランド・ウェールズでは全然議席をとれないことに変わりはないので、連合王国のこれからを考えると、保守・自民連立は、どうだろう、この国を分裂させる方向に向かうかもしれない。
労働党と自民党の連立の場合は(数の問題で)SNP, WNP も連立に加わることが明らかでしたから、昨夜から今日の昼過ぎまでは、かなりの期待感がたかまっていたのですが‥‥。
それから自民党が強く要求している比例代表制への動きが(レファレンダムしだいで)具体化すると、二大政党制の制度的前提が崩れることになるのではないか。
‥‥とかいった interesting な諸問題を考える暇もなく、今はエセクス大学のペーパーに集中です。

いろいろと待っていてくださる皆さま、済みません。

2010年5月5日水曜日

Ash plume



「羽毛状の噴煙灰」とでもいうのでしょうか。
じつはまだまだ問題は続くということらしい。アイルランド・スコットランドで飛行禁止。
高度20,000フィート、とは 6,000mですから、成層圏より下の現象。
遠距離の飛行機が巡航するのは10,000m ± ですから、その状態になる前後、
離陸上昇中、着陸下降中に生じうる危険ですね。
これはもう日本では忘れられたニュースでしょうか?